第12話 情報部員と少女司祭
『銀の水瓶亭』には情報収集を専門とするギルド員がいる。彼、そして彼女らは、常に町の噂に耳をそばだて、情報屋と接触しては、俺の元に王都内の情報をもたらしてくれる。
12の冒険者ギルドはいずれも情報収集部門を持っているが、トップギルド『白の山羊亭』の情報部を除いて、いちおう部門として存在している程度である。持ち込まれる依頼をさばいているだけでも、仕事の量が十分であればギルド経営には問題ないからだ。
しかしただ待っているだけでは、代わり映えのしない依頼が持ち込まれるだけだ。
人手不足なので農家の収穫を手伝ってほしい、素材を代わりに集めてほしい、商人の護衛、さほど強くない魔物の討伐、犬や猫の捜索、家出人の捜索――そういった依頼を他のギルドと取り合っているのは労力の無駄だし、そこに割くよりは、ギルドに持ち込まれない依頼こそを掘り出すべきなのだ。
そんなわけで、俺のギルドの情報部は日夜情報収集に励んでいるのである。今日も、夜の部になると、飲んだくれている俺の元に、情報部員が報告にやってきた。
「ヴェルさん、きんきんに冷やしたエールお願いしまーす。今日は一日動き回って、汗だくになっちゃって」
「お疲れ様です、リーザさん」
カウンターの俺の席の隣に座り、エールを受け取って美味しそうに飲んでいるのは、情報部員のリーザである。もともとは12番通りの界隈で情報屋の小間使いとして働いていた少女だが、その才能を見込んで俺がスカウトした。
会ったときは11歳だったが、今は16歳。ショートカットにさっぱりとした笑顔が印象的で、右耳だけピアスをしている。そのピアスは聴力を強化するためのもので、情報部員ご用達の魔法具である。俺が作り方を習って自作したのだが、なかなか気に入ってもらえている。
情報部員はみんな外套を羽織っており、革製の軽い防具を身につけている。しかし他にも冒険者が出入りしているので、その姿が特に目立つということはない。一般の客も慣れたものだった。
「あ、座ってから言うのもなんですけど、となり空いてますか?」
「ああ、空いてるぜ」
「えへへ、ありがとうございます。相変わらずですね、マスター……いえ、常連さん」
マスターと言いたいだけじゃないのか、という訂正の仕方に苦笑しながら、俺はエールを喉に流し込む。そしてヴェルレーヌが出したつまみを口に運んだ。今日入ったばかりの新鮮なチーズだ。
リーザにも勧めてやると、彼女は嬉しそうに口に運ぶ。乳製品が好きなので、この『雲羊のチーズ』はたまらないだろう。普通の羊のチーズとはコクと旨みがまるで違う。
「ヴェルさん、聞いてくださいよ。今日、町でこんなことがあってですね……」
リーザは世間話をしているようだが、暗号を用いて、どんな情報を集めてきたかを俺に伝える。
マナリナとの婚約を破棄されたヴィンスブルクトが、懲りずに他の王女との婚約を申し込もうとしたが、第三王女はまだ幼すぎて却下されたこと。
騎士団を便利屋のように使っていた貴族が、それができなくなって冒険者ギルドに依頼を持ち込むようになったということ。
その貴族がギルドに持ち込もうとした依頼というのが、購入した格安物件の屋敷に死霊が出るので、退治してほしいというものだったということ。しかし依頼を断られたので、貴族は諦めて屋敷を手放し、今は空き家となっているらしい。
いずれもあまり興味を引く話ではなかったが、マナリナとティミスにさらに妹がいるというなら、ヴィンスブルクトの魔の手からいずれ守ってやらねば、と思いはする。年端も行かぬ少女に手を出そうとは、よほど王族との姻戚関係が欲しくてしかたないのだろうか。
「あ、それとですね……マナリナ様がまた国王陛下から結婚を勧められたそうですが、きっぱりと断ってますね。これは、ある人物の影響なんだそうです」
「ふふっ……そうなのですか。それは興味深いですね。そちらのお客様も、隅におけないようで」
女王として即位することもできるので、絶対結婚しなければならないわけではないが、もし俺に操を立てていたりなんかしてしまったら、ちょっと何というか、一度意識調査が必要だろうか。そんなことを言っていたら、またミラルカにさげすんだ目で見られそうだが。
