第153話 首輪の謎と雨夜の異変
盗賊団のアジトで見つけた食料などは、馬車を襲って奪ったものもあれば、近くの町や村で調達したと目されるものもあった。盗賊が密かに町に入り、物資の調達をするというのは珍しい話ではない――俺たちは盗賊団をほぼ壊滅させたが、しばらく残党に警戒する必要はあるとジョイスに伝えた。
「ディックさんのギルドなら、後顧の憂いのないよう仕事をしてくれてると思ってますが、馬車組合にはしばらく強い護衛を雇うように勧めておきやすぜ」
冒険者の仕事がしばらく増える――念を入れて馬車の護衛にはAランク冒険者が必要になるので、俺はレオニードさんやシェリーに相談し、馬車組合の護衛を持ち回りで行うことにした。馬車組合には冒険者ギルドも世話になっているので、報酬については抑えめにしておく。
ウェルテム商会が馬車組合のために動いたということが伝わると、馬車組合の長は完全に疑いを解くとはいかなかったものの、ほぼ嫌疑は晴れたようだった。騎竜運送の実情についてもある程度伝えたことで、馬車組合とは運送において果たす役割が違うということも理解を貰えた。これで、馬車と騎竜が連携する形も取れるようになるだろう。
◆◇◆
第二パーティが王都に帰還したあと、ギルドハウス二階の執務室で、師匠にゼクトたちが持ち帰った『隷属の首輪』を見せた。
首輪を目にして、師匠はやはり表情を曇らせる。手に取る前に魔法で鑑定を施したあと、残っている術式が無いことを確認してから手に取る。
魔道具には標的だけを狙って魔法を発動させる、いわば罠のようなものもある。既に壊れているように見えても油断はできない。
「……これは私が作ったものじゃない。遺跡迷宮にも、同じようなものはないと思う」
「そうか……俺たちは全ての首輪を、間違いなく回収した。だが、この首輪を作った技術は師匠の……『遺された民』のものに似てる」
「それは……そうだね。他の遺跡迷宮で見つけたのか、それとも……」
王都地下にある浮遊島『ベルサリス』は、師匠が生まれた場所だ。それと近い技術を持っているとしたら、同じ浮遊島の『クヴァリス』という可能性もある。
しかし『クヴァリス』に侵入しようと考え、それを実行できる者が仮にいたとして、首輪を手に入れて盗賊団を操るというのは時間的に難しい。他の場所で入手したと考えるのが自然だろう。
「国内の遺跡迷宮に、『王家のしるし』無しで入る……そんな力を持ってる人間がいるのか。もしくは……」
「外から来たということも考えられるか。いずれにせよ、国内の『情報網』からそれらしい情報を拾うしかないか……ご主人様、どうする?」
「っ……いつの間に入ってきた。入るのはいいが、一言断ってくれ」
俺と師匠はソファに座って話をしていたのだが、ヴェルレーヌがそろそろと入室してきて、俺の後ろに回っていた。肩に手を置かれるまで不覚にも気づかなかった――というより、ヴェルレーヌが全力で気配を消してきたら、俺の隙を突けるということだ。
ヴェルレーヌは悪びれた様子もなく、俺の肩をきゅっと両手でつかんでから手を離した。肩は別に凝らない方だが、解してもらったらかなり心地良さそうだ――と、元魔王の術中にはまってはいけない。
「その首輪がリムセリット殿の作ったものでないのなら、作った人間を突き止めれば良いことだ。そう深刻な顔をしなくても良いのではないか?」
「それはそうだがな……相手の足跡を把握できてないのは居心地が悪い。相手の先制を許すことになる」
「私は、盗賊団を操ったのはパフォーマンスじゃないかと思う。これだけのことができるっていうのを見せて、どんな対応をされるかを見てるっていうか……相手のことを高く評価しすぎてるみたいだけど、心構えはするに越したことはないから」
パフォーマンスという言葉に、俺はゼクトたちと一緒に戦った盗賊団の動きを思い出す。
あの赤い光を防ぐことができたのはいいが、もし防げなければどうなっていたか――ミヅハが操られて敵に回っていたら、状況としては芳しくなかっただろう。魔力壁で防ぐことはできたが、一度見ただけで解析しきれなかった魔法は久しぶりだ。
「パフォーマンスか……だとしたら、出向いた俺たちに対して挑発してきたわけか。あわよくば、ミヅハを戦力に引き入れようとしてるようにも見えた。その首輪は首領に着けられていたが、十六人の盗賊全員を操るための媒介の役割も果たしてたんだ」
