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第113話 安らぎの酒と白鷲の来訪

 士官の居室にあるベッド――つまり軍人が使っていたものということになるので、一応メルメアには少しだけ待ってもらって、ベッドメイキングをしてから寝かせた。


「……申し訳ありません、お義兄様にそこまでしていただいて……」

「寝心地が悪いと身体が休まらないからな……って、いきなり呼び方が変わってるが、それはヴェルレーヌと俺がその……そういう段階の関係だと思ってるわけか」

「ち、違うのですか? 私は、そうだとばかり……ディック様のお近くには魅力的な女性が何人もいらっしゃって、皆さん仲が良いですから、ディック様との関係について何か取り決めをされているのだと思っていました」


 メルメアは勘違いをしたことが恥ずかしいと言わんばかりに頬を押さえる。最初に敵対していたときは一筋縄ではいかない女性だと思ったものだが、それは近衛騎士に入り込むため、演技が多少入っていたようだ。


「ヴェルレーヌお姉さまは、ディック様をお慕いして、国を出られたのですから……あんなに魅力的な方がやってきたら、その……そ、そういったことを、お考えになりませんか?」

「ま、まあ……いや、経緯からいうとだな、ヴェルレーヌの持ってるものを俺が預かって、それを五年後に取りに来ていいって言ったんだ。その約束を守って来たんだとばかり思ってたんだけどな」


 自分でも、何を迂遠うえんなことを言っているのかという思いはある。


 ヴェルレーヌは、俺に一目惚れをしたというのを肯定していた。そして『ご主人様』と呼ぶ理由は、酒場の店主と雇い主という意味以上のものがあるのだという。


 思い出すとだんだん顔が熱くなってくる。俺はつまり、自分が好かれていると思うのが照れるあまりに、ひたすら気がつかないふりをしていただけで――ヴェルレーヌが焦れているというのも分かっていながら、お預けを続けているのだ。


「……お義兄様とお呼びできたら、それはとても嬉しいことだと思ったのですが。考えてみたら、人間の年齢にすると、ディック様は私よりも年下なのですね」

「それはそうだが……な、何だ? 楽しそうだな。元気が出たのなら、それに越したことはないが」


 ベッドに入るために簡素な就寝着に着替えても、ダークエルフの王女は気品を隠しきれず、髪をそっと掻き上げる仕草すらも丁寧だった。


「ヴェルレーヌお姉さまが、ディック様をお慕いしている理由が、日に日に分かっていく気がしています」

「どうなのかな……あいつは優秀だから、甘えすぎてる気はするけどな。今俺が言ってたことは、内緒にしてくれるとありがたい」

「はい、分かっています。大切なお話は、お二人で……ということですね」


 くすくすと楽しそうに笑うメルメア――この国は内乱の最中ではあるが、ずっと気を張り詰めたままでも良くない。彼女の気持ちが多少なりと和らいだことを、素直に良いことだと思う。


 しかし、メルメアが休む前に聞かなければならないことがある。それを彼女も分かっているのか、和やかな空気は名残惜しくも引いていく。


「あまり話したくないなら、無理はしなくてもいい。『黒い血』について、何か知ってるみたいだったが……」

「……はい。ラトクリスには、『夜を這う者(ノスフェラス)』という種族がいます。先程話していた、他者の血を吸い、糧とする種族です」

「ノスフェラス……エルセインでは見なかったが、そういう種族がいるんだな」

「魔族は違う種族同士で婚姻をすると、どちらかの親の性質だけを受け継ぎます。ノスフェラスの性質を持つ子供は出生率が低いので、エルセインでは血が絶えてしまったのかもしれません。長命な種族ですから、まだ健在の方もいるとは思いますが」


 魔族の種族としての特徴については、俺も知り尽くしているとは言えない。ただ、人間に近い姿をしているが別の種族同士で婚姻するとどうなるかというのは、気になってはいた。


「そのノスフェラスと、『黒い血』にどんな関係があるんだ?」

「ノスフェラスは、血を吸った者の魔力を奪います。しかし、吸った相手の力が強ければ強いほど、ノスフェラスの身体は変化をするのです。黒とは、あらゆる色を混ぜ合わせた時にできる色です……魂には色がある、というお話がありますが、ノスフェラスは血液と共に『色』を体内に獲得していき、最終的にその血は黒に染まります」

