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第102話 蜃気楼の火竜と闇の中の対話

 竜が群れで通ることもできるような、広大な渓谷。眼下の川面からは普通の魚も列を作って飛び上がっている――羽根の生えた巨大魚は、本来それらの魚を捕食しているようだが、竜にも果敢に飛びかかってくる。


「――ごめんなさい、また次に来たときは、お父さんと一緒に美味しく食べるから!」


 スフィアはバニングに閃火の息(レーザーブレス)を命じ、牙のびっしり並んだ口を開けて飛んでくる魚を撃墜する。向こうが喰う気満々なら、容赦なく黒焦げにしてしまってもそこまで気分は咎めない。


「何を甘いことをっ……くそっ、邪魔だ、どけぇっ!」

「っ……あぶないっ!」


 二匹ずつしか撃墜できないジュリアスだが、黒雷弾(カオシック・ヴォルト)の流れ弾がこちらに飛んでくる。スフィアは『疾風機動(ウィンド・シフト)』によって、スピードを殺さずに水平に移動して回避する。


「ふざけた動きをっ……だが……!」


 この高速飛行中に、よく声を張れるものだと思う。ジュリアスもさる者だ、こちらに聞こえるように魔法を使っているのだろう。


 本来ならこちらを威圧でもしたいのだろうが、声が聴こえることで、次に何をしてくるかも推測できる。


「うん、分かってる……仕掛けてくるとしたら、『あの瞬間』だよね……っ!」


(ああ、必ず来るぞ。あっちはまだ、加速手段を一つも使ってないからな)


 あれだけ騎竜戦に自信を持っていたのだから、このまま終わらせてはくれないだろう。


 