第124話 魔法使いと武闘家、神官と師匠
ディックと初めて会って、最初に魔物と戦ったときのことは忘れもしない。
魔王討伐のために国境近くの村にやってきたところで、Bランクの魔物の中に群れを統率する『長』が現れて騒ぎになっていた。小さな村でのことで、ギルドにもBランク以上の冒険者が滞在していなくて、このままでは村にまで魔物が侵入してくるかもしれないと人々は怯えきって、厳重に戸締まりをして家の中に隠れていた。
私たちは旅路を急がなくてはいけない。けれどディックがこう言ったから、私達は村を助ける依頼を受けて、初めて冒険者として仕事をすることになった。
『俺たちは『冒険者』と言われてはいるが、それは冒険者強度ってやつを測って、それで魔王討伐隊に選ばれたからだ。実際は冒険者としては素人だし、パーティを組む感覚も身についてない。小手調べって言うのは村の人に悪いが、最高でBランクの魔物の群れってのは、今の俺たちには丁度いい練習相手なんじゃないか』
私たちは何の訓練も受けず、指標としての強さが高い数値だったから、魔王討伐隊として選ばれた。王国はそれだけ追い詰められていたのだと思うけれど、それを良しとした大人たちは、多少情状を酌量しても褒められた姿勢ではなかった。
『私たちの実力を測ろうっていうの?』
『ああ、まあ俺も含めてな。ミラルカが王国最強の魔法使いってことを疑うつもりはないが、強さにもいろんな形がある。少ない敵を相手にしたとき強いとか、攻城戦に強いとかな』
彼はそんなときも、私たちを納得させる理由をちゃんと持っているけれど、その奥にある本音は口にしない。
ディックは私たちがそうするよりも、遥かに良く仲間のことを見ていた。どれくらい体力があるか、どんな性格なのか、好きなことと嫌いなことは何か――食べ物や飲み物の好み。それらの情報を全部頭に入れているから、彼があえてそうした時以外、私たちは『ディックは分かっていない』と思ったことがなかった。
馬車を乗り継いで移動することを提案したり、私やユマが徒歩での移動に向いた靴に変えるようにと助言したり――ぼさぼさの髪をして、地味な黒の服を好んで着ていて、最初はもっと身だしなみを整えた方がいいとばかり思っていて、ディックの言葉を素直に聞けなかった。そんな私のことを彼は苦手そうにしていたけれど、それでも辛抱強く見守って、私の毒舌を笑って返してくれた。
ディックに直接言ったことはないけれど、彼の徹底した謙遜は美学の域に達していると思う。鋭い観察眼を隠すために目を隠し、地味な服を着ているのも、周囲に注意すべき人物だと思わせないため――華やかな舞台よりも裏方の仕事を好んで、どんな雑用でも黙々とこなせる根気強さもある。
彼にはそんなつもりはないのかもしれない。能力を隠すのは目的のためで、他意はないなんて思っていそうだけれど、徹底的なまでの彼のこだわりは、見れば見るほど真似ができないと思うし、どうしてそこまでと呆れもする。
私も、コーディも、アイリーンも、ユマも、そうしてひとしきり呆れて、それが感嘆に変わって、彼を信頼するようになった。
――世俗を離れて隠遁していてもおかしくなかった、稀代の天才。私は彼が故郷を離れて王都に来たことが、どれほどの奇跡なのかと思う。
そして、いつも考えている。魔物を恐れている村の人たちを安心させて、魔物を全滅させる以外で害を無くす方法を考え、彼なりの納得できる見返りを得て『仕事』を終える。そんな彼の思想を同じ志の高さで実現できるようにならなくてはいけない。
彼の魔法で守られる安心感を覚えてもなお、頼り切りではいけない。ディックと一緒に初めて戦ったあの時から、私はそう思い続けている。
(……こうやって思っていることを全部言えたら、もう少し胸が楽になるのかしら)
