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第114話 霊脈転移と月見酒

 シェイド将軍は早速、副官に指示して俺たちの意向通りに兵を動かし始めた。


 ロワール村の復興、付近住民の安全確保のためにも兵力を割かなくてはならないが、急に全軍が国軍と対峙するような動きを取れば、国軍を刺激することになりかねない。


 長く時間を稼ぐ必要はない。敵の要を崩し、戦局を一気に決しなくてはならない。 そのために果たすべき目的が幾つかある。


 一つ、ラトクリス王を初めとした王家の人々を解放すること。


 二つ、こちらの味方についてくれると考えられるジナイーダ将軍を救出すること。


 三つ、謀反の首魁であると目される、グラスゴール将軍を倒すこと。


 不確定要素としてはレオンとルガードの存在などがあるが、彼らが奇襲してきても遅れを取るつもりはない。ただ、次は最初から全力で戦意を折りにいく。彼らのしたことを考えれば、反省の猶予を与えるとは言っていられない。


「それにしても……隣国の動乱に、私達が堂々と関わるのは良くないと言っても、常に仮面をつけているというのはどうなのかしら」


 そう、俺たちパーティは仮面をつけて、城の作戦室でテーブルを囲んでいた。会議に参加しているメンバーは、魔王討伐隊の五人、師匠、ヴェルレーヌ、スフィア、メルメアの九人だ。


 シェイド将軍にはまだ聞きたいことがあるので、後で話させてもらうことにした。フォレンシア城からこっちに飛んできてすぐに色々と頼んでしまっているが、嫌な顔ひとつせずキビキビと動いてくれて、感謝するほかはない。


「今はあたしたちだけだから、外してもいいんじゃないかな。仮面会議も楽しいけどね。ディック、仮面をつけてもあたしにはお見通しなんだから! みたいな」

「よく見抜いたな……その通り、俺だ。と、遊んでる場合じゃない」

「ふふっ……ディー君、可愛い。あんまり冗談とか普段は言わないのにね」

「ディックはそういうところが律儀っていうか、まめだよね。あーはいはい、みたいに流したりしないし」


 軽く流したらアイリーンのことだから、残念そうにするに違いない。それくらいの考えなのだが、ここまで好意的に取られると逆に恥ずかしくなる。


「まあ、その話は置いておいて……今後のことなんだが。このルジェンタ城の守りも薄くしたくないが、こちらから迅速に攻める必要がある。敵はラトクリス王、そして王家の人間を処刑するつもりだ。できるだけ早く救出しないとな」

「っ……ディック様、皆さんの強さは私も承知しておりますが、敵地に乗り込むようなことをしては、大きな危険が伴います」

「その辺りは心配ありません、メルメア王女殿下。僕らにとっては、味方の兵を戦わせて犠牲を出すよりも、自分たちだけで作戦を遂げる方が理想的なんです。かつてエルセインに入って、ヴェルレーヌ殿と戦ったときもそうだったように」


 ヴェルレーヌにも座るようにと椅子を勧めたのだが、彼女は辞退してずっと俺の斜め後ろに立って控えている。彼女は話を振られると、前に出て俺の横に並んだ。


「重要なことは、敵にも侮れぬ戦力がいるということだ。ルガードは私が呼び出した『揺蕩う者』に喰らいつかれても生存し、レオンは『鎧精』に守られ、SSランク冒険者としての力も備えている。彼らに適切に対策しなくては、万一ということも起こりうるのでな」

「そうね……私とユマは、近接戦闘に持ち込まれないようにしなくてはいけない。それを考えると、敵地に入るとしても最終段階でなくてはね」


 潜入任務となると、どうしても敵に近づかれるリスクを背負うことになる。すると俺とコーディ、アイリーン、ヴェルレーヌ、師匠――そしてスフィアが潜入メンバーに適しているということになる。


