第131話 暗雲を裂くものと鎧精の主
グラスゴールは師匠の手で治療を施されたが、最低限しか回復を望まなかった。しかし鎧精を維持するだけの魔力を供与されると、そのことには頭を下げて感謝していた。
「フレイちゃん、歩ける? 辛かったらまた治療させてね」
「……相手を捕らえたら、普通は拷問をするものだ。苦痛を与えた方が言うことを聞かせられる……君たちは、本当に甘い」
「そうだな……脱走されたりするのは困るし、対策は考えておく。幾つか方法はありそうだからな」
「っ……」
グラスゴールは言葉に詰まる。冗談は通じない方らしい――いや、完全に冗談というわけでもないのだが。逃げ出されては困るのは確かで、何らかの方法で防がなくてはいけない。
魔道具の拘束具などは、むしろ悪用されているときに俺たちが仕事で回収する対象なので、そういった方法は考えない。だが、グラスゴールに縁のある人物で、彼女に対して制約をかけられる仲間が新たに加わっている――と、そのことはとりあえず後にする。
グラスゴールと戦った部屋の中心――そこに彼女が手を置き、魔力回路を起動させる。すると、床から円形の柱がせり上がってくる。
円形の柱の上面に、何かを象った像のようなものが鎮座している。その姿に、俺は見覚えがあった――妖精だ。
「妖精が、ここにもいるのか? そういう気配はしないが……」
「……妖精を知っているのか。私がここに来たとき、初めは妖精がまだ生きていて、私にこの遺跡についてある程度のことを教えてくれた」
「この遺跡は、ヴェルレーヌから見ると『戦艦』に見えるらしいが……妖精は、どういうものだと言ってたんだ?」
「妖精は『末端』と言っていた。もともとは大きな浮遊島から切り離されて、独自で飛行する機能を持ったものだと……だが、ヴェルレーヌ様の言う通り、その用途は『戦艦』だと考えられる。この中には魔物同士を掛け合わせるための陣があり、攻撃に使うための仕組みもあったようだ。今も一部なら起動するかもしれない」
ヴェルレーヌのことはグラスゴールも知っていて、敬意を抱いているようだ。話しかけても聞いた以上のことを答えてくれるようになり、あまりに大きな態度の変化に、俺の方が少し戸惑ってしまう。
「ここで私が非協力的な態度を取っては、それこそ信念も何もない。質問には答える……必要なことであれば」
「ディー君なら絶対変なこと聞かないから大丈夫だよ。魔法合金より頭が固いから」
「どういう例えだ……ああ、そうだ。あの合金のゴーレムは壊して入ってきたが、あれもガーゴイルと同じ方法で造ったのか?」
「あれは対空兵器として、元から遺跡の中で眠っていたものだ。確かにガーゴイルと同じ原理で動いているが、修復するには時間がかかる。動力源となる魔力は大気中から回収することで賄っているから、ゴーレムの再生に回せる魔力は限られている」
壊したことを咎めている――というわけでもないが、この戦艦における重要な戦力ということで、壊しておいて言うのも何だが、再生してもらうに越したことはない。
「……グラスゴールさん、この妖精さんは……眠っているんですか?」
「妖精自身は、寿命だと言っていたが……この遺跡を管理していた妖精がいなくなっても、遺跡は機能を残している。意思を疎通することはできなくなったが、今もそこにいる。私は、そのように思っている」
「……良かった。妖精さんが死んじゃったら、悲しいから……」
スフィアは妖精の像を見つめる――どうやって加工したのか、曲面が美しく非常に精緻に造られている。
(ベルサリス遺跡迷宮の妖精と、本当に似てる……姉妹か何かのように)
しばらくの間、俺は妖精の姿を見ていない。ベアトリスの管理する別邸で話したあと、会わないうちに今日に至っている。
「俺たちの国……アルベインにも、浮遊島がある。浮遊島の守護者だった『蛇』は一度目覚めかけたが、今は……」
「……そのことについて、君たちに見せたいものがある。これをどう受け取るかは、君たちに判断を委ねたい」
そう言って、グラスゴールはスフィアを見やる。俺たちと一緒に見せていいのかどうか、ということらしい。
