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第112話 支城の占領と四人の将軍

 馬を走らせ、俺はアイリーンと共に、ミラルカとユマ、そしてスフィアのいる国軍の城へと向かった。


 城の周囲を囲う壁の内側に、投降して武器を捨てた兵が集められている。スフィアたちが乗っているバニングが、兵たちの前方に着陸する――閃火竜のブレスを披露したからか、敵兵は全く抵抗する様子を見せない。


 兵の数はおよそ千五百。総計一万人ほどの軍団がこちらに向かっていたが、そのうち先遣隊としてこちらに向かっていた三隊、五百人ずつが城に入ろうとしたところをミラルカたちに牽制され、陣魔法の威力を目にして戦意を折られた。


 座り込んでいる兵たち――これから自分たちがどうなるかと思っているのだろう。ミラルカはそんな彼らに向けて、声を張って勧告を始める。


「あなた達が抵抗せず投降したことを、私たちは賢明な判断と評価します。この城はこれより私たちが占領し、メルメア王女を旗印とした『ラトクリス解放軍』の拠点として接収します。あなたたちが所属していた軍団については、ここより西、川向こうで停止しています。救出のために兵が差し向けられた場合、解放軍が撃退、あるいは確保します」


 メルメアの名前が出ると、兵たちがざわつく――そして、各部隊を指揮していた隊長のうち一人が、手を上げて発言の許可を求めた。


「なぜ、人間の貴君らがメルメア王女と協力を……メルメア王女はやはり、人間の国にこのラトクリスを売り渡そうとしたのではないのですか」


 ミラルカは何も答えない。ただ腕組みをし、無言のままで、質問をした軍人の男性を見つめる。


「ぐっ……」


 蛇に睨まれた蛙のように、軍人の男性が苦しそうな声を出す。それはそうだ――ミラルカの迫力ときたら、俺ですら近づくことを躊躇うほどのものだった。


(こんなに怒ってるのは久しぶりだ……それはそうか。メルメアは、国民を裏切ってなんていない。言いがかりをつけ、謀略を仕掛けた人間に対して、ミラルカは怒ってるんだ)


「その曇りきった眼で、どこまで真実を理解できていると思うの? あなた達は国王とその一族、そして彼らを守ろうとした軍人たちと敵対した。守るべきものが何かも分からずに、本当の裏切り者が誰かを考えようともしないで、のこのことここまで攻めてきた。その結果が、あの惨状でしょう」


 この城の兵士たち、そして軍で調教された魔物たちが、グラスゴールたちに抵抗する村を襲った。


 軍人たちは沈黙する。彼らは状況に便乗して抵抗する村を蹂躙し、女子供を略取しようとした――それを防がれ、俺たちに生殺与奪を握られている現実をようやく実感し始めたのだ。


「あなたたちは、民を守るものでなくてはならないはず。その本分を今一度思い出し、この内紛が終わるまで、そして終わってからも、傷つけた民に償うため、護るために働きなさい。最初から同胞を傷つけるために、軍人になったわけではないでしょう」

「他国の人間が、知ったふうなことを……何様のつもりだ!」

「そうだそうだ! 魔族以外はこの国から出て行け!」


 レオンとルガードの二人が暗躍し、支配者の椅子に座っている現状も知らず、兵士たちはミラルカを非難する。


「ディック、ミラルカ大丈夫かな? もう結構ピキピキってしてない?」

「あいつが本気で怒るときは、逆に静かになるからな……つまり、相当危険な領域に突入してるな」

「そ、そんな悠長な……ミラルカ、破壊魔法でみんな真っ平らにしちゃわない?」

「こんな時のために、ユマがいるんだ。むしろユマの方が怒ってるが……あいつは怒ってても笑顔だからな……」


 バニングの一番後ろに乗っているユマが、前にいるミラルカの肩にそっと手を置くところが見えた。ミラルカははっとしたように目を見開き、振り返る。


(さすがユマ、ギリギリのタイミングだな……あのままだと陣術で兵士を殲滅とはいかなくても、武装を全部破壊して野に放り出すくらいはしてたな)


