第167話 渓谷の遺跡と幸運の天秤
「こんなところが、洞窟の奥に……弟くんったら、私の知らないところでこんな冒険をしてるなんて……っ」
セレーネちゃんは私の強化魔法で足を速くしているけど、それでもすごく頑張ってついてきてくれてる。スフィアちゃんも風みたいに走るのが速くて、私たちを先導してくれていた。
「この先に、広い部屋があるみたい……でも……」
「気をつけて、スフィアちゃん……っ!」
ディー君とミラルカちゃんをここに連れてきた人が、近くにいる。気配は感じている――姿を見せたら、逃さない。
辿り着いた部屋の中は――崩壊の危険があるくらい、広い部屋全体の壁や床が壊れて、瓦礫だらけになっていた。
簡単には壊せそうにない、魔法をある程度防ぐことができる石材でできた壁や床が、抉り取られるようにして深く削れている。それでも、この部屋の壁に刻まれている魔法文字は、まだその力を完全に失ってはいなかった。
「リムお母さん、この文字……」
「……この部屋自体が、魔道具として作られたものみたい。ううん……この大きさだと、魔法兵器って言ったほうがいいのかな」
「兵器……この部屋が、武器か何かだっていうこと? とてもそんなふうには見えないけど……凄いのね」
セレーネちゃんは常識にとらわれずに、私の言葉に耳を傾けてくれる。
この部屋は、ミラルカちゃんとディー君の戦いで壊されている。それで二人がいない理由は、魔法文字の内容を解読することで分かった。
「……『時空間防御』。どんなに強い攻撃でも、今とは違う時間にその力を飛ばしてしまえばいい。この部屋自体が、その技術を実現するものとして作られてる」
『そう……あなたと同じ、世界の理に限りなく近づいた存在が作ったもの』
「誰……っ!?」
セレーネちゃんが弓を構える――部屋に声は響いてくるけど、場所までは掴めない。
相手は、ディー君とミラルカちゃんを戦わせて、自分は安全な場所で見ていた。けれどもう、全てが思い通りに行っていないことは気づいてない。
「あなたたちは……『星の遺物』を手に入れるために、ディー君たちを利用しようとしたの?」
『それも目的の一つです。ディック・シルバーやあなたたちの力は、浮遊島を退けるほどのもの……それも、過去に存在する浮遊島の中でも強力な『クヴァリス』をです。あなたがたと目的を違えたときに衝突するよりは、勧誘をさせていただければと思いました』
「そんなこと……あなたたちの、一方的な押し付けです! ディックお父さんとミラルカお母さんを返してくださいっ……!」
スフィアちゃんの声は、相手の心には響いてない。私には分かる――彼女が笑っていることが。
『結果的に、お二人にご同行いただくことは叶いませんでしたが……この遺跡に残された『星の遺物』について、その力を検証することができました。ディック・シルバーとミラルカ・イーリスは現在、私が知りうる限りでは、この地上から姿を消しています』
「……そんな……弟くんたちをどうしたっていうの!?」
「ディー君とミラルカちゃんの力がぶつかりあって、大きな力が生まれた。それに対して、この部屋の時空間防御が働いた……二人はきっと、別の時間に飛ばされてる」
ディー君とミラルカちゃんを転移させた方法を使って、別の場所に二人を転移させた――その可能性は考えられない。
この部屋の中で使った魔法は、外に影響を与えないように作られている。それでも、おそらくミラルカちゃんが使った破壊魔法は、内側からこの部屋を破ってしまうくらいの威力で、魔力震が外に伝わった。
けれどこの部屋から外に転移するようなことはできない。遺跡迷宮には『転移封印』が施されている階層があるから、それと同じ要領だと思う。
『惜しむべきことですが、お二人……特にディック・シルバーは、私の力でこちらに引き入れるには手に余る存在でした。彼は『覇者の列席』にとって脅威となる可能性があります。その思想が、力ある者の義務を否定するものであるからです』
「お父さんは、あなたたちが悪いことをしようとしているなら、絶対協力なんてしません!」
『私たちが悪であるかは、お話しした上でご判断いただきたいものですが……こうして敵対している以上は、ここで尽くす言葉にどれほどの意味もないでしょう』
相手はまだ、自分の方が有利だと思ってる。それは『時空間防御』の過程で、他の時間に飛ばされたディー君たちを連れ戻すことはできないと思ってるから。
私のことを『遺された民』と分かっていて、それでも無理だと思ってるのなら――私たちにとって、それが大きなチャンスになる。
――魔法術式・補完解析――
この部屋全体の石や壁には、魔道具を作るときと同じように、魔法の術式が書き込まれている。それは一見すると、ただの模様のようにしか見えない。
私はその術式を解析して、壊れてしまった部分を補完して、全体像を頭の中で蘇らせた。それくらいのことは、魔道具を作ることに慣れていれば難しくない。
術式がいくらか欠けても、『時空間防御』が発動するようになっている。それは一部を破壊されただけで使えなくなってしまったら、実際の戦闘で効果を発揮できずに終わる可能性があるから。
