第171話 東からの来訪者とマスターの招集
グラスゴールのいる制御室に向かい、今後のことについて伝える。
「ここにも霊脈はあるが、俺の見立てでは現在地……王都の西にいるより、東に移動しておいた方が良さそうだ」
「東……そうなると、こちらが良さそうですね。天然の岩壁に囲まれた地形で、霊脈が通っています。この辺りであれば停泊することもできるかと」
「ああ、そこがいいな」
『クヴァリス』と戦った際に、仲間たちと合流した場所――古い砦の跡。グラスゴールが指定した停泊位置は、その砦の近くに位置している。
場所としては、アルヴィナス王都から各地に伸びる街道――一部は途中で途切れているが、王都の混乱が落ち着いて敷設が再開している――の中でも、東部海岸に向かう六番街道に近い。
「人の行き来がある場所が近いから、『隠密』はしっかり利かせておいてくれ」
「かしこまりました。この浮遊島には『増幅結界晶』が四つ搭載されていますので、理論的には四種類の結界を発動させることができます。発動には元となる魔法を発動させる術者が必要ですが……」
「一度発動させれば大丈夫ってことなら、『人払い』の魔法もここで発動させておくか」
「は、はい……可能であれば。そのような魔法まで会得されているのですか? 上位古代語魔法に分類されるはずですが……」
「三年前くらいに覚えたんだ。あの頃は、王国の中で手つかずの迷宮に潜ってて……」
思い返しているうちに、そういえば「王家のしるし」を使ってさらに奥まで行けそうな迷宮があったことを思い出した。
王都地下の迷宮は非常事態だったので、冒険者と騎士団が総力を上げて挑んだが、俺も一応冒険者の端くれなので、未知の迷宮には自分で潜りたいという思いがある。
「涼しい顔でおっしゃいますが……ディック殿は、冒険者としてもやはり一流なのではないですか。古代語の翻訳についても、学者と呼べるほどなのでは……?」
「古代語の基礎は師匠……リムセリットさんに教えてもらったんだ」
師匠に敬称をつけるのは落ち着かないが、呼び捨てというのもどうかという気がする。『師匠』は俺にとって敬称に近いが、親しみのある呼び名だ。
ちなみに古代語は普通に勉強して習得するには時間がかかるので、師匠は『知識継承』という魔法を用いた。俺に適正があれば、学習する時間を省いて師匠の知識を得られるというものだが――一気に知識が頭に流れ込んでくるあの感覚は、今思い出しても強烈だった。
「ディック殿は、良い先生に巡り逢われたのですね」
「師匠がいなかったら、俺はこうしてないからな……と、そういう話を本人のいないところでするのもな」
「う、うむ、それがいい。私もいるところで、あまりリムセリット殿を褒め称えられてもどのような顔で聞いていいのか分からぬからな」
ヴェルレーヌは幻燈晶で映し出された外の光景を見ながら控えていたが、ここぞとばかりに話に入ってくる。
「……ご主人様をめぐるライバルの足を引っ張るのは、狭量だと思われても無理はないか」
「ふふ……そのようなこと、ディック殿はきっとお考えにならないでしょう」
「何か楽しそうなお話をなさってますわね……マスターが出られる前で良かったですわ」
談笑というか何というか、話しているうちにシャロン――と、彼女に連れられたカルウェンがこちらにやってきた。
さっきまで着ていた肌が出ている部分の多い装衣ではなく、文官のような服装に変わっている。カルウェンは俺を見ると静かに会釈をした。
「この浮遊島の乗組員が着ていたものが、良い状態で残っておりましたの。私とグラスゴール殿もこれに着替えるかを検討していたところなのですが、まず彼女に着てもらうことにしました。いかがですか? マスター」
「あ、ああ。そうか、乗組員の……なるほどな」
カルウェンの服は俺たちとの戦いで損傷していたので、シャロンがそれに配慮して着替えを用意したということだろう。
首筋にある吸血の跡は、小さな紋章のような跡に変わっている。しかしシャロンが常に意志を操っているわけではないので、ただ観念したということらしい。
