第166話 救出作戦と空を覆う呪符
その遺跡迷宮を、ディー君たちが騎竜戦のときに見つけたということは聞かせてもらっていた。
彼がそこに転移したと分かったのは、強力な魔法を使ったときに出る『魔力震』を、飛行戦艦で感知したからだった。
コーディ君は王都を守るために残ると言ってくれたので、私たちがディー君とミラルカちゃんたちを救出するために行動することになった。
ヴェルちゃん、スフィアちゃんも一緒に来てくれている。グラスゴール君の治療にはシャロンちゃんが当たっていて、『鬼神化』をしたアイリーンちゃんはしばらく安静にしていないといけないので、ユマちゃんが魂を鎮めてくれていた。
戦艦の操縦方法はすぐに理解できたので、私は自分の魔法で戦艦の『隠密結界』を起動させて、魔力震が起こった北の方向に向かった。そしてほどなく、渓谷の途中に大きな岩窟を見つけて、その奥が震源だと悟った。
「ここからはバニングに乗り、洞窟の中に入るか」
「ヴェルお母さん、リムお母さん、私もついていっていいよね?」
「スフィアちゃんは……お留守番の方がお母さんは安心だけど、スフィアちゃんはもう私たちと同じくらい強くなっちゃったからね。うん、行こっか」
「お母さん……っ、ありがとう、大好き!」
スフィアちゃんは感極まって、私に抱きついてこようとして――途中でやめてしまう。ディー君を助けてからにしなきゃ、って思ってるみたい。
私たちが気をつけないといけないのは、敵に操られてしまうこと。
ディー君は大丈夫だと思うけど、もし操られてしまってたら――ディー君とミラルカちゃんの二人と全力で戦ったら、双方無事ではいられないと思う。ディー君はでたらめに強いから、私たちが一方的にやられちゃうかもしれない。
「……リムセリット殿?」
「あ……う、ううん、ごめんなさい。それはありえないと思うんだけど、ディー君と戦うことになったら、私めちゃくちゃにされちゃうんじゃないかなって。ほら、前に戦ったときは全然かなわなかったし」
「そ、それは……私もとても勝てる気はしないし、簡単に組み伏せられてしまいかねないのだが。我らがご主人様が簡単に操られるようなことは……」
「……あ、あのね。もっと早く言わなきゃいけなかったんだけど、お父さんとお母さんは、どこかに行っちゃったかもしれないの」
――スフィアちゃんは、ディー君と私達と魔力で結びついている。そのスフィアちゃんが言うのなら、ディー君とミラルカちゃんが遺跡迷宮から消えてしまったということになる。
そんなこと、絶対許さない。私のディー君を傷つける人は決して生かしておかない。私の全存在をかけても、こなごなにしないといけない。
「やっぱりね……こんなことになっていると思ったのよ」
「っ……セ、セレーネ殿? どうやってこの戦艦に……?」
ここに連れてきていたわけじゃないのに、セレーネちゃんがいつの間にか船の中に入ってきていた。彼女もSランク相当の冒険者なので、ここまで来る事自体は無理じゃないと思うんだけど、いつ入ってきたのか全然気が付かなかった。
「サクヤさんから聞いて、弟くんが大変かもしれないっていうから、私も人肌脱がなきゃと思って。この浮き島……? にみんなが行こうとしてたから、こっそりついてきたのよ」
セレーネちゃんは『魔法射手』でとても強い子だけど、精霊魔法と弓の腕、踊り子の経験で鍛えた身のこなしだけでなく、一つ本人も自覚しきっていない武器を持っている。
「私も弟くんに借りがあるから、それを返すのは今だと思うの。ギルドマスターを引き継いでもらってから恩ができるばかりで、もう彼の奴隷になっても返せないくらいなのよね……」
「引き継いだというか、セレーネ殿は借金問題でギルドマスターを退いたと聞いたが……」
「あっ、だめ、そういう過去のしがらみは忘れるほうなの。恩はちゃんと返すわ、踏み倒したりしないし、肩代わりだってしてもらわないし」
ディー君はセレーネちゃんに仕事を手伝ってもらって、彼女の借りたお金を返すために報酬を多めにしたことがあると言っていた。ディー君は優しいし、セレーネちゃんもディー君を利用しようとかそういう気持ちはないから、それはいいと思う。
セレーネちゃんはいい子だけど、自分のことをディー君のお姉ちゃんみたいに思っているっていうのが、ちょっと違うんじゃないかな? って思ったりもする。だって私だってお姉ちゃんなんて思ったことないから。お師匠様とお姉ちゃんだと、お姉ちゃんの方が距離感が近くて羨ましいとか、そんなこと全然思ってない。ときどきギルドに来るだけのセレーネちゃんがお姉ちゃんなら、私はお母さんになりたいくらいだけど、そんなこと言ったらディー君に呆れられちゃう。
「な、何だかぞくぞくってしたんだけど……リムセリットさん、やっぱり足手まといっていうことなら、私はここで留守番しているわ」
