第20話 タリスマンと仮面の救い手
それから二日後、夜になって、例のごとく外套を被ってユマの両親が酒場にやってきた。
今回は、ユマも一緒だ。彼女がここに来ると思っていなかった俺は、少なからず驚かされる。
「このたびは、依頼の件で大変お世話になりました」
「娘をすっかり元気にしていただいて、本当に、なんとお礼を言っていいのか……」
「報酬については、お気持ちの範囲でご検討いただければと思います。当ギルドのギルドマスターから、そう承っております」
友人の両親から金はとれない、という思いはある。グレナディンさんは金貨500枚を出してきたが、俺はヴェルレーヌに指示して、200枚しか受け取らせなかった。あの屋敷を手に入れられただけでも十分だし、金貨200枚なら経費を引いても150枚近く黒字となる。
両親がヴェルレーヌと話しているあいだに、ユマがこちらにやってきた。外套の下に着ているのは、外泊したときに着ていた私服とはまた違う、ブラウスとスカート姿だ。
「お久しぶりです、ディックさん。お隣に座ってもいいですか?」
「ああ。ユマ、ずいぶん顔色が良くなったな」
「はい、おかげさまで……」
「い、いや。俺は何もしてないぞ? ここで話は聞いてたけど、それだけで……」
ユマがここに来た時点で、気が付くべきではあった――俺がただ話を聞いてただけだなんて誤魔化しは、通じるものではないと。
「では、そういうことにしておきます。でも……私の裸を見たのは、ディックさんです」
致命的なところを的確に突かれる。いや、見たのは俺じゃないと言ったら、博愛主義者のユマでも俺に対して不誠実だと思うところだろう。
「……まいった。全面降伏だ。途中まで上手く隠せてると思ってたんだがな」
「私にディックさんの魂がわからないわけがないです。これまで五年間、毎日ディックさんの魂をお鎮めしたいって思っていたんですよ……?」
それはユマにとって挨拶のようなものかと思っていた。クレイジーサイコプリーストであるところの彼女は、誰の魂も鎮めたくて仕方ないのではないかと。
しかしどうやら、俺の魂は、他の人々と比べても、彼女にとって特別なものであるらしい。そう、五年ごしに気づかされる。
酒を一滴も飲まなくても、ユマの目が酔っているかのように色っぽく、とろんとしている。俺の魔力が心地よいものだとヴェルレーヌは言うが、ユマは魂の波動にでも酔っているのか。
「しかし、やはりユフィール様のお力は並外れていますね。久しぶりに鎮魂を行ったことで、王都全域を浄化してしまうなどと……」
「ええ……僧侶たちの修業のために、死霊の浄化を行っているのですが、それができなくなってしまいました。浄化した分だけ、教会に寄進が集まりましたが」
「娘に鎮魂をしないようにと言ってきたのは、僧侶たちの修行のためもありまして……ですが、それで鬱憤が溜まっていたのですから、他の修行方法を考えます」
「も、申し訳ありません、お父様、お母様……私、これからは王都での鎮魂は、本当に必要なときしか行いません」
鎮魂をしないようにと言われていた事情も、言われてみればその通りだ。ユマの鎮魂能力があると、他の僧侶の仕事がなくなってしまう――今回のように。
しかし死霊は人々が生活していれば次第に集まってしまうものなので、それほど期間を置かずにまた発生するだろう。だが、それをユマが鎮魂すると、またも王都全域が浄化されてしまう。
どうするべきか、幾つか案はある。それには、ユマにある条件を飲んでもらう必要があるのだが。
「鎮魂をしないと、また体調を崩されてしまうのでは? ……いえ、対策はおありのようですね」
「はい。私、今回のことを通して思いついたことがあるんです」
そう言ってユマが、持っていた鞄から取り出したのは……見覚えのある、けれど俺が使ったものではない仮面だった。
ユマは両親には聞こえないように、俺に近づき、ささやくような声で言う。眠気を誘うような優しい語り口だが、至近距離でささやかれると違う感覚に変わる。神に帰依したくなるほど、陶酔をもたらす甘い声色だ。
「アルベイン神教の僧侶であるとわかったら、鎮魂をしたときに寄進をしてもらうことになります……ですから、この仮面を使って、私も仮面の僧侶になります。そうすれば、お金を受け取らずに鎮魂ができます」
「……本気か?」
「はい、本気です。仮面の僧侶として王都の外に出て、死霊が出て困っている村の人たちを、定期的に助けて回ります。でもそうすると、孤児院を留守にする時間が出てきてしまうので、準備をしてからになります」
孤児院、そして教会を離れるつもりもなく、弱っていたユマだが、それではいけないと思ってくれたようだ。
ユマが乗り気なら、俺はいくらでも協力する。ヴェルレーヌを通じ、大司教夫妻に、ユマの今後のことを話してもらうことにした。
「ユフィール様は、鎮魂を行うことで体調を健やかに保つことができます。それでしたら、定期的に王都の外に出て、鎮魂の力が際限なく広がらないように、限定的な範囲で鎮魂を行えばよいのです」
「なるほど……しかし、良いのか? ユフィール。子供たちのことは……」
「孤児院の人手が足りない場合は、適宜適切な人員を孤児院に派遣し、ユフィール様の不在時も子供たちの安全を保障いたします。そしてユフィール様につきましても、王都の外に出られる場合、護衛をつけさせていただきます」
「そこまで至れりつくせりにしていただけるなんて……本当にありがとうございます」
ユマの母親のフェンナさんが頭を下げる。グレナディンさんは奥さんに倣ったあと、懐から何かを取り出した。
「これは……?」
