第十八章 感染
二人の人狼軍人が、この街の地下の下水道の中に逃げ込んだ事を知った、ぼくは、スミレとユキを、ここに連れて来ようと考える。
それは、コハクとぼくだけでは、下水道のような巨大迷路の中に隠れた二人の人狼軍人を見付けるのは難しいだろうけれど、スミレとユキを加えた四人でなら、なんとかできると考えたからだ。
ただし、ぼくが、スミレとユキを、ここに連れて来るには、その前に一つだけ解決しなければいけない問題があった。
それで、夕日が沈んでいく中で、無人航空機につかまっていた、ぼくとコハクが、ゾンビの大群から十分に離れて、再び別のビルの屋上に飛び降りたところで、ぼくは、コハクに言う。
「………コハク、昨日の夜に、ぼくが、あの軍事施設で人狼軍人たちと戦っていた時にいっしょにいた、二人の仲間の事を憶えているか?」
「えーと、二十才くらいの男と、十才くらいの女の子よね」
「そうだ。………それで、その女の子の方なんだけど……………実は……ぼくの本当の子供なんだ」
「ええ? ちょっと待ってよ! 君、私に吸血鬼にされる前に、もう、子供なんて作っていたの? あの時の君は、まだ十四才だったじゃない!」
「……………ああ……お前に会う一ヶ月くらい前にできた子供だ」
「何よそれ! 君、自分の子供を妊娠中の相手がいるのに、私の誘惑に負けて吸血鬼にされちゃったの? それって、いわゆる最低の男じゃないの!」
「……………その相手が妊娠していた事は、ぼくは知らなかったんだけど、最低な事は確かだ………なんとでも言ってくれ」
「あらら……………その女の子、母親が自分を妊娠していた時に、父親である君が、私と性的な関係を持っていたって知ったら、そうとう怒るんじゃないの?」
「……………たぶん、それを知られたら、ぼくは殺されると思う。たとえじゃなく本当に……」
「うわ………………………しょうがないなあ………じゃあ、私たちの過去の事は秘密にしないといけないのね………。いいわ。絶対に言わないって約束してあげる。でも、少年、君は、これから、ちゃんと気を付けるのよ」
気を付けているから、こうして、お前とは一定の距離を空けているんだよ!
ぼくは、そう言いたいのをがまんして、コハクに言う。
「………ありがとう。助かる」
こうして、なんとかコハクに、過去の事は秘密にすると約束してもらえた、ぼくは、背負っていたリュックをコハクに預けてから、一人で自分が制圧した軍事施設に急いで戻る。
でも、そこに着いた頃には、すっかり夜になっていて、その建物の前にしゃがんでいた、スミレとユキは、ぼくを見付けた瞬間に立ち上がって怒り出す。
「クソジジイ! あんた、もっと早く戻って来なさいよ!」
「アニキ、俺たち、朝からずっと待っていたんですよ!」
「ごめん。………そう言えば、この中の女たちは、お前たちの事を知らないから、ぼくがいないと中に入れないんだったな……。本当に悪かった………」
だけど、そう言っている途中で、ぼくは、ユキの後ろに、三才くらいの女の子が隠れているのに気が付く。
「ちょっと待ってくれ。ユキ、その子はどうしたんだ?」
「………この子は、俺が、ずっと探していた仲間の人狼の子供です………。あの津波ゾンビから逃げた先の街で、やっと見付けたんです………。けれど、その時には、もう俺の仲間だった、この子の両親は死んでいました……………」
それで、その女の子が、ツキヨ(月夜)という名前で、ちょうど三才になったばかりだと教えられる。
でも、人狼は、人間の八倍の速さで成長するので、人間の時間では、まだ生まれてから四ヶ月半しか経っていない事になる。
そんな年令で両親を失ってしまったら、さぞ心細いだろう。
「ツキヨ、ここは安全だから、中でゆっくり休んでくれ」
「……………始めまして、アニキさん。これから、よろしくお願いします」
「ああ、ツキヨ、こちらこそよろしく」
だけど、そう言いながらも、ぼくは、初めて会ったツキヨに対して、決して油断はしない。
なぜなら、ツキヨは人狼だから、三才であっても、すでに、ぼくたちに匹敵する能力を持っているからだ(前に、六才の男の子の吸血鬼に、殺されかけた事もあったからね)