「お父さん、私も戦えるよ。ルガードっていう人とお父さんが戦ってるところを見て、私も怖がってちゃいけないと思ったから」

「そうか。偉いぞ、スフィア」

「うん、お父さんとお母さんたちの娘だから。臆病なこと言ってちゃだめだよね」

「ちょ……ちょっと待ってスフィアちゃん、アイリーンお母さんはそういうのにとっても弱くてね、涙腺がもうゆるんじゃって……うう、恥ずかしい」

「急に優しい父親みたいなことを言うのは禁止するわ。そ、その目もやめなさい……やりにくくなるでしょう」


 目と言われても、スフィアを見るときは自然と親の視線になる。初めの頃に比べると、俺も随分と父親の自覚が芽生えたものだ。


「はー、こんなに泣いたの久しぶり。スフィアちゃん、お母さんを切なくさせたおわびに、後で一緒に寝てくれる?」

「え……う、うん。でも、お父さんと一緒に……」

「そうですよね、お父さんに甘えたい盛りですから。私たちお母さんは、そっと見守ってあげましょう」

「もしかしなくても、ユマちゃんが一番お母さんらしいよね。一番ちっちゃいのに」

「はぅっ……い、今はちっちゃいかもしれませんが、大きくなりますから。せめて、スフィアさんの妹に見られないようにしないと」


 ユマは外見年齢がそれほど離れていないからか、それとも娘にも敬意を持って接するということなのか、スフィアを敬称で呼ぶ。スフィアは恥ずかしそうにしていたが、どうやら嬉しくはあるようだ。


「会議中失礼いたします、ご報告があって参りました」


 その時、外から声が聞こえてくる――ヴェルレーヌが出て応対し、書状を持って帰ってくる。


 ヴェルレーヌは書状を俺の前に置く。その内容は、こちらに投降した国軍の将官から聞き出した、俺たちの欲しかった情報だった。


「国王と、その家族が捕らえられている場所……彼らは王宮から連れ出され、離宮に移送されている。処刑が行われるのは、その離宮近くにある処刑場……」

「……グラスゴールは処刑を行うと広めることで、残った王族であるメルメアを誘い出そうとしているのだ。なんと卑劣な……」


 敵が王族の処刑を行うという情報を広めたときには、こちらは完全に後手に回る――しかし、国軍は俺たちに撃退されることを想定せず、情報がこの段階で漏れることは想定外だったと考えられる。


 だが、国軍の兵士の態度を見るに、処刑が執行される期日はそう遠くはない。グラスゴール将軍が国王との間に元々は信頼関係を築いていたとしても、実際にグラスゴールは謀反に踏み切ってしまっているのだから、国王と話すことで思いとどまるという展開にはなりえない。


「捕らえられた王家の人々もそうだが、ジナイーダ将軍もまだ生きていてくれるといいが……今のところ、情報が少なすぎるな」


 結局のところは伝聞による憶測が入っていて、ジナイーダ将軍がどうなったのかははっきりしていない。グラスゴールに破れ、捕らえられた可能性が高いというだけだ。


「シェイド将軍に、捕まってる場所の手がかりがないか聞いてみようか。同じ四将軍なら、何か知ってるかもしれないしね……あ、ちょうど来てくれたみたい」


 師匠が意見を出してくれたところで、ちょうど伝令の兵士と入れ替わりでやってきたのは、外で動いてくれていたシェイド将軍だった。


「遅くなって申し訳ありません、指揮系統の整理が終わりましたので、後は士官たちに任せておいて大丈夫でしょう」

「ああ、ちょうど俺たちも今シェイド将軍に聞きたいことが」

「ええ、私にお話できることならば何でもお答えしますが……それにしても意外ですね、この支城を占領し、国軍を退けた方々が、デューク殿ともう一人の方を除き、女性であったとは……それも、このようにお若い方まで」

「え、えっと、私は、ディ……デュークお父さんの娘です」

「なんと……!? ゆえあって仮面をつけられ、声がひずんで聞こえてはおりますが、デューク殿はお若い方だとお見受けしたのですが。すでに、このように大きなご息女がいらっしゃったのですか。これは、お見逸みそれいたしました」

 

 驚き方すらもシェイド将軍は実直そのもので、テーブルを囲むみんなが照れ笑いをする。彼女たち全員が母親だと言えば、さらに驚かれるだろうことは想像にたやすい。


「あー、将軍。俺の娘も立派な戦力であって、遊びで連れてきたわけじゃない……それはいいとして、一つ聞きたいことがある。ジナイーダ将軍が捕らえられている場所に、心当たりがあったりはしないか?」

