第15話 癒しの施術と屋根裏の少女
俺が魔王討伐隊の五人目として、四人を見守りつつ討伐を完了するまでには、様々な問題が発生した。
そのうちの一つとして、世界の頂点をうかがうほどの強さを持つメンバーが揃っても、誰かが体調を崩して旅の中断を余儀なくされるということは何度もあった。
まだ9歳だったユマ、11歳のミラルカなどは、遠距離の移動に慣れておらず、徒歩で移動する必要があるときは半日も歩き続けることができず、俺がおんぶをして運んだものだ。
足が筋肉痛になり、次の日にまともに動けないなどと言われたら、俺は冒険者強度とはなんぞやと疑問に思いつつも、彼女たちがいないとパーティとしては弱体化してしまうので、パーティメンバーの疲労のケアを常に考えることになった。
ミラルカとユマに比べ、あまりにコーディが頑丈すぎるので『コーディは風邪をひかない』という格言が生まれたりもした。アイリーンは女性の中で一人だけ男性陣に負けない体力を持っていたので、個人的に『鋼の女』という異名を与えさせてもらった。特に定着はしなかったが。
とにかく、俺はメンバーのコンディションを常に絶好調に管理するべく、色々な技能を磨く必要があった。
そして編み出した技が、回復魔法、強化魔法を利用した『魔法整体』である。
「はぅっ……ん……ディック、やっぱり上手……こんなに中まで届くの、久しぶり……」
「魔法の効果がちゃんと、芯まで届いているようですね……って、説明をつける必要があるようなことを口走らないでくれ。そして俺はセバスだぞ」
「だ、だって……違う名前で呼ぶと落ち着かないんだもん」
「まあ、二人が聞いてなければいいけどな。アイリーンも日ごろ高ランクの仕事を受けてくれてるし、たまにはこれくらいはサービスしてやる。どこか集中的にやってほしいところはあるか?」
「……本当にやってほしいところは別にあるけど、じゃあ、腕とか?」
「本当にやってほしいところを言ってもらった方が、こっちとしてはありがたいんだがな」
「ちょ、ちょっと言ってみただけだから。ディックはそういうことしないってわかってるし」
ミラルカと同じく、アイリーンは俺に対する信頼を口にする。
背中から腰までの凝りをほぐしただけで、もう彼女は完全に力が抜け、無防備となっている。
そしてこの部屋には、心身をリラックスさせる香が炊いてある。もともと寝つきが良くするようにと思ったのだが、魔法整体を施術する際においては、これ以上ない環境である。
「……え、えっと、今のはその、ディックのことを男の子として扱ってないとか、そういうわけじゃなくて……」
「お気遣いいただきありがとうございます。では腕の方に移らせていただきます」
「あ、そういう話し方すると執事っぽいかも。ディックってそういうのも意外と似合うんだね」
「意外ととはなんだ、意外とは……と、言いあってる場合じゃないな」
アイリーンはいつも着ている武闘家の服とデザインは似ているが、装飾を押さえたシンプルなワンピースタイプの服を着ている。袖が短いので、服を脱がなくてもそのまま施術ができる。俺は両手でまず肩に手を置くと、血流を改善することを意識しながら、両腕に向かって揉みほぐしていく。
「んぁっ……ご、ごめんね、声出ちゃって……あたし、自分で思ったより凝ってるみたい」
「お客様が、日ごろから頑張っていらっしゃるからこそ疲れも溜まるのです。気が付いていないうちに蓄積するものですから、時々こうしてほぐした方がいいでしょう」
「あ、ありがと……んんっ……でもこんなこと、定期的、にっ、してたら……っ、あっ、そこ……そこいい……」
「できるかぎり普通にやってるんだから、多少は反応しないで我慢してくれ」
「だ、だって……ディック、上手すぎ……う、腕なのに、なんでこんなにっ……」
「そりゃまあ、『手当て』っていうくらいだから、触るのは気持ちいいもんなんだよ。痛いくらいの方が効くっていうけどな、魔法を使えばそこまで力を入れる必要はないから」
「そ、そっか……魔法を使ってるからこんなに効いてるんだ。ディック、さりげなく本気出しすぎ……」
俺は常に本気だ、と口には出さずに、アイリーンの腕をほぐし終わる。その後は背中から腰にかけて、筋の緊張を伸ばし始めた。
くびれた腰から下はどこからが臀部なのか――お尻が大きいと安産型だというが、アイリーンは見事にそれにあてはまる。我ながら親父が入った思考だが。
「うぅ~、腰を押されるとまた中までくるぅ……この魔力が入ってくる感じ、病みつきになるよね~……」
「骨盤のゆがみを矯正するには、魔力を流しながらやった方がいいからな」
「そ、そこは腰なの、おしりなの? 中間のところをうぅっ、ぐいぐいくるぅ……っ」
