第120話 遠隔指揮と霊脈の記憶
ラトクリス離宮に向かう途中では、敵兵の駐留地などは見当たらなかった。交戦することなく移動に専念すれば、ものの半刻も経たずに目的地に辿り着く。
霊脈の社は内乱が始まってから全く手入れされていないようだが、幸い外から見て分かりやすく、すぐに見つけることができた。
(この社は、地表に出た霊脈の集約点に作られたのか。かなりの魔力が通ってるな)
森の中にある、小さな石造りの社――屋根から蔦が垂れ下がり、苔むしている。人は近づかなかったようだが、不思議と周囲は活力に満ちていると感じる。
生命力と魔力は異なるものだが、相互に干渉している。この場所に溢れている魔力が、周囲の植物や大地自体を活性化させているのだ。
「ここからなら、お母さんたちとお話できるかな?」
(場合によるな。向こうも霊脈が繋がってる場所に居てくれればいいが……スフィア、探査することはできるか?)
「うん、やってみる。お父さん、霊脈から入ってくる情報がいっぱいだから……」
(ああ、俺も『思考速度強化』で補助する。必要な情報を拾うのは、俺に任せてくれ)
『小さき魂』で力を切り離した今の状態でも、俺は魔法を使うことができる。その気になれば、戦闘要員として加わることも可能だ――魔力で実体化することはスフィアと違って経験がないので、彼女のやり方を参考に模倣しなくてはならないが。
「お父さん、お酒を飲んでるふりをして、ずっとその魔法の練習もしてたんだよね」
(酒は普通に飲んでたが、身体を鈍らせないための魔法を色々と実験してたからな。筋力の強化は負荷をかけて回復させればいいが、思考速度を上げるのは難しかった。結論としては、並列で思考するのが一番速くできるみたいだ)
「……あんまり無理しちゃだめだよ? お父さんは、もうすごくすごく、すっごく強くて、いるだけでみんな安心しちゃうくらいすごいんだから」
最初から全力で、俺一人でグラスゴールを倒してしまえば済む話だ――というわけにいかなかったのは、まだ敵の手に落ちている人々を助けていないからだ。
それでも、全員を救ってからグラスゴールと戦うことはできない。これほどの規模の内乱で犠牲を出さないなんて不可能な話だ。
「そんなことないよ。お父さんやお母さんたちのおかげで、助かった人がいっぱいいるから……だから、辛い顔しないで」
(っ……すまない。気を遣わせたりして。今の弱音みたいなことは、忘れてもらえるか)
「ううん、私には何でも言って……あ、辛い顔っていうのも変だよね。でも、お父さんが私に宿ってくれてると、どんな顔してるか分かるの」
俺を元気づけようとするときの口調は、アイリーンの面影を濃く感じさせる。彼女はいつもあまり深く考えてないというが、その明るさに、彼女が自覚しなくても力をもらえることは多かった。
「……お父さんは、お母さんたちのこと、やっぱりすごく大切なんだね。いつもあまり言わないけど、ちゃんと想ってくれてるんだって分かって嬉しいよ」
(ま、まあ……それはな。俺が何を考えてるか伝わっても、みんなにはそのまま言うんじゃないぞ)
「うん、でもちゃんとしまっておくね。お父さんと一緒にいるときのことは、全部私の大事な思い出だから。こんな大変なときなのに、喜んだりして……私、悪い子なのかな?」
(いいや、何も悪くない。どんな状況でも、子供にそう言ってもらって嬉しくない親はいないだろうな)
「……お父さん」
スフィアが生まれなければ、誰かに話すことのなかったようなことを、すでに幾つも話してしまっている。
自分の思っていることを全て話すことは、信条に反する――そう思っていた俺だが、こうも自分が娘に対して甘いとは、自分でも知らなかった。
(……だがどちらかといえば、平和な時に作る思い出の方がいいに決まってる)
「うん。そのために頑張らなきゃ……霊脈を利用して、お母さんが持ってる魔道具の反応を探すね」
