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第80話 魔法文字と迷宮の妖精

 酒の肴を作って二階の居間に戻ると、ミラルカとアイリーンも風呂から上がってきていて、彼女たちも喉が渇いているとのことで、全員での宵の酒は一刻ほど続いた。


 アイリーンだけでなく、俺はミラルカの髪も乾かすことになったが――普段の手入れがしっかりしているからか、指通りが驚くほど滑らかだった。


「砂漠の階層を抜けたりもしたし、戦闘をするとどうしても傷んでしまうわね」

「えー、ミラルカは後衛だから大丈夫じゃないの? ディックもさらっ、さらって手櫛してるじゃない。触り心地よさそう」

「ディー君、女の人の髪はさらっとした方が好きだもんね」


 師匠に俺以外の全員の視線が集中する――もっと俺の情報を聞きたいとでもいうのか。そうはさせてなるものか。


「……アイリーン殿が少し猫毛というくらいで、他の皆は同じような髪質だな。しかし師匠殿の髪は、私たちとは一線を画している……一体どうしたらそのようになるのだ」

「えっ……あ、あのね、今言ったのは私は含まれてなくて、ミラルカちゃんも、みんなもさらさらだから、ディー君はうれしいだろうなって思っただけ」

「がるるる……」

「お、おいやめろ。アイリーンもふわっとした毛質だけど、別に嫌いじゃないぞ」


 鬼族特有のキバというか糸切り歯を見せて威嚇してくるアイリーンに、すぐさまフォローを入れる。すると彼女は怒りをおさめてくれた。


「ふーんだ、私だってそのうち気が付いたらさらさらになってるんだからね」

「……コーディさん、どうしたんですか? 髪を触ったりして」

「えっ、い、いや……何でもないよ」

「一度は伸ばしてみてもいいかもしれないわね。コーディは短い方が定着しているけれど……」


 ミラルカに言われて、コーディは苦笑する。自分には似合わないと思っているんだろうか。


「今のところはいいかな。パーティの前衛をしているうちはね」

「まあ、コーディは中衛後衛でも務まるけどな。前衛専門はアイリーンがいるし」

「最近あんまり活躍できてないけどね。はぁ~、武闘家と相性のいい敵が出てこないかなぁ。自信なくしちゃう」

「互いの持たない部分を補ってこそのパーティではないか。私はアイリーン殿を頼りにしているぞ、これからもな」


 魔王は完全に、俺たちのパーティの一員として定着している。かつての魔王討伐隊に魔王本人が加わってしまうなど、考えてみれば数奇なものだ。


 そして千年前、国を救ったパーティの一員であった師匠がいる。怖いものなどあまりない――全くないと言わないのは、慢心が油断に繋がるからだ。


「……ディックは? ディックは私のこと、頼りにしてる?」

「もちろんしてるぞ。ただ、アイリーンが本気を出すとな……何か、リスクがあるんだろ?」

「う、うん、それは私も気を付けるから。『鬼神化』しても自分で何とかするから、大丈夫」

「そういえばそうだったわね……アイリーン、今日は大丈夫? あの骨の竜と戦ったときに、鬼神化していたけど」


 鬼神化の副作用――一時的に大きな力を得て、戦闘評価を大きく引き上げる代わりに、彼女は代償を払わなくてはならない。


 彼女は言いたがらないが、俺が見たところ――いや、思い浮かべることすら控えた方がいいのだろう。アイリーンが実は誰より乙女であるということは、暗黙の事実なのだから。


「……今は大丈夫だけど、夜中に……」

「ん……? 本当に大丈夫か? もし不調なら、俺が診てやろうか」

「お、お医者さんじゃないんだから。ディック、心配しすぎ。それは、ディックはお医者さんみたいなこともできるって分かってるけど」


 回復魔法で傷を治せるだけでは汎用性に欠けるので、師匠からは解毒や基本的な病気の診療の仕方を教わった。その技術が山村の診療所どころか、王都の医者よりも優れていると知ったのは、ここに住むようになってからだ。


