第127話 幻魔の正体 交差する剣
鎧精は追跡されていることに気づくと、少しでも目的地がわからないように撹乱しようと試みたが、魔力が残り少ない鎧精は、主のもとに帰らざるを得なくなった。
そして俺たちは、野営地の、指揮官のものらしい幕舎まで辿り着いた――屋根が切り裂かれて中の様子が見えて、俺は血の気を失う。コーディが幕舎の中央で、剣を構えることもせずに立ち尽くしていたからだ。
――そのコーディが、バランスを崩して倒れかかる。俺は黒竜を降りると、コーディを後ろから支えるようにして抱きとめた。
「……ディック……」
「よし、意識はあるな……まだ戦えるか?」
コーディは頷くが、まだ自分の足で立つまでは至らない。毒などを使われたわけではない――おそらく、魔法による攻撃を受けたのだろう。
奴はまだ近くにいる。鎧精はグラスゴールと接触する機会を伺っている――物理的な実体を持たず、竜よりも速く移動する鎧精を見失わないように追うのは至難の技だったが、黒竜を強化して速度を上げることで対応した。
しかし魔力切れで万全の結界を作れない状態でも、鎧精の最後の一枚の防壁だけは決して破れることはなかった。剣精、盾精と並ぶ『武具の固有精霊』の防御力は、まさに最硬と言っていいだろう。
「……目を、見ちゃいけない……あの目は、危険だ……」
目――そう言われて思いつくものは一つしかない。魔族の能力の中でも希少な『魔眼』は、魔法に対する抵抗を無視して効果を発揮することがあるという。
「幻魔という二つ名で気づくべきだったな……すまない、コーディ」
「……謝るのは僕のほうだ。だから、僕は……ここで、全部取り返す……!」
グラスゴールに作った貸しを、返してもらう。コーディの瞳に熱が戻り、俺の腕に支えられたまま、光剣を繰り出す――そこには、全く気配を感じさせなかった鎧精の姿があった。
剣と鎧の固有精霊。二つの『最強』がぶつかり合っている――しかし鎧精のかざした手に傷をつけることもできず、コーディは徐々に押し返されていた。
「大丈夫っ……僕に任せて、君はグラスゴールの動きに備えるんだ!」
しかしコーディは、鎧精の強度に屈するどころか、勝利を見据えて血を猛らせている。その姿に、俺も心底から鼓舞される――負けてはいられない。
「反応できるわけがない。二度も偶然は続かない」
「どうかな……君の主の幻術は、僕を囚えきることはできなかった。僕はもう、惑わされない……僕だけじゃなく、ディックも……!」
コーディの声を警告として受け取ったわけじゃない。ただ、信頼に答えたい――その期待を裏切ることはできない。
(――幻術はもう始まっている。幻術で殺気すら隠蔽できるとしても……だからどうした。コーディは見切ってみせた……!)
「――っ!」
反応できるわけがないと鎧精は言った。だが俺もまた、死角である背後から襲ってきた攻撃を迎え撃つことができた。
刃と刃が鬩ぎ合う――背後から俺の心臓を狙う突きを繰り出してきた相手は、目を疑うほどに線が細く、将軍という言葉からは連想し難い姿をしていた。
「偶然ではない……私の幻術にかかりながら、ただ感覚に従って剣を繰り出している。それとも、後出しで切り返しているのか。人族とは思えない反応速度だ」
「それが大将の余裕か。グラスゴール……あんたの企みはもう終わりだ」
「……ラシウスたちを解放したか。レオンもルガードも、もう少し使いものになるかと思っていたが」
「あんたは二人の野心を利用して、自分の『実験』に使った……なぜ『混成獣』を作る? SSランクの冒険者を魔物に変えて、そこまでして何を求めてるんだ……?」
「――ご主人様っ! 一旦膠着を崩すぞ!」
グラスゴールが答える前に、ヴェルレーヌとメルメアの援護が入る――ヴェルレーヌは『薙ぎ払う者』を召喚し、メルメアは闇霊弾を発生させて撃ち放つ。
鬩ぎ合う刃の均衡が崩れ、俺は強化し続けて貯めた脚力を爆発させてグラスゴールを押し飛ばし、さらに追撃を繰り出そうとする――しかし。
「――君もいい目をしている。彼女と同じように」
それが誘導だと分かっていながら、俺はグラスゴールの目を見てしまう――どれだけ短い時間でも、決しては見てはならなかったのに。
グラスゴールの左眼に、魔法陣のような紋様が浮かぶ。その直後、俺は今まで違う場所に放り出されていた。
