第49話 紫の蠍亭と光剣の勇者
コーディはディックたちと別れたあと、単独で5番通りにある紫の蠍亭に向かった。
銀の水瓶亭のある12番通りと比べれば、それほど治安は悪くない場所のはずが、12のギルドの中で最も所属する人間の性質が悪に寄っているというのは、コーディには疑問に感じられる。
しかし、紫の蠍亭の所在地を実際に尋ねてみて、その認識は大きく変わった。住宅の集まる街区にあるのだが、建物はカムフラージュのために民家を装っており、地下に本部を置いているのだ。
(やましいことがなければ、地下ギルドなんて在り方はとらないはずだ。初めから、ギルドマスターの中にも闇を抱えている人物がいたということかな)
コーディの目的は、首輪によって操られているギルドマスターを解放することである。
紫の蠍亭に所属する最高ランクの冒険者はSランクで、その程度の相手ならば、コーディは無傷で全員を戦闘不能にできる。
しかしギルドマスターの元に辿り着くまでに、できるだけ発見されないほうが良い。コーディは正面から突入して制圧してしまいたいという気持ちを抑え、建物の裏に回った。
敷地内には番をしている獣がいて、裏に回ろうとするコーディの眼前に飛び出してくる。紫の蠍亭もさるもので、犬ではなく狼を調教して番をさせていた。
(犬は好きだけど、狼も……いや、ちょっと怖いかな)
「ガルルルッ!」
「ギャォォッ!」
二匹の巨躯の狼は、飢えた野獣そのものという形相で、開いた顎からよだれをまき散らしながらコーディに飛びかかろうとする。その出鼻をくじくように、コーディは右手をかざし、高速詠唱を行って光の剣精を呼び出した。
――明滅の幕――
「キャゥンッ!」
目の前で光が瞬き、狼たちは面食らい、地面に倒れてのたうち回る。コーディは続けて、剣精によってもたらされる魔力剣の中から、狼を殺さずに無力化できるものを選択し、その力を解放した。
――魔力剣解放・鈴鳴――
音叉のような形状の魔力剣を召喚し、生物を眠りに就かせる音を放つ。ディックがいれば必要のない技だったが、コーディは彼の万能性に少しでも追随するべく、魔力剣の研究を重ねていた。
起き上がろうとした狼たちが、その場に座り込んで横になり、動かなくなる。毛並みのいい腹を見せて横たわる狼たちを見て、コーディは微笑した。
「そういう姿は可愛いものだね。どんな動物でも」
コーディは続けて、建物内にいる人間も眠らせられないかと試みるが、音が壁に遮断されていた。音の魔力剣の性質を確かめつつ、裏口の扉に罠がかかっていないことを確認すると、コーディは扉の隙間に『光剣』を差し入れ、音もなく錠前を切断する。
ドアを少しでも開けてしまえば、コーディは剣精によって制御された光を屋内に投射し、その反射によって、内部の構造を把握することができる。
(この方法が使えなかったら、ディックと旅をするなんて危なっかしくてできなかったな)
宿で着替えているときに出くわすなどの事故が起きなかったのは、コーディが常に宿の中でのディックの位置を把握していたからだった。申し訳ないと思いつつも、当時のコーディはどうしてもディックに正体を知られるわけにはいかなかったのだ。
ディックは最初は不愛想で、何を考えているか分からないように見えた。コーディは自分に近い実力の男性と接したことがなく、必要以上に警戒していたのだが、そのことを今では反省している。
一緒に旅をして分かったことは、ディックが信じられないほどに女性に優しいということだった。他の三人がどんな我儘を言っても、気が進まないようなそぶりをしつつも全て受け入れてしまう。そんな彼を見ていると、コーディは男性は信用できないと思ったこと自体を撤回したいという気持ちになる。
(僕はうわついてるのかな。本当のことを知られて、やっと隠さなくて良くなったって、安心しているのか。自分勝手で嫌になる)
ディックと訓練がしたいと誘ったのは、友人だからだ。しかし、絶対に約束を守ってもらわなければならないわけでもない。
それでも念を押したのはなぜなのか。考えれば考えるほど、コーディはやはり正体を知られるべきじゃなかった、いつから気づかれていたんだろう、一度問い詰めた方がいいのだろうか、と考えることをやめられなくなる。
