第173話 従者の敬意と双天師の助言
「……私はあくまでマスター代理ですが、僭越ながらミース様に質問してもよろしいでしょうか」
「私の秤が均衡を崩さない範囲であればお答えします。どうぞ」
「ミース様は、ディック様のことを高く評価されているご様子ですね。それは、やはり遺跡迷宮の攻略において主導的な役目を果たしたからなのでしょうか」
ヴェルレーヌの質問は、思ったより当たり障りのないものだった。『金の天秤亭』に直接俺から何か頼んだりはしていないが、ミースさんは迷宮探索と、平常通りのギルドの仕事をバランス良くこなしてくれていたはずだ。
「いえ……彼がマスターになったばかりのとき、挨拶に来てくれたことがあって。十も年下の少年でしたから、彼の方が圧倒的に強いとはいえ、先輩として指導をしたいと思ったのです。ですが……」
「……ディック様に、個人的な指導を?」
(何か意味深な聞き方になってるが、ミースさんは本当にいい先輩というだけだぞ。平時は疎遠だったけどな)
(五年前のご主人様に、十歳年上のミース殿が指導をする……そのようなこと、私は今まで教えてもらっていなかったぞ。代理出席しているのだから、聞きたいことは聞かせてもらいたい)
(い、いや、特に言うようなことは何も……)
――無いはずなのだが。ミースさんは頬に手を当て、物憂げに吐息をつく。何を想像したのか、シュヴァイクが軽やかに口笛を吹いた。
「はい、マスターの仕事について少しお話をしたいと思い、私のギルドハウスに来てもらいました。しかし私はディック君に指導をするどころか……その、指導をされてしまって。私が冒険者として強くなるために必要なことを、短時間で手ほどきしてくれたんです。それをきっかけにして、私は一年後にSSランクに上がれたのです」
彼女は身体に流れている魔力のバランスが悪く、せっかく強い力を持っているのに実力を引き出しきれていなかった。
『双天師』は二つの杖を使って、天候を操る精霊魔法系の職業である。身体の右側と左側で魔力の均衡を取る必要があり、完璧に操作することで、雨の降らない土地に雨を降らせたり、その気になれば雪を降らせたりすることも可能だ。
しかし陣魔法で同じことができてしまうミラルカは、やはりSSSランクにふさわしい力の持ち主ということになる――破壊魔法が成長した今はS4に達したと見ていいだろうか。
「私の上司から指導を……そのようなお話はうかがったことがありませんでした。お話いただいてありがとうございます」
「いえ、ディック君にとってはごく小さなできごとでしょう。私の家に三日ほど泊まり込んで指導してくれたのですが、それ以降は疎遠になっていましたから」
「……ディック、ミースさんの家に三日も……」
「ディックさんには、後で詳しい話を聞かせてもらわないといけませんね……お姉さまに内緒で、一体何をしていたんでしょうか」
シェリーとロッテが不穏な気を発している――それを見て『水の射手亭』のグレイシアも反応しており、『橙の牡羊亭』のラメルは心から楽しそうにしている。
「ディックさんに直接助けていただいたわけではないですが、私もお世話になりました~。ある商会の裏取引を調査していたときに、月兎族の方と潜入先でお会いしまして、助けていただいたんです~」
「『銀の水瓶亭』のギルド員は、私のギルドと仕事が競合したときにも柔軟な対応をしてくれたわ。これもマスターの方針なのだろうけど……お礼を言いにギルドに行っても、いつも姿が見えないのよね」
グレイシアの実力では、俺が気配を消してカウンターで飲んでいると存在に気が付かない――依頼者の前以外では、俺は酒場において空気のような存在感なのである。『隠密』とは別に、気配を周囲に溶け込ませる『希薄化』という魔法があり、飲んでいるときは呼吸をするのと同じ感覚で使用しているので、使っていることを忘れることもある。『特別な客』が来たときは魔法を解き、適当なタイミングで存在を認知してもらうというわけだ。
「あー、そういうことか……俺の立場がなくなるってのは。あいつが来てたら、ますますあいつの話しかしなくなるわな。俺も日頃は真面目にマスターやってんだぜ? そりゃ、水瓶のには敵わねえけどよ」