 装備品を破壊してしまうと、このまま兵をこちらに組み入れることができなくなってしまう。ミラルカは城を破壊して力を示すことで、役割を果たした――そこから敵を説得する、もとい強制的にでも仲間に加えるのは、ユマが最も得意とする分野だ。


「ん……なんだ、あの子供は……?」

「人間の僧侶……我らとは違う神の信奉者だ! 異教徒め、即刻この国から立ち去れ!」


 煽動された兵士たちの中に、怒りのうねりが生まれる。このままでは、勝てないと知っていても戦いを挑んでくる者が現れかねない――だが。


 罵声を飛ばしていた兵士が、動きを止める。それは、ユマが彼を見たからだった。


 微笑んでいるが、かなりの距離を置いて見ていても、ゾクゾクとさせられる。俺たちのパーティの中で、元来最高の魔力を持ち、それを鎮魂のためにしか使えない少女――それが、『沈黙の鎮魂者』ユフィール・マナフローゼだ。


 本来『鎮魂』は、死霊を浄化する場合などしか戦闘評価が加算されない。それでも彼女が冒険者強度10万を超えている理由は、その浄化能力が常軌を逸しているからにほかならない。


 王都の地下迷宮の二階層、水の階層でも彼女はその能力を見せた。毒を持つカエルの魔物を無毒に変え、無害な生き物にしてしまった――つまり、『魔物の魔性を浄化する』ということを、その身体の中から湧き出る膨大な量の清廉な魔力によって、力押しでやってのけた。


 彼女にとっての魔性とは、負の感情――彼女が言うところによる『魂の淀み』も入っている。


 かつて魔王討伐隊の一員として、彼女は他の四人にできないことを成し遂げた。彼女が通った村々は、魔性を浄化されて住民がアルベイン教徒に改宗してしまっているのだ――表向きには、他の魔族の人々と同じように装っているのだが。


「私たちアルベインの民を見守る神を、すぐに信仰するというのは難しいと思います。しかし、私たちは侵略者ではなく、異なる宗教を敵とすることもありません。人それぞれの心の中に神はいる、私はそれでいいと思っています」


 ゆったりとした語り口――まるで、子守唄のような。そう感じているのは俺だけではなく、ラトクリス国軍の兵士たちは誰も口を開かない。


 アイリーンですら茶々を入れることをしない。彼女の宿している鬼族の血もまた、ユマの力に反応し、鎮められてしまうからである――よほど落ち着くのか、馬に乗ったまま俺にもたれかかって、身体の力を抜いてしまう。


「…………」


(い、いや……そんなふうに見られても。これは不可抗力じゃないのか)


 ミラルカが俺の方を見ている――『視力強化(ビジョンライズ)』を行えば、間近で見るようにその表情を確認できるのだが、そうするまでもなくジットリと見つめられている。アイリーンと俺の密着ぶりに物申したいということだろう。


 混成獣と呼ばれた巨大な猿の魔物と戦ったにも関わらず、アイリーンは汗一つかいていない――その桃色の柔らかい髪からは、誘われるような甘い香りがする。彼女の腰の横から手を前に出して馬の手綱を握っているので、抱きしめているように見られてもおかしくはないが、実際はそうではないのでそんなに睨まないでもらいたい。


 それよりも、今はユマのことだ。彼女は教えを広めるためにここに来たわけではなく、改宗させようという考えもないと言っているのだが――その声が、この場を支配した彼女の鎮魂の力が、皆まで言わずとも兵士たちの心を変えていく。


「一つだけ、お願いをさせてください。同じ国の民同士が武器を取り、戦うことは、いかなる場合でもいけないことです。メルメア王女は、ただ王族として復権をしたいのではなく、戦いを止めたいと思っているのです。同胞同士で武器を向け合うことはやめて、平和に向けて手を取り合いましょう」


 これが、アルベイン神教で最高の力を持つ司祭。大司教であるグレナディンさんも、娘であるユマの持つ力には全く及ばない――教えを広めることにおいても、おそらくアルベイン神教でユマと並び立つカリスマを持つ者はいない。


