第110話 深夜の交流と空からの潜入
ギルド員たちは俺の復帰を祝って夜更けまで大いに飲んで騒いだあと、それぞれの家に帰っていった。
「……ディックのギルドは、みんな仲がいい。私のギルドでは、こうはいかない」
「お姉さまがあんまり綺麗なので、男性の方は遠慮してしまいますし、女性の方も緊張してしまいますからね……同じマスターの方々くらいです、お姉さまと対等にお話ができるのは」
『シェリー』は親しい人が呼ぶ愛称のようなもので、普段ギルド員からは『シェリオン様』と呼ばれているらしい。
しかし――シェリーとロッテは元から付き合いがあるので分からないでもないのだが、酔ったレオニードさんが『ギルドの将来を担う人材として、マスターの教えを説いてやってくれ』などと無責任なことを言って孫娘のティオを残していったので、俺としては何か話した方がいいのだろうか、と気を回しているのだった。
そんなことを考えていると、前髪で顔を隠したままじっと座って話を聞いていたティオが、意を決したように口を開いた。
「く……黒の……けほっ、けほっ」
「……大丈夫? ロッテ、お水を……」
「水ならここにある。焦らなくていいから、ゆっくり話してみてくれ。俺たちは噛み付いたりしないからな」
水差しから冷水をグラスに注ぎ、ティオに渡す。ティオは両手で受け取ると、震えながら口をつけて、ゆっくり飲む――それでようやく落ち着いてきた。
「……黒の、獅子亭では、赤の双子亭のおふたりには、鞭で打たれたいとか、椅子になりたいとか、そう言って尊敬している男の人がいっぱいいます……でもそういうとき、おじいちゃんは、二人とも心に決めた相手がいるからあきらめろ、と言っています」
話し始めはたどたどしかったが、思ったよりティオは饒舌だった。一生懸命話そうとしてくれているようだが、内容が内容なので、俺は反応に困ってしまう。
双子が揃って俺に視線を送って、頬を染める――やはり、そういうことなのか。俺はそのうち、王都の男性冒険者たちから賞金首扱いされたりしないだろうか。
「……ディックはすごく人気があるから、一人の女の人で落ち着いたりできないと思う」
「っ……い、いやその……俺は一人の女性を幸せにするのも、一生ものの大仕事だと思っていてだな……」
「スフィアちゃんの『お母さん』の方々については、責任を取られるのではないのですか? もしお姉さまを放っておいて、なんていうことになったら……私、実力を行使させていただくことも、視野に入れないといけないのですが……」
昔のロッテなら、姉をかどわかす男は許さないという態度で、俺に対して少しツンツンとしている部分があった。
しかし、今のロッテの『実力行使』が何を意味するのかというと――赤いジャケットを脱ぎ、その下のシャツのボタンにまで手をかけるという、捨て身の攻勢だった。
「……私はお姉さまとずっと一緒なんです。だから、私もスフィアちゃんのお母さんにならないと駄目なんです……ひゃっ……つ、冷たっ……」
顔を真っ赤にして、据わった目をして俺に迫っていたロッテだが、急に悲鳴を上げた――ロッテの服の襟首に、後ろから近づいたカスミさんが、水の入ったグラスの表面を伝う冷たい雫を落としたのだ。
「カ、カスミ様、どうして邪魔をなさるんですか。私はディックさんに、大事なお願いをしようとしていただけなのに」
「スフィアお嬢の母になりたい……というのは、同じ屋根の下に泊まる身として、とても見過ごせぬ一言じゃからの。ディックも老成しているといっても若いのじゃから、一度堰が切れると止まらぬかもしれぬしな」
助けに来てくれたのか、火に油を注ぎに来たのか――どちらかといえば後者のような気がする。
ただでさえ、特徴的な東方の衣服を着崩しているカスミさんだが、肩の辺りまで襟がはだけて、大変なことになっている。下の酒場で飲んでいるときは、まだしっかり服を着ているほうだったのだが、他の男性の目が無くなった途端にガードが緩んでしまった。
「ま、まあ……お嬢と言うと、スフィアは恥ずかしがりそうな気がしますね」
「ふふ、控えめな娘じゃからの。しかしディックの娘があれほど可愛らしいとは……」
「ディックさんも時々可愛らしいところがあると、お姉さまも言っていらっしゃいましたから。血は……いえ、魔力は争えませんね」