「そうそう、聞きました奥さん?」
「奥さん……私のことですか? 確かに私は、精神的にはご主人様のおしかけ妻のつもりではございますが。もしや私のご機嫌を取ろうとなさっているのですか。リーザさん、あなたは優秀ですね」
「そこまで考えてなくてノリだったんですけど、ありがとうございまーす」
勝手に奥さんにするな、と喉から出かかるが、俺は隣席でひとり飲んでいる体なので、黙っているしかない。
「ええとですね、王都の教会区のはずれに、孤児院があるじゃないですか。そこの孤児院の院長さんが、今寝込んじゃってるみたいで、子供たちが心配してるんです。そこの孤児院の年長の子が院長さんの代理をしてるんですけど、けっこう大変みたいですね」
「それはお気の毒に……その院長をされている方は、何かご病気をされたのですか?」
「それが、原因不明みたいです。ちょっと前から不調だったみたいですけど、今は特に深刻で……あ、ユフィール・マナフローゼっていう女性の方なんですけどね」
ユフィール・マナフローゼ。その名前を、俺はとても久しぶりに聞いた。ふわりと柔らかく笑う、少しぶかぶかな女僧侶の服を着た少女――その姿を思い出す。
「長い名前なので、短くして呼んでください」と言われ、アイリーンがつけた略称。名前の頭文字を取って、「ユマ」――そう、『沈黙の鎮魂者』と呼ばれる、魔王討伐隊の一員だ。
ユマが病気になった。ミラルカが知らなかったということは、ここ最近体調を崩したということになる。
「ユフィールさんのお父上は、アルベイン教会の大司教なんです。大っぴらにギルドに依頼を出すわけにいかないみたいですけど、どんな方法を使ってでも、娘さんの病気を治したいと思っていらっしゃるそうで……今は、お母さんがつきっきりで看病をしているそうですよ」
リーザは俺とユマの関係について知っているので、それも込みで俺に情報を伝えてくれているのだろう。
「ではでは、私はこれで。今日はもうくたくたなので、うちでゆっくり寝たいです」
「ええ、またのお越しをお待ちしております」
ヴェルレーヌに送り出され、リーザはさりげなく俺にも手を振ると、ほろ酔いながらしっかりした足取りで店を出て行った。
この近くには『銀の水瓶亭』によって買い上げられた集合住居があり、そこがギルド員の寮となっている。いわば社員寮というやつだ。俺は店の二階を住居にしていて、ヴェルレーヌも一緒に住んでいる。
「……お客様、聞きましたか? リーザさんが、私のことを『奥さん』とおっしゃっていましたが。酒場の店主として勤めるあいだに、若妻の艶が出てきたということでしょうか。お客様は、どう思われますか?」
店主と若妻に何か関係あるのか不明だが、ヴェルレーヌはとにかくうれしかったようだ。
最近魔王の護符を返せと言わなくなったのは、目的が変わったからなのではないかと薄々気づいている俺だったが、同居していても襲われないうちは、まだ大丈夫だ――何が大丈夫か分からないが、とにかく自分にそう言い聞かせていた。
◆◇◆
そして翌日。俺は店の昼下がりの休憩時間に、裏口から出て、ある場所へと向かった。
首都には南北に走る12の通りがあって、一番西から順番に番号がつけられており、それぞれ特色が異なっている。
一番通りは『教会区』に隣接している。徒歩で教会区に行くには時間がかかるので、王都を巡回している馬車に乗り、楽をさせてもらった。最近の馬車は客席の質が良く、乗っていてもそこまで尻が痛くならない。
一時間ほどかけて教会区の近くまでやってきた俺は、外套をかぶって馬車から降りた。運賃は銀貨5枚、この距離を運んでもらうにしては安い。これは、乗り合い馬車に国から補助が出ているからだ。
教会区は文字通り、アルベイン神教会の施設が集まった地区である。人々が礼拝に通う礼拝堂、そして僧侶たちが修行に励む修道院――いくつもの建物を横目に俺は歩き続け、その孤児院にたどり着いた。