「私なら、大丈夫です。見せてください、グラスゴールさん」
「スフィアちゃん……」
「あ……お、お母さん、ありがとう……」
師匠はスフィアの後ろに周り、抱きすくめるようにする。その腕に触れて、スフィアはくすぐったそうにしていた。
「ディック・シルバー……君と彼女の娘さんということだけど、本当にそれだけなのか? 違う魔力の気配も感じるが……」
「色々あってな。スフィアは八人分の力を継いでる……詳しくは、また機会があればな」
「八人……」
その部分だけ繰り返されると、何か糾弾されているような気分になる。グラスゴールは無言で俺を見ていたが、スフィアに向き直ると、感心したように頷いた。
「何にせよ、君が素晴らしい力を持っていることは間違いない。感嘆に値するよ」
「あ、ありがとうございます、グラスゴールさん……フレイさんの方がいいですか?」
「どちらでも構わない。ああ、でも……」
「俺は名前を呼ぶなと、そういうことか」
「言わなくても分かっているじゃないか。君は、私を徹底して罪人として扱うべきだ」
それは好きにさせてもらいたいが、やはり『フレイ』と名前を呼んだことが、先ほど泣かせてしまった原因らしい。何故なのかまでは分からないが。
「フレイちゃん、私たちに見せたいものっていうのは?」
師匠にもそう呼ばれるが、グラスゴールは特に気にする様子もなく、妖精の像に触れる。すると、半透明の光る板のようなものが、妖精の前方に浮かび上がった。
(これは……遺跡を操作するための何かか? 星の遺物ってやつは、本当に何でもありだな……)
グラスゴールが光る板に指を滑らせると、部屋の明かりがふっと消える――そして、空中にどこかの映像が浮かび上がった。『幻燈晶』と同じ原理で映し出しているのだ。
映像には、深い霧の中を進んでいく何かの姿が映し出されていた。
時折、翼を持つ生き物が霧を破ってこちらに飛んでくる。竜が人と合わさったような、巨大な体躯を持つ怪物――それは、まさに。
「……霧じゃない。これは……」
空に広がる雲海。雷鳴が轟く中を、巨大な浮遊島が進んでいく――映し出されているのは、その光景だった。
「これは……過去の記憶じゃない。どこか、遠くの風景……?」
「……ここが、何のために造られたのか。妖精が教えてくれた……かつて猛威を振るった浮遊島『クヴァリス』。その監視と、対抗策を残すため。『ベルサリス』と『クヴァリス』は、かつて敵対し、ベルサリスは地上に落ち、この遺跡もまたベルサリスから切り離されて、この地に落ちのびたということだ」
ベルサリスの一部――だからこそ、人を魔物に変える機構を備えていた。
「クヴァリスがどれだけ遠くても、こうして現在の状況を捉えられるっていうのか?」
「それほどに、ベルサリスの民はクヴァリスを恐れた。星の遺物の技術の粋を集めてでも、クヴァリスの状況を常に把握できるようにしたのだと思う。しかし本当にクヴァリスがまだこの空のどこかにいるのなら、なぜこの世界は滅びていないのか……」
「……人間に、関心が無いから。『蛇』も、クヴァリスを動かしている存在も、きっとそう……自分たちより、遥かに小さなものとしか見てないんだと思う」
師匠の言う通りなら、クヴァリスはベルサリスを滅ぼしたあと、地上の人間たちには関心を示さずに、歴史から消えていたということになる。
「……これが現在のクヴァリスから見える光景だとして、どこの辺りなんだ?」
「分からない。ただ、一つの方向に向かって進んでいることは間違いない。今まで発見されることがなかったのは、姿を隠す機構があるからだろう……もしくは、地上から見えない高度を飛んでいるか……」
この幻燈晶が、もし俺の知る場所を映し出したら。
もし、このエクスレア大陸の一部を映し出したら――そこが、アルベイン王国の版図であったら。
(ベルサリスを落とした浮遊島……『蛇』よりも強く、あの竜のような人型の魔物まで備えている。あの一体一体が、どれだけの力を持っているのか……)
冒険者、騎士団でも、あの一体を倒すことは困難だろう。まして戦う力を持たない人々が襲われれば、どれほどの惨劇になるか想像もつかない。