「私が作ったものとはやっぱり全然違う……それとも、首輪が媒介っていうことなら、そこに仕掛けられていた魔法が強力なものだったのかな」
「ふむ……その首輪自体に力が残っていないのなら、そういうことになるか。不意を突かれて首輪をつけられるようなことでもなければ問題あるまい」
「ヴェルお母さん、そろそろお風呂に入らなくてもいいの? お湯は精霊さんに頼んで温めておいたよ」
スフィアがドアの陰から顔だけ出している。もしかしなくても既に風呂に入る準備が万端というか、素裸になっているらしい――父親としては恥じらいを持つようにとそろそろ伝えるべきか、それとも皆に任せるべきか。
「うむ、ありがとう。リムセリット殿のことを呼びに来たのだが、ご主人様も一緒ということなら……四人でというのも、やぶさかではないが……」
「っ……だ、だめ、ディー君と一緒なんて、お湯に入ってるのか入ってないのか分からなくなっちゃうっていうか……」
昔の師匠からは想像もつかないくらい真面目というか、闇を感じさせる部分がすっかり無くなってしまった。勿論良いことなのだが、俺に対する罪悪感がそうさせているのなら、何度でも言っておくべきだろう。
「師匠。そんなに遠慮しなくても、俺は昔のことは気にしないから」
「う、うん……それはわかってるんだけどね。でもディー君、いいの? 私たち二人と一緒に入ったら、色々大変だから……ねえ、ヴェルちゃん」
「う、うむ……私はその、いつでもお呼びがかかればというか、進んで主人の背中を流すのがメイドの務めだと思っているのだが……」
「え、えっと……私もお父さんが良かったら、また一緒に入りたいな。お父さんの背中を見てるの好きだから」
俺は父親らしい背中をスフィアに見せられているようだ――と、綺麗めにオチをつけておく。師匠とヴェルレーヌが何か期待するようにこちらを見てくるが、今は気づかないふりをする他はなかった。
◆◇◆
一度酒場に降りて、夜営業が終わったところで店じまいを手伝い、ハレ姐さんたちが上がるのを見送る。
「あー、雨が降って来ちゃったねえ。ダンナ、何か雨具って借りられる?」
「水を弾く加工をした外套と、傘がある。ラムサスも使うか?」
「私の国では、雨が神の恵みと言われていますデス。雨が降ると、みんなで通りに出て喜び踊るのデース」
「楽しそうだけど、そんなことしてたらみんな風邪引いちまいそうだね。ダンナもあったかくして寝るんだよ」
ハレ姐さんは俺の姉さんみたいなことを言うと、他の従業員と一緒に防水外套を着て帰っていった。
この時期は雨が多くなるとはいえ、これほどの雨量は久しぶりだ。雷も伴っているし、建物に落ちなければいいのだが。
「お父さん」
「ん……スフィア、どうした?」
すでに風呂から上がり、ヴェルレーヌたちと一緒に寝室にいたはずのスフィアが階下に降りてきていた。
「……水の精霊さんと、雷の精霊さんの様子が、何か変みたいなの」
「ますます天気が悪くなりそうってことか?」
「ううん、そうじゃなくて……」
スフィアは何かを伝えようとしているが、適切な言葉を見つけられずにいるようだった。
「気がかりなことがあれば、何でも言ってくれ」
「……ミラルカお母さん、大丈夫かなって。お手伝いさんがいるって言ってたけど、夜になったら帰っちゃって、お母さん一人になっちゃうから」
ミラルカに対して一人にしておくと心配だなどと言えば、過保護だと言われてしまいそうだが――スフィアもそれは分かっているだろうし、それでも心配だと言うなら、相応の理由があると考えられる。
ミラルカと魔力的な結びつきを持つスフィアにしか感じ取れないことがある。スフィアが不安だと言うなら、それを解決するのが俺の役目だ。
「よし、分かった。ミラルカの家に行って様子を見てくる」
「うん……私も行ってもいい?」
「風呂上がりで外に出たら風邪を引くからな。お母さんたちと三人で待っててくれるか」
「……わかった。お父さん、気をつけてね。私、いい子で待ってるから」
本当はついていきたいというのを隠しきれていないが、スフィアは我慢してくれた。頭を撫でると、スフィアはくすぐったそうにする。
「ああ、そうか、風呂から出てきたばかりでこんなことしちゃまずいか」
「ううん、ありがとうお父さん」
俺の手を握って言うスフィアを見ていると、胸に何度めかの安堵が満ちる。人工精霊の彼女は風邪を引くことはないのかもしれないが、やはり人間と変わらないように接したい。