たぶん、三才の身体では音速で走るのは無理だろうけれど、襲ってきたゾンビを返り討ちにするくらいの事は、簡単にできるだろう(でなければ、この世界で両親を失って、一人で生きてこられた訳がない)
それで、ぼくは、ツキヨがどんな武器を使って、どんな戦い方をするのか、とても気になったのだけれど、それを聞くよりも、まず、ずっと待たせていた三人を地下シェルターの中に入れなければと思って、その出入口の前まで行って、監視カメラに向かって合図をする。
そして、ロックが解除された出入口を開けながら、ぼくは三人に注意する。
「ところで、この中にいる女たちは、ぼくたちが吸血鬼や人狼だとは知らないから、みんな絶対にこの中では高速で動くなよ」
それから、ぼくは、ここに初めて入る三人を、女たちやクロがいる、ずっと下の居住エリアまで案内する。
それで、ずっと待たされて機嫌が悪かった、スミレとユキも、居住エリアに着いて、まる一日ぶりにクロを抱くと、それだけで、すっかり機嫌が直る。
こんな崩壊した世界にいる、ぼくたちにとっては、元気に育っている小さな子供に触れるだけで、その心が、いやされるからだ。
結局のところ、ぼくとスミレとユキが、こうして、いっしょに行動しているのも、クロといっしょにいたいからだと、あらためて思う。
そして、ツキヨも、クロを見て一目で心を奪われる。
「まあ、かわいいー! この子、今、いくつなの?」
「生まれてから、人間の時間で十二日目だから、人狼としては三ヶ月を過ぎたくらいだ」
「そうなんだー。私、大きくなったら、この子のお嫁さんになるわ」
「そうか………じゃあ、ぼくが、ツキヨとクロが大きくなるまでに、この世界を少しでも住みやすくなるように変えるよ」
そうは言っても、二人は人間の八倍の速さで成長する人狼だから、一年九ヶ月後には、もう、ツキヨは十七才になって、クロも十四才になってしまう(そして、その時のユキは、三十八才のおっさんだ)
だから、ぼくは、急いで人間養殖計画を進めなければいけないし、そのためにも、下水道に隠れた二人の人狼軍人を、早く倒す必要がある。
それで、ぼくは、クロを再び女たちに預けると、スミレとユキに向かって、新しく出会った吸血鬼の女と協力して、人狼軍人がいた軍事施設を制圧した事と、人狼軍人の一人は倒せたものの、残る二人が、ある街の下水道の中に逃げ込んでしまった事を説明する。
それを聞いて、ユキが言う。
「アニキ、その下水道の中に燃料を流し込んで火を点ければ、簡単に、そいつらを、いぶり出せるんじゃないですか?」
「ダメだ、ユキ。今の世界の燃料は、水や食料よりも貴重だから、下水道に流すなんて無駄づかいはできない。一つの街の全体に流すとなると、とんでもない量の燃料が必要だからな。人狼軍人たちも、それを計算して下水道に隠れたのだろう。だから、ぼくたちは、自分たち自身で下水道の中に入って、二人の人狼軍人と直接戦うしかない」
すると、それを聞いていたツキヨが言う。
「それなら私も手伝います」
「………いや、スミレとユキの二人が手伝ってくれれば十分だ。その街に行けば、新しく出会った吸血鬼の女もいるから、ツキヨは、ここでクロといっしょに待っていてくれ」
それは、現代兵器とゾンビを使って罠を仕掛けてくる人狼軍人と戦うのに、実戦経験が少ないツキヨを連れて行くのは危険だろうと思って、言ったのだけれど、ユキもスミレも、ツキヨは連れて行くべきだと言う。
「アニキ、ツキヨの事は俺が面倒を見るので、連れて行かせてください。こいつは、アニキが考えているよりも、ずっと戦力になります」
「そうね。だいたい、その新しい女なんて、どこまで信用できるのか分からないのでしょう? ツキヨは、ユキの仲間だった人狼の子供なんだから、その女よりは、よっぽど信用できるはずよ」
そう言われても、コハクが十四年前からの知り合いだという事は秘密だし、実際にコハクがどこまで信用できるのかは、ぼくとしても、あまり自信がなかったので、二人に言う。
「……………お前たちが、そこまで言うのなら、まず、ツキヨの武器を見せてくれ。そうでないと判断できな………」
そう言っている途中で、ツキヨが口から炎が吹いたので、ぼくは思わず飛び退く。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
