第188話 歴史の影から見つめるもの
元の世界に戻ったとき、俺たちはシーファストの街の広場にいた。
雨は上がり、人々は通りに出てきて、活気が戻り始めている。
スオウやミカドと戦ったこと、別の世界に飛ばされたこと――全てが夢だったかのようで、夢ではない。
「……『列席の眼』は、お前たちを認めた。いや……俺たちは、あんたに忠誠を誓う立場になった」
スオウは雑踏の中で、俺にそう告げた。忠誠なんて大袈裟な話だが、彼は真剣そのものだった――俺に挑んできたのが、遠い昔のように思えるほどに。
「ディック・シルバー……あなたの力はこの大陸だけではなく、おそらく世界の頂点にある。『異空の神』の力を得た神級兵装を、倒してしまったのだから」
「俺一人だけの力じゃない。上にはもっと上がいると思うがな」
そう言うと、スオウは何か言い返そうとして――肩を竦めて笑った。
「ディック、あんたがそう言うのは武人として夢がある話だと思うが……同時に途方もねえ話だ」
スオウはそう言って赤い髪を掻き、少し苦い顔をしながら続ける。
「俺は自分より強い奴なんてそうはいねえと思っていたし、『列席』の中の序列もじきに変えられると思っていた。だが、あんたを前にしちゃ俺はただの小僧だ……そのあんたが、まだまだだって言うんだ。目眩もしてくるってもんだろ」
「……これまでの非礼を詫びさせてもらいたい。私たちはあなたの力を求めながら、どうしても疑ってしまっていた。『忘却の五人目』が魔王討伐隊の中心で、それほど強いというのはなかなか信じられなくてね」
そう言われて、今度は俺が肩を竦める。それはもちろん、侮られていたからではない。
「『覇者の列席』の目をごまかせたなら、それは悪いことじゃない。俺は目立ちたくないからな」
スオウとミカドは初め、きょとんとしていた――しかし。
二人は顔を見合わせて笑う。俺たちが話す様子を見ていた皆も笑う――これが、俺の望んでいる日常というものなのだろうか。
「しかし……あの『ディノア』になってたときは、あれじゃ周りの男がほっとかねえだろうと思ったぜ」
「スオウはまだディノアに未練があるようだ。もう一度あの世界に行けるよう、『列席の眼』に嘆願してみるかい?」
「ん、んなことねえけどよ……ただ、あれだけ強くて綺麗な女っていうと、他に思い当たらねえっていうだけだ。ディック、あんたも気にしないでくれよ」
スオウはそう言って、ミカドと共に雑踏の中に紛れて消える。『列席の眼』と接触するのはどういう形になるか――いずれにしても、彼らは一度本拠地に戻らなければならないようだ。
「……女性のご主人様も淑やかだったが、男性の方が私は落ち着く」
今度はヴェルレーヌがやってきて、そんなことを言う。俺が何を答えようかと思っていると――。
「スオウとミカドは、あの世界からも『列席の眼』の指示を受けていた。つまり、ディノアとも今生の別れというわけではないのだろうな」
「……そうかもしれないな。また、近況くらいは聞いてみたいもんだ」
別の世界にいる、もう一人の自分。
彼女は俺と違う道を歩んでいるが、考えていることはよく似ている。
彼女から依頼の報酬は受け取っていないが、敢えて何か選ぶとしたら――。
答えを出すのは、またいつか会えるとしたら、その時まで保留にしておく。
◆◇◆
『列席の眼』マキナは、水晶球に映し出された光景を見つめていた。
世界の多くの場所に張り巡らされている霊脈を通して、彼女はあらゆる場所の情報を得ることができる。
彼女は『覇者の列席』の一人ひとりの視界を借りることもできる――水晶球に映っていたのは、スオウの視界に映るディック・シルバーの姿だった。
「……盟主様。『第二世界』における『異空の神』の侵略は、アルベインの魔王討伐隊と数名によって阻止されました。スオウとミカドは彼らに助力し、全員が帰還しています」
その呼びかけに、誰の声も返らないかに見えた。しかしマキナは、確かに盟主の返答を聞き、耳を傾けていた。
