第38話 氷の洞窟と影撃士との交渉
リゲル、ライア、マッキンリーの三人は、ディックの要請を受けて参加することになったアイリーンと共に、王都の北にある氷の洞窟に向かった。
馬を使って一時間ほどで、目的の場所が近づく。『永久氷塊』を飲み物で溶かして摂取することにより、彼らは冷気に対しての耐性を高めており、氷の洞窟に近づくにつれて気温が下がっても、さほど苦にすることはなかった。
しかし、氷の洞窟の二階層からは、水が液体として存在できないほど気温が低くなる。そう聞いていた4人は、装備の上から厚手のコートを着込み、寒冷地対策を行った。
「みんな、風邪ひかないようにしっかり着てね」
「はい、アイリーン殿。私は元から、寒さにはある程度強いのですが」
「うん、そかそか。そういえばライアさん、ディックからあの話って聞いた? 虎獣人の村のこと」
「ええ、伺いました。その村こそ、私の出身地です。ディック様には、また一つ大きな恩義ができてしまいました」
ティミスと共に初めてディックのもとを訪れた時のライアとは、比較にならないほど笑顔が多くなっている。彼女は武人としてアイリーンのことを尊敬しており、二人の関係はリゲルやマッキンリーから見ると、まるで師弟のようにも見えていた。
「姐さん、俺たちも兄さんにいいとこ見せたいです! よろしくお願いします!」
「ほんとにこいつは怖いもの知らずだな……リゲル、姐さんはやめろって言われてたろ」
「あはは……ディックが兄さんで、あたしが姐さんだったらいいかな。あたしだけだったら、ちょっと浮いてる感じするしね」
アイリーンが、銀の水瓶亭の冒険者とパーティを組み、補佐するのはこれが初めてではない。
魔王討伐の旅に出ているときは、全てのメンバーが強いために分からなかったことだが、ディックの実体験によると、高ランクの冒険者に引率されると、ランクの低いメンバーの成長率が高くなるというのだ。
それでも数日に渡る冒険を通して冒険者強度が5も上昇すれば御の字で、強くなるということは冒険者たちにとって容易なことではない。リゲルたちは、アイリーンが同行するこの機会がどれだけ貴重なのかを理解していた。
「これ以上洞窟に近づくと寒いから、馬をそのあたりにつないでおこっか」
「はい、ほかの獣が近づかぬように香を焚いておきましょう。おまえたち、ここで待っていなさい」
馬は虎獣人を天敵としてその匂いを恐れるものだが、ライアはティミスの護衛に就いたときに与えられた馬とは信頼関係を築いており、意志の疎通がよくとれていた。
愛馬を森の中に置いていくことはライアにとって少し気がかりではあったが、そこはディックの用意してくれた、『保護の香』が抜群の威力を発揮した。馬の匂いがかき消され、ほかの獣が近寄らなくなる。
「兄さんはほんと、色んなものを持っててすごいな。これも自分で作ってるって、あの人、いったいいつ寝てるんだろう?」
「ディックさんもすごいが、そのご友人のデュークさんはもっとすごいぞ。とんでもない博識の持ち主で、火竜を苦にせず捕まえちまうからな」
「デューク殿といえば、魔法大学に最近姿を見せたらしい。一度お会いして、教えを請いたいものだ」
三人が心酔している人物の顔を思い浮かべて、アイリーンは思わず笑ってしまう。
ディックが変に目立ちたくないということにこだわるから、デューク・ソルバーという人物に神秘的なイメージがついてしまっている。その正体を知っている立場からすると、言いたくてしょうがないと思うのだが、アイリーンは必死で自重していた。
彼の秘密主義は、理解のある仲間たちによって守られている。アイリーンは、やはり髪を乾かしてもらうのは二週間に一度くらいであってもいいのではないかと思う。
そして彼に、うかつながら裸を見られてしまったことを思い出して、耳まで真っ赤になる。
「姐さん、もしかして暑いんですか? すごいですね、俺なんてこれだけ着てもガタガタ震えてますよ」
「う、うん、ちょっとね、厚着は苦手だから。大丈夫、洞窟の中は寒く……」
アイリーンは言いかけて気が付く。このまま森の中の道を進めば氷の洞窟がある――しかしそこに辿り着くまでの途上から、何者かが争う音が聞こえてくる。
