第172話 従者の要望とギルドマスターの会合
ヴェルレーヌが出してきた条件を聞き入れた結果、俺がギルドハウスの二階にある仕事部屋で何をしているかというと――彼女の着替えの見学だった。
「いや……その、別に俺は構わないんだが、淑女のたしなみとして問題はないのか」
「ふふ……何を今さら。御主人様が愛用している服と似たものと、従者である私が身につける。それを眺めるというのは、他にない趣きがあるものではないか?」
俺の代わりにギルドマスター会議に出る条件とは、俺がいつも着ている服のスペアを彼女が身につけるということだった。もちろん寸法がぴったり合うわけではないので、師匠とスフィアが着付けを手伝っている。
「ヴェルちゃん、胸がおっきいから……前を閉じなきゃ大丈夫かな」
「他の男の人も来るから、お肌は見せすぎないほうがいいんじゃないかな?」
「スフィアは将来、お母さんたちをセーブしてくれる立派な淑女になりそうだな。お父さんは安心してるよ」
思わず軽口が口をつくが、「お父さん」という単語に師匠たちが敏感に反応する。
「みんなの前でそんな顔したらだめだよ? その……欲しくなっちゃうと思うよ」
「お母さん、欲しいって何のこと? 他のお母さんたちが欲しいもの?」
「少しスフィアには早い話だから、またゆっくり話すときも来るだろう……ディック、意外にちゃんと見ているのだな。約束を守れるのはいい主人の証だ」
「いきなり名前で呼ぶな……魔王モードは隠した方がいいぞ、風格がありすぎるからな」
下着姿まで見せられたが、魔力供給の際にベアトリスとヴェルレーヌとは一緒にベッドを共にして――と、それでは言い方に問題がある。
ヴェルレーヌは俺が着ているものに近い黒い服を着て、髪を結い、きりっと表情を引き締める。剣まで帯びているが、それは魔法の媒介として使うだけの刃のない剣だ。
「御主人様の命とあれば、当ギルドのマスター代理をしっかりと勤めてまいります」
「わぁ……ヴェルちゃん、そういう格好もすごく似合うね」
マスター代理ということで俺の服を着たいというのは理解できなくもないが、やはり胸が目立ちすぎる。それでもヴェルレーヌ自身は着られただけで満足のようだった。
「お父さん、私もお母さんたちみたいになれるかな……?」
「ユマの要素が……いや、それも含めて色々な可能性があるからな」
「ふふっ……ディー君、ユマちゃんに怒られそうなこと言ってる。ヴェルちゃん、後で言いつけちゃおうか」
「ご主人様は大切な時には、ユマ様にご助言を受けられる傾向がありますので……実は、最も精神的支柱の役割を果たされていると思うのですが」
「そ、そうか……? まあ、確かに言われてみればそうか……」
さすがは次期大司教というべきか、それ以上にユマ自身の持つ資質なのか。彼女は仲間たちの心の揺れを見抜いて、欲しい言葉をくれるところがある。
「……最近は、心配ないかなって思うよね。私が言っちゃいけないことだけど……きゃっ」
「師匠は思わせぶりなことばかり言って、あんまり弟子を翻弄しないようにな」
少し離れたところで見ていた師匠の頭にぽん、と手を置く。師匠と呼んでいる相手にすることでもないが、ちょっとした出来心だ。
「……ディー君が、頭ぽんって……わ、私っ、二千年以上も生きてるのにっ……」
「っ……し、師匠……?」
想像以上に師匠が動揺する――こんな姿を見るのは初めてだ。
しかし、ずっとどこか俺と距離を置いて見ているところがあったので、こう言っては何だが嬉しさもある。
「もう……大人をからかうなんて、ディー君が悪い子になっちゃった。誰がそんなふうに育てたの……?」
「ふふっ……そうか、師匠殿は……それは私としても盲点だったな」
「リムお母さんがお父さんを育てたって、お父さんが言ってたよ」
「ううん、ディー君は素質が最初からあったから。教えたことが全部できちゃったの。普通は言ったとおりに魔法を使ってみてって言ってもできないはずなんだけどね」
「詠唱などを教えたわけではないということか? 確かにご主人様の魔法は、発声なしで発動するものが多いが……」
無詠唱という概念について、俺は後から知ることになった。師匠の真似をしたら、持っていた木の棒が光った――それが初めて使った『魔力剣』だ。
「師匠殿と同じ魔法を扱う資質……それは、ご主人様のご両親から受け継がれたものなのか?」
「俺の親は冒険者……というか冒険家だが、親父は山奥の田舎の生まれだ。母さんは……ちょっと俺にも掴みどころがないというか、そういう人だからな」
――みんなとデアドリックは少し違って、それが苦しいと思うこともあるかもしれないけど、このことは忘れないで。
