第162話 星の遺物と眠る少女
気がつくと、俺はミラルカを抱えたまま、別の場所に立っていた。
時刻は夜。ホウホウと鳴くフクロウの声が聞こえている。
ミラルカはまだ眠っている。彼女を抱きかかえたまま、俺は周囲を見回した。
「……ここは……」
俺たちの周囲にあっただろう木々はなぎ倒され、地面はめくれ上がり――それは、ミラルカの破壊魔法による影響なのだと察することができた。
あの遺跡迷宮から転移したとき、破壊魔法の効果は消されたのではなく、転移したあとに解放されたようだった。
そのように荒れ放題ではあるが、残っている森の風景には覚えがある。
アルベイン王国の北辺、エルセインの国境付近。この辺りに『銀の水瓶亭』の支部を置いたはずだが、情報網はつながっていない。
この違和感の正体は何なのか。まず周囲の地形を確かめようと、俺は風精霊に働きかけ、上空の風精霊が見ている視界を借りた。
――風精霊・天空視――
そして確かめる――アルベインとエルセインの国境を見張るために作られた壁が、簡単な柵しか設置されていない。
柵を境にしたこちら側――アルベイン側には、小さな村がある。俺のギルドの支部を置いた場所でもあるが、拠点として購入したはずの家に、今は別の誰かが住んでいるようだった。
今の状況は、一つの事実を示している。しかし現時点で判断するのは早い。情報を集めるために村に行って、宿も確保したいところだ。
「……ん……」
ミラルカはもう少しで目を覚ますだろう。いつでも回復魔法を使えるように心構えをしているが、身体のダメージはない。目を覚まさないのは、カルウェンの『呪紋』が消えたことによる影響だろう。
俺と戦った間のことを、おそらくミラルカは全て覚えている。カルウェンの用いた方法は、幸いにと言うのも適切ではないが、記憶を操作する類のものではなかった。
思っている通りかどうかは、ミラルカが起きてみなければ分からない。彼女の身体が少し震えている――戦闘の中で服が破れてしまったため、夜の森の冷え込みが身体にこたえるようだ。
身体を温める方法は幾つかあるが、俺は火精霊と風精霊の力を借り、周囲の空気を温める方法を選んだ。森の中には魔獣の気配が多く、移動中に『隠密』を使う必要があったが、それはいつものことなので問題ない。
気を失ったミラルカを抱きかかえているとあらぬ誤解を受けそうだったので、俺は彼女に自分の外套をかけ、『隠密』を厳重に施して見つかりにくい木陰に寝ていてもらい、宿の確保のために村に入った。
明かりがかすかに漏れている、丸太を組んで作られた建物に近づく。ドアをノックしてみると、頭巾をかぶった中年の女性が応対してくれた。
「こんな夜遅くに……もしかして旅人かい? このあたりを夜に移動するのはやめた方がいい、魔獣は夜目が利くから危険だよ」
「事情あって、宿を探しそびれてしまって……この村で、旅人が雨風を凌げるような場所はあるでしょうか。持ち合わせはある程度あります」
「うちも宿をやってるし、空き部屋はあるけどね。食事は朝になるけど、いいのかい」
俺が知っている限りでは、この辺りの宿の相場は食事付きで銀貨二枚というところだった。王都アルヴィナスでは銀貨五枚ほどで、地方の村のほうが全体的に物価は安い。
「料金なら、銀貨二枚ってところだね」
「できれば、二つ部屋を借りたいんですが……それは難しいですか。もう一人、連れがいるので」
「なんだい、それを早く言いな。そのもう一人をあたしに隠してるってことは、何か訳ありだね? 隠し事はするもんじゃないよ」
「いや、その……俺たちは冒険者なんですが、連れは女性で、旅の途中で服が破れてしまいまして」
誤解を受ける恐れはあったが、早くミラルカを屋根のあるところで寝かせてやりたい。正直に話して受け入れてもらえないなら、そのときは野営で寝床を作ることになるが――と考えていると。
「なんだ、あんた連れに何かしたと疑われると思ったのかい?」
「ま、まあ……その、戦って服が破れた状態なので。俺が疑われても無理はありません」
「あんたが何かしたって言うなら、起きたらその連れ……多分女の人なんだろうけど、あんたを放っちゃおかないだろ。そこから先はあたしの干渉するところじゃないね……と言ってもだ」
何というか、特徴的な話し方をする女性だ――普通に考えを読まれてしまっているし、これが年の功というやつだろうか。失礼になるので言えはしないが。
「あんたみたいに黒瑪瑙みたいな眼をしてる男の子が、女の子を泣かせることなんてするわけないさ」