「それは……王宮から西にある、監獄だと考えられますが……」

「そうか……わかった。捕虜を必ずこの場所に送るという決まりはないだろうが、場所が絞れるだけでも、ジナイーダ将軍を救出できる可能性は高くなる。できるなら、知っている限りのことを教えてくれないか」


 シェイド将軍の歯切れは悪く、何かまだ言わずにいる――俺の目からは、そう見える。


 ユマなら『魂の揺らぎ』で看破できるだろうし、俺も相手の精神状態を見抜く魔法は使える。だが、信頼を築くべき相手に最初から用いる手段でもない。彼が自分から話してくれる、そう信じて待つと、閉じていた目を開き、シェイド将軍が俺を見た。


「……デューク殿。私は、ジナイーダ将軍からある言伝を受けております」

「言伝……その内容は?」

「もし、自分の身に何かあったときには、ラトクリス領内に幾つかある『霊脈の社』に向かい、この魔道具を使うようにと……」


 シェイド将軍が取り出したものは、手のひらに乗るくらいの、宝石がついた装身具だった。


「これは……」


 俺は席を立ち、シェイド将軍から魔道具を受け取って師匠に見せた。師匠はそれを手に取ると、幾らも見ないうちに俺を見て頷く。


「念話に使うための魔道具……ラトクリスにもあったんだ。『遺跡』で見つけたの?」

「おそらくは。ジナイーダ将軍は、グラスゴール将軍と共に国内の遺跡調査に当たり、そこで得られたものを国益のために活かせるよう、研究しておりました……この魔道具はふだん、我らが遠隔地で任務を行っているとき、互いに連絡を取るために使用していました。しかし今は、魔道具を使っても彼女の所在は掴めません」


 俺の作ったギルド員と連絡を取るための『念話のピアス』は、魔法による妨害さえされていなければ、王都の全域が使用可能な範囲に入っていた。


 この道具は『天然』――つまり、遺跡から出土したもののようで、俺の作った再現品よりも性能が高い。ジナイーダ将軍が同じものを持っていれば相当遠くまで念話が届くと思われるが、機能は失っていないのに応答は無い。


「……彼女は魔道具を持っていないか、すでに……」

「そう決まったわけでもないんじゃないかしら。彼女は『霊脈』……そこに魔道具を持って行けと言っていたんでしょう?」


 シェイド将軍が悲観的なことを口にする前に、ミラルカが遮る。彼女は意見を言うときには躊躇がないので、こちらとしても頼りにしていた。


「楽観視はしづらいが、ジナイーダ将軍の言っていたことからすると、妨害を受けても『霊脈』を利用すれば、彼女と連絡が取れるかもしれない……そう考えられる」

「……デュー君、気づいてる? 『霊脈』があるんだよ、この国には」


 そう、分かっている――ベルサリスの遺跡迷宮にも存在し、迷宮深部まで繋がっていた霊脈。それを利用することで、俺たちは一気に最下層まで転移し、蛇のもとにたどり着くことができた。


 ラトクリス王国では、国土の表面に霊脈の力が集まる点が露出していて、それが『霊脈の社』と呼ばれている――ならば、それを利用して、ジナイーダ将軍のいる場所の近くまで転移することができるかもしれない。


 しかし迷宮では、迷宮の霊脈を司る『妖精』の力を借りなくては、『霊脈転移』を利用することはできなかった。今回は同じようには行かない、そう思ったのだが――。


「お父さん、私をその『霊脈の社』に連れていって。きっと、役に立てると思うから」

「む……そうか、その方法が……しかし、それには大きな危険が伴うのではないか?」


 ヴェルレーヌはスフィアの意図に、すぐ思い当たったようだった。


 人工精霊であるスフィアならば、霊脈に入り込んで転移することができる――俺たちは転移するために妖精の力を借りる必要があるが、物質化を解いて自分の体を霊体に変換できる精霊ならば、その必要がないのだ。


