第一章 人間養殖計画
自分の脚で、時速百六十キロ以上の速さで走っていた、ぼくは、同じような速さで前を走る一体目のゾンビが振り向いた瞬間に、その口の中に日本刀を差し込んで、ひねって、その頭を切断する。
スパッ!
すると、そのゾンビの身体は、糸が切れた操り人形みたいに変な姿勢で倒れて、アスファルトの地面に接触した部分から身体がちぎれて、土ぼこりを上げて転がりながら高速道路の後ろの方へと消えていく。
グシャ!
ところで、ぼくみたいな吸血鬼は、太陽の光をほとんど通さない、特別なフルフェイスのヘルメットと特別なライダースーツで全身を隠していようとも、今のような昼間は、どこか真っ暗な場所でおとなしく寝ているのが普通だ。
でも、何日も前から空腹で、それが限界まできていた、ぼくは、大排気量の車のエンジン音が遠くから、かすかに聞こえてきた瞬間に、それを運転する人間の姿を頭の中に思い描いて、その血を吸いたい想いでいっぱいになって、どうしても我慢ができず、昼間だというのに、わざわざ高速道路の上まで自分の脚で走って来てしまったんだ。
だけど、そこまで来てようやく発見したその車と、ぼくとの間には、まだ、あと五体のゾンビがいる。
そして、三週間も人間の血を吸っていなかった、ぼくは、もう体力の残りがわずかだったので、それをこの場面で使い果たす勇気がなかなか出なくて、自分の走る速さを今よりも上げる事ができないでいた。
それは、このまま、あと一週間くらい人間の血を吸えないでいれば、さすがの吸血鬼でも飢えて死んでしまう事が、何となく本能的に分かっていたからだ。
だから、もう滅多に車が通らなくなった高速道路の上で、もしも体力が尽きて動けなくなってしまったら、ぼくは本当に死んでしまうだろう。
ただ、幸いその高速道路の上には、事故で壊れたり燃料切れで乗り捨てられたりした車の残骸があちこちにあったから、前を走る車も、それを追うゾンビも、そう簡単にはそれ以上の速さを出せそうになかった。
なぜなら、もしも、それ以上の速さで走って体勢を崩して、道路にある車の残骸に接触してしまえば、車でもゾンビでも、バラバラになってしまう事は間違いないからだ。
それで、ぼくは刀を構えたまま、今の速さを保って走りながら、確実にその車に近付ける機会を、そのまま冷静にうかがい続ける。
ところが、そうしているうちに、その車の運転手が道路にある車の残骸を避ける時にあせって運転を誤ったみたいで、車体が左右にふらついてタイヤが滑りだす。
だから、ぼくは、その次の行動を、一瞬で判断しなければいけなかった。
それは、もう今回は人間の血を吸う事はあきらめて、ここを離れてどこかの暗い場所に隠れて再び寝るのか。
それとも、この機会を逃さずに危険を冒してでもその車へ向かって加速して、乗っている人間を捕まえるのか。
それを一瞬で決めるのだ。
それで、空腹だった、ぼくは、当然ながら早く血を吸いたいという欲望に負けて、ほんの短い時間だけど自分の走る速さを音速にまで上げて、ゾンビの横をすり抜けつつ、前を走る車のさらに前へと出る。
すると、ぼくの走る速さが音速に達した瞬間に、発生した衝撃波が空気を震わせて、ものすごく大きな音が出た。
ドン!
さらに、道路にあった車の残骸をぎりぎりで避けつつ、ゾンビの横をかすめた、ぼくは、二体目と三体目のゾンビの首を連続で切断する事にも成功した。
スパッ! スパッ!
そして、ぼくは、その車の前に出て、走る速さを落とすのと同時に振り向いて、十四才のまま成長が止まった小柄な自分の身体をひねりながら、フロントガラスに向かって跳んで、そこに自分のフルフェイスのヘルメットを被った頭をぶつける。
ゴン! ビシッ!