ややこしいので血は争えない、で良いのではないかと思う。俺にとっては、スフィアは大事な娘であることに間違いない。
スフィアは二階に上がってきてすぐ寝てしまったので、一緒に風呂に入ろうと待っていたアイリーンたちは、諦めて母親だけで入浴している。俺は最後で構わないのだが、やはり泊まる人数が増えたときの問題は、風呂の順番待ちが長いこととだろう。
「……私とディックは順番が後になったから……お、お父さんと、お母さんだから、その……仲良くって、スフィアも言って……」
「お姉さま、残念ですがそれはだめです。ティオさんのことをレオニードさんから頼まれたので、一緒に入らないと」
「私は……ディックさんとお話がしたいので……」
「控えめなわりに、大胆じゃのう……ディックの何が、若い娘までもここまで惹き付けるのじゃろうか。レオニード殿が、日頃から褒めちぎっているからかの」
(もしそれが原因だとしたら、レオニードさんにはぜひ、俺の話を控えめにしてもらうよう頼みたいところだが……というか、ここに置いていく意図を俺に察しろというのは酷だと思うんですが、レオニードさん)
孫娘をよろしくと言いたいのだろうが、俺にできることは後進の育成に貢献するという意味で、彼女に当たり障りのない話をするくらいだ。
「……あ。カスミさん、少しいいですか」
「む……ど、どうした急に。私が調子に乗りすぎているから、釘を刺そうと……」
「いや、それは全然かまわないんですが……ちょっと、じっとしていてください」
ソファに座っているカスミさんの後ろに回る。さっきまではしっかり服を着ていたので見えなかったが、鎖骨のあたりに、レオンと戦った時についたものだろう、赤みが残ってしまっている。
(首を締められたのか……あいつにはやはり、あれくらいじゃ生温かったな)
クライブの時といい、力を手に入れたあと、女性を思いのままにしようとする輩というのは、どうにも我慢がならない。
「そ、そこは……すまぬ、傷が残っておったか。ディックに気を使わせるつもりは、なかったのじゃが……」
「いや、気にしないでください。回復魔法を使えば、綺麗に消えますから」
しかし、治癒の光では完全に痕を消せない――レオンが魔力を帯びた手でカスミさんに触れたためだ。
快癒の光ならば、こういった傷でも完全に消せる。俺は指先に治癒の魔力を集中させ、カスミさんの首筋についた痕を念入りに消していった。
「……触れられた場所が、じわりと温かくなるようじゃ。本当にお主は、何でもできてしまうのじゃな……」
「何でもではないですよ、回復魔法も極めたとは言えないですしね。上には上がいます」
治療を終えたあと、痕が残っていないかよく見て確かめる。いつも首周りを出すのが彼女のスタイルなので、しっかり元通りに治療しなくてはいけない。
「っ……ディ、ディック。もう治ったのではないのか……そんな、近くで……っ」
「女性の肌は繊細ですからね。男でも肌に気を使うという風潮もありますが……よし、これで大丈夫……うわっ!?」
施術が終わったので顔を上げると、いつの間にか部屋にいる人数が倍以上に増えていた。
「はぁ~、ディックったら、相変わらず回復魔法を使うときってそうなんだ……」
「集中力が必要なのはわかるけれど……本人は至って真面目だから、怒りづらいのが難点ね。でも殲滅するわ」
「だ、だめですっ、そんな……このギルドハウスが無くなったら、迷える子羊になったディックさんが、私の教会で生活することになってしまいます……なりませんか?」
「そんなことになったら、私も教会で暮らすことになるではないか。酒場の店主の次は女僧侶というのも、それはそれで男心をくすぐるのかもしれないが……」
「ま、まあ……って、変なことを言わせるな。風呂が空いたから、シェリー、ロッテ、カスミさん。ティオも一緒に入ってきてくれるか?」
「はい……マスター様が、そうおっしゃるのであれば……」
ティオは立ち上がると、あらかじめ用意してきていたのか、鞄から着替えを取り出す。
「……え、えーと。ティオは俺のギルドに所属してるわけじゃないから、マスターっていう呼び方はしなくてもいいんだぞ」
「いえ……おじいちゃんが、ディック様はグランド・ギルドマスターに事実上なられているので、正式に就任する前でも、とても偉いんだと言っていたので……」
(あ、あの親父……孫娘に一体何を吹き込んでるんだ……?)
