第174話 会合の終わりと安らげる距離
ギルドマスターが揃っての会合が終わり、会館からマスターたちが出てくる。忙しい中で集まってくれた皆に挨拶すべきかとも思ったが、その辺りもヴェルレーヌが完璧にこなしてくれて、出る幕はなかった。
最後に会館から出てきたヴェルレーヌは、シェリーとロッテを連れてこちらにやってくる。
「……ディック。良かった、会えて」
店の手伝いをするつもりでいたシェリーにも急遽会合に出てもらうことになったので、それは申し訳なかった。ロッテはしっかりしているが、彼女は姉と二人揃ってこそのマスターだという考え方がある。
「ディックさん、皆さんあなたに会いたそうにしていましたよ?」
「ああ、済まない。俺にもそれなりの考えがあってな」
「ご主人様にはこだわりがあるからな。グランド・ギルドマスターとして皆の前に座るというのは、偉ぶっている気がするのだろう?」
「そんなこと……ディックは、グランド・マスターにふさわしい人なのに」
「でも、分かる気がします。ディックさんは、本当は自由でありたいんですよね。常に身軽でいたいというか……」
いつも俺に突っかかっていたロッテだが、今は俺の考えの深いところまで理解しようとしてくれている。有り難い話だが、その視線に込められた憧憬に近いものは、シェリーとヴェルレ―ヌもいる手前気恥ずかしいものがあった。
「それでも王都のギルド全体のことを考えていてくれることに、みんな感謝していると思います。間違いなく、王都で一番人望のある冒険者はあなたですよ」
「私も代わりに出席してみて分かった。私のご主人様は、やはり最高のギルドマスターだ」
「あ、あのな……こんな木の上にいるやつに何を言ってるんだ」
「……照れ屋なのは、ディックの可愛いところ。そういうところが一つもなかったら、少し寂しい」
シェリーは黒髪をかきあげ、俺を見上げる――月明かりが澄んだ瞳を煌めかせる。
「ディック……これからカルウェンという人の仲間と戦うの?」
「話してわかる相手ならそれでいいが、そうもいかなさそうだ。カルウェンのような絡め手は使ってこないと思うが、油断できない相手だろう……シェリーにも助力を頼みたいところだが、王都のことも大事だ。今回はロッテと一緒に残っていてくれ」
「……うん。必ず無事で帰ってきて」
「あまりお姉さまに寂しい思いをさせるようなら……責任は、取ってもらいますからね」
ロッテに念を押され、俺は頷く。シェリーは小さく手を振り、ロッテは会釈をして、自分たちのギルドへと帰っていった。
ヴェルレーヌは俺が木から降りる前に、軽やかに飛び上がり、ふわりと俺の隣に着地した。風の精霊に愛されているからこそできる、軽業師のような芸当だ。
「……ヴェルレーヌにも礼を言っておかないとな」
「御主人様の代わりに出席したことか? いつもの店主業の延長だと思っているから、礼を言うほどのことではないぞ」
「それもあるが、差し入れが有り難かった。皆で食事をするのも大事だけどな」
「ハレ殿の新作はどうだった? 私も味を見たが、なかなかエキゾチックな風味だった。よくあんな味付けを思いつくものだ」
「異国の果実と香辛料を使ったソースだったな。あの発想は新しい……まだまだ、俺の知らない料理がこの世界にはあるんだな」
自分でも少し饒舌になっていると自覚しながら、興奮気味に感想を言う。それを見たヴェルレーヌは、くすっと楽しそうに笑った。
「飛行戦艦で世界を回り、色々な国を見る……ご主人様も、そういったことに興味があるのか?」
両親が世界を旅していると話したから、俺がその影響を受けているのかということか。それは否めない部分はあると思う。
「もともと俺は、自分が好きなことだけをするためにギルドを作ろうとしたんだ。でも実際やってみると、俺は自分で動くだけじゃなく、仲間たちに目的を達成させることが好きなんだとわかった。そして、ギルドに集まる人間はただ冒険者というだけじゃなく、向き合うものが多くある。家族のこととか、隣人との関係とか、抱いてる目標とか色々だな」
「……それらをないがしろにしたくはない。だからこそ、こうして他のギルドとも連携する形を確認したということか」
「そうなるな。王都の中が落ち着いていてこそ、外の世界に目を向けられる」
