第62話 易しい身体の鍛え方と豚鬼の殲滅
第三層の森のバグベアは三割ほど掃討したあたりで攻撃してこなくなり、遠くからたまにこちらの様子を見るだけとなった。どうやら彼らの中で『格付け』が済み、俺たちを格上と認めたようだ。
バグベアにはそれくらいの知能はあるということなのだが、俺たちは強いので無駄に命を散らすな、と説得したところで、言葉が通じないので、どのみち戦うしかなかったわけだ。
そしてみんなが服を乾かし終えたので、俺はヴェルレーヌの作った火球を使わせてもらい、装備を外して乾かしていた。
「迷宮の魔物って、風化するのがすごく早いね。もう土に還っちゃってる」
「この階層は、植物の精霊の力が強いようだから。土に分解される速度が、地上の数百倍になっているのね。無機物以外の装備を外して地面に置いたりすると、それも分解されるかもしれないわ」
俺は全身を革の装備で固め、金属板で補強したり、装甲を付けたりという防御面の強化は最低限としている。強化魔法があれば、そこまでの重装備は必要ないからだ。
火竜が脱皮をすると『鱗』『皮』といったものが全て入れ替わるので、それらの素材を取ることができる。そのおかげで、俺の装備は一部が火竜の皮を加工した皮革を利用することができている。最強の素材というわけではないが、強度も柔軟性もかなり高く、動きを邪魔しないのがいい。弱点は水に弱いことだが、防水加工をすれば相殺できる。
その革で作ったアンダーシャツを脱いで地面に置いたところで、師匠がこちらに歩いてきて、装備を預かっていてくれた。
「ミラルカちゃんが言う通り、地面に置くと変質しちゃうかもしれないから。ディー君が装備してるうちは、魔力で覆われてるから大丈夫だけど」
「ああ、助かるよ師匠。みんなの装備は大丈夫だったのか?」
「私たちは、ヴェルちゃんに出してもらった魔法の敷布を敷いて、その上に置いてたから」
「ご主人様にも出しておいた方がよかったな。私の力があれば、周囲の精霊の影響力を弱めたり、支配下に置くことも可能なのだが。いたずらに、進む先の精霊を支配するのも好ましくないのでな」
一度は皆と一緒にバグベアからの拾得品を確かめに行ったのだが、師匠とヴェルレーヌが戻ってきて、俺の着替えを手伝ってくれようとする。しかしそこで指摘しないほど、俺も間抜けではない。
「……いや、そんな構えてられても、手伝ってもらう必要はないぞ」
「むむっ……師匠殿、この流れならば、ご主人様も私たちの気遣いに甘えてくれると言ったではないか。長い付き合いのわりに、拒絶されているように見えるのだが?」
「拒絶じゃないよ、ディー君は恥ずかしがり屋さんなだけで、本当は私たちに見てもらって嬉しいっていう顔だよ。ほら、ちょっと頬がぴくぴくしてる」
「こ、これは嬉しいとかじゃなくて、どんな顔をしていいか分からないという顔面筋の迷いだ」
「ほほう……絶対にダメというわけではないのか。ならば、効率を上げるためにも、私たちの手を借りるべきだな」
「はいディー君、次は下のほうも脱がないと。だいじょうぶ、全部じゃなくていいから」
本来なら全部脱いで乾かしたいところだが、それでは麗しき肉食獣の群れに、身体に肉を巻き付けて飛び込んでいくようなものではないかと思える。
その時ちょうど『精神防御』の効力が切れてきていて、かけ直す前に、師匠に少し心を読まれてしまった。
「ふふっ……ディー君がヴェルちゃんのこと、雌猫みたいだって」
「むぅ、それは褒め言葉としてなのか、俗に言われるような、積極的な女性に対する例えなのかが気になるな」
「近いことは考えたが、雌猫とは言ってないぞ。それに、俺が考えたのはヴェルレーヌだけじゃなくて師匠もだからな」
「私はディー君に、そういう目で見られないからいいの。ヴェルちゃんには脈があるから、頑張ってもらわないと」
「あ、あなたたち、ちょっと黙って見ていたら、ディックの着替えの邪魔をしているだけじゃない。私たちに宝石拾いをさせておいて、自分たちは遊んでいるというのは怠慢だと思うのだけど」
「と言いつつ、ミラルカ殿も私たちに乗じてやってきているではないか」
「わ、私は注意をするために仕方なく……ディック、何を見ているの?」
ミラルカは俺を睨んでくるが、その顔が徐々に赤くなっていく。俺は装備を乾かすことに集中したいのだが、煌々と火球に照らされているので、よくよく考えると目立ってしまってしょうがない。
