第125話 魔王と王女、そして一つの終局
メルメアと共に黒竜に騎乗し、ルジェンタ城から南西に飛ぶ。
ご主人様の指示には、こういった意図があると考えられる。南西の方角に半刻ほど飛び続けると、その方角にはラトクリスの離宮があるという――敵が処刑の執行を行う狙いは、そちらに私たちの注意を引きつけることにあるはずなのだ。
「もう少しで父君と母君、そして妹にも会うことができるだろう。メルメア、気をしっかり持つのだぞ」
「はい、お姉さま。今はディック様のご指示通りに、役割を果たせればと思っています。でも……」
メルメアは後ろ髪を惹かれるような面持ちで、後方のルジェンタを振り返る。
ご主人様の身体を城に残したままというのは、そこを突かれれば致命的な事態になるということだ。しかし私は、敵がご主人様の読み通りに動くと確信している――そのために気配を隠す方策を用いず、ただ飛行しているのだ。
「ご主人様のことは案ずるな。それよりも、私たちこそ自分のことを心配せねばな……信頼していただいていると言っても、敵も私たちを見つければ、死に物狂いでかかってくる」
「そう……ですね。私たちがこうしていることで、城から敵の注意をそらすことができる……」
「本来は、ラトクリス奪還の旗頭であるメルメアを堅く守って戦いを終わらせるべきだろう。しかし敵の強力な個人戦力は、可能な限り私たちの力のみで封殺せねばならない。兵は脆く、民は弱い。それが罪というわけではないが、乱戦になれば守りきれぬ」
レオンとルガード、あるいはグラスゴールが、こちらに従う兵たちを障害と見なせば、多くの命が失われる。
「……お義兄様は、これまでもこのように戦いを遂げられてきたのですね」
「う、うむ……そうなのだが、お義兄様というのは、そう言えば私が喜ぶと思ってのことか? ならば、気を遣われすぎるのも照れるものがあると言っておく」
「ふふっ……お姉さまは魔王である頃から、どんな男性も寄せ付けてこられなかったのでしょう。そのような方が、お義兄様の前では……」
ご主人様の手強さはメルメアにも分かっているはずなのに、そんなことを言う。
「私を相手に、そんな意地の悪いことを言うようになるとは。会わないうちに、見違えたものだな」
「お姉さまも、とてもお綺麗になられました。誰かを愛すると、女性はどこまでも美しくなることができるのですね」
「……少しでも前進していると思いたいが。その前に無粋な輩から、姫を守らなくてはな」
「っ……お姉さまっ、何かが来ます!」
既に感じている、この隠しきれない殺気――敵の姿が見えなくとも、メルメアは感覚のみに従って精霊魔法を放つ。
「闇の精霊よ、裁きの雷となりて敵を撃て! 『黒雷弾』!」
黒い雷が空を駆け抜け、おそらく『隠密』で気配を消している敵に向かう――しかし。
「――光の精霊よ、雷となりて我が敵を灼け。『白き轟雷』」
「っ……!!」
光の精霊――ありとあらゆる場所に存在しながら、一部の使い手にしか呼応しない上位精霊。
「お姉さまっ……!」
その力で生み出された雷撃は、Sランクの使い手であるメルメアの闇精霊魔法を飲み込み、私たちに襲いかかろうとする。
「――魔王鱗」
メルメアの力では足りぬと、予め見切っていたわけではない。常に発動できるように準備している、魔王として戦う際の防護魔法を発動させる――付近の死霊を結界に変換し、私の魔力が続く限り攻撃を防ぐ『魔王鱗』。
「くっ……!」
――しかし白い雷は、六枚の花弁のような形状をした『魔王鱗』のうち一つにヒビを入れる。
そのヒビから入り込んで私たちを狙おうとする雷を、六枚の花弁を回転させて弾く。しかし未だ姿を見せぬ襲撃者の気配は、その時には私たちのすぐ近くにまで移動していた。
「城から逃げ出すとは、悪いお姫様だ」
「っ……!」
剣が届く距離まで、『それ』は気配を絶ち続けていた。そして私たちをあざ笑うように声を発してみせる。
竜に騎乗し、『隠密』を使っている。ならば黒竜の速度を越えて敵が接近してくることはないと、私は思い込んでいた。
だが、そうではなかった。敵は『黒竜に乗って』飛んでいるのではない。
斬りかかってくる瞬間に姿を現したその男は、人族――だが、その頭部からは捻じくれた角が生え、背には悪魔族のような翼が生えていた。
殺意のみを込めて繰り出される突きは、『魔王鱗』の傷を狙っている。それを受けてわずかでも防御を破られれば、内側に魔法を流し込まれる――私は耐えられても、メルメアは即死する。それだけは避けなくてはならない。
精霊王の王笏を瞬時に手の内に呼び出し、敵が狙っている『魔王鱗』に向けて振り抜く――そして。
重い手応えで、黒竜が大きく押される――だが。振り抜いた王笏が『魔王鱗』と融合し、もう一つの形態に変化する。
『魔王鱗』を刃に変換し、王笏の先端に装着することで生まれる武器。『魔王の大鎌』とも呼べるそれは、辛うじて凶刃を受け流し、攻撃の威力を逃がしきった。
(異界より来たりて、我が敵に相対せよ――『薙ぎ払う者』!)