「ご主人様、ミラルカ殿によろしく頼む。遅くなるようなら……いや、野暮は言わずにおこう」
「ディー君も風邪引かないようにね」
ヴェルレーヌと師匠も話を聞いていた――よほどのことが無ければミラルカの顔を見て、無事を確認するだけで帰ってくると思うが。
雨は弱まる気配がない。外套は全て貸し出してしまっていたので、俺は傘を手に取ると、朧げな月の照らす雨空の下に出ていった。
◆◇◆
大学から家に戻ったあと、私は夕食を侍女のフランと一緒に取って、一度自室に戻った。
雨の気配を察したフェアリーバードが囀っていたので、バルコニーに出してある鳥籠を開けて、室内の籠に移す。とても小さいけれど賢い鳥なので、私が何も言わなくても自分から移動してくれた。
そのあと日記をつけている途中で、私は眠ってしまっていた。気がつくとフェアリーバードも籠の中の止まり木で眠りについている。
「……っ……」
立ち上がろうとして、目眩を覚える。割れるような頭痛がして、しばらくそのままでいると波が引くように消えていく。
まだ『封印のピアス』を持っていなかった頃のことを思い出す。強力な魔法を使ったあとは揺り戻しのように、必ず酷い頭痛に襲われた――私が魔王討伐隊に参加した最初の動機は、フェアリーバードではなく、魔力を抑え込む術を手に入れることだった。
旅の途中でピアスを手に入れた時のことを思い出す。あの魔法使いの女性は、今どこで何をしているのか。
今になって縋るようなことを考えてはいけない。私が魔力を制御できるようになればいいだけ――そうしなくてはならない時が来ただけ。
フェアリーバードの小さな囀りが聞こえる。私の様子を見て心配をさせたかもしれない――大丈夫、もう頭痛は引いてきている。
「少し下の様子を見てくるわね。戸締まりはちゃんとしてあると思うけれど……」
フェアリーバードに声をかけてから、私はガウンを羽織って部屋を出る。そして階下に降りると、侍女のフランが居間にいた。
いつもならもう帰っている時間だけれど、雨が強くなったから残っていてくれたのかもしれない。
「フラン、今日は泊まっていく?」
護身の心得のある彼女でも、雨の夜くらいは大事を取った方がいい。そう考えて、私は声をかける。
「……はい、ミラルカお嬢様。お気遣いいただき、ありがとうございます。しかし、その必要はございません」
「フラン……?」
――いつもの彼女なら、私に背を向けたままで返事をしたりは決してしない。
警戒をするのが遅れていたら、きっと気がつくことはできなかった。フランの首を中心に全身を覆う、彼女のものではない魔力の気配に。
「さあ、ともに参りましょう……お嬢様のことを必要とされている方がいらっしゃいます……っ!」
振り返った彼女は、いつも朗らかに笑っていたフランのまま――けれどその瞳は、私が知っている穏やかな光を湛えたものとは違う。
「くっ……!」
ディックに魔力で強化されていれば、私の身のこなしはパーティの足を引っ張らないほどにはなる。けれどそうでない今は、若い頃はBランクに相当したというフランの組み付きを辛うじて避けるだけで精一杯だった。
――そしてフランに対してギリギリで避けるということは、回避できていないことを意味する。服の袖を掴まれて、その場に引き倒されてしまう。
(速い……フランがこんなに速く……いえ、違う……)
「お嬢様……私に力を与えた方に、お会いしてみたくはありませんか? きっとお嬢様のお悩みも、たちどころに解決いたしますよ」
フランは決してそんなことは言わない。考えられるとしたら――誰かに魔法か、魔道具で操られている。
「抵抗はなさらないでください。そうでなければ、眠っていただくことになります」
「くっ……ぁぁ……っ!」
腕を極められて、痛みが走る。折られはしないとしても、フランから逃れることができない。
私は近接戦闘には向いていない。いつもコーディとアイリーンが前衛にいて、ディックが後方から見ていてくれるから、こんな窮地に陥ることはなかった。
――ディックに近づきたいと思うなら。私は、弱点を無くさなければいけなかった。
それを悔やむより、今はしなくてはいけないことがある。フランを助けること。
「……これは、悪い夢……すぐに覚めるわ、フラン……」
「いいえ、夢ではありません。お嬢様、あなたはこれから……」