孤児院には隣接して礼拝堂が立てられている。ユマはここで司祭を務めつつ、孤児院の院長をしているわけだ。そして大司教になるための勉強もしているとなれば、疲労で倒れても無理はない。
孤児院の庭では、子供たちが遊んでいる。それを見守っていた若い女僧侶が、俺のところに歩いてきた。
「こんにちは。こちらに何かご用向きでしょうか?」
「ここの院長に会いたいんだが、面会はできるか」
「院長先生でしたら、今日はそちらの礼拝堂にいらっしゃいます。しかし、最近はご体調がすぐれないとのことで、ご面会は……」
ユマはまだ酒を飲める年齢じゃないし、僧侶に酒は厳禁だから、俺のギルドに来ることはできない。
だからこそ、彼女の様子を見るために、足を運ぶべきだと思ってはいたが。過保護なことをしているようで、ここまで足が遠のいてしまった。
今回だけは、例外だ。俺は酒場で、持ち込まれる依頼を解決するだけ。
自分から動くのは、そうせざるを得ない場合だけだ。言い訳めいていると思いながら、俺は腹をくくる。
「俺はユマ……ユフィールさんの、古い友人なんだ。ミラルカ・イーリスのことも知ってる」
「ミラルカ・イーリス……あ、あの、『可憐なる災厄』のご友人であらせられるのですか……?」
女僧侶は驚きを顔に出す。こんなことで説得できるのかと思ったが、ミラルカの名前は強力だった。ここに出入りしているそうだから、この女僧侶も面識があるようだ。
「で、では、ユフィール様にお伺いしてまいります。しばしお待ちください」
おそらくユマより年上の女僧侶は、慌てて礼拝堂に速足で向かう。おそらくユマなら、俺だと気づいてくれるだろう。
その予想通りに、戻ってきた女僧侶に案内され、俺はユマの居る礼拝堂に案内してもらった。
礼拝堂に入ると、神像の前で祈りを捧げる女司祭の後ろ姿が目に入った。
天窓から降り注ぐ光の中で、彼女は静かに祈り続けている。近づいていいものかと思うが、意を決して歩き始めると、女司祭が後ろを振り返った。
――そして、昔とまるで変わらない笑顔で笑う。彼女は片手を上げ、小さく動かして挨拶をした。
「ディックさん、お久しぶりです。さきほど神託があって、あなたが来るのはわかっていました」
「それはすごいな……どういう神託だったんだ?」
「……それは秘密です。神様のご意志は、簡単に他の方に教えていいものではないのです」
口元に人差し指を当てて言う。相変わらず小柄だが、やはり年齢相応に身長は伸びて、もう子供っぽいとばかりも言っていられない。白を基調とした司祭の服は、彼女の身体の柔らかな曲線を、ふんわりと浮かび上がらせている。
「……ちょっと痩せたか? 長いこと会ってなくて、そういうこと言うのもなんだけど」
「くすっ……ディックさん、私が寝込んでいたこと、知っていて来てくれたんですよね?」
「お見通しか……まあ、使いの者を見舞いに行かせるってのは、さすがにどうかと思うからな」
「ありがとうございます。ディックさんは昔から優しいですよね、いつも他人に興味がないっていうふうなのに」
「他人に興味がないなら、ギルドなんて初めからやらないさ。俺はただ、目立ちたくないだけだ」
お決まりのセリフを言うと、ユマは楽しそうに笑う。
しかし、こうして話していても一見元気そうに見えるが、違和感があることは否めない。
ユマといえば何か。今の彼女は、あまりにも毒気がなさすぎるのだ。俺が知っているユマは、こんなに絵に描いたような聖女ではない。
「孤児院、うまくいってるか?」
「はい、受け入れ人数がもういっぱいになってしまったので、お父様に相談してもう一つ孤児院を作ろうと思っています」
「……今でも忙しくて、大変じゃないか? あまり根を詰めすぎると、身体に悪いぞ」
ユマらしさといえば、『鎮魂』。しかしどうも、今の彼女からは、その言葉が出てくる気配がない。
それはおかしいことなのだ。あれほど鎮魂にとりつかれた彼女が、久しぶりに会った俺の魂をお鎮めしたい、と言わないなどと、あきらかに異常だ。いや、普通は言わないのかもしれないが、ユマは普通ではない。
「仕事や勉強も大事だけど、たまには何も考えずに、楽しいことをしてもいいんじゃないか」
