第29話 勇者の嘘と虎人族の宴
倒した用心棒の素性は、所持していたギルドカードで把握できた。律儀に持ち歩いているものだ。
5番通りにある「紫の蠍亭」に所属するAランク冒険者が二名。暗殺者、用心棒を多く擁していることで有名なギルドだ。その性質上、ガラが悪い連中が多い。
ラーグたちはヴィンスブルクトの部下ではあるが、これまでの経歴は必ずしも貴族の家来にふさわしいものではなさそうだ。貴族の中にも王都の暗部に関わる者がいるというのは、嫌というほど情報が入ってきているが。
「他のギルドの人でも、この場合はいったん捕まえておかないとだよね?」
『まあそうだな。ラーグたちの依頼を受けて動いていたんだから仕方がない。ギルドは受けた仕事をこなすものだが、受諾するかは判断の自由があるわけだからな』
「ディックはいつも、依頼者の話をじっくり聞いて決めてるもんね。だいたい受けちゃうけど」
ギルドは何でも屋ではないし、依頼者の素性と内容については、精査しなければならない。そこで判断ミスを犯すのは致命的だ。
しかし俺のギルドに接触できるよう情報を与える時点で、すでにギルド員による予備審査は済んでいるといえる。そのおかげで、ギルドを汚れ仕事の処理場と勘違いしたような依頼を持ち込まれ、対応に困ることもそうそうなかった。
◆◇◆
十分な腕力のある男性のギルド員を何人か呼んで、ラーグたち六人を、ギルドでいくつか持っている近くの物件へと運ばせる。そしてアイリーンを介して宿の店主に金を払い、室内の修繕費を払っておいた。あとでラーグ達から回収させてもらうが、それが絶対必要だとは考えていない。
報酬はこの国の平和だなどと、綺麗ごとを言うつもりはないが。内乱を阻止し、戦争を回避することの利益を考えれば、今回の仕事が成功した時点で十分なリターンを得ている。
「それじゃ、あたしはコーディのとこに行ってくるね。ディックは向こうに戻るの?」
アイリーンに問われて俺は少し答えに迷った。俺の本体は何事もなく無事ではあるのだが、そろそろミラルカとリコが痺れを切らしてしまっている。
俺とミラルカは長老の家での酒宴の席に招かれ、大勢の虎人族の歓待を受けているが、そのうち酒が入った虎人族たちは陽気になり、芸などを見せ始めた――それを見ながらミラルカは手持無沙汰で、俺に話し相手を求めているのだ。虎人族はなじみの仲間で盛り上がってしまっている、それは仕方のないことだろう。
本体の俺はミラルカに酒を注がれている――ろくに返事をしてくれないからつまらないわ、とミラルカは言っている。
やはり戻るべきか。しかし、アイリーンの胸にある魔法文字が消えない限り、『小さき魂』の効果は――
「ディック、聞いてる?」
『あ、ああ。わかった、俺は向こうに戻るよ』
「うん、ミラルカによろしくね。帰ってくるとしたら明日? ……それって朝帰りじゃない?」
『あいつが俺に何かさせると思うか? 俺はそこまで怖いもの知らずじゃないぞ』
「そんな思ってもないこと言っちゃって。ディックって可愛いよね、ときどき」
『お、思ってもないってどういうことだ。俺は……』
「はいはい、いいからそろそろ戻ってあげなよ。ミラルカって寂しがり屋だから、きっと待ってるよ?」
それはおそらく、アイリーンの言う通りではあるのだろう。もちろんミラルカに「寂しかったか」などと言えば、彼女の機嫌はここしばらくの最低を記録するのだろうが。
『アイリーン、ありがとうな。今回は、世話になった』
「っ……う、うん。そんな、お礼なんていいって。あたし、フリーだけどディックのギルドの一員だしね」
アイリーンは長いおさげに指先で触れながら言う。鬼族と人族のハーフである彼女の髪は、鬼族の血が濃いために白に赤が少し混じったような色になっている。桃の色が近いだろうか。
「じゃあ行ってくるね。仕事が終わったら、みんなで集まってお疲れ様会しない? ユマちゃん、今回呼んであげなくて寂しがってるかもだし」
『そうだな。たまには何も考えずに、頭を空っぽにして飲みたいもんだ』
アイリーンは微笑み、穴が空いてしまった外套をそのまま羽織ると、フードを被って宿の窓から出ていった。ベランダから屋根に上がり、屋根から屋根に飛び移って移動するのは、俺の思想である『目立たない』を実行するための、彼女なりの常套手段だった――猫のように足音がしない彼女は、住人に気づかれずに駆け抜けていくことができるからだ。