「私が思ってる通りの方法が使えたら、お父さんと一緒に行けるから大丈夫。ね、お父さん」

「……それはそうだな。『霊脈転移』ができるのなら、敵の意表を突くこともできる」

「デューク殿……その『霊脈転移』という方法を用いて、ジナイーダ将軍の救出に向かわれると……?」


 シェイド将軍は信じがたいという顔をする――彼は、救出は絶望的だと思っていたのだろう。


 まだ、霊脈を通じてジナイーダ将軍の所在がつかめるかどうかという問題はある。しかしそれさえクリアすれば、彼女の救出は決して不可能ではなく、現実味を帯びてくる。


「デュー君、霊脈は月が満ちてくると安定するから、もう少しして月が出てから行動を起こした方がいいと思う。迷宮の中の霊脈は月齢に影響されなかったけど、あれは人工的なものだから」

「ああ、わかった……シェイド将軍、話したことを後悔してるって顔だが、俺たちに任せてくれていい。娘を一人で行かせるわけでもない、俺も一緒だからな」

「し、しかし……そのような危険を貴方がたに負わせ、我らは待つのみというのは……」

「騎士の仕事は、敵陣に切り込むことだけじゃない。あなたには、あなたの役割がある……今は、彼に任せてみてくれないかな」


 コーディは名乗りこそしないが、同じ騎士としてシェイド将軍を説得する。


「……分かりました。あなた方は、我らが容易に成し得ぬことを果たされた。役割を与えていただけるだけで、感謝に堪えません」

「そう言ってもらえると有り難い。俺の仲間もそれぞれに動くが、この城を守るための要員も残しておく。もし敵軍が河を渡ろうとするなら、対抗策を講じた方がいいからな」

「ご主人様、それについては問題ない。『河』があるのなら、敵の侵攻を阻むことは難しくはないのでな」


 『揺蕩う者』を召喚して、その巨体を誇示するだけで敵は戦意を失うだろう。交戦せずに敵の戦意を奪う方法は、俺たちには幾らでもある。


「では……我々は、油断せず夜間も監視を続けます。ヴェルレーヌ様、そして皆様方、どうかお力添えをお願いいたします」


 シェイド将軍は一礼し、退出する。彼は魔道具を持ってはいかなかった――俺たちに、ジナイーダ将軍の救出を託したのだ。


「ふぅ……ディー君、ちょっと色々熱が入っちゃったね。そろそろご飯にしない?」

「あはは……リムセさん、『デュー君』って言うから、気になって話が頭に入ってこなくなっちゃった」

「あなたが目立ちたくないと言うから、私たちも尊重してあげているのよ……ユマ、仮面のあとがついていないかしら」


 ミラルカは仮面を外して、ユマに見てもらっている――俺も仮面を外すが、確かに肌に当たる部分にあとがつきそうで気になるところだ。


「ご主人様は何もついていないぞ……むぅ。かなり重い話をしていたのに、目がきらきらとして……星でも映り込んでいるかのようだ」

「っ……い、いきなり近くで覗き込むなよ。俺の目はわりとやさぐれてるだろ」

「お父さん、絶対みんなを助けるって顔してる。その手がかりが見つかったから、きらきらしてるんだよね。私、お父さんがもっと嬉しくなるように頑張るね」


 スフィアはもはや口を開くたびに、母親たちを感極まらせている――発言の全てが、あまりに健気すぎる。


「……いったい誰に似たのだ? 私たちにはない純粋さだと思うのだが」

「ユマちゃんかなと思ったけど、実はシェリーちゃんだったりするのかな。私たちの中で、一番ふつうに優しいっていうか、ディー君に対してけなげだよね」

「あ、あまりそういうことを、彼女が不在の時に言うべきではないと思うのだけど……」

「大丈夫です、私には分かります。今は遠い空の下ですが、シェリーさんは私達のことをいつも案じてくれています。さあ、皆さんも彼女に感謝の祈りを捧げましょう」


 一番目が輝いているというか、ある意味で純粋なのはやはりユマだろう。何をしているのだろうと思いつつ、俺は王都で留守を守ってくれているシェリーに、無事でいることが伝わるようにと心ばかりの念を送った。


   ◆◇◆


 城に備蓄されていた食糧は保存の効く穀類や干し肉といったものだったが、ロワール村の人々が礼のためにと持ってきた特産の食材が届けられたため、味気ない食事にはならずに済んだ。