「心が……洗われていくとは、このことか……」

「私たちはなぜ……同胞を、敵とみなすようなことを……」


 他の誰でもない、ユマにしかできない。まだ反発する敵兵たちに教えを説くことで、こちらの勢力に引き入れるなんてことは。


「……ユマちゃん、久しぶりに凄いことになってるね……神々しくて眩しいくらい」

「相手がBランク以下なら、ユマは戦う必要がないからな。でも、無理やり相手の考えを変えることはしたくないから、極力控えめにはしてるらしい。迷える魂を鎮めて約束の国に送る『鎮魂』が彼女の本分で、相手を自分の信奉者にする『教化』は、お父さんの許可があってしかやらないそうだ」

「そのうちユマちゃんが大司教になったら、この大陸の人全部アルベイン教徒になっちゃうのも時間の問題だよね。あ、ディックは神さまって信じないんだっけ」


 信じざるを得ないだろう、とユマを見ていて思いはする。スフィアのこともある――彼女が生まれてきたことは、神の巡り合わせのような奇跡だからだ。


 ユマは両手を組み合わせ、目を閉じる。その祈りが、周辺一帯にまで彼女の浄化の力を広げていく――あの村の人々にも、その途方もない友愛が届くだろう。


「さあ、祈りを捧げましょう。皆で心を一つにすることで、ラトクリスの人々もまた、元のように手を取り合うことができるのですから」


 一人、そしてまた一人。ユマの呼びかけに答えて、祈りを捧げ始める。


 さすがにそのまま見ているのもどうかと思ったのか、ミラルカとスフィアまで祈りのポーズを取る。アイリーンも胸に手を当てて祈っている様子だが、俺はもたれかかられたままなので何もできない。


 馬鹿馬鹿しいくらいに底抜けの浄化力。ユマの前では、一軍の兵士たちすらも闘争心を保つことができず、どこまでも心洗われるしかない――俺も油断すると世界が平和になるように何ができるかと考え始めてしまう。


 やがてスフィアがバニングを着地させたので、俺たちも馬を降り、彼女たちが降りるのを手伝った。俺がミラルカの足を受け止め、アイリーンがユマを抱きとめ、最後にスフィアが俺の胸に飛び込んでくる。


「お父さん、おつかれさま」

「ああ、お疲れ様。すっかり一人前の騎竜士になったな。お父さんも鼻が高いぞ」

「ううん、お父さんにはかなわないよ。バニングさんがすごいから、私は手綱を持ってるだけでいいんだもん」


 バニングがクァァ、と高めの声で眠そうに鳴く。これくらいの軍団を脅かすくらいで、自分の力を使わないでくれと言わんばかりだ――ルガードのような強敵を見た後では、物足りなく感じるのだろうか。


「説得することにおいては、ユマにはかなわないわね……私も、ある程度場数を踏んだつもりではいたのだけど」

「ミラルカ、いつも私達の代表でやってくれてるもんね。仮面の救い手、ただいま参上! みたいなの」

「え、ええ……改めて言われると、少し恥ずかしいわね……そんなふうにはしゃいではいないと思うのだけど」


 俺としては、実は救い手をやっているときに一番乗り気なのはミラルカではないかと思うのだが、要らないことで目をつけられるのは何なので黙っておく。


「……わ、私から言うことでもないけど……馬を使うほどの距離でもないと思うのだけど」

「あはは、何となく乗せてもらいたくなっちゃって。次はミラルカかユマちゃんが乗る? あ、それともスフィアちゃんかな?」

「お父さんと一緒なら何でも乗りたいです! ラトクリスのお馬さんも、つぶらな目をしてるんですね」


 ラトクリスでは、馬はほとんど真っ黒に近い、黒芦毛のものが多いらしい。アルベインより騎馬の調教技術が進んでいるというのは意外だった――馬具も扱いやすく、この技術をぜひアルベインにも伝えたいと思ってしまう。


「ディックさん、兵士の皆さんは私たちに味方をしてくれるそうです。ですが、彼らは軍隊の中のごく一部です。まだ敵の側にいる軍人の方と、彼らがぶつかってしまうようなことは、できるだけ避けたいのですが……」

