第9話 魔法文字と作戦開始
俺のギルドに依頼をしてから三日、ティミスたち三人はヴェルレーヌから火竜討伐作戦の説明を受け、事前に準備を整え、地図と駒を利用して再現される仮想作戦を、テーブル上で話し合いながら成功させるに至った。
「こんな作戦の予習の仕方があったとは……まるで双六をしているようです」
「双六というよりは戦戯盤ですね。火竜がどのように動くか、そのパターンは頭に組み込めましたよ。いやぁ、しかし実際にうまくいくのか……」
マッキンリーは作戦において重要な役目を担っている。Bランクの射手の命中率は絶対とは言えないが、彼が狙撃ポイントに入り、ティミスが火竜の注意を引いて特定の行動を誘発させ、遠距離からアルバレストで特殊弾を撃ち込む――それが作戦の要なのだ。
「もし火竜が想定通りに動かなければ、お嬢様を守ることを優先する。これだけの情報を集めた研究が、全くの無駄になるとは思いたくないがな……」
「いいえ、私を特別だとは考えないでください。私はこのままでは足を引っ張ることになります……火竜がどれほど強いのか、説明を聞くほどに実感できましたから。私がこれまで倒してきたオークや、低級な魔物とはわけが違うのですね……しかしオークを一万体倒したところで、私は……」
オーク一万体でも千人長くらいには昇格できそうだが、それでは十分ではないのだろうか。千体も倒すとオークロードが出てきて、Bランクに強化したティミスといえど、厳しい戦いを強いられると思うのだが。ライアがいれば問題はなさそうではある。
「ティミス様、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか。なぜ火竜にこだわられるのです?」
「……それは、騎士団の規定です。火竜相当の魔物を倒さなければ、副騎士団長の昇格審査が受けられないのです。現在の騎士団長は恒久的に騎士団長の地位を約束されていますので、他の騎士が団長となることはまずありません。そうなると、私たち騎士の最終的に目指す場所は、副騎士団長なのです」
「地位……ですか。ティミス様は副騎士団長となられて、どうするつもりなのです?」
「……私には会いたい方がいます。堂々と、正面からお会いすることができない相手ですが、私はその方を尊敬しているのです」
よもや色恋沙汰か――まあ、この年頃の少女なら無理もないか。思春期の衝動に左右されがちな、そんなデリケートな時期だ。
「王位継承権をお持ちになっているのに、みずから剣を握り、結婚を迫る公爵と誇りをかけて決闘し、華麗になぎ倒されたマナリナお姉さまに、副騎士団長の叙勲式で一目お会いしたい……」
途中までティミスが会いたがっている人物は男かと思っていたが、あっさりと覆された。コーディまである、と思っていたのだが、どうもコーディは不思議なほど女性に縁がない。
ティミスはマナリナの、母親違いの妹である。正室の娘であるマナリナに、ティミスは複雑な気持ちを抱いているのではないかと思ったが、むしろかなり深く尊敬しているようだ。
「……私がマナリナ殿下の妹であるということは、隠してはいませんが。私の母は庶民の出で、国王陛下の庇護を受けてはいますが、他の貴族出身の側室の方々から、嫉妬を受けてしまっています。そういった状況も、私が揺るぎない勲功を上げることで、変えたいと思っています」
理由の二つ目は、火竜を倒してでも勲功を上げたいという覚悟に見合うものだった。
ティミスが姉に会いたいというなら、俺が会えるように計らうことはできる。しかし、ティミスの母を取り巻く状況を変えることは一朝一夕では難しい――不可能ではないのだが。
「ティミス様の覚悟は、十分に伝わりました。討伐作戦の決行は明日となります。本日は十分な休息を取り、明日の出発に備えてください。ご武運をお祈りしています」
「はい、先生! ……ではありませんでした、受付の方!」
「お、お嬢様……騎士らしく振舞おうとなさっていたのに、それでは努力の甲斐が……」
「ははは、いいじゃないですか。俺も久しぶりに、授業を受けている気分になりましたよ」
ティミスの年齢を聞くと、14歳――まだ若いといえば若い。それで百人長をやっているのは大したものだし、火竜討伐でつまずかなければ、きっと騎士団でも大物になるだろう。
