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第143話 流れない時間と魔法使いの屋敷

 王都アルヴィナスの人々は一部だけがクヴァリスを目にしていたが、遥か遠方に見える浮遊島の影は、朝が来るころには消えていた。


 俺たちは飛行戦艦に戻り、その場を離れ、火竜牧場のある森に戻った。


 制御室にいたフレイも、シャロンも何も言わなかった。シャロンはスフィアとの契約が俺に移行したこと、これからは俺を直接の主人とすることを告げ、しばらく喪に服すと言って姿を消した。


 ヴェルレーヌとシェリーが姿を見せ、シェリーは始め、感情を抑えているようだった――しかしヴェルレーヌがその肩に手を置くと、彼女は弾かれたように俺の胸に飛び込んできた。


 ずっと泣き続けていたのだろう。それでも涙は枯れることなく、シェリーは肩を震わせて泣いた。ヴェルレーヌはその間、何も言わずにいた。祈るように目を閉じ、立ち尽くしたまま――その握った拳から、血が滴り落ちる。


「何が魔王だ……娘一人すら守れずに。娘に救われて、生き長らえて……」

「……ヴェルレーヌさん、自分を傷つけてはいけません。スフィアさんが……」


 ユマはヴェルレーヌの固く握り締めた手を解く。その途中で、ユマの頬から伝った涙が、彼女の手の上に落ちる。


「それでも私は……自分を許すことができぬ。私にはまだできることがあった……魔王としての力を使わずに終わるなど……」

「ヴェルレーヌ様は、魔晶圧縮砲を放つために固有精霊の力を使っておられた……精霊魔法の卓越した使い手でなければ、あれほどの威力は出せませんでした」


 フレイの言葉に耳を傾けながらも、ヴェルレーヌは唇を噛み、目を閉じる。


「……慰めには、感謝する。しかし……私が代わりになれるのなら、代わりたかった。それができぬと分かっていても、願わずにはいられぬのだ」


 ヴェルレーヌは強い――だが、傷ついていることに変わりはない。


 俺が今彼女を慰めても、それを受け入れはしないだろう。彼女はそういう女性だ――しかしその誇りで傷を癒やせないとしたら、スフィアは悲しむだろう。


「ディック。スフィアはなぜあの怪物を止めることができたのか、クヴァリスの方向を変えられたのか……私たちは、それを知るべきだ」


 俺のことを名前で呼ぶのは、俺の従者としてではなく、スフィアの母親として話しているからだ。


 ヴェルレーヌは強く憤っている。スフィアが命を賭けなければならなかったこと、そうすることをスフィアが選んだ理由の全てを、知らずにいることに。


 シェリーがそっと離れて、潤んだ目を拭う。そして彼女も、ヴェルレーヌと同じように、その瞳に強い意思を取り戻して俺を見た。


「……スフィアは……私達の魔力で生まれた。でも、スフィアの心はどこから生まれたの……?」


 俺たちの魔力が俺の中で混ざり合い、溢れた力を分離したことで、人工精霊――スフィアが生まれた。それは、状況からの推論にすぎない。


 あの時、何かの力が働いていたとしたら。スフィアが生まれたことに、理由のあるのだとしたら。


 ――それがスフィアを俺たちの元に戻してくれるわけでないのなら。知ろうとして、何の意味があるのだろう。


 ここに至る運命を変えるには、二千年前に戻るしか方法はないのに。


   ◆◇◆


 王都に戻って、三日が過ぎていた。


 時間の流れの感覚がない。朝が来るたびにスフィアがいないことを確かめ、一日が終わらないように長く感じながら過ごす。


 生きていることに実感がなかった。流れる時を呪いのようにしか感じられなかった。


 サクヤさん以外のギルド員には、スフィアのことを知らせられていない。ハレ姐さんやミヅハには、事情があって王都を離れていると話すしかなかった。


『ダンナたちの娘さんだから、冒険したいって年頃だったりとか? 帰ってきたらうんと甘やかしてやりなよ、まだ子供なんだから』

『スフィアちゃんなら強いから安心やけど、ちょっと寂しいなあ……うち、スフィアちゃんとまだゆっくり遊べてへんから』


 スフィアが急に王都を離れるのは、不自然だと感じるはずだ。それでも皆は、俺のそんな曖昧な説明を聞いても問い正したりはしなかった。


 いずれ本当のことを言わなくてはならないのに、答えを先送りにしている。