「ああ、そうだな。敵は一旦後退しているし、この機を逃す手はない」


 懸念されることは幾つもある。情報網が機能しない他国においては、敵軍の動きを停滞させるための工作も、原始的な手段を用いるしかない。


 つまりは、いつも通りの隠密任務だ。今回は敵軍に干渉して実力行使で止めたが、今見ても分かるように、五百人の部隊の隊長クラスでも実力はAランクにギリギリ届かないくらいといったところで、俺たちが直接戦闘する必要は無い――どうしても必要なら対応するが、弱い者いじめをしに来たわけではないので、余計な交戦は避けたい。


「ディック、ぎゅるぎゅる頭回転してるでしょ。そのうち作戦が思いつくとは思うんだけどね、一旦ゆっくりしない? 敵さんが逃げていったなら、ご飯食べて一休みするくらいの余裕はあるよね。あたし、運動したからお腹すいちゃって……」


 あの巨大な猿を退治したことは、彼女にとっては戦闘ですらないらしい。少し思ってはいたことだが、どうも『蛇』という久方ぶりの強敵と交戦したことで、みんなが成長しているのではないかと思える。俺の冒険者強度が振り切れただけでなく、ユマも自分の力を以前よりも制御できているように見える。


「はぁ……ユマの問答無用に転向させる説得を見ていると、私の話術の拙さが情けなくなるわね。魔法大学の教授なのに、話が下手なんて。肩書きで能力が身につくということでもないのね」

「そんなことも無かったぞ、正論が聞いてて気持ちよかった。だけど正面からねじ伏せようとしても、相手の反骨心を煽るところがあるのはしょうがないな」

「な、なに……? 慰めているつもり? そういうの、本当に失礼だと思うのだけど」

「あはは、ミラルカ本当は嬉しいくせに。聞いてて気持ちいいって、最高の褒め言葉だよね。あたしもディックにそういうところ見せたいなー」


 まだ気を抜くところではないのだが、このメンバーで一緒にいると、緊張感を持続するよりも安心感の方が勝る。


「お父さん、私もミラルカお母さんやユマお母さんみたいに、みんなの前で立派に話せるようになるかな?」

「そういう機会があればな。そうだな、落ち着いたらスフィアも学校とかに行くことも考えるか。成績優秀となれば、学生代表とかで挨拶することもあると思うし」

「ほんと? 学校って、どんなところ?」


 自分が行っていないのに例えに出したので、俺は答えに窮してしまう。こういうときこそ、学校の先生であるミラルカが頼れるわけだが。


 敵兵の説得が上手くいかず、珍しくしおれているように見えたミラルカだが、俺が助け舟を求めるように視線を送ると、一気に復活して胸を張った。


「学校というのはね、同じ年代の人が一緒に集まって勉強するところよ。大学は学生の年齢に幅があるけれど、大学付属校は九歳以下、十二歳以下、十五歳までで区分されていて……」


 スフィアはもし学校に入るとしたら、十二歳以下に組み込まれるだろうか。マナリナが十六歳になる年に魔法大学に入っているが、特例としてミラルカのゼミで勉強させてもらえたりしないだろうか。


「ミラルカお母さんが先生なら、私もミラルカお母さんに教えてほしいな」

「っ……そ、そう……それは、とても嬉しいことだけど。何人かゼミに生徒を抱えているから、一人増えるくらいはどうということはないわ」

「ほんと!? お母さんありがとう!」

「とは言っても、私たち母親の知識も、あなたの中に受け継がれているはずだから……基礎を簡単におさらいしたら、発展的な研究に取りかかれるわね」


 娘のためならばミラルカは、どんな頼みも聞いてしまうだろう――それほど、見ていて甘いと感じる。甘くしすぎないようにと努めているようだが、我慢できていない。


「ディック、ミラルカが羨ましいと思ってるでしょ。あんなにスフィアちゃんに懐かれて」

「ああ、妬けるな……と、それはさておき。何か騒がしいな」

「僧侶様がたに申し上げます! フォレンシア要塞より、『白鷲のシェイド』将軍からの伝令が到着いたしました!」


 すでにユマが砦の最高権力者のような扱いになっているが、やりすぎとも何とも思わない――名乗っていないので『僧侶様』になっているが、この城にいる僧侶は彼女一人のようなので、特に混乱を招くこともないだろう。仮面の司祭として伝説を残してもらっても一向に構わないのだが。