 師匠は何も言わずに、微笑ましそうに俺を見ている。何か成長を見守られているようで落ち着かないが、みんながいる手前、そんな目で見ないでくれとも言えないのだった。


 ◆◇◆


 翌日、俺たちは出発の準備を終えると、店のことを頼んで神殿に移動した。


 そこには迷宮に向かう冒険者だけでなく、マーキス公爵の姿もあった。彼は俺の姿を見るなり、目の前で深く頭を下げる。


「ディック殿、どうかお許しを願いたい……私の浅はかな考えで、あのような者を探索に加えてしまい……」

「公爵が、民の前で頭を下げるものじゃない。そんなことをしても、何かが元に戻るわけじゃないしな」

「しかし……国の存亡の危機に、私は自分の面子のために、あなた方の足を引っ張るようなことを……」


 アイリーンは昨夜仮面を着けてマーキスの屋敷に赴き、彼からクライブの件について事情を聞き出している。


 『仮面の救い手』が自分を粛正に来たのだとマーキスは勘違いし、大いに怯えて、アイリーンの方がどうしていいか、念話のできる魔法具を通じて俺に聞いてくるほどだった。俺は良かれと思ってやったことなら、これ以上責めることもないと伝えた――マーキスはそれでも気が休まらず、俺たちに謝罪に訪れたわけだ。


「……仮面の救い手の方々は、すべてを見ておられるのですね。彼らにとっては、私はディック殿たちに危害を加えようとしたも同然……しかし私も、まだ死ぬわけには……」

「死ぬとか死なないとか、そういうことじゃない。あんたが今すべきことは、王都の民の生活を考えること、つまりまつりごとを良くすることだ。それは、一介のギルドマスターの俺にはできないことだからな」

「今度何か余計なことをしたら……あなたの屋敷のある区画は、さぞ見晴らしがよくなることでしょうね」

「っ……は、はい。重々、肝に銘じさせていただきます……!」


 ミラルカがいつの間にか俺の隣に立っていて、遠回しにマーキスに脅しをかける。『可憐なる災厄』の二つ名の由来を知っていれば、彼女の言うことが冗談ではないことが分かるだろう。


「どちらかといえば、直接の被害を被ったのは俺じゃない。今回の作戦が終わったら、改めてその相手に謝罪してもらう」

「は、はい……負傷された方が出たとは、仮面の救い手の方から聞いております」

「救い手の言うことをそれだけ素直に信じるのに、利己的に動こうとしたのね。そこまでして、誰に対しての面子を守りたかったのかしら」

「ぐっ……」


 ミラルカは痛いところを容赦なく突いてしまう。ロウェから聞いた限りでは、マーキスはプリミエールを出し抜くためにクライブの力を利用しようとした。


 オルランド家と、シュトーレン家の面子の張り合い。そんなことに巻き込まれて、シェリーは一度は重傷を負った。


 ――本音を言うなら、俺がマーキスを訪問しなかったのは、怒りを抑えられる自信がなかったからだ。


「……プリミエールからも事情を聞く。今後は公爵家とはいえ、探索に関与する行為については、事前に報告してくれ。それくらいは頼んでいいだろう」

「承りました。当家の家令であるキルシュを、ディック殿との連絡係とさせていただきます……私から今さら申し上げることではありませんが、ご武運をお祈りしております」


 マーキスは執事の老人とともに、神殿から出ていく。残ったオルランド家の護衛の中からキルシュが抜けてきて、俺のところにやってきた。


 彼女はヴィンスブルクト家の謀反を防ぐべく、俺のギルドに依頼を持ち込んだ――その後オルランド家に移ったわけだが、どうも仕事先に恵まれているとは言いがたい気がする。公爵家の家令となれば、王都の誰もが憧れる職業ではあるが。


 明るめの赤髪を後ろで一つに結んだキルシュは、俺の前に出るなり朗らかな笑顔を見せる。マーキスがいるときは厳しい顔をしていたが、こうして見ると随分と柔らかい印象を受けた。着ている服も、スカートこそ穿いていないが、活動的な女性らしい装いをしている。


