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第116話 監獄への潜入と糸使いの女将軍

 スフィアと一体化し、ジナイーダ将軍のものと思われる声が聞こえた場所に、霊脈を通じて転移する。


 ――そこは、予想通りの牢獄だった。将軍の一人を捕らえ、収容している場所としてはとてもそぐわないと思えるほど、黴臭かびくさえた匂いがする。


(誰か……そこに……いるの……?)


 どこからか、声が聞こえる――そのとき俺は、スフィアの身体に触れている、ごく細い糸のようなものに気がついた。


(これは……実物の糸じゃない。魔力の、ごく細い糸だ)

(お父さん、これがジナイーダさんの作った糸なのかな?)

(そうみたいだな……驚くほど細い上に、普通には見えないように偽装されてもいる。この糸を使って、牢獄の近くを通っている霊脈に干渉し、助けを呼んでたんだ)


 つまり、糸を辿ればそこにジナイーダ将軍がいる。この牢獄は、王宮から西方の山地にあり、さらに地下深くにある――収容人数は、この階層だけで五十人くらいと言ったところか。


 俺たちがいる場所は、このフロアの隅だ。霊脈が壁に空いた穴の向こうに露出しており、

スフィアはここから出てきて実体化した。俺は彼女の中にいて、その視界を借りている。


(牢番の人もいるのかな……やっつけながら進む?)

(早い段階で騒ぎを起こすのは得策じゃない。コーディの『剣精』の力を模倣すれば、光を操作して俺たちの姿を隠すことができる。俺は『透明化インビジブル』と呼んでるが、スフィアもできるか?)

(うん、できると思う。コーデリアお母さんの、剣の精霊の力……)


 スフィアにやり方を教えると、彼女は器用に再現し、自分の姿を透明化した。


 実体化を解いて移動するという手もあるが、こちらの方が場合によってはすぐに戦えるということで、こういった潜入任務には向いている。ジナイーダ将軍の状況次第では、彼女を救出する際に戦闘があることも――と考えた、その時だった。


 ギィ、と音が聞こえる。どこかの牢が開いたのだ。


 スフィアは足音を殺し、巡回している兵士に全く視認されずに移動していく。すれ違いざまに、オーガと人間の中間のような姿をした魔族の兵士二人の会話が聞こえた。


「やっと許可が降りたってよ。あの将軍は、もう用済みってことらしい」

「チッ……さっき看守長が降りてきたのはそのためか」

「俺たちは後始末だけだよ。あんな上玉、二度とこの牢獄には入って来ねえだろうに」


(お父さん……っ、ジナイーダさんが危ない……!)


 スフィアが駆け出そうとする――俺は同時に『無音歩行』の魔法を発動させる。走っている間に風を切る音すらも減殺すれば、誰にも気づかれずに疾風のように移動できる。


 そして俺たちは、両側に独房が並んだ廊下を駆け抜け、一番奥まで辿り着いた。


 ところどころが錆びついた黒い鉄の扉。それが少しだけ開いて、中から男の声が聞こえてくる。


「先ほど、上から達しがあった。ジナイーダ将軍……あなたの処遇について、グラスゴール閣下は大いに譲歩をしたのですが。それでも理解を得られなかったこと、心から残念に思いますよ」

「……陛下を裏切ったあなたたちに……私は、決して屈したりしない……」

「裏切ったのは陛下の方ではないですか。ラトクリス国内で見つかった遺跡……その産物を使えば、この大陸に覇権を唱えることもできる。それほどの秘宝を封印し、無かったことにするなど、国民を軽視した行為に他なりませんよ」

「それは違う……あなたたちは、後から理由をつけているだけ。民は戦を望んでなんていない……このラトクリスで、穏やかに暮らしていければそれだけで……」


 扉の隙間から見えたのは、壁に鎖でつながれて拘束された、ぼろを身に着けた白い髪の女性と、その前に立っている軽鎧姿の男だった。その手には拷問に使うものか、鞭を持っている。


 その鞭を振るおうとすれば、その時は躊躇なく踏み込む。遅かれ早かれそうしなくてはならないが、俺もスフィアもあることに気づいていた。


 白い髪の女性――ジナイーダ将軍の、長い髪の向こうに隠れた瞳に宿る意志は、全く折れてなどいない。


(お父さん、糸が……これは、ジナイーダさんの……)