「はい……でも、王都は平和ですから。私の魂を震わせる出来事は、あまり起きてはくれないのです」
しゅん、としているユマ。
やはりそうだ――もしかしなくても。彼女に元気がない理由は、鎮魂ができてないからだ。
「王都に戻ってきてから、その……できてないんじゃないか? 『鎮魂』」
「っ……ど、どうしてそれを……?」
「いや、見てればわかるよ。あれだけ鎮魂したいって一日中言ってたのに、今はごく普通のことしか言わない。そんなのは、ユマらしくないからな」
「……王都は平和になりましたし、私は慰霊などのお仕事をまだ任せてもらえませんから、冒険をしていたときと違って、ち……鎮……鎮魂……は、あまりできなくなってしまったのです」
ユマは『鎮魂』という言葉を口にすることにすら躊躇するほど、鎮魂に飢えている――口にしたら我慢できなくなる、おそらくそういうことなのだ。
「……でも……ああ……そんなふうに言われてしまったら……思い出してしまいました。ディックさんの魂をお鎮めしたい……ほんの少しで構いませんから……」
「ま、待て……俺はまだ生きてる。生前に魂を鎮めるって、どういうことになるんだ?」
「強制的に神の国へ……神聖魔法……昇天……」
「っ……ゆ、ユマ、落ち着け。俺の魂はいつか、俺が天寿を全うしたときに鎮めさせてやる。だから今はちょっとお預けというか……っ」
目がとろんとして、俺にじりじりと迫ってきていたユマの目に光が戻る。
――やはり、痩せている。俺は安堵の溜息をついたあと、礼拝堂の席に腰かけ、革のザックからユマのために持ってきた土産を出した。
「礼拝堂は飲食禁止か? それなら、場所を変えるけど」
「いえ、大丈夫です……ディックさん、私のために……?」
「ああ。とりあえず、滋養強壮のために……酒ではないから、安心して飲んでくれ」
俺はコルクで栓をした瓶を出して開けると、割れないように運んできたグラスに中の液体を注いだ。
『安らぎの雫』。エルフが独自に調合した薬用の飲み物で、希少な生薬のエキスを調合し、飲みやすいように風味をつけてあるものだ。
ユマは俺のとなりの席に座ると、グラスを受け取る。そして、そっと唇をつけた。
「んっ……あ……濃厚そうなので、苦いかなと思いましたが。甘くて飲みやすいです」
「薬でも、味は大事だからな。まあ、上等なポーションだと思ってくれ」
「はい……身体が少し温まってきました。気持ちも、とても落ち着きます……」
疲れているほど即効性があると言われているので、ユマにはてきめんに効いたようだった。
安らぎの雫を飲むと食欲が出るので、肉を食べることが禁じられている僧侶でも食べられるバゲットサンドと、果実のジュースを出す。
「これも良かったら食べてくれ。うちの店では結構人気がある軽食なんだ」
「……はい。お薬を飲んだら、はしたないですが、少しおなかがすいてしまいました。いただきます」
ユマはサンドウィッチの包み紙を剥くと、はむ、とかぶりつく。あまりレディの食事を見ているのも何なので、俺は神像に視線を移した。
「ディックさん……懐かしいですね。魔王討伐の旅をしていたときも、こんなふうに食事をしたことがありました。そのときより、ずっと美味しいですけど」
「それは良かった。ただでさえユマは体重が軽そうだからな、ちゃんと食べたほうがいいぞ」
「はい。ディックさんも一緒に食べてくれたら嬉しいです」
ユマがそう言うならば、ご相伴にあずかるほかはない。俺は後で食べようと思っていたバゲットサンドを取り出し、彼女の視線をくすぐったく思いながらかぶりついた。
今のところ、ユマは食事がとれないというほど衰弱はしていないが、このままでいいとは思っていない。
ユマのストレスを解消してやらないと、根本的な問題解決はできない。ならば、どうすればいいか。
それには、溜まりに溜まった彼女の鎮魂欲を満たしてやればいい。
今のしおらしく、淑やかなユマも正直を言って悪くはないと思うのだが、やはり彼女らしさを取り戻してやりたい。
あくまでも、俺らしいやり方で。俺はすでに、ユマにしてやれることを思いついていた。