――あなたがその力を持って生まれてきた理由は、とても大切なもので。あの人も私も、それを望んで、願っていたんだっていうことを。
――難しくて分からない? じゃあ、分かるように言うとね……。
「……ディー君?」
師匠が俺の手首を握って、引き戻される。スフィアが正面に、ヴェルレーヌも近くに来ていて、少なからず過去に意識を持っていかれていたことはすぐに分かった。
「ご主人様……すまない、従者として主人に軽々しく聞くべきでないことを……」
「いや……何か、昔のことを思い出した」
「それって、ディー君のお母さんのこと? お父さんと一緒に、世界を旅してるっていう……」
「ああ。昔言われたことを、少し……すまない、こんなふうになるのは良くないな」
物心づいてしばらくした頃に、母さんが話してくれたこと。久しぶりに夢で見た――長い間、思い出すことがなかった。
思考回路を魔法で加速できても、記憶を思い通りに引き出すことはできない。いや、理論的にはできることなのだが――それは言うなれば、禁術というやつだ。どうしても必要な場面でもなければ、使うべきだとは思わない。
「……そうやって、ふとした時に鎧を作るのだから、私はそれを破りたいと思う」
「破ったら、いっぱいぎゅってして、可愛がってあげないとね。人の頭をぽんってした責任は取ってもらわなきゃ」
「そ、それなら私は、私はっ……お父さんのためにできること……」
よほど心配をかけてしまったのか――師匠は少し仕返しが入っているが、だいぶ昔の彼女が戻ってきていて懐かしく思う。
「スフィア、じゃあ俺の分まで師匠に甘やかされてくれるか。お父さんは一つ仕事があるからな」
「えっ……そ、そうじゃなくて……いいのかな?」
「ディー君、考えたね。スフィアちゃん、お母さんと一緒にお父さんを待ってようか」
師匠はスフィアの頭を撫でつつこちらを見る。そして微笑みながら、娘と一緒に手を振り、俺たちを見送ってくれた。
「でも、私がスフィアちゃんを可愛がるのと、ディー君の分は別で数えてるからね」
階段を降りる前に、囁くような声なのに、はっきりと耳に届く。それはヴェルレーヌにも聞こえていたようで、先に降りていた彼女は振り返り、ふっと愉しげに笑った。
◆◇◆
七番通りの会館――そこは十年ほど前に作られた、冒険者たちが共同で探索を行うときに会談を行うために建てられたものだ。
『蛇』の件で王都に地震が頻発していたとき、一部が損壊してしまっていたが、ギルドが共同で建て直した。うちのギルドも出資しているが、普段は利用する機会がなく、来るのはこれで二度目だ。
ギルドマスターが集結するということで、副マスターが付き添いで来ている――彼らはマスターとは別の部屋で、交流の場を持つのだろう。
(ご主人様、お顔見せは後でさりげなくということですね)
(ああ、そのつもりだ。終わった後で出てこられても、みんなどうかと思うだろうが)
(そのようなことは決してございません。私もほとんどのマスターの方々と改めて話すのは初めてですから、推測ではございますが。カスミ様とレオニード様から、ご主人様の評価の一端は聞き及んでおります)
(困った先輩方だ……と言いたいが。悪評が広まるよりはいいと思っておくか)
俺は会館の敷地内にある木に昇る。すると、ヴェルレーヌが下から何かを投げてきた――バスケットの中に入った軽食だ。
「ゆっくり夕食を摂る時間もなかったのでな。ハレ殿に頼んで手配しておいた」
これが従者の務め――そう言わんばかりに一礼し、ヴェルレーヌは会館に入っていく。彼女は念話のピアスと似た系統の魔道具である『集音のチョーカー』をつけている。文字通り、周囲の音を聞き取る魔道具だ。
俺は紙包みに入れられた肉と野菜のサンドを取り出す。匂いですぐに分かったが、シーファストの街で仕入れた香辛料が使われている。新しい味を見てほしいというハレ姐さんのはからいだろう。
「……美味い。また腕を上げたな、ハレさん」
後で感想を伝えなくてはならないので、溢れ出す肉汁と甘みのある野菜をまとめ上げ、何倍にも旨くするソースの味を、舌に全神経を集中して吟味する。
ラムサスが焼いたパンも、粉のバランス、生地の熟成時間などを試行錯誤したのがよく分かる――彼も自分の店を持ちたいと言っていたが、パン職人を欲しがっている商会に縁をつなげる頃合いだろうか。
(おっと……そろそろだな)
俺はヴェルレーヌの魔道具から伝わる、会談の場の様子に意識を傾ける。ヴェルレーヌが来たのは三番目で、後のマスターたちもすぐに全員が揃った。
◆◇◆
