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第18話 レイスの素肌と遠い朝

「……こうして改めて名乗るのもなんだけれど、私たち三人は魔王討伐隊の一員なのよ。だから、ベアトリス……あなたを解放するために、極秘で魔王をここに連れてくることができるわ」

「あなた方が、魔王討伐隊……『可憐なる災厄』『沈黙の鎮魂者』『妖艶にして鬼神』のお三方なのですか?」

「あははー……やっぱりそれって、けっこう知れ渡っちゃってるんだ……」


 アイリーンはこの二つ名が恥ずかしいようで、赤面して頬をかいている。彼女の武闘着姿を見た誰かが『妖艶』と評したのだろうが、自分では妖艶は言い過ぎだと思っているそうだ。


 そして俺は正体を伏せているので、ミラルカはカウントせずにおいてくれた。

 考えてみれば、俺は宿泊準備のためにディックとしてこの屋敷を訪れているので、ベアトリスが気づいている可能性もあるのだが――不死者は日が高い時間帯に出現しても弱体化するので、彼女はディックとしての俺を見ていなかったのかもしれない。


「ユマに結界を敷いてもらえば、あなたの死霊を引き寄せる力も遮断できるわ。それなら、屋敷の所有者がシュトーレン家の人でなくなっても、共存できると思うのだけど……セバスもそうしたいみたいだし」

「ミラルカお嬢様のおっしゃる通りです。よろしければこれからも、このお屋敷を、お客様をおもてなしするために使わせていただければと」


 ベアトリスはしばらく返事をせず、驚いている様子だった。


 彼女は何も言わないうちに、瞳から涙をこぼした。不死者であるはずの彼女が、実体のある涙を流したのだ。


 契約に従い、戻ってくるはずのないシュトーレン家の人間を待ち続けた。そんな年月の中で彼女が何を思っていたのか、俺は想像することしかできない。寂しかったのだろうと思うことしか。


「……本当に……ずっと人間に迷惑ばかりかけてきた私を、このまま浄化せずにいていただけるのですか?」


 ユマはベアトリスの前に進み出る。彼女は何もしなくても、浄化の力で身体が包み込まれている――しかしそんなユマに近づいても、ベアトリスは祓われることはなかった。


「あなたがどれだけ純粋にご主人様を待ち望んでいたか、私にもよくわかりました。あなたの魂はまだ天国に召されるべきではありません」

「……あ……あぁ……っ」


 ずっと感情の波を押さえてきたベアトリスが、その場に膝をついて顔を覆う。

 ユマは床に膝をついて、彼女を正面から抱きしめる。

 レイスクイーンを、司祭ビショップが慰めている。その得難い光景に、俺はユマを連れてきて良かったと思う。

 この屋敷に、こんな秘密があるとは思っていなかった。死霊が集まってきている理由も想定外だったし、今回は教えられることばかりだ。


 ベアトリスはしばらく泣いていたが、そのうちに落ち着いて、再び立ち上がった。


「お恥ずかしい姿をお見せしました。人前で泣いたことなどなかったのですが……」

「泣いちゃうとまた魔力を消費しちゃうみたい……ベアトリスちゃん、また薄くなってるよ? 大丈夫?」

「……このようなお願いができる立場ではないと承知しておりますが、精気の補給をさせていただけませんか。もう一度朝が来たら、消えてしまうかもしれませんので」


 レイスに精気を吸われることを、ミラルカは大の苦手としている。アイリーンもひやっこいと言っていたし、ユマから精気を吸って直接聖なる力を取り込んでしまったら、さすがにひとたまりもなく浄化されてしまいそうだ。