その炎は、人狼の強力な息で、高速で吹かれた燃料に着火させたものだから、ガスバーナーの炎のように細く収束されて、まるでビームのように一直線に伸びる。
「ちょっと待て! この中にも監視カメラがあるから、女たちに見られるとマズい!」
そう言って、あわてて、ぼくは、それを止めるけれど、運良くこの時は、ぼくたちがいる場所の映像は監視モニターに映っていなかったようで、ツキヨの炎は、女たちに気付かれずにすんだ(見せろと言ったのは、ぼくなので、これは、ぼくが不用心だった)
それで、ぼくは、あらためてツキヨを見る。
どうやら、ツキヨは、片手に持ったペットボトルほどの大きさの携行缶に入った燃料を口に含んで、それを吹きながら、もう片方の手に持ったターボライター(強風の中でも火が点くやつ)で着火させて、炎を出したようだ。
それから、考え込んだ、ぼくに向かってユキが言う。
「アニキ、これは、もともとツキヨの父親が使っていた武器ですが、ツキヨは、ちゃんと使いこなせています。俺がツキヨを肩車すれば、俺の弓矢とツキヨの炎で、二つの目標を同時に攻撃できるので、戦力が上がるのは間違いないです」
それで、ぼくは、ユキに戦闘中は絶対に身体を離さないと約束させて、ツキヨをいっしょに連れて行くのを認める。
そして、スミレとユキの分の拡声器や、下水道の中を明るく照らすための発炎筒などを詰めた新しいリュックを背負うと、三人を連れて人狼軍人が隠れている街まで戻る。
それから、街に到着して、すぐに三人をコハクに紹介するけれど、真夜中になって高く昇った月の下で、ヘルメットを脱いだコハクのあまりの美しさに、スミレもユキも逆に警戒してしまう。
それで、無邪気なツキヨがコハクに抱かれながら、たわいもない質問をコハクにしている隙に、スミレとユキが、こっそりと、ぼくに言う。
「あの人、あれだけキレイだったら、仲間なんて選び放題のはずなのに、なんで、あんたなんかと組む気になったのよ? 絶対に怪しいわ………。あんた、だまされないように注意するのよ!」
「アニキ、俺もあの人は危険だと思います。もしも、俺が、今、発情期だったら、絶対になにもかも奪われていました!」
「………お前たちが警戒するのは分かるけど、あの女がいると、人間養殖計画がずっと速く進められるんだ。だから、お前たちも、なるべくあの女とは仲良くしてくれ」
そう小さい声で言ってから、ぼくは全員を集めて、ツキヨ以外の三人に、拡声器と発炎筒の束といくつもの手榴弾を渡しながら、これからの作戦の説明をする。
「今回の作戦は単純だ。ぼくたち五人は、四つに分かれて、地上でできるだけ多くのゾンビを集める。それから、ぼくの信号弾の合図で、それぞれがゾンビを引き連れたまま、東西南北の街の端から下水道に入るんだ。そして、街の中央に向かって進みながら、人狼軍人を探す。すぐに見つからない場合に備えて、中の地図も作りたいから、できるだけ道を憶えながら進んでくれ」
それから、ユキがツキヨを肩車すると、ぼくたちは四方向に分かれて、それぞれで拡声器を使って街を走り回りながらゾンビを集めてまわる。
そして、ある程度の時間が経ったところで、ぼくはゾンビの群れを引き連れたまま、ビルの屋上で空に向けて信号弾を撃ってから、再び道路に降りると、素早くマンホールのふたを開けて、罠に注意しながら下水道の中に入る。
その中は明りがなくて真っ暗なので、入ると同時に発炎筒を折っては投げて(吸血鬼や人狼は、わずかな光でも周りが見えるので、たまに投げるだけで良い)それで、光源を作りながら高速で走って、ゾンビの群れを導きながら街の中心の方へと進む。
ところが、その時の、ぼくは、汚水に入らないように気を付けて下水道の縁を走っていたのだけれど、後ろから付いて来ているゾンビたちは、知能がなくて平気で汚水の中を走ってしまうので、そのうちに、汚水の中に仕掛けられていたワイヤーに引っかかってしまう。
それで、そのワイヤーに連動して、汚水の中に仕掛けられていたプラスチック爆弾が爆発してしまい、屋外と違って逃げ場のない爆風が下水道の前後の方向に圧縮されて、その衝撃で、ぼくは身体をふっ飛ばされると同時に鼓膜が破れて、肺がつぶれてしまう。
グワワワワーーーーーーーーーーーン!!