   ◆◇◆


 城の最上部、天守塔と呼ばれていた場所は、元は視力の優れた見張りが使用していた場所らしいが、ミラルカが敵兵に我ありと伝えるために陣魔法で破壊してみせた――だが、バニングで上空から偵察した方がよく見えるので、無くても問題はない。叛逆軍を倒したあと、この城を利用するのであれば、修復は必要かもしれないが。


 シェイド将軍はラトクリス四将軍の一人で、国軍のトップを構成していた一角だ。彼の二つ名は、白い鷲のような翼を持つ魔族であることから『白鷲』なのだという。


 彼は国軍が進軍を始めたことを察知し、この城に伝令を送った。今一度真に倒すべき敵が誰なのかを確認し、国軍を立て直すことを提案していた――結果として俺たちが城を占領し、国軍は後退したため、俺たちが伝令を受けることができた。シェイド将軍と俺たちは味方となるため、状況を共有し、同じ目的のために連携していきたい。


 俺はシェイド将軍に一度話がしたいと伝えて欲しいと伝令に頼み、少し休ませてから出発させた。


 レオンとルガードに与して叛逆した将軍は、『幻魔のグラスゴール』『土塊のフォルクス』の二人。フォルクスは北部国境でベルベキア侵攻軍を率いており、グラスゴールの所在は掴めていない。


 王家側についた『錬糸(れんし)のジナイーダ』という女将軍は、レオンとルガードに敗れて、今はどこかに幽閉されていると考えられる。彼女が生きているという確証がある理由については、伝令はシェイド将軍からは教えられていないとのことだった。それも、シェイド将軍と直接話して聞けるといい。ジナイーダ将軍が生きているなら、彼女を救助することで大きくこちらに形勢が傾くかもしれない。


 敵の要人を押さえることが、最小の損害での内乱終結を導く。押さえるというのは戦って倒すということだけでなく、味方に引き入れられるのならそれも望ましい。グラスゴールとフォルクスのいずれかは、おそらく対話を聞き入れることはないような気がしている――フォルクスは王城から離されているので、謀反の主導者ではないように思えるが、それについても早めに見極めなくてはならない。


 俺たちは城の参謀室に入って、今後の方針を話していた。降伏した兵士たちはユマの指示に完全に従う状態となっているので、ヴェルレーヌに魔王時代の統率力を発揮してもらい、村の復旧や付近の偵察のために布陣してもらった――城に備蓄された食糧は城の兵を養うためよりも明らかに多く、二千人の兵を半年養うくらいの余裕がある。これも、元城守の搾取の賜物だが、結果的に俺たちの助けとなった。


 円卓の上に広げられたのは、城で見つかった地図だ。羊皮紙で作られたそれを眺め、コーディが下級古代語で書かれた地名を指差す。魔族の国では公用語として使われることが多いものだ。上位古代語は読み上げるだけで魔法が発動する『力ある言葉』、詠唱句になりうるので、通常は文書などでは利用されない。


「ここはルジェンタ城で、村の名前はロワール。シェイド将軍が守っているのは、フォレンシア城……どうやら、王族の名前が城の名前になっているみたいだね」

「ルジェンタ、フォレンシア……メルメア、そういうことなのか?」

「はい。このルジェンタ城は一番新しい支城になります。私の祖母……三代王妃殿下の名がつけられています」

「王族の影響力は、地名としてつけられるくらいには強いと。その体制に、反発する者がいたわけね……レオンとルガードは、それを利用しようとした。ラトクリスに彼らが侵入したとき、何らかの形で接触していたということかしら」