そしてこの仕事が終わったあと、ライアとマッキンリーにはスカウトを試みたいところだが――まあ、ライアはティミスにべったりなので、そこはできたらというくらいで考えておこう。
――と、忘れるところだった。俺は三人に気づかれないように、カウンターを指で二回鳴らした。ヴェルレーヌはその合図に気づくと、俺の方にやってくる。
俺は彼女にオーダーの紙を渡すふりをして、ヴェルレーヌに『ある魔法』を託した。ヴェルレーヌは手に触れると頬を赤らめるが、何事もなかったふりをして酒とつまみを俺に出したあと、ティミスたちの前に戻った。
「こ、こほん。ティミス様、火竜討伐の前に、最後にしておくことがございます。そのお身体に、魔法文字を書き込ませていただけますでしょうか」
「ルーン……それをすると、火竜討伐に有効なのですか?」
「はい。それがゆえあって、ティミス様の胸に近いところに書き込む必要がございます。専用の部屋がございますので、そちらにいらしていただけますでしょうか」
「……それはどうしても必要なことなのだな? もし変なことをすれば……」
「ライア、大丈夫です。女性同士でしたら、そんなに恥ずかしくありませんから」
筆を使うのでくすぐったいかもしれないが、すぐに終わると説明し、ヴェルレーヌはティミスを連れていく。
「……俺とライアさんは必要ないんですかね?」
「な、なにを期待している。マッキンリー、お嬢様が文字を書かれる姿を想像などしたら叩っ切るぞ」
「い、いや……何となく気になっただけですよ。そんなに睨まないでくれませんかね」
マッキンリーの気持ちはよく分かる。俺は妖艶な色気を持つエルフメイドが、まだ穢れを知らぬ若き女騎士の肌に、筆で文字を描いていくさまを想像する――何とも神秘的というか、あでやかな情景だ。
魔法文字は特殊な塗料で描かれるが、数日で消えるので問題はない。自分で指示したことながら、俺も心配性だと思ってしまう――だが、約束したのだからしょうがない。
俺はティミスを絶対に死なせないと言った。魔法文字は、そのコーディとの約束を守るための保険だ。
作戦通りにうまくいけば必要はない。しかし人間とは間違える生き物でもある。
かの魔王討伐隊ですら、ミスで窮地を招くことはあった――だから俺は、他人を十割信用するということをしない。それは人間不信というわけではなく、間違えることも含めてフォローアップし成功を導くことが、俺にとっては至極当然のことだからだ。
「しかし……あの人、常にカウンターのあの席から僕らに酒をおごってくれますが、一体何者なんですかね?」
「……案外、彼がデューク・ソルバーということだとか、そういうばかげたことを考えもしたが。ただの物好きだろうな」
「デューク……なんだって? 知らない名前だな。まあいい、あんたらも色々大変みたいだし、後でもう一杯オマケしてやるよ」
「おっ、いいんですか? 遠慮なくご馳走になりますよ」
「……やはり、あるわけがないな。ただの気前がいい飲んべえだ。しかし、お嬢様が心配だ……あのエルフ、時々目の奥が笑っていなかったからな……妙な趣味を持っていなければいいが……」
ライアはふるふると足を震わせている――ティミスが心配過ぎて貧乏ゆすりをしているらしい。なぜそこまでティミスに入れ込んでいるのか不思議だが、彼女にも残念なところがあるようだった。
お前がデュークか、と言われるかと思って愉快な気持ちになったものの、結局バレなかったことで、俺は完全に正体を明かすタイミングを逸した――いや、それでいいのだが。俺はただの飲んべえだ、ライアの言う通りで問題ない。
ところで文字を描く過程がどんなふうになっているか、俺は施術室での二人の会話を魔法で聞くことができるので、ちょっとだけ耳を傾けてみたいと思う。
「っ……」
「動いてはいけません、この塗料は一度肌につくと、一定の時間が経たないと取れませんので……そう、いい子ですね……」
「……恥ずかしいです、受付の方……私、受付の方と違って、騎士をしているので筋肉がついてしまって……」
「筋力は強くなるうえで必要なものです。女性は筋肉をつけづらいというのに、この若さでよく頑張りましたね。運動をすると胸から落ちるというのに、健やかに発育されていますし」
「剣を振るにはじゃまなので、もうこれ以上大きくなってほしくないのですが……そういった相談も、このギルドでは受けていたりしますか?」
「私のご主人様は大きくすることには定評がある方ですが、小さくする方法は存じ上げないようです」