俺を指導し、剣と魔法を教えてくれた師匠。彼女と同じ一族でさえ、クヴァリスに敗れて姿を消した――あのがらんどうな地下都市の光景が、まざまざと思い出される。
「……あの島は、ずっと動いてたのか……?」
「少し前までは、ただ雲の中を漂っているだけのように見えた。しかし……あの壁画に描かれたベルサリスが光を取り戻し、再び失ったあと、動き出した……ように思える」
一度は目覚めた『蛇』――今は倒したと言えど、二千年を経てかつての敵が目覚めたことを感知したとき、クヴァリスは見逃すのか。
まだ、クヴァリスが向かう先がどこなのかは分からない。必要以上に悲観する必要はない――それに。
「これが、今起きてることなのかは分からない……クヴァリスが、どこにいるのかも」
「……しかし、楽観視することはできない。あれが動き出したきっかけが、『ベルサリスの蛇』が止まったからだとしたら……」
師匠とスフィアが俺を見る。ここで伝えておくべきだろう――俺たちが、遺跡迷宮に潜って何をしたのかを。
◆◇◆
俺たちが遺跡迷宮に潜り、『蛇』を討伐した事実を伝えると、グラスゴールはしばらく言葉を失っていた。
レオンとルガードは、王都の地下で何が起きていたかを知らない。グラスゴールが聞かされていれば、事実を確かめるために俺たちに接触してきていたはずだ――彼女の目的を考えれば。
「……私は……自分の行く遥か先を進んでいた相手に、剣を向けて……あまつさえ、自分だけが浮遊島の脅威を向き合っているような振る舞いを……自分が、恥ずかしい」
「俺たちもここで話が繋がってくるとは思わなかった。ラトクリスに遺跡があることも、この国に入ってから分かったことだ」
「フレイちゃんは一人でやろうとしたけど、やっぱり本当は駄目だよ。守りたいものを傷つけて、それで自分だけ正義を貫いてるんだって言っても、そんなの誰も救われないから」
「リムお母さんも、こうと決めちゃうと譲らないところがあるって、お父さんが言ってたよ?」
「……私も人のことは言えないから、ディー君が言ってあげて」
師匠がしおらしい仕草で言うが、俺はもう昔のことは気にしていない。
「今は目的を同じくしてるわけだ……それなら、いいんじゃないか。あんたがここで妖精に会っていなかったら、ここで得られる情報は少なかっただろうしな。ラシウス王には悪いが、命令違反をしたからこそこの結果があるんだ」
「……ディック・シルバー。君は……いや。あなたという人は……」
グラスゴールは言葉の途中で口を噤む。師匠がそろそろと近づいてきて、耳元で囁いてきた。
(ディー君、あんまり甘いこと言うのは禁止ね。さっきからフレイちゃんが変だから)
(いや、そこまで甘いことを言ってるつもりはないが……変って何がだ?)
聞き返しても師匠は答えてくれない。そんな俺たちを見て、スフィアが楽しそうに笑う。
「お父さんが本当は優しい人だっていうこと、私たちはみんな知ってるから」
「これほど強ければ、少しは驕りも出てくるものかと思うが……あなたこそが、真の武人と呼ぶにふさわしい人物なのだな」
自分では『武人』というつもりはないのだが、そこで訂正すると話が進まない。パーティの皆がいれば、アイリーンとコーディこそが武人だと言えるのだが。
「とにかく……クヴァリスの件については分かった。だが、まだどこにいるのかも分からないのなら、こちらは迎撃の備えをするしかなさそうだな」
「うん……そうだね。一度、アルヴィナスに戻った方がいいのかな……」
『蛇』を討伐したことがきっかけで『クヴァリス』の動向が変わったとしたら、ラトクリスが脅威にさらされる可能性は低い。この飛行戦艦も標的になったとして、ベルサリスの次に狙われるということになる。
この戦艦は、クヴァリス迎撃の際に戦力となるかもしれない――そうすると、グラスゴールに操艦してもらい、可能ならばアルヴィナス近くに駐留させておきたい。
「……グラスゴール。このまま、アルヴィナスまで移動できるか? 外にいる仲間にも乗ってもらって、一度アルベインに帰ろうと思う」
グラスゴールは俺の前で片膝を突き、跪く――騎士としての敬礼。それは、俺に改めて帰順する意思の表明だった。