 ミラルカの読み通りとしたら、ラトクリス王家の転覆はレオンたちの潜伏期間を経て、計画的に行われたものということになる。


「グラスゴールは、王家に対してどんな感情を持ってたんだ? ずっと仕えていた国を裏切るには、それなりの動機はあるはずだろう」

「そのグラスゴールっていう人が、王様より強いからとか……それは単純すぎ?」


 アイリーンの言うことも一理あるどころか、的を射ている可能性はある。四将軍の実力は、メルメアの話によると国王と同等であるとされているという――つまり、Sランクということだ。

 

 レオンとルガードはSSランクであり、グラスゴールと組むには実力が釣り合わないようにも思える。


 だが、レオンとルガードは何らかの方法で、SSランクの限界に近い実力を手に入れていた。レオンに鎧精を貸与した者もいる――鎧精の本来の主人ということは、彼らに力を与えたのは必然的に、SSSランクということになる。


「鎧精が、この国のどこかに封印されていたとしたら。それをグラスゴールが見つけて、レオンに一時的に貸したっていうことも考えられるよね。初めは、アルベインのSS級冒険者が侵入してきたから、撃退しようとしたとか」


 完全に正解かは現時点では分からないが、師匠の推論には筋が通っている。グラスゴールが謀反を成功させたということは、彼がそれなりの切り札を持っていると考えるべきだろう。レオンたちの方が明らかに強ければ、交渉自体が成立しなくなる。


「ふぁ……はふ。あっ……お父さん、ごめんなさい。ちょっと眠くなってきちゃった」

「あはは……作戦会議ってそうだよね。ずっと真面目に考えてると頭が疲れてきちゃって」

「よし、分かった。アイリーン、ユマと一緒にスフィアを休ませてやってくれ。移動で疲れてるところに、会議まで参加してもらって助かったよ」


 ユマは実を言うと、かなり序盤からアイリーンの肩を借りて眠っていた――大規模な浄化をした後は眠くなるらしい。俗世で生きるだけで溜まるという『魂の淀み』を千五百人分も浄化したのだから、王都全体の死霊を浄化したとき以上の大仕事だ。


「すぅ……すぅ……ディックさん……鎮魂……」

「ユマちゃん、まだお腹いっぱいじゃないみたい……ディックも浄化してもらったら? 目がキラキラして、別人みたいになっちゃうかもしれないけど」

「それじゃ酔っ払いを装えないだろうが。俺はやさぐれた目をしてないといけないんだよ」

「ディー君の目はきらきらしてるよ、時々憎たらしくなるくらい」

「……リムセリットさんのディックに対する感情には、誤解を恐れずに言うと、まだちょっと歪みが残っちゃってるみたいだね」

「やさぐれた目というのが、お酒の飲み過ぎでごろつきみたいな目になっているということでなければ、ある程度は許可するわ」


 師匠は俺の表裏をだいたい知り尽くしているので、一面ばかりを見ていると飽きる――というようなことだと思っておく。そしてミラルカが許可してくれたので、俺は今後も呑んだくれることができそうだ。


   ◆◇◆


 ミラルカの陣魔法によほど脅威を感じているのか、敵が中央平原を南北に割る河の向こうに、野営地を作り始めた――王都まで撤退するわけにもいかないというのは、命令違反、あるいは敗走を罰せられることを恐れているからだろう。


 前にベルベキア軍の野営地を俺とミラルカで無力化したときのように、ここで追い打ちをかけるという手もある。しかし追い込みすぎれば、兵士たちが行く場所を無くしてしまう――投降を勧告して一気にこちら側に来られても、指揮体制が整っていない。


 国王、そしてジナイーダ将軍を救出し、敵の指揮官を狙う。それができれば兵士たちは元に行き場に戻れば済む話なのだ。グラスゴールに従った士官と兵は処罰を受けるだろうが、それはある程度は仕方がない。


 シェイド将軍がどれくらいの兵をまとめられるのか。それも早く知りたいところだったが、彼の送ってきた伝令が『メルメア様がお帰りになったとあれば、シェイド将軍は何を以ってしても馳せ参じるでしょう』と言っていた。将軍の副官は三名いて、誰もがシェイド将軍に忠誠を誓っているとのことで、指揮官がフォレンシア要塞を空けることについては問題ないらしい。