「……俺が戦ったルガードと言うやつは、多くの魔族の血を吸った……そういうことなんだな」

「はい。『黒血化』したノスフェラスは、自分の力を向上させる存在を見つけると、本能的に血を奪おうとします……そのルガードという人物だった存在は、もう人間としての意識は失っているでしょう。過去に黒血化を目的として多くの犠牲を出したノスフェラスがいましたが、彼はAAランク程度の段階で、四将軍によって征伐されています」


 元々SSランクだったルガードは、黒血化するまで魔族の血を吸うことでさらに実力を上げた――だが、それでもSSSランクには達しない。人間を捨てれば、俺たちを超えられるわけではないというのが現実だ。


 そして、レオンも。鎧精の力がSSSランクの攻撃を防ぐ能力を持っていても、扱う人間自体が強くなるわけではない。


「……すまない。もっと早くに、ラトクリスに来ていたら、レオンとルガードによる犠牲は防げたかもしれない」

「ディック様……そのようなお顔をなさらないでください。本来なら、この国が、私達王族が、自分の力で民を守らなければならないのに……私は、力が足りなかった。統治者の一族としての責任を放棄して、逃げ出した……国軍の兵士たちが私を王女と認めてくれなかったのも、当然のことです」

「それは、メルメアが悪いんじゃない。レオンとルガード、彼らと手を組んだグラスゴール、謀反に乗じて民を虐げる軍人……彼らの悪意が、この国を分断した原因だ」


 慰めのようなことを言っても、彼女は簡単にそれを受け入れられないだろうとは分かっていた。


 メルメアはヴェルレーヌを魔王国に連れ戻すために、ジュリアスの竜に毒を飲ませた。それはいかなる事情があっても、してはならないことだ。


「私に……グラスゴール将軍と、彼らに従う国軍と戦う資格があるのでしょうか」

「間違いなくあるさ。ジュリアスには悪いことをしたが、騎竜戦は無事に行えた。アルベインとエルセインが講和を結んだ今、ラトクリスが反人族を振りかざしてベルベキアを攻め、アルベインに侵入する事態は絶対に避けたい。これは俺の個人的な事情でもあるが、アルベインはラトクリスとも講和を結ぶべきだ。そのために、ラトクリス王には復位してもらう必要がある」

「……国王陛下は……」

「今は俺しかいないから、遠慮しなくていい。お父上のことだからな、今すぐに救出したいくらいの気持ちだろう……そして、それが俺達にはできる。こうして悠長にしてる間に、本当は動き出すべきだとも思う」


 メルメアは俺を見つめる。その瞳が潤むが、彼女は泣かなかった。


 どんな思いで一人ラトクリスを離れたのか。家族を置いていかなければならず、彼女は酷く自分を責めただろう。


 それなら俺は、メルメアが自分を許せる時が来るまで、いつものように陰ながら助けてやるだけだ。


「……お父様は、レオンとルガードが城に現れたとき、自分たちが食い止めると言ってくれました。でも、私は……母や妹を助けて、脱出することができなかった」

「今は俺たちがいる。生きてさえいれば、どうにでもなる。取り返しがつかないことってのは、世の中にそうはない。俺は、そういうものだと思ってる」


 それを理想だと思い知らされた、『蛇』との戦い。


 国軍に襲われた村――ロワール村での、狂瀾に身を任せる兵士たちの蛮行。


 捕らえられたメルメアの家族が、どんな扱いを受けているか。想像するだけでも胸が悪くなるが、最悪の想像だけを巡らせても、メルメアの心を傷つけるだけだ。


「……気休めだと思うかもしれないが。必要な情報が揃えば、俺たちは動き出せる。あと少しだけの辛抱だ」

「はい。私は、ディック様のご意思に従います。命を助けられてから、ずっとそう決めておりました。それが重荷にならぬようにとも……」

「俺が重荷に感じるようなことはそうはない。そうだな……俺の知り合いに、借金を背負ってのらりくらりと逃げてる人がいるんだが。その請求書が俺に回ってきたりは、多少重たいと感じはするけどな」

「まあ……ディック様は、そのような苦労までされているのですね」


 メルメアは目を赤くしながらも笑ってくれる。例えに出された人物には、国に帰った後に多少の無茶を聞いてやるということで勘弁してもらいたい。


「そろそろ、メルメアは休んだ方がいいな。状況が動いたら起こすかもしれないが、基本的にはゆっくりしてくれ。気分が落ち着く飲み物を出すからな」


 ヴェルレーヌの持つ『エルフの隠し箱』の技術を使わせてもらい、俺が荷物を運ぶために使っている革の道具入れは、容量が拡張されている。見た目の4倍から5倍は入るのだが、そこに何が入っているかというと、戦いに臨む前に能力強化をするためなどの、飲み物の材料だった。