転移させられた――違う、これがグラスゴールが持つ魔眼の力。
戦いの中にいるという感覚が奪われていく。グラスゴールを倒さなければならない、その思いが不自然なほどに薄れて、剣を持っている意味すら忘れそうになる。
(こうやって、コーディも……抵抗する猶予がまるでなかった。あんな魔眼を持つ種族がいるのか……俺にも、まだ知らないことが……)
思考が戦いから引き剥がされていく。
目を閉じ、また開く間に、気がつけば俺はアルベイン王国東岸の港町にいて、別の大陸に向かう船に乗り込み、出航を待っていた。
ギルドの留守はギルド員の皆に任せて、全ての引き継ぎをしてきた――『情報網』の管理はサクヤさんに任せ、冒険者の陣頭指揮はゼクトに委ねて。
俺は一人で行くつもりだった。仲間たちには王都の生活があるし、俺の我がままには突き合わせられない。
――しかし、船が港を離れたあと。潮風の吹く甲板を離れ、客室に向かおうとした俺の前に。
一人の女性が立っている。彼女は太陽を背にしていて、姿が見えない。
彼女が何かを言う。その声を聞いて、俺は笑う。共に行くことを選んでくれたことが、素直に嬉しいと感じたから。
新しい大陸で、一から冒険者稼業を始める。できないことなどなにもない、何のしがらみに縛られてもいない。
心のどこかで望んでいたこと。だが、それは――。
(俺の願望は、こんなものじゃない。俺が欲しいものは、こうじゃない……)
幻に囚われた意識を、『もうひとりの俺』が見ている。
意識の並列化。『小さき魂』の持つ可能性をさらに引き出すために実験していたことが、ここで役に立つ――俺は自分の意識の一つを、囮にしたのだ。
――思考速度強化・多重並列思考――
「ディック……!」
「ご主人様……っ!」
――『修羅残影剣・転移瞬烈』――
幻術に囚われていた時間は、現実では一瞬に近かった――グラスゴールが繰り出してきた剣より速く、俺は反撃の技を繰り出す。
「っ……!」
初めてグラスゴールが表情を変える。魔眼による幻術は、力量の差を覆せるほど強力ではあるが、それは確実に幻術が効いてこその話だ。
俺の繰り出す技を受けて無事でいられるということはない――だが向こうにも、俺の技を力の差を無視して防ぐ方法がある。
「我が主……っ!」
俺が幻術を解くことを読んでいたのか、凶兆でも感じたのか。偶然を否定した鎧精は、それと相反する行動に出て、コーディの剣から死にものぐるいで逃れ、身を投げ出してグラスゴールを庇った。
しかし、それでも鎧精の『最後の結界』は破れない。しかし彼女自体の魔力が尽きるという形で、実体化を維持することはできなくなっていた。
「……消える……魔力、が……」
「……よくやってくれた。鎧精よ、あるべき姿に戻れ」
グラスゴールの身に付けた軽装の防具を、鎧精が変化した装甲が強化していく――鎧精が重量を持たず、絶大な防御力を持っているからこそ、重い鎧を身につける必要がなかったのだ。
「幻術と、鎧精……なるほど、型に嵌めれば無敵の組み合わせってわけか」
「そう……そして、これからも。私は決して、玉座を返すことはない」
「なぜ、ラシウス王を裏切ったのか……僕たちが勝ったら、全て話して欲しい。それほどの力を持っていれば、この国の実権を握っているも同然だったはずだ」
「……王だからこそ、王として果たすべき務めがある。それを怠っているのは、この大陸のほとんどの王が同じだろう。私には、許すことができない」
その動機に触れる部分を、俺はすでに見ている――霊脈を通じて見えた、グラスゴールの記憶。だが、それを口にするのは尚早だ。
もう一度、俺とコーディの二人で鎧精に挑む。ヴェルレーヌには、念話の魔道具を介して意思を伝えた。
(私は戦いに邪魔が入らぬよう、周囲を警戒する。案ずることはない、ご主人様たちの力を見せてくれ)
ずっと援護に回っていた俺は、コーディと共に剣で戦った経験はそれほど多くない。
だが、真剣での鍛錬は数え切れないほどしてきた。コーディの動きの癖も、共闘でどんな連携が可能かも、この身体が理解している。
しかし最強の鎧を身に着けているとはいえ、この儚いくらいに華奢な身体つきをした相手に二人で挑むことに、コーディは騎士としての迷いを感じているようだった。
「……見くびらないでもらいたい。人族よりも、魔族の方が闘争において優れた能力を持っている……私の能力は、幻術だけではない」