「私はあなたの意思に従うつもりだ。しかし……その前に、罰を与えて欲しい」
「罰……?」
「傷を癒やされ、あなた方に従うことまで許された。しかし、それだけでは……本来なら私は処刑されるか、牢獄に入るべきなのだから」
この飛行戦艦に牢があるとしたら、そこに入ってもらうか――なんて、今さらそんなことをするつもりはない。
「その件については、俺も考えてはいた。自由に行動できることに罪悪感があるなら、拘束条件をつける。そうだな……シャロンはスフィアの眷属ってやつになってもらったが。シャロンはルガードに従わされて、望まないことをやっていた。その責任は、グラスゴール……あんたにあるはずだな」
「……ルガードはラトクリスに入ったあと、夜を這う者を襲い、その血を奪っていた。魔族や魔物の血を得て強くなることを、吸血種の力を得る前から試みていた……それでもあの男が戦力になるか試そうとしたことは、弁解の余地はない」
シャロンはグラスゴールへの忠誠のために、ルガードに血を吸われた――グラスゴールはルガードが戦力になりうると考えていて、シャロンはそのために望まないことを強いられたということだ。
「じゃあ……シャロンに直接、あんたをどうしたいかを聞いてみるか。彼女には、その権利がある」
グラスゴールは頷きを返す。その傍らに、鎧精が実体化する――グラスゴールに寄り添うようにしていた鎧精は、そっと離れると、俺の前にやってきた。
「……我が主は、私と新たな主との契約を望んでいる。我が主と、その鎧である私に勝利したあなたであれば、それが可能となる」
コーディに、レオンは一度も勝つことができなかった――鎧精の言葉は、その事実を示唆していた。
しかし剣精に選ばれたことも、剣の腕を磨いたことも、全てコーディが自分で選んで努力したことで、誰かに譲らなければいけない道理はない。
「グラスゴール、いいのか?」
「鎧精は今まで、私のことを護ってくれた。だからこそ分かる……彼女があなたを護るときには、より力を発揮することができるはずだ」
コーディの剣精、師匠の楯精。それと並び立つ鎧精――その力は、今の俺の手には余るようにも思う。だが、グラスゴールと鎧精が二人で決めたことを、無下に否定することはできない。
目の前に立つと、少し見下ろすような背丈の鎧精が、俺を見上げて目を閉じる。その額に手をかざした瞬間、手首を包むように魔法陣が展開し、鎧精の姿が光に変わって、俺の身体へと吸い込まれた。
――私の名は鎧精リーヴァ。新たな主を鎧い、護ると誓う――
声が響く――これまで幾度となく、その守りに驚嘆させられた最強の鎧が、俺の内に宿ったのだ。
「ディー君……これ以上強くなってどうするの?」
「いや、俺以外も護ってくれるだろうし……くっ……契約の魔力が、かなり持っていかれるな……」
強力な精霊であるほど、契約する時には負担が生じる。体内の魔力が安定しきっていない状態だからか、不意に目眩を覚えて、師匠とスフィアに支えられる。
「お父さん、無理しちゃだめ……っ、お父さん、いっぱい頑張ったから……」
「そうだな……少し疲れてるかもしれないが。後で休むとして、今はまだすることがある。皆はここで少し待っててくれるか」
「ディー君ったら……みんなを呼びに行くなら、私たちも一緒に行く。ディー君だけお使いなんてさせられないから」
俺たちは一度飛行戦艦を出て、仲間たちを呼んでくることにした。
外に出たら、ジナイーダ将軍と、可能ならシェイド将軍にも会わなくてはならない。メルメアたちは離宮にいるので、王宮に移るには時間がかかるだろう――別れの挨拶は済ませているが、王宮に戻った彼女たちの姿を見届けられないのは、正直を言うと心残りではある。
「……スフィア、大丈夫か?」
「うん……ちょっとだけ……ごめんなさい、泣き虫で」
「そんなことない。泣きたいときに泣くのは、いけないことじゃないから」
これが今生の別れではなく、また会える。師匠は泣きそうになっているスフィアの頭を撫で、それでもこぼれた涙を拭った。
スフィアに手を差し出すと、そっと握り返してくれる。俺は娘と手を繋いだままで、外に出るための転移陣へと歩いていった。