 アルベイン東部湿地特産の『潤しの杏』を漬けた酒と、『乙女椰子(オトメヤシ)』のジュースの入った瓶を取り出し、銀のシェイカーに入れる。音を立てすぎないように静かに振って、同じく銀製のグラスに注いだ。硝子や水晶のグラスでないのは、運んでいる時に破損する可能性を考えてのことである。


「ディック様……このようなお酒のご準備を、常にされているのですか?」

「ヴェルレーヌが新しい技術を教えてくれたから、多めに材料を運べるようになったんだ。まあ、これはほとんど趣味みたいなもんだが……」

「酒場を営まれているので……ということですね。いい香り……甘くて、爽やかな果実の……こうしているだけで、気持ちが落ち着きます」


 メルメアはグラスに口をつけ、一口だけ飲む――するとよほど口に合ったのか、彼女は目を見開いて、耳までほんのりと赤く染める。


「美味しい……それに、飲んだだけで胸がすっとして……それでいて、身体がぽかぽかとしてきます」

「口に合ったのなら良かった。俺のブレンドの中では、一番女性に喜んでもらえる飲み物の一つだな」

「そうなのですね……私も、癖になってしまいそうです。お酒は戦いの前などに自分を鼓舞するために口にするもので、あまり美味しくないものだと思っていました」

「口当たりが良くて、しかも酔いやすいっていうのも問題はあるけどな。まあ、これくらいの量なら……メルメア、大丈夫か?」


 酒の回り方にも個人差はあるが、このブレンドの酒精はさほど強くないというのに、メルメアの目はもうとろんとしてきている。


「……ディック様、私……酔ってしまったみたいです……」

「そ、そうか……まあ、解毒の魔法を使うほどでもなさそうだな。もし起きた時に頭が痛かったりしたら言ってくれ、回復魔法で直せるからな」

「あ……」


 俺はメルメアに休むように促し、毛布をかける。彼女は何か言いたそうにしつつも、俺の指示に従ってくれた。


(お父さん、聞こえる? お城の窓の外に、東の方から飛んできてる軍隊の人たちがいて、お城に着陸したいって言ってるみたい。ヴェルレーヌお母さんが、一緒に出迎えようって言ってるよ)


(よし、分かった。ヴェルレーヌにすぐに行くと伝えてくれ)


 先程から城の中で動きがあり、スフィアが念話で伝えてくれている――どうやら、『白鷲のシェイド』という将軍がやってきたということだろうか。伝令の兵士を帰してから半刻ほどだが、応答が早いに越したことはない。


   ◆◇◆


 ミラルカが城の天守を消し去ったあと、最上階の屋根の上はまっさらになっていた。


 屋上に出て着陸許可の合図をする――上空で滞空し、こちらからの許可を待っていたのは、背中に翼を生やしているが、それ以外は人間に近い姿をしている魔族だった。


 十人の一般兵らしき武装した男性兵士――彼らを率いていたのは、白い翼を持つ短髪の騎士だった。頬に傷があるので強面にも見えるが、常に目を糸のようにしており、かすかに笑みを浮かべている。


「着陸許可を頂き、感謝します。私はラトクリス騎士団……いえ、元騎士団と言うべきですか。シェイド=スカイホークと言う者です。恥を晒すようですが、この国の『四将軍』と言われた者の一人です」

「俺たちは……『仮面の救い手』と名乗っておこうか」


 そう――俺とヴェルレーヌは、シェイド将軍を迎えるにあたって仮面をつけていた。


 叛逆者であるグラスゴールを討つとしても、それをアルベインの魔王討伐隊が行ったというのは、広く伝わるべきでないと思っている。


 シェイド将軍も、ヴェルレーヌの姿を見て何かを察したようだった。彼女が只者ではないということは、ある程度武の心得があれば気付けるということだ。


「まず伝えておくが、俺たちは彼女……エルセインのヴェルレーヌ前女王とゆかりがあって、メルメア王女からの救援要請を受けた。王女は休んでいるが、体調などは問題ない。後で面会することもできるだろう」