「それなら、遠慮する必要はないか……この期に及んで力を隠すような輩を、甘く見ることもない」
「そう……死力を尽くしてもらわなければ困る。まだ貴殿らの力を測りきれていないのでね」
「――ならば、試してみるか……っ!」
コーディが斬り込んでいく――グラスゴールは剣を携えているが、防ぐために剣を使わなかった。
「はぁぁぁっ!」
――光剣・攻撃回数強化――
電光石火の速度で放たれる光剣の斬撃を、俺の魔法で複数に増やす――基本的ながら、多くの敵を一撃で屠ってきた必殺の剣技。
それをただ鎧精の防御に頼って受けるということはない――だがグラスゴールの防御手段は、俺達の想像を越えていた。
「鎧の精霊よ。その力をもって、我が翼を鎧え」
翼――そう。グラスゴールの鎧が、術士のような軽装だったのはそのためだった。奴の鎧は、背中を覆っていなかったのだ。
四枚の翼は一枚一枚がグラスゴールの全身を多い隠せるほどに大きく、鎧精の生じさせる結界に覆われ、コーディの剣撃を全て受けきる。
相変わらず、出鱈目な守りの硬さだ――だが、コーディが斬りつけてくれたおかげで、あの翼が光剣の防御に特化していると見抜くことができた。
(光剣が通じないなら……『違う剣』という手もあるよな……!)
――魔力剣・氷雪刃――
ギリギリまで通常の魔力剣を見せたあと、攻撃の瞬間に『氷雪刃』を発動させる。光剣には無二の強さを発揮した防御結界ごと、グラスゴールの半身が、斬撃と共に巻き起こった吹雪によって凍結する。
「剣士……いや、魔法剣士……精霊魔法までを、よくもそこまで……!」
「――まだだっ!」
鎧精は氷結に対応する力も持っている――翼に熱を生じさせて氷を砕き、羽ばたいて熱波を発生させる。そうなることを読み、俺は全員を防御結界で覆うと、氷が蒸発する間に視界が塞がれた一瞬を利用し、自分の剣を極限まで強化した。
「仕切り直させてもらう……!」
――『光輪鎧・斥力障壁』――
何度も苦渋を舐めてきた、問答無用で間合いを広げられるこの技――だが。
接近を拒むこの障壁には、弱点がある。それは、グラスゴールの周囲に輪のような形状で生じ、そして水平に広がるのみだということだ。
(少しキツイだろうが……コーディ、お前なら……!)
コーディが一瞬こちらを見る。他者に使うのは初めてだが、切り札を切る――『転移』で、全てを拒む光輪を回避する。
超加速によって空気が粘つき、摩擦で燃えるような熱が発生する。魔法で二人分の熱防御を施すが、回避だけで終わりではない。
「――行くぞ、コーディ!」
「――はぁぁぁぁぁっ!」
――『魔力剣・光剣・終極強化』――
二種類の剣を極限まで強化し、俺たちは左右から同時にグラスゴールに斬りかかる――空中から強襲する剣はそれぞれ、二枚の翼に受け止める。
「……まだ……破り、きれない……もう少し……なのにっ……」
「鎧精の防御は、この地上で比類のないもの……未だに目覚めていない剣精に、破れるものではないのだ……!」
グラスゴールの翼の守りを破れても、本体までは届かせられない。鎧精が形成した鎧が、グラスゴールの身体を覆っているのだから。
しかし、望みはあると思えた――グラスゴールの言葉が真実ならば。
「――剣精の名を呼べ、コーディ! 今のお前なら、きっと応えてくれる!」
「……僕の声が聞こえるなら……本当の姿を見せてくれ、『剣精ラグナ』!」
視界が光に覆われていく。神々しいまでの光の中で、コーディの光剣の形状が変化していく――。
剣精は今まで、あれほどの威力を発揮しながら、まだ眠ったままでいたのだ。契約者であるコーディが、真の光剣を求めるまで。
「面白い……鎧精リーヴァと剣精ラグナ。どちらが上回るか、試してみるか……!」
「――これで終わりだ、グラスゴール! ディック、行くよっ!」
コーディは自らの剣だけではなく、俺の力も求めてくれた。
相棒として、冥利に尽きる。俺は二つの剣を、鎧精の最後の守りを貫くために、極限まで強化する――そして。
――零式・双極・十字斬り――
「ぐっ……ぁぁ……!!」
グラスゴールの全ての守りが、破れた――俺たちの斬撃が交差した、その一点のみが。
鎧精によって作られたグラスゴールの胸の装甲が切り裂かれる。限界を超えた力を出したコーディもまた、反動で鎧が破損し、留め金が飛ぶ――そして、髪を結んでいた紐がちぎれる。