「お久しぶりです、ギルドマスター殿。ずっと挨拶をしたいと思っておりましたが、最前線に出られているディック殿のお手を煩わせるわけにもいかず……」

「いや、いつでも挨拶してくれて構わない。俺の方こそ、オルランド家でどんな日々を過ごしているか気になってたんだ」

「そ、そのような、勿体ないお言葉……私など公爵家に拾っていただいたとはいえ、あなたがたのような英雄の前に立てる身分ではございません」

「この人はそんなふうに、大仰に扱われることは苦手なのよ。何でもないように、その辺りにいる人として接してあげて」


 今日の――というか、ゆうべ肖像画をロウェから取り返してきてから、ミラルカが俺に対してとても優しい。


 それは嬉しいことなのだが、何か落ち着かない。優しいミラルカなどという男にとって理想の存在が爆誕してしまったら、非常に困る――パーティの仲間に異性を感じないように努めている俺としては。


「……何を惚けた顔をしているの? ちょっと女性にちやほやされたからといって、勘違いをしてもらっては困るわね」

「そうだ、それでいい。いつも俺を批判していてくれ」

「ディック殿は、自分に厳しくていらっしゃるのですね……私からは貴方に向ける感情は、尊敬以外は存在しないのですが。同じ英雄の方だからこそ、仲間に対して愛ある苦言を呈されるということも……」

「あ、愛……何を言っているの? 純粋にして混じりけのない苦言よ、あなたも勘違いしないでね」


 ミラルカは釘を刺すが、その頬が赤らんでいる。キルシュは白い手袋をつけた手で口元を隠し、上品に笑う。


 しかし彼女は気持ちを切り替え、表情を引き締め、武人の顔をして言った。


「オルランド家の護衛からこちらに赴いている五十名は、今後全面的にギルドマスター殿の指揮に従います」

「ああ、よろしく頼む。公爵家には、どちらかといえば資材の件を頼みたい。迷宮の中で拠点を作るとき、必要になるからな。何なら、各階に人の逃げ込める場所を作っておきたいくらいだ」

「かしこまりました。冒険者、騎士団の方々とも連携して拠点を増やします」


 これで待機中の人員にも仕事ができるだろう。新しく沸いた魔物はやはり、年数を重ねた魔物よりは弱いので、俺たちが踏破した階層にはそれほど危険はない。


 あとはとにかく進むことだ――残り90層をすべて踏破する必要はない、まずはどんな方法を使ってでも最下層に降りることだ。後の階層の探索は、『蛇』を封印した後の、探索者たちの課題としてもいいのだから。


 ◆◇◆


 転移の魔法陣を起動して十一階層に降りると、拠点では疲れ切った冒険者たちがごろごろと寝転がっていた。


 簡易のものだが、まるで戦の最中の本陣に座しているかのように、カスミさんとレオニードさんが厳しい顔をして話し合っている。


「お……来てくれたか、ディック。待ってたぜ」

「レオニードさん……もしかして、一晩中探索を?」

「最初はそんなつもりはなかったんだがな。あの森の中にある、放棄された砦だが……そこで、撤退する寸前まで書かれた兵士の日誌を見つけた」

「お主に言われた通り、私たちの手で掃討できるほどの魔物ではあったが……ホブゴブリンの群れには苦労させられた。皮膚が黒くなっておったから、闇のダークゴブリンとでも呼ぶべきかのう……魔法を使う個体がいるうえに、やたらと硬い。私の太刀でも斬るのは骨が折れた」


 カスミさんは太刀を抜いて見せるが、辛うじて刃こぼれはない――だが魔力を目に集中させて見ると、金属疲労が起こっている。


「武器の手入れなら、いい鍛冶屋を紹介します。藍の乙女亭でいつも使ってる工房も腕はいいと思いますが、モグリの凄腕を知ってますから」

「それは助かる、後で教えてもらおう。これが折れてしまうと、最適な得物が無くなってしまうからのう。心配しておったのじゃ」


 カスミさんの瞳は閉じられたままだが、その笑顔は穏やかで、周囲の人物を安心させる力がある。疲れ果てていたレオニードさんの目にも生気が戻り、彼は水筒の水を頭からかけると、ギルド員から差し出された手巾で顔を拭いた。


「ああ、悪い、世話かけるな……で、日誌だが。ボロボロで読み取れん部分も多いが、ホブゴブリンに砦を襲撃されたあと、それを書いた兵士は隠し部屋に逃げ込んで数日は生き延び、日誌を書き続けたようだ。だが、残念ながらそこでおそらく殺されている。王国はなぜ援軍をよこさないのか、この迷宮の存在を民に隠すのかと恨み言が書いてあったよ」