「あ……う、ううん。セレーネちゃん、私達が前に出るから、後ろから援護してくれる? 戦うことになるかはわからないけど、相手は魔法で人を操る力を持ってる……それが成功すると、すごく不利になっちゃうから」
「え、ええ……分かったわ。三人共私よりランクが高いっていうのは聞いているから、本当に足を引っ張るだけになってしまいそうだけど、空気になることくらいはできるから」
危険ではあるけど、私はセレーネちゃんの持っている、彼女も自覚しきっていない力に期待していた。場合によって、それは他の人に真似ができないことを可能にするから。
「うん、ついてきて。でも無理はしちゃだめだよ、セレーネちゃん」
「ええ……その、リムセリットさんよりも私の方が年上みたいに感じるのだけど、何か妹みたいな扱いをされているみたいで新鮮というか……ごめんなさいね、こんなときに緊張感のないことを言って」
私がもうどれくらい長く生きてるのか分からないって言ったら、セレーネちゃんはびっくりすると思うから、それは言わないでおこうと思った。でも年上なのは間違いないから、それ自体はやんわり伝えておかなきゃいけない。
セレーネちゃんより年下に見えるようだと私は二十歳前後に見えることになるけど、それならディー君よりちょっとお姉さんっていうことでいいかもしれない。ヴェルちゃんも『ご主人様』って言っているけど、ディー君を時には年下の男の子として愛でたいとか、そういうのが本音としてあるみたいだった。
年上でも年下でも関係なく、ディー君を見るとみんな放っておけないみたいで、話したいとか、一緒に何かしたいとか、そんなふうになっちゃう。
もしかしたら、今回のこともそういうことなのかもしれない。私たちにとっては受け入れるわけにはいかないことだけど、ディー君の力が誰かの目に止まって、欲しいと思われたっていうことは十分考えられる。
「私はこう見えても長く生きてるから、セレーネちゃんも妹とか娘みたいに見えちゃうの」
「そ、そうなのね……そうすると、私もリムセリットお姉さんって呼ぶべきなのかしら」
「何か、ご主人様を狙っているからというように聞こえるが……お義姉さんとは、色々と気が早いのではないか」
「あはは……お父さんが聞いたら困っちゃいそう。早くみんなで一緒に帰りたいな……」
スフィアちゃんが少し寂しそうにするけど、その目には強い決意が宿っている。ディー君から受け継いだ、大切なものを守ろうとするときに見せる瞳。
「シャロンちゃん、聞こえる? 今から私たち、バニング君に乗って出ていくから。『隠密結界』はしばらく維持できるから、この辺りで待っててね」
『かしこまりました、リムセリット様。どうか、我らの主を……そしてミラルカ様をお守りください』
シャロンちゃんの声が、念話を利用して制御室にいる私たちに届く。私たちは頷きあって、制御室を出てバニング君のもとに急いだ。
◆◇◆
バニング君の背中に載せてもらって、飛行戦艦から飛び立つ。天気は晴れているけど、空気は少し冷たくて、バニング君の周りに風を防ぐ結界を張る。
「……静かすぎる。敵が私たちの接近に気が付かないということは考えにくい」
ヴェルちゃんが呟く。私もそう思って、『視力強化』を使って警戒しようとする――そして。
「ヴェルちゃんは、自分でも飛べるんだよね。お願いしても大丈夫?」
「うむ……バニングに全員搭乗して狙われるのは避けなければならないか」
「ううん、それだけじゃない。やっぱり、相手は『そういう手』を使ってきたから」
視力強化で見えたものは、少し距離をおいた空中に浮かんでいる小さな人影。
サクヤちゃんが、王都からいなくなっていると言ってたミラルカちゃんの家の従者――名前はフランさん。容姿や服装から、私はその人だと判断した。
「異界の空より来たりて、我が翼となれ――『翼を持つ者』」
ヴェルちゃんが大きな鳥のような固有精霊を召喚して、その力で空中に浮き上がる。そうしておいた理由はひとつ――戦うことと、フランさんを助けることを両立するのは難しいから、二手に分かれておいた方がいい。
「ヴェルちゃん、あの人は攻撃しちゃだめだよ……きっと、ミラルカちゃんが守ろうとした人だから……!」
「――リムお母さん、何か感じる……あの人から、何かくるよっ……!」
スフィアちゃんが警告する――私もぎりぎりで感じ取ることができた。
この空一帯に、渓谷に向かう私たちを阻むように張り巡らされている罠。空中に、見えないように隠蔽されていた無数の紙片が現れる。
あれは――呪符。魔法文字の一種が描かれていて、永続的に使える魔道具とは違って一度しか機能を果たさないけれど、魔法の力を発揮できる。
そこに描かれているのは、おそらくディー君が見つけた『隷属の首輪』に連動する力。フランさんはその力で操られていて、その呪縛を『伝染』させる役割をしている――彼女が、敵が罠を仕掛けるために利用されてしまっている。