念話を可能にするピアス――それを、ラトクリスに来た全員が持っている。スフィアが霊脈を辿って見つけたのは、ヴェルレーヌと師匠だった。
まだ、最初の霊脈の近くにいてくれた――いや、何かの理由があって戻ってきたのだ。まだ数時間しか経っていないのに、二人の魔力の気配が懐かしく感じる。
『ディック、スフィア……二人とも無事で何よりだ。しかし、悪い知らせがある。川向こうに野営地を作っていた敵軍が、動き出す気配を見せている』
『ディー君、私たちはどうしたらいいと思う? このまま二つの軍がぶつかったら、死傷者はすごく多くなる……その前に、牽制や目くらましを仕掛けたり、できることはしようと思うんだけど……』
ヴェルレーヌ、そして師匠はルジェンタ城に俺の身体を置いて、敵の陣営が動いたという知らせを聞いて、もう一度俺に連絡を取ろうとしてくれたのだろう。
(中央平原まで、全力で移動すれば加勢できる……だが、離宮での王の処刑もまた、止められるかどうかというギリギリだ。一刻で駆けつける、それまでは何とか持たせてくれ。ミラルカとユマの力で、敵の進行を遅らせる)
『……離れている状況でも、念話であれば情報が伝わるはず。私と師匠殿の持つ情報から、ご主人様はどう手を打つべきだと考えるか、教えてほしい』
(勿論だ。まず、敵が川の向こうに撤退したのは俺たちの力を……特にミラルカの破壊魔法の威力を目の当たりにしたからだ。それがまた攻めてくるとしたら、渡河の最中に攻撃されることに対して、何か対策を打ってると考えられる……おそらく四将軍の一人『土塊のフォルクス』だ。話を聞く限りでは、大地の精霊に干渉して大河に橋をかけるくらいの力はあるらしい。橋の維持をしながら戦うことはできないだろうから、個人戦力としての危険性は低いと見ていいが)
『なるほど……河に橋を渡せば、渡河で時間を取られて一網打尽にされることなく、私たちの意表を突けると考えたわけか。しかし、そのフォルクスはベルベキア侵攻にあたっていたのではなかったか?』
フォルクスが中央平原に来ているという読みが当たっているのなら、自動的に彼がどうやって移動したかの答えも、有力な推測が浮かぶ。
『っ……レオンとルガードが、フォルクス将軍を連れて来たっていうこと?』
『なるほど……それで、敵兵が退くわけにいかなくなったということか。奴らがどれだけの力を持っているかは、国軍……グラスゴール配下の兵士たちもよく知っているはずだ』
(奴らは目的のために、他人を脅すくらいのことは平気でやる。厄介な動きをする前に倒せれば良かったんだが……少なくともレオンとルガード、どちらかは敵陣にいる。フォルクスの橋はミラルカの破壊魔法で建造を防ぎ、ユマの歌で敵の進軍を止める。兵たちの戦意がなくなれば、どうなるか……)
『兵たちが一時的にでも戦闘を放棄したと見れば、レオンたちは事態を打開するために何かしらの行動を起こす。あるいは、グラスゴールとの合流を考えて撤退する……ということか』
『レオンとルガード、敵陣にいるどちらか、あるいは両方を狙って倒す……難しいけど、きっと私たちが力を合わせなきゃできないことだよね。ディー君、スフィアちゃん、二人が来るまでは私たちがやってみるから、今はメルメアちゃんのお父さんたちを助けることだけ考えて』
「うん……分かった。お母さんたちとメルメアさんの分も、お父さんと一緒に頑張ってくるね」
『うむ……心配で仕方がないが。ご主人様を……い、いや。この場合は、旦那様と……いや、ディックと親しみを込めて呼ぶべきなのか……し、師匠殿、ご指導賜りたい……っ』
『えっ、えっ……あっ、スフィアちゃんにとってはお父さんだから、ディー君お父さんとか……そういうことじゃなくて?』
(二人とも、緊張感のやりとりだが……本当に大丈夫か?)