ヴェルレーヌとリムセリットさんから指示を受けて、出動するまでのわずかな時間。私はディックの様子を見に来て、つい昔のことを思い出してしまった。
旅の途中で、ディックがお昼寝をしているところを見たことがある。同室のコーディが、いつ寝ているかわからないくらい勤勉だと言っていたけど、答えは簡単だった。彼は回復魔法を駆使して、一日のうち一時間寝ればそれで済むという生活を送っていた――そしてベッドの上ではなく、木の上で寝ないと寝付きが悪いのだとも言っていた。
そんなディックが、事情があるとはいえベッドの上で寝ている姿を見ることが増えた。今も安らかな寝顔をしているけど、心配になるくらい息をする間隔が長いので、ちゃんと心臓が鼓動しているか確かめようと、胸に手を当てそうになってしまう。
少しくらいなら――彼が倒れているときは、魔力の循環までしたのだから。そう思いながら触れようとしたとき、廊下をひたひたと歩いてくる足音が聞こえて、私は手を引っ込めるしかなかった。
「ミラルカ、そろそろ作戦開始だよ? ディックに挨拶してたの?」
「ええ。忍び足で来てもわかるわよ、アイリーン」
「あはは……えっと、ミラルカがいるのに気づいたからっていうのもあるけど。もし誰もいなかったら、ちょっとだけ元気を分けて貰おうかなって思ってたりして」
アイリーンはディックへの思いをあまり隠さなくなっている。私はそれを友人として喜びながら、それだけでもいられなくて、胸に少し痛みを感じてしまう。
「ミラルカもそうなのかなと思ったけど。寝顔を見られるだけでいいって、ディックからは健気って見られちゃうんじゃない?」
「そういう言葉は私には似合わないわ。ユマとシェリーには似合うでしょうけど」
「ミラルカはどっちかというと、ディックをお尻に敷きたい方だもんね」
「ええ、椅子になってくれるならいつでも使ってあげる……と言いたいけど。最近は隙がなくて、なかなか言い合いもできないわね」
アイリーンがそうしてくれるのなら、私も本音で話さなくてはいけないと思う。私の我がままを困った顔で聞いてくれるディックを見るのが楽しくて、つい理不尽なことを言ってしまうけど、本当は彼に問題があるなんて滅多に思わない。
「メアちゃんもディックのことを信じてるから、『作戦』に従ってくれた。ディックには、どこまで先のことが見通せてるのかな?」
「……全部、と言うと彼に頼りすぎているから。私たちはディックの描いた想像図を、そのまま形にしてあげることが役目よ」
「人質を取られちゃったりしてて、一時はどうなるかなと思ってたけど……ディックたちが頑張ってくれたから、心置きなく戦えるしね」
私たちの力を継ぐスフィアが、見事に役目を果たした――それを聞いて嬉しいと思うし、帰ってきたらスフィアを抱きしめてあげたいとも思う。
けれど、同時に。スフィアが果たした役割以上のことを、私たちもやってみせてこその母親だとも思う。
「お母さん勢も頑張らないとね。スフィアちゃんに負けないように」
「ええ。そろそろ、敵軍が動き始める時間ね……私たちも動きましょう」
アイリーンと一緒に城の屋上に上がると、リムセリットさんがバニングに騎乗して待っていてくれた。ユマもすでにその後ろに乗っていて、私たちを見て手を振る。
「ヴェルちゃんとメアちゃんは別行動で、コーディ君はもう出発してる。シェイド将軍は平原で引き気味に布陣してるけど、ユマちゃんとミラルカちゃんの力でなんとか軍隊同士をぶつけることは避けること。我武者羅に突き進んできそうなのがいたら、アイリーンちゃんと私で止める。いい?」
「はい、分かりました!」
「ええ、分かったわ」
「了解!!」
それぞれの返事をすると、私はアイリーンに足を持ち上げてもらって竜の背に乗り、アイリーンは高々と跳躍して私の後ろに乗り込んだ。