 レオニードさんは革袋から、ぼろぼろになった革表紙の本――ところどころに黒い染みがついている――を取り出し、俺に差し出す。


 羊皮紙で作られた本は字のかすれも少なく、保存状態が悪くなかったことを想像させる。ゴブリンには文字が読めないだろうが、この日誌は人間から奪った宝として扱われたということか。


 ぱらぱらとめくって目を通していく。幾つか気になる情報はあったが――最後のページに書かれている内容が、俺の意識を一気に引き付けた。


魔法文字ルーン……この模様、どこかで見たような……)


「師匠、ちょっと見てくれないか。これ、どこかで見た覚えがあるんだが……」

「これは……七階層で見つけた祭壇に描かれてた魔法陣に、こういう文字が含まれてたと思う。何か関係あるみたいだね」


 このページだけ文字がかすれていてはっきりしないが、『召喚』という文字列の断片が読み取れる。


「ふむ、『召喚』か。私でよければ、この文字が示す何者かを呼び出すことはできるぞ。まさに鬼が出るか、蛇が出るかと言ったところではあるがな……ご主人様、どうする?」


 この迷宮に固有の精霊のようなものがいるのか、それとも、魔物なのか。


 一介の兵士が召喚できるものとは思えないが、当時砦に召喚術士がいたのだとしたら、この魔法文字で何かを呼び出したということはありうる。


 それが砦の崩壊に導いたということも――いや、迷っていても仕方がない。


「ディー君、大丈夫だよ。魔法文字にはいろんな類型があるけど、これは危険なものじゃないはずだから。たぶん、妖精の類だと思う」

「妖精……話には聞くが、見たことはないな。召喚して出てくるものなのか?」

「珍しいといえば珍しいが、妖精の住む森などに行けば呼び掛けには応じるものだ。私の経験では、住んでいる土地にこれ以上詳しい存在はいない。もし妖精を呼び出すことができれば、探索は大きく進展するな」


 レオニードさんはおお、と目を見開き、カスミさんも興味を示している。もし妖精を呼べるなら二人も見てみたいだろうが、万が一のリスクを考えると、少人数で召喚するべきだろう。


 俺はみんなに持たせている魔道具のピアスを通じて、魔法文字を使って召喚を試みること、それには危険があるかもしれないので、場所を変えたいということを伝える。ロッテとシェリーが特に緊張していたが、討伐隊の面々は落ち着いていた。


(僕たちも見ているから、危険は最小限に減らせる。まさか、師匠さんと店長さんと、三人だけで召喚を試すなんて言わないよね)


(ああ、分かってるさ。相談なしでそんなことしたら、俺はこのパーティに居場所がなくなっちまう)


 コーディの念話に答えると、皆もそれを聞いていて安心したようだった。ミラルカが俺の代わりに、ギルドマスター二人に説明してくれる。


「召喚するときに周りに影響が出るかもしれないから、場所を変えるわ。あなた方は夜通し探索をして疲労しているようだし、交代要員に任せて休んだほうがいいわね」

「そうさせてもらおう……ディック、何やら拠点を広げているようじゃな」

「その方が他の探索者にとっても安全になるからな。転移の魔法陣の周りは固めすぎるくらいに固めたほうがいい。まあ、二人が戦ったようなゴブリンは、倒してしまえばもう湧かないだろうけどな」

