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第145話 聖女の迷いと忘却の決意

 ミラルカは俺が見舞いに行った翌日に、魔法大学に復帰した。


 まだアイリーンは帰ってきていないが、彼女とも一度話したいと思う。その前に、俺は教会区を尋ねて、ユマの様子を見に行くことにした。


 礼拝堂で信徒とともに聖歌を歌ったあと、彼女は外で待っていた俺を見つけると、小走りで駆け寄ってきた。


「ディックさん……来てくださったんですね。お元気そうで、何よりです」

「……ユマも、やっぱり少し痩せたか」

「い、いえ……そんなことはありません。元気いっぱいです」


 スフィアに心配をかけまいと、ユマは強がっている。しかし俺を見ているうちに、その瞳が潤んで、顔を伏せてしまう。


「……無理はしなくていい。俺も、ユマと同じ気持ちだから」

「……もうたくさん泣いたのに、枯れてくれないんです。泣いていちゃいけないのに……スフィアさんがしてくれたことを、返さなきゃいけないのに……っ」


 礼拝堂から出てきたシスターたちが、泣いているユマを心配そうに見る――ユマは彼女たちを心配させないように、涙を拭くと笑ってみせた。


 そしてもう一度俺の方を振り返ると、赤くなった目を恥ずかしそうにしながら、孤児院の方を指し示す。


「向こうで、お話をさせてもらえませんか。あの、樹の下で」


 ユマに案内されて、孤児院の敷地内にある大きな樹の下まで歩いてくる。


 微風が拭くと、葉擦れの音とともに、葉の間を抜けてきた陽射しが揺れる。ユマが大樹の根本に座って、俺もその隣に座った。


「……リムセリットさんがスフィアさんと一緒に来られたとき、スフィアさんと二人で話す時間を作ってくださったんです」

「そうか……師匠が、そんなことをしてたのか」

「とても優しい方だと思います。私たちが想像もできないほど長い時間を生きていらっしゃって……私たちのお母さんのような気持ちで見てくださっています。そう言うと、リムセリットさんは困ってしまうかもしれませんが」


 師匠のことを、ユマはよく分かっている。俺にとっても姉のようで、けれど姉のようだと言えば複雑そうにする、師匠はそういう人だ。俺には本当の姉がいるのだからと。


「……皆さん、まだスフィアさんがいなくなったことを受け止めきれずにいます。それは、私も同じです」


 ユマは遊んでいる子供たちを眺めながら言う。子供たちはユマが来たことに気づいて手を振り、ユマも応えるが、子供たちはこちらには来なかった。俺たちが大事な話をしていると分かったのだろう。


「俺は……涙が、出ないんだ。まだ現実味がないままなのか……そんなふうに、いつまでも逃げてはいられないのに」

「……私たちが、泣いているからだと思います。ディックさんは、私たちの前では泣かない。とても、強い方ですから」

「強い……か」


 スフィアに守られて、生き長らえた。本当に強かったのは、スフィアだ。


「俺はスフィアに何をしてやれたんだろう……それを、ずっと考えてる。一緒に戦わせてばかりで……本当は、もっと楽しいことをしてやれたんじゃないかって」

「……スフィアさんが、あのとき三つ首の竜の前に出られたのは……ディックさんと二人で、ラトクリスを助けるために戦ったからです。スフィアさんは、ディックさんといる間にすごく成長していました。ディックさん以外の、私たちを超えてしまうくらいに」


 スフィアが強くなっていたから――力を持っていたからこそ、三頭竜を止めることができた。


 しかし、なぜクヴァリスの方向までを変えられたのか。三頭竜を倒すことで、クヴァリスの方向が変わったと因果を結びつけることはできる。しかしそれは、あくまで推測にすぎない。


「スフィアは……クヴァリスと、何かの繋がりを持っていた。だとしたら……」


 全て言い終える前に、ユマが俺の手を取った。握ったままで、俺をしばらく見つめたあとで、彼女は言う。


「……ディックさん。お話したいことがあります……とても、大事なことです」


 そこまで言って、ユマは息を吸い込む。しかし迷いがあるのか、彼女は目を逸らしてしまう。


 俺は握られた手を握り返す。ユマが俺を見る――瞳が揺れて、彼女は不安を隠すことができずにいる。


「怖がらずに、何でも話してくれ。どんな話でも真剣に聞く……約束する」

「……私の願望なのかもしれません。私は、スフィアさんが、まだこの世界のどこかにいると思っている。魂は失われていなくて、どこかを迷っている……そんなことを、ずっと考えて……」


 ユマが何かを迷うところを、俺は見たことがなかった。彼女はいつも迷いがなく、自分の考えていることを口にする――その彼女が、言うべきでないのかもしれないと思うことを、俺に伝えようとしてくれている。


「願いが強くて、間違ったことを、神託だと思っているのかもしれない。それは、司祭として決してしてはいけないことです」

「……ユマ……それは……っ」


 彼女が言おうとしていること。それを察したとき、俺は思わず大きな声を上げそうになる。


「……スフィアさんの魂の波動は、失われていない。この近く……『近くて遠い』場所に、気配を感じるんです」


 心が、震えた。


 木漏れ日の中で、ユマは俺の手を握ったまま、懸命に言葉を続ける。


「でも……スフィアさんがもし、まだこの世界にいてくれるんだとしても。それなら、私たちのところに戻ってきてくれないのは、どうしてなのかって……探しに行ったら、彼女は今度こそ、魂の気配も感じられなくなってしまうんじゃないかって……」