「ふぁぁ、ミラルカの髪凄くいい香りがする……ミラルカの後ろはディックには任せられないよね」
二人乗りのときは、ディックが後ろから私を支えるようにして乗っている――けれどアイリーンが言うような感想を聞いたことがないので、ディックは仕事のときは仕事と割り切っているのか、私に異性としての関心がないのかのどちらかだと思う。
「そんなことないってミラルカちゃんもわかってるくせに。優しくするのと、過剰に遠慮するのは違うから。今まで通りのミラルカちゃんでいなきゃ」
「……陣魔法以外は主義として習得しないつもりでいたけど。精神防御をしないと心を読まれてしまうのなら、対策用の魔道具が欲しいところね」
「お姉さんには内緒にしなくても……っていうのもだめかな。あ、ユマちゃんとアイリーンちゃんも欲しくなってる? 王都に戻ったら作ってあげようか」
「い、いえ、私は……どちらかというと、ディックさんの魂の色が見えているので、私の方も魂まで見せなくては公平ではないと思っています。でもディックさんは、心を読むようなことまではされませんから……」
「お師匠様から、そういうことは教わってなかったのかな。ディックだと、できるのにあえてやってなかったりとか」
リムセリットさんができることは、ディックもできると考えていい。ということは、私がアイリーンとディックのことを勘違いしていたことも、ディックには見抜かれて――そう思うとまた胸がちくちくと痛む。
でもディックは、人を傷つけるような嘘はつかないと思う。私の心を見通して、それでも何も知らないふりをしているとか、そういう種類の演技は得意じゃないはず。
「ディー君はそうだよね。できるだけ対等で、フェアなやり方をしようとするの。最初から本気を出さないのは相手をなめてるみたいだって、自分では思ってるみたいだけど」
「……ディックは怒らないと本気で相手を負かしたりできないのよ。それをなめているとか、私はそういうふうには思わないわ」
「そういう最初から本気を出す役目は、自分がやるって言ってたもんね」
ディックと私との違い――それは、私は相手の心を折るやり方を最優先にするということ。距離を詰められると脆い魔法使いは、手加減がそのまま命取りになる。
私が敵に容赦をしないことに、ディックは感嘆することはあっても、咎めたことはない。
それどころか、私の力を頼りにしてくれる。そうでなかったら、私はこんなふうに戦うことはしないで、誰も居ない荒れ地にでも移り住んで、魔法の実験をしていたと思う。
魔王討伐隊の五人は、みんな同じ。強い力を持ちすぎて、人の中に入っていけなくて。共感できる相手を心の底から求めてやまなかった。
「私はディー君の代わりに、彼が非情になりきれない部分を担いたいと思ってた。でも……そういう覚悟をしてるのは、みんなだって同じなんだよね。私は長く生きてるだけで、全然みんなには……」
「敵わないとか、そういう弱音は聞かなかったことにするわ。今だって、私が苦手な竜の騎乗をそつなくこなそうとしてるじゃない。スフィアと貴女の万能さには敵わないけど、私たちには自分たちにしかできない役割がある。それがパーティというものよ」
「あたしも体力しか取り柄がないけど、それだけは他の人に負けないつもりだから。ディックのパーティから外れないように、常に努力してないとね」
「私も同じ気持ちです。ディックさんが私のことを忘れていなかっただけで、本当はすごく感激していたんです……私みたいな子が必要としてもらえるのは、魔王討伐の旅に出ている間だけだと思っていましたから」
異口同音、以心伝心と言ってもいい二人の言葉。いつも私たちの気持ちは同じで、昔よりもずっと強い繋がりを感じる。