「年月を重ねたヤツらがヤバイってのは身に染みた。俺も未熟な魔物なんぞには遅れは取らんさ……ふぁぁ。すまんが三時間ほど仮眠させてもらうぜ」


 レオニードさんと部下たちがあくびを噛み殺しながら転移していく。カスミさんも俺たちに向けて微笑みかけてから、側近の女性たちと共に転移した。


 ◆◇◆


 霊装竜がいた十階層に上がる。がらんどうな広い空間は、召喚を試すには向いている。

 師匠とヴェルレーヌが地面に魔法陣を描く。準備を終えると、ヴェルレーヌは短刀を取り出し、自分の指を傷つけようとする。召喚のために血液が必要ということらしい。


「ヴェルレーヌ、俺の血を使ってくれるか?」

「女の指を切らせるまいというご主人様の考えには、感じ入るものはあるが……あっ……」

「もう……ディー君は。自分のこととなると無頓着なんだから」

「俺は回復魔法が使えるからな」


 俺は帯びていた剣を少し抜いて、親指に傷をつける。そして血液を魔法陣に垂らすと、回復魔法で傷を消した。


「これで召喚すると、ご主人様が呼び出したものとの契約の資格を得ることになる。まあ、意志が通じる存在であればの話だがな」

「もし悪いものを呼び出してしまったら、私がお鎮めさせていただきますっ」


 少し距離を置いて見ているようにと言ったのに、ユマがすぐ後ろに来ていた。その献身に、俺は思わず頭を撫でたくなるが、時と場合を考えて自重する。


「では、召喚するぞ……『古の真なる文字に刻まれし盟約の主よ、我が前に来たれ』」


 ヴェルレーヌが魔法陣に手をかざし、詠唱する――すると、陣から光があふれ出し、それは円柱状の光の柱に変わった。


 ――光の中に、小さな姿が浮かび上がる。推測通りに姿を見せたのは、透明な四枚のはねを持つ、手のひらに載るほどの大きさの少女だった。


(これが妖精……なのか? それとも……)


 目を閉じたままでいた妖精が、ぴくん、と体を震わせる。そして、音もなく翅が羽ばたき始めて、瞳がうっすらと開いた。


「……むぅ。妖精でも服は着ていることが多いものだが、裸ではないか」

「あっ……ディックさん、見ちゃだめです! はぅっ、手が届きません……っ」


 後ろから飛びついて俺の目を隠そうとするユマだが、その拍子に背中に柔らかいものが――と、後方に神経を集中している場合ではない。


 なぜ、兵士の日誌に妖精を呼ぶための魔法文字が書かれていたのか。

 妖精がこちらの言葉を理解できるのなら、情報を引き出したい。ヴェルレーヌの言うとおりなら、この地に住む妖精は、迷宮の知識を持っているはずだからだ。


「……生きた人の子を見るのは久しぶり。みんな死んでしまったと思っていた」


 小さくも、よく通る声で妖精が言った。感情の起伏がなく、表情は人形のようだ。


「私に血を捧げたのは……あなた。人の子なのに、人とは思えない力を持っている。かつて蛇の封印に参加していた、あの男よりも器は大きい」

「……あの男っていうのは、アルベインの初代王か?」


 妖精は小さく頷き、半分眠っているようだったその瞳が完全に開く。

 彼女は俺から、背後に視線を移す――そこには、コーディたちと共に遠くから見守っているシェリーがいた。


「『蛇』の分霊の依り代となっている……分霊が目覚めたということは、本体はとうに目覚めている」

「やはり、そうなのか……」

「……あなたは、この迷宮にとってどういう存在なの? 『蛇』とは、どんな関係があるの……?」


 師匠が存在を知らないということは、千年前には遭遇しなかったということだろう。


 しかし妖精の側は違っていた――師匠を見るなり、その表情が初めて変化した。


 その憂いを帯びた瞳に宿るものは悲しみか、あるいは寂しさに類するものだった。


「……この『ベルサリス』が、空中に浮かんでいた遥か昔に、私は『蛇』の封印を監視するために召喚された。ベルサリスが地上に落ちたのは、蛇の封印が解けたことが原因。けれど、封印は形を変えて、再度『蛇』を無力化した」