「アルベイン神教会と深いかかわりを持つ団体・機関に与えられる『タリスマン』です。王都の冒険者ギルドにはこれまで渡してきませんでしたが、これを『銀の水瓶亭』に贈与させていただきたい」
――アルベイン神教会のタリスマン。それを持っていれば『銀の水瓶亭』は、アルベイン神教会からの依頼を優先的に受けられる立場となる。
今までは知名度順で白の山羊亭にまず依頼が行っていたが、これからは俺たちのギルドが優先となる。もちろん優先的に依頼が回ってくるだけで、受けるかどうかはその都度決められる。
他のギルドから目をつけられない程度に仕事を流しつつ、重要な依頼を独占する――そういったことが可能になるわけだ。何事も、やりすぎは禁物だが。
「では、ありがたく受け取らせていただきます」
「そうしてもらえると、こちらもありがたい。しかし、さすがはディック・シルバー殿……調べなければ表に出てこないギルドだが、その実は極めて優秀。かつての勇者は、ギルドマスターでも一流ということか」
「お客様、どうかそのお話はご内密にお願いいたします。依頼の達成は当然のことで、それを広く誇ることは、ギルドマスターの本意ではございませんので」
グレナディンさんもフェンナさんも、俺がディックだとは知らない。ユマはそんな二人を見てくすっと笑うが、秘密にしていることを申し訳なさそうにもしていた。
「謙虚さは、アルベイン神教でも第一の美徳とされています。できるならば、娘にはディック殿のような男性を選んでもらいたいものだ」
「っ……ゴホッ、ゴホッ!」
思いがけない一言に、酒が気管に入りそうになる。ユマは俺を気遣って背中を撫でてくれていた。
「あなた、ユフィールはまだ14歳ですよ。結婚するにはまだ早いです」
「む、そうか。しかしあと2年というのは、あっという間だぞ。私と母さんの時もそうだったろう」
「あ、あなたったら……人前でそんなこと。恥ずかしいわ」
もはや惚気にしか聞こえない両親のやりとりに、ユマは自分のことのように顔を赤らめていた。
「す、すみません……お父様は、私が元気になったことが、嬉しいみたいで……こんなに浮かれているところを見るのは、初めてかもしれません」
「そ、そうか……」
俺と結婚するのはどうかと言われたが、それについてどう思っているかなんて聞けるわけがない。
しかしユマは頬にかかる髪をかきあげ、耳をしきりに触っている。その仕草から、ユマがとても動揺していることは伝わってきた。
大司教夫妻は前と同じように、僧侶でも飲める飲み物を口にして一息つくと、席を立った。
「では、私どもはこれで失礼させていただきます。ディック殿にもよろしくお伝えください」
「はい、かしこまりました。お帰りの際は、足元にご注意ください」
「ありがとうございました。また何かありましたら、ご相談にあがらせていただきます」
両親と一緒に、ユマも帰っていく。彼女は最後に俺の方を振り返ると、手を上げて小さく振った。
「酔っ払いさん、ユマちゃんのお婿さん候補認定おめでとう! さあ、今日は飲み倒そー!」
「うわっ……アイリーン、来てたのか」
後ろから肩を組まれたものだから、アイリーンのたわわに実った果実的なものが思い切り当たってしまう。既にできあがっている彼女は、構わずに俺の隣に座ると、持っていた酒瓶からグラスに酒を注いでくれた。
「ねえねえ、あのときは聞かなかったけど、ベアちゃんにどうやって精気を分けてあげたの?」
「そ、そんなこと気にしてたのか……一緒のベッドで寝ただけで、何もしてないぞ」
「それでは効率が悪いので、触れあう表面積を広くされたはずですが……お客様、詳しくお聞かせ願えますか? 後学のためにも」
グラスをキュッと拭き上げながらヴェルレーヌが言う。俺は彼女たちの酒の肴にされるのは、まったくもって御免なのだが、こうなると逃げることは困難だ。
はぐらかしてもろくなことにならないので、ここは腹をくくって話すことにする。俺にはやましいところがないので、何も問題ないはずだ。
「ヴェルレーヌの言う通り、精気を吸うときは触れ合う面積を増やす必要がある。つまり……」
俺の説明を、二人は真剣そのものの顔で聞いていた。といっても、服を脱いで触れ合って寝たというだけなのだが。
そのうちに俺に密着しているアイリーンの身体が熱くなってきて、ヴェルレーヌの瞳が何か、濡れた輝きを放ち始める。
「……思ったよりも羨ましいことをされていたのですね、お客様」
「そ、それって変な気持ちになったりしないの? ディック、もしかして女の子に興味なかったり?」
「精気の供与だから、過剰に意識するのもよくないしな。というか、アイリーンがそうやって触れてるのも、俺にとっては同じくらい大胆だぞ」
「……ほんとに? そうなんだ……じゃあ、もう少しサービスしてあげよっかな♪」
「アイリーン様、上機嫌でいらっしゃいますね……私と店主を変わっていただけないでしょうか」
口惜しそうなヴェルレーヌが、店が終わったあとに何かしてほしがるのは分かっていた。なんとか膝枕で手を打ってほしいが、それが無理だったときのことも考えなければならないところだ。
◆◇◆
――それから二週間後。
王都アルヴィナスの南西に位置する村に、仮面をつけた僧侶と、魔法使いと、武闘家が姿を現したという。
彼女たちは死霊に困らされていた村人を救い、付近の魔物を討伐すると、名前も名乗らずに颯爽と帰っていったとのことである。
その後もおよそ一ヶ月ごとに、彼らは王都の周辺の村に姿を見せることになる。
人々の間で『仮面の救い手』と呼ばれることになる彼らを、遠くで見守る仮面の四人目がいたというのは、知る人ぞ知る話である。




