第165話 森の邂逅と夜空歩き
宿で朝食を取ったあと、俺たちは身体を十分に休めて、夕方から行動を起こした。
エルセインの国境側に入ったところにある森の中。五年前、俺は森の中で野営することを選んだ。エルセイン側の町や村に入れば、かなり神経を使って魔法で偽装するなどしなければ、俺たちの行動が魔王側に筒抜けになると考えたからだ。
五年前の俺たち――特に俺は、例え成長した今の俺たちとはいっても、不用意に近づけば警戒するだろうと分かっていた。
可能な限り遠くから彼らの姿を確認したあと、俺はミラルカの希望どおりに、五年前のミラルカがパーティを離れるときまで待った。
なぜ、パーティを離れたのか――それについては、俺も覚えてはいる。
ミラルカと方針が食い違って衝突してしまい、彼女は怒ってパーティから離れてしまった――俺もすぐに追いかけるわけにもいかず、少し遅れて探しに行った。アイリーンやコーディが行くと言ったので、自分で責任を取ると言ったように記憶している。みんなは笑っていたが、それは俺もミラルカも意地を張る性格だと思ったからだろう。
そのときミラルカがピアスをつけていたという記憶はない。五年前のミラルカは、現在のミラルカからピアスを受け取ったが、そこではすぐに身につけず、次に魔王軍の砦を攻略するときからつけるようになったということになる。
そんなことを思い出しながら、俺は森の中でミラルカが戻ってくるのを待った。五年前の自分と話すとき、一人の方がいいと言われたからだ。
五年前のミラルカの姿をそのまま見れば、おそらく自分に似ていると気づく。当たり前だ、同一人物なのだから。
それとも、意外に気づかなかったりもするのだろうかと思う――ミラルカは村で買った外套で服装を隠し、顔は見せないようにすると言っていた。怪しまれても、自分を納得させるコツは自分が一番よく分かっていると言って――と、考えているうちに。
ピアスを無事に渡せたのか、ミラルカが戻ってくる。彼女はフードを被っていなかった――結局顔を見せたが、バレなかったということか。五年前のミラルカも、まさかこんなところで五年後の自分に会うとは夢にも思わないだろう。
「首尾よくピアスを渡すことができたわ。さすが私ね、物分かりがいいというか」
「自分で言うか……ミラルカとミラルカが話すとどうなるのか、見たかった気もするが」
「あまり過去に影響を与えるべきじゃないと思うし、今のあなたの姿を見たら、きっと昔の私でも気づくんじゃないかしら。あなたって良くも悪くも変わっていない部分があるから」
「成長してなくて悪かったな……顔を見られたとしても、俺に気づくっていうことはなさそうだけどな」
「あなたのその冴えなさそうで、実は違うっていう雰囲気はなかなか他にはないから、私だったら気づかずにはいられないはずよ。成長していないなんて、そんな謙遜をされても反応に困ってしまうしね。あなたは成長したというか、超越してしまったと言うしかないもの」
ミラルカは笑っている――それで彼女が冗談を言ったのだと気づく。滅多にそういうことを言わないので、不意を突かれた形だ。
今のミラルカは俺のことを評価してくれているが、子供の頃のミラルカがはっきり俺のことを認めてくれたのは、魔王討伐の旅を終えたあとだと思うのだが――俺が気づかなかっただけで、もっと早かったということだろうか。徐々に態度が柔らかくなったというのは感じていたが。
「……何を見ているの? さあ、次はあの遺跡に行くわよ。時間転移をしたあとに弾きだされてしまったけれど、あの場所は五年前でも、時間転移をする機構を備えているはずよ」
「ああ、そうだな。だが……五年前っていうのは、予め決められた時間ではないと思う。俺たちが偶然五年前に来たとしたら、どうやって時間転移したのかを解明しなければ、元の時間に戻るのは難しいかもしれない」
「そう……だとしたら。元の時間から私たちがいる時間を探り当ててもらえれば、ズレは少なくなるかもしれないわね」
仲間たちが、俺たちを救出しようと試みてくれている可能性はある――『星の遺物』について知識のある師匠が来てくれれば、この時間と、元の時間を繋ぐことはできるかもしれない。
「何にせよ、急いだ方が良さそうね……皆が私たちを探しにあの迷宮に来てくれたとして、カルウェンと遭遇することになるかもしれない」
「そうなるか……カルウェンとフランがこっちに来てるってことはなさそうだしな。あの部屋の仕掛けが及ばない場所に、予め二人は陣取っていた」
フランを巻き込まないようにした結果、カルウェンもまた、時間転移の範囲から外れることになった。仮に巻き込んでこちらに来ていたとしても、今度は遅れを取るつもりは毛頭ないが。
「……心配だとか、不安だっていう顔はしないのね」
「単純なことだ。俺がいなくても、皆が強いことに変わりはない。自嘲じゃなく、本当にそう思ってるからな」