「もう突っ込まないぞ、やれと言われたからやってるだけだからな。しかしすごい下半身だな……なんだこの理想的な筋肉は」
「い、今褒められてもっ……あっ、だめっ、ほんと無理、無理ぃ……っ」
『無理』というのはいいのか悪いのか。本当に無理なら終了でもいいのだが、アイリーンはもう声を出すこともできなくなり、俺の魔力を流し込まれるたびにビクビクしている。痙攣してるわけじゃなく、筋肉に直接回復魔法を送り込むとこういう反応が出て、後で完全に回復する。
太ももからふくらはぎ、そして足の裏までほぐすころには、アイリーンは気絶していた。腰から足先までのラインが武闘家ならではの完成度を誇っており、鑑賞するには最適といえたが、俺は額をぬぐって気持ちを切り替え、次の客――ミラルカを招き入れる。
「……なぜさほど疲れてるわけでもないアイリーンが、徹底的に施術されて失神してるのかしら」
「これが当屋敷における、心づくしでございます。さあ、お客様もこちらのベッドにどうぞ」
「べ、ベッドとか言わないで。あなたの口から聞くと、いやらしい言葉に聞こえるわ」
どんな妄想をしていらっしゃるのですかお嬢様、と執事モードで質問したいのはやまやまだが、確かにミラルカの言う通り、今回の主賓はユマなのである。そんなわけで、ミラルカには早々に眠ってもらわなければ。
「……昔してくれたときは、足だけをやってくれたと思ったのだけど。アイリーンは全身だったの?」
「ええ、全身に回復魔法を使いながら、筋肉疲労を完全に取らせていただきました」
「ぜ、全身……それは、体の背中側だけということでいいのね? アイリーンは仰向けになっているけど……」
「ええ、後ろだけです。ご希望の箇所がございましたら、あくまでも施術ということで承りますが」
「……私もアイリーンと同じでいいけれど、足からお願い。その方が落ち着くから」
ミラルカはベッドに座ると、しっかりスカートを引いて中が見えないようにする。そして俺は昔そうしていたように、彼女のブーツを脱がせた。
魔王討伐の旅路では素足だったが、今は黒いタイツだ。彼女もこの5年で大人になったのだな、と改めて思う。タイツは貴族を始めとしてごく一部でしか普及していないが、魔法大学の教授ともなれば、専属の洋服仕立て屋を抱えており、オーダーメイドでタイツを作らせることもできるということだ。
そして白い麻のものが主流なのだが、ミラルカは貴重な『ブラックモス』の蚕から取れた絹を使った黒いタイツを身に着けている。俺ともなれば触っただけで服の材質を見抜けるのだが、絹をタイツに使っている人など他に見たことがない。
「……な、なに? タイツも脱いだ方がいいのかしら。素足を見せるのは恥ずかしいのだけど……」
「いえ、このままで問題ございません。では、始めさせていただきます。ここまでお歩きになって、お疲れになったでしょう」
「これくらいの距離で、疲れたなんてことは……」
「新品のブーツとお見受けしますので、まだ足が慣れていないのでは?」
「そ、それは……んっ……」
俺はミラルカの差し出した足を持つと、足裏を指圧しながら、慣れないブーツで靴擦れになりそうになっていると診察し、回復魔法をかけ始めた。
「……本当に上手ね。ギルドマスターよりも、医者をやったほうが向いていそうなくらい……あっ……そ、その温かい感じは、魔法を使ってるの?」
「私の施術は、常に魔法を用います。お客様がブーツに慣れられるまで、継続する回復魔法をかけておきましょう。『継続する癒しの光』」
ミラルカは何も言わず、俺の施術を受ける。ミラルカは教授ということで、机に座って仕事をすることが多いせいか、目や肩、腰も少し疲労しているようだ。
「お客様、もう少しだけお時間をいただいて、やはり全身を施術した方が良いかと存じますが」
「……そうね。私はアイリーンと違って、絶対眠ったりしないわ。大事な用があって来たんだから、ちゃんと起きていないと」
「いえ、お客様方は夕食のお時間までは、お好きなようにお過ごしください。日頃の疲れもありますから、一休みされた方が良いかと思います」
ミラルカは足の施術を終えると、自分のベッドにうつぶせに寝そべる。隣で寝ているアイリーンの様子をうかがっていたが、何も言わずに、施術の続きを待っている。
「……もてなしなさい、と言ったのは私だから。その執事の口調は……わざとらしいけれど、思ったより悪くはないと思うわ」
ミラルカがいつもよりもおとなしい理由が、もしそれだとしたら――俺は彼女に言うことを聞いてほしいとき、紳士的になればいいのだろうか。