そう言うと、ヴェルレーヌは俺の隣に座る。俺は念のために木の枝を魔法で強化しているので、二人並んで座っても木はビクともしなかった。
「……少しだけ、動かずに。そのまま……」
何をするのかと思っていると、ヴェルレーヌはそっと俺の肩に頭を預けてきた。
「……どうした? ヴェルレーヌ」
「やはり私は、ご主人様に会いに来て良かった。ギルドを手伝わせてもらっているとき、いつも思っていたことがある。私はエルセインを離れても、寂しいと思ったことが一度もない。一族や家臣たちには申し訳ないが……ご主人様と共にあることが、私が私らしくあるということなのだ」
それだけ言うと、ヴェルレーヌはしばらく目を閉じたままでいたが、俺の肩に手を置いてゆっくり身体を離す。名残りを惜しむような目をしていることに、本人は気づいているだろうか。
いつも我が道を征くという姿勢の彼女だが、本当はとても繊細だ。ベアトリスと一緒に俺の寝室にやってきたときも、自分から行き過ぎたことはせず、触れることすら緊張しているようだった。
今の距離感を保とうとしてくれるヴェルレーヌに甘えることは簡単だ。しかし、俺の服を着てみたいと悪戯な笑顔を見せたり、今のように二人のときに甘えようとしてくれている姿を見て、俺の気持ちが動かないのかと言えば――。
「自分でも妙なこだわりだとは思う。でも、ヴェルレーヌが付き合ってくれたからこそ、俺はカウンターの端で飲んだくれてることができた。セレーネが店主をしてた時期もあるが、彼女には彼女のやりたいことがあったからな」
「……あまりギルドに長居をすると、十も年下の少年に惹かれてしまうと思ったからではないか?」
「それは無いと思うが……な、なんだ。そんな顔されても、俺には何とも言えないぞ」
前マスターのセレーネは『水瓶亭』のギルド員として復帰すると言っていたが、彼女のことだからいつまで居着いてくれるかというところだ。優秀な冒険者だが、それ以上に人生を楽しむことに情熱を注いでいるので、思い立ったら旅に出てしまうようなところがある。
ヴェルレーヌが来て、店主として定着してくれてからは、彼女の機転と度胸――そして俺の意図を完全に汲み取ってくれる洞察力に驚かされた。
「また、真面目なことに思考をそらそうとしているな。ご主人様は根が堅物すぎるのだ」
「そう言われるのなら、改善したいと思わなくはないな」
「ふふっ……善処してくれると、私たちとしても助かる。ご主人様はいざとなったら、首を縦に振るだけでもいい」
「そ、それは……そういう意味なのか」
「形は普通と違ったものとはいえ、すでに娘もいるのだからな。私たち七人を母親にした責任は……と言うと、ご主人様も困ってしまうか」
俺たちはスフィアの父と母で、互いのこともそう認識している。それが意味するところは――確かに俺が頷くだけで、お互いの関係性が決まってしまうということなのだろう。
「……決まってしまう、ってこともないか」
「ん……? す、すまない、少し追い詰め過ぎただろうか……」
「いや、そうじゃない。贅沢な悩みだと思ったんだ」
端的な言葉だと分かってはいる。しかし全て言葉にしなくても伝わるような気がした。
「……もう一つだけ、ご褒美をもらってもいいだろうか」
ヴェルレーヌは自分の膝に手を置く。俺は何も聞き返さず、身体を横たえて、ヴェルレーヌの膝に頭を載せた。
「……こんなところを誰かに見られたら、何をしてるのかと思われるだろうな」
「ご主人様、そっぽを向いては寂しいではないか」
「っ……」
俺は仰向けにされ、自分と似た服を着ているヴェルレーヌを見上げる。前にせり出した胸に隠れて、彼女の顔が見えにくい。
「こんなこともあろうかと……と言いたいところだが、耳かきを持ってきていないな。従者のつとめなので、いずれしようと思っていたのだが」
「……ヴェルレーヌ、一つ気がついたんだが……」
「うん……?」
ヴェルレーヌの頷きが優しく聞こえる。俺が伝えたかったことは――ずっと眠らずに動けるといっても、魔法で防がなければ眠気を感じるということ。
「……少ししたら起こしてやろう。それまでは、存分に愛でさせてもらうぞ」
ティミスの火竜討伐依頼のときも、ヴェルレーヌは俺が起きるまで見ていてくれた。その時のことを思い出すうちに、意識は雲の中に心地よく沈んでいった。