 一度消えてしまったものが、戻ることはない。神に仕えるユマが、俺たちの中で誰よりそのことの重みを理解している。


 ――しかし、ユマは確かに感じている。ユマの感覚を、俺は一度も疑ったことがない。


 近くて遠い場所。ユマでもはっきりとは言い表わせない、そこにスフィアがいる。


「……よく話してくれたな。ずっと、迷ってたのか」

「……はい。でも、ディックさんに一番先に話したくて……スフィアさんと一番長く一緒にいたディックさんなら、答えを見つけてくれると思ったんです」


 ユマは俺を信じてくれている。俺なら、スフィアのいる場所を探せると。


 しかし、同時に不安に思ってもいる。この手がかりを追いかけて何も見つからなかったときに、傷が深まるだけではないのか――だから、話すことに迷いがあった。


 それでも、聞いてしまったのだから。俺はユマの言葉を信じる――希望が失われていないのなら、泥臭くとも縋りつく。


 スフィアが帰ってきてくれるのなら、どんなことでもする。その思いは、彼女がいなくなったあの時から変わっていない。


「ユマ、話してくれてありがとう」

「ディックさん……スフィアさんを、探しに……?」

「俺のギルドにも、スフィアの目撃情報は入ってない。アルベインの国中の情報を集められるが、精査してもそれらしい情報はなかった……それでもスフィアが『近くて遠い』場所にいるのなら。それが、答えにつながるかもしれない」


 ユマは俺を見る――そして、大きな目をいっぱいに見開いて。


 再びぽろぽろと涙をこぼし、俺の胸に縋りつくようにして、彼女は言った。


「ディックさん……お願いします。スフィアさんを……スフィアさんを……っ」

「ああ……その依頼、請け負った。スフィアを、必ず見つけ出す」


 『銀の水瓶亭』は、必ず依頼を遂行する。それは例え、身内から頼まれたことであっても――そして、俺自身の願いであっても。


   ◆◇◆


 アルベイン王国の地上ではなく、『近くて遠い』場所。その答えとしてまず考えられるのは、王都アルヴィナスの地下。


 ベルサリスの遺跡迷宮。俺はギルドハウスの地下にある転移陣から、地下迷宮の第一層へと転移した。


「む……マスター?」


 今日も地下迷宮の探索をするつもりだったのか、ゼクトたちの姿がある。リゲル、マッキンリー、ライア――そして、ティオもパーティに参加していた。


「マスター……っ、お久しぶりです! まさか、ここで会えるなんて思ってなかったっす!」

「お疲れ様です、マスター。いや、本当に久しぶりだ。活躍の話はゼクトさんから聞いてますが、何か遠い存在になっていくような気がして……」

「マスター、私たちは十六層まで転移陣を開通させています。そこから探索を再開しますが、いかがなさいますか?」

「……マスター様……研修で、おじいちゃんに、参加させてもらうようにって……」

「ああ、くれぐれも気をつけてな。無理はせず、仲間を頼りながら進むんだ……しかし、十六層か……」


 妖精の力を借りれば、七階層の魔法陣から『霊脈』を辿って、深部まで潜ることができる。俺は一度、妖精に会えることを期待して、七階層の魔法陣に向かうことにした。


 もし妖精の力を借りられなければ、ゼクトの一行に合流すると伝えると、彼らは一足先に十六層へと転移していった。


   ◆◇◆


 七階層――巨大サンドワームの群れがいた層。他の冒険者は今はいないようで、遠くの砂地から飛び出してきたサンドワームが、空中で弧を描いて着地するところが見える。


 かつてシェリーがクライブの襲撃を受け、傷を負った場所。それ自体は思い出したい記憶ではないが、この場所から俺は妖精の力を借り、迷宮深部まで一気に降りた。


(……いないのか? この迷宮に、戻ってきてはいない……それなら、どこに……)


 俺は妖精を『妖精』と呼ぶだけで、まだ名前をつけられていない。


 あれほど世話になったのだから、ただ『妖精』と呼ぶだけでここまで来てしまったことを、少なからず後悔する。


 ここで会うことができなかったこと。ずっと、妖精を探さずにいたこと――俺は胸騒ぎを覚えながら、もう一つの目的を忘れてはならないと思い直す。


 妖精の力を借りられないのなら、一階ずつ降りていくしかない。そして、全ての階層でスフィアを探す――途中まではゼクトたちと一緒に、しかし同行が難しくなれば、一人で最深部まで潜る。


 俺一人なら、かかっても数日で最深部まで辿り着ける。魔物全てと戦う必要も、宝を探す必要もない――探すのは、スフィアだけだ。


「さあ……行くか」


 俺の姿に気づいて敵対したサンドワームが、こちらに向かってくる。俺は剣に手をかけ、敵が間合いに入る前に、Aランクの魔物を丁度倒せる程度に加減した魔力の斬撃を放った。


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