 作戦会議の最後に、俺は改めて、メルメアにグラスゴールという人物について尋ねた。


「グラスゴール将軍は……とても、美しい方です。どのような種族かは不詳なのですが、建国当時からラトクリス王家の右腕として働いてくれていた家の生まれで、この国には爵位制度は存在しませんが、『第一席』という序列を与えられています」


 ラトクリス王家を支える家は十六あり、グラスゴールはその筆頭の出身――つまりは、王族ではないが、王に最も近い一族だと言える。


「美しいって、男なんだよな? それは、うちにもコーディみたいな麗人はいるが」

「れ、麗人って……男装しているからって、誰もが麗人とは限らないよ」

「コーディ君は美しいっていうより、凛としてるよね」

「それは、騎士は常に凛としていなければ。自分で言うのもなんだけどね……」

「コーディ様も、その……女性のように淑やかなところがおありになりますね。ディック様とお話されているときは、特にそう感じることがあります」


 コーディのことを男性だと思っているメルメア――この反応は何というか、とても懐かしい。俺もコーディは男なのにやけに色気があると考えては、何を考えているんだと自分を律していたわけだが。


「ええと……僕はこういう格好をしているけど、女性なんだ」

「っ……そ、そうだったのですね。鎧を身につけて、『僕』と言われているので、男性だとばかり思っていました」

「男性らしく振る舞うことを長く続けていたから、それはそれで良いことなんだけどね」


 むしろ男性として見てもらったほうがいいということで、コーディは特に気を悪くしてはいない。メルメアはしきりに恐縮していたが、俺とコーディを見比べて、何か納得がいったようだった。俺たちが男同士にしては距離が近すぎる、と思ったのだろうか。いや、男女の空気だと思われても、それはそれで駄目なのだが――スフィアの母親ということを考えると女性として接する方を優先すべきとも思うし、大変悩ましい限りだ。


「そのグラスゴール将軍も、本当は女の人だったりして」


 アイリーンが冗談めかせて言う。メルメアはグラスゴールの姿を思い出しているようだったが、すぐに否定しなかった。それほど線が細いとか、中性的な姿なのだろうか。


「……コーディ様のことを知った後では、絶対にないとは言えませんが。私も軍人の方とお話する機会が多くはなかったので、彼のことをよく知っているとは言えません。父は、グラスゴール将軍に全幅の信頼を寄せて、重用されていたのですが。二人の関係は、国王と将軍という以上に、親友といえるものだったと思います」


 それほど親しかったはずが、グラスゴールは国王を裏切り、王家の人々を幽閉している。


「何かきっかけがあるとしたら……それが、グラスゴールが力を手に入れたことに通じるのかもな」

「ラトクリス魔王国の中に、古い遺跡があったりはしない? そういうところには、まだ手付かずで『星の遺物(ステラファクト)』が残ってることがあるから。これはディー君にもまだ言ってなかったんだけど、武具精霊は全部『星の遺物(ステラファクト)』に類するものなの」

「遺跡……まさか、国王陛下が封印するとおっしゃった、あの……」


 師匠の予想が的中した――鎧精とグラスゴールが、これで結びつきかけている。


 グラスゴールが、メルメアの父であるラトクリス王の命に背き、遺跡を探索していたとしたら。そのことがラトクリス王に露見し、諍いが起きたとしたら――。


「……あと一つ。国軍が連れていたあの猿みたいな魔物だ。あれは『混成獣』と呼ばれていたが、なぜそんな名前なんだ?」

「魔族は、魔物と共に生きる民です。魔物たちはさまざまな種類がいますが、中には魔族の言うことを聞かず、本能のままに暴れ狂い、民を害する者も現れます……そういった被害を減らすために、魔物同士をかけ合わせることで、種を改良しようとしたのです。そうして生まれたのが、『混成獣』です」


 国軍の兵士が、自分たちより強い魔物を従わせていた理由が分かった。混成獣は、国軍の戦力となるように予め作られた生物ということだ。


 アルベインでは、動物の品種をかけ合わせたりすることは、同じ系統の動物でなければ禁じられている。ドラゴンキマイラなどのように天然で混血の魔物が生まれることはあるが、人工的に作れるなどという話は聞いたことがなかった。


