第53話 ギルドの始まりと彼女の正体
白の山羊亭で起きていたことについては、日を改めて審問官へと報告されることになった。
紫の蠍亭、緑の大蟹亭に調査に入った騎士団は、同行した審問官と共に、彼らの行っていた仕事が王国の法律に触れていることを確かめ、ギルドマスター、ならびにギルド員を拘束した。今後は一人ずつを審問にかけ、その罪状の重さに応じて刑罰が下されるとのことだ。
白の山羊亭のギルドマスターは、首輪をつけられたからではなく、自ら師匠の言いなりになっていた。
師匠の異名である『灰色の道化師』。その意味を、俺は白の山羊亭のギルドマスターから聞かされることになった。
かつてアルベイン王国の冒険者は、ギルドという組織に属さず、個人で仕事を請けて遂行していた。あるいは名声や宝物を得るために冒険に出るだけで、依頼を受けない冒険者というのも存在したのだ。
しかし百年前、王国で初めてSSランクを超える冒険者強度の持ち主――師匠が現れ、彼女の手によって『冒険者ギルド』が創設された。
師匠は自分のギルドに『蛇遣い亭』と名付け、ギルドマスターとして優秀な冒険者を集め、王都の民や貴族からの依頼をこなし、国王にも匹敵するほど、民衆から絶対的な信望を集めるようになった。始まりのギルドは一つであったため、象徴する色を持たず『無色』だった。
だが、師匠は王都にずっと留まろうとは、最初から考えていなかった。
ギルドを作って十年後、彼女は突如として姿を消した。何の前触れもなく、大いに冒険者たちは混乱した。
絶対的なカリスマを失ったあと、SSランクの4名、Sランクの8名の冒険者は、師匠がかつてそうしていたように、彼女のやり方に倣って自分たちのギルドを創設した。
自らが作り上げた組織をあっけなく捨て、戻ることのなかった彼女に対して、残されたギルドマスターたちの中には感情を整理できず、彼女は自分たちを化かしていたのだと、『道化』のようだと罵る者もいた。
そして他のギルドマスターが選ばなかった不吉を表す灰色を冠して、師匠に対する『灰色の道化師』という呼び名が生まれた。そう、当時のギルドマスターたちも、師匠の名を聞かされていなかったのだ。
それでも彼女のことを、白の山羊亭のギルドマスターだけは、他のギルドに知られず崇拝し続けていた。代替わりしても、変わることなく師匠を神格化し、敬い続けていた。
師匠がそうするように仕向けたわけではない。白の山羊亭のギルドマスターだけは、彼女がその気になれば再び全てのギルドを支配し、冒険者たちを支配下に置くことができるということを忘れていなかった。
白の山羊亭は再び真の主が戻ってきたとき、彼女が座るためにふさわしい椅子を用意するため、トップギルドとしての地位を盤石にしようとした。
俺は、その目論見を知らないままに、白の山羊亭の傘下から三つのギルドを脱退させた。その時から、白の山羊亭にとっては俺は注意するべき人物と見なされていた。
しかし俺の素性を調べ、白の山羊亭のギルドマスターは、俺のギルドを潰すことは考えず、残ったギルドへの支配を強めることに執心した。
――だが、時代は変わろうとしていた。俺たちが魔王を討伐して帰還したあと、魔物の数が目に見えて減り、魔物討伐を主にしていた冒険者たちは仕事を失っていった。
そして初めに紫の蠍亭が、次に青の射手亭が、悪事に手を染めた。緑の大蟹亭もまた時代に適応できずにいたところを、白の山羊亭の勧誘を受け、自ら完全に取り込まれた。
師匠の言う通り、王都に12もギルドが存在する必要はなくなっていた。
権力を維持するために従属の首輪を必要としたのは、白の山羊亭のギルドマスターだった。師匠はその要望を受け入れて、首輪を作った――だから罪がないとは言えない。彼女は何に使われるかを知っていて首輪を作り、白の山羊亭のギルド員に身につけさせ、命を捨てさせるような命令をしたのだから。
それでも俺は、彼女をすぐに審問官に出頭させることはしなかった。
今更言っても遅いのかもしれないが、どうしても伝えたいことがあった。だから俺は、師匠をギルドハウスに連れて帰った。
◆◇◆
ヴェルレーヌのベッドに寝かせるわけにもいかず、師匠はシーツを替えた俺のベッドに寝ている。
既に二時間ほど経っているが、目を覚まさない。俺の攻撃を防御するために一時的な魔力の枯渇を起こしているので、供与すれば良いことなのだが、簡単にできることではない。
技術の問題ではなく、俺の魔力を受け取ることを、師匠が望むか分からないからだ。
だから、自然に回復するのを待っている。魔力を与えるために触れることすらできずにいる。