「っ……何だこいつは……忌々しい……っ」
精霊王の下僕たる『守護者』の右腕を召喚し、その手に握られた矛を振り抜く。山をも崩す威力のある一撃は、牽制には十分な威力だった。
「お姉さま……あれは、人……いえ、魔物……二つの気配が、混ざりあって……」
それでも、変わることのない部分がある。優男のような顔と、『妹』と同じ色の、ブラウンの髪。
「レオン・ブランネージュ……そこまで堕ちたか……っ!」
ルガードとレオンは、グラスゴールの謀反に協力する代わりに見返りを得ていた。
レオンは『鎧精』を与えられたと聞いていた――だが、今はどこにも鎧精の気配はなく、ただ魔族と融合したかのような姿で、笑みを浮かべてこちらを見ている。
「自分の思い通りになる力しか、意味がないと気づいただけだ。俺の相棒は完全な化け物に成り果てたが、どうだ。俺はまだ人間って言えるほどではあるだろ?」
メルメアの喉が震える。恐れるのも無理はなかった――レオンは自らの姿が、人間でも魔族でもなく、いずれにも受け入れられないことを理解できていないのだ。
「私たちがラトクリスに来た以上、お前たちの目論見は潰える。それを一度敗れたときに、なぜ分からなかった」
挑発するつもりはなかった。しかし、憤らずにはいられなかった。
レオンには、踏みとどまる機会がいくらでもあったはずなのだ。それでも敗北を受け入れられず、コーディを最も悲しませる結果を選んでしまった。
「おまえをまだ兄と呼んで……人として生きる道を望んでいた妹の気持ちを踏みにじることが、よくもできたものだ……!」
「……兄である俺のために、『剣精』を譲りもしなかったあいつには、分からせてやらなくちゃならない。俺にだって魔王を倒すくらいのことはできる。あいつができて俺にできないことなんて、一つもあってはいけない」
固有精霊を他者に渡すことはできない。それを知っていても、レオンは妹の力に対する羨望を捨てることができなかった。
「だから、魔王ヴェルレーヌ……俺のために、死んでくれ」
「――戯言をっ!」
『薙ぎ払う者』に命令を下す――しかしレオンに向けて振り下ろされた矛は空を切る。
人が魔物に変容する現象。クライブというSSランク冒険者は、魔物となって力を増し、シェリー殿たちのパーティを寄せ付けなかったという。
ならばレオンもまた、容易に倒せる相手ではない。『薙ぎ払う者』の攻撃を回避できる速度が、それを事実として示している。
「こっちの軍が動いたから、姫と一緒に逃げてきたんだろ? それとも捕まってる家族を助けに行こうとでもしたのか。馬鹿だな、餌として使うために生かしてあるとも分からずにのこのこと出てきちまって」
「肉親を救おうとする者を嘲弄するか。よくもそのようなことを言える……!」
私はメルメアの手を引き、手綱を任せる。そして両腕で大鎌を振り抜き、人間離れした動きであらゆる角度から襲ってくるレオンの攻撃を返し続ける。
「――グガァォォォォォォォオオッ!!」
黒竜が咆哮する――レオンの攻撃を回避するために、反応を限界まで高めているのだ。
隙あらば黒竜を狙ってくるレオンの攻撃を、黒竜自身の旋回を交えた動きと、『薙ぎ払う者』の攻撃で相殺する。しかしレオンの斬撃の速さと重さが、受けるほどに少しずつ増していく。
「ああ、最高の気分だ……この身体は俺に合っている。SSランク程度の冒険者だなんてもう言わせやしない。今の俺は、魔王を嬲り殺しにできる……!」
「くっ……!」
反応しきれずに『魔王鱗』で攻撃を防いだ瞬間、レオンの顔が喜色に歪む。
「――『闇撃槍』!」
「メルメア……!」
メルメアが闇精霊の力で生み出した槍をレオンに撃ち込む――打撃を与えることはできなくとも、防御させることができれば十分だった。
「Sランク程度のそいつに頼るようじゃ、先は見えてる……ひれ伏せよ、魔王。許しを乞えば、生かしておいてやる」
「貴様の前で膝を突くなど、私には決してありえぬことだ……!」
――霊王再臨――
精霊魔法の極致に至ったとき、『精霊王の王笏』を扱うことを許される。
魔力による身体能力の強化と、精霊の力による装備の召喚。そこまでしなくては、魔王討伐隊との戦いを数秒も続けられず敗れていた。