だが、俺たちの勝ちであることは間違いなかった。グラスゴールは一歩だけ後ろに後ずさり、そこで膝を突きかける――しかし。
――光輪鎧・多重鏡面結界――
『――敗れたのは、私だけ。我が主ではない』
「っ……逃げるのか、グラスゴール!」
グラスゴールを守るために、鎧精が自らの意志で、鏡の幻像を発生させる。鏡にその姿を映したグラスゴールは、一瞬にして遥か空中にまで移動していた。
四枚の翼は俺たちの剣を受け、ぼろぼろに破れていた。それでも揺らぐことなく、グラスゴールは傷を受けた旨を押さえて俺たちを見下ろす。
「……君たちの力は見せてもらった。だが、私はここで捕まるわけにはいかない」
「そんな理屈が通ると思うか。もう、あんたの始めた反乱は終わろうとしてる……あんたには、この国の定めた刑を受けてもらう」
「ラシウスがもう一度王に戻ることがあれば、そのときは自分で死を選ぶよ。私も彼を処刑しようとした……いずれ報いは受けなくてはならない」
「――グラスゴールッ!」
空にいたヴェルレーヌが、黒竜を駆ってグラスゴールに肉薄する――だが、グラスゴールは空に溶けるように姿を消し、声だけが響いてくる。
『私は王宮で待っている。そこからはもう、逃げることはしない』
自ら逃げる先を示す――それが信用に足るのか、罠ではないのか。
不思議なほど、そういった可能性を俺は考えなかった。敗れたあとのグラスゴールに、俺たちへの憎悪に類する感情が見えなかったからだ。
諦観を感じさせる瞳。そして――俺たちがグラスゴールの鎧を砕いたあとに、垣間見えた姿は、やはり男だと断じられるものではなかった。
「……ディック。グラスゴールは、おそらく……」
「そういう種族もいるのかもしれない……ってことじゃ、片付けられないか。メルメアも知らなかったっていうことは……」
コーディと、同じ。将軍という立場に身を置くために、グラスゴールは男性として振る舞っていた――俺が見た過去の記憶でもそうだった。
「ディック様……っ!」
黒竜が地面に降りて、ヴェルレーヌとメルメアが降りてくる。東の方向には、混成獣との戦いを終えたらしく、バニングに乗ってこちらに飛んでくる師匠たちの姿があった。
駆け寄ってきたメルメアに、俺はまだ一時の労いの言葉しかかけてやれない。この会戦において『王女メルメアの率いる勢力』が勝ったのだと示すために、彼らが降伏するように勧告してもらわなければならない。
「ヴェルレーヌと一緒に、よく頑張ってくれた。あともう少しだ」
「はい……ディック様。全て、ディック様と皆さんのお力によるものです」
「まだ、戦いは終わっていない。しかし王宮を奪還する前に、一度こちらも態勢を整えのえばなるまい。状況が見えていない兵士たちと民を安心させてやらなくてはな」
ヴェルレーヌは国のことがよく見えている。王宮の奪還が急がれるとは言っても、ただ早急に攻めればいいわけじゃない。
「……ディック。みんなの力もあって、僕らは勝つことができた。僕は恥ずかしいところを見せてしまったけど……」
「いや、そんなことはない。俺の方こそ、一番の強敵と一人で戦わせるような作戦を組んですまなかった。ところで……俺のコートだと、暑いかもしれないが」
「あ……」
おさげ髪がほどけるだけでなく、鎧も大きく壊れてしまっている。俺は自分のコートを脱いで、コーディの肩にかけた。
「……ありがとう。でも、確かにちょっと暑いかもしれないね」
そう言って笑うコーディは、今までより強くなったからというだけではなく、明確に何かが変わったように見えた。
バニングが野営地の開けた場所に降りてくる。出迎えに行くと、バニングの手綱を握っている師匠が手を振る――ミラルカもこんな時は素直に笑顔を見せ、ユマとアイリーンも元気で、戦いの疲れなど感じさせない。
「……そこに今のコーディ殿を連れて行くご主人様は……いや。無粋なことは言わないでおくとしよう」
ヴェルレーヌの苦言通りに、ほとんど素肌の上から俺のコートを着ているコーディを見て、皆は少し――いや、少しどころではなく驚いたような顔をしていた。
※いつもお読みいただきありがとうございます!
本日の更新にて、一連のグラスゴールたちとの戦いは一段落となります。
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