 兵士たちにも行き届く量があったため、士気を上げるためにも新鮮な果物や野菜を摂ってもらうことにする。投降した国軍の兵士も現金なもので、差別なく食糧を分配されると分かると、その表情は明るくなった。


 俺たちも全員で食事を取ったあと、片付けを兵士たちに申し出られたが、それは辞退した。なぜかというと、城で用いられている食器に陶器を使ったものがあり、その質の高さに興味が湧いたからだ。


「ディックは本当に甘いわね。ロワール村を襲った兵士たちは捕縛しているけれど、それ以外の兵士も国軍の側であったことに違いはないのに」


 そしてなぜか、ミラルカが手伝ってくれている。風呂に入る順番を決めたら、自分が後になったからということらしいが、落ち着かないことこの上ない。


 家事をしているミラルカというのが、あまりに新鮮で――と言うと睨まれてしまうので、何も言えない。食器拭きなんて、彼女は一生やらないんじゃないかと思っていた。


 樽に貯めてある雨水をタライに汲み、その水で皿を洗い、ミラルカが拭いていく。連携はわりと上手く行っている――これほど息が合うとは。


「……聞いているの?」

「あ、ああ……いや、俺も少し考えたけどな。食事の差別は、それだけでかなり反感を買うことになる。国軍の兵士にも働いてもらうことにはなるし、逃げられでもしたら面倒だからな。彼らを『投降兵』として差別はしないってことは示しておきたかった」

「そう……しばらく反省を促してからでもいい気はするけれど。私には、なかなかできない判断ではあるわね……」

「大皿は結構重いから、気をつけてな。持てるか?」

「私を誰だと思っているの? いくら魔法使いと言っても、こんなお皿くらい……っ」


 ――みんなで取り分けるための、八人分の陶器の大皿。それはやはりミラルカには重かったようで、彼女はぐらりと前のめりにバランスを崩す。俺は瞬時に片手で大皿を掴み、その腕を後ろに引いたあと、もう片方の腕で倒れ込んでくるミラルカを受け止めた。


「わ、悪い……済まなかったな、やっぱり重かったか」

「え、ええ、想定していたより少し……」


 少々無理のある体勢だが、『筋力強化(ストレングスライズ)』を使えば、これくらいはどうということはない。


 どうということはないのだが――ミラルカの胴に回すようにして受け止めた右腕の上に、まふっと大きな質量が乗っかっている。


「っ……う、腕の感覚を遮断しなさい! あなたなら魔法で何とかできるでしょう!」

「わ、分かった……って、それはさすがにできないんだが……」

「くぅ……それならあなたの記憶を殲滅……いえ、いいわ。助けてもらったのだから、不可抗力として許して……」

「あ、あのー……そろそろいい? 二人とも」

「きゃぁっ……!?」


 滅多に聞けないミラルカの悲鳴――そうなるのも無理はない、洗い場の様子を、アイリーンとコーディが顔を赤くして見ていた。


「わ、分かってはいるというか、お皿が重かったんだよね。僕もそれくらいは分析できるつもりだけど……」

「そ、そう……勘違いしてはだめよ、これは不慮の事故で、他の意味合いは含まれていないわ」

「それにしては、ディックの顔が滅多に見ないくらい赤いような……へー、ふーん」

「な、なんだ、俺は普通だぞ。ミラルカの言うとおり、これは転ばぬ先の俺というか、咄嗟に支えただけで……」


 アイリーンは楽しそうにしていたが、不意に悪戯な表情に変わる。そして俺に近づくと、一言耳打ちをした。


「……あたしのこと見たときよりも、赤くなってるよ?」

「っ……そ、それは……そうか……?」

「んふふ。どーかなー? あたしもしっかり覚えてはないけどね、緊張してたから」


 アイリーンが言っているのは、彼女の家に訪問したときのことだろう。俺はしっかり彼女の一糸まとわぬ姿を見てしまい、そのことには言い訳のしようもない。


「アイリーン、あまりディックを困らせちゃだめだよ。ディック、ごめんね、お風呂上がりに水をもらおうと思って来ただけなんだ。お皿洗いを任せてしまったね、ミラルカも」

「それはいいのだけど……本当に勘違いはしないでね。この人が、私を支えることに適しているというか……い、いえ、それも何か違うのだけど……」


(ディーくーん、やっぱり一緒に入るー?)