(彼女は諦めてない……ここで一矢、報いるつもりだ)


 錬糸のジナイーダ――その二つ名の通りに。彼女は、忍耐強く牢の中で魔力の糸を練り上げ、やがて機が訪れると信じて待ち続けていたのだ。


「何とでも言ってください。この国は、グラスゴール閣下のもとで最大の繁栄を迎える。不毛の地を開拓する必要はもう無いんですよ」

「……決して不毛なんかじゃない。シェイド将軍による東部開拓は、確実に成果を上げていたわ。奪うことじゃなく、育てることで得られるものの方が、ずっと多いのよ」

「それは軍人の言うことではありません。騎士の仕事は領土を広げることですよ、ジナイーダ将軍殿。そんなあなたの生易しい思想は、グラスゴール閣下に仕えるにはそぐわない。しかし、私はあなたの能力を買っています。どうです? あなたを処刑したことにして、私のもとで働いてもらうということも……」


 男が言葉を止めたのは――ジナイーダ将軍が、首を振ったからだった。


「あなたに従うことはないと言ったはずです。罪のない囚人を不当に虐待して、痛めつけることしかできないあなたのために働くなんて、絶対に嫌です」

「……残念です、最後通告のつもりだったのですが。あなたのように優秀な武人を、オーガたちにくれてやるというのは、あまりしたくなかったのですがね。その前に、私も自分なりの取り分を貰うとしましょうか……ジナイーダ将軍、貴女の――」


 看守長が鞭に手をかけた瞬間、ジナイーダ将軍の僅かに残されていた魔力が、彼女の雪のように白い髪をふわりと浮き上がらせる――そして。


「我が魔性のもたらす蜘蛛の糸……絡みつき、捻りあげ、くびれ」


 ――黒魔鋼縛糸(ブラック・ウィドウ)――


「うぉぉぉぉぉっ……!?」


 目に見えなかった魔力の糸は、看守長の足元にも張り巡らされていた。両足に絡みつき、一気に宙空に吊るされるが、さらに空中に縦横無尽に張り巡らされた糸が、捉えたものの自由を完全に奪う。


「ま、魔力は枯渇していたはず……そんな力が、どこに……っ」

「確かに、一度はほとんど使い果たしていたわ……でも、これくらいのことをするだけの力は確保することができた。方法は教えられないけれど」

「ぐっ……!」


 挑発するようなジナイーダ将軍の言葉に、看守長が息を飲む。彼女は見ているこちらまで鳥肌が立つほど、凄絶な笑みを浮かべていた。


「あなたの自由を奪っても、私は鎖で動けない……このままじゃ、外に助けを呼ばれてしまうわね。それは、困ったことになってしまうわ」

「は、はははっ……本来なら糸で金属を断ち切ることもできるあなただ、それができないということはやはり力は尽きている。この糸を維持できなくなれば、その時は……」

「その時は、好きなだけ仕返しをするといいわ。私はこれまで拘束されたことが不服だっただけ。もう、これで満足しているのよ」


 満足しているというのは、真意ではない――しかし、怒っていることは確かだ。


 彼女もまた、この国の軍の一角を担う将軍だ。自分に屈辱を与えた相手を、簡単に許すわけがない。


「ど、どちらにせよ、私が助けを呼べばそれで終わりですよ。あなたの命を握っているのは、私……」


 看守長が笑っていられたのも、そこまでだった。


 ――彼の首に絡んでいた糸が、黒く色づく。そして、ギリギリと締め上げ始めたのだ。


「ぐ、がっ……だ、誰か……っ、助け……」

「私はあなたに鞭を打たれている間も、そんな泣き言は一度も言わなかったわ。少しくらい苦しそうにしても、許してあげるわけにはいかないわね」

「く、苦し……い、息が……っ、がぁぁっ……!」

「あなたがこれまで拷問をして苦しめた人たちに謝るのなら……少しくらいは、糸を緩めてあげるけれど」

「あ、謝る……っ、ゲホッ、ゲホッ……だ、誰かっ! ジナイーダが反逆したっ!」


 首に絡みついた糸を緩められ、看守長は往生際悪く助けを呼ぶ――だが、数秒待っても誰も来ない。


「だ、誰かっ! 早くっ、早く助けろっ……この無能どもがぁぁぁぁぁっ!」


(お父さん、みんなやっつけちゃってよかったのかな?)


