第129話 飛行戦艦と封じられた扉
王宮に近い位置の森の中から、『小浮遊島』は浮上を続ける――島の底部から土の塊が崩れ落ちているが、島自体に損壊した部分は全くない。
(相変わらず出鱈目な技術だ……アルヴィナス地下の遺跡迷宮も、あれだけの時間を経ても大きな破損はなかった)
バニングの全力加速の中、防風結界の中での会話には念話を用いる。俺の語りかけを受けて、同乗しているヴェルレーヌとスフィアが思案する気配が伝わってくる。
(やはり、あの浮遊島も同等の技術で作られたものと考えるべきだな……いや。あれは島ではなく、空を飛ぶ戦艦のようなものなのかもしれぬ)
(っ……お父さん、島の上の建物から、何か出てきてる……!)
まだ小浮遊島――ヴェルレーヌの例えを借り、飛行戦艦と呼ぶことにする――からは距離があるため、視力強化を使う。
(混成獣……そういうことか。飛行戦艦に搭載する戦力として造っていたんだな……)
(自らの意思を持たぬ妖魔、ガーゴイル……それを基礎として、幾つかの魔獣を掛け合わせているようだ。ご主人様、あれだけの数がいると油断はできぬぞ)
ガーゴイル――一般的には、魔物を模した像に邪霊が宿って仮初の命を持った存在のことだ。像の素材によっては物理的な攻撃が効きづらく、魔法にも抵抗力を持つことがあるため、ギルドではBランクからAAランク相当の討伐対象とされている。それが視認できる数だけで三十六体もいるのだから、Sランクの冒険者を揃えたパーティでも苦戦するような相手だ。
俺たちに向けて、ガーゴイルを迎撃に出してきたというわけではない。王宮を包囲するべく、前方の街道を進軍している兵たち――ジナイーダ将軍の率いる兵たちに対する牽制、あるいは足止めをしようというのだ。
(お父さん、ジナイーダさんと兵隊さんたちが……っ)
(ああ、大丈夫だ。『向こう』にはみんながいる……!)
メルメアが乗っていた黒竜に加え、いつの間にかもう一頭を調達している――いや、あのもう一頭の竜には見覚えがある。
(イリーナ……援軍に来てくれたのか。あの娘も、なかなか無茶をする……!)
ヴェルレーヌが驚くのも無理はない、このタイミングで単騎で援軍に来るなど、自分の黒竜が必要になると確信しているかのように大胆な行動だ。
実際に、師匠が乗る黒竜にはミラルカとアイリーンが、もう一騎はイリーナが駆り、コーディとユマが乗っている。バニングは何人乗っても大丈夫という破格の体格を持つが、黒竜は三人、小柄な人が乗っても四人が限界だ。
この距離でも念話は通じるだろうが、まずは皆の気を散らさないように、最初の接敵を見守る――ガーゴイルは黒竜の半分ほどの体躯しかないが、それでも人間の二倍はあるので、そんなものが空中を飛んで攻撃してくれば、ある程度の脅威はある。
(ある程度でしかないと……そうだな。グラスゴールも、私たちのパーティを足止めできるとは思っていまい)
「――リムセリットさん、お願いっ!」
「うん、ちゃんと拾うから、一体でも多く敵を落として! ミラルカちゃん、アイリーンちゃんのために相手を『柔らかく』してあげて!」
「ええ。あの素材なら、一気に崩してあげることもできるのだけど……力は温存しておかなくてはね」
――『広域弱体型三十八式・物質瓦解陣』――
「っ……く、空中でこんな広い範囲に魔法陣を……これが、魔王討伐隊の魔法使い……!」
イリーナが感嘆の声を上げるが、ミラルカは大袈裟に褒められるのが好きではないので、おそらく内心では不満に思っていることだろう。
彼女が喜ぶ称賛の仕方は、それほど難しくはない。その破壊の美しさを目に焼き付けること――そして、のちの反省会で良い破壊だったと伝えることだ。
「ガ……ガガッ……!!」
翼を持つ悪魔のような姿をしたガーゴイルたちの翼が、ミラルカの陣の範囲に入った途端に強度を失う。物質の組成を寸断され、脆くされている――百式を超えているミラルカの陣魔法だが、三十八式の時点でこれほどの威力を持つのだから、改めて驚嘆する他はない。
そして失速したガーゴイルの一体が、空中を飛んで肉薄する赤い影の衝突を受けて砕け散る。アイリーンが赤い魔力を纏い、蹴りを打ち込んだのだ。
「ごめんねっ……! 次、『羅刹烈旋蹴』!」