ここに連れてくるまでは、彼女を背負ってきた――それさえも躊躇したのは、俺がまだ師匠を尊敬しているからだ。
俺に生き方を教えてくれた。魔王討伐に向かう俺に、好きにしたらいいと言ってくれた。
今では、俺を放任した理由が分かる。彼女は自分のところに、俺が帰ってくると信じていた。
俺がどれだけ望まれても、彼女を殺したくないと思っていることを伝えなかったから。
「ご主人様、飲み物をお持ちしました。少し交代いたしましょうか」
「いや。彼女はいつでも転移できる……俺が見てないと、いなくなるかもしれないからな。ありがとう、気遣ってくれて」
「……そんなふうに礼を言われると、調子が狂う。弱っているご主人様にも、魅力を感じる部分はあるがな」
ヴェルレーヌは元魔王としての口調に変わると、ベッドの傍らのテーブルに飲み物を置いた。心を安らげる効果のある『ミシカ草』というハーブを使った冷茶だ。
一口飲むと、胸がつかえていたものが取れるようにすっと楽になった。ヴェルレーヌは微笑み、師匠の額に乗った熱さましの布を取り換える。
消耗した魔力を回復するとき、熱が出る。俺の攻撃によって受けた傷は回復しているが、それで魔力を使い果たしていた――今は自然回復を待つしかない。
「ヴェルレーヌ、師匠が何者か知ってるみたいだったな。この人はエルフじゃない……他の亜人でも、そこまで長命な種族を俺は知らない。一体、彼女は……」
「強力な魔法を操り、万物に通じる知識を持つ。そして、不老不死。各地を流浪し、崇めれば祝福を、祟られれば呪いをもたらす。魔族の間にも、そういう存在がいると伝わっている」
そこまでは俺も知っている。そんな存在を、何と呼ぶのか――どこから来て、どこに行くのか。
その手がかりも、ヴェルレーヌは知っている。彼女は眠っている師匠を見ながら、言葉を続けた。
「彼女はおそらく、『遺された者』と呼ばれる存在だ。神がまだこの世界に居たころ、自分たちの現身として作ったものたち……その生き残りがいたのだよ」
彼女が持つ力を初めて見た時、俺は思った。
まるで、神様の使いのようだ。どんなことでもできて、何でも知っている。
それを口にしたとき、師匠がどんな顔をしたのか――それも思い出した。
彼女はとても寂しそうな顔をして言った。「私には一つだけ、自分ではできないことがあるんだよ」と。
「……この人は常識から外れすぎてて、どんな正体でも驚かないが。その『遺された者』だったとして、いったいどれだけ長い間生きてるんだ」
「人間がこの世界に生まれたころから、ずっと存在している……そう考えられるな」
絶対に理解できない、そう思っていた。師匠が自分を殺すことができる存在として、俺を育てたと言うたびに、なぜそんなことを言うのかが分からなかった。
だが、ヴェルレーヌの仮説が正しいのなら。
百年前に王都に冒険者ギルドを作ったのも、自分を殺せる力を持つ冒険者を見出すためで。その可能性が無いと見限って、姿を消したということになる。
そして80年を経て、同じアルベインという国の片隅で、俺を見つけた。一度通り過ぎた国に戻ってきたのはなぜか――80年という歳月で、世界を歩き尽くしてしまったからなのか。それは、聞いてみなければ分からない。
しかし、辻褄が合ってしまう。彼女が俺に殺してほしいと願った理由に、納得させられてしまう。
あまりにも長く生きすぎたから。彼女が一つだけできないことが、自分で死を選ぶことだったとしたら。
「それでも俺は、この人を認めるわけにはいかない。目覚めたら、真っ先に否定してやる」
「それは手厳しいな。しかし師匠の乱心を諫めるのは、弟子の役目とも言えるだろうか」
「……不出来な弟子だけどな。俺は、彼女に嘘をついたんだ。最後まで、騙し続けた」
――君が生きていくために必要なことを全て教えるから、その代わりに、最後には私を殺してね。
――何を言っているのかって思うかもしれないけど、私にとっては、切実な問題なんだよ。
――その約束さえ守ってくれたら、君は自由だよ。それまでは、私も君に縛られていてあげる。
「俺は約束を守るつもりなんて、最初からなかったんだ。魔王を討伐するために彼女のもとを離れたら、もう……帰らないつもりで……っ」
握りしめた冷たいグラスを砕くほどに力を込める。
自分がどれだけ最悪の裏切りをしたのか、ずっと目をそらしていた。死にたいなんて認められない、そんな世迷言には付き合っていられない。
