第170話 忠義の眷属と監獄の呪紋師
ミラルカの家からギルドハウスに戻ったあと、俺は王都の西方に停泊中の飛行戦艦に向かった。
カルウェンは俺たちに敗れて気を失い、ヴェルレーヌの黒竜に乗せられて飛行戦艦に運ばれたが、彼女が目を覚ましたら聞かなければならないことは多くある。
バニングに乗って飛行戦艦に着艦したあと、転移魔法陣で内部に入る。
そして飛行戦艦の制御室に向かう途中で、ギルドから持ち出してきた転移結晶を設置する――飛行中は霊脈と接続できないので転移ができないのだが、霊脈に隣接して飛行戦艦を停泊させれば、転移陣を通じて移動できる。
「『星の遺物』である転移結晶を個人で保有されているとは……ディック殿、こちらに設置していただいて宜しいのですか?」
「手持ちはあと二つしかないが、ここは俺たちのギルドにとって重要な拠点の一つだと考えてる。俺こそ、勝手に設置して済まない」
「ふふ……これでディック様がいつでも訪問してくださるようになりますわね。時には、お仕事以外の用件でもご一緒させていただきたいですわ」
シャロンは白い頬に手を当てて思わせぶりなことを言う。呼吸するように妖艶さを感じさせる振る舞いをするのは、魔族の貴族らしいというところか。
「彼女は私と同様、ディック殿の眷属であるというのに、主人に対する敬意が足りていないようですね……」
グラスゴールはシャロンのフランクな態度が気になったのか、少々厳しいことを言う。シャロンはそれでも揺らがず、優雅な仕草で髪をかきあげていた。
「正確には、シャロンはスフィアの眷属だけどな」
「スフィア様のお父上であるディック様には、同じくらいの敬意を抱いておりますわ」
「全く……ディック殿が来られたからといって、浮かれている場合ではない」
カルウェンによって操られてしまったアイリーン、そしてシェリーとグラスゴールは戦い、浅くはない怪我を負ったという。
師匠の回復魔法でグラスゴールは完治しているが、間接的にとはいえ自分を追い詰めたカルウェンがこの艦内にいるのだから、緊張するのは無理もない。
「カルウェン本人もSSSランクの力はあるが、一番の脅威は他人を操る『呪紋』だろう。アイリーンとシェリーを相手に、よく持ちこたえてくれた」
「……身に余る言葉です。リムセリット殿たちが来ていなければ、私は敗れ、操られていたでしょう。もし貴方がたに剣を向けていたら、自害するより他には……」
「そうはならなかったのですから、過度に自分を責める必要はありませんわ。それよりも、もっと素直に、マスターの帰還を喜ぶべきです」
シャロンとグラスゴールとの関係性はラトクリス魔王国にいたころとは変わっているが、悪い方向ではないように思う――生真面目なグラスゴールは、シャロンの言葉を否定せずに苦笑してから言った。
「……マスター、こうして再びお目にかかれたことは、私にとって望外の喜びです」
「大変なところをよく乗り切ってくれた。これからもよろしく頼む」
「グラスゴール殿ですら、一人の部下として……いえ、女性として扱ってしまうんですもの。そのあたりにいる男性とは、役者が違いますわね」
「シャロンもベアトリスや、うちのギルドの皆と連携してやっていってくれ」
「承りましたわ、ギルドマスター……いえ、グランド・ギルドマスターに就任されると伺いましたが。強者揃いのこの国のギルドを統率するなんて、王と変わらない権限をお持ちなのではないですか?」
クラウス陛下は自分が形だけの王であると言っていたが、俺はそうは思わない。
王座に座り、国を統治する資格はただ強ければいいということではない――王であることに誇りを持ち、民衆を想い、そして慕われること。それは誰にでもできることじゃない。
「……誰よりも王にふさわしいのに、マスターは自由を愛している。それはこの国の人にとって良いことなのか、難しい問題ですわね」
「ギルドを通じて関わる形が、俺にとっては一番いい。昔からそうなんだ」
「奥ゆかしいと申し上げましょうか……やはり超越した力を持つ方のお心を、俗人が理解するのは難しいということですね」
半分呆れられているようだが、グラスゴールの目はどうも輝いていて、とても直視できるものではない――単純に恥ずかしい。
「俺ほどの俗人もそうはいないと思うけどな……まあ、それはいい。カルウェンがいる区画に行きたいんだが」
「はい、こちらへ……拘置に用いる部屋が、そちらの転移陣から飛んだ先にあります」
◆◇◆
グラスゴールに言われた通りに転移する――何度か戦艦内で転移するうちに、区画の位置関係がつかめてきた。制御室のある区画が戦艦の前方にあり、医務室のあった居住区は後方に位置している。
制御室と居住区の間に位置しているのが、おそらく戦闘要員が待機するために使っていた区画で、その底部が捕虜を捕らえておくために使われていた。