今までレオニードさんを『あの親父』呼ばわりしたことはないのだが、さすがに温厚な俺と言えども、若干物申したい気分にさせられる。
「ですので……マスター様と、呼ばせていただけたらなと……」
「……どんどん悪化……というか、何かご主人様が王都のギルドにおいて信仰対象になりかけている気がしてきたのだが、気のせいだろうか」
「まあ、この人はそういった存在に祭り上げられても仕方ないくらい、この国のために働いてはいるものね。ご愁傷様」
「あはは、でもディックは目立ちたくないんだもんね。ティオちゃん、ディックのことはただのディックとして扱ってあげてね。その方が安心できるっていうから」
「……でも、マスター様は、マスター様なので……」
思ったよりティオの反応が頑固で、俺は頭を抱えてしまう。ラトクリスに出発する前に、王都のギルドマスター全員が集まって会合を行う予定なのだが、その時にレオニードさんが必要以上に俺を担ぎ上げないよう、事前に話をしておいた方が良さそうだ。
◆◇◆
泊まる人数が増えすぎて寝る場所がない――そうなると俺は、久しぶりに使う事務所のソファにやってきて寝るしかない。
俺の寝室では今頃、ミラルカ、アイリーン、ユマが寝ていることだろう。コーディは騎士団の詰め所を抜けてきていたので、今日は泊まりではない。
騎士団長が国を数日とはいえ、不在にする。そうなると連絡の不備があってはならないので、不在の間も騎士団の活動が行えるように、副騎士団長たちに申し送りが必要だという。
俺は普段から、俺から指示がないときはギルド員が自分の判断で動けるように、平常業務を設定している。俺がいなくても一ヶ月くらいは何事もなく活動できるだろう――しかし実際にそれをやるとサクヤさんを初めとした各部門の長からの陳情が凄いので、最高でも一週間程度が限度だろう。
ラトクリスの王位を簒奪した者たちを討伐し、国を安定させたあと、アルベインとベルベキアに対して友好条約を結ぶ方向に進めなくてはならない。他国の方針に関与することは今まで考えなかったが、そうも言っていられない状況だ。
――作戦の障害となる強敵は、あの鎧精と、それを従えている者。鎧精を貫通してレオンにダメージを与えられると分かったが、『本来鎧精と契約している者』が、鎧精を身に着けたときにどれだけの力を発揮するかは、見てみないと分からない。
ルガードについては、あの黒い血の正体がいかなるものかによって、再度戦ったときに前と同じように倒せるかどうかが変わってくる。しかし油断しなければ、俺たちのパーティの敵ではないだろう。
(全員で行くのは、過剰戦力か……いや。ラトクリスに入ってから、パーティを分ける必要が出てくるかもしれないしな)
敵の一般兵と交戦することはせず、首魁だけを狙う。前回の魔王討伐ではそれができたからこそ、エルセインとの関係は極端に悪化せず、停戦に持ち込むことができた。
王城の周りを敵軍が固めてしまっているなら、陽動でおびき出す必要がある。前回は全員で行動して陽動を行ったが、今回は戦力を分けることができる――師匠、スフィアと、俺と同じような役割を果たすことができるメンバーが増えたからだ。
(……いや、スフィアは置いていくか。SSSランクに相当する強さでも、まだ生まれたばかりだからな……)
「……お父さん、置いていくなんて言ったら、家出しちゃうから」
「っ……スフィア、いや、今のはだな……」
俺の考えは、スフィアには隠すことができない――『小さき魂』で生み出されたからなのか、俺と魔力的に繋がったままだからだ。
普段は心を読まないようにしてくれているが、今回ばかりは必要と思って、俺の考えを読んでしまったようだ。
そして人工精霊であるスフィアは、物質化と霊体化を自由に行うことができる。『隠密』まで使われると、俺でも気配を感じ取れないほどだった。
「お父さんと一緒にお風呂に入ろうと思ったのに……そんなこと考えてるなんて」
「す、すまない……いや、風呂は俺とじゃなくて、師匠と一緒に入って欲しいところだが……」
「むぅ……やっぱり、お父さんが入ってるときにこっそり入っちゃえば良かった」
それはミヅハがかつてやった伏兵戦術なのだが――と考えると、スフィアの顔が微妙に赤くなった。実際にやってみると結構恥ずかしいというのが、想像してみて分かったらしい。