何も師匠のことを知らないで、そんなふうに自分を正当化して、のうのうと生きてきた。自分が楽しければそれでいいと、望むことだけをして、自分だけ幸福になろうとした。
初めから、俺が得たものは全部、師匠に与えられたものだったのに。
「……そんなに、自分を責めるな」
グラスに亀裂が入ったところで、ヴェルレーヌの手が、俺の手に重ねられていた。
そのまま彼女は、座っている俺を後ろから抱きしめた。流すべきでもない涙が、俺の頬を伝っていた。
「ご主人様にとって、彼女は大切な人物だった。ならば、これからまたやり直せばいい。彼女がしたことは罪になるのだろうが、それを償う方法がないわけではないはずだ」
「……師匠をここまで追い込んだのは俺なんだ」
「そうやって自分が全てを背負いこむというのは、私たちが許さない。ご主人様が、本当はどれだけ生真面目で、自分を追い込む性格なのかを、私は近くで見てきて知っている。だからこそ、放っておけないし、黙って見ているつもりもない。ご主人様が自分を追い詰めて、取り返しのつかない心の傷を負うようなことがあっては、それこそそこで寝ている彼女を、私たちはどうにかしてやらねばならなくなるぞ」
冗談めかせているが、ヴェルレーヌは本気だった。
俺を抱きしめる腕は細く、けれど決して離さないという、強い意志が込められていた。
「……ご主人様の決断ならば、私たちはそれに従う。ガラムドア商会に捕らえられ、売られた獣人の件のみは、何らかの責を負うべきところだろうが……白の山羊亭、ならびに法に触れたギルドは、元より腐敗していた。彼らは、戻って来た彼女に助けを求めただけなのではないか……?」
「それは……まだ分からないが。それも、師匠が起きてからだな……」
自然に任せると、これほど人の回復というのは遅いのかと思う。しかし今は待つしかない。
もしこのまま死にたいと思っているのだとしても、それはできないはずだ。俺にはもう、師匠を傷つける意志はない――しかし、先ほど放った技で死に至らしめるようなことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。
「何か遠慮しているようだが、こればかりはご主人様が何と言おうと、彼女の心臓が止まるようなことがあれば手段を選ばずに回復させるぞ。私たちも、目覚めたら一言文句を言いたいのだからな。我らの中心であるご主人様を、いたずらに振り回すなと」
「……できれば、お手柔らかに頼む。師匠とみんながケンカしたら、俺でも止めるのは大変そうだ」
「……むぅ。良く見たら、泣いたあとがあるではないか。弱いところを見せるのはやめてもらおう、こうやって抱きしめるだけでも、私としてはいっぱいいっぱいなのだぞ」
ヴェルレーヌは頬を染めながら、手巾を出して俺の頬を拭ってくれる。
こんなところを見られたら――と思うが、師匠はやはりまだ目覚めない。その代わりに、後ろから不穏な気配を感じて、俺はゆっくり振り返った。
「……こら。黙って見てるのは趣味が悪いぞ」
ミラルカ、ユマ、アイリーン、そしてすぐ隠れてしまったが、コーディも観念して出てくる。
「向こうで待っていた方がいいかと思ったけれど……そんな大事な話をするなら、同席するべきだったわね」
「ひっく……ぐすっ。ディックさん、お辛い思いをされていたんですね……そんなに大事な人を、殺めなければならないと言われて……それを、誰にも言えずにいたなんて……っ」
「なんていうか、究極に素直じゃない……って言ったらいけないけど、そう思っちゃった。でも、ディックがお師匠様を倒せたから、素直な気持ちが言えるようになったんだよね……あ、ごめん、泣いてないよ?」
「……君の悩みは、僕たちの誰より深いじゃないか。僕が悩んでいたことが小さすぎて、恥ずかしくなるよ……そういうのって、卑怯じゃないかな?」
コーディはそう言うが、親友だからこそ言えないことというのもある。
それこそ、一生言うつもりはなかった。しかしもしそうなっていたら、俺は彼女たちに、本当に心を開くことはできていなかっただろう。
――しかし、全部聞かれていたと思うと。
さすがの俺も、感情を抑制できるなんて強がりは言っていられず、顔が熱くなるのがわかる。
「……今のは、見なかったことにしてくれ。泣いたんじゃなくて、突然目が痛くなっただけだ」
その言い訳が通じたのか否かは、五人の表情を見れば一目瞭然だった。
今にも笑い出しそうで、けれどもらい泣きしてるような顔で、皆が部屋に入ってくる。しかしヴェルレーヌは、自分のものだと主張するように俺を抱きしめて、肩越しに顔を乗り出して満足そうに微笑んでいた。