 そう分かっていても、スフィアがまだ生きていると当たり前のように信じて話す皆を見ることで、俺は救われていた。


 ――現実を受け入れられていない。スフィアを失った理由と、俺は向き合おうとすることができていない。


「……ご主人様。今日も、仕事をするだけで終わるつもりなのか?」


 執務室にいる俺のところに、ヴェルレーヌがやってくる。彼女には休んでもいいと言ってあるが、店主の仕事を毎日務めている。


 サクヤさんは、俺が何を考えて彼女たちに副マスターを頼んだのかに気づいていた。


 ――俺が一人でクヴァリスを止めようとしていたこと。それを彼女は咎めず、スフィアを失ったことも責めはしなかった。


 彼女は全て理解した上で、俺をまだマスターと呼んでくれている。


 ヴェルレーヌは何も答えない俺を見て、ふぅ、と嘆息する。そして俺の近くにやってくると、広げたままの革のノートを見て言った。


「これから何をすべきか、書き留めていたのか。それを見ても、何も分からぬのか?」

「……何をすればいいと思ってたのか、分からなくなった。でも、そうも言っていられないことも分かってるんだ」

「時間が必要ということか。その気持ちは分かるが、それではご主人様らしくはあるまい」


 このままでは駄目だと、そう言ってくれている。俺も分かっている――ヴェルレーヌが抱いた疑問に対する答えを、探さなくてはならない。


「……ミラルカ殿の話は聞いたか? 魔法大学を、休んでいるそうだ。マナリナ王女がその旨を知らせにきた。今のご主人様の顔は見せられぬから、会わせはしなかったが」


 ミラルカとはあの時から、言葉を交わしていない。アイリーンは気持ちを落ち着けたいと言って、火竜牧場の森でひとり修行をしている。コーディは一度顔を見せたが、それは俺たちの様子を見に来ただけで、しばらくは来られないかもしれないと言っていた。


 騎士団長の務めを果たすことで、コーディは自分の本分を見失うまいとしているのだと思う。スフィアはコーディの真面目さを尊敬していた――女性であることを隠して騎士団にいることも全て、スフィアは肯定して憧れていると言っていた。


 スフィアの望んでいたことを、裏切らない。俺たちはそう在らなくてはならない。


「一度、会いに行ってみるがいい。店のことは心配はいらぬ、私がいるのだからな。リムセリット殿も、手伝ってくれている」

「……師匠は、大丈夫か?」

「下にいるのだから、会って話せば良かろう……と、厳しいことばかりも言えぬか。師匠殿は、まだ気持ちの整理がつかぬと言っている。彼女についていればこんなことにはならなかったと」


 師匠も、シェリーも、スフィアを見ていれば良かったという。しかし俺は、そうしたとしても、スフィアが違う選択をしたとは思えない。


 誰も悪くはない。誰が責められるべきでもなく、それでも誰もが傷ついている。


 ――それを知りながら何もできずにいる俺が、責められるべきだ。そんな心を見通したように、ヴェルレーヌが俺の肩に手を置く。


「食事くらいは摂ってもらわねばならぬ。そんな痩せた姿を見せられると、口移しで食べさせなくてはならなくなるぞ。スフィアに今のディックの姿は、とても見せられぬ」

「……すまない。食事をしたら、出かける」

「うむ。それでいい……少しずつでいいのだ。スフィアのことも、クヴァリスのことも、ご主人様が動きたいと思えたときに調べてほしい。私も、できる限りのことはしよう」


 ヴェルレーヌはそう言って俺の背中を撫でると、部屋を出ていく。


 少しずつでいい。その言葉が有り難く、心配をかけていることを詫びる気持ちが湧いた。


 動かないままではいられない。俺は席を立ち、窓の外を見た。


 スフィアと一緒に、バニングに乗って見た風景を思い出す。空は変わらず青く、王都は何も変わらないままでそこにあった。


   ◆◇◆


 ミラルカの家は、魔法大学のある大学区の一角にある。教員たちが暮らす家の一つなのだが、ミラルカの父が魔法大学の教授だということで、貴族の邸宅にも劣らずの大きな屋敷だ。


 ここがミラルカの家と知ったのはかなり前になるが、正式に玄関から入ることは無かった。ミラルカが魔王討伐の褒美としてもらった『フェアリーバード』が逃げてしまって、彼女が消沈していたことがあり――と、今はそれよりも、大学を休んでいるミラルカの様子を確かめることが先決だ。