「そ、そんなことないよ。私、お父さんと一緒に入っても大丈夫だよ?」
「本当か? 結構恥ずかしそうだけどな……お父さんは、無理をしないことを勧めるぞ」
「無理してないよ、ミヅハちゃんが恥ずかしくないなら、私も大丈夫だもん」
「いや、ミヅハはちょっとした手違いで酔っ払ってたからな。たぶんシラフだったら、いきなり風呂に沈んで待ってたりはしないだろう」
「しらふ?」
「酔っ払ってないってことだ。スフィアは、そうだな……どれくらい大きくなったら飲めるのかな」
食事ができるということは酒も飲めるのだが、人工精霊は酔っ払うのだろうか。精霊に酒を奉納するという風習は地方の村によくあって、祭りに惹かれて出てきた精霊が酔っ払うという民間伝承があったりもするのだが。
「私はお父さんとお母さんたちと一緒だから、お酒はなめただけでいい気持ちになっちゃうと思う」
「そうか……いや、まだ舐めたりするだけでも早いぞ。もう少し大人にならないとな」
「そのときは、お父さんにお酌してもいい?」
「ああ、いいぞ。お酌なら、いつしてもらっても嬉しいけどな」
スフィアがこちらにやってきたので、頭を撫でる。そこは精霊ということか、風呂に入らなくても髪がサラサラとしたままだ。
「……俺もこのまま寝そうになってたが、風呂に入らないとな」
「え、えっと……お父さん、やっぱりもう少し待ってて。私が、リムお母さんと一緒に入るから、そのあとで……」
やはりスフィアの情緒の成長は、きっかけがあると急速に起こるように思う。さっきまで天真爛漫といった雰囲気だったのに、次の段階に突入してしまった。
こういうとき、娘が父親に対して反抗的になったりするというのを、昔俺の父親が嘆いていたことがある。姉貴二人は弟の俺には優しかったが、冒険稼業に母親を連れ回していると言って、父親を糾弾していたことがあった――今では理解を示しているのだが。
長いこと連絡を取っていないが、ふと思い出すと懐かしいものだ。スフィアにも俺の心情が伝わったのか、俺の手を取って撫でてくれる。
「お父さん、ずっとみんなと一緒に、家族の人たちと離れて頑張ってきたんだね」
「頑張ったってほどの自覚は、さほどないんだ。それくらい、仲間が頼りになったからだろうな」
「コーデリアお母さんは、お父さんに凄く感謝してたよ。ときどきはね、普通の女の人みたいに、お父さんの喜ぶことがしたいって」
「そ、そうか……いや、なかなか想像ができないけどな」
俺が喜ぶこととは何だろう、と自問する。皆が元気でいて、悩みごとが無ければ、それで十分なのだが。
「お父さんって、自分のことより、周りの人のことを考えてるから……お母さんたちも、どうしたら喜んでくれるか分からなくて、大変だって」
「みんな、そんなこと考えてるそぶりは、全然無いけどな……い、いや、分かってる。俺に言わないで考えてるってことだよな」
鈍感も度を超すと怒られてしまう。しかし俺もそこまで難解な人間ではないので、同年代の男性が喜ぶことなら、だいたい俺にも通用するんじゃないかと思う。
「どうしたら喜んでくれるの? ねえ教えて?」
「っ……きゅ、急にどうした? お父さんもあまり考えたことがないから、ちょっとすぐには答えが出てこないんだが……」
「もう……お父さんったら。そんなことだと、娘の私にも愛想をつかされちゃうからね。せんめつしちゃうよ」
(……そ、そういうことか……みんなも俺に直接聞いてくれれば……いや、それができなさそうなのは分かるんだが……)
特にミラルカはそうだと思うのだが、俺に『何をしたら喜ぶか』なんて直接聞いてくることはまずありえない。
つまり、みんながスフィアを介して、俺の喜ぶことを聞き出そうとしているのだ。
「あっ……お、お父さん、私の考えてることは見ちゃだめ! お母さんたちとの約束なんだから!」
そしてスフィアが焦って自分から種明かしをしてしまう。俺の方も、スフィアの考えは意識しなければ見えないので、普通に会話する分には支障はない。
「俺が喜ぶことは、そんなに難しいことじゃない。そう伝えてくれるか」
「……うん、分かった。じゃあお父さん、お風呂一緒にはいろ?」
「っ……恥ずかしくなってきたんじゃなかったのか?」
「リムお母さんが、そうやってお願いしなさいって。リムお母さんとは、離れててもお話できるから」