◆◇◆
コーディが住んでいる区域は、騎士団の幹部家族が住んでいる区域だった。貴族の住んでいる地区とは反対側にあり、王都の北東部にある。
アイリーンは馬車よりも遥かに早いスピードで飛ぶように移動し、コーディの家の前までやってきた。
「あれがコーディの部屋だよね……よっ!」
正面玄関から入らず、アイリーンは庭の木を足場にして飛び、コーディの部屋のベランダに着地した。
「ふー……コーディ、いるー?」
アイリーンが軽く窓を叩くと、コーディが窓に近づいてきた。
「アイリーン、こんばんは。相変わらずだね、こんなところから来て。裏口から入ってもいいのに」
「あはは、ごめんね。ちょっと急ぎで伝えなきゃいけないことがあって」
「何となくそんな気はしていたよ。ディックが、そろそろ呼んでくれそうな気がしてたんだ」
コーディは窓を開けてアイリーンを部屋に招き入れる。部屋の中には床に布が敷かれて、その上に鎧装束と剣が置かれていた。手入れを終えたあとで、明かりを受けて指紋のくすみ一つなく輝きを放っている。
騎士団長の位を授かったときに、国王から授与された白銀の鎧と、柄に王家の紋章を刻まれた長剣。彼はその剣を戦いに使用することはないが、鎧を着るときは常に帯びていた。
「髪が濡れてるけど、戦いに出る前に、身体を清めてたとか?」
「そんなところだね。というより、今日は一日部隊の訓練をつけていたから、汗をかいてしまったんだ」
コーディは上半身にサラシを巻き、下はショートパンツという、騎士団長としてはあるまじき格好でいた。
装備の手入れを終えたあと、入浴する――それが、彼の剣士としての毎日の備えだった。それはSSSランク冒険者として認定され、魔王討伐隊を組んでからも、変わることのなかった習慣である。
そのはずが、一つだけ、冒険者として旅をしているときとは変わっていることがあった。
「お風呂から上がったらすぐに巻いてるんだ。コーディ、家にいるときもずっとそうしてるの? たまには楽にした方がいいと思うよ、育ちざかりなんだから」
「アイリーンほどじゃないよ。しかし、最近は自分で巻くのが大変になってきてしまった……君にやってもらっていたときは、しっかり巻いてもらえていたのにね」
「あの時はほんとにびっくりしたよ~。でも、何となく分かってたけどね。女の勘ってやつ」
「ははは……そういうのは、あまりアイリーンには似つかわしくないけどね。僕が言うのもなんだけど」
「あ、そういうこと言う? はぁ~、でも言いかえせない。コーディ、すっごく大変な思いしてるもんね……五年前にディックと会ってから、ずっとだもんね。あたしなら途中で開き直っちゃって、ディックにほんとのこと言っちゃうよ」
アイリーンはコーディに近づき、彼の身体に巻かれたサラシを指さす。肩や腕の動きを殺さないようにしながらも、上半身全体が過剰なほどに締め付けられ、固められていた。
「慣れるとそれほど大変でもないよ。弓使いは、常にこうするものだしね」
「胸に弓の弦が当たっちゃうからっていうよね……コーディはもっと苦しそうだけど」
「これくらいはどうということはないよ。僕が、自分で決めたことだから。巻き方を工夫すれば、常に体に負荷がかかって、鍛錬にもなるしね」
コーディは布で髪の残りの水分を拭き取る。拭きあげるときに白い首筋を露わにすると、アイリーンははぁ、とため息をついた。
「ディックもなんで気づかないのかな。あたしとミラルカもすぐには気づかなかったけど、あれだけコーディと一緒にいるのに」
「それは、僕のことを信頼してくれているからだよ。僕が彼に対して、そうしているようにね」
コーディはアイリーンに椅子を勧めたあと、テーブルの上に置かれていた、鎧の下に身に着けるアンダーシャツに袖を通す。すると、サラシを巻いていることが一見して判別できなくなった。
「……ごめん、コーディ。あたし、ディックに余計なこと言いそうになっちゃった。コーディがディックのこと、大事に思ってるみたいなこと言いかけて……」
「それのどこに問題があるのかな。気にすることはないよ、アイリーン。僕はディックを大事に思っているし、その気持ちは君たちに対しても、国王陛下、この国の人々全員に対しても同じだよ」
「そんな優等生みたいなこと言って。じゃあ開き直って言っちゃうけど、コーディはディックが大好きって言いそうになったんだけど、それでも動揺しないの?」