「……まったく、どうして日ごろ飲んだくれてるだけなのに、そんな体をしてるの? 女性の敵ね」
「それはねえ……ディー君、言っても大丈夫?」
「まあ、この面子なら言ってもいいか。俺は常に強化魔法を使って、筋肉に負荷をかけてるんだ。そうしないと、あっという間に肉がつくからな」
「そんな裏技を使ってたんだ……ディック、たまにパワーアップしてる時があるなと思ってたんだよね。そのときは負荷を外してたってこと? やってくれるじゃない」
アイリーンもたまに鍛錬のために手首と足首に重りをつけ、つけたままで忘れて依頼を請け、敵の前で「そういえばつけてるの忘れてた」と言って地面にめり込む重さの重りを床に落とし、それだけで敵の戦意を無くさせたことがあった。彼女の武勇伝の一つで、よく酒飲み話としてギルドの仲間たちに話している。
俺の場合、全身に負荷をかける見えない発条を取り付けて生活しているようなものだ。今もそうなのだが、必要とあればいつでも限界解放をする気構えでいる。
「私もディックさんみたいに、体を鍛えたいです。そうしたら、お父様みたいに、素手で岩を割ったり、速く移動したりできますよね」
「岩を割るのはアイリーンに任せておいた方がいいな。ユマは僧兵じゃなくて、純然たる司祭の道を進んでくれ」
「そ、そうですか……? ディックさんに背負ってもらうのは、そろそろ卒業しないといけないなって思っているんですけど……」
「いいの、ユマちゃんは。ディックだって妹を背負ってるようなものだと思って、喜んでやってるからね」
「妹……ですか? ディックさん、私ってディックさんの妹さんに似ているんでしょうか」
「いや、俺は末っ子だから弟妹はいないよ。年下の相手を、みんな妹みたいっていうのも節操がないしな。でもまあ、ユマみたいな妹がいたら、俺ももう少し穏やかな幼少期を送ってたかもな」
昔の話はほとんどしたことがないが、師匠と再会してから、思い出す機会が増えた。俺がそんなことを言うのが珍しいのか、みんなじっと見てくる。
「……俺が言うのもなんだが、たまには昔話でもしたいもんだな。みんなのことを知らなさすぎるから」
みんなの昔のことを知らないことが、ふと気になることは今までにもあった。
ミラルカがなぜ魔王討伐隊を志したのか、アイリーンが鬼族の村でどんなふうに過ごしていたのか。コーディがどうやって子供の頃腕を磨いたか、そしてユマは、あの優しい両親をどうやって説得して、魔王討伐隊に参加したのか。
ヴェルレーヌのことも、師匠のことも、多くのことを知っているとは言えない。それでも仲間として冒険をしているというのは、合縁奇縁というものを感じざるを得ない。
「みんな、そんなに顔を真っ赤にするくらいなら、ディックの近くに行かなくてもいいんじゃないかな?」
遠くで様子を見ていたコーディが、遠慮がちにこちらにやってくる。男装の自分が一番恥ずかしがっているというのは格好悪いということか、こちらに歩いてくると、普通に俺を直視してきた。
「……はぁ。君を見てると、僕の男装って意味があるのかなと思えてくるよ」
「まだ服が乾いてないんだ、あまり褒められても反応に困る。みんな、何か食べるものでもつまんでゆっくりしてたらどうだ?」
「ご主人様の鍛え上げられた身体を肴に、一杯やるというのも悪くはないな」
「うん、だいたい落ちてたもので良さそうなものは集めちゃったしね。ヴェルちゃんの箱に綺麗にして入れたから、ディー君も地上に戻ったら見てみてね」
師匠は髪を乾かしたあとから、銀色の髪を左右で二つに結んでいた。その方が動きやすいということか、それとも気分転換だろうか。
それは良しとして、未成年のユマを除いて全員が酒を飲みながら俺を観賞しているという、教育に良くない状況になってしまった――服が乾く前に、いっそ開き直って筋肉を誇示するポーズでも見せてやろうかという気分だ。
(それにしても……言いたいことを言ってくれたな、あのふたりは)
アイリーンとミラルカの「ヘタレ」という評価はなんとか変えたいものだが、男らしさを示すために具体的に何をすればいいかと考えると、とても実行できないことばかりが浮かんでくる。今は冒険のことだけ考えた方が良さそうだ、と頭を切り替えざるを得なかった。
◆◇◆
例えば、たまには前衛で戦ってみるというのはどうだろう。特に難しいことではない、近接戦闘の評価だけでSSSランクの魔物でも出てこない限り、俺に傷をつけることはできない。しかし俺の役目は補助役なので、その役割を全うすべきでもある。