 途中から、俺はスフィアの身体から出てジナイーダ将軍たちを見ていて、スフィアは姿を消したまま、先ほどすれ違った兵たちを全員倒して戻ってきていた。 


 Bランクにすら満たない兵がどれだけ居て、助けを呼ばれたところで苦戦するわけもない。戦いにすらなりえない――看守長は誰も来ないことに絶望して泣きわめいていたが、そのまま締め上げられて気絶した。


 魔力の糸が解除され、看守長が床に投げ出される。俺たちが中に入ると、ジナイーダ将軍は驚いたように目を見開いた。


「まあ……こんな可愛らしいお嬢さんが、助けに来てくれるなんて。驚いたわ、本当に」


 看守長を前にしている彼女の気迫はかなりのものがあったが、普段はそうなのだろう、淑やかな口調で、スフィアを見る瞳には母性的な優しさを感じる。そして母性に満ちているのは、彼女の瞳だけではなく――と、スフィアに借りた視線を下げるわけにもいかず、俺は慌てて将軍の顔を見るように努める。


(っ……ふ、服がかなり酷いことになってるな……)


(お父さん、あんまり見ちゃだめだよ。女の人にこんな格好させるなんて……ここの人たち、みんな懲らしめてもいい?)


(それは一向にかまわないが……彼女の武具を回収できればいいが、脱出するまで当面身に着けるものを調達する必要があるな)


 ジナイーダ将軍は襤褸ぼろを羽織り、その下に下着をつけているだけで、ほぼ裸同然の格好をしていた。肌には鞭の痕が残されている――まだ、『快癒の光(リカバーライト)』で綺麗に治療できる範囲だ。


「あ、あの……私は、スフィア=シルバーと言います。この国を、メルメア王女さまと一緒に助けるために、みんなと一緒に来ました。ヴェルレーヌお母さんも、今はいないですけど、ルジェンタというお城にいます」


 まずシェイド将軍に魔道具を預かったという話から入ろうと思っていたが、先にスフィアが違うことから説明を始める――それは、最もジナイーダ将軍が驚きそうなことだった。


「ヴェルレーヌ……エルセイン十ニ世女王……あのお方を、メルメア王女殿下が連れてきてくださったのね……こんなことが、本当に起こるなんて……」


 ジナイーダ将軍の頬に涙が伝う。スフィアはその涙を見て驚いていたが、まず魔力剣をその手の中に発生させ、振り抜いて、手と足を拘束する鎖を断ち切った。


「あ……ご、ごめんなさい。この手枷を切るのは、コーデリアお母さんにやってもらわないと。すごく硬いものでできてるみたいです」

「ありがとう、これで十分。これくらいなら動きを邪魔することもないわ……あっ……」


 立ち上がろうとして、ジナイーダ将軍はバランスを崩しそうになる。スフィアは咄嗟に反応して彼女の身体を支えた。


「急に立つと危ないので、最初はゆっくり行きましょう。私に触っていると、お父さんが回復魔法を使ってくれます」

「あ、ありがとう……あら? その、お父さんっていうのは……?」


(ゆえあって娘の中にいますが、霊とかそういうことではありませんのでご心配なく。そういう魔法を使ったんだと思っていてもらえるとありがたいです。俺はこの子の父親で、デュークと言います)


「デュークさん……そう、貴方だったのね。この子がこの階層に来ると同時に、とても強い二つの力を感じていたわ。メルメア王女殿下と一緒に、この国を救うために来てくれたということ?」