それから、その衝撃で細かいヒビが入って真っ白になった、その車のフロントガラスを、刀を持ってない方の手で一気に引き剥がす。
バリバリバリ!
さらに、間髪を入れずに、その手で腰のさやから短刀を抜き、その車の運転席と助手席に座った二人の人間のシートベルトの、それぞれの胸の前と腰の前の部分を切断する。
スパッ! スパッ! スパッ! スパッ!
ところで、どうでも良い事だけど、その車に乗っていた人間は、二人とも、ものすごい美女で、おまけに、その車も有名なイタリアの高級車だった(牛のエンブレムの方ではなく馬のエンブレムの方だ。ぼくとしては牛のエンブレムの車の方が好きだったんだけど)
けれど、この後、ゾンビに噛まれるにしても、ぼくに血を吸われるにしても、どちらにしても、その二人の美女は死んでしまう訳だし(ぼくは特別な理由がない限り、自分で吸血鬼を増やすつもりはなかったので、ぼくに血を吸われた人間は、ほぼ確実に死ぬのだ)それに、時速百六十キロ以上の速さで走っている最中に運転手がいなくなれば、その車だって、どこかにぶつかって壊れてしまうのは確実だから、その二人が美女である事も、その車がイタリアの高級車である事も、本当にどうでも良い事だった。
それで、ぼくは、刀と短刀を背中と腰のさやに収めると、小麦の袋を引っ張り出すように、二人の美女の胸ぐらを右手と左手で一人ずつつかんで、その車から引っ張り出そうとする。
でも、その時、そこに四体目のゾンビが後ろから音速で突っ込んで来て、そいつに、その車の後ろの窓を破られて、二人の美女のそれぞれの頭をつかまれてしまう。
ガシャン! がしっ!
ゾンビのくせに、道路にあった車の残骸をちゃんと避けつつ音速で近付くなんて、本当に生意気だ。
ただ、そのイタリアの高級車の、後ろの窓から座席につながる空間はとても狭いので、無理やりそこへ身体をねじ込もうと努力しているゾンビも、なかなか美女を噛む事までは、できないでいた(後ろからだと、そうなる事が分かっていたから、ぼくは、わざわざ、その車の正面にまで来て、そこから二人の美女を引っ張り出そうとしているんだ)
それで、ぼくは、ぼくの食料となる二人の美女をゾンビから守るために、美女たちの胸ぐらから手を離すと、背中の刀を再び抜いて、その四体目のゾンビの頭を切断する。
スパッ!
だけど、その間に、残る五体目と六体目のゾンビも音速で近付いていて、そいつらに、その車の左右の窓を割られて、二人の美女のそれぞれの外側の腕を噛まれてしまう。
ガシャン! がぶっ!
だから仕方がなく、ぼくは、ゾンビウィルスが、二人の美女の血管の中を通って、胴体にまで流れ込むのを防ぐために、腰のさやから再び短刀を抜いて、それぞれの噛まれた方の腕を根元から切断する(ぼくが食料となる人間を斬る時だけ短刀を使うのは、長い方の刀にはゾンビを斬った時のゾンビウィルスが付着しているからだ)
スパッ! スパッ!
ところで、ぼくもゾンビたちも、ものすごく速く動いていた訳だけど、時間が止まっていた訳じゃないから、制御できなくなったその車は、もう道路にあった車の残骸にぶつかる寸前にまでなっていた。
だから、ぼくは急いで二人の美女を、その車から引っ張り出さなければいけなかった。
それで、ぼくは、その二体のゾンビを殺すのはあきらめて、刀と短刀をそれぞれのさやに収めると、再び両手で二人の美女のそれぞれの胸ぐらをつかんで、その身体を車の外に引っ張り出す。
ところが、ぼくが、そのまま車から跳び上がろうと思っていたら、二人の美女のそれぞれの脚を、その二体のゾンビにつかまれてしまう。
がしっ! がしっ!