「……そうありたいと思ってはいますが」
弱音のようなことを、初対面の人に言うべきではない。そう思って踏みとどまるが、女性はふっと笑って、扉を大きく開けた。
「うちの人はちょっと留守にしてるから、夜の客には気をつけてるんだけどね。あんたは泊めてあげるから、相方を連れてきな」
「相方というか……ま、まあ、連れです。仲間というか……そう、仲間ですね」
「そういう微妙な関係っていうことだね。分かるよ、若いうちは色々あるもんさ」
何もかも、一枚上手の受け答えをされてしまう。
接する機会こそ少ないが、これくらいの年齢の女性に俺は一番弱いかもしれない。どう距離を取っていいか分からないというか、立場など関係なく『少年』の扱いをされてしまう。
「何してんだい、夕飯食べてないんだろ。何か作ってあげるから早く戻っておいで」
扉が一旦閉められる。俺は思わず頭を掻く――人情というやつの温かみを感じるというか、少なからず安堵はしている。
しかし冷静にならなくてはならない、という思いもある。簡単に宿を借りられたのは、罠なのではないかなどと。
そんな考えは、すぐにあっさりと打ち消された。宿の中で料理を始めたのか、薪を燃やす気配と、野菜か何かを切る音が聞こえてくる。
俺はミラルカがいる木陰に戻り、彼女の様子を確かめる。
「……おか……さま……」
身体を丸めるようにして眠っている、また涙が流れたのか、頬にあとが残っていた。
俺はミラルカをそっと抱き上げると、再び宿に戻る。空には星が瞬き、月明かりだけでも十分に明るいと感じた。
◆◇◆
宿の二階にある一室を借り、俺はミラルカをベッドで休ませ、食堂で食事を摂らせてもらった。
「こんな田舎の味で、良くそんなにがっつくねえ。塩と素材の味だけなのに」
「いや……本当に美味しい。素朴ですが、身体に沁みこむような味です」
地図を見せてもらい、この土地がどこなのかは把握できた。思っていた通りの場所――しかし、正確には俺が知っている場所とは違う。
――アルベイン王国暦一九九八年、巨蟹神の月。
俺たちが、魔王討伐の旅を始めたばかりの頃。その過去に俺たちは飛ばされていた。
普通なら冷静でいられるような状況ではないのだろうが、カルウェンの言葉から予想できる答えの一つではあった。
絶大な力を持つ破壊魔法に対抗するために、あの遺跡迷宮で研究されていた方法。
理論上、『それが実現できれば』、どれだけ強力な破壊魔法でも防ぐことができる。別の時間に破壊魔法の力を送り込んでしまえば、『現在』から破壊魔法の効果を排除することができる。
俺は騎竜戦の際にそんな遺物が眠っている迷宮の入り口まで来ていながら、中に入ることをしなかった。しかしミラルカと全力で戦わなければ、時間を操作する遺跡の力を発動させることも無かった。
「どうしたんだい? 今が何年かって聞いてからぼうっとしているけど、まだ記憶が混乱してるのかい」
「いえ……頭を整理してはいますが、落ち着いています」
「それは良かった。あの子を着替えさせるまではあたしがしてあげたけど、後のことはあんたに任せるからね。落ち着いてるなら大丈夫だねえ」
「っ……い、いや、もし頼めるなら、同性の方に彼女のことを見てもらった方がいいと思うんですが」
甘え過ぎていると分かっていたが、やはり首を振られた。それどころか、じっとりとした目で見られてしまう。
「女の子と二人で旅をするっていうのは、何があっても責任を取るってことじゃないのかい? まあ、それは女の子の方にも言えることかもしれないけどねえ」
「……それは、確かに……そうかもしれません」
「意地悪なことを言ってすまないね。あんたみたいな堅物は嫌いじゃないよ、爺さんとは正反対だけどねえ」
『爺さん』とは、今は狩りのために遠くに出ているという彼女の旦那さんのことだった。
それから彼女の家族――四人の子どもたちの家族の話や、飼っている犬の話や、村の話なんかを延々と聞かされ、俺も途中でミラルカの様子を見に行ったりはしたものの、心ゆくまで話に付き合わされた。
自分が五年前にいるということ、どうすれば自分たちがいた時間に戻れるのかということ――早く手がかりを見つけなくてはと思うが、焦るばかりでも事は上手く運ばない。
「……でもそこまで堅物だと、逆に大変なんだろうねえ」
「大変というと、何が……」
「それに気づくのはあんた自身さ。さあ、お代わりはもういいかい? あたしももう休むからね、足りなかったら今のうちに言いなよ」
