第176話 紅炎の王と白雷の魔術師
(ディー君、急に気候が……これって、ミースちゃんが言ってたっていう、『覇者の列席』が転移してくるときの変化……?)
(お父さん、気をつけて……っ、すぐそこに、物凄く強い力……二つ……)
「――スフィア、どうした? スフィア、師匠……っ」
「……気候の変化と同時に、一帯の魔力に乱れが生じて……念話が妨害されている。これがミース殿の言っていた、付近に『覇者の列席』が現れる兆候……」
カルウェンと戦い、彼女の話を聞いただけでは、『覇者の列席』という組織の輪郭は朧げだった。
覇者を名乗るくらいなら、自分たちの実力に対して矜持は持っているだろう。しかし、その力が善と悪のどちらに使われているかと言えば――彼らの信念は、俺にとって現状では無条件で理解できるようなものではない。
――敵であるのは確かだ。だが、俺たちを仲間に引き入れようというのなら、その目的を伏せたままで倒して終わりでは困る。
「……後顧の憂いは断っておきたい。どんな小さなものでもな」
「ふふっ……ご主人様は、時折悪い人のようなことをおっしゃいますね。そういったところも、近くにいる立場としては愉しいのですが」
戦闘狂ということはないが、ヴェルレーヌは相手が強いほど闘志を燃やすところがある。俺たちと戦ったときもそうだった――それまで苦戦という苦戦をしなかった俺たちが、初めから全力を出すことを強いられた。
「ヴェルレーヌ……今さら聞くのもなんだが、一人に対して五人で戦う勇者っていうのは、ずるいと思わなかったか?」
「私と肩を並べられる他者に、初めて会ったことの感激しか覚えておりません」
ヴェルレーヌは今も魔王国最強の武人のままだ――ジュリアスが簡単に姉を超えられないのは、彼が不甲斐ないからでは決してない。
「俺たちは『魔王討伐隊』ってずっと呼ばれてるが、実際は討伐できてない。それは、ヴェルレーヌが強かったからなんだろうな」
「何をおっしゃいますか……あれだけあからさまに情けをかけておいて。私にお褒めの言葉をくださるのなら、こう言っていただければいいのです。このいやらしい雌豚めと」
「それが褒め言葉というのは、未だに俺には難しい感覚だな……ヴェルレーヌ、来るぞ」
雨が降り始めたからというだけではない。通りや広場に行き交っていた人の姿が、今は一人も見えなくなっている。
この広場が転移先であると設定されたとき、人々は自主的にこの場を離れた。付近の人間が転移に巻き込まれないようにする措置――『覇者の列席』は、無秩序な組織というわけではないようだ。
広場の中心に、二つの魔法陣が生じる。転移陣の紋様――霊脈を通じて莫大な力が陣に注がれ、一つの陣からは天に届くほどの火柱が立ち、もう一つの陣には曇天の空を裂くような稲妻が落ちた。
「炎使いと、雷使い。それも、相当な使い手のようだな」
「確かに高位精霊の魔力を感じるな……さすがはヴェルレーヌ、精霊魔法の専門家だ」
降り注ぐ雨をものともせずに燃えさかる炎が消え、赤髪の少年が姿を現す――もうひとりは、金色の髪を持つエルフだ。
「……同族……いや、違う。魔族の中に組み入れられた黒き者か。そのような者を好むのであれば、あの青年を籠絡するというのは難しいだろうか」
「俺に聞かれても困るんだがよ……毎回、転移の中継をするたびに土砂降りなのはどうにかならねえのか」
(見たこともない金属と革でできた装備……赤髪の方は俺より少し年下か……? 俺より身体はできてないが、見た目だけで判断はできなさそうだ。武器は背中に帯びた剣みたいだな。もう一人は……エルフは年齢がわかりづらいが、ヴェルレーヌと同じくらいか……?)