「『異空の神』によって操られた神級兵装……その撃破において、戦闘に参加した全員を統率し、自らも大きな力を持って貢献した者がいます。列席の三番、スオウの記憶を解析したところ、彼は間違いなく……」
マキナは言葉を続けることを迷った。
『覇者の列席』における序列は、誇りを意味する。
世界全ての大陸から集められた強者たち――その中で付けられた数字は、そのまま世界で何番目の強さを持つのかを示している。
『冒険者強度』という指標で比べるならば、ディック・シルバーに比肩する存在がすでに世界のどこにもいないということは、マキナにもよく分かっていた。
しかし『覇者の列席』の頂点に、ディック・シルバーを座らせることができないということも知っていた。
「……歴史の影を歩く者。ディック・シルバーはどれだけの力を持っていても、それを望む特異な存在です」
――強者というものは、往々にして特異なもの。強ければ強いほど孤立していく。
「っ……盟主様……ここに、お姿を……?」
マキナは目を見開く。すでに『盟主』は、マキナのすぐ傍らに立っていた。
『彼らによって、拮抗は崩された。マキナ、長く重い任を課したことを詫びよう』
『盟主』はマキナに語りかける。穏やかな声と共にひずむような音がする――『盟主』のつけている仮面が、声を無機質なものに変えているのだ。
マキナは振り返る――『盟主』は、薄く後ろの風景を透かしている。
これは映し出された映像に過ぎない。盟主が右手でマキナの頬に触れ、マキナはその手に触れる――けれどそこには何の感触もない。
「御身が眠りから覚めるまで、ずっとお待ちしていました」
『……我によって、そなたはそのように作られた。そのことを恨んではおらぬか』
「私にそのような感情はありません。あるのは、造物主への忠誠だけです」
『盟主』は何も答えない。ただ、マキナの無機質な瞳を見つめる。
『化身を退けたことで、『異空の神』は私たちの存在に気づいた。この世界は岐路に立たされている……命無き世界の支配者に蹂躙されるか、抗うか』
『盟主』は後者を選択し、マキナを創り出した。
すでに答えは決まっているはずだった。『覇者の列席』はそのために作られたのだから――それでもマキナは何も言わず『盟主』の言葉を待った。
『私の力は完全には戻らぬ。一度敗れた私には、『異空の神』を退けられる可能性はない』
「そのようなことは……盟主様以上の力を持つ存在など、この世界に……」
マキナは言葉を続けられない。『盟主』は水晶球に手を翳し、別のものを映し出す――そこには一人の青年と、少女の姿が映っている。
『列席の第一位、カイン。第二位、アストルテ。彼らが戻り次第、我らは……』
全てを言い終える前に、盟主の姿が突如として乱れ、消える――そして。
目を閉じ、もう一度開いたときには。マキナの左の瞳に、それまではなかった紋様が浮かび上がっていた。
「ディック・シルバー……アルベイン王国魔王討伐隊、『忘却の五人目』……」
うわ言のようにマキナは言う。
次の瞬間、広間に並べられた幾つもの幻燈晶の全てに、黒髪の冒険者の姿が映し出された。
「世界を超えて英雄足りえる者。この人の存亡をかけた戦いに、終局をもたらす者……『我ら』は、貴方を待っていた」
それがマキナの言葉でないことを知る者は、どこにもいない。
立ち尽くした少女は、眼前の水晶球に映し出されたディックの姿を見つめ――そして、何も言わずに手を伸ばした。
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また本年最後の更新となりますので、ご挨拶をさせていただきます。
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※この場をお借りして、新連載のほう告知をさせていただきます。
今回は魔法学園もののファンタジーになります!
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