師匠が風呂に入るのが遅くなりすぎてしまうが、彼女はそんなことは気にしないだろう。
そうなると、俺に断る理由が――と、娘に意地悪をする父親になってはいけない。
「分かった、じゃあ一緒に入るか」
「うん! お父さん大好き! むぎゅー」
「お、おい……やれやれ、困ったな……」
自分でも何をやっているのだろうと思うが、娘に抱きつかれては身動きがとれない。
――そして俺は何かに気付いたように顔を上げ、事務所のドアが少し開いていること、廊下に複数の気配がすることを感じ取った。もちろん、スパイに覗かれているとかではない。
「……ディック、私たちにあんな顔してくれたことないよね?」
「え、ええ……それはそうだけど、娘に出し抜かれたなんて思ってはいけないわね」
「スフィアさんの『むぎゅー』は、私も参考にしたいです……ディックさんもああすると、よけられないみたいですし」
正直を言うと皆に同じことをされても避けられないのだが、そのことには今しばらく、気がつかないでいてもらいたい。
◆◇◆
スフィアを風呂に入れているときに、師匠が普通に入ってこようとしたりした――というか入ってきてしまったのだが、なんとか生き延びることができた。
それでスフィアが師匠に引き取られていく流れとなり、俺はまた事務所に戻り、一人で寝ることになったのだが――なぜかベアトリスとヴェルレーヌが待っていた。
「あ、あの……ディック様に、今夜もお願いさせていただければと、恥ずかしながら、お邪魔させていただいたのですが……ヴェルレーヌ様が、先に待っていらっしゃいまして……」
「……普段から、仕事が一段落したときは、ご主人様と夜更けまで語り明かすというのが習慣だったのだ。私のことは気にせず、魔力の供与に励むがいい」
「そ、そう言われてもだな……」
「……今日は、ご遠慮した方がよろしいですよね。では、私は……」
「待て、少し消えかかってるぞ。俺はラトクリスに発ったらしばらく留守にするし、今のうちに魔力は補給した方がいい。見られてるのは気になるかもしれないが、ヴェルレーヌにそういう趣味があるのなら仕方がない」
「ふふっ……なかなか言ってくれるではないか。私はただ、同じご主人様の眷属であるベアトリスとともに、ご主人様に侍ろうと言っているだけなのだぞ……?」
「侍るって……お、おいっ……!」
前魔王と六魔公家の子女が、同時に羽織っていたガウンを脱ぎ、その下に着ているネグリジェ一枚の姿となる。
――それこそ、俺の方が魔王同然になっていないか。そう思うが、魔力の供与をしているときはベアトリスはいつもこの格好なので、咎めることもできない。ヴェルレーヌが同等の格好をしているのはどうかと思うのだが。
「黒エルフの姿だと、何かご主人様が引いて見えるのだが……やはり、邪悪な魔法使いのように見えるのか?」
「そんなことはないが……それ以上はベアトリスの真似をするなよ、魔力の供与をするときは、肌を触れさせないと駄目だというだけで……くっ……」
「『くっ』などと、なかなか興味深い反応を見せてくれるのだな……普段なら、私がどのような格好でいようと、そう気にしてくれないというのに。ベアトリス、礼を言う。おまえのおかげで、ご主人様という砦を攻略する糸口が掴めたぞ」
「お役に立てて、光栄に存じます。ディック様の魔力……やはりこれでなくては……」
ベアトリスはあまり自覚がないようだが、ヴェルレーヌとは違う方向ではあるが、彼女もまたそう並ぶもののない美女であり、その姿態は俺の目に毒であると言わざるをえない。
「しかし、これでは見ているこちらも、お預けをされている気分だな……ふむ。ご主人様、一度身体を起こすがいい」
「ヴェルレーヌ様に膝枕をしていただけるなんて……ご主人様は、二国一の果報者でいらっしゃいます」
アルベイン、エルセインの二国の中で、今この瞬間、俺が最も幸福な状況にある――のかどうか分からないが。俺の抵抗をまったく意に介さず、魔族二人にいいようにされてしまっている。
こんな時に限って、みんなぐっすり寝ていたりするわけで。俺は魔力の供与以外のことに目的がずれていないかと思いつつ、平常心を失わないように努めるしかなかった。
◆◇◆
翌日、俺は昼前に他のギルドマスターに集まってもらい、俺たちが不在のうちの冒険者ギルドの連携について話をした。