足りないということはない、十分すぎるほど空腹は満たされた。
ミラルカがもし起きたら、その時は彼女を起こすわけにはいかない。俺は念のために台所を使う許可を得ておいた――ミラルカが起きたとして食欲があるかは分からないが、元気を出すには食べられるようになるのが一番だ。
◆◇◆
さらに夜が深まっても、ミラルカは目を覚まさずにいた。
悪夢を見ているのか、時折うわごとのように何かを言っている。
「……どうして……わたしが、いけないの……」
「……ミラルカ」
何かを掴もうと宙に伸ばされたミラルカの手を握る。
両の手で包み込み、祈る。ユマなら、それともミラルカが呼んでいる母親なら、この悪夢から覚めさせてやれるのだろうか。
――カルウェンの呪縛から、完全に解放することができていないのか。
ユマの力を託されても、ユマと同じようには引き出しきれない。それでも俺は、上手くやれていると信じるしかなかった。
五年前の過去。まだ俺たちが、魔王討伐の旅の途上に居た頃。
ここから元の時間に戻る方法を探すには、ミラルカの力が必要だ。
「……おかあ……さま……わたしが……」
彼女が言わないことなら、俺は自分から尋ねようとしなかった。
「……わたしが……うまれ、なかったら……」
知ることを恐れていただけだ。
自分が孤独だったとか、恐れられて疎外されただとか、そんなことは何も大した問題じゃない。俺は師匠に出会って救われて、その師匠に求められるものを渡さずに逃げた、どうしようもない臆病者だ。
仲間たちが抱えているものを何も知らないままでいた。深く知ろうとすることは、信頼関係を崩すことだと。
それも、甘えていただけだ。『仲間』という言葉に甘えて、彼女たちが望んでいる位置で向き合おうとしなかった――ずっとずれた見方をして、そうすることが正しいと自分に言い聞かせ続けた。
「……俺は……お前が生まれてきて良かったと思う。だから……」
眠っているミラルカには、言葉は届かない。
それでも苦しんでいたミラルカの身体から、少しずつ力が抜けていく。
俺はミラルカの手を握り、彼女を見つめたままでいた。窓から差し込む月の明かりが、『可憐なる災厄』と呼ばれた少女の眠る姿を淡く煌めかせる。
カルウェンの呪縛が消えても、ミラルカはまだ目覚めない。それは、呪縛が彼女に与えた影響が、目覚めることを拒ませるようなものだからなのか――それは、分からない。
俺は自らの精神に干渉し、感情を抑制することができる。それは心というものに、魔法を介して触れられるということだ。
人の心は、過去の記憶と現在の自我が交差する場所にある。カルウェンはその『記憶』に干渉し、現在の自我に影響を与えるというやり方で、ミラルカの意志を操った――つまりは。
ミラルカを目覚めさせるために、俺は彼女の過去を知らなければならない。他人の過去を覗き見ることが、どれほど重い罪なのかは分かっている。
それでも、知りたいと思った。俺が「目立ちたくない」という理由をミラルカが問いかけてくれたように、俺もミラルカが何を自分に戒めているのかを知りたかった。
相手の心を知る方法。その中で最も簡単なものが、『小さき魂』を使うこと。
対象の身体に魔法文字を書き込み、それを媒介として俺の分身体を作る――それが今までの使い方だったが、分身体を生み出すこと自体はいつでもできる。魔法文字を自分の手の甲に描いて、俺の力を分けた魔力体に精神を移すだけだ。
俺は左手の甲を右手の指でなぞり、魔法文字を描く――そして、眠っているミラルカの傍らに座り、『小さき魂』を発動させる。
部屋をほのかに照らし出す、小さな光の玉――俺はそれに精神を宿し、眠っているミラルカの胸元に、吸い込まれるように潜っていった。
※お読みいただきありがとうございます!
ブックマーク、評価、ご感想などありがとうございます、大変励みになっております。
次回の更新は6月12日(水曜日)を予定しています。
※この場をお借りして告知のほう失礼いたします。
先日5月27日に発売となりました「月刊コミック電撃大王」7月号誌上にて、
ROHGUN先生によるコミック版「魔王討伐したあと、目立ちたくないのでギルドマスターになった」
第2話が掲載されました!
本日ComicWalker様、ニコニコ静画様にて第2話前半が掲載されています。
ミラルカ登場など見どころ沢山となっておりますので、
宜しければ画面下のリンクからご覧いただけましたら幸いです!