ガーゴイルを足場として飛び、次のガーゴイルを蹴りで粉砕する。華麗としか言いようがない――ガーゴイルたちは決して密集して飛んでいるわけではないのに、師匠の強化魔法によって『軽量化』などの強化を受けたアイリーンは、まるで自力で飛行しているかのような動きで空中の敵を掃討していく。
だが、ミラルカの魔法を逃れた残りの十六体は、迂回してイリーナの竜を狙う――今度はガーゴイルも警戒し、距離を取って黒い炎弾を放つ魔法で攻撃を仕掛けてくる。
「この数では、回避が追いつきませんっ……!」
「――かわす必要はないよ。皆は僕が守るからね」
――光剣・光弾幕――
イリーナの黒竜に同乗しているコーディが前方に手をかざし、無数の光弾を放つ――まさに、それは弾幕だった。ガーゴイルの炎弾もなかなかの威力があるが、コーディの光弾に射抜かれて次々に霧散していく。
「イリーナさん、大丈夫です。コーディさんが守ると言ってくれたら、それは絶対ですから」
「は、はいっ……!」
「僕はユマの方が頼りになると思っているよ。『こういう相手』のときは、特にね」
そう――ガーゴイルを動かす力となっている『邪霊』に対しては、ユマの鎮魂が覿面に威力を発揮する。
ユマは兵の心を動かすためには聖歌を用いたが、『沈黙の鎮魂者』の本領は言葉を発せずに神に捧げる『祈り』にある。
(相変わらず、凄まじいものだな……ユフィール殿は、アルベインの女神の化身なのではないか?)
(アルベイン神教の神は、確かに女神だそうだが……そんなことを言ったら、ユマは恐れ多いって言いそうだな)
しかしそう言う俺も、膨大な範囲に広がるユマの浄化の波動を目にすれば、ヴェルレーヌの言葉に同意したくなる部分もある。
(ユマお母さん……綺麗……)
スフィアが感嘆する間に、ユマの身体から溢れた浄化の波動は、ガーゴイルの動きを残らず制止させる。ガーゴイルたちに宿っていた邪霊――黒い霧のようなものが噴き出し、かき消えて、抜け殻になった石像がコーディの光弾で射貫かれる。
「……何という……戦いにおいては援護役であるはずの僧侶でも、これほどのことを簡単に……」
「いえ……簡単ではありませんが。迷える霊を約束の地にお導きするのは、神に仕える者の務めですから。それに、まだあの地から、多くの気配を感じます」
「いったい、どれだけの混成獣を用意しているのか……グラスゴールの元にたどり着いて止めることを考えた方がいいかもしれないね。そうだろう? ディック」
二つの黒竜に分乗した六人が、到着した俺たちの姿に気付く。バニングが勇ましく吼えると、二頭の黒竜が呼応して高く鳴いた。
「ディー君、ヴェルちゃん……それにスフィアちゃんも、お疲れ様。本当は抱きしめてあげたいけど、先にこの戦いを終わらせないとね」
「ディック、戻ってきたばかりで悪いのだけど……私たちが敵を引きつけているうちに、あの島に侵入しなさい」
「うむ、それが良いだろう。ジナイーダ将軍の率いる兵たちに攻撃の矛先が向くと、被害が出るのでな……グラスゴールもそれは望んでおらぬと思うが、かといって何もせずに倒されるわけにはいかぬということだろう。ままならぬものだな」
魔王の姿に戻っているヴェルレーヌは、自分もまた遊撃の役目を買って出てくれているようだ。
俺と一緒に行ってもらうのは、遺跡迷宮に対して知識のある師匠――コーディはまだ消耗しているので、近接戦闘に対応できるアイリーンに頼むか、それとも。
「お父さん、私も一緒に行きたい。私、お父さんと一緒に戦って、強くなったと思うから」
「スフィア……そうか。師匠、スフィア。一緒に来てくれるか」
「うん、分かった。みんな、気をつけて戦ってね。余裕のある相手でも、油断は禁物だよ」
師匠の忠告を皆は素直に聞いているが、アイリーンは感極まったように目元を拭っていた。
「ううっ……スフィアちゃん、立派になって……あたしがいないうちに、ディックに色々教えてもらえたんだね……あたしも教えてくれないかな? なんて言ってみたりして」
「アイリーンちゃん、それだとディー君みたいに純朴な人でも、さすがに勘違いしちゃうから」
「あ、あのな……」
こんなときに何を言ってるんだと言いたくなるが、彼女たちは実際のところ、ガーゴイルを全く苦にしていないのだ。だが、飛行戦艦に侵入した後で、強敵と遭遇する可能性は否めない。
「ガーゴイル部隊が出てきたぞ……第一波と数は同じといったところか。ご主人様、私は単独でも精霊魔法で飛行することができる。師匠殿をバニングに乗せて行くがいい」