「そ、そうなんですね……大きくする場合はどうするのですか?」
「神の右手、悪魔の左手と呼ばれる技を用います。胸を大きくする過程で女性は忘我の境地に追い込まれてしまうため、ご主人様は『忘我の5人目』という異名で呼ばれており……」
「す、すごい……そんな方がこのギルドに。デュークさんといい、凄い人たちの集団なんですね……」
俺がいないと思って、ティミスにデタラメを吹き込み続ける魔王。どこからそんな妄想を仕入れてきたのかを、あとで時間をかけて赤裸々に告白させてやらなければならないが、それはまた別の話だ。
◆◇◆
翌日。ティミスたちが火竜討伐を始める時間、俺は店のカウンターにいた。
朝6時半、開店までは時間がある。ヴェルレーヌは開店の準備をしつつも、俺の前に黒エールをことりと置いた。通常のエールより上質な黒エールだが、生産量が少ないので、仕入れられたときしか飲めない。
ジョッキに口をつけて、泡ごと冷たいエールを喉に流し込む。俺にとってはもはや酒は水替わりである――医療魔法さまさまだ。
「……ふぅ」
「ご主人様、今回はやはり、『仕込み』を入念にされていたようだな」
ティミスの身体には強化魔法の効果を定着させるため、ベヒーモスのミルクを毎日飲んでもらった。貴重なものなので他の二人には飲ませられなかった――依頼を受けてこちらの支出が大きくなるのは美学に反している。経費を引いてもちゃんと黒字になる範囲でことを完遂する、それもプロとして当然のことだ。
「作戦の指南もそうだが、同じくらい食事効果の定着が重要だった。あとは、三人が上手くやるさ」
「……ご主人様。昨日の夜のご主人様よりも、『魔力が大きく減っている』ように見受けられるのだが。それは、気のせいと思った方がいいのだろうか」
ヴェルレーヌも元魔王だ、魔力の大きさが変わればすぐ気づかれる。俺は笑い、何も答えなかった。
「ご主人様と戦ってから、5年……『奇跡の子供たち』とは恐ろしいものだな。今の、理由あって魔力を減らしているご主人様の力でも、私は……」
「……ヴェルレーヌ、少しいいか。俺は『いつものように飲んだくれてる』。『一時間』くらいしたらまた声をかけてくれ」
亜麻色の髪を持つエルフは、俺の言葉の意味を、少し遅れて理解する――そして、微笑む。
「心配せずとも、ご主人様が『心ここにあらず』であろうとも、その間に護符を盗むことなど考えはしない」
「……ああ。信用してるぞ……」
「……悪戯はするかもしれないがな。開店するまでは、私とご主人様の二人きりだ」
「ほどほどにな……俺がショックを受けない程度に……」
飲んだくれが一瞬意識を落とす、ただそれだけのことだ。
ちょうどそのとき、ティミスたちが火竜討伐を始める時間であっても――それはただの偶然だ。
◆◇◆
――火竜討伐隊の朝は早い。
ベルフォーンの森を訪れたティミスたちは、事前に予習していた通りの地形であることに感嘆していたが、すぐに気持ちを切り替え、作戦を開始する場所へと向かった。
(ノートの内容も、盤上での演習も、しっかり覚えている。私は絶対、うまくやれる)
ティミスは自分に言い聞かせながら森を進む。ライアとマッキンリーも、しばらく前から無言である。ここが火竜の生息域であるということが、戦闘経験の多い彼らをも緊張させていた。
目指す場所が近づく中で、デューク・ソルバーのノートの内容を思い返す。
繁殖期のあいだ、オスの火竜が森を離れ、火山帯の巣の様子を見に戻る時期がある。今はそれに相当しており、火竜のつがいのうち、メスの火竜だけがこの森に残っている。
メスの火竜は森の中にある洞窟に巣をつくり、卵を産む。産み落とされた卵からは、すぐに幼竜が生まれる。火竜は卵を胎内で育て、卵が孵化する直前に産むのである。
母竜は産卵後の体力を回復するため、森の動物を捕食し、幼竜に餌を与える。幼竜は3か月ほどで背中の羽根が開くようになり、短距離を飛行して親竜の背中に乗ることができるようになる。そのころには、火山帯での餌不足の時期が終わり、彼らは火山帯に帰っていく。
火竜はただ、種の本能に基づいて行動しているだけである。しかし人間が成すすべもなく、生活の場としている森を追われるだけということにならないためには、時に戦うことも必要となる。
(捕獲……撃退するだけで難しい火竜を。でも、やってみせる……!)