この姿を美しいと言う者もいる。ご主人様ならば、魔王らしいと言うかもしれない。
「……何だ、それは……俺のことを侮って……まだ、力を隠してたっていうのか……?」
「魔物となって強さを増しても、それはSSSランクに届くものではない。そして私は、過去に『SSSランクのパーティ』を相手に戦っている。その意味が分かるなら、剣を捨てよ」
「……男に絆されて、何か勘違いでもしたか。魔王……わかった、方向性を変えよう」
その言葉の意味を問いただす前に――レオンの視線が、私たちではなく、別の場所に向けられた。
視線の先にあるものを見て、私は戦慄する――一度襲撃を受けたばかりの、ルジェンタ城近くのロワール村。
「いずれは俺の前に膝を突かせてやるよ、魔王……俺のことを忘れずにいられるように、心に刻んでやる。あの村が滅ぶ姿をな」
「っ……愚かなことを……!」
『薙ぎ払う者』の攻撃を、そしてメルメアの精霊魔法を逃れて、レオンはロワール村へと飛んでいく。黒竜の速力では、その速さに追随することもできない。
説得など、意味のないことと分かってはいた。それでも『コーディの兄』を討つことを、私は躊躇した――魔王に立ち戻り、メルメアを守り切ると覚悟しながら、最後に過ちを犯した。
「お前たちの村はこれから一人残らず死に絶える! 恨むならアルベインを、そしてラトクリスの愚かな前王を恨むがいい!」
ロワールの民に虚言を振りまき、悪魔のごとき姿をしたレオンは、その姿に似つかわしくないほどの輝きを放つ雷を空から降り注がせようとする。
――しかし。最初の雷が放たれようとした瞬間のことだった。
「……ご主人様……っ」
魂まで震えるようだった。その光景を目にしたとき、私はただ喜びと安堵で胸を満たす――。
「――ぐぁぁぁぁぁぁっ……!!」
レオンが絶叫する。天を裂くようにして放たれた、紛うことなきご主人様の一撃が、悪魔の片翼を斬り裂いていた。
◆◇◆
スフィアに宿した『小さき魂』から意識を切り離し、ルジェンタ城で目を覚ました俺は、城の屋上から南西の空を見て、迫る何者かの姿に気づいた。
それがレオンであると確認したあと、俺は迷わずに、奴を迎撃することだけを考えた。
SSランク以上の戦いに、兵や民を巻き込むわけにはいかない。そのためにヴェルレーヌとメルメアには、城を離れて敵を引きつける役目を頼んだ。
レオンの行動を考えれば、メルメアを狙ってくることは容易に想像がついた。俺やコーディに対する意趣返しもあるが、高い確率で勝つことができて、重要な役目を果たす捕虜であるメルメアを手に入れられれば、レオンは叛逆軍での立場を盤石にできるからだ。
ヴェルレーヌとメルメアには大きな危険を強いてしまった。それでも俺は、ヴェルレーヌが必ずメルメアを守りきってくれると信じた。
コーディに、レオンを倒すことはさせない。だからといって彼女を甘い環境に置けば、俺のことを決して許してはくれないだろう。
それゆえに、最も危険の高い任務をコーディに託した。中央平原で、現在敵軍の指揮に当たっている人物――この局面で出向いてくるだろう、グラスゴールに当たること。
「……ディック……ディックシルバァァァァァアアア!!!!」
ヴェルレーヌとメルメアが無事であったことを喜び、同時に、変わり果てたレオンの姿に言葉を失う。それでも戦意までは失うわけにはいかない。
城の屋上から、ロワール村の外れにある大木まで飛び移り、まだ『隠密』が効いているうちにレオンに奇襲をかけた。
『修羅残影剣・転移瞬烈』――本来なら空にいる敵を倒せるほどの射程を持たない技だが、今の俺ならば、数倍先にまで到達させることができていた。
「あんたもルガードと変わらなくなってるじゃないか。そうまでして強くならなきゃならないのか……?」
「……がぁぁぁぁっ……!!」
吼えながら、バランスを崩して落下しかけたレオンの翼が再生する――地面に激突する前に姿勢を制御するが、俺は奴を『飛ばせなかった』。
それだけの時間があれば、裏に回ることは造作もない。俺はレオンの背後に転移し、その背中に剣を突きつけていた。