「ディックはこれでも働いてないって顔をしやがるからな。今ここに出て来ずにヴェル……いや、ヴェローナの姉ちゃんが出てきてるってことは、あいつは遠慮をしてるってことだ」
レオニードさんはいつも通り豪快で、俺に対する配慮をあまりしてくれないのが玉に瑕だ――俺が直接出席しないから言われているのは分かるが。
遠慮というよりは、なぜかグレイシアに目をつけられていたり、シュヴァイクに会議が終わったあとに飲みに誘われたり、カスミさんに翻弄されたりということを避けたいと思ったのだが――それはそれで情けない理由か。
「褒められるのが苦手な男じゃからの。それがいつまでも初々しくて良いのじゃが……そのディックが決心してくれたのじゃから、私たちは感謝せねばならぬ」
カスミさんの言葉に、部屋の空気がぴんと張り詰める。その緊張を破って口を開いたのはエトナだった。
「……私がガラムドア商会と結託し、獣人の方々にした行為については許されるものではありません。しかしディック様は、私に機会を与えてくださいました。これまでは自分のしたことの謝罪と、責任を取ることのために活動していましたが……最後の獣人の方に対する補償を、先日行うことができました。それを改めて報告します」
「エトナ、あんたは俺より優秀な冒険者だ。悪事を働いたことは確かによくねえが、王都のギルドが仕事不足っていう慢性的な問題を看過してきたのは、俺たちにも責任がある。『紫の蠍亭』は道を踏み外しちまったが、それは『白の山羊亭』に責任があるわけじゃねえ」
ギルドという組織は、冒険者の力を有効に生かす依頼を受け、報酬を得て成り立つものだ。仕事が不足すれば資金は枯渇し、そこに付け込まれればきな臭い依頼を持ち込まれる。他の街ではギルドぐるみで盗賊行為を行うようになってしまい、俺のギルドから冒険者を派遣して正常な形に建て直したこともあった。
白の山羊亭が闇の仕事に手を出したのは、破綻したギルドの冒険者たちを救済するためでもあった。しかしそれは言うまでもないが、決してしてはならないことだった。
王都の地下迷宮が見つからなければ冒険者の仕事不足は解消せず、ここにいるマスターたちも苦しいギルド運営を強いられただろう。『蛇』を討伐したあとの遺跡迷宮は、今やそれ自体が膨大な資源なのだ。
「……私が果たそうとしてならなかった、王都のギルドを維持し続けるという目的は、ディック様の手によって果たされました。維持ではなく、彼の指導下には繁栄の未来が約束されています。あの方こそ、王都のギルドを統率するにふさわしい……」
エトナは少々思い込みが強いというか、認めた相手に信仰心に近いものを持つ傾向がある――師匠だけでなく、俺もその対象になってしまったというのは、いいのか悪いのか正直分からない。だがエトナが暴走することがないというのは安心できる。
「そんなわけで……事前から皆で話してはいたことだが、ディックにはグランド・ギルドマスターの地位についてもらいたい。これまでと何も変わらねえし、あいつも急に変わるつもりはないだろう。しかしあいつが上にいてくれることで俺たちの意識も引き締まるし、若い冒険者も道をそれることはなくなる。それは間違いねえ」
「……マスターは、他のギルドに干渉することを良しとしません。しかし、冒険者同士が協力して連携することについては常に前向きに考えておられます」
ヴェルレーヌが話す内容は、確かに俺の考えを代弁してくれてはいる。
だが、改めて考えてみると――この状況でヴェルレーヌに話させるということは。今まで直接話してこなかったようなことまで、全部彼女の裁量で話されてしまうことになる。
「『白の山羊亭』の活動について、マスターは事前から調査するようなことはしていませんでした。それは全てのギルドに対して敬意を払っていたからです。ギルドはそれぞれマスターのもとに集まった冒険者の共同体であり、独立した組織です。その内情を調査するという行為自体が、信頼を毀損することに他ならない。私はマスターのお考えを、そのように理解しております」
凛とした姿で、ヴェルレーヌは流れるように話す――そうしながら、俺に念話で確認することも忘れない。
(ご主人様、こういった解釈で良いだろうか?)
