第17話 執事の葛藤と召喚契約
ユマの鎮魂によって死霊が浄化され、静かになった屋敷の廊下に出る。窓から見ても、中庭に姿を見せていた死霊の姿はどこにもない。
そしてユマは鎮魂する相手を選ぶことができるため、この一帯を浄化しながらも、ベアトリスを問答無用で天国に送るということはなかったようだ。
ガラス窓を見ていると、そこに先ほど見た三人の姿が映し出されるかのような感覚に陥る。ミラルカの身体についた泡が落ちかけ、頼りなく隠された山脈の頂、あの淡いチェリーのような色づきは、やはり気のせいではないのだろうか。
そして堂々とさらけだされたアイリーンの上半身、その引き締まるところは締まった体に、酒好きながらも武闘家として鍛錬を怠らない彼女の節制に、俺も戦いを知る者として深い共感と尊敬を抱かずにいられない。
二人分の豊穣の丘を見て吟味した結果、大きさという点ではアイリーンが勝るが、腕で隠したときのまるでスライムのような柔らかい変形の仕方から、柔らかさはミラルカが勝るのではないか、と俺は思った。これ以上の判定を行うには、俺の魔法整体によって二人の胸の形を整えるアプローチを申し出て、許諾してもらわなければならない。あくまで胸の形を整えるだけだから。何もしないから。
そして自分が選んだ男性にしか肌を見せない主義であろうユマの裸を、仮面執事セバスとして目撃してしまった件については、せっかく復活したユマの心にダメージを負わせないためにも、このまま何事もなかったかのように押し切りたいところではある。幸いユマは、久しぶりの鎮魂で高揚しているからか、見られたことはまだ自覚していないようだった。これぞ神の奇跡である。
「お待たせしました、セバスさん」
「は、はい、お待ちしておりました。本当ならば、この屋敷の問題ですから、私が一人で赴くべきですが……」
「そんなに遠慮しなくていいよ、あたしたちもその幽霊の人を見てみたいし」
「あんなふうに驚かされたりしなければ、私も幽霊くらいで動じたりはしないわ。さあ、連れていきなさい」
アイリーンは平気なふりをしているが、顔が赤らんでいる。照れるのは無理もないが、俺も意識してしまうところだ。
ミラルカは落ち着いたようだが、あからさまに胸をかばっている。寝間着が他の二人より大人びていて、言うなればネグリジェの上からガウンを羽織っている状態だ。なるほど、その状態で手を外してしまうと、この薄手の生地では形がくっきり見えてしまうかもしれない。
「ところでミラルカ、そのネグリジェって今日のために用意してきたの?」
「こ、これは普段から着ているものよ。どうして王都の中の外泊くらいで、新調する必要があるのかしら」
「大人の女性っていう雰囲気で、素敵です……私なんて、こんなに子供っぽいかっこうですし」
ユマのパジャマは短い袖の柔らかそうな生地のシャツに、ショートパンツというシンプルなものだ。しかしその子供っぽい服だからこそ、実は彼女もそれなりに5年間で成長したのだな、というのがよく分かる。司祭の服を着ていると、着やせして見えるようだ。
「ユマちゃん、今が育ちざかりだよね。会うたびにおっきくなってるし」
「い、いえっ……私、そんなに大きくなってません、ごはんを食べてもなかなか大きくならなくて……」
「身長や、全体の話をしているのよ。どこかの誰かと違って、身体の一部だけに着目したりはしないわ」
俺が胸にこだわりがあるとでも言いたいのだろうか。そんな態度を示したことはないが、女性は視線には敏感だというし、俺が鋼鉄の意志をもってミラルカの顔から下に視線を下げまいとしていることも、悟られていたりするのだろうか。そんな恥の多い人生を送るより、生涯仮面をつけて視線を隠蔽して生きていきたい。
「どこかの誰かは、どちらかというと申し訳なくなるくらいに見てこないけどね。それはいいとして、屋根裏部屋に行かないとだよ」
「ええ、お嬢様方、お手数ですがご一緒においでいただいてもよろしいでしょうか」
「はい、すみません、私ったら関係ないお話ばかりしてしまって」
ユマとアイリーンが先に歩き始め、二階に上がっていく。
「ユマは鎮魂に集中していて気づかなかったみたいだけど、あなたが裸を見たことには変わりないわよ」
「くっ……ユマがセバスに見られたと思うよりは、俺の正体を明かしたほうが……いや、どっちもショックを受けることに変わりないか」
真剣に悩む俺を見ているうちに、不機嫌そうだったミラルカははぁ、とため息をつき、俺の肩をぽんと叩いた。
「私から言うのはお節介だから、何も言わないけれど。まあ、せいぜい悩むといいわ。悩む必要のないことをね」
「ど、どういうことだ……というか俺、お前のことも見たんだけど、それは無罪放免なのか」
