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第169話 イーリス邸と見守る母娘

 カルウェンは『呪紋』を使えないように、師匠によって魔力の封印を施された。『呪紋』は魔力を呪符に込めて発動させるもので、アルベインにとってはほとんど知られていない魔法技術ということになる。


 俺たちは北方渓谷の遺跡から王都アルヴィナスに帰還し、ミラルカは一度フランと共に家まで戻った。


 ミラルカの家の近くにある原っぱにバニングを降ろす。俺も降りて屋敷の前までついていく――心配性が過ぎると自分でも思うが、あんなことがあったばかりではやはり気がかりだった。


「あなたが『銀の水瓶亭』のマスターにして、魔王討伐隊の勇者の一人……ディック・シルバー様。ミラルカお嬢様から、常々お話は聞いておりました」

「っ……そ、そんなに話してはいないと思うのだけど……ディック、あなたが目立ちたくないと言いながら色々と厄介事を引き受けているとか、そういう話をしただけよ」


 フラン――いや、年上なのでフランさんと呼ぶべきだろう――彼女は亜麻色の髪を三つ編みにしていて、侍女としての装いに身を包んでいる。


 ヴェルレーヌの服とはまた形が違い、フランさんの方が貞淑な装いだというと、ヴェルレーヌに申し訳ないか――と思っていると、ミラルカに付き添われていたフランさんが俺の方に歩いてくる。


(って……距離感が近すぎないか……?)


 ずい、と俺よりは少し小柄なフランさんが、目を細めて俺を見上げる。それで俺はようやく理解する――彼女は俺のことが良く見えていなくてここまで近づいたのだと。


「……お嬢様は、身だしなみにもっと気を使えばいいのにと仰っておられましたが。それは照れ隠しなのだと、こうして見てわかりました」

「フ、フラン……あなた、私のお姉さんみたいなことを……」

「昔の私は僭越ながら、まだお小さいミラルカお嬢様をお守りしなくてはと思っておりました。しかしミラルカ様は私の想像など及ぶべくもなく、健やかに成長されて、私の方が守っていただいた……これも全て、ディック様がお嬢様のことを、陰日向もなく支えていただいたからだと思っております」


 ミラルカは照れているのか何なのか、顔を真っ赤にして口をぱくぱくと動かしているが、声になっていない。俺も照れるものがあるが、フランさんの感謝は素直に受け取るべきもので、誤魔化すような返事はするべきではない。


「俺の方がミラルカに助けてもらうことは多いです。俺は一芸に秀でた人間ではないですから」

「……あなたって人は、本当に……」


 耐えかねたようにミラルカが口をはさもうとするが、途中でフランさんがミラルカを見やると、何も言えなくなってしまったようだった。


 フランさんは一歩引いて微笑む――そして顔の横に手をやる。その仕草で気づいたが、彼女はいつも眼鏡をかけているようだ。前に会ったときもつけていなかったので、修理にでも出しているのだろうか。


「ミラルカお嬢様のこと、改めてこれからもよろしくお願いいたします」

「俺の方こそ、ミラルカには世話になります。フランさんも、少し消耗があると思いますから、一度うちのギルドで体調を診させてください。腕のいい医術師がいます」


 腕のいい医術師というのは師匠のことだが、現在知られているほとんどの疾病について師匠は治療方法の知識があり、魔法を初めとしたアプローチで治すことができる。フランさんの場合は『呪紋』の媒介とされたことで魔力を消耗しているが、これも簡単に治せるだろう。


 師匠から回復魔法を教わった俺なら、魔力の補給くらいは可能ではあるが。ベアトリスの実体化を維持するための魔力供給においても、暗黙の了解であるのだが、魔力の交換には身体を触れ合わせる必要がある――離れて魔力を供給するとどうしても減衰が生じて、近くの魔力場を乱してしまうことに繋がるのだ。そうすると、せっかく王都に張り巡らせた魔力による情報網(ネットワーク)が不調になってしまう。