――金属音、風切り音、そして男の悲鳴。複数人が交戦している、そう察すると、四人は無言で頷き合う。
気配を殺し、物陰に姿を隠しながら、可能な限り急いで四人は進んでいく。アイリーンだけは先行するが、それでも戦いが終わるまでには間に合わなかった。
白い岩壁を穿ち、ぽっかりと口を開いた巨大なほら穴。それが、氷の洞窟の入り口だった。
その前にある開けた場所で、武装した冒険者たちが倒れている。一人だけ立っている人物――彼がやったのだ、とアイリーンは判断する。
蒼黒の髪を持つ、ハードレザーアーマーを装備した男。その手にしている武器は、円形の金属の輪に刃を付けた、投擲用の武器――『スライサー』だった。
しかしすべて武器攻撃で倒したのではなく、倒れている冒険者は一部しか怪我を負っていない。それは、男が圧倒的な力の差を見せつけて冒険者を叩き潰したのではなく、最低限の力で倒してみせたということを示していた。
「……ゼクトさんっていうんだっけ。うちのギルドに挨拶に来てくれたんだよね?」
「『銀の水瓶亭』……それとも、別のギルドか。どいつもこいつも、話を聞かん奴らだ。耳はついているのか」
苛立ってはいるが、声を荒げてはいない。問答無用で戦うよりもよほどいいとアイリーンは考える。
ディックはゼクトとはぶつかるな、と念を押してきていた。しかし、SSランク相当とはいえ、久しぶりにある程度戦える相手を前にして、アイリーンの拳がうずく。
「好戦的な顔だな。鬼族は戦いを好むというが、例外ではないということか」
「そんなことないよ、鬼族にも武闘派じゃない人なんて大勢いるからね。あたしがヘンなだけ。それはいいとして、今から氷の洞窟に入るの? あたしたちもこの中に用があるんだけど」
「……お前たちには関係ない。この男たちのようになりたくなかったら、余計なことはしないことだ」
「余計なことはしない……と言いたいけど。ひとつ聞いていい? 氷狐を見つけたら、どうするつもり?」
ゼクトはアイリーンを無視して洞窟に入ろうとしていたが、足を止める。そして振り向く。
その手にある武器を使い、氷狐を――ゼクトは暗にそう示しているとアイリーンは感じ取る。
「それはちょっと困るんだよね。ガラムドア商会からの依頼は、氷狐を生け捕りにしろって話だから」
「……貴様には関係ない。俺には、『あれ』を元に戻してやる方法が、それしか思いつかん」
(きた……!)
ゼクトの言葉に、アイリーンは電撃的に反応する。
彼女はディックから事前に言われていた。氷の洞窟の深層に向かう前に、ゼクトと氷狐の関係について、可能なら聞き出せると理想的だと。
今の言葉からすると、ゼクトは氷狐の正体が、獣化した獣人であると知っている。つまり、知り合いであるということになる。
『元に戻してやる』という言い方から、ゼクトが氷狐を助けようとしていることもわかった。しかし、ゼクトはその方法を『氷狐を倒すこと』だと考えているふしがある。
(こんなに頭使うの、やっぱりディックに任せちゃいたいよ……報酬、週一に引き上げだからね)
ディックならば、どう判断するか。アイリーンはそれを必死に考えた末に、次の言葉を導き出した。
「あたしなら、氷狐を無事で助けられる。獣化した姿から戻すには、ちゃんと方法があるんだよ」
「……どこで、それを? この短期間の間に、調べたのか……?」
「うん。あたしは、氷狐と格闘して『首輪』を外す。キミにそれができるなら、あたしはただ見てるだけでもいい。でも、やっつけてからどうするか考えようとか思ってるんだったら、あたしはキミの邪魔をするよ」
アイリーンはそこまで言うと、隠さずに殺気を放つ。ゼクトほどの実力があれば、その力の差が感じ取れないはずがないと踏んでのことだ。
挑発と見なして戦うことになるかもしれない、と覚悟もしている。アイリーンは右手と右足を前に出す、シュペリア流格闘術においての基本の構えを取る。
ゼクトのスライサーを握る手に力が入る。
しかしそれを投擲することなく、スライサーの刃をしまうと、定位置であろう腰のベルトに差した。
「……首輪、か。それが原因で、『あれ』の理性が失われたと……信じていいのか?」