俺が転移した先には、捕らえた者の魔力を封じる金属格子の牢が並んでいる。『明かり』の魔法文字を封じた青い魔石が、戦艦の余剰魔力を使ってほぼ永続的に辺りを照らしている。
牢の前にいたヴェルレーヌは、俺を見るとスカートをつまんでお辞儀をし、こちらにやってきた。あえてそんな挨拶をしたのは、少しでも俺の緊張を和らげようということだろうか。
「そろそろ来る頃合いだろうと思っていた。私の勘も捨てたものではないな」
「ああ、すまなかったな。休む間もなく仕事をさせて」
「今さら気にすることではない。私のことは、右腕と思ってくれればいいと思っているだろう」
「いや、初めて言われたような気がするが……」
「ふふっ……ご主人様の感覚では、右腕はサクヤで、左腕はゼクトなのだろうな。では、私はご主人様にとってどの位置なのかと思いもする。もちろん、専属の従者というだけでも構わぬのだがな」
胸に手を当てて言うヴェルレーヌ。こんな不遜な従者は探しても他にいないだろうが、他のギルド員とはまた全く違う立ち位置で貢献してくれているのは確かだ。
「師匠とスフィアも同行したいと言ってたが、ギルドに戻ってもらった。万一のために、ヴェルレーヌが立ち会ってくれるか」
「っ……う、うむ。カルウェンの魔法は封じているが、もしもということもある。私も立ち会わせてもらおう」
少し寂しそうな顔をしかけたヴェルレーヌだったが、俺が予想外なことを言ったということか、何か嬉しそうにする。
心境の変化があったことを言うのは機会があったらということで、今は牢の中に入り、横たわっているカルウェンを見やる。
「……カルウェン。眠ってるわけじゃないんだろう」
声をかけると、彼女はゆっくりと身体を起こした。呪符はこちらで預かってある上に、俺たちとの戦いで消耗した魔力はそのままで、少し憔悴しているようだ。
「あんたには聞きたいことがある。それを話してもらえれば、時期を見て解放しよう。人質を取りたいわけじゃないんでな」
「……甘いことを言うのですね。私のしたことを考えれば、問答の必要はないはずです」
「生きるか死ぬかのやり取りはもう終わった。ここまで連れてきて、あんたの望み通りに死なせるほど甘くはないぞ」
カルウェンは俺を見上げる――脅すわけでもないが、俺は黙ってただ見返す。
彼女は項垂れ、震えるような息をつく。ヴェルレーヌが一分の隙もなくカルウェンを見ていて、これでは不審な行動など取りようがない。
「まず、あんたが所属してる組織について教えてもらおう。『覇者の列席』というのは、一体何を目的にしてるんだ?」
北方渓谷の遺跡には、『絶大な力を持つ破壊者』の攻撃を防ぐ機構があった。それは別の時空に、あらゆる攻撃を転移させて逃がしてしまうというものだ。
カルウェンは俺とミラルカを戦わせることで、あの遺跡の力を試した。その試みが成功したことで、一体『覇者の列席』にどんな恩恵があるのか――それが、彼らの目的に直結するはずだ。
「……あの遺跡には、時間を超える失われた魔法技術が残されていた。もしその力を悪用すれば、思うように歴史を変えることもできてしまう」
ヴェルレーヌの言葉に、カルウェンは小さく首を振る。黙っていることもできるはずなのに、その意思表示は明確だった。
「私たちは世界を乱したいわけではありません。歴史を変えることなどに意味はない……この世界で最も強い者たちを集め、彼らの座る『列席』を用意したのは、人々を支配するためでも、歴史に名を刻みたいからでもない」
「覇者の列席っていうのはそのままの意味か。『覇者』……つまりは、選りすぐりの強者ってわけだな」
「なるほど……それでご主人様たちに着目したというわけか。カルウェンのような能力を持つ者を送り込んだのは、どんな敵を相手にしても崩しうる力を持つからなのだな。離間を仕掛けるには、その呪符以上の手段はない」
ヴェルレーヌの言う通り、俺たちは彼女の呪符に翻弄された――同士討ちをする事態になっても皆がそれぞれ全力を尽くしたから、難局を越えることができた。
「あんたは俺の目が届かないところで、王都の中で好きにやってみせた。その能力を見る限り、あんたも捨て駒ってわけじゃないだろう。仲間が助けに来るんじゃないのか」
「……私は末席に過ぎません。私の所在についても、この牢の中では探知することは不可能でしょう」
「そうとも限らないがな。あんたたちはどんな技術を持っててもおかしくない……それに。あんたが落ち着いてるのは、もう役目を終えたと思っているからだな」
「っ……」
急に核心を突けば身構えられず、どうしても隙が生じる。カルウェンの反応を見れば、俺の推測もあながち外れではないと分かった。