「……これはお嬢様からはお聞きしておりませんでしたが。ディック様は、とても奥ゆかしい方のようですね」


 俺のどこを見てそう思ったのか。今悩んでいる様子を見て、俺が気を遣っていると察したのか――こんなときは冒険者強度には関係なく、年上の女性には勝てないと思わされる。


「では……私はお屋敷に戻らせていただきます。お嬢様、また後ほどということでよろしいですか?」

「ええ……ありがとう、フラン。あなたが無事でいてくれたこと、本当に良かったと……」


 ミラルカが言い終える前に、フランさんはミラルカを抱きしめる。


 しばらくそうしたあと、フランさんはそっと離れて、こぼれた涙を拭った。目を潤ませて笑い合う二人を見ていて、俺もさすがに心を動かされる。


 ミラルカはフランさんに先に屋敷に入るように促したあと、俺を見やると、まるで泣いてなどいないというように胸を張ってみせた。


「カルウェンに一度は遅れを取ってしまったけれど、もうあんなことにはならないわ。時間まで超えて、何も成長しなかったなんてことは無いつもりよ」

「ああ……俺はさして変わってないが、ミラルカは過去に行って……ん?」


 話している途中で気がつく――ミラルカの耳にピアスがついている。


「いつの間にか戻っていたのよ。過去の私にピアスを渡したのだから、今の私にも繋がる……ということになるのかしら。時間に関わる魔法は、まだ研究が不足しているわね」


 過去と今は繋がっている。現在のミラルカが過去のミラルカに届けたピアスは、『ここにあるべきもの』なのだ。


「どういう原理か分からないが、とにかくピアスは修復された状態でここにある。だが、今のミラルカはピアスに頼る必要はないみたいだな」

「ええ。あなたと戦ったからかしら……操られて戦いを挑んだことは、謝らなくてはいけないけど……」


 強い相手と戦わなければ、俺たちは強くなれない。仲間同士で手加減なしの全力というのは難しいが、俺はコーディやアイリーンとの鍛錬では、それくらいの気持ちでいた。二人もそれは同じだっただろう。


 ミラルカが俺たちを『羨ましい』と思っていたのは、自分も強くなりたいと思っていたからだ。彼女の破壊魔法を成長させられる魔法の使い手は、SSSランクであることを前提すると数えるほどしかいない。


「俺は魔法を戦いに組み込むが、ミラルカと同等のことはできない。『魔法使い』とは根本的に違う、補助的な魔法の使い手だからな」

「……でも、あなただけが私の魔法を模倣できる。だから、私は……」

「そうだな……それが悩ましいところだが。ミラルカの魔法をより強くすること、戦闘の勘を維持するための方法について考えさせてもらえるか。本気で戦わないと強くなれないからって、どちらかがダメージを負うのは避けたい」


 ミラルカが見せた『無の破壊』は、研ぎ澄まされた攻撃手段だ。その威力を相殺するために、持てる限りの力を使った。


 しかし気を抜けば命を落とすような戦いは、仲間同士ですべきでない。至極当然で、今後はそうならないように立ち回るべきだ。


「……あなたは私を本気で攻撃しようとは、一度もしなかった。それはあなたの力がなければ決してできないことだけれど、あの戦いの中でも気づいていたわ。格好をつけているんじゃなくて、それが『ディック・シルバー』だということね」

「そんなことはない、本気だったさ。ただ……」

「ただ……?」


 それを言ってしまうと、戦いの中でそんなことを考えていたのかと言われるかもしれない。しかし、今日のミラルカは引くつもりはないようだった。


「……あまり大事なことをはぐらかすと、殲滅するわよ」

「わ、分かった。端的に言うとだな……ミラルカの肌に傷をつけるようなことはしたくなかった。そういうことを考えていたから本気じゃなかったとか、そうは捉えないでもらいたいんだが……」


 真剣な考えとして伝えているので、何も恥ずかしく思う必要などない。分かってはいても、ミラルカと目を合わせられなくなる。


 恐る恐る様子を見やると、ミラルカは特に怒ったりする様子はない。微笑んでいるが、その笑顔をどういうニュアンスで受け取っていいのか――優しい表情のようには思う。


「……それがあなたの本気なら、向き合ってくれてありがとうと言わなくてはいけないわね。本当にあなたは、強敵なんてものじゃなかったわ。世界の敵ね」

「どういう意味だ……それじゃ、俺が魔王か何かみたいなんだが」

「ふふ……だって、あなたがどれくらい強いのか、表現する言葉が思い当たらないんだもの」

「褒め殺しに感じるんだが……まあ、ミラルカにそう言って貰えるのは光栄……」


 話しているうちに何か視線を感じ、振り返ってみると――イーリス邸の庭に面した部屋の窓際に、フランさんが立っていた。口元に手を当てて上品に微笑みつつ、こちらを見ている。