「はい、そうです。そのために、ジナイーダさんに聞きたいことがいっぱいあります」


 スフィアが言うと、ジナイーダ将軍は何故か目をそらし、口元に手を当てる――何事かを考えているようだ。


「……女の子だけじゃなくて、男性にも助けていただいたのね……どうしましょう、私、家訓が……」

「あ、あのっ、すみません、ジナイーダお姉さん。何か服を着た方がいいですっ、お父さんが気にしてますっ」


 ジナイーダ将軍は自分の姿を見下ろす。そして胸がほとんど露わになっていることに気づき、無言でぼろ布を手繰り寄せて隠した。


「……私の身体を見たのですか? デュークさん」


(そ、それは……す、すみません。視界に入ってしまったとか、そういう言い訳をするつもりはありません)


「い、いえ……怒っているわけではないのよ。助けてもらったのだから、それくらいのことは気にしていないわ。ただ、気味の悪いものを見せてしまったかと思って」


(いや、そんなことは全く……というかその、余すところなく見たわけではないので……)


「もう……お父さんったら。ジナイーダさんがいいって言ってるからいいけど、お母さんたちに怒られちゃうよ?」


 本人がいいと言っているからといって、助けた相手の裸を見ていいということはないだろう――と思うが、それを言うと堂々めぐりになってしまうので、俺はあえて言葉を飲み込んだ。


「私の名前はジナイーダ・レーニャと言います。ラトクリス王国の将軍……いえ、今は元将軍と言った方がいいのかしら」


(どうか、これからも将軍と名乗ってください。俺たちは、国王を復位させるために動いています。ラトクリス軍も、元の形に戻せることが望ましいですから)


「そう……そう言ってもらえると嬉しいわ。ですがデュークさん、あなたの強さをある程度肌で感じてはいるつもりだけれど、グラスゴール将軍と手を組んでいる人たちは、容易に倒せる相手ではないわ。玉座の奪還は、簡単にできることじゃ……」

「お父さんたちなら大丈夫です。うちのお父さんも、お母さんたちも、すごく強いので」


 スフィアは迷いなく答える。ジナイーダは真っ直ぐに見つめてくるスフィアに押されて、ふっと笑った。


「そうね……私も不甲斐なかったけれど、グラスゴール将軍に負けたとはいえ、戦う気持ちを無くしてはいけないわね。ありがとう、スフィアちゃん」


 改めて見ると、透けるような白い髪に、起伏に富んだ姿態――まるで艶やかさの塊のような女性だ。それだけに、鞭で打たれた赤い痕が痛々しい。


(ジナイーダ将軍、その傷は俺の師匠なら綺麗に治療できます。合流できたら、ぜひ治療を受けてください。今の時点でも傷の痛みは軽減できますが、触れて治療すれば痕も消せます。師匠は女性ですから、安心してください)


「本当に……? 消えないとばかり思っていたのだけど、あなたたちの国の医術は優れているのね……できるのなら、私も勉強させてもらいたいわ。戦うことばかりが、騎士ではないと思うから」


 それが彼女の信条。先ほど看守長に否定されても、絶対に曲げられない騎士道なのだろう。


 まずは、彼女と無事にここから出なければならない。霊脈を通じて転移できるのは人工精霊のスフィアだけ――ジナイーダ将軍が安全なところに移動するまで、俺たちが護衛する。


「あまり気は進まないけれど、そうも言っていられないわ。看守長の服……この外套コートを羽織らせてもらうことにしましょう」


 外套の丈は腰のあたりまでしか届かないので、足が出てしまっている――だが、彼女の信条として看守長や兵士の服を上下身に着けるというのも、気が進まないのだろう。


(まずは装備を探してみるか……もし発見が難しそうなら、脱出を優先しよう)


「うん、分かった。ジナイーダさん、お腹はすいてないですか?」

「……ごめんなさい、水と塩しか数日間与えられていなくて……固形物を急に食べると受け付けないのだけど、何か摂らないといけないわね」


 ジナイーダ将軍は正直に空腹であることを伝えてくれる。俺たちはひとまず、看守たちが使っていた食堂に立ち寄り、そこで食糧の調達を試みることにした。


 ちなみにジナイーダ将軍が『魔糸』を張り巡らせるための魔力を得た方法とは、一本の糸を霊脈に向けて気づかれないように伸ばし、そこから魔力を時間をかけて吸い上げるというものだった――捕らえられても活路を見出そうとした彼女の不屈の精神に、俺もスフィアも心からの賛辞を送った。



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