第181話 衰退の王都とギルドの推参
通常の火竜より体躯が大きいバニングは、背中に載せられるのなら二十人は人を載せられる。しかし実際には安定して乗れる人数は限られるので、私たちは幾つかの方法で飛行し、王都を目指すことになった。
「剣を炎の力で浮かせて飛ぶ……そんな移動法を使う人は初めて見ました」
スオウは大剣を精霊の力で飛行させてその上に乗っており、ミカドは雷精霊の力を借りて飛んでいる。カルウェンも飛行手段は持っていたので、さらに上位である二人が飛べるのはさほど驚くことでもないのだろうが。
「やろうと思えばあんたにもできるだろ、ディック……いや、ディノア・シルバー。さっきの太刀筋は、実体を持つ分身の超加速疑似転移……それができるってことは、本体はそれ以上に加速できるってことだ」
元の世界に戻るまではスオウたちとは敵対しないと取り決めをしたが、責任を取るために自決するような性格だけに、一度決めたことは固く遵守するつもりのようだ。こちらが話しかけると、想定以上に口数多く返事が戻ってくる。
私はヴェルレーヌの召喚した『翼を持つ者』によって運んでもらっている。独力で短距離転移を繰り返すこともできるが、自分だけ突出して先を進むわけにもいかない。
他のメンバーはバニングの背中に乗っている。その飛行速度に合わせながら、全体の気配を消して移動していた――空中で敵と遭遇すれば面倒なことになるけれど、現状では竜翼兵が現れる気配はない。
「……スオウ、さっきからディノアに対する態度がおかしい」
「お、おかしいってことはねえだろ。いや、こんな対応になるのもしょうがねえだろ。さっきまで男だと思ってたやつが女になって、それも……」
「ディノアちゃん、凄く美人さんだもんね。ディー君のことを女の子みたいって思ったことなかったのに、意外っていうか」
「え、ディノアちゃんのことを意識してるとか? そういうのってあたしは不健全だと思うな、元は男の子なんだから」
「スオウは強い女性に弱いからね。黒髪が好みというのも、昔聞いたことがある」
ミカドに言われて、私は自分の髪の色を確認する――変わらず黒髪だ。何となく寒気がして、自分の身体を抱くようにしてしまう。
「お、おい……ミカドの言うことを真に受けるなよ」
「あせってるあせってる。ディノアちゃん、いざとなったらあたしが守ってあげるから安心して。コーディも君の剣になるって言ってるし」
「っ……それは確かに思っていることだけど、人に言われると照れるものだね……」
「平常心でいるのはいいのだけど、もう少し緊張感を持ちなさい……聞いていて力が抜けてしまうわ。ディノアもきっぱり言っておきなさい、その赤髪の人に望みはないって」
「スオウ、すみません。そういうことのようですから、諦めてください」
「くそ、俺は『覇者の列席』の三位だぞ……おい、そうだったよなミカド」
「私が四位というのは、思っていたよりも不当なことだと思えてきた。元の世界に戻ったら入れ替えようか、スオウ」
ミカドが辛辣なことを言うと、スオウは肩を竦めて黙ってしまう。この二人の関係性は、長い付き合いの相棒と言ったところだろうか――組織における序列はスオウの方が上だが、ミカドの方が関係性としては上のようだった。
◆◇◆
ヴェルレーヌが上空から見たという城壁は、私たちが知る王都アルヴィナスのある位置をぐるりと囲んでいた――しかしところどころが破壊され、修繕の手が間に合わず放置されている。
「……この世界にも王都は存在した。だが、『竜翼兵』の襲撃を受けてきたとしたら……」
「王都にSSランク以上の強さを持つ人がいれば、『竜翼兵』を撃退することは不可能じゃない。いえ、もしくは……」
「襲撃が始まったのはごく最近の話だろう。俺もまだ教わったばかりで理解しきれてないが、『転空儀』で別の世界に飛んだとき、存在が変わらない奴は元からこの世界には存在していないか、生まれてきてすらいない。ディノア、お前の姿が大きく変わったってことは、この世界に女としての同一存在がいたってことだ」
「『転空儀』……それについてはまた後で聞かせてください。私の推論と答え合わせをしておきたいですから……ヴェルレーヌ、一足先に降ります。みんなは後から降りてきてください」
破壊された城壁の外――枯れた森の中で、数人のパーティと魔物が戦っている姿が見える。
「了解した……すぐに追いかける。ご主人様、ご武運を!」
「はい、行ってきます……!」
――転移瞬足・縮地――
私は『翼を持つ者』によって飛行するヴェルレーヌに抱きかかえられていたが、解放されて自由落下し、空中で姿勢を制御して加速する。
敵――竜翼兵の数は三体。それだけなら、この加速を利用した一撃で仕留められる。
「――コーディ、『光剣』を借ります! 皆さん、避けてください!」
「っ……何だ、ありゃあ……!?」
「レオニード殿、巻き込まれぬように離れよ……っ!」
「姉さまっ……!」
ここで聞くとは思っていなかった声。けれど、私は驚かなかった――地上が近づき、彼らの姿が見えたとき、まだ最後に会ってから一日も経っていないのに、懐かしいと感じていたから。
――光剣・流星一閃――
コーディの力を借り、全てを切り裂く光剣を召喚する――そして魔法を使って斬撃回数を増やし、限界まで加速しながら降下して斬撃を繰り出す。
着地の衝撃を魔法で相殺する――それでもひび割れた大地が砕け飛んで、地面が荷重で広範囲に渡って沈み込む。