彼は、氷狐が獣と化したまま戻れなくなった理由を知らなかった。アイリーンは胸中で安堵しつつ、必死にディックに聞いたことを引き出して答える。
「首輪を外してすぐ元に戻るかはわからないけど、原因がその首輪なのは間違いないよ。まだ直接見てもいないのになんでわかるって思うかもしれないけど、事前に調べてきたから。うちのギルドの情報部は、とっても優秀だからね」
「……いや。確かに俺も最後に見たとき、『あれ』は首輪をつけていた。あの商会の連中が、まさか魔道具を持っていたとはな……その可能性を考えずに、弱らせて洞窟から連れ出すことしか考えていなかった。それしか方法がないなどと、愚かな考えしか頭になかった」
自嘲するように言うゼクトには、もはやアイリーンと戦って排除しようという意志はなかった。
競合は、今から共闘に変わる。ゼクトと争う必要がないのならば、氷狐の捕獲作戦を成功させることだけを考えられる。
「氷狐をやっつけるとか、弱らせるとか、そんなことしなくても大丈夫だよ。ほんとはしたくないのに、そうしなきゃって思うくらい大事なんだよね。あたしにはまだ、詳しいことはわからないけど」
「できるならば、殺したくはない。魔獣としてこの洞窟に住み着き、いつか誰かに討伐されるのを待つよりは、自分の手で……そう思ってはいたがな。まったく的外れな覚悟だったようだ」
「ううん、誰だっていつも正しい答えを出せるわけじゃないから。間違ったままじゃなくて、最後に正しい答えが出せたら、それでいいと思う」
アイリーンが話しているうちに、リゲルたちが姿を見せる。ゼクトは彼らを見る――それぞれの実力を測るように。
「……俺から言うことでもないが、お前たちは氷狐と遭遇しても前には出るな。獣の姿に戻った『あれ』は、お前たちが相手にするには荷が重い」
「う、マジすか……姐さん、それだと俺たちにできることって、他に何があります?」
「リゲルたちは、他の魔物の対処をお願い。あたしは氷狐を生け捕りにするために集中するから」
「なるほど……氷狐との戦いに茶々を入れられぬようにするということですね。了解しました」
「アイリーンさん、俺は睡眠弾と麻痺弾を持ってきてます。生け捕りにするなら、補助になると思うんですが……」
「うん、マッキンリーはできたらそのふたつのどっちか……最初は麻痺弾を撃ち込んで。目とかには当てないようにね」
「当てやすい胴体を狙いますよ。昨日店でもらった酒を飲めば、指がかじかむってことはなさそうだ」
リゲルは昨日の夜、ライアとマッキンリーを連れて酒場に顔を出すと、ディックの用意した戦闘評価が加算される『ミルク』、そしてそれぞれに補助効果のある酒を飲んでいた。
マッキンリーは体温の低下を防ぐための『ドワーフの火酒』を小さな瓶に入れて持ってきており、それを洞窟に入る前にぐいっとあおる。
「ダンジョンに潜る前に酒とは……変わったギルドだな」
「悪酔いさえしなければ、お酒はすごく身体にいいから。うちのマスターも言ってたけど、この仕事が終わったらまた飲みに来なよ」
「……どの面を下げて、と自分でも思うがな。許されるなら、非礼を詫びたい」
ゼクトをスカウトしたいというディックの思惑は、全く望み薄ということでもないとアイリーンは思う。
ディックにできるだけ実力が近いゼクトをギルドに入れられると、彼の負担が軽くなる。それは現金な考えではあったが、ディックは自覚なく仕事をしすぎているので、アイリーンは常に心配していた。
負担を負担とも思わない彼に対して尊敬を抱いていることは確かだが、それだけではいけない。
具体的に言うと、髪を乾かしてもらうのは、できるだけ毎日がいいのだ。一ヶ月に一度というのはとんでもない、それでは足りない。
自分は強欲だとアイリーンは自覚している。しかしそれを知っていて仕事を頼むディックが悪いと開き直ってもいた。
「それじゃ、いよいよ洞窟攻略といきますか。みんな、準備はいい?」
「「「はいっ!」」」
リゲル、ライア、マッキンリーが威勢のいい返事をする。そして五人は、冷気の流れ出す洞窟に足を踏み入れ、出迎えとばかりに襲い掛かってきた凍てつく小人の集団を薙ぎ払いながら進んでいった。