(……俺が何も言わないってことは、問題ないってことだ)
(それは良かった。といっても、ご主人様を見ていてありのままを話しているだけだから、間違っていたら私の方が驚いてしまうがな)
自信満々なようで、内心では緊張していたことが伝わってくる。俺のことをヴェルレーヌがどれだけ尊重してくれているのか――そうでなければ、俺の服を着たいなどと思わないか。
考えているうちに無性に落ち着かなくなってくる。しかしこの会談で皆に何を伝えておきたかったか、それを忘れてはいけない。
「……私たちにとって、ディックがいてくれること、見ていてくれることが力になる。彼を助けられるように、ギルドをもっと良くしていきたい」
「お姉さまの言う通りです。ディックさんのおかげで、私たちもどれだけ助けられたか……グランド・ギルドマスターになったディックさんを、今度は私たちが支えなくてはいけません」
ロッテはシェリーの手を取り、テーブルの上で重ねる。それを見て、他のマスターたちも顔を見合わせて表情をほころばせた。
「支える……か。水瓶のは、こんな俺なんかでもそれができると思ってくれてんのか」
「それは間違いございません。日頃の交流が少ないとはいえ、マスターはシュヴァイク殿のことを忘れたりはしておりません」
「ぐう……まあ、この濃い連中の中じゃ存在感がないってのは認めるしかねえが。俺もあいつには恩がある、あいつはそれに俺がずっと気づかないと思ってただろうが、そうはいかねえってもんだぜ」
「シュヴァイクさんも賛成ということですね。これから、王都のギルドはディックさんを支えるために……」
「いえ、ミース殿……あくまで、これまで通りで良いのです。私たちのギルドは今後、王都全体で対応すべき脅威が迫った際に、全ギルドに情報を共有します。ですから、可能な範囲であなた方にも情報を提供していただきたいのです」
ヴェルレーヌは呪紋師カルウェンと俺達が暗闘していたことを皆に明かした。王都にカルウェンが侵入していたということは、他のギルドの有力者が呪紋で操られることもありえた――カルウェンと遭遇した際の心構えについては、全ギルドに知らせておくことが理想だっただろう。
「……また、ディックに……魔王討伐隊に助けられたのか。いや、敵にとっては俺たちなど眼中にねえんだろうな。そいつは悔しいが、俺がそのカルウェンに会っていたとしたらなんて、想像するだけで背筋が凍るぜ」
「レオニード殿と戦うのは避けたいものじゃな……勿論、他のマスターとも。そのカルウェンを倒したあと、仲間が来る可能性があるということかの?」
「そういうことなら、地方遠征から戻った冒険者が届けてくれた情報を提供しましょう」
「私のギルドも、商会の方から受ける依頼がありますので、いくらか提供できる情報がありますよ~。うちのマスターもそういった事情でしたら、賛成してくださると思いますし~」
「今欲しいのは、アルベイン東部方面の情報です。相手は転移を行いますので、目撃情報がある可能性は低いのですが……」
「転移……それと直接関係があるかは分かりませんが。このところ、王都の周辺で局所的に気候が変動する現象が見られました。原因が分からなかったのですが、彼らの使う転移が気候に干渉を起こしているという可能性は考えられます」
ミースさんは王都の気候を常に観測している。それには『双天師』としての能力を維持するためと、個人的な日課という両方の側面がある。
グレイシアが荷物の入っているザックから地図を取り出してきて、テーブルに広げる。ミースさんは地図に手をかざすと、指先に魔力の明かりを宿し、気候の変化した場所を示すように指をすべらせた。
「数日前の夜、雨が急に降り始めたことを覚えていますか? 突然雨が降ること自体は不思議ではありませんが、あのときの気候はそういった、突然雨が降る条件を満たしていませんでした。何かの干渉があったのだとして、私はそれを侵入者によるものだとは思わなかった……今にして思えば、ディック君に連絡を取るべきだったと思います」
カルウェンがイーリス邸を襲撃した夜、俺は雨の中でミラルカを見つけた。
その雨こそが、カルウェンが俺に気づかれず王都に入った方法に関係していた――そんな推論は、今ミースさんと話すまで全く出てこなかった。
「私は王都付近の村にも、気候を観測するための魔道具を設置しています。その情報を調べてみたところ、気候の変化はこういった経路で起きていたことがわかりました」
地図上にミースさんが示した点は、一定の間隔を置いている。その点は東からやってきて、イーリス邸の近くにも通っていた。
「……一定の距離を転移する方法がある。相手は、東から来てる」