――『限定殲滅型六十六式・粒子断裂陣』――
後ろを向かされていても、相手を認識できていれば、その形と服装を解析することができる。
そして、分かった――フランの首に、彼女には似つかわしくない革の首輪がつけられていること。それが彼女を操っているのだろうということが。
「目を覚ましなさい、フラン……!」
展開した魔法陣が、フランの首輪を切断する。
――その瞬間、私はここにはいない誰かの声を聞いたような気がした。
◆◇◆
アルベイン王国において、傘は貴族や一部の裕福な家庭だけが持つ雨具だ。一般の民は革製以外の外套を羽織り、フードを被ることで、濡れて体温を奪われることを防ぐ。俺の故郷である山間の村でもそうだった。
ミラルカは雨の日に大学で会ったとき、傘を使っていた。完全に雨粒を防げるわけではないので、俺の精霊魔法による熱風で濡れた服や髪を乾かすことを提案したが、ミラルカはそこまでしなくていいと言っていた。
そういったことを思い返すのは、それだけミラルカのことを案じているからか。
スフィアがいなくなった時に見せたミラルカの姿――いつも強い眼差しを俺に向け、遠慮のない言葉をくれる彼女が見せた儚げな姿に、心が動いたからか。
儚く見えたと言ったら、きっとミラルカは怒るか、呆れるかのどちらかだろう。
『私があなたのいないところで泣いているなんて、思ったりしないで』
あの言葉は、俺に心配をさせないようにと言ったものだったのだろう。
そして同時に、ミラルカの強さを表す言葉でもあった。自分のことを気遣うよりもするべきことがあると言ってくれていた――何もかもを良い方向に捉えて、ミラルカのことを全て肯定したなら、そんな俺を彼女は怒るだろうか。
あれから、ミラルカのことを考える時に、俺はフラットな状態でいられていないと思う。あの時誰も来ていなかったらどうなっていたか。想像すると、俺は自分が思っていたよりもずっと自制が効かず、完全に抑制されてなどいない人間だと思い知る。
それよりも、今はミラルカの無事を確かめることだ。母親と魔力的な繋がりを持つスフィアが心配だと言うのだから、今の王都で、俺が把握していない危険などそうそう起きはしないにしても、念には念を入れておくべきだ。
またさらに雨が強まり、遠くに雷鳴が響く。やはり昔のことを思うと、傘を差して歩くことには違和感がある。
雨に濡れるのは嫌いではなかった。それは師匠も、傘を差すよりも雨にさらされて歩くことを好んだからでもある。
子供の頃に身についた習慣や考え方は、そうそう変わるものじゃない。それが特に悪いことでもなければ、変える必要もない。
十二番通りを北に抜けると、魔法大学に向かう道が見えてくる。馬車が通れるように作られた太い道には、轍は残っていない。
しかし一刻半ほど前に降り始めた雨でぬかるんだ土の道を先まで見通したところで、俺は気づく――一人分の足跡が途中で途切れている。
この辺りで魔法大学の学生が待ち合わせをする時に使われるという、目印となる大きな木。その下に、雨の中で傘も差さずに立っている人影がある。
「……ミラ……」
名前を呼ぼうとしたその時、閃光が瞬く。
そこにいるのは、紛れもなくミラルカだった。いつも身につけている青い服を着て――しかし髪飾りをつけていない。
濡れた髪が、片方の瞳を覆い隠している。もう一つの瞳には、いつものような快活な光は宿っていない。
『可憐なる災厄』。王都アルヴィナスの民全てからその美貌を讃えられ、畏敬と憧憬を浴びる、王国最強の魔法使い。
いつも自信に溢れ、誇り高い立ち姿を見せてくれる彼女が――唐突に、糸が切れるようにバランスを崩す。
「……っ」
「――ミラルカッ!」
駆け寄ってミラルカの身体を抱きとめる。両腕を使う必要があり、持っていた傘をその場に投げ出すしかなかった。
服が濡れていることを考えても、その身体は氷のように冷たい。長時間雨に打たれていたのか。何が起きたのか。
何もかも、ミラルカが起きてから聞くべきことだ。十一番通りの診療所に知り合いがいるので、そこに運び込むことを考える――しかし。
「……ディック……私の、家に……」
「ミラルカ……良かった、気を失ったのかと……」
口を突いて出た安堵の言葉を、俺は最後まで言い終えることができなかった。
ミラルカが手を伸ばし、俺の胸元を掴んでいる。強くはなく、しかし決して振りほどくことができない――その瞳を見てしまえば。