「ああ、分かった……皆、後のことはよろしく頼む……!」
「「「「了解!」」」」
「了解です!」
「りょ、了解ですっ……!」
イリーナだけは息を合わせられなかったが、他の全員の声は綺麗に揃っていた――ユマだけは語尾が丁寧だが、気合は十分といったところだ。
バニングは手綱を持っただけで俺の意思に従い、咆哮しながら誘導閃で新たに出てきたガーゴイルたちを牽制する――降り注ぐ光の矢が次々とガーゴイルを貫く中で、師匠が黒竜を接近させてこちらに飛び移り、ヴェルレーヌは空に飛び出し、精霊王の王笏を振りかざして詠唱を始める。
「異界の空より来たりて、我が翼となれ――『翼を持つ者』」
ヴェルレーヌの背後に魔法陣が現れ、巨大な鳥のような固有精霊が召喚される。バニングの攻撃を逃れて飛来したガーゴイルがヴェルレーヌに肉薄するが、召喚と同時に展開された『魔王鱗』の一つに行く手を阻まれる。
「ガッ……ガガ……!」
「――はぁぁっ!」
ヴェルレーヌは続けて『魔王鱗』の一つを大鎌の刃に変換し、一薙ぎでガーゴイルを両断する。彼女は鎌を回転させて構えたあと、空に響き渡るほど声を張った。
「さあ、行くがいい! ここは私たちが請け負う!」
「ここは私たちに任せて先に行って! みたいなのって、やっぱり燃えるよね……っ!」
ガーゴイルの手薄な側にバニングを回り込ませ、気づかれても高速で突っ切る――飛行戦艦の上部を一度通り過ぎ、中に侵入できる場所を探す。
「ディー君、見て! 転移の魔法陣が、あそこに……!」
「あれで内部に入れるのか……なるほど、護衛がついてるな……!」
全身金属の装甲に覆われたゴーレム――ガーゴイルと同じ方法で作られた魔物だと考えられるが、大きさがまるで違う。
転移陣は四本の柱で支えられた社の中にあり、その周囲にゴーレムが三体配置されている。俺たちが空中を通りすぎると、地上から熱線を放って攻撃してきた――バニングに熱はほぼ効かないが、俺たちの場合、備えなしで受ければ火傷くらいはするだろう。
(ミラルカに倣って陣魔法で破壊するか……いや、材質がガーゴイルとは違う。希少な金属の合金を、惜しみなく注ぎ込んで造られてるな……それなら……!)
「――バニングッ!」
「――グォォァァァァァァアアアッ!」
手綱を引いて呼びかけると、バニングは空気を揺るがす咆哮と共に、その口に全身の熱を収束させる――そして、限界まで熱量を上げた炎弾をゴーレムに向けて吐き出した。
「ディー君、あの金属のゴーレムは熱だけじゃ……あっ……!」
「リムお母さん、大丈夫! お父さん、私も一緒にできるよ!」
俺のやろうとしていることを、スフィアは何も言わずとも理解している――一度スフィアの中に宿ってから、俺たちはまるで思考を共有できているかのようだ。
「バニング、俺たちを降ろしたら皆と一緒に戦ってくれ! この戦艦にはこれ以上熱線を当てないように頼む!」
「――ガォォォンッ!」
最高熱量のブレスを吐いたためか、バニングの反応はいつもより猛々しさを増している――全く頼りになる相棒だ。
バニングが急旋回し、高度を下げてホバリングしたところで、俺たちは竜の背から飛び降りる。そして師匠の強化を受けて加速し、俺とスフィアは同時に剣を抜き放った――『あの技』を二人で繰り出すために。
「スフィア、行けるか!?」
「うん、お父さん!」
ミヅハの技を模倣し、俺なりに剣技として昇華させた技――『氷雪刃』。金属質の敵を破壊するとき、極度の温度差は有効な手段となる。
それを、二人で放つことができるとしたら。見上げるほどの巨体を持つゴーレムが繰り出す拳を避け、地面が抉れて土埃が巻き上がる――しかし師匠の防御結界に守られ、俺たちは行動を遮られることなく、二人同時に技を繰り出した。
「行くぞ、スフィア!」
「――やぁぁっ……!」
――魔力剣・氷雪嵐舞――
『攻撃回数強化』で手数を増やし、さらに二人同時に『氷雪刃』を繰り出す――そして生み出された極低温の斬撃は、まるで吹雪のようにゴーレムたちを凍てつかせ、温度差で装甲に亀裂を生じさせる。
「――ディー君、今だよっ!」
「ああ……スフィアッ!」
「きゃぁっ……!」