無防備なミラルカの姿に遠慮を覚えつつも、まず背中から始める。ぐっと押し込んだ瞬間にミラルカが小さく声を上げたが、それは無理もないこととして、淡々と、魔法整体のプロフェッショナルとして施術を続けた。
◆◇◆
ミラルカもほどなく寝入ってしまい、最後にやってきたユマは、男性に触れられることに対してかなり緊張していたので、『触れない施術』をすることにした。指圧などをせず、魔法だけで治療する方法だ。
ベッドに座ったユマの身体には触れず、手をかざして回復魔法を使う。やはり、アイリーンとミラルカと比べても、多忙を極めるユマが最も疲労がたまっていた。小さな体で頑張っているのだと思うと、自然に施術にも熱が入る。決して触れないようにしなくてはならないが。
「……とても心地よいです。セバスさんは、回復魔法を使われるのですね」
「お客様をおもてなしするために必要なことは、一通り会得しております」
回復も強化もどちらもできる、と言ってしまうと、ユマにあっさり正体がバレてしまう。
しかし、俺の回復魔法を受けたことのあるユマなら、気づいてもおかしくはないところだが。幸いにも、彼女は気づいている様子はなかった。
「私の大切な友人……いえ、仲間の方にも、回復魔法を使われる方がいます」
「……さようでございますか」
「はい。その人はいつも、そっけない態度だったりするんですけど、本当は誰よりも周りの人のことを考えているんです。私は僧侶なのに回復魔法が使えなくて、それでもその人は怒らなくて、いつも魔法で私たちを癒してくれました。私もその人のことを見ていて、こんなふうに、誰かを癒せる人になりたいって……」
ユマが言っているのは、おそらく俺――ディック・シルバーのことだ。
彼女がそんなふうに思ってくれていたなんて知らなかったし、こんな形で聞いていいのかとも思う。
今の俺にできることは、ただ執事のセバスとして、ユマに答えることだけだ。
「その方も、きっとユマ様を尊敬していらっしゃいますよ。僧侶というのは、人々の心を安らげる素晴らしい仕事ですから」
「そ、そうでしょうか……私、まだ未熟で、全然できてなくて……」
「それだけ一生懸命でいるユマ様を、私も僭越ながら応援させていただきたいと考えました。私だけでなく誰もが、そう思われるのではないでしょうか……では、施術は終わりです」
「あ……は、はい。すごく体が軽くなりました、ありがとうございます……っ」
ユマは立ち上がって、頭を下げてお礼を言う。
礼をした拍子に肩のあたりまで伸ばした髪が揺れて、ユマははにかみながら両手で髪を撫でつける。そのあどけない仕草は、昔の彼女と大きく変わってはいなかった。
「……では、私は夕食の準備に取り掛からせていただきます」
「は、はい……ありがとうございました。私は、お二人が起きるまでゆっくりしていようと思います」
「ええ、どうぞおくつろぎください。それでは失礼いたします」
俺は三人を残して部屋を出る。夕食の仕込みは終えているし、俺一人でも準備は問題ない。
――そう考えたところで、俺は廊下の奥から誰かの足音を聞いた。
この屋敷には俺と三人以外、誰もいないはず。しかし、確かに聞こえた。
俺は足音が聞こえた方角に向かう。二階にある十二部屋のうち、ミラルカたちの客室は東側にある。
西側には、誰も使っていないはずの部屋があるだけのはず。ドアを開けてみても誰の姿もなく、美術品のある部屋も入ってみたが、人の姿はなかった。
一つ考えうるとしたら――屋根裏部屋。屋根裏部屋に上がる階段が、屋敷二階の西側にある。
屋根裏も地下も調査を終えている――しかし夜が近づいて、何らかの変化が起きたのか。
死霊が現れるという屋敷。その理由を目の当たりにすることになるのかと、多少の緊張を覚えながら、俺は屋根裏部屋に続く階段を上がっていく。
そして扉を開け、屋根裏部屋に入る――窓から夕陽が差し込み、室内の一部を照らしている。
――その夕陽を背にして、何者かが立っている。
「……何者だ? この屋敷に、どうやって入った」
その人物が、こちらに歩いてくる。黒いドレスを着た少女――銀色の長い髪にヘッドドレスを身に着けたその姿から、俺は彼女の素性を想像する――おそらくは、貴族。
「……初めてお目にかかります。私は、この館をかつて所有していた一族の者です」
スカートの裾をつまんで一礼する、貴族の挨拶。俺の推測はどうやら当たっていたようだ。
この屋敷の、かつての所有者。彼女がなぜこの屋根裏にいるのか、俺とギルド員が屋敷の中を調査していたときは、どこにいたのか。
尋ねたいことは山ほどあるが、それよりも、何よりも。
まるで絵画の中から飛び出してでもきたかのような、人間離れした少女の美しさが、俺の意識を奪っていた。