「「「……グ……ガ……」」」
三体ともが、斬られた自覚さえなく、戸惑うような声を上げ――一瞬あとに、頭から正中線を断ち割られ、砂のように崩れ落ちた。
「……何てこった。SSランクの魔物を一撃で……」
「それも、三体同時にとは……恐るべき猛者も……いや、お主は……」
声の主は、思った通り――レオニードさんと、カスミさんだった。
しかしレオニードさんには見たことのない頬傷がついており、カスミさんは東方の衣服ではなく、剣士の革鎧を身につけている。
「あなたは……ディノア……?」
「っ……お、お姉さま、本当なのですか? ディノアさんが、戻って……?」
そしてもう二人は――シェリーとロッテ。シェリーは『蛇』の力を手に入れておらず、ふたりとも怪我をしていて、それぞれ違う目を眼帯で覆っている。
二人の反応から、私――ディノアは、この世界にも存在していたことが分かった。『戻って』ということは、一度シェリーたちのもとを離れ、それきりだったということになる。
「シェリー、ロッテ……私は……」
何が起きて、シェリーたちのもとを離れたのか。
それを尋ねようとした瞬間、この世界に飛ばされた時と同じように、自分のもののようで自分ではない記憶が蘇る――そう、『ディノア』の記憶だ。
「……ディノアちゃん……泣いてるの?」
ディノア・シルバーが、この世界でどう生きてきたのか。
彼女は、魔王討伐隊とは出会わなかった。この世界には魔王ヴェルレーヌが現れることなく、エルセイン魔王国は勢力を広げることが無かった――SSSランクの存在が、この国にディノア一人しかいなかった。
コーディ、ミラルカ、アイリーン、ユマ――彼女たちが生まれなかった世界。魔王討伐隊は結成されず、ヴェルレーヌと出会うこともない。
しかし、共通点が全くないわけではない。レオニード・バランシュ、カスミ・クシュリナ、ハーティス姉妹――彼女たちはこの世界にも存在し、ディノアと共に冒険者として活動していた。
この世界において、王都にはギルドが一つしかない。冒険者ギルドと呼ばれる組織が存在するだけで、『無色の蛇遣い亭』から派生した十二のギルドが生まれなかった。
ディノアはリムセリットから生きる術と戦い方を学んだ。そしてリムセリットに自分を殺すように頼まれ、逃げ出した――それは、元の世界の俺と変わらない。
この世界の王都の地下にも、『ベルサリスの蛇』は封印され、長い時と共に目覚めようとした。
それを師匠が――リムセリットが、ディアーヌに代わる人柱となって封印した。『蛇』が完全に目覚めてしまう前に、単身で遺跡迷宮に入ることで。
ディノアはそれを、リムセリットを失い、遺跡迷宮に入ることができなくなった後で知った。
彼女は自分の無力を悔いていた。そして、竜翼兵の襲撃が最初に起きたあと――王都の東方の空に多くの増援が現れたことを目にして、ディノアは単身で撃退に向かった。
ディノアは勝つことができたのか。生き残ったのか――その答えは、まだ私の中にも蘇ってはいない。
ただ言えるのは――俺の、『ディック・シルバー』の魂は、ディノアと違う道を辿り、違う強さを持っているということ。
そして、今は仲間たちと共にこの世界に来ているということ。
それは竜翼兵との絶望的な戦いを強いられたこの世界の人々を――守りたいと思う人々を、助けることができるということだ。
「……私は、どれだけ留守にしていましたか?」
もう、ぎこちない演技などしてはいない。『ディノア』の記憶が蘇れば、彼女のように振る舞うことは、私にとって自然なことに変わっていた。
「っ……ディノア……生きてた……生きてて良かった……っ」
「ディノアさん……っ!」
シェリーとロッテが弾かれたようにこちらに駆け寄ってくる。私はそれを抱きとめて、肩を震わせて泣く二人の背中を撫でた。
「おいおい……ディノア、ちょっと見ない間にどれだけ強くなったんだ? あんまり強すぎるから気づかなかったじゃねえか」
「うむ、全くじゃな……竜翼兵を三体同時に倒してしまうとは。元々只者ではなかったが、剣筋も戦い方も何もかもが、まるで花開くように変わっておる」
「っ……お、おい、なんだあのバカでかい竜は……それに、エルフ……何で従者の服なんて着てるんだ……?」
上空から降りてきたバニング、そして『翼を持つ者』の羽根を休め、地上に降り立ったヴェルレーヌの姿を見て、レオニードさんは目を白黒させている。カスミさんは『心眼』で私の心情を汲み取っていて、慌ててはいなかった。
「……どうやら、この短い間に、ディノアは私たちの想像を超えることをしてきたようじゃな。連れてきた仲間たちも、全くもって只者ではないようじゃ」
「はい。彼女たちは私にとって、一番頼りになる仲間です」
スオウとミカドはまだ上空に残っている――急に姿を現して、レオニードさんたちに警戒させないようにということだろうけど、それは心配する必要はないと思う。
バニングの上から、仲間たちが一人ずつ降りてくる。最後に降りてきたスフィアが軽やかに着地をすると、ヴェルレーヌは恭しく頭を下げ、皆を紹介するような仕草をする。
「初めてお目にかかります、私どもは『銀の水瓶亭』でございます。此の度は王都の危機にあたり、可能な限りのご助力ができればと馳せ参じました。ディノア様ともども、どうぞお見知りおきを」
空を覆う薄雲が割れて、晴れ間が生まれる。枯れた森に光が降り注ぐ中で、バニングは静かに私たちを見守っていた。