そして、その一発のプラスチック爆弾の爆発で、ぼくが引き連れていたゾンビの群れの全員が、バラバラになってしまう。
グシャャャャャャャャャャャャャャャャ!
それから、しばらくして、倒れている間に、なんとか鼓膜と肺が再生された、ぼくは、下水道の壁に寄り掛かって、どうにか立ち上がる。
けれど、こんな密閉された場所に、プラスチック爆弾のような強力な爆発物の罠を仕掛けたら、人狼軍人たち自身も、それに巻き込まれる危険があるのに、どういうつもりなのだろうか?
その事には、なんとなく引っ掛かったのだが、そこで、ずっと考えていても、しょうがないので、ぼくは再び高速で走って街の中心を目指す。
それで、さっきの爆発で、引き連れていたゾンビを全て失ってしまった、ぼくは、人狼軍人たちが隠れている場所を見付けるのが難しくなってしまったけれど、こうして走りながら中の構造を憶えていけば、後でこの中の地図を作る事ができる。
そして、地図を埋めていけば、人狼軍人たちが隠れていられる場所を狭めていけるし、もしも、地上に逃げられたとしても、コハクの命令で上空を飛んでいる無人航空機が、それを見張っているから、いつかは必ず人狼軍人たちを見付けられるはずだ。
そうやって、いくつもの罠をすり抜けつつ、発炎筒を投げながら進んで行った、ぼくは、しばらくして、前方から走って来たユキと合流する。
ユキも、肩車されているツキヨも、どうにか無傷だけれど、ユキも、ここの罠の仕掛け方には何か引っかかるようだ。
「アニキ、なんだか、この中に仕掛けられている罠は、むちゃくちゃじゃないですか? 仕掛けた本人が、自分が巻き込まれる事を気にしていないと言うか、あまりにも乱暴な仕掛け方です。ひょっとして、人狼軍人たちは、もう地上に逃げたんじゃないですかね?」
「確かに、その可能性もゼロではない………。いくら無人航空機から見張っていても、人間の速さで動いていれば、上空からは、それが人狼かどうかを見分けられないからな………。でも、地上に出ればゾンビと出会わない訳はないから、どうしても高速で動く事になって、すぐに見付かるはずなんだ。だから、まだ、この中にいるはずなんだけど……………」
そう言っている最中に、飛んで来たスナイパーライフルの銃弾を、ぼくは、間一髪で避ける。
ダーン!
すると、ずっと向こうの方に、ライフルを撃ちながら、こっちへ向かって高速で走って来る人狼軍人の姿が見える。
ダーン! ダーン! ダーン! ダーン!
でも、ライフルを撃つなら距離を保ちたいはずなのに、なぜ、こっちへ向かって走って来るのだろうか?
ぼくは、それを疑問に思いながらも、一気に音速を出して、その衝撃波が流れている汚水を巻き上げる。
ドン! ザザン!
そして、ぼくは、人狼軍人を狙って弓矢を放つユキの邪魔にならないように、筒状になった下水道の中を、壁から天井そして壁へと、らせんを描くように走りながら刀を抜いて、すれ違いざまに、その首を斬ろうとするけど、それはライフルで受け止められてしまう。
キン!
それから、人狼軍人は、そのまま、ぼくを無視して、ライフルを撃ちながらユキに向かって走って行くので、すぐに、その後を追おうとするのだけれど、音速で走っているから、すぐには方向を変えられず、壁を蹴って大まわりしてから、やっと人狼軍人の方に向き直る。
そして、ユキの放つ弓矢をギリギリでかわしながら走って行く人狼軍人が、ユキまで十メートルほどに迫った時に、ツキヨがライターで点火して、燃料を含んだ口から炎を吹く。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
その炎は、それを防ごうと顔の前に出した人狼軍人の両腕を、一瞬で焼きつくして、ライフルも転がり落ちたので、ぼくたちは、みんな、その人狼軍人が、すぐに逃げ出すだろうと思って油断してしまう。
だけど、どういう訳か人狼軍人は、ひるむ事なく、そのままユキに向かって行く。
それで、その時になって、ようやく、ぼくは、その人狼軍人の状態が普通じゃない事に気が付くけれど、ぼくの位置からでは、もうそれを止める事ができない。
そして、なんとかユキは、とっさに肩車をしていたツキヨを突き飛ばすけれど、その首を人狼軍人に噛まれてしまう。
がぶっ!
実は、その人狼軍人は、すでにゾンビウィルスに感染していて、そのウィルスが、今、ユキの身体にも入ったのだ。