今でも、王都の地下迷宮では冒険者による探索が続いている。迷宮の霊脈に通じ、未踏の階層の危険度を察知することができる妖精がいるおかげで、銀の水瓶亭から事前に危険な階層について知らせることができている――といっても、ドラゴンキマイラやレギオンドラゴンを超える魔物はいないので、SSランク冒険者か、Sランク冒険者が複数名いれば対処できる。
ゼクトは迷宮探索が性に合っていると言っていて、冒険者としての依頼がないときは進んで迷宮に潜ってくれている―ー新たに見つかった施設や、持ち帰った物についても報告が上がっているのだが、どれも興味深いものばかりだ。
他のギルドの発見についても報告してもらっているが、それは迷宮に潜った冒険者の功績なので、確認はするが関与はしない。王都の地下迷宮には今も王国中から挑戦者が集まってきていて、蛇がいなくなった後でも冒険者の姿が消えることはなかった。
ギルドだけでなく、騎士団も迷宮探索には協力を続けている。コーディは無事に申し送りを終えて、旅の準備を整えて俺たちに合流した。
銀の水瓶亭が夜の営業を始める前に、ラトクリスに行くメンバー全員が揃って、地下の転移陣を使い、火竜の放牧場に飛ぶ。
コーディ、ミラルカ、アイリーン、ユマ、師匠、ヴェルレーヌ、スフィア、そしてメルメア。イリーナは放牧場に留まり、シュラ老の助手をしながら、俺たちの帰還を待つことになった。
「隠密ザクロを摂取した竜による、超高度潜入……すさまじいことを考えたものですな」
俺の作戦は事前に話してあり、シュラ老に頼んで竜の隠密性能を限界まで高める餌を与えてもらった。
「まず、地形がどうなってるかを見たいんだ。今からだと地図が手に入らないからな」
「この国では地理学がある程度発達しておりますが、他の国はまだ未発達で、未完成の絵地図しかない国もあると言いますからな。竜によって地形を知るというのは良い戦略でしょう。竜の隠密化が可能であってこそ、実現できる作戦ですが」
「シュラさんのおかげだよ。本当に、何から何まで世話になってる」
「何をおっしゃいます、私のような老骨を拾い上げ、ここに連れてきてくださったディック殿の、人脈の広さの賜物です。生きがいをくれて、本当にありがとうございます」
元は火竜を輸送などに使いたいと考えただけだった。閃火竜となり、エルセインの黒竜を凌ぐ力を手にしたバニングを見て、思えば遠くまで来たものだと思う。
隣国との距離は、竜のおかげで格段に縮まった。ラトクリスに徒歩で潜入すれば、一ヶ月はかかる大仕事を、大幅に短縮できる――これなら、騎士団長のコーディも、王都を空ける日数が最小限で済む。
「……ありがとう、ディック。今回だけは、僕はどうしても一緒に行きたい」
「礼を言うなら、騎士団長の不在を認めてくれる陛下と、部下にだな。俺は、コーディを連れて行く気しかなかったから」
「あなたは何だかんだと言って、コーディには一番甘いものね」
「ううん、あたしだんだん分かってきた。ディックはみんなに同じくらい甘いっていうか、優しすぎない? っていうことが」
「ディックさんと書いて、博愛と読みます。愛は全てを救うと、神もおっしゃっています……ああ、二度目の旅がこれから始まるのですね……」
討伐隊の面々が俺を甘やかしてくるが、竜に乗った時から気を引き締めなくてはならない。俺たちが向かうのは、不当な支配を受けている国――どんな光景が待ち受けているか、覚悟しておく必要がある。
「ディー君、シェリーちゃんは置いてきてよかったの?」
「『蛇』の影響があって、王都から離れられないんだ。そればかりは仕方ない」
「そうか……では、シェリー殿たちの分まで戦ってこなくてはな」
「ヴェルレーヌお姉さま……ありがとうございます。そのお言葉を聞けたなら、どれだけ父も皆も励まされることでしょう」
「お父さん、悪い人たちをやっつけて、早くみんなを助けてあげなきゃ。私も頑張る!」
この仲間たちが居れば、何も恐れることはない。
俺たちはバニングと黒竜に分乗して、空高く浮上していく。高度が上がる前に、バニングに乗っている俺と、メルメアの竜に乗っている師匠とスフィアが、それぞれ気圧の変化と加速に対応するための防壁を張った。
「よし……行くぞ、みんな!」
全員がそれぞれの返事をする。二体の竜は羽ばたき、加速を始めると、雲のない高度を飛ぶ竜は、透明な世界を突っ切っていった。