そんなことを考えながら三層を抜ける。要した時間はできるだけ急いで十五分、それはドラゴンキマイラが道を開いてくれていたからだ。直線というわけにはいかず、森の中を曲がりくねったり、飛行して進んだのか道が途切れているところもあったので、途中からはコーディに地形を教えてもらって、自分たちで最短経路を探して抜けてきた。
思うのは、バグベアが四層の入り口に近づこうとせずに、何かに怯えている様子を見せていること。そして、四層の入り口の周辺に、バグベアが落としたものらしき、石の装備品などが散乱していること――それが、何を意味するのか。
「ディック、何か聞こえてくる。四層から、何かがこっちに来ているみたいだ」
「俺たちの匂いをかぎつけたか。どうやら、バグベアたちはこの下にいる魔物を恐れて、近づかないようにしてたみたいだが……」
肉食の魔獣か、それとも別のものか。森が途切れて視界が開け、岩肌が露出した下層への通路から、何者かが地の底から響くような声を発しながら近づいてくる。
姿を現したのは――豚顔の、俺たちより二回り、上にも横にも大きな体をした獣魔。
獣人と獣魔の差は、文化的な営みを行うかどうかだ。豚人族という獣人族もいるが、獣魔に属する豚鬼とは、呼称が同じでも全く異なる扱いをされる。豚鬼は豚人族が魔族と交わって生まれたもので、豚人族は他の獣人族と同じように、人間や同属、他の獣人種との間に子をなし、一族を形成したと言われている。
この迷宮にいるのは、魔物として扱われる方のオークだ。その姿は二足で歩いていて、最低限の装備を身に着けているというだけで、人間に近い知性というものは感じられない。
「――ブモォォォォォ!!!!」
豚というか、豚の形をした鬼の咆哮というべきか。オークたちは次々に、木を適当に切り倒して作ったような棍棒とも言えない武器を手に、牙の並んだ口を開け、涎を垂らしながら襲い掛かってくる――のだが。
少し後ろを歩いていたミラルカが、既に魔法陣を展開していた。その目は久しぶりに、蔑むべきものを見つめる冷たい瞳をしている。
「殲滅するわ。ああいう欲望に正直なだけの魔物は、あまり視界に入れたくないの」
「っ……そ、そうだったな。みんなオークは嫌いだったな」
オークというか、人型の鬼系の魔物は、腰ミノくらいは身に着けているのだがほとんど半裸なので、女性にとってはあまり目にしたくないというのは無理もないことだ。うちのギルドでも、亜人系の魔物討伐を担当するのは、だいたい男性ということになっている。男女差別というわけではないので、女性が希望すればオーク討伐に参加することもあるが。
千年も迷宮の中に居たオークたちは、どういった生態を持っているのか知らないが、俺を無視して他の女性陣に対する欲求が剥き出しになっていた。しかしあとしばらくの命なので、黙祷程度はしておきたい。
「オークさんも、豚人族の方々なら、賢者と呼ばれる方もいると言いますが、あの方々はお話をしようとしたらかみつかれてしまいそうですね。ああ、神の慈悲と、寛容の精神をお教えしたい……」
「戦ってもいいけど、あれだけけだもの感を前面に出されると、拳を交えるのも気が引けるっていうかね。ほら、私も乙女だから」
「とりあえず足止めをしておこう。『光剣・光弾幕』」
「ブォォォォォッ!」
オークは元から高い再生力を持つ。ドラゴンキマイラと同様、そういった能力が強化されていて、普通なら一撃で戦闘不能になるはずのコーディの攻撃を受けても、でたらめな再生力で傷が塞がり、勢いに任せて突き進んで来ようとする。
「――完成したわ。次はかわいげのある生き物に生まれ変わりなさい」
ミラルカは言って、ぐっと拳を握って見せる。するとすでに、地面に展開されていた魔法陣に彼女の魔力が通り、効果が発現する。
――広域殲滅型十二式・破壊振動陣――
魔法陣の端から発生した不可視の振動が、オークたちの身体を走り抜ける。直後、彼らは砂のようになって爆散し、破壊される――人間相手には絶対使ってはならない、禁忌の魔法陣だ。
十体のオークが残らず消し飛び、破壊の余波がしばらく空気を震わせていたが、それも落ち着いてくると、ミラルカはふう、と息をついた。
「オークは女性を女性として見る知能だけは残っているから、念入りに殲滅しないと」