 そうすると選択肢は俺しかない――いや、アイリーンか。しかし彼女は俺を見て親指を立てる。


「セバスさんって回復魔法も使えたりして、いっぱい魔力持ってるから、精気も少しくらい大丈夫だよね」

「女性同士ということで、私が魔力を供与するべきなのでしょうけど……ごめんなさい、ひんやりするのは苦手なのよ」

「お気遣いいただきありがとうございます。セバス様さえよろしければ、少し分けていただいても……?」


 精気を吸うといっても、手で触れて吸うとかそれくらいのことだろう。それくらいなら何も問題ない。吸われても一日経てば回復するので、減るものでもない。


「ええ、私の魔力でよろしければ、存分にご利用ください」

「……では、また後ほど。少し、準備をしてから参ります」


 ベアトリスの姿がふっと薄れる。精気を吸うにも、それなりの準備が必要ということだろう。


「これでひと段落ね……やっとゆっくり休めるわ」

「ミラルカ、ユマちゃん、お部屋で話さない? ユマちゃんも元気になったことだし」

「はい、ぜひ。セバスさん、ベアトリスさんのこと、よろしくお願いします」


 三人が屋根裏部屋を出て、自分たちの宿泊する部屋に戻っていく。

 ふと周りを見回すと、この部屋にはベッドも何もなく、ただ机と書棚、小さなカンテラだけがあった。

 不死者に属する魔族は、眠る必要がないのだろうか。そんなことを考えながら、俺は戸締りをして自室に戻った。


 ◆◇◆


 久しぶりに仮面を外し、風呂に入ったあと、俺は部屋で落ち着いていた。

 長い一日がやっと終わる。あとはベアトリスが消えてしまわないように、精気を提供するだけだ。


 準備をしてから来ると言っていたが、どんな準備なのだろう。考えながら、俺は葡萄酒で喉を潤したあと、ベッドに仰向けに寝転がる。


 そうしてしばらく立つと、部屋の中に人の気配が生じた。

 ドアが開かなかったので、ベアトリスが壁を抜けてきたのか、と身体を起こす。


 そして目の前にあるものを見て、俺の思考は完全に停止する。

 カンテラの明かりの中で、恥じらうように自分の身体を抱きながら立っているのは、ベアトリスだった。

 しかし彼女は黒いドレスを身に着けていない。ヘッドドレスはそのままだが、ミラルカが着ていたものよりもさらに布地が薄く、頼りない範囲しか隠していないネグリジェを身につけていた。


「べ、ベアトリス様……お召し物はどうされたのですか、上着を着なければ……っ」


 俺は跳ね起きて言うが、ベアトリスは青と金色の瞳を細めて微笑むばかりだった。

 おそらく浮遊して移動できる彼女だが、一歩ずつ進んで俺に近づいてくる。そして、胸を覆っていた手を外す――カンテラの明かりの中、薄すぎる生地越しに、人間と変わらない色づきが見えてしまう。


「殿方から精気を吸うのは初めてなのですが……セバスさん……いえ、ギルドマスター様からはじめての精気をいただくのですから、私もレイスクィーンとして、作法を尽くさせていただきたく思います」


 俺の正体を知っている。それならば、もう執事を装う必要もない――俺は腹をくくり、演技をやめることにした。


「やっぱり、俺が準備に来たときから見てたのか……知ってて、俺の芝居に付き合ってくれたのか?」


 ベアトリスは俺の口調の変化に、頬を赤らめて微笑む。不死者であるはずなのに、その血の通った少女らしい仕草を見ていると、魔族とは奥が深いと思わされる。


「彼女たちに正体を知られたくない、というのは分かりました。いえ、ユマさんにですね。他のお二人は、ギルドマスターさまのことをご存じでしたから」

「……俺の名前はディックだ。本当は、『銀の水瓶亭』のギルドマスターをやってる。ユマのことは……体調がすぐれなかったから、影ながら何かしたいと思ってな」

「でも、きっと知られてしまうと思います。後から事実を知った方が、感激されてしまうのでは?」

「そういうつもりはなかったんだが……でも、言う通りだな。俺はここをギルドの保養施設にしたいと思ってる。ユマにもまた来てもらおうと思ってるし、その時も仮面の執事ってのは回りくどいから、どのみち正体を明かさないとな」

「仮面を着けて執事をされるのが今日だけというのは、勿体ないと思います。とてもよくお似合いでしたよ」


 ベアトリスは言って、ベッドサイドのチェストに置かれている仮面を手にする。そして、それを自分の顔に合わせて見せる――本当にすべての仕草が、男性を翻弄するために特化しているようだ。