まだ私たちよりディックに近いリムセリットさんが、遠く感じることもある。けれどこうして一緒に戦ううちに、その距離感も変わっていくはずだから。
「そろそろいいかな……コーディ君も、かなり敵地に近づいてる頃だから。みんな、準備はいい?」
リムセリットさんが仮面を取り出す。それぞれ色は違うけれど、私たちも仮面を身につける――アルベインの冒険者だと知らしめながら戦うのは、得策ではないから。
リムセリットさんはバニングの手綱を引く。翼を広げ、羽ばたいて舞い上がる――そして加速を始める前に、私たちの身体は風を防ぐ結界で包まれる。同時に『隠密』の魔法をかけて、敵から視認されなくすることも忘れない。
呼吸をするように、無詠唱で複数の魔法を使っている。これがディックの師匠――そしてディックの次に、スフィアに大きな影響を与えた人。
「私だって、見放されても仕方ないと思ってた。本当は、ディー君の前に姿を見せちゃいけないんだって分かってた……」
リムセリットさんは前を向いていて、その表情は見えない。
けれど、リムセリットさんに触れているユマが、彼女の『魂の色』を私たちに伝えてくれていた。
「でも、ディー君はそんな私を赦してくれたから……前よりも、ずっと――」
バニングが森の上空を越えると、広がる平原に布陣した味方の兵士たちが勝鬨の声をあげる。
シェイド将軍に対してヴェルレーヌとメルメアが頼んだことは、ルジェンタ城を占領したときに、国軍の兵たちがこちらに帰順したと示すこと――つまり、敵から見えるぎりぎりのところに布陣していればそれで良くて、彼らに敵軍を近づけてはいけない。
(ディックは敵が土の精霊魔法で橋を作ってくると予測していたけど……それを防ぐのは、確かに私しかできないわね)
「敵の軍が八千人って言ってたけど……何かちょっと増えてない?」
「ディー君の予想通りだね。『土塊のフォルクス』っていう将軍が、ちょっと兵を連れて合流したんだよ。ほら、魔法を使うために前に出てきてる」
リムセリットさんはそう言いながら、視力を強化する魔法を私たちにもかけてくれる。雲と同じ高さの高度からも、フォルクスという将軍らしい人物と、彼を守るように陣形を組んでいる騎馬と歩兵の姿が見える。
「ほぇ~、ゴーレムみたいなゴツゴツした身体の人だね。そういう種族の人もいるのかな?」
「土精霊に精通している魔族ということかしらね……アイリーン、一人で難しいなら私もサポートするわよ」
「ううん、硬いだけならむしろあたしの敵じゃないから。あたしが苦手なのは、打撃を吸収するスライムだけ……って、思い出すだけで悪寒が……」
「アイリーンさん、スライムの敵はいないみたいなので大丈夫だと思います。他の方々には、『絶対に』お邪魔はさせません」
ユマの言葉に、すでに鬼気迫るものがある――でもこの子はきっと自覚がない。
彼女は約束したことを決して破らない。それは、神への信仰を決して失うような行為をしてはならないという戒律を遵守しているから。
「彼らは決してあの河を渡ることはできません。これ以上同胞を傷つけることを、アルベインの神は望んでおられませんから」
ユマが歌う準備を終える前に、私はお膳立てをするだけ。格下のSランクの精霊魔法使いを前に、本気を出すことは大人げないとは思うけれど、情けはかけない。
「――大地の精霊よ! 我が声に応え、土塊を以て道と成せ!」
朗々たるフォルクスの詠唱が響く。付近の地精霊が声に応じ、川岸の土が盛り上がって、見る間に橋を形成しようとする。大軍を一気に渡そうというだけあって、三百人ほどが同時に渡っても耐えられる強度はあるように見える。
土塊のフォルクスという二つ名にも納得がいく。けれど、地面を隆起させてアーチを象って架けられていく橋は、対岸に届く前にぴたりと止まる。
「完成すれば、立派な橋になったのでしょうけど。その姿を見ることはできないわね」