「もしくは、確実に助けが来ると思っているかだが……どのみち、あんたはもう役目を果たしたはずだ。『呪紋師』はアルベインにいない職業だし、あんたは外からやってきたんだろう。そして、外からでも俺たちの存在を知り得た……正直を言って、興味深いと思ってるよ。国の外にいながら、どうやってそこまでの情報を集めたのか」
「…………」
カルウェンは何も言わず、俯いている。俺と腹の探り合いをする気力はもう残っていないようだった。
「あの北方遺跡で知った技術を、あんたはすでに『覇者の列席』に届けたんだろう。霊脈を通じてか、『星の遺物』を使ったのか……」
「……そうだったとして、どうするのです?」
「『覇者の列席』が何をしようとしてるのかは知る必要がある。そのために必要なら、本拠地まで行く必要もあるだろうな」
「その前に、カルウェンを救出にやってくる仲間と遭遇することになるかもしれぬな」
ヴェルレーヌの瞳には明確な戦意がある――彼女が血を沸き立たせるような強者が訪れることは、SSSランク相当のカルウェンが末席を名乗ることからして想像に難くない。
「……あなたたちの力量は、すでに『列席の眼』の知るところとなっています。おそらく、訪れるのは列席の最上位の方々でしょう」
「誰が来るにしても、負けるつもりはない。『列席』の目的をあんたが話せないのなら、まだ解放はしない。だがこうして牢に入れておくだけで時間を過ごさせるのも勿体ないからな……一つ、制約をかけさせてもらう」
後から来るように言っておいたシャロンが、俺の影から姿を現す――『夜を這う者』とはよく言ったものだ。
「私はスフィア・シルバー様の眷属、シャロンと言う者です。ディック様の命により、あなたには『血の誓約』を結んでいただきますわね」
カルウェンが俺を見やる――俺はヴェルレーヌを伴って牢を出る前に、振り返って言った。
「しばらくはこの飛行戦艦で、グラスゴールとシャロンの下についてもらう。『血の誓約』を解くかどうかは、あんた次第だ」
「……っ……」
シャロンが音もなくカルウェンの後ろに周り、褐色の首筋に牙を立てる。
向こうが仲間を操ったからと意趣返しをしているようだが、罰は罰として必要なことだろう。
牢を出て少し歩いたところで、ヴェルレーヌが声をかけてくる。
「カルウェンは自分から十分な情報を話したとは言えぬからな。牢に入れておくだけなら、私もご主人様を諌めたところだ」
「『血の誓約』を結んでもらえば、動けるだけの魔力は供与してやれるからな」
「……直接ご主人さまが魔力を供与するというのは、やはり特別なことなのだな。ベアトリスもそうだが、私も……その、癖になってしまうほどの……」
「そ、そうなのか……? ベアトリスは実体化を維持するためだからわかるが……」
少し後ろを歩いていたヴェルレーヌは、足を速めて俺に追いつくと――大胆に腕を取って寄り添ってきた。
「こういった時間も、私にとっては大事な時間だ。ご主人さまはつれないからな、私もささやかなことに喜びを感じるようになってしまった」
「のびのびとしてるように見えるけどな……ヴェルレーヌ、転移するまでだぞ」
牽制したつもりが、ますます腕を取る力が強くなる。艦内の状況を把握できるグラスゴールにはどう見えているだろう――何をいちゃついているのかと訝しまれそうだ。
「ご主人様の許可が得られて嬉しい。これからも、忘れずに飴を与えて欲しいものだ」
「俺にはヴェルレーヌが喜ぶことが分からないんでな……ヒントくらいはくれるか」
「ふふ……ご主人様がしてくれることなら何でも喜ぶと言いたいところだが。そういったことに関心を向けてくれるなら、しっかり要望を考えておこう」
カルウェンとの戦いにおいても貢献してくれたヴェルレーヌに何か礼ができないかと思ったが、それは他の皆に対しても同じで、考えるべきことは山とある。
しかし『覇者の列席』は、あまり長く時間を与えてくれそうにはない。カルウェンを取り戻すためにやってくるのは、どんな連中なのか――SSSランク以上であることはまず間違いないと見ていいだろう。
「さんざんかき乱してくれた代償は、『覇者の列席』に払ってもらわなければな」
俺の考えは言葉にしなくても伝わっている。
『クヴァリス』との戦いが『覇者の列席』が干渉してくるきっかけになったとしたら、彼らを放置すれば、『列席の眼』の監視は常に俺たちに向けられることになる。
「こっちだけが見つけられた状態っていうのは、面白くない。俺の信条に反するからな」
こちらからも『覇者の列席』を見つけ、彼らの目的を把握する。
またアルベインを出て遠征することになるかもしれないが、必要ならば仕方ないことだ。王都に腰を落ち着けるのは、もう少し先になるだろう。
その前に、一度他のギルドマスターたちと話しておきたい――『覇者の列席』に目を向けるだけでなく、ギルドの本分を果たすことも忘れてはならないところだ。