頭を切り替え、コーディは建物の中に侵入する。裏口から入るとそこは台所だったが、食料の備蓄などは置いていない。外面だけ普通の家のように見せているだけで、中は生活感などなく、饐えたカビの匂いがするほどだった。おそらく、外部からの来訪者に応対する場所だけは整えてあるのだろうとコーディは推察する。
カビの匂いに耐えかねて、口元を覆うことのできるディックの鉄仮面を羨ましく思いながら、コーディは手巾を取り出して口元を覆うように巻く。まるで自分が盗賊になったようだと苦笑しながら、通路からこちらにやってきた男を物陰でやり過ごし、背中を見せたところで後ろから組み付き、腕を決める。
「ぐっ……!」
「動かないでもらえると助かるな。外の狼の様子を見に行くところだったのかな? あの二匹には、外で寝てもらっているよ」
「…………」
完全に腕を極められていると理解すると、男は抵抗を諦める。コーディはその腰に帯びている、毒を塗った短刀を引き抜き、放り投げ、『光剣』で射抜いて破壊する。
「……!?」
男は驚愕するが、声が出ていない。光の速さを視認することなどできず、放り投げられた武器が焼かれたところだけが見えただろう――コーディの『光剣』を応用して放つ光線には、熱エネルギーを持たせることができる。それを『光熱線』と呼び、金属でもバターのように切り裂き、照射した物体を燃やすことができる。
床に落ちた、元短剣だったものは、溶解して原型をとどめていなかった。荒事に慣れているはずの男が怯え、膝ががくがくと震えている。
「武器に塗布する毒は、王都の外で害獣を駆除する目的以外では使用不可とされている。何か申し開きはあるかい?」
「……がぁぁぁぁっ!」
最後の意地か、男が暴れ、コーディの拘束を逃れようとする――しかしコーディはそれを抑え込み、仕方なく男の肩を外した。
苦鳴の声を上げる前に、コーディはディックに昔教わった通りに、首元を狙って手刀を入れる。狙い通りに、男はその場に倒れこんだ。
(やはり僕は、潜入任務には向いてないみたいだ……ディックほどスマートにできない)
「おいっ、何があった……ぐぁっ!」
静かにことを終わらせるつもりが、敵が集まってきてしまう。コーディはやってきた敵に『明滅の幕』を浴びせたあと、狼たちと同じように『鈴鳴』を使って無力化する。
昏倒した三人のうち一人の頬を叩いて起こし、地下に降りるための入り口を聞き出す。一階の廊下にある蠍の彫像を操作すればいい――そこまで聞き出したところで、コーディはもう一度手刀を放ち、再び失神させる。
所属するギルド員が毒の短刀を所持していて、使い込まれた形跡があった。つまり、このギルドは殺人者の集団であると断じてもいい状況だった。
しかし、騎士団長にあるまじきことだとコーディは自分で思うが、どんな凶悪な相手であってもあまりに弱すぎると、手加減してあしらうだけでも弱いものいじめをしているように感じてしまう。
(ディックがギルドを作った理由のひとつは、こういうことだったんだろうか)
コーディも部下を率いるようになって、自分で戦う機会が減った。それを退屈だと思っていたが、いかに恵まれたことだったのかという思いが生まれる。
地下に降りるために、コーディは廊下の壁に埋め込まれていた蠍の彫像の毒針の部分を回転させる。すると、廊下の壁の一部が左右に分かれて開いていき、階下に降りる階段が出現した。
階段を下りてからも何人か敵が出てきたので、コーディはそこで初めて剣を抜いた。魔力剣ですらないただの剣で、純粋な剣技だけで敵を撃退していく。鎖鎌、山刀、機械弓、吹き矢――様々な武器を持っている輩が出てきたが、コーディは剣精に『自動反撃』を命じ、投射攻撃を光線で撃墜させることで、自らは近接戦闘に徹して一人ずつ相手を排除していく。
(一階にいた敵もそうだったが、みんな戦闘の際に話さないな……暗殺者の集団というとこんなものか)
無言で急所を狙って攻撃してくる敵たちに辟易しながらも、コーディは二十人近い敵を倒しきる。そして、最後の部屋まで辿り着いた。
地上からすでに空気が淀んでいたが、地下に入ってからはますます瘴気が濃くなっている。最後の部屋にギルドマスターがいるのか、それとも――コーディは気を緩めず、扉を開くための仕掛けを動かした。