「……それで勝ったつもりか?」
「もう続ける意味はないと言ってる。あんたがしてきたことは、アルベインの法で裁いてもらう……」
「くだらない。おまえは偽善の怪物だよ、ディック・シルバー。その力を自分のためだけに使うことをしない。全てを手に入れられるのに何も欲しがらないおまえは、この世界にいてはいけない異物なんだ」
レオンの悪意が込められた言葉は、俺の心を幾らも揺らすことはなかった。
この男がカスミさんにしたこと、ラトクリスの民、そしてメルメアを苦しめたこと。それを後悔する日は、おそらくは訪れない。
それでも、まだ終わりにはできない。この男は、コーディの兄なのだから。
「あいつも俺に言ってたよ。今からでもいいから、捨てた女に詫びろってな。だが俺にはもっとふさわしい相手がいる。あんな小さな村にとどまるような器じゃない……そのことをいつまでも理解しない、馬鹿な妹だったよ」
「……あいつは馬鹿なんかじゃない。誰よりも、アルベインのことを考えてる」
だからこそ彼女は、騎士団長の地位を望んだ――有事の際に動くだけではなく、常にアルベインを護り続けるために。
「あいつはただ運が良かっただけだ。少し歯車がずれていただけなんだ……そうだ、剣精は本来俺が手に入れるべきものだったんだ。コーデリアは俺が得るべき権利を奪った……俺が、俺が魔王を倒して、アルベインでも最高の栄光を……」
「……コーディはコーディで、あんたはあんただ。歯車がずれたくらいでは、同じにはならない」
最後まで、妹への妄執に囚われたまま。そのままで終わらせることを、俺は正しいとは思えなかった。
「――俺たちはどこまで行っても平行線だ。そうは思わないか?」
瞬間、閃光が視界を埋め尽くす――レオンが光精霊に干渉し、自分も巻き込まれながら、強烈な稲光を生じさせたのだ。
翼をはためかせて舞い上がったレオンは、空を背にして両手を広げる。殺気ではない――ある種の覚悟に、今までにない凶兆を感じ、悪寒を覚える。
「レオン……それがあんたの答えか……!」
「我が力の全てを捧げ、請願する。光精よ、我が目に映る全てを灰燼に帰せ……!」
全魔力を代償にした、極大の精霊魔法――それをレオンは選択した。例え自分の生命を代償にしても、俺に一矢報いるために。
「さあ、どうする……お前の本性を見せてくれよ、『化け物』」
躊躇の猶予すらも与えられない。戦火に焼かれても立ち直ろうとするこの村を、決して消させるわけにはいかない。
――しかしレオンは、俺が激昂することを望んでいる。怒りに任せて奴を殺したとしても、それがもたらす結果をあざ笑うだろう。
「なんであんたは……そんなことしか選べないんだ……っ!」
魔力剣の物質化。それを行わなくとも、一閃で終わらせられる――それでも俺は無心で、ただ自分の剣を最短の時間で、限界まで研ぎ澄ます。
もはや俺がレオンにできることは、加減などしないというだけしかない。
――魔力剣・終極強化――
「なんだ……お前……その技……」
光剣の強度に劣る魔力剣で切り結ぶ修練。そして光剣を実際に借り受け、振るった――その経験が、俺の魔力剣を次の段階に引き上げていた。
「何故お前がそれを……コーデリアの、剣をっ……」
レオンには俺の持つ剣が、光剣に見えている。しかし、違う――剣精の力を模倣したのみの剣は、本物には及ばない。
俺がなぜこの技を選んだのか。それは、コーディだけが本物であること、及ばずとも磨き上げた剣に意義があるという信念を伝えるためだった。
「……畜生ぉぉぉぉぉぉっ……!!」
一部でも伝わりはしたのだろう。強力な精霊の力が、冒険者の強さを決定付けるわけではない。剣精に固執し、鎧精に依存したとき、レオンの能力は成長を止めていた。
レオンの全魔力が、光精霊によって荒れ狂う雷へと変換される一瞬前に。音もなく、俺は剣を振り抜く。
ただの一撃。しかし極限まで強化した剣は、それを空間を断ち割る域にまで高めていた。
「っ……!」
しかしその斬撃を、レオンの周囲に生じた防壁――見覚えのある結界が減殺する。遥か遠く、雲に水平の線が走る。
その手応えには、覚えがあった。コーディの剣を防いだ、唯一の鎧――『鎧精』の作り出す防御結界。