 レオニードさんとカスミさんには、後で隠すことなく伝えなくてはならない。


 彼らが見つけた魔法文字、それによって召喚された妖精は、文字通りこの遺跡の全てを知る者だったのだ。


「そのエルフの詠唱でなければ、私は召喚されていない。ベルサリスはエルフと、古き人の作り出した島だった。私も、エルフを模して造られている」


 俺の心を読み取っているかのように、妖精は言う。言葉通りに、妖精の耳はエルフと同じ形をしていた。


「妖精……いや、造精霊デミエレメンタルということか」

「そのように呼ばれたこともある。私はエルフと古き人に造られた存在」


 妖精はヴェルレーヌの問いかけを肯定する。古き人――それが指すものは、師匠とその親友がそうだという、『遺されし者』のことだろう。


 なぜ蛇を封印できるのが師匠だけなのか。その理由が分かっても、大きな疑問が残っている。


 『蛇』とは何なのか。俺の想像通りならば、その答えは……。


「『ベルサリスの蛇』も私と同じように作られた。けれどその力を、作った者たちでも持て余し……そして、浮遊島の最深部に封じこめた」


 ――『蛇』は、浮遊島に暮らしていた人々が作り出した。


 今よりも遥かに優れた魔法文明を持つ人々は、自分が生み出した蛇によって滅びたか、あるいは地上に落ちた浮遊島を離れ、散り散りになった。


 その生き残りか、あるいは末裔が、師匠とその親友だった。


「……そいつらのしたことを、今になって俺たちに負わせようっていうのか」

「『蛇』が地上に出れば、この大陸の生物は死滅する。そうしないためには、古い依り代を乗っ取って活動を始めた蛇を、新しい器に移し替えなければならない」

「すでに、最深層で『蛇』は目覚めてるんだな?」


 動揺せずに俺は聞いた。妖精の言っていることが、師匠に新たな『蛇』の器になれという意味であっても、そんなことは元から分かっていたも同じだ。


 師匠は親友から封印を引き継ぐつもりだった。それが死を意味すると知っていても。


 ――俺は、師匠を死なせない。ならば、俺のすべきことは一つだ。


「ご主人様……一体、何を……」

「……っ、ディー君、だめ……そんなこと、『人間の』手に負えることじゃ……」


 それこそ、神に戦いを挑むようなことであっても。


 それしか方法がないのならば。


 魔王を討伐し、さらに強くなった俺たちにしか、挑む資格すら与えられない。『人間の』強さを離れている俺たちではなくてはならない。


 『蛇』を倒す。もしくは、無力化する。師匠を失わず、そして千年後の王国の人々に問題を先送りにしないために。


「――この迷宮のことを知ってるお前になら、できるはずだ。『蛇』のいる場所に、俺を連れていってくれ」


「…………」


 妖精は答えない。しかしその反応を見れば、不可能ではないことは分かった。


 ――そして、俺もわかっていた。


 こんな言い方をすれば、俺の仲間たちは、とても遠くから見守っていることなどできないということに。


 ミラルカ、アイリーン、コーディ――そして、シェリー。


 シェリーはロッテを連れてはこなかった。分霊を宿して力を増したシェリーの実力は大きく伸びている――しかし、ロッテはSランク相当の実力のままで、『蛇』との戦いに臨むには危険が大きすぎる。


 それでもロッテは俯いたりなどはしていなかった。姉を送り出した彼女の瞳には、ギルドマスターの一人としての誇りと、姉への揺るぎない信頼が込められていた。


「あなた一人よりは、私たちもいたほうがいいわ。格上の相手に安定して勝つには役割分担が必要だって、あなたが言っていたことじゃない」

「もう武者震いが止まんないんだけど。やっと本気で戦える相手に出会えたって感じ?」

「一人で行くような言い方はしないでほしいな。君にはそういうところがあるから、放っておけないんだよ」

「……私では力が及ばないかもしれない。でも、『分霊』を宿した私なら、何かできることがあるかもしれない。もし操られてしまったら、そのときは私を殺して」

「そんなことは絶対にさせません。私がシェリーさんの、そして皆さんの魂を守ります」

 五人も怖くないというわけではないだろうに、その言葉からは、こちらが恥ずかしくなるくらいの覇気しか感じられない。


 ――俺一人で行くなどと、一瞬でも考えたことを後悔する。


 いつも彼女たちは、俺を引っ張って先に進んでいた。俺は力を示して目立つことを、化け物と呼ばれることを恐れて、後ろから彼女たちを援護し、それが自分の役割だと自分に言い聞かせてきた。


 まぎれもなく彼女たちは勇者であり、英雄で――俺はそれを後ろから眺めていただけ。

 だが、今だけは違う。迷宮の最深部で何があっても、俺は決して目立たない。


 彼女たちだけが、見ていてくれればいい。それ以外の名誉など、何もいらない。


「……格好つけようとしてすまない。みんな、一緒に来てくれ……いや。一緒に戦おう」


『はいっ!』


 今だけはミラルカですら、皆と同じ返事を選んだ。戦いに臨む全員と心を合わせるために。


 妖精は黙って俺たちを見守っている。俺たちに背を向けている師匠の肩に、ヴェルレーヌが手を置く――振り返った師匠の瞳は、涙で潤んで赤くなっていた。

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