コーディはアイリーンの言葉に答えない。やがてかすかに微笑むと、目を閉じて答える。
「それでも彼は気が付かないよ。今までも、ずっとそうだった」
「そうなんだよね……ねえ、コーディはもうずっと、ディックに本当のこと言わないの?」
「僕が最初に、必要だと信じてつき始めた嘘だ。だから、最後まで貫き通すよ」
「もう必要ないって分かってるのに? ディックのこと、信じてるって言ったじゃない」
「……そうだ。だから僕は、彼の信頼を決して裏切りたくはないんだ」
アイリーンはまだ言葉を探していたが、やがて諦めると、外套を脱いで椅子の背もたれにかける。そしてコーディに了解を得て、テーブルの上にある水差しから、グラスに水を注いで一口飲んだ。
自分だけでなく、コーディの分も注ぐと、彼はグラスを受け取って半分ほどを一息に飲んだ。「銀の水瓶亭」で冷たいエールを頼み、飲むときと同じ仕草で。
「コーディはどうして、あんなことしたの? それ、いつか聞かせてもらおうと思ってたら、五年も時間が経っちゃったんだけど……今さらって言わないで、教えて」
「……くだらない理由だよ。僕の考えが、幼すぎたというだけさ」
「くだらなくなんてないと思う。コーディはまじめだから、ちゃんと考えて決めたことなんでしょ?」
コーディは残りの水を飲む。そして、真っすぐに見つめてくるアイリーンを見返す。
「……僕には兄がいたんだ。レオンという名前でね。SSランクの冒険者として、僕が育った町では名を馳せていた」
「レオン……聞いたことあるような。SSランクって、この国に20人もいないもんね」
「『白の山羊亭』の支部に所属していたから、この王都で話を聞くこともあるかもしれないね。ただ、それは悪名かもしれない。兄は実力はあるけれど、品行方正とは言えないから」
そこまで言うと、コーディの表情が陰る。彼は空になったグラスを手に持ち、見つめながら言葉を続けた。
「兄は一緒にパーティを組んだ女性冒険者や、町の女性に簡単に手を出してしまう人だった。家族のひいき目かもしれないけど、容姿は整っていたし、実力は文句なく一流だったからね」
「あー……お兄ちゃんがそんなことしてたら、確かに、下の子は町で気を遣わないといけなくなっちゃいそう」
「事実、その通りだったよ。僕が子供の頃から世話になっていた近所のお姉さんも、兄が手を出してしまった人の一人だ……兄は、彼女と添い遂げるつもりはなかった。別れたあとは、兄のかわりに僕に罵倒をぶつけて、違う町に引っ越していってしまったよ」
アイリーンは言葉を無くす。コーディは顔を上げると、そんな彼女に柔らかく笑いかけた。
「今となっては昔の話だよ。だけど僕は、兄を見て学んだんだ……冒険者になるなら、パーティは全て同じ性別か、もしくは均等な人数の方がいい。男が一人であとは女性だけだとか、その逆は、きっといざこざを生む。自分でもばかなことだと思うけれど、そうやって頑なに思い込んでしまったんだよ。世の中の男性には、兄と違う考えを持つ人だって多いだろうとは思いもしなかったんだ」
「……それで、魔王討伐隊のメンバーを見て……っていうこと?」
「今でも自分を恥じる思いしかない。僕はディックを、初対面では信じていなかったんだ。彼が強いということが肌でわかったからかもしれない。僕は自分でも信じられないほど、強烈に彼を意識したんだ」
コーディは胸に手を当てる。まるで、そのときのことを思い出すと胸が高鳴るとでもいうように。
「自分と近い実力の相手が4人……その中でも、ディックはなぜ僕と同じくらいの強さを持っているのか、初めて見た時はまるでわからなかった。こんな強さの種類があるのか、と驚かされたよ」
「うん、それはあたしも。ディックの強さは、今でも不思議だよね……ただ腕っぷしが強いだけのあたしとは違う。あの人の強さは、任せておいたら大丈夫っていう強さなんだよね」
アイリーンの賞賛に、コーディも笑って答える。そして今度はコーディが、二人分のグラスに水を注いだ。
「彼と一緒に戦ううちに、僕は彼を疑ったことを悔やむようになったけれど……でも、良かったとも思っている。もし、僕が彼に嘘をつかなかったら、今みたいな関係ではいられなかったかもしれないからね」
「……嘘をついたままで、騎士団長にまでなっちゃって。それで、引き返せなくなっちゃったっていうのも……」