「さすがミラルカと付き合いが長いだけはあるな……一筋縄ではいかなそうな人だ」

「ええ、あなたが彼女の素性を知ったらギルドに欲しい人材だと思うでしょうね。カルウェンは相手が悪かったけど、体術では私より上なのよ」

「そうか……またお邪魔したときに、その辺りの話は聞かせてもらうか」


 カルウェンを倒したことで『覇者の列席』がどう動くか――このまま俺たちのことを放っておいてもらえるというのは、楽観的すぎる考えだ。


 今度はこちらから打って出るか、迎え撃つのか。どちらにしても、相手の好きにさせるつもりはない。


「じゃあ……皆によろしく伝えておいて。心配をかけたことへの謝罪は、改めて自分でするわ」

「ああ、そうするといい。今日は身体を休めてくれ」


 ミラルカは頷き、屋敷に入っていく。その後ろ姿を見送ったところで、バニングとともに少し離れた場所で待っていたはずの師匠とスフィアが、すぐ近くまで歩いてきていた。


「ディー君、ミラルカちゃんと一緒に魔法の修行をするの? 私も協力しようか」

「必要になったらと言いたいところだが、いずれやりたいとは思ってる。いっそ、希望者を募って合宿でもした方がいいかもな」

「お父さんと一緒なら、私も行きたいな。剣も魔法も、もっとお父さんに教えて欲しいから」


 スフィアが俺の腕を取る――今回も、彼女には随分と助けてもらった。


「王都で待っててくれてたみんなはどうする? ベアトリスちゃんのお屋敷に集まってもらおうか、グラスゴール君は療養中だけど」

「俺でもアイリーンとシェリーを相手にするのは厳しいからな……無事で良かったというにはダメージが大きそうだから、しっかり休んで治してもらうか」

「ディー君が治してあげる? その方が色々と理解も深まりそうだけど」

「回復魔法を使うこと自体はやぶさかじゃないんだが、師匠の方が上手いからな……ま、待ってくれ、その目は……」


 師匠のこの笑顔は――昔もそうだったが、彼女の気まぐれが発動するときの前触れだ。


 そして俺は、未だに条件反射が抜けていない。師匠が俺に近づいて、正面から首の後ろに手を回してくる――そして引き寄せられ、胸に顔を埋められた。普通なら抜けられそうなものを、全く抵抗できずに捕まえられてしまう。


「……私がこんなこと言っちゃいけないのに、我慢できなくなっちゃった。ディー君、大きくなってますます真面目さんになっちゃったね」

「ま、真面目というか……師匠、娘の前でそれは……って……」


 スフィアも後ろから抱きついてきて、母娘に挟まれる形となる。ミラルカの家の前で何をしているのか――と思わなくもないが、こうなってしまうと如何ともしがたい。


「リムお母さん、お父さんって可愛いの?」

「うん、すっごく可愛い。こんなに強くて可愛い男の子は他にいないくらい。ヴェルちゃんもそう言ってたから」


(あ、あいつ……俺が思う以上に、師匠ととんでもない話をしてるんじゃ……)


 一応同じ屋根の下で暮らしているはずなのだが、私的な会話には干渉しないようにしているので、俺にも知らないことは多い――と、考えている場合ではない。


 いつも戦闘時に身につける革鎧ではなく、魔法耐性加工を施した布製の服を着ているので、感触がはっきりと伝わる。


 俺が師匠を女性として見ることはないと、師匠は決めつけるようにそう言っていたが、これで意識するなというのは無理がある。彼女が素直に振る舞うことを自分に許せたのなら、それを弟子として嬉しく思うが、あまり強く意識させられるとそれはそれで困るものがある。


「し、師匠。だから俺は、もうそんな扱いをされる歳じゃ……」

「うん……だから、分かってるんだけど、我慢できなくなっちゃった。ディー君、ミラルカちゃんとは少し進展したみたいだけど、この次にはまた時間がかかりそうだね」

「お父さん、ミラルカお母さんと二人だったから仲良くなったの? 良いことがあったなら教えて?」


 スフィアの無邪気な質問に、俺はなるべく近いうちに、正直に答えなくてはならないだろう。そうしたときに、皆がどんな反応をするのか――なるようにしかならないが、嘘はつけない。


「何か覚悟が決まったって顔してる。そういう顔をされると、今度はいじめたくなっちゃうんだけど……」

「お父さん、リムお母さんにいじめられちゃうの? それなら私がお父さんの味方をしなきゃ」

「あ、ありがとう……って、師匠のそれは、そういうことでもないんだがな……」

「それなら、私は見てた方がいいのかな。お父さんとお母さんで解決しなきゃいけないこともあるんだよね」


 俺の娘は驚くほど達観している――まさにスフィアの言う通りでぐうの音も出ない。


 それにしても、師匠は自分をずっと戒めているようだったのに、何か心境の変化があったのだろうか。それは気になるが、今のところは明るい表情を見せてくれるだけでも、十分に良い傾向だと思った。

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