「シャロン、カルウェンの装備は持ってきてるか?」
「はい、こちらに。どうぞ、マスター」
カルウェンがどこから来たのか。彼女の身に着けていた外套に使われていた生地の材質を、俺はどこかで見たことがあった。
改めて見て、確信する――東方諸島の島の一つで、古来から伝わる製法で作られる布。アルベイン国内では唯一シーファストの街で、掘り出し物の店で法外な値をつけて置かれているものだ。
「まだ位置までは絞り込みきれてないが……カルウェンの本拠地は、東方諸島の周辺にある」
「……そうなのですか?」
シャロンに問われて、カルウェンは頷く――嘘をつくことはできないのだから、これで答え合わせが済んでしまう。
カルウェンは俺の『情報網』をすり抜け、王都アルヴィナスにまで入った。今後もそんなことが繰り返されないように手を打たなくてはならない。
空からか、それとも海か。他の手段を使ってくるのか。
いずれにせよ『覇者の列席』は必ず姿を現す。この飛行戦艦を動かすのも、方角を絞って警戒を固めるためだ。
「ディック殿、早速移動を始めても?」
「ああ、そうだな。俺たちは一度転移結晶で王都に戻る。予定の場所に着いたら、皆も一度戻ってきてくれ」
「かしこまりました。急を要する事態ですけれど、休養の時間を頂けるということですね。私は種族柄、一週間ほどは不眠で動けるのですが」
それは奇遇な話だ――と、寝なくても大丈夫自慢をしている場合ではない。俺はヴェルレーヌを連れて、設置したばかりの転移結晶を使い、『銀の水瓶亭』に移動した。
◆◇◆
ギルドハウス地下に転移して、一階の酒場に上がる。そこには、珍しく開店準備を手伝ってくれているアイリーンとシェリーの姿があった。
「あっ……」
「っ……」
二人とも、ウェイトレスの制服を着ている。アイリーンはスカートの丈が少し短く、半袖の動きやすそうなものを着ていて、シェリーはそれと比べると大人しめで、スカートの丈も長かった――と、見ている場合ではない。
二人は揃って、俺に頭を下げてくる。シェリーは床に膝を突くことまでした。
「……ごめんなさい。あたし、簡単に操られたりして……ディックにも、皆にも迷惑かけて……っ」
「私も……グラスゴールと戦って、傷つけた……彼女は私たちを責めなかったけど、でも……」
グラスゴールは二人に対して、わだかまりなどは残っていないように見えた。だがそれでアイリーンとシェリーが罪悪感を感じないということはない。
「二人とも、とりあえず頭を上げてくれ。グラスゴールに謝罪したなら、俺に謝る必要はない……俺の方こそ、謝らないといけないくらいだ」
ヴェルレーヌがアイリーンに顔を上げさせ、俺はシェリーに手を差し出す。彼女は迷っている様子だったが、何とか俺の手を取って立ち上がってくれた。
「今回みたいな相手は、互いに連携して対抗しないといけない。単独行動に走ったことのある俺が言うのも、説得力がないけどな」
「そ、そんなこと……ディックは、皆のことを考えてそうしただけ」
「あたしたちは、自分のミスで酷いことしちゃったから……グラスゴールさんが許してくれても、それとは別に責任は取らなきゃって……」
「じゃあ……その一環として、店を手伝ってくれてるっていうことなら。俺個人としては、それで十分なんじゃないかと思うけどな」
「ご主人様が許すのであれば、我がギルドはそれで良いのだ。ご主人様がもしあまりにあまりなことを言い出すようなら、お叱りを受けることも覚悟して諌めなくてはならないがな」
右手を胸に、左手を腰に当てて、ヴェルレーヌは誇らしげに言う――俺は自分の決定が絶対なんて思っていないし、行き過ぎたときにストップをかけてくれるのは確かに有り難い。
「……こんなことだけで、いいの?」
二人とも、その制服を着たときの自分の姿がどう見えるか分かっていないのだろう。それはそれで、俺としてはちょっと心配にもなるわけだが。