「記憶ごと殲滅してあげる……と言いたいところだけど、今回だけは大目に見てあげる。ユマが元気になったのは、あなたがここに連れてきてくれたからだもの」
ミラルカは言って、やはり俺を置いて歩いていく。善行を積んだからこその役得と自分で言うつもりはないが、ユマが元気になったことで、ミラルカも寛容になってくれたようだ。
アイリーンはたぶん改めて聞くと恥ずかしがりそうなので、これまで通りのさっぱりした関係を保つためにも、時が来るまで見てない体を通すべきだろう。そんな時が来るのかと思うところではあるが。
◆◇◆
三人に追いつき、俺が持っているマスターキーで屋根裏部屋の扉を開けると、そこにはユマの言うとおり、ベアトリスの姿があった。
「ベアトリス様、こちらがアイリーン様、ミラルカ様、そしてユマ様でございます」
「ご紹介いただきありがとうございます、セバスさん。先ほどはこちらの都合で話を切り上げてしまい、申し訳ありませんでした」
俺の執事口調に疑念を呈することなく、彼女は丁寧に受け答える。俺たちのことを警戒してはいないようだ。
「うわ~……すっごいきれいな女の子。人間離れしてるって、こういうことを言うのかな」
「あなた……その目の色を見ると、魔族だと思うのだけど。もしかして、あなたが死霊を呼びよせていたの?」
俺が聞こうと思っていたことを、ミラルカが言ってしまう。しかも俺が考えていたより、一歩踏み込んだ質問だった。
「……私のことは、セバスさんから聞いているようですね。私はベアトリス・シュトーレンと申します」
「シュトーレン公爵家の家名を……では、その目はどういうことなの? シュトーレン公爵が、魔族とつながりを持っていたということ?」
「つながりを持っていた……ということではありません。シュトーレン様は、この屋敷である魔法の研究をしていたのです」
「魔法……それってもしかして、召喚魔法か?」
まだ研究途上だが、人間が魔族を召喚し、使役するという魔法がある。成功率は低いが、場合によっては高位の魔族を呼び出すこともあるらしい。
「はい。私はシュトーレン様の抱えていた召喚魔法士によって召喚されました。『レイスクィーン』という種族になります」
「レイス……あなたが? あの、地面から出てきて驚かせてくる魔物なの……?」
「それなら、さっきのユマちゃんの浄化で消えちゃうような……」
「私は召喚されたときの契約によって、シュトーレン家の一族として迎え入れられたのです。それから、人間に害意を持ったことはありません……ですから、ユマさんに見逃していただけたのでしょう。さきほど、私の魂にも、ユマさんの力が触れていきましたから」
『レイスクィーン』は、名前こそレイスとついているが、下位のレイスとは全く違う種族に見える。
アンデッドだが意志を持っていて、会話もできる。そういう存在もいるのかと、俺は感心していた。まだ魔族の研究は完全ではなく、未知の種族がいるということだ。
「これで、このお屋敷に死霊が集まってくる理由がわかりました。『レイスクィーン』さんは、レイスの女王ですから、不死者を集めてしまうのです」
「……それでシュトーレン公爵は、ここにベアトリスを残して退去したのね。召喚して契約しておいて、勝手なことをするものだわ」
「それでも契約は契約です。私は、このお屋敷を守るようにと言われています……ですから私は、消えるわけにはいきません。もしどうしても退去してほしいとおっしゃるなら、戦わなくては……」
ベアトリスの身体を青白い魔力が包み込む。どうやら、魔法を使うことができるようだが――。
彼女の身体は、夕方もそうだったように、魔法を使おうとするだけで薄れて消えかかっていた。
「不死者は、生命力と魔力がほぼ同一だったと思うのだけど……その状態で魔法を使ったら、あなたは消えてしまうわよ」
「……それでも私は、この屋敷を守らなければなりません。そのためなら、例え消えても……」
このままでは、ベアトリスを浄化して終わることになる。
彼女が消えて、この屋敷に死霊が集まることがなくなる。しかしそれでいいのか、という思いがある。
ベアトリスを殺さずに、彼女と戦わずに済む方法。それを考えて、俺は一つ、試してみるべきことを思いついた。
「ベアトリス様、一つご提案があるのですが……ベアトリス様は、魔族なのですね?」
「はい、希少な種族ではありますが」
「魔族を支配しているのは魔王のはずです。人間との契約より、魔王の支配力の方が優先されるのでは……?」
「魔王様がこちらに赴かれなければ、私の契約を上書きすることはできないと思います。あの方は、魔王討伐隊によって自国から出ることを禁じられています……ですから、私の契約を解くことはできません」
――つまり、それは。
魔王がここに来ることさえできれば、召喚時の契約を破棄し、ベアトリスを魔王の支配下に置くことができるということだ。