朝6時34分。
この時刻に、火竜は洞窟から出て、採餌と給水のために移動を始める。
6時36分、火竜が水場に到着する。ティミスたちはその前に、水場が見える位置にたどり着き、偽装するための草のむしろを取り付けたマントを被って、茂みに潜んでいた。
ティミスはそのとき、胸のあたりに違和感を覚える――そして鎧の中から、ひゅるん、と何か小さなものが飛び出してきた。
「きゃっ……な、なに……?」
「……明かり虫? 森に生息していると言いますが、お嬢様の鎧に入り込んでいたのでしょうか」
「胸に入り込んでるなんて、なんてうらやま……あ、いや、何でもありません」
マッキンリーは口を滑らせかけ、ライアに睨まれる。ティミスはふわふわと浮かんでいる、光る小さな虫のようなものをしばらく見ていたが、あまり気に留めないことにした。
――そして、ノートに記されていた時刻通りに。空から、翼をはためかせて火竜が降りてくる。
ズシン、と重々しく地面を震わせて着陸すると、人の5倍ほどの巨体を持つ火竜は、岩の間から流れ出した水が溜まっている池に首を伸ばし、水を飲み始めた。
「本当に来た……なんていう大きさだ。あんなものを、本当に俺たち三人で……」
「マッキンリー、あまり声を立てるな。火竜が気づく」
「まず私が出て、火竜の注意を引きます。マッキンリー、手筈通りに頼みますよ」
「はい。お嬢様、最善の努力をしますが、くれぐれも気を付けてください」
三人は頷き合う。ティミスはからからになる喉を、ライアの差し出した水で潤したあと――何度もノートを見て予習したとおり、茂みから飛び出していった。
――火竜が気づき、振り返る。そして槍を構えたティミスを視界に入れたあと、大きく口を開く――敵を発見したことを森中に知らせるための、咆哮を放とうとしているのだ。
「――マッキンリー、今ですっ!」
すでにマッキンリーは、アルバレストを構え、狙いを研ぎ澄ませていた。
彼が狙うのは――大きく開いた、火竜の口。経験に基づいて軌道に補正をかけ、引き金を引き、射出する――!
ティミスが横にステップして射線を空ける。放たれた弾は何にも阻まれることなく、火竜の口に命中する。
「グガォッ……ガフッ、ゴフッ!」
マッキンリーは『銀の水瓶亭』で預かってきたいくつかの弾丸のうち、ひとつを放った。そこに入っているものは、『沈黙弾』――火竜の咆哮を封じる弾。
見上げるような身の丈を持つ巨大な火竜が、一発の弾に翻弄される。その時には、すでにライアが飛び出していた――肉食獣そのものの速さで駆け抜け、刀を一閃する。
「――はぁぁっ!」
狙う場所は、足。火竜の翼は厚い鱗に覆われているために、刀では刃こぼれする――しかし、足は違う。
「グォォォッ……!」
ライアの一撃で鱗を削られ、火竜がたたらを踏む。危険を感じた火竜は、翼を大きくはためかせて浮き上がる――その凄まじい風圧に、ライアは追い打ちをかけることができず後ずさる。
戦いはまだ始まったばかりだ。しかし三人は、火竜を相手に立ち回れていることに自信を深めていた。
突然の襲撃に脅威を覚えた火竜が飛び、場所を移動する。ティミスが空を見上げると、火竜は右に旋回して一周し、それから目的地へと向かった。
本来なら、地上から追いかけることなどできない火竜。しかし、行く先が分かっていれば話は違う。
「お嬢様、右に旋回した場合、火竜が行く先は……」
「ええ、ノートに書いてあった通りです……急ぎましょう、二人とも!」
三人が頷き合って駆けていく。
その後ろから、ティミスの胸から飛び出した光るものが、ふわりと飛行して追いかけていった。