「……って、おいおい、こんなとこで出迎えがあるとは聞いてねえぞ。俺たちの手の内が読まれてたってことかよ?」
「スオウ、余計なことを喋りすぎるのは君の悪い癖だ。しかし私も驚いてはいる。次の転移が起動するまで四半刻といったところだが――」
街の外に転移してくれれば対策の必要はなかったが、周囲に被害を及ぼすことは避けたい――それならば。
「――鎧精リーヴァ。全てを遮る光の壁を織りなし、この場を隔絶せよ」
『承った。我が主人よ、仲間たちを通すために壁を開くか?』
「いや、今はその必要はない。遭遇した俺たちだけで相手をするべきだろう」
――『光輪鎧・隔絶結界』――
「……なんだ? おいミカド、なんか変じゃねえか?」
「……さらに驚いている。世界で一体ずつしか存在しない固有精霊……そのうちの一つ、『鎧精』。光の力で高い防御力を生み出すというが、こんな使い方ができるとは」
「『鎧精』……面白え。俺の炎で試してやるよ、世界最強の鎧ってやつを」
スオウの両腕に、魔力文字が浮かび上がる――その腕が赤い炎に包み込まれるが、自身はその熱量をものともしていない。降り注ぐ雨はスオウに近づく前に蒸発し、水煙にもならずに消えている。
「思い切り暴れてもいいんだろ? 俺としてもその方が助かる。カルウェンは自分でヘタを打ったから仕方ねえが、あんたはぶちのめして連れてきていいと言われてるからな」
不敵に笑うスオウ――だが、隣にいるヴェルレーヌの空気が明らかに変わった。
「我が主人を倒すなどと、軽々しく口にするだけの力がおまえにあるのか?」
「……俺は男も女も差別しねえぞ。そこまで言うなら試してみるか?」
――『紅王龍紋・爆炎瞬歩』――
炎の力で身体能力を高める――精霊魔法でも理論的には可能だが、それを極めた形だと言っていい。
「避けねえと火傷すんぞ、女ぁぁぁぁぁっ!!」
スオウが間合いを瞬時に詰めてくる――蹴った石床が爆ぜるほどの踏み込み。しかし俺の前に出たヴェルレーヌは、全く臆してはいなかった。
俺も見ているだけではない。久しぶりに、仲間に対して強化魔法を使う――従来の強化だけではなく、今ならアイリーンの自己強化も組み合わせて、これまで以上の強化が可能となる。
――『全能力強化・修羅覚醒』――
「ご主人様の強化……さらに我が身に降りよ、精霊王の力……!」
――霊王再臨――
俺の魔力と、アイリーンの鬼神の魔力――その二重の強化は、精霊魔法によるヴェルレーヌの自己強化と相乗する。
「はぁぁぁっ……!!」
「うぉらぁぁぁぁっ!!」
スオウの繰り出した拳が爆炎を散らす――ヴェルレーヌは『精霊王の王笏』を召喚し、死霊の力を借りる『魔王鱗』を変換した刃ではなく、別の刃を王笏に融合させ、スオウの拳を受け止め、爆炎を防ぎきっていた。
「『薙ぎ払う者』を刃に変える……ようやく完成した。しかし、おまえもなかなかやる……!」
「正直前座かと思ってたが……なんだてめえ、その強さは……エルフでここまで強い奴なんて、ミカド以外に見たことねえぞ……!」
「――スオウ!」
ミカドの発した警告にスオウは即座に反応する――だが、それでもヴェルレーヌは加減をしていた。
「がっ……」
スオウは足払いをかけられ、腕を引かれて決められて地面に倒される。正面にいたヴェルレーヌは実体を持つ残影だった。
『修羅覚醒』で強化されたヴェルレーヌは『修羅残影』と同質の、実体を持つ残影を残すことができるようになっていた。もちろん素の能力が高くなければできないことだが、鍛錬なしで実践してみせるヴェルレーヌは、やはり体技においても優れている。
「てめえ……妙な技を使いやがるじゃねえか……そこの男の強化魔法か……?」
「それを見抜けただけでも評価はしてやろう。おまえは侮っていた私にこうしてねじ伏せられている。我が主人を倒すなどと大口を叩いたことを謝罪してもらわねばな」
「断る。火傷しないうちに離れた方がいいぜ……加減を間違えたら燃えちまうぞ……!」
「っ……!!」
スオウの身体が発光した次の瞬間、爆炎に包まれる――しかし『楯精』の力をヴェルレーヌに貸与し、彼女は光の盾で熱を遮って飛び退いた。
――極光の楯・絶対防御――
師匠が最も信頼する楯精――カバーできる範囲は狭いが、その防御力は鎧精を上回る。熱を完全に遮断し、スオウが放った爆炎を防ぎ切る。
「――エクスレア大陸北部の魔王国エルセイン。その女王もまた、『列席』に加えられる存在……スオウは侮りすぎた」
ミカドは呟きながら、俺の裏を取ってきた――振り下ろされた剣が残像を切り裂く。ヴェルレーヌに『修羅覚醒』をかけたとき、俺自身も同様に強化していた。
「やはり残像……それなら、『全て斬る』」
――迅雷閃速・幻影剣舞――
雷の精霊は、風の精霊を速さで凌ぐ――音の速度と同じだと言われていて、剣速もまた音速に近づき、受ければ衝撃破が生じる。
(防御魔法を使わなければ全身の骨を砕かれる……いや、バラバラにされるか)
しかしミカドの剣技は『超高速の連続攻撃』であり、『質量を持つ分身』によるものではない。『視力強化』と同時に『思考速度強化』を使えば、回避しきれないものでもない。
だが、この状況で最も重んじるべきは――受けた時に生じる衝撃波を、同じ威力の波で相殺すること。
――魔力剣・超振動波――
「――見切るだけでなく、私の剣の威力を消す……っ、そんなことが……!」
驚愕ではない――ミカドの声に込められた感情は、隠しきれない歓喜だった。
(エルフはこんなに好戦的な種族だったか……? 本来の白エルフは、森の奥から出てこない、俗世不干渉の人々のはずだが……)
「なぜ当たらない……っ、なぜ、なぜっ……!」
この速度で、大量に魔力を消費しながら動き続けられるだけでも賞賛に値する。しかしいかんせん、俺もミラルカと戦ったことで、成長してしまっていたようだ。