「お母さんたち、お父さんが照れてるから、ほどほどにしてあげてね」
『むぅ……スフィアの方が、ご主人様の扱いに急速に慣れてきているような気がする。と、嫉妬している場合でもないな』
『あ、あはは……はぁ、心臓に悪いんだから。不老不死でも心臓は止まっちゃうかもしれないから、優しくしてね、スフィアちゃん』
「あはは……驚かせたりしてごめんね、お母さん。行ってくるね」
まるで外出に出かける母と娘のような会話だ――と、それもまた恥ずかしくなるような思考だ。
それはそれとして、『霊脈』と繋がったままでは霊脈が走っている場所全ての情報が伝わってくるので、念話を切断しようとする。
――その、瞬間だった。
ラトクリスに分散している、『霊脈の社』。それらに今まで繋がった者たちの残した記憶の残滓――俺はそれらの意味を、今は詳細に読み解くことはしないつもりでいた。
しかし、最後に流れこんできた記憶だけは違っていた。強烈な感情と共に、霊脈に刻み付けられた記憶が、鮮明な光景を浮かび上がらせる。
「お父さん……これ……」
(……ああ。これは……グラスゴール将軍が、『霊脈の社』の一つに接触して残した記憶だ)
『霊脈の社』の一つ。ラトクリス王宮の北部に位置する、遺跡迷宮。
かつてグラスゴールがラトクリス王の傍に仕えていたとき。二人が共にその遺跡迷宮に赴き、最深部を訪れた時の記憶が、色褪せながらも残されていた。
◆◇◆
重々しい石の扉を、記憶の主である人物が開く。その人物は振り返る――そこには、鎧を纏ったダークエルフの男性が立っていた。
『……グラスゴール、やはり……我々は、ここに来るべきではなかったのではないか』
グラスゴールというのは記憶の主の名前。俺はグラスゴールの視点で、過去の光景を見ているのだ。
年齢は三十ほどに見えるが、その数倍は長く生きているのだろう。ラトクリスの国王である彼は、同行している近衛騎士たちすらも圧倒するような威風を備えているが、グラスゴールはそれを前にしても圧倒されることなく、王の眼光を正面から受け止める。
『何をおっしゃいます、陛下。ここまで来て引き返すというのですか』
凛とした、澄んだ声だった。謀略を巡らす狡猾な人物――今までグラスゴールに対して抱いていた人物像とは全く重ならないほど、その響きは清冽で、淀みなど一切ない。
『この迷宮での発見は、ラトクリスの繁栄に無くてはならぬもの。あの伝承の『蛇』に比肩しうる力を手に入れる鍵が、ここにある……陛下もそう仰られていたはずです』
――血が凍り付くような感覚を味わう。今、グラスゴールが何と言ったのか――間違いなく、『蛇』と言った。
かつて浮遊島を動かす力の源となっていた、『遺された民』の作り出した存在。神に等しい力を持ち、自分を造り、廃棄した者たちを――人の姿をした全てを憎んだ、忘れ去られた遺物。
師匠とディアーヌの故郷であったその島は、翼の生えた、竜と人の混ざりあったような存在によって落とされた。
浮遊島を墜落させた者たち。グラスゴールが言っている、『蛇に比肩しうる力』が、もし彼らのことを指しているのだとしたら――。
まだ、そうだという確証はない。しかし俺は、グラスゴールの残した記憶から目を離すことができなくなっていた。
『……もし、私の考え通りだったとして。そんなものを手に入れて、何になる? それは、このラトクリスが有する領土を拓ききるために必要な力ではない。誰かが手にすれば、戦乱を招くだけのものではないか』
グラスゴールがその時抱いた感情が伝わってくる。王に対する、歯痒いという感情――そして、もう一つは。
この場にいる人物ではない。ジナイーダ将軍に対する、冷たい憎悪だった。