――『広域殲滅型百ニ十八式・地裂岩砕風砂陣』――
『百二十七式・地裂岩砕消滅陣』は、その名の通りに隆起した地面を消してしまう。そうすることで、戦闘の被害を残してしまう――川沿いには、上流から運ばれてきた肥沃な土が堆積しているのだから、広範囲に渡って消滅させれば損失は甚大なものになる。
そこで発展形として考えられた陣は、土を砂に崩してしまうけれど、消滅させることのない陣。川岸が砂地になってしまうけれど、粒子まで分解してしまうよりは損失は少ない。
「この距離で、こんなに広い範囲に陣を展開できるなんて……ミラルカちゃんの頭の中では、一体どれだけの速さで術式を編んでるの……?」
「うわぁ……土の橋が砂になって、元のところに押し戻されてる。フォルクス将軍もあわてふためいてない?」
「橋をもう一度作ろうと、付近の精霊の方々に呼びかけていらっしゃいます……でも、元々このあたりは水精霊の力が強い土地のようですから」
ユマには精霊の魂が放つ波長すらも見えている。彼女がそう言うのなら、もう焦らなくても、敵は橋を架けたりはできない――けれど。
すぅ、とユマが息を吸い込む。そしてアルベインの神に捧げる歌が始まり、呆然としている敵兵たちの頭上から降り注ぐ。
「き、貴様らっ……何をしている! 敵前で武器を捨てるなど……っ、何だこれは……歌……どこから聞こえてくるのだっ……!?」
手に持った武器を捨てる兵たちを、フォルクスはどうすることもできない。兵たちは武器を持つことをやめて、全員が空に向かって祈っているのだ――こんな光景を目にした司令官が味わう絶望は、想像に難くない。
「さてと……二人にだけ、お仕事させておけないよね……っ!」
アイリーンがバニングの背から飛び降りる――彼女にとって、この高度から地上に向かって降りることは、恐怖を伴うものじゃない。
「――『気流障壁』!」
気圧の変化から耳を保護するために、リムセリットさんが魔法を使う。攻撃力の強化などは行わない――一瞬で全てが終わってしまうから。
鬼族の闘気を纏ったアイリーンは、まるで赤い流星のように、騎乗したフォルクスだけを狙って落下していく――途中で『空気を蹴る』という信じがたいことをして、軌道を調節しながら。それは、リムセリットさんが空気を強化して作った足場を利用した、ディックも時折見せる妙技だった。
「はぁぁっ……『天崩震円脚』!」
シュペリア流格闘術では、空からの蹴り技に共通した名前が付けられている。『天崩』――それは、上空からの攻撃で、敵の姿勢や防御を崩す技であることを意味する。
「「「うぉぉぉぁぁぁぁっ……!!」」」
アイリーンの驚異的な脚力と共に闘気が大地に打ち込まれ、爆発的な震動が起こる――アイリーンを中心に、広範囲に渡って円形に地面が割れ、重装備をした歩兵たちが吹き飛び、騎馬兵はひとたまりもなく落馬する。
フォルクスはさるもので、地精霊に干渉して震動を緩和しようとする。しかしアイリーンはすでに着地から動き出しており、飛び込みながら繰り出した蹴りをフォルクスの後頭部に打ち込み、意識を刈り取った。
「がっ……あぁ……」
「『羅刹斬月蹴』っていうんだけど、もう聞こえてないよね。まだかかってくる気のある人はいる? あたしはどっちでもいいよ」
「ひっ、ひぃっ……」
「こ、この女……鬼族‥…赤い髪の鬼人だ……っ!」
「赤じゃなくて桃色なんだけど。確かにどっちかといえば、あたしたちの一族はこっちに近いのかな。父さんは違うって言うだろうし、あたしもそう思ってるけど」
魔族に属する鬼族もいるけれど、アルベインでは繋がりのないものとして認識されている。アイリーンの故郷である村は、昔から王国とは共存のための協定を結んでいた。