「痛いところを突いてくれるね……もちろんそれはあるよ。僕は単純だから、この国を守り続けるために必要な役目を、騎士団長しか思いつかなかったんだ」
「それで今も忙しくしてて、立派に務めてるんだからえらいよ。あたしとミラルカも、ユマちゃんもそう言ってるから。だから、同時に心配してもいるんだけどね」
「……ありがとう。僕は大丈夫だよ。辛いとは感じていないし、嘘をついているということも忘れそうになるくらいだ」
アイリーンは「それこそ嘘つきだよ」とつぶやく。
コーディの耳には届かなかったのか、それとも、聞かないふりをしたのか。彼は席を立ち、そして手を前にかざす。それは、『光剣』を呼び出すときの構えだった――今は剣を呼ぶことはなく、ただ構えだけを見せる。
「僕はこれからも、彼の剣であろうと思っている。彼が行けと言えば、どこにでも行くよ」
「……ほんとに好きなんだね。ディックも気にしてたよ、男同士なのにお腹に触らせてくれないって」
「……見られてしまったら、僕はディックを気絶させて、記憶を消さないといけないからね。彼には、絶対に知られてはいけないんだ。僕が……」
コーディがアイリーンの前で、誓いを立てようとする――その途中で。
彼の声が途切れ、『俺』の耳には、何も聞こえなくなり、コーディの部屋の光景が遠のいていく。
――ック、ディックったら。もう……上の空どころか、意識が完全に向こうに行ってるじゃない。
俺のことを呼ぶ声がする。ここで、魔法は時間切れだ――否応なく、意識が本体に引き戻されていく。
◆◇◆
「……ん……なんか、柔らかい……」
「何を言ってるのよ……お酒を注いであげてたら、急にこっちに倒れてきたんじゃない。重いから早く起きて、足がしびれてしまうわ」
「足って……み、ミラルカ、悪いっ……!」
虎人族の祝宴が行われている、100人ほどが入っても余裕のあるテント。
その主賓席で、俺はミラルカに膝枕をされていた。ヴェルレーヌにされたときと負けず劣らず、それでいて唯一無二の弾力が、後ろ頭を適度に沈みこませ、受け止めてくれていた。
しかし甘んじて膝枕をされ続けるわけにもいかないので、身体を起こす。
『小さき魂』の媒介としてアイリーンに描かれた魔法文字。それが効果を喪失するまで、俺にはアイリーンとコーディのやりとりが聞こえていた。魔法文字は時間経過で消す以外には特殊な薬品を使わないと消せないし、ヴェルレーヌの手を借りることになる。
それゆえに、盗み聞きになると知りながら、俺は仲間たち二人のやりとりに意識を向けてしまった。コーディに兄がいたこともそうだが、二人の話を聞いていると、何か俺は重大なことに気づかずにいるようだと思えてならなくなる。
コーディが、兄レオンの女癖の悪さから男性を警戒しており、初対面の時に俺を信用していなかった。
そのためにコーディは、嘘をついたという。どんな嘘が必要だったのか。
それよりも何よりもコーディが上半身に包帯を巻いている姿や、髪を拭くときの仕草を見て、自分でも自覚したくはない感情を覚えたことに、俺は大いに罪深さを感じていた。
コーディは男だ。髪が男としては綺麗で、肌がきめ細かくとも、気の迷いを起こしてはならない相手だ。俺はミラルカに注がれた酒を上の空で口にして、酔っているだけだ。
「……何だか動揺してるみたいね。リコ、気付けの飲み物を用意してあげて」
「わかった。これ、ドワーフから作り方教わった、火酒。飲んだら身体が熱くなって、気付けになる」
「す、すまん……ぐっ、こいつは効くな……だが、製法上の問題で少し純度が低いようだ。三日待ってくれ、俺が本物の火酒をこの村にもたらそう」
「仮面の人、美味しいお酒の作り方知ってる! すごい! 長老様に教えてくる!」
リコは興奮ぎみに長老のところに走っていく。つい酒場を経営する者として酒の味にうるさくなってしまった――そんな俺を見て、ミラルカは不思議そうな顔をしていた。
「何かあったみたいだから、後で詳しい話を聞くわね。今夜じゅうに帰るのは難しそうだから、泊まれるように話をつけておいたわよ」
「あ、ああ……ありがとう、ミラルカ」
そう答えてから気が付く。客人を泊めるためのテントは、もしかして一つしかなかったりするんじゃないのかと。
俺が疑問を口にできずにいるうちに、ミラルカは果物の果汁で割った酒の杯を傾けながら、テントの中央で繰り広げられる虎人族の女性たちの舞いを、興味深そうに見つめていた。