 そうこうしているうちに、浴場から師匠が念話を送ってくる。こういう時に念話をされると、相手がどんな格好をしているかもだいたい分かってしまうという弊害があるのだが、それに意識を向けられるわけもない。


「じゅ、順番通りでいい! というか俺は体を拭くだけでも十分であってだな……っ」


(ふむ、残念だな……しかし決めた順番は守らねばならぬか。スフィアのことをちゃんとご主人様がお守りをしてくれるか、心配なのだがな)


(ね、こんなに広いんだからみんなで入っちゃえばいいのに。ディー君、昔は裸でも気にせずに私と……あっ、もう、そうやってすぐ聞かないふりして)


 子供の頃の水浴びをことあるごとに持ち出す師匠だが、申し訳なくも念話を意識的にシャットアウトする。


 スフィアはユマと一緒に、士官部屋で休んでいるメルメアの様子を見に行っているが、先ほど二人ずつで入浴することにして順番を決めた結果、俺はスフィアと入ることになった。


 俺の背中を流したいと言ってくれていたが、いいのだろうか。容姿はまだ幼いが、そろそろ色々と、情緒が成長してくる時期にも思えるのだが。


「もしスフィアと入ることを遠慮しているのなら、私が入ってもいいけれど……そうすると、娘に嫌われてしまいそうで気が進まないのよ」

「うんうん、スフィアちゃんディックに凄く懐いてるもんね」

「そんなわけで……こう言うのも照れるけど。スフィアのことをよろしく、『お父さん』」


 コーディは冗談めかせて言うと、水を飲んでアイリーンと一緒に出ていった。風呂上がりで他の誰も見ていないとはいえ、サラシがない彼女の姿を見せられると複雑な気分だ。


「……いつもあなたに任せきりのところを、少し手伝ったのだから。順番が来るまで、何かねぎらいをちょうだい」


 一人残ったミラルカがそんなことを言う。俺はどうすべきかと一瞬迷ったが、こういうときこそ、もてなしの精神を発揮すべきだろう。


「酒は風呂に入る前に飲むと、一気に回るからな。酔いすぎないように酒の量は控えめで、ブレンドを一杯いかがですか? お嬢様」

「……お嬢様よりは教授と言ってくれた方が、気分はいいわね」


 まんざらでもないという顔のミラルカ。スフィアと共に敵地に潜り込む前に、彼女とゆっくり話せて良かった――素直にそう思う。


 俺たちは洗い場から士官用の食堂に移動する。城の外の窓から、登り始めた月が見える――俺はスフィアが生まれたとき、彼女の名前の由来となったスフィアをモチーフとしたブレンドを考えていた。


 『宵待草よいまちぐさ』というハーブで作った、飲み薬として使っても体調を整える効果のあるジュース。目が覚めるような青色のそれに、同じ材料のリキュールと少量のミントオイルを加え、最後に『クリアーロの実』という果実の綿を取り出して搾った、コクのあるクリームを加える。


 乳製品と違い、植物性の材料で作ったこのクリームは、油っぽくなくあっさりとしている。グラスにブレンドした青いジュースを注ぎ、そこに白いクリームを浮かべれば、水面に浮かぶ月を模したドリンクの完成だ。


「……綺麗。これは、もしかしてスフィアのために考えたの?」

「ご明察だ。酒を入れなくても作れるし、大人に出すときはこうしてリキュールを加えればいい。今回は酔わない程度、風味付けのためにしか入れてないけどな」

「あなたって……本当にそういうことには、繊細に気が回るのね」

「ま、まあシンプルなブレンドだから、口に合うかどうかも気になるんだが……」


 ミラルカは答える代わりに、グラスに口をつける。


 彼女の評価は――それもまた、言葉にしなくても分かる。彼女は微笑み、俺にも飲むようにと促すように、テーブルに置いたグラスの隣を指差した。



※いつもお読みいただきありがとうございます、更新が遅くなって申し訳ありません!


 この場をお借りしまして、ご報告させていただきます。

 活動報告にて、書籍版3巻の店舗特典SSの紹介をさせていただいています。

 よろしければご覧いただけましたら幸いです!

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