歯車仕掛けの重い鉄扉が、左右に開いていく。そして入室したコーディのすぐ背後に、天井から降りてきた何者かが降り立ち、すかさず凶刃を振るおうとする。
「――死ね」
他に何の感情も混じっていない、純粋な殺意。コーディの背中に向けて振るわれたのは、毒を塗った鉤爪だった。
しかし切り付けられたはずのコーディの姿が歪み、かき消える。そして薄暗い部屋の中、コーディの姿が三つに増えた。
――幻影。しかしただの幻影魔法で発生させる幻影よりも遥かに精細に結像している。光を自在に操ることのできるコーディには、相手の視界に入る光を操り、自分の像を増やすなどわけもないことだった。
濃い紫のぼろぼろの外套をまとい、顔も含めた全身に包帯を巻いた凶手――それが、紫の蠍亭のギルドマスターの姿だった。コーディはその首に嵌められた首輪を認める。
クライブ・ガーランドとの交戦で負った傷を、彼は治療していなかったのだ。それがどのような経緯によるものかは分からないが、コーディは哀れみを覚えていた。
「辛かっただろう。もう、そんなにぼろぼろになってまで戦う必要はないんだ」
「――シャァァァァッ!」
その説得を聞き入れず、ギルドマスターはコーディの声が聞こえた方角に、裂帛の一撃を繰り出す――前傾し、地面すれすれの高さで駆け込み、両の爪を振り上げる。
しかしそれで本体を切りつけられるほど、コーディの光幻影は甘いものではなかった。
敵の眼球に入り込む光を操る――視界を支配するということは、方向感覚も完全に狂わせることができるということだ。音が聞こえる方角を狙っても、正反対の方向に攻撃してしまう。
むなしく鉤爪は空を切り、その瞬間に爪は根元から断ち割られる。そして、ギルドマスターの意志を奪っていた首輪も同時に切断されていた。
コーディが一瞬だけ『光剣』を召喚し、振るったのだ――自ら挑んできたギルドマスターに敬意を表するために。
「今はおやすみ。目覚めたら、君のしてきたことは償ってもらうけれど」
コーディが最後に選んだ魔力剣は『鈴鳴』だった。
ギルドマスターは音を防ぐ装備をつけていない――暗殺を生業としているならば音などへの対抗措置も考えられるはずだが、首輪で操られていることで、本来の知識を使うこともできなくなっている。コーディはそう判断していた。
首輪と一緒に切られたギルドタグが落ちている。コーディはそれを拾い上げ、『マスターシーフ』と書かれたその職業欄を見て、かつては彼も、冒険者として役割をこなし、実績を積んでマスターとなったのだということを確かめる。
シーフはその能力から『盗賊』と呼ばれるが、冒険者のシーフは『賊』ではない。しかし鍵を外す技術、隠密行動を得意とするという性質から、暗殺者や盗人に身を落としてしまうことも多い。
実際にそうなってしまったこのギルドマスターを見て、コーディは思う。冒険者ギルドは、その本分である『冒険』を、常に続けなくてはならない。我欲のために金で他人の力を借りる、そういった依頼を受けるための存在になってしまってはならないのだと。
ディックはこの考えを理解してくれるだろうか。彼ならきっと、耳を傾けてくれるはずだ――そう信じて、コーディは切断した首輪を拾い、紫の蠍亭を後にした。
そして、もう一つ彼に頼んでみたいことを思いつく。
魔王討伐の旅ではない、『冒険者らしい冒険』を、一度ディックたちと一緒にしてみたい。SSSランクの冒険者と認められながら、純粋に冒険者らしいことをしたことがないと気が付いたからだ。騎士団長である自分がその時間を取るには、まとまった休暇を取らなければならないが。
――しかし、その時。
「……っ!」
コーディはディックに貰った連絡用の魔道具――魔石のピアスから、ディックとミラルカが交戦していることを感じ取った。
信じがたいことに、二人が相手を圧倒することができていない――互角の戦いをしている様子が伝わってくる。
コーディは紫の蠍亭の後処理を銀の水瓶亭のギルド員、そして騎士団の部下たちに任せることにして、ディックたちの元に急いだ。1番通りにある、王都最大のギルドの本部へと。