半分人族の血を引いていてなお、鬼族の頂点に立つ才能を持って生まれた。それがアイリーン――フォルクスと直属の部隊を一瞬で壊滅させて、息が全く乱れていない。
三百ほどの兵を一撃で戦闘不能に追いやった光景。そして、大河を渡すはずだった橋が破壊されたことで、国軍が撤退するかもしれないという推測もしていた――けれど、たった一部が欠けただけだというように、布陣した八千の兵は撤退の兆しを見せない。
「グラスゴール将軍は、簡単に私たちを行かせてくれないみたい」
リムセリットさんが呟く。突如として、布陣した国軍を援護するように、六体の巨大な魔獣が姿を現す――何者かによって召喚されたらしいその魔獣が、恐怖と言う名の抑止力となって、兵士たちの撤退を封じていた。
「あの魔獣たちは、橋を作らなくても水の中に入ったら敵の足場として機能しちゃいそうだね。空中からでも何とか倒せると思うけど……ミラルカちゃん、ユマちゃん、援護してくれる?」
「ええ、兵士たちは武装解除をすれば逃げるしかなくなるでしょう……けれど八千人の装備を破壊することは一度にはできない。ユマも可能な限り撤退を呼びかけて」
「死霊使いの方もいらっしゃいますから、そちらの召喚も無効化します。あとは、コーディさんがきっとお役目を成し遂げてくださいます」
そう――コーディが私たちと別行動をしているのは、敵軍の指揮官を狙うため。
私たちがルジェンタ城にいると知っていて再攻撃を決断したとしたら、国軍に命令を下しているのは相応の強者ということになる。レオンかルガード――もしくは、敵の総指揮官。
「もし、コーディ君がレオンと当たるようなことがあったら……ううん、コーディ君なら誰が相手でも大丈夫だよね」
ディックはコーディのことを親友として大切にしている。それは、私たちも見ていて良く分かっている。
そんなディックが、コーディに兄と戦う道を歩ませるとは思えない。例えコーディ自身が、それを厭わなかったとしても。
「いずれにしても、コーディが戦うのは相当な強者ということになるけれど……私たちの裏のリーダーがディックなら、コーディは表のリーダーよ。誰が相手であっても、決して負けたりはしないわ」
「はい。ですが、神よ……祈りを捧げることをどうかお許しください。私たちの大切な仲間に、勝利をもたらさんことを」
ユマが祈る中で、地上ではアイリーンが進んでくる八千の兵を前にして、準備運動をするように身体を慣らしていた。
「残念だけど、数じゃあたしたちは止められないよ……っ!」
アイリーンが駆けていく。敵の陣形を割って、召喚された巨大な魔物――おそらくは『混成獣』だけを狙って。
リムセリットさんは何重もの強化魔法をかけて、アイリーンを強化していく。けれどディックの手際を見ていると、それですら物足りないと思えてしまう――弟子が師匠を越えていることは、彼女もよくわかっていた。
「行くよ、ミラルカちゃん、ユマちゃん。私なりの空からの戦い方、見せてあげる!」
リムセリットさんが剣を抜き、魔力をまとわせる。彼女の声に呼応して、バニングが地上に向けて息を放つ準備をする――こんな動く要塞のようなものが空から襲ってくるのに、逃げることのできない兵たちの心中は、さすがに私でも哀れに思いはする。
そこに私の陣魔法による装備の破壊と、ユマの戦意を奪う歌が降り注げば、戦いの結果は見えているようなものだった。
(コーディもそうだけれど、ヴェルレーヌとメルメア王女も心配ね……けれどディック、貴方がそうやって指示をしたのだから。しっかり守ってあげなくてはね)
陣を編み、敵兵をできるだけ多く範囲に入れながら、私はディックの指示に従っているだろう二人に思いを馳せた。
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