よほどミラルカはオーク嫌いなのだろう、魔法陣で殲滅してもなお足りないという様子だった。オークの残骸を見る冷たい目に、久しぶりにゾクゾクとさせられてしまう――彼女を怒らせてはいけない、絶対に。
「女騎士の人は、オークに捕まったら『くっ殺せ!』って言っちゃうみたいだけど、どう見てもそれどころじゃないよね」
「それは一部の、オークに対する偏見の元に書かれた資料書によるイメージではないか? オークは繁殖期以外は、他の種族の雌に興味を示すことはないぞ」
「ダークエルフの中には、オークを好んで飼ってる人もいるっていうけど、ヴェルちゃんはそんなことしてないよね?」
「私の部下には豚人族はいたが、豚鬼はいないな。豚鬼は見ての通り、言うことを聞かないのでな……私の個人的趣味としても、豚鬼に魅力を感じる点は無いな」
「それにしてもミラルカがいると頼りになるね。再生力が強い魔物を倒しきるのは骨が折れるから助かるよ」
「ええ、任せておいてちょうだい。次の階層がオークの巣だというなら、問答無用で全域を殲滅するわ。ディック、それは許可してもらえる?」
「い、いや……階層ごと崩壊するのは困るから、オークだけを頼むぞ。そう言われてみて思ったが、ミラルカの空間魔法で、下の岩盤を貫通して下に降りるってことはできないのか?」
「それは私も考えたのだけど、この岩盤は一定以上削ろうとすると、硬度が高すぎて分解に時間がかかってしまうの。全ての階層がそうとは限らないけど、浅い層では、下に抜けられないように対策がしてあるということね」
迷宮には落とし穴などもつきものだが、そういった経路で下に降りるというのも無理らしい。今後もずっとそうとは限らないので、楽な進み方を探していきたいものだ。
◆◇◆
オークを倒したことで俺たちは完全にバグベアに三階層の長として認められてしまった。そんなわけで言うことを聞くようになった彼らには、もし人間が来ても襲うな、と命令しておく。簡単な命令を聞くだけ、豚鬼よりバグベアの方が知性があるといえる。
そして四階層に入ったとたん、案の定の豚鬼祭りとなっていたので、ミラルカは久しぶりに超広域に魔法陣を広げ、階層全ての魔物を『破壊振動陣』で一掃した。魔法陣の展開まで十五分もかかったが、Aランク相当の冒険者では苦戦するくらいの実力はあるので、掃討しておくに越したことはないだろう。
三階層に引き続いて四階層も森で埋め尽くされていた。振動陣を起動するまではあちらこちらから豚鬼の声が聞こえていたが、一気に静かになった。静まった森を歩いていくと、豚鬼が残したものらしい宝石、原型をとどめていない古い貨幣などが落ちている。
「ふぅ……少し魔力の消耗が大きいわね。いっそここからすべての階で、あらかじめすべての魔物を殲滅しようかと思ったのだけど、効率があまり良くないわ」
「あまり無理するなよ、俺たちは全然疲れてないから、戦闘は分担した方がいい」
「ミラルカ、結構つらそうだし、あたしがユマちゃんを背負ってあげるから、回復するまでディックに背負ってもらったら?」
「っ……そ、そこまで疲れているわけじゃないわ。あっ……」
ミラルカが慌ててアイリーンに声をかけると、その拍子に彼女はふらつき、近くにいたヴェルレーヌに支えられた。
「可憐なる災厄の可憐たるゆえんは、こういったところにあるのかもな。魔力を消耗した際は、か弱い乙女になるというのは、ある程度は仕方があるまい」
「ディックに回復してもらえばいいのだけど。魔力の回復する飲み物はないの?」
「じわじわ時間をかけて、三十分で全快するやつならあるけどな。即効性のある奴は反動があるし、材料も貴重だからおいそれと使えないんだ」
「……そこであなたがそんなことを言ったら、断る理由が、なくなってしまうじゃない」
「ミラルカには大事なときに力を温存していてもらいたいからね。これもパーティとしての助け合いだよ」
コーディが爽やかに笑って言うので、ミラルカはしぶしぶという顔ではあったが、ユマの代わりに俺の背中に乗った。
「……ユマが体を鍛えたいと言った気持ちが、身に染みてきたわ。あなたの強化方法を、少し私にも教えなさい」
「ほどほどに鍛えるのはいいことだな。よし、六階にある魔法陣まで、気を抜かずに行くとするか」
「次の階は、地図では迷路になってたから、罠にも気を付けないと。私は罠を感知できるから、みんなを先導してあげる」
階層ごとに、活躍するメンバーも変わる。七人で潜ったのは正解だったと考えつつ、次の階層へと急いだ。