部屋に入り、ヴェルレーヌの姿を見たマスターたちはそれぞれの反応を見せる――しかし彼女が銀の水瓶亭のシンボルをあしらった腕輪をしていると分かると、深く頭を下げ、そして自分の席に向かう。
「レオニード殿、私はどちらに座ればよろしいでしょうか?」
「いやはや……店主のあんたがやってくるとは」
「ディックの趣味ではないじゃろうとは思っておったがの。しかしこの場を設けただけでも、私たちの要望を聞き入れてくれたといえる」
レオニードとカスミはヴェルレーヌと握手を交わす。そして、二人は卓の中心にヴェルレーヌを座らせた。
「……あなたが、ディック様の代理。そして、創始者様のご友人であらせられますね」
今にも消え入りそうな存在感の、白い髪を持つ儚げな女性が、ヴェルレーヌを敬う様子を隠しもせずに言う――エトナ・フェルドール。
彼女は『無色の蛇遣い亭』のギルドマスターであり、王都のギルドの元となる組織を創始したリムセリットを信奉している。
エトナはリムセリットがディックとの戦いに敗れたあと、一度は自らが率いる『白の山羊亭』を休止させていたが、ディックの要請を受けてマスター代理として復帰していた。
「エトナ殿、健勝そうで何よりです。私に対して、過剰に敬意を払う必要はございません。私もまた『マスター代理』なのですから」
ヴェルレーヌが言うと、まだ座らずにいるマスターたち全員が、近い意味合いで苦笑する。
「私はヴェローナ、『銀の水瓶亭』の一員です。本日はマスターの代理として出席させていただきました。以後お見知りおきを」
魔王の名である『ヴェルレーヌ』は念のために名乗らないが、本名を知っている人たちも話を合わせてくれる。
「まったく『銀の水瓶亭』はどうなってんだ……こんな大物を隠しておいていきなりマスター代理で出してくるとは。しかも美人ときたら、俺が勝ってる部分が何もねえじゃんかよ。ただでさえSランクから上に上がれる気配がないってのによ。水瓶のは毎回やってくれるぜ」
無精髭を生やし、髪を逆立て、鉢金を身に着けた男性――『黄の牡牛亭』のマスター、シュヴァイク・ロウ。年齢は三十台に差しかかったところで、冒険者としては十五年の活動歴を持つ歴戦の強者である。
「まあまあ、いいじゃないですかシュヴァイクさん。ディックさんが来られていたら、もっと立場が無くなっていたと思いますよ~?」
彼を隣の席でたしなめるのは『橙の牡羊亭』のラメル・シェルティ。少し間延びした話し方が特徴的な、魔法使いの女性である。『眠りの羊飼い』という異名を持ち、羊の巻角のような形をした杖から『深き眠り』などのさまざまな魔法を繰り出す。
「本当に、滅多に会合の場にも顔を出さないんだから。迷宮攻略で色々『水瓶亭』にはお世話になってるのに、お礼くらい言わせて欲しいわね」
「そんなことを言って、ディックさんに会いたいだけじゃないんですか? グレイシアさん」
「んっ……こほっ、こほっ。だめ、ロッテ、そんなこと急に言ったりしたら……」
「な、何を急に言うと思ったら……あなたたちこそ、『水瓶亭』とは懇意にしているそうじゃない。地下迷宮の攻略を主導してるからって、一歩先に行ってるって顔をしないでよね」
ロッテと舌鋒を交わしているのは、『水色の魚亭』のグレイシア・リアム。精霊魔法と野戦などを得意とする『レンジャー』であり、シュヴァイクやラメルと同じSランク冒険者である。青みがかった首にかかる長さの黒髪が特徴的で、シェリーとロッテとは冒険者になった時期が近く、長年のライバルの関係にある。
「まあまあ、嬢ちゃんたち……と、娘扱いもいけねえか。なんせディックが用意してくれた顔合わせの場だ」
「右の手には不満があります。それはディック君が来ないこと。左の手にはそれと釣り合うだけの興味と、光栄に思う気持ちがあります。ディック君は、私たちのことを忘れずにいてくれるのですね」
レオニードに続けて発言するのは、『金の天秤亭』のミース・イシス――褐色の肌が示すのは、王国の外から来た民だということである。金色の髪を左右で結んでおり、『双天師』という特殊な職業である彼女は、二本の対になる杖を持っている。
ミースは『白の山羊亭』のエトナとは旧知の関係だが、リムセリットとエトナがディックと敵対していたときには中立の立場を保った。『金の天秤亭』は特定の組織や権力に肩入れすることをしないという信条を持っているためである。
◆◇◆
マスターたちが一通りヴェルレーヌと挨拶を交わしたところで、俺は議場の隅にいるような感覚で会談に耳を傾けることにした。
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(※初回の投稿時から少し末尾部分を修正しております)