「あたいはすごく助かってるし、二人とも可愛いと思うけどね。女の子が可愛い格好してるのって、同じ女でも見てて楽しいもんだよ」
厨房から出てきたハレ姐さんが、そう言ってからからと笑う。アイリーンとシェリーは揃って頬を赤らめて照れている――後から顔を出したラムサスは、なぜか俺を見て白い歯を見せて笑っている。
俺も嬉しいだろうと思っているのなら、控えめに言ってその通りだ。二人と戦って大変な思いをしたのはグラスゴールなので、俺が喜ぶのも違うのではと思いはするが。
「……ディックも、そう思ってくれてたり……し、しないよね。あたしが普段と違う格好してたって、全然……」
「い、いや……その、普通に……じゃない。すごく似合ってる……のは間違いないが……」
「あはは、ダンナが照れてるとこ初めて見た。堅物だからなかなか見らんないのよね」
「うむ、今日の反応は……いえ。今日のマスターの反応は初々しいですね」
ハレ姐さんにもうっかり魔王モードを見せてしまったことはあるのだが、一応店主モードに切り替えるヴェルレーヌ。ハレ姐さんが細かいことを気にしない人で助かっている。
「ダンナ、夜営業は任せてくれていいよ。人手は十分足りてるからね」
「ありがとう、それじゃ甘えさせてもらう。シェリー、できればギルドマスターの皆と一度話しておきたいんだが、手伝いが一段落したら来てくれるか?」
「……分かった。声掛けはディックがしてくれるの?」
「ああ、ロッテや他の皆には伝えておく。急な召集だから、集まれる人だけ来てもらえればいい」
シェリーはこくりと頷き、アイリーンと共に店の手伝いを再開する。その働きぶりは熱心で、好感が持てる姿だ――と、見学している場合ではない。
(サクヤさん、聞こえるか)
(はい、聞こえております。お帰りなさいませ、マスター)
念話で語りかけてみると、サクヤさんのいる場所は情報部の外だった――俺たちがいない間、自分でも足を使って王都内の状況を確認していたようだ。
(今回の件について、他のマスターにも可能な範囲で伝えておきたい。どこか、集合して話すために良さそうな場所はあるか?)
(では、『藍の乙女亭』のある七番通りの会館はいかがでしょうか)
七番通りには馬車の王都中央駅があるので、マスターたちに集まってもらう上では距離的にちょうどいい。
(カスミさんの許可は取れそうか?)
(問題ありません、藍の乙女亭とは緊密に連絡を取っておりますので)
(そういうことなら大丈夫か。分かった、集合場所はそこで決まりだ。できれば九人のマスターか、ギルドの代表者を招集してほしい。時間は二時間後だが、どうしても都合が合わなければ見送りで構わないと伝えてくれ)
(かしこまりました)
サクヤさんとの念話を終える。12番通りのギルドハウスを貰った当時の意図からすると、俺が全ギルドマスターを招集するというのは想像もつかない事態だ。
「見てスフィアちゃん、ディー君ができる男の人の顔してる。でも、本当は目立ちたくないから迷ってそうだよ」
「うん……お父さん、大丈夫かな? 私がついていった方が安心かな」
二階で休んでいたらしい師匠とスフィアが、いつの間にか物陰からこちらを見ている。
「……師匠の言う通りではあるな。そうなると、俺も代役を立てるべきか」
「む……私に行けというのか。念話で話す内容について指示してもらえれば問題はないが、ご主人様でないと怪訝に思われるのではないか?」
「『俺のこと』は一部のマスターにしか知られてないからな。今日久しぶりに会うマスターの前で、グランド・ギルドマスターを引き受けたことをレオニードさんが言ってしまったりしたら、瞬く間に話が広まりかねない。それはやはり避けたい」
「……引き受けたのは事実なのだから、爪を隠すにも限度があると思うのだがな。それがご主人様のこだわりならば、あえて何も言うまい。しかし、一つ条件がある」
ヴェルレーヌが人差し指を立てて言う。師匠とスフィアも緊張しつつ見守る中で出された『条件』は、思ったよりも簡単で、それでいて思ってもみないものだった。