ミラルカは何も言わず、ただ微笑む。俺の言葉をよく否定して、突っかかって――今は、それが全てでもなくなって。
変わっていくことは寂しいものではなく、今は全てを前向きに捉えられる。
「俺は、ミラルカが思うよりはずっと、皆の力を頼ってるってことだ」
「……あてつけみたいに言って。私があなたのことを信じないなんて、今になっても言えると思う?」
「そうじゃないと思いたいな。いや……改めてもう一度、言うべきなんだろうな」
言うべきことは、俺がもう二度と裏切らないという誓いだ。
しかしミラルカは俺の唇に人差し指をそっと当て、そして微笑む。
「全部が首尾よく行ったあとに、それでも言いたい気持ちが残っていたら、そのときは言ってくれていいと思うけれど。全てを言葉にしすぎるのも、私はあなたらしくはないと思うわ。丸くなりすぎても、大事なところまで変わってしまいそう」
「……ミラルカは、今が自分の思う『良い形』ってことでいいのか?」
「そうね……色々と吹っ切れたみたい。ディックが心にまで入ってきて、私を起こそうとするから……隠し事がなくなってしまったものね……」
「そ、それは言い方が少し……見たのは見たが、必要じゃないところまで入り込んだりはしてないぞ。そこまで思い通りにできるものじゃないしな」
「本当に……? なんてね。あなたが私の心情に配慮してくれているのは伝わってきたわ」
そう言われると、今度はこちらがどこまで伝わっているのかと心配になってくる。
長い付き合いの仲間だ、知られて困ることなどない――とはとても言えない。俺は男で、ミラルカは異性である以上、隠したいことはどうしても出てくる。
「……何か、私に知られてはいけないことでもあるの?」
「そんなことは……無いとは言えないか」
「ふふっ……正直なのはいいことね。でも、私もあなたが何を考えているかなんて、全部伝わってはいないわよ。あなたは心を閉ざしているわけじゃないけど、守りが物凄く堅いから、私を助けたいっていうことしか伝わってこなかったわ」
「そ、それはそれで……あまりはっきり言われるのもな……」
ミラルカは俺の反応を楽しそうに見ている。そんな顔ができるほどに元気が出たのなら、俺も色々と報われる。
「さあ……行きましょうか。この時間に、あまり長居をすることにならないといいわね」
「ああ。あの場所に戻るには、渓谷の川を船で移動するか……」
「あなたの魔法で運んでもらうのが良さそうね。これから竜を調教して足にしたりするのも時間がかかってしまうし」
俺の魔法――風精霊の力を借りれば、空中を移動することはできる。しかしそうなると、必然的にミラルカを担ぐことになるのだが。
「俺は構わないが……いいのか?」
「ええ、あなたなら落としたりしないでしょう? 今は無心になって、私の鳥になりなさい」
俺は肩をすくめ、周囲の風精霊に訴えかける――精霊にも感情があり、人間の営みに対して反応を示すことがある。
「……これは、風精霊が私達を気に入ってくれているっていうこと? 精霊の気配が優しいのだけど」
俺とミラルカのことを夫婦と見なして祝福しているらしいということは、教えていいものなのかどうか――ここでミラルカの気が変わっても困るので黙っておく。
「精霊は自分に敵対することや、望まないことを命じなければ快く従ってくれるもんだ」
「……あなた、精霊魔法の講義でもしてみたら? そうしたら、マナリナにも講師として指導してあげられるわよ」
「考えておくよ。本業はあくまでギルドマスターだからな」
今更そんなことを言うのか、と思われそうなところだが――ミラルカはどちらかというと、俺に担ぎ上げられることを気にし始めたらしく、最初は身構えていたが、持ち上げられると借りてきた猫のように大人しくなった。
「……すごい安定感ね。乗り物としても優秀なギルドマスターはそういないと思うわ」
「身体の大きい獣人のギルドマスターなら、人を乗せることはあるかもしれないな」
――風精結界・空中歩行――
話しながら、俺たちの身体はふわりと夜空に浮き上がる――地上にいるだろう五年前の俺たちに見つからないよう、高度を上げていく。
ミラルカはしっかりと俺に掴まる。胸板に惜しみなく柔らかいものが当たっていて、月明かりだけでも分かるほど、彼女は耳まで赤くなっている。
しかし今はどんな無粋な言葉も必要ないだろう。月が綺麗で、しばし空の光景を楽しむだけだ。
「……スフィアとも、夜の空中散歩をしたんでしょう? あの子、凄く嬉しかったって言っていたわよ」
「俺たちのことをかなり心配してるだろうからな……早く帰らないとな」
「帰れるかどうか、を心配するのが普通なのでしょうけど。私たちに、普通は通用しないし……あなたが冷静だから、何とかなるだろうって思えるのよ」
それだけ言って、ミラルカはよりしっかり俺に抱きついてくる――姿勢の制御を乱さないようにするのは相当な自制が必要だったが、何とか無様な姿は見せず、一直線に北方渓谷の遺跡迷宮に向かった。