 そして仮面を外したベアトリスは、覚悟を決めたように俺の前に歩いてくる。そして、右手を差し出してきた。


「ですが……仮面を外されたお姿のほうが、ずっと見ていたいと思うお顔をされています」

「そんなこともないと思うけどな。俺の仲間の方が、顔は抜群に整ってるぞ」

「それぞれ、好みというものがありますから。私は好きですよ、ディックさんのお顔」

「どうやって精気を吸うのかと思ってたが……もしかして、サキュバスみたいなやり方じゃないよな?」


 ベアトリスは何も答えない。その手が俺の寝間着の胸元に伸ばされ、一つボタンを外される。


「……質問に答えてもらってないんだが」

「今日は、触れさせていただくだけです。決して、痛みなどはありません……ですが、手のひらから吸うだけでは、時間がかかってしまいますので……」

「だ、だから触れる面積を増やすとか、そんな安直な……いいのか、俺とは今日会ったばかりなんだぞ」


 彼女がどんなふうに俺の精気を吸おうとしているのか、さしもの鈍い俺でも想像がついた。

 ベアトリスは俺のボタンをもう二つ外すと、今度は自分のネグリジェの胸元に結ばれたリボンに触れた。それを引いてしまうと、おそらく前が開いて素肌が見えてしまう。


「死霊しか集まらない屋敷で、一人で夜を過ごすのは、レイスクィーンといえど寂しいものです。それが十年も続いたのですから、少しだけ……」

「……そうか。そういうことなら仕方ない」


 俺はそのとき、自分でも浅はかだと思う勘違いをしていた。

 レイスクィーンは実体がないので、触れられない。つまり彼女が望んでいる添い寝をしても、男女が同衾するという意識を持つ必要はない。


 全くそんなことがないというのは、ベアトリスが俺のボタンを外した時にわかっていたのだが、それでも俺は、後戻りのできない許可を出してしまった。


 するり、とベアトリスがリボンを外す。そうしてはだけたネグリジェは、もはや白く透き通るような素肌に絡みつくだけの飾り布となり、ほとんど裸身を覆っていなかった。


「……一晩中、少しずつ精気を分けていただきます。あくまでも、精気の供与ですから、別室で休まれているお三方にやましく思う必要はありません」


 淡々と説明するように言ってから、ベアトリスはさらに、ヘッドドレスまでも外そうとする――しかし。


「そ、それはそのままでいい。また後で外してくれ」

「……はい。ディックさん……いえ、ディック様のご希望であれば」


 ここまで敬意を払われる理由はないと思うのだが、ついに『様』づけになってしまった。ヘッドドレスを残してあとは脱いでくれなどと、どうかと思うようなことを言っているのに。


 何でも言うことを聞いてくれそうだ、という手ごたえを感じたとき、男はわりと歯止めがきかなくなるものだ。俺も例外なくそうだが、一つ屋根の下に三人が寝ていると思うと、なけなしの自制が仕事をする。


「一緒のベッドで寝るだけだな。それで、精気を与えられるんだな」

「はい。少しだけ触れさせていただきますし、必要であればそれ以上のことも……」

「……本当にいいのか? なんてな。俺はそこまで我慢が効かないわけじゃ……」


 余裕を取り戻すために冗談めかせて言おうとした瞬間、ベアトリスの手が、俺の首筋に伸びてきてつぅ、と滑った。


「っ……今、吸ったのか?」


 ベアトリスは俺に触れた自分の指先を口に運び、ぺろりと舐めた。


「ん……甘いです。でも、これだけでは身体を保つには足りません……」

「そうか……それなら仕方ない。遠慮しなくても、必要なだけ吸ってくれ」

「はい。朝までには満たされるかと思いますので、ご心配なく」

「あ、朝まで……? ちょっと時間かかりすぎじゃないか?」


 ベアトリスは肝心のことには答えない。今度は首筋から鎖骨まで手を滑らせてくると、ボタンの続きを外し始める。


「執事の服を着ているときから、分かっていましたが。魔王討伐隊の中で、一番磨き抜かれた身体をしているのは……もしかしなくても、ディック様ですね……」

「俺はただの飲んだくれだし、不摂生だぞ。訓練も昔よりはやってないしな」


 俺は酒でいい気分になったあと無毒化できるので、酒太りなどは起こしたりしない。毎日ある程度働いているといってもそれは仕込みの時間だけだ。


 強いて言うなら常に強化魔法を利用して筋肉に負荷をかけている。そうすることで、カウンターに座って客にドリンクをサービスしている間も、俺は筋力の鍛錬を常に行っているわけだ。面倒くさがりの俺としては、子供の頃に強化魔法を習得する機会があったことはまさに天恵だった。


「……全部脱がせる必要あるのか?」

「時間を短縮するには、触れあう表面積を増やす必要がありますので……」


 本当にするのか、と聞くのも無粋に感じて、俺はベアトリスにそれ以上尋ねなかった。

 彼女は俺の前に身を乗り出すと、ふわりと上に重なってきた。

 物質を通過することができるのに、触れた感触が確かにある。冷たくはない――もしかすると、レイスの接触を冷たく感じるのは、攻撃するときだけだということなのだろうか。


 鼓動すら感じるくらいで、何も人間と変わらない。手のひらで包み込めそうな適度な大きさの膨らみが、胸板に当たっている。


「レイスクィーンって、実体があるのと変わらないのか……まったく奥が深いな」

「魔力が充実していくほど、実体化の程度を引き上げることができます。不死者には体温がないとお思いでしょうが、冷たく感じさせないよう、こうして体温を合わせることも可能です……ディック様の身体、温かい……」

「ミラルカが冷たいのはびっくりするって言ってたから、今後も温かいままでいてやってくれ」

「……ミラルカさんとは、どのようなご関係ですか? 討伐隊で男女の親睦を深められたのでしょうか……でも、深い仲ではないようにお見受けしますが」

「あまり詮索すると怒られるぞ。まあ、見た通り知人ってやつだな……な、なんで嬉しそうなんだ?」

「ふふっ……それはプライベートにかかわることですので、秘密にさせていただきます」


 自分の意に沿わず召喚され、屋敷に縛り付けられた魔族の少女。

 彼女を助けることにしたのはいいが、なぜこんなことになっているのだろう。

 そう思いつつ、俺はベアトリスに魔力を供与するという名目で、覆いかぶさられたままで遠い朝を待ち望むのだった。

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