スフィアの『氷雪刃』は自分の前方の地面も凍結させていて、走り出そうとして足を取られてしまう。俺は咄嗟にスフィアを抱きかかえると、二度続けて跳躍してゴーレムを最短距離で回避し、師匠に一拍遅れて転移陣に滑り込んだ。
「あ、ありがとう、お父さん……」
「気にするな、見事なものだった」
「ディー君、転移するよ! まだゴーレムたちが動いてる!」
いざ転移する段になって、この転移陣が罠という可能性も頭を過ぎる――しかし、スフィアがその迷いを打ち払う。
「お父さん、大丈夫……この転移陣は、ちゃんとここの『中』に繋がってる。私には分かるの」
「よし……分かった。師匠、転移を頼む!」
凍りついて足止めされていたゴーレムが、自らの足を砕きながら無理矢理に動き出し、こちらに拳を振り下ろしてくる――俺が剣を振り抜いてその腕を切り飛ばした瞬間、転移が発動して周囲の風景が一変した。
「これは……空……?」
「外の景色が、壁に映ってるみたい……『幻燈晶』と同じ原理だね」
俺たちが転移した先は、途方もなく広い空間に浮かぶ、一本道の途中だった。
下を見てもがらんどうな暗闇が広がっており、何も見えない。しかし横を見ると、この空間の内壁全体に、空の風景――ガーゴイルと戦うミラルカたちの姿が映し出されている。
戦況はこちらが優勢で、ガーゴイルの数も次第に減りつつある。全く心配は要らなさそうだ。
「この先に、グラスゴールがいるのか……二人とも、足元に気をつけてな」
「う、うん……落ちちゃったらどうなるのかな……」
スフィアは俺の服を掴んで恐る恐る歩いていたが、そのうちに手を離す――どんどん自立心が出てきて、親としては喜ばしくもあり、寂しくもある。
(アルベイン地下の浮遊島とは似ているが、構造が違う……あれは人が住むための場所と、『蛇』を防衛するための迷宮の二つを備えていたと考えられる。ここから外の様子が見られるということは、俺たちの見立て通り……)
ガーゴイルのような飛行戦力を積んで空中を移動する、飛行戦艦――そうだとしたら、なぜそんなものが造られたのか。
造ったのは、師匠と同じく『遺された民』だと考えられる。彼女は床に刻まれた紋様を観察し、周囲に気を配りながら進んでいた。
「……師匠、『ここ』が何なのか、心あたりはあるか?」
「ううん……私たちは、みんながみんな、仲間だったわけじゃないと思うから」
二千年前の記憶は、師匠の中では薄れてしまっている。ディアーヌのことを考えれば、彼女に昔のことを全て思い出すことを強いることは、決してするべきではないと思う。
やがて一本道の廊下は終端に辿り着く。しかし、眼前にあるのは壁――一見すれば、行き止まりにしか見えない。
(いや……俺は、『ここが開く』ところを見た。霊脈に残された、グラスゴールとラシウス王の記憶の中で)
あの時とは周囲の風景が異なるが、それには飛行戦艦が浮上したこととも関係しているのかもしれない。グラスゴールとラシウス王がここにやってきた時は、まだ地下深くに眠っていたのだから。
「ディー君、少し待っててくれる? きっと何かの仕掛けが……」
「『この扉』は、魔力に反応する。俺とスフィアは、霊脈に残された記憶の中で、グラスゴールが扉を開けているところを見たんだ」
「グラスゴール将軍が……ディー君、ここに隠し扉があるっていうこと?」
何にせよ、壁を実力行使で破ろうとする前に、試してみるに越したことはない。『グラスゴールがこの扉を開けた時の魔力操作』を、壁に手を触れて再現する。
「っ……これって、魔力回路……ディー君、グラスゴール将軍が使った『魔力鍵』を模倣しちゃったんだ……」
「すごい……お父さん、私と一緒に、一瞬見ただけなのに……」
グラスゴールの魔法の力量が俺より遥かに上なら模倣できないが、自分なりに魔法の研究をしてきたことが多少は生きた。一度魔力回路を起動させてしまえば、あとはどうとでもなる。
壁に触れて魔力を流したことで、淡く光る魔力回路が壁の表面に浮かび上がっている。魔道具を作るときには毎回目にして、脳裏に焼き付けられる絵面だ――今まで見た魔力回路と比べて何倍も大きく、複雑だが、扉を開ける条件は単純なものだった。
ラトクリスの王族はこの遺跡を見守ってきたが、王族の手でこの扉を開くことはできなかったと考えられる。SSランク以上の魔力を持っていなければ、この扉は開けられない――扉を開けるために求められる条件は、一定以上の魔力量だった。