 そして、その話がルガードの流した黒い血に結びつく。ルガードは優秀な魔族の血を求めていた――おそらく、自分の中に取り入れ、さらなる力を得るために。


「……メルメア。他者の血を身体の中に取り入れて、強くなる種族というのはいるか?」

「魔族の中には、生物の血液を糧とするものがいます。しかし、ラトクリスの法では、合意がなければ相手の血を吸うことはできません……血を吸われた者もまた、血を求めるようになってしまうからです」


 病気のように、伝染するということか。ならば、ルガードは吸血を受け、自らも血を吸うことで相手の力を得る能力を手に入れた――そうも考えられる。


「ディック、そんなことを聞くということは、何か心当たりがあるのね?」

「ルガード・バレンスタインという男と戦ったことは話したな。奴は、人間だったはずなのに黒い血を流した。それが、尋常でない力と生命力を与えてるようだった」

「……黒い血……人間が、そこまでするなんて……」

「っ……メルメア!」


 メルメアはふらりとバランスを崩し、その場に倒れそうになる――俺は一も二もなく反応し、彼女の身体を支えた。


「ディー君、メアちゃんの心労が大きすぎるから、少し休ませてあげて」

「ああ、分かった……済まない、戻ったら夕食の支度をするからな」


 そう言ったところで、ちょうど作戦室の扉が開いて、ヴェルレーヌが入ってくる。ダークエルフの姿をしているが、相変わらずメイド服だ――しかしそのカリスマを以ってして、彼女は帰順した兵士たちの指揮をしていた。


「ちょうど戻って来られて良かった。ご主人様、村の者たちが礼をしたいと申し出てくれている。彼らにも来てもらい、夕食の支度を手伝ってもらおうと思うが、どうだろうか」

「ああ、そうしてもらえると助かるな。ラトクリス風の料理にも興味がある」

「ディック、食事のことを考えてくれるのはいいけれど、今は彼女の介抱を優先しなさい。ずっと抱きとめたままでいるつもり?」

「ディー君、看病のついでにメアちゃんと……なんて、身体に負担をかけるようなことはしちゃだめだよ?」

「あ、あのな……師匠、その言い方は生々しいぞ。そんなこと、全く考えてないからな」


 気を失ってしまったメルメアに対してそんなことを考えていたら、あまりに節操がなさすぎる。


 しかし、アルベインの北方渓谷の洞窟で介抱をした時に俺は既に見てしまっている。忘れようとしても忘れがたい、それほど起伏に富んだ姿態だった。


「ふむ……鎧か。私も鎧姿の方がご主人様の気を引けると言うなら、ダークエルフの女騎士として、クリューネと共にご主人様に(かしず)くという趣向も良いかもしれぬな」

「い、いや……女騎士は男に傅くんじゃなくて、凛としてた方がいいと思うが」

「ディックは騎士というものに一家言あるみたいね……さすが、騎士団長の振る舞いを見て、一緒に鍛錬している親友は違うわね」


 ミラルカが微笑みながら見てくるが、どう見てもジト目というやつなので、詰問されている気分になる。俺に何を答えろと言うのか――コーディは困ったね、というように肩をすくめるが、こういうときは頼りがいがないと言わざるを得ない。


 ひとまず、メルメアを寝かせるために移動する。作戦室は城の三階にあり、近くに士官が使っている居室がある。俺は空いている部屋を見つけ、中に入った。


 ルガードの『黒い血』のことを話して、メルメアをひどく動揺させてしまった――彼女は何かを知っている。それを、話せる範囲で話してもらいたい。


 敵のことを事前に多く知ることで、リスクは幾らでも減らせる。シェイド将軍が到着するまでに、俺は現状で把握できることを知り尽くすつもりでいた。



※いつもお読みいただきありがとうございます、大変お待たせしてしまい申し訳ありません!


※次回の予約投稿が完了しました。本日22:00に更新させていただきます。

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