その状態で、ぼくが無理やり二人の美女を引っ張れば、二人の服が破れて落っことしてしまうのは確実だ。
けれど、その時には、もう、その車が道路にあった車の残骸にぶつかり始めていて、一刻の猶予もなかった。
なので、ぼくは、二人の美女のどちらか一方をあきらめる事にする。
その二人の美女の名前は分からないから、運転していた方を美女一号、助手席にいた方を美女二号、と呼ぶ事にして(どうせ、ぼくが助けた方も助けなかった方も、どっちもこの後すぐ死ぬ訳だから、こんな呼び方でも構わないだろう)それで、ぼくはちょっと考えてから、美女一号の方を助ける事に決める。
その時、ぼくがそう決めたのは、美女一号の方が体重が重かったからで、やっぱり重い方が血がたくさん吸えるからお得だというのが、ぼくのいつもの考えなんだ(人間だって、同じ値段のじゃがいもを買う時は重い方を選ぶよね)
だから、ぼくは美女二号をつかんでいた手を離すと、両手を使って美女一号の身体をしっかりと抱きかかえると、美女一号の脚をつかんでいたゾンビごと車から跳び上がる。
そうやって空中に浮かんだ、ぼくたちの下で、その車も、五体目のゾンビも、美女二号も、道路にあった車の残骸にぶつかった衝撃でバラバラになっていく。
グシャ! グシャ! グシャ!
それから、ぼくは空中で美女一号を抱きかかえていた手の片方だけを離すと、刀を抜いて美女一号の脚をつかんでいた(最後となる)六体目のゾンビの腕を切断する。
スパッ!
すると、そのゾンビは、高速道路の脇に並んでいた街灯の一つにぶち当たってから道路へ落ちていく。
ガン!
そして、ぼくは、まだ空中にいる間に再び刀をさやに収めて、美女一号の頭と身体を両手でしっかりと抱きかかえてから、高層ビルの窓に突っ込み、その中にあった、どこかの会社の机や椅子をふっ飛ばしていく。
バリン! ガシャ! ガシャ! ガシャ!
それから、しばらくして、ぼくたちの身体が止まった時は、まだなんとか美女一号は生きてはいたものの、ゾンビウィルスの感染を防ぐために片腕を切断していたから、そこからかなりの量の血がどんどんあふれ続けていて、死ぬまでに、もうそんなに時間が残されてはいない事は、医者じゃないぼくでも、一目で分かった。
だから、ぼくは、美女一号を抱きかかえたまま、急いでその高層ビルの中にあったエレベーターまで行くと、その入口を無理やりこじ開けて、すでに意識がなくなっていた美女一号とともに、真っ暗なエレベーターシャフトの中に跳び降りる。
そうやって、エレベーターシャフトの底にたどり着いた、ぼくは、太陽の光が届かない暗闇の中で、被っていたフルフェイスのヘルメットを脱ぐと、遠慮なく美女一号の首すじを噛んで、彼女が死ぬその瞬間までに、できるだけ多くの血を吸おうと努力する。
そして、ぼくは、美女一号の血を吸いながら一生懸命考える。
これから先も、さっきのように何も考えずに、食料となる人間をゾンビと奪い合っていては、そのうちに世界中から人間が一人もいなくなって、ぼくのような吸血鬼も人間といっしょに絶滅してしまうだろう。
そんな、不幸な未来を変えるには、何とかして人間のみんなに、もっともっと、その数を増やしてもらわなければいけない。
そのためには、この世界のどこかに、ゾンビに襲われる心配のない人間たちが安心して暮らせる場所が必要だ。
そういう場所さえできれば、そこに集まった人間たちは、そこで勝手にじゃんじゃん繁殖してくれるだろう。
そうすれば、ぼくは、そこで、いつでも安心して人間の血を吸い続けられるはずだ。
そう考えた、ぼくは、吸血鬼である自分自身が生き延びるために、ゾンビを防ぎつつ、人間たちを繁殖させて、その血を分けてもらう、人間養殖計画を実行する事にしたのだ。