「エルセイン十二世魔王、ヴェルレーヌ様。『忘却の五人目』の師であり、初代グランド・ギルドマスター……あなたがたを、我ら『覇者の列席』に迎え入れる準備がございます」
フランさんの声が、直接頭の中に響いてくる。でも私には、見えているフランさんの身体から、見る間に力が失われていくのが見えていた。
「……人質を使って罠を張るなんて。それでディー君とミラルカちゃんまでいなくなっちゃって……探し出すからいいけど、やっぱりこんなことをした人は絶対許さない」
「っ……リ、リムセリットお姉さん……?」
セレーネちゃんが戸惑ってるのがわかる。ディー君に今の私を見せたら、また昔みたいに戻ったんじゃないかって不安にさせるかもしれない。
私はただ怒っているだけ。こんな方法で足止めをしようとする敵にも、ディー君のことを一瞬でも感じ取れなくなるなんていう寂しい思いを、スフィアちゃんにさせてしまったことを――だから。
「スフィアちゃん、行くよ……バニング君が全部の呪符を射抜く。そうしたら、全部結界で封じ込めるの。一枚も残さず……!」
「うん、わかった。やってみる……ううん、絶対一つも逃さない……!」
「――バニング君、お願いっ! フランさんには当てないでね!」
「グォォォァァァァッ!!」
バニング君が勇ましい声を上げて、『閃火の息』を吐く――火竜は普通、『燃える息』と呼ばれるような炎を吐くものなのに、バニング君の吐く炎は力が収束されていて、いくつもに分かれて空を駆け抜け、空中に張り巡らされた呪符を居抜き、燃え上がらせる。
――フランさんの口元に笑みが浮かぶ。でもそれは、操られているからなんだっていうことは分かってる。
「リムセリット殿、呪符を破壊してもまだ……っ!」
「――心配しないでっ! 私とスフィアちゃんなら、これくらい……っ!」
――『防壁の檻・多重展開』――
一人で防御結界を作って、呪符を破壊したあとに生じる呪縛の力を封じ込められる数には限りがある。
けれど私とスフィアちゃんが協力すれば、一人では難しいこともできるようになる。視界を埋め尽くすくらいだった呪符をバニング君が撃ち落としたあと、即座に結界で包み込んで、呪縛が『伝染』するのを防ぐ。
「そう……『伝染』で、ミラルカちゃんも操られちゃったんだと思う。フランさんを守りたいっていう気持ちに付け込んで……」
「――そうか。ならば、そのような卑怯な方法を使った敵にはきつい灸を据えてやらねばならんな……!」
「もう、悪いことしちゃだめ……魔法の力は、もっと違うことのために使わなきゃ……!」
今度はスフィアちゃんが、ユマちゃん直伝の『聖歌』を歌う――その歌は、結界に関係なく、音が届くところ全部を浄化する。
私もユマちゃんに協力して、空一帯に歌の力を広げる。それはフランさんにも届いて、彼女の身体――背中のあたりから、赤い魔力が剥がれていくのが見えた。
「……全ての呪符を同時に破壊し……呪縛を封じる……素晴らしい……!」
フランさんじゃない、別の誰かが喋ってるように見える。
人を玩具のように操る――それをディー君は決して許しはしない。フランさんがミラルカちゃんの大切な人なら、なおさら。
それが『本命』ということなのかもしれない。今までと比較にならないくらいの強力な呪縛が、フランさんから離れて、私たちに向けて襲いかかる。
瞬きのうちに届きそうなくらいの速さ――でも、怖いなんて思わない。
「ディー君には敵わないけど……私も、それなりには速いんだよ……!」
「――バニングさん、思いっきりいくよっ!」
スフィアちゃんは何も言わなくても分かってくれてる。私と一緒に、全力で防御結界を展開して、バニング君ごと包み込んで――私たちは遅い来る呪縛の力と、正面から交錯する。
――聖火・転移瞬速――
スフィアちゃんが、防御結界そのものに浄化の力を与える。
そしてバニング君を包む紅蓮の炎は、輝く白に変わる。フランさんを縛っていた呪縛の力は、体当たりだけで霧散した――そして防御結界を解除すると、浄化の力の余波が二度、三度とフランさんに届いて、残った彼女の呪縛を消し去っていく。
操る力がなくなれば、フランさんは空を飛ぶことはできない。けれど、備えてくれていたヴェルちゃんがフランさんを受け止め、抱きかかえてくれた。
「どうやら、相手の思惑を少しずつひっくり返せてはいるようだな……リムセリット殿、彼女は飛行戦艦に収容する! ご主人様たちの反応が消えた場所に向かってくれ!」
「うん、お願い……っ、行くよ、バニング君!」
行く手を遮るものが無くなった今、悠長にしてはいられない。バニング君は急降下して、渓谷の洞窟に入っていく――そして、遺跡迷宮の入口を見つける。
迷宮の入口は、開いたままになっていた。少し前に開けられたばかり――ディー君とミラルカちゃんがここに来たことは間違いなかった。ディー君とミラルカちゃんが戦ったときの魔力震は、この遺跡の奥で発生している。