「なんと……ヴェルレーヌ様に、じきじきにラトクリスまで赴いていただけるとは。申し訳ありません、我ら国王陛下に剣を頂いた騎士の手で、逆賊を討つべきところを……」


 シェイド将軍はそうすることが当然というように、その場に膝を突く。兵士たちもそれに倣って、おそらく騎士団における最大の礼をヴェルレーヌに示した。


「頭を下げずとも良い。私も先ほど、ロワール村を襲った国軍の兵士と戦ったが、あのような特殊な魔物の力を借りた軍とは、正面からぶつかるべきではない。いたずらに命を落とさぬよう、このデューク殿の指示に従い、貴公らの軍にできる役割を果たしてもらいたい」


 他国の動乱で、堂々とディックという名を残すことは控えたい。極力目立ちたくないというのは勿論のことだが、魔王討伐隊がラトクリス領内に入ったということ自体、グラスゴールに知られないうちにことを進めたいということもある。


 レオンとルガードに知られている以上は、俺のことがグラスゴールに伝わる可能性もあるが――彼らは、俺たちがラトクリスに来ていることをまだ把握してはいないはずだ。


「メルメア王女と共に、国王陛下をお救いする……そして、捕虜となった者を解放するために、お力を貸していただけるということなら。このシェイドと麾下の将兵、総勢三千。貴方がたの指揮下に入らせていただきます」

「恩に着る。シェイド将軍には、国軍から投降した兵士の指揮も頼みたい。これで合わせて、五千人の兵力ということになるか」

「なんと……国軍の兵士は、グラスゴール将軍に忠誠を誓っているものとばかり思っていましたが。どのような方法で、彼らを説得したのです?」

「それは機密なので教えられないが、脅したというわけじゃない。俺たちは可能な限り、大規模な衝突を避けたいと思っている。国軍は西にある河向こうで野営地を作っているが、河を挟んでこちらも布陣し、睨みを効かせてほしい。彼らは俺たちの力を恐れているから、破れかぶれで攻めてくるということはないだろう」


 ミラルカの殲滅魔法が、戦略上どれだけ強力なカードとして力を発揮するか。分かってはいたことだが、実際に八千近い敵兵に対する抑止力となっているあたり、SSSランクの魔法使いが簡単に国を一つ滅ぼせるという事実を確認させられる。


「わかりました、我らがすべきは周辺住民の安全を確保すること、そして河向こうの国軍に対する警戒ということですね。このシェイド、完全に遂行してご覧に入れます」

「シェイド将軍、いいのか? メルメア王女に面会する前から、俺たちのことを全面的に信用してくれてるようだが……」

「恥ずかしながら、私は四将軍の中でも傑出した実力を持っているとは言えぬ男です。そのような力しか持たぬ私でもわかる……ヴェルレーヌ様に全幅の信頼を置かれているデューク様が、どれほどの猛者であるのか。部下たちもそうでしょうが、私も内心は震えあがっております。グラスゴール将軍を凌ぐ実力を持つ者を、久しぶりに見ました」


 歴戦の軍人という気配を漂わせるシェイド将軍が、恐縮しきっている――それも、ヴェルレーヌが俺の傍らに控えて、主人として見ていることを隠さずにいるからか。


「軍人が震えているなどと言うものではないぞ。彼に対しては仕方がない面もあるがな」

「はっ……も、申し訳ありません。もう二度と、騎士の誇りに傷をつけるようなことは申しません」

「良い。貴公の主君に対する忠誠は、今の話だけでも十分に伝わった。メルメアが不在である間、よく心折れず、グラスゴールに降らずにいてくれた……メルメアの友人として、我がことのように嬉しく思う」

「はっ、そのような勿体なきお言葉、身に余る光栄に存じます……!」


 もはやシェイド将軍は全く顔を上げられない――この国においても、元魔王としての彼女の風格は絶大な威力を発揮している。


 しかし魔王としての、魔性を感じさせる黒革の装備ではなく、メイド服姿なのだが。そんな彼女を前にひれ伏すシェイド将軍たちを見て、ヴェルレーヌはエプロンの生地を軽く引っ張ってみせながら苦笑していた。


※この場をお借りして、今月2月20日に発売になります、書籍版3巻について

 告知させていただきます! 表紙イラストは画面下に表示していますが、

 今回はアイリーンで、彼女のイメージカラーである赤を基調にした表紙になっています。

 各店舗での特典SSなどにつきましては、また改めてお知らせさせていただきます。

 今後とも本作を何卒よろしくお願いいたします。

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