 会うには勇気が必要だった。それでも俺は、自分と同じように食事が取れないようならと滋養の取れるスープを作り、魔道具の保温ポットに入れて差し入れとして持ってきた。他にも軽食を用意している。


 今は会いたくないと言われることも覚悟していた。玄関の扉のノッカーを鳴らすと、中から従者の服を着た妙齢の女性が出てくる――ミラルカの母親というわけではなく、この家に勤めている人のようだ。


「こんにちは、お客様。本日は、当家にご訪問のお約束などは無いようですが……」

「急に尋ねてきてすみません。俺はディック・シルバーという者です。ミラルカさんが魔法大学を休んでいると聞いたので、見舞いに伺わせていただきました」


 柄にもなく緊張しながら挨拶をすると、鋭い瞳を持ついかにも切れ者そうな従者の女性がふっと微笑んだ。


「あなたがディック様……お話はお嬢様から、かねがねうかがっております」

「っ……お、俺のことをミラルカ……さんが、話したりするんですか?」

「魔王討伐隊でご一緒されて以来の、親しいご友人なのですから、ご遠慮されることはございません。普段どおりになさっていただいて大丈夫かと思います……お嬢様に、お通しして良いかだけは確認させていただきますね」

「はい、お願いします」


 立場も何も踏まえることなく、初対面の人に年齢相応の扱いを受けるのは久しぶりだ。礼儀がなっているだろうかと、自分の振る舞いを省みる。


 ――ほどなく従者の女性が戻ってきて、俺を家に入れてくれる。玄関ホールから絨毯敷きの邸宅は、やはり王都の中ではグレードの高い家になる。調度品も選び抜かれていることがひと目で分かり、とても興味深い。


 二階のミラルカの部屋には名前のプレートがかけられており、ノックをすることと書かれている。アイリーンの家には行ったことがあるが、他の女性の家に行く機会はほとんどないので、やはり少なからず緊張する。


「ミラルカお嬢様、ディック様が参られました」

「ええ。入ってきてもらって」


 数日ぶりに聞くミラルカの声に、俺は少なからず安堵する。沈んでいる声ではない――だが、それはこの数日に、ミラルカが努力をした結果なのだろう。


 俺は部屋に通される。カーテンを通った昼下がりの光の中、ミラルカは席を立って俺を出迎えた。家の中で着るものか、今まで見たことのない服を着て、髪飾りをつけていない。


「……あなたも、繊細なところがあるのね。頬がそんなに痩せてしまって」

「そういうことに意識が向かないんだ。そんなことじゃ駄目だとは思うが……」

「大学を休むのは、今日までにするつもりよ。明日からは、いつも通り。そうしなくては、あの子に心配をかけてしまうものね」


 俺が聞く前に、ミラルカは自分から話してくれた。俺は椅子を勧められて座るが、彼女は座らず、立ったままでいる。


「……指が痩せてる。全然、食べられてないんじゃないのか」


 ミラルカは答えない。自分の手を見つめて、彼女は震えるような息をつく。


「あの子はもういないのに、生きるために食事をすることが、たまらなく卑しいことだと感じられるのよ」

「……俺たちの知ってるスフィアは、きっとそんな考えを望まない」

「……分かってる……分かってるわ。それでも……あの子が笑っていたことを、私たちを母親だと呼んでくれたことを……思い出して……」


 俺に背を向けて、ミラルカは涙を見せまいとする。


 こんなに華奢で、小さかっただろうか。いつもミラルカは胸を張っていて、自信に溢れていて――自分を、肯定していて。そんな姿に、俺も皆も勇気づけられていた。


「俺も、倒れるわけにはいかないからな。スープを作ってきた……できるなら、ミラルカにも飲んでもらいたい」


 ミラルカは答えない。涙を拭っても、振り返って俺を見る目は痛々しいほどに赤いままで、胸が痛む。


「……あなたも一緒に摂るのなら。持って帰らせるわけには、いかないもの」


 強がるように言うと、ミラルカは俺の向かい側に座る。俺は席を立ち、テーブルにマットを敷いて、食事の準備を始めた。


 スープを器に注ぎ、試してみるように勧めると、ミラルカはスプーンですくって口に運ぶ。こくん、と飲み込んで、ミラルカはそのまま動かない。


 ぽた、とマットに雫が落ちる。一滴では止まらず、次々に涙が伝い落ちていく。


「……美味しい……」


 小さな声でミラルカは言う。俺は彼女が泣き止むまで、傍らに立って見ていることしかできなかった。

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