付近の霊脈を利用しながら、霊脈から一定の距離まで離れた場所に人間を転移させられる。恐るべき魔法技術と言うほかはない。
しかし、遠く離れた場所にまで一気に転移することはできない。一度に転移可能な距離は限られている――それなら、王都にやってくるまでに見つけて止めるという方法が現実味を帯びてくる。
「ミース様、ありがとうございます。これで敵が侵入してくる経路を絞り込めそうです」
「私たちに何かできることはある? ……なんて、言えそうにないわね。Sランクの私じゃ足止めにもならないでしょうし」
「私たちは、いつも通りお仕事をしながら、心構えをしておけっていうことですね~。もし敵の人が王都に来てしまったら、戦わないとですし~」
「今回は天秤のにいいところを持っていかれちまったな。俺が水瓶のに認めてもらうってのは相当難しそうだが、今まで通りできることをやっていく。平常通りのギルド稼業と、迷宮掘りだ」
彼らを『覇者の列席』との戦いに巻き込むわけにはいかない。しかし、王国を脅かす脅威と戦うのが冒険者の仕事というわけじゃない。
「……ディックたちが落ち着くまでは、私たちが頑張る」
「はい、お姉さま。『銀の水瓶亭』の方々とは、これまで以上に連携してやっていきましょう」
「いつか指名を受けるときのために、研鑽を重ねておかねばな。全盛期を保てるうちの話ではあるがの」
「カスミさん、引退を考えていらっしゃるんですか~? 寂しいですから、そんなこと言わないでくださいよ~」
「まだ『剣聖』の名を引き継ぐにふさわしい剣士は現れていないのだから、それまでは現役でいてもらわないと……」
ラメルとグレイシアが慌てる中で、カスミさんはヴェルレーヌに向けて微笑みかける。そして、唇をかすかに動かした。
(ご主人様やコーディ殿のような剣士がいるのに、『剣聖』という名前は肩に重いと……そう仰っているようです)
俺は我流の剣で、コーディはすでに『光剣』の異名を持っている。東方の剣術を修め、実力だけではなく型の美しさも兼ね備えているカスミさんこそ『剣聖』と呼ばれるにふさわしいだろう。
「心配せずとも、まだ一線を引く気はない。いずれディックとパーティを組み、協力して依頼を達成したいものじゃ。もちろん遠征での」
「遠征……私もディック君と、まだ見ぬ秘境の気候を調査したいものね。今はそんなことを言っている場合ではないけれど」
「うちの孫にも直接指導してやってほしいもんだ。ここまで引く手数多じゃあ、なかなか出て来たがらないのも頷けらあな。がっはっはっ……」
レオニードさんが豪快に笑い、皆も笑う――そしてヴェルレーヌは会館に勤める男性を呼んで、乾杯のための酒を頼んだ。最初に飲んでしまうと真面目な話ができないメンバーがいるので、締めに回した形だ。
ヴェルレーヌから受け取った軽食と一緒に、木の水筒が入っていた。中身は携帯しても味が落ちにくい、果実を漬けた強めの酒――ココノビラムだ。
「では……冒険者ギルドの、ますますの繁栄を願って。そして新たにグランド・ギルドマスターとなった我が主人、ディック・シルバーに……」
「「「「「乾杯!」」」」」
皆と一緒に酒を一口飲む。喉がほどよく熱くなり、身体が燃える――少し風が吹いて肌寒いこんな夜は、『青い炎』とも呼ばれることのあるこの酒がちょうどいい。
「それにしても……ヴェロ―ナさん、その服は胸が苦しくないかしら?」
「……ディックが着てる服を、女の人が着られるように仕立て直してる」
「そ、そうだったんですね……道理で似ていると思いました。ディックさんにそんな趣味があったなんて、良くないです。お姉さまと一緒にたっぷり問い詰めてあげないと」
ロッテが危険なことを言っている――ギルドマスターが揃って酒に強いということはなく、女性陣は結構弱かったりする。レオニードさんとシュヴァイクは底なしなので、俺もまともに付き合って飲むとひどい目に合う。
「本当に、ディックと来たら……せっかく会えると思って、色々と心構えをしておったのに。そのくせ、知らぬ内に娘まで作ってしまうのじゃから……」
「な、なにっ……ディックに娘!? ま、まさか、例の『可憐なる災厄』か? それとも『妖艶にして鬼神』……すわっ、ヴェローナさん、まさかあんたと!?」
「正確には……これはマスター……いえ、ディック様も許可をくださると思いますので、お話しさせていただきますが。私を含めて、七人の女性との間に生まれた娘になります」
(……やっぱり直接出なくて良かった)
スフィアのことを知らない出席者は、驚きのあまり言葉を失っていた――事情を知っているレオニードさんはカカカ、と笑っていたが、グレイシアのショックは大きく、持っていた酒のグラスを落としそうになって、隣りにいたラメルが慌てて受け止めていた。