『見て見ぬふりをするのですか。その力を手に入れれば、我らラトクリスは地の底から這いあがれる……魔族とまともに対話もせず、ラトクリスで飢饉が起きても何の手も差し伸べなかったベルベキアの民に、一矢報いることができるというのに』
『ベルベキアの民も、豊かな土地に暮らしているわけではない。我が国が飢饉に苦しんだのは、ただ不運であった……作物の疫病に対する対策を怠ったことにも原因がある。この犠牲を未来に生かすことこそが必要で、隣国を妬むことでは何も生まれはしない』
『不運』という言葉。そして『妬む』という言葉が、グラスゴールの感情を激しく揺らし、燃え上がらせる。唇を噛んで怒りを押し殺すと、グラスゴールは震える声で言った。
王への敬意。そして、思慕――グラスゴールの中にあった自己の存在意義とも言うべき純粋な感情が、歪んでいく。
『力があれば、救うことができた民もいたはず。それすらも、あなたは……』
『グラスゴール将軍、僭越ながら申し上げます。そのようなお話は、王に対する不敬に当たるかと……』
『良いのだ……グラスゴールがそのような考えを持つのは、無理からぬこと。ベルベキアからの食糧支援が受けられなかったことは、我らが侮られていることにも理由がある。今から同盟を結ぼうとしても、不当な条件となることは明らかだ』
魔族への差別。魔族は恐ろしいものだという、人間たちに浸透する考え――それは、魔族の中に人を喰らう者がいる以上は、どうしても変えられなかった。
そう、変えられ『なかった』だけだ。エルセインではヴェルレーヌが尽力し、人を襲う本能のあった魔族も、それ以外の生き方を選ぶことができるようになった。
ラトクリスも、人間の国と友好を結ぶことができたはずだ。しかしラトクリスはそれとは逆の道を進み、戦争に利用するために、魔物をかけ合わせた『混成獣』を作り出した――そして、ベルベキアに侵攻し、圧力をかけて搾取している。
『いずれにせよ、この遺跡にあるものが何か、それを確かめなくてはならぬ。グラスゴール将軍、話はそれからだ。貴殿の尽力には感謝している……貴殿なくしては、ここまで降りることもかなわなかっただろう』
『……貴殿……などと……』
グラスゴールは小さく呟く。だが、その声は王に届いたのか、そうでないのか、分からないほど小さなものだった。
『……過ぎたことを申し上げました』
『貴殿の意見は、胸に留めておく。強い者が上に立つ魔族の国では、本来ならグラスゴール将軍の意見こそが最も尊ばれるべきだ。それでも私を王と呼んでくれる献身を、理解しているつもりではいる』
『いえ。いいのです、陛下。私は……』
最後まで言わず、グラスゴールは胸甲に手を当て、握りしめるようにして、言葉を飲み込んだ。
扉を開いた先にある闇に、グラスゴールは足を踏み入れていく。グラスゴールが感情を抑えたからか、記憶はそこから鮮明に残らず――やがて、途絶えた。
◆◇◆
この記憶を見て分かったことは、あまりにも多かった。感情と記憶というものが、これほど強く霊脈に刻み込まれるということ。
そしてグラスゴールという人物が抱えた、二律背反――王への忠誠と負の感情が、あの記憶の時点で決定的に逆転したのだということ。
「……私たちがこの国に来たのは、この国の人たちだけじゃなくて、もっとたくさんの人を助けるためだったんだね」
(ああ……そうだな。今は、やれることをやるしかない。スフィアのことは、俺が守るからな)
「うん。お父さんのことも私が守るから、おあいこだね」
この状況でも笑顔を見せるスフィアを頼もしいと思う。同時に、この子が戦わずにいられる日々を、少しでも早く手繰り寄せたいと思った。
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