『時空間防御』を発動させるには、必ずしもこの部屋を元通りの形に戻さなくてもいい。元々想定されていた術式を再現することができればいい――私は自分の魔力を魔法文字に変えて、失われた部分の術式を補うことができる。
(もう少し……あと少しだけ、時間を稼げたら……)
気付かれないように、私は術式の修復を続ける――それはスフィアちゃんに念話で伝えていて、彼女が相手の気を引きつけようと頑張ってくれてる。
「どうすれば、お父さんとミラルカお母さんに帰ってきてもらえるんですか……?」
『ディックとミラルカが飛ばされた時間と場所を把握することができなければ、それこそ運次第としか言いようがありません。この部屋の目的は、決まった時間に何かを送り込むことではないのですから』
悔しいくらい、相手はこの部屋のことを理解してる――その欠点も。
でも、ディー君とミラルカちゃんが時空間転移をしたときの状況を、相手が完全に再現することができてないとも分かった。
破壊された術式を頭の中で再生する過程で、私はディー君たちが転移した時の状況を九割九分理解することができた。
ディー君とミラルカちゃんが全力で戦ったことで時空間転移が発動した――でも、術式を変えれば、私とスフィアちゃん、セレーネちゃんの魔力も借りれば、『時空間転移』は起こせると分かった。『防御』じゃなくて『転移』を起こすことだけを優先すればいい。
けれど最後の最後は、どうしても賭けになってしまう。私たちがここで時空間転移を発動させても、向こう側にディー君たちがいてくれなかったら――二人をここに連れ戻せるかわからない。
ディー君とミラルカちゃんがいる時間と、この時間を繋げられるタイミングは、本当に一瞬しかないと思う。そんな奇跡を起こさないと、二人は戻ってこない。
「……今、運次第って言ったわね?」
「……セレーネちゃん?」
この状況を飲み込むだけで、セレーネちゃんには酷かもしれないと思ってた――でも、そんなのは私の思いこみだった。
「私はここまで、ずーーっと賭けに負け続けているの」
セレーネちゃんには『不運の女神』という、賭け事でよく負けることからついた異名がある。
でも普通に負けるくらいだったら、そんな大袈裟な名前で呼ばれたりしない。
運を比べる勝負で信じられないくらいに続けて負けて、負け続けて――そうすることができるのも、彼女の才能で。
そして『不運の女神』というのは、賭場のいいお客さんだからというだけじゃない。
負けに負けても、彼女は必ずいつかは勝負に勝つ。そんな彼女が、ここに来るまでの間はずっと負け続けていた。
「幸運っていうのはね……いつも運の廻りがよくない人に、いずれは回ってくるものなのよ。私は負けた分だけ溜まった運を、弟君のために使うわ。全額勝負でね……!」
『……因果が賭け事の戦績で変わるなど。希望的な戯言にすぎません』
全然相手にされてないみたいだけど、セレーネちゃんは全然揺らいでない。私だって――私は、世界に色んな人がいて、色んな巡り合わせがあるんだってことを見てきたから。
「そんなことない。私だって、セレーネちゃんを信じる」
「っ……私も信じます! 絶対絶対、ふたりは帰ってきますっ……!」
「――いくよ、スフィアちゃん! セレーネちゃんの運を、全部私たちに預けて!」
この賭けに、相手は私たちが負けると思ってる。だから、したいようにさせてくれてる――もう一度『星の遺物』を発動させて、結果を見たいのかもしれない。
(そうやって高いところから見ていればいい……全部、ひっくり返してあげる……!)
「――ディー君とミラルカちゃんに届いて!」
「「帰ってきて、二人とも!」」
空間が揺らぐ――私の身体、セレーネちゃんの身体、そしてスフィアちゃんの身体に、欠損した術式を補うための魔法文字が浮かび上がる。
『破損した星の遺物の術式を、独力で魔法文字を生成して補う……これが『遺された民』の力……!』
「あなたなんかに褒められなくていい……私は、大切な人のためだけに……っ!」
この感覚を、きっとディー君たちも味わったはず。時間転移が行われるとき、過去の時間と今の時間が繋がって、別の場所に飛ばされるような感覚を味わう。
「……私が、お父さんたちを連れてきます。この時間の流れに飛び込んで……!」
「――スフィアちゃん、今っ……!」
セレーネちゃんが声を上げた途端に、私は引き寄せられるみたいに、ここから開く時間の流れの行き先を決めた。
そこに、ディー君とミラルカちゃんがいる。精霊体になったスフィアちゃんが、時間の流れに飛び込んで迎えに行く。
『二人とも……私の手を握って。こっちに来て……っ!!』
――辺りを、眩い光が包み込む。
白く染め上げられた世界の中で、私は感じ取る。懐かしい二人の気配、そして鼓動を。
「……弟くん……ミラルカちゃん……?」
セレーネちゃんの声がする。もう一度実体化したスフィアちゃんの、両手をそれぞれ握っていたのは。
いつもの黒いコートを着た、黒髪の男の子と。
青いドレスを着た、息が止まるほどに綺麗な、金色の髪の女の子だった。