――光輪鎧・魔封結界――
「一体今まで何をしていた……おまえのせいで、無残にやられるところだった。もうこんな魔法は必要ない、俺とおまえで力を合わせれば……っ」
レオンはまだ姿の見えない鎧精に向けて語りかける。
しかし、鎧精は返答のないまま――結界を解除することもなく。レオンを囲んだ結界が、さらに何重にも重ねられる。
「っ……お、おい……ふざけるなよ、俺に仕えるために来たんだろうが! もうこんな魔法を使う必要はない、早く俺を守る鎧になれ! 早くしろ、愚図がっ!」
「……貴方がたは、力を与えても有効に使うことができなかった。SSランクの冒険者だからか、素材の人格に問題があったのか。グラスゴール様は、深く失望しておられる」
「何を……っ、わ、わかった、村の人間は殺さない……生かしておいてやるから、早く、俺の、俺の魔法を……っ」
「――無辜の同胞を殺させるために、力を与えたわけではない……っ」
地面を蹴って跳躍し、斬りかかる。極限まで鍛えた剣を、実体化した鎧精が受ける――その身体を包む結界を、俺の剣は確かに削り、斬り裂いていた。
「我が守りを……そんな人間が存在するとは。しかし、もう遅い」
――『光輪鎧・斥力障壁』――
鎧精の周囲に、何者をも拒絶する不可視の障壁が生まれる。
弾かれ、それでも空中で『空気』を強化して足場を作り、もう一度食らいつこうとする――しかし。
鎧精が決して解除しなかった、レオンを囲む球状の結界の中で、レオンの全魔力を変換した雷撃が暴れ回った。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……‥!!」
村を、あるいはルジェンタ城までを巻き込むはずだった雷撃は、全てがレオンへと跳ね返る。
「――うぉぉぉぉぉっ!」
俺が繰り出した剣を、鎧精は表情一つ変えずに、手の先に生じさせた障壁で受け止めた。精霊が実体化した、少女を模した姿――その表情は全く動かない。
「レオンは我が主の期待に答えなかった。『化身』の結果も、ルガードと比べれば芳しくはない。この程度の結果ならば、素体としては不要だった」
「……レオンとルガードで、試したのか……混成獣を作る方法を……!」
「それは、彼らが自分で望んだこと。我が主は可能性を提供したにすぎない。彼らが渇望してやまない力を得るために」
レオンとルガードの、頂点に立って国を支配したいという願望は、グラスゴールによって利用されていた。
グラスゴールにとっても、二人は侵略者だった。彼らが来たことで生じた混乱は、グラスゴールを叛逆へと駆り立てた――それは、俺たちが見せられていた筋書きに過ぎなかった。
自らの全魔力を注ぎ込んだ雷を反射され、レオンは空から落ちたまま動かない。鎧精はその姿を何の関心もないと言わんばかりに一瞥し、もう一度全てを遠ざける力を生じさせて、俺の剣を押し戻そうとする。
「あなたが殺すはずだったものを、私が処刑した。私は力を濫用した者にふさわしい罰を与えた……なぜ、それほどに憤るのか。理解に苦しむ」
「決まってるだろ……あんたの主人がレオンより強いのなら、レオンを止めてやることだってできた……弱者のふりをして、最後まで騙しきって、それで満足か……!」
「SSSランクの冒険者……あなたがたがアルベインの『平和』を守り続けることに、彼らは耐えられなかった。我が主はそんな彼らに共感し、力を貸した」
「そうだな……強い奴は自由を欲しがるし、当然の権利だ。でもそれは、よその国を乱してまでするべきことじゃない」
「混乱が必要だからこそ、我が主は行動を起こした。ラトクリス魔王国の安寧は、未来に生じる犠牲に目をつぶって得られるもの。我が主はそれを認めない。異分子を利用してでも、この国を変えなくてはならなかった」
アルベインもまた、地下迷宮の異変を大事と認められず、『蛇』が目覚めるまで放置していたかもしれなかった。
同じような脅威が、この国にも訪れているとしたら。レオンとルガードが起こした混乱に乗じ、玉座を掌握してでも、グラスゴールがしようとしていることは――果たして、私欲のみによるものなのか。
「……何故、それを俺に話す? 俺の剣が、あんたに通じないと思ってるからか」
「私にはあらゆる攻撃が通じない。例えSSSランクに相当する能力があったとしても、私を破壊するには……」
至らない。そう言おうとしただろう鎧精は、俺の剣を見て目を疑った。
――魔力剣・結界破断――
魔力で強化し、限界まで硬度を高めた刃が、鎧精の結界を相殺し、進み続けている。
「俺は一度見た技は、ほとんど原理を解析できる。それが精霊魔法であってもな。逃げずにいてくれたおかげで、ようやく解析が終わったよ」
「……盾精と並び、最高の防御力を持つ鎧精の結界を、そのような力技で貫こうとする……その力、我が主が興味を示されるに違いない」
鎧精が僅かに引く――目的は分かっている、前と同じように、転移して逃げようとしているのだ。
「現状の使命は遂行した。アルベインの冒険者よ、その力については我が主に報告を……」
「――何度も逃がすわけがないだろう。『精霊王の王笏』の所持者がここにいる意味を、もう少し考えるべきだったな……!」
鎧精とここで戦うことは、五分ほどの可能性だと思っていた。
王都での戦いでも、鎧精は最後まで戦うことはせず、躊躇なく撤退を選んだ――召喚に応じて、距離を無視して移動できる精霊を捕らえるには、必ず満たさなければならない条件がある。
「ヴェルレーヌ! 『召喚封じ』を頼む!」
「――すでに詠唱は終わっている。精霊王よ、王笏を与えられし者が請願する!」
鎧精の身体が発光する――召喚に応じて転移を行うはずが、ヴェルレーヌの請願に応じて、精霊王の干渉によって召喚が妨害されたのだ。
「精霊王……すでにこの世界を離れた存在が、まだ支配力を残している……」
「効くと信じていたが、見事なもんだ……!」
「っ……捕まるわけには、いかない」
『鎧精』はようやく事態を飲み込んだのか、もう一度『斥力障壁』を発動させ、俺の剣を弾く。それでも俺は再び食らいつき、再び結界の分解を始める。
(鎧精の結界は、違う術式で構築されたものが何重にも重なっている……俺の剣だけじゃなく、他の性質を持ち、同等以上の性能を持つ剣で、同時に攻撃すれば……!)
「――前に戦ったときとは、まるで違う……戦いの中で、成長していく。これが、SSSランク……我が主が求めている力……」
鎧精は俺の剣に結界を切り裂かれる前に瞬時に張替えるが、徐々にその姿が薄れている――魔力の消費が大きすぎるのだ。
実体化を保ちきれず、消失しかかる身体を一瞥した鎧精は、最後の力でもう一度障壁を発生させると、視認も難しい姿のままで逃げようとする。
だが、召喚による転移でなければ見失うことはない。姿が消えかけても、精霊の力の根源である魔力を完全にゼロにすることはできないからだ。
――視力強化・魔力追跡――
ある程度距離が離れても追跡が途切れないように魔法を発動させる。俺の意識には、実際に目で見ている視界と、追跡している対象の周囲の映像が同時に見えるようになる。
追跡する先に、鎧精の主――おそらく、グラスゴールがいる。俺は高高度から滑空してきたヴェルレーヌの黒竜に飛び乗り、ヴェルレーヌと意識を共有して、鎧精の追跡を続けてもらう。
「……これで終わりにしなくてはな。敵の主戦力のみを討てば、戦いは終わる。ご主人様がかつて我が国に入ったときも、このように動いていたのだな」
「みんながいなければ成立しない作戦だけどな……仲間には、本当に恵まれてる。レオンも、誰かを従えようとするだけじゃなく、本当の意味で協力することを考えられていたら……」
「他人を信じることのできない者もいる。価値観はそれぞれだが……レオンとルガードを倒さなければ、多くのものが生命を落としただろう。強さを求めるという言い訳で、彼らはしてはならないことをしたのだ」
俺の言葉を否定せず、しかしヴェルレーヌは決然としていた。
レオン・ブランネージュ。そして、ルガード・バレンスタイン。ラトクリス魔王国を混乱に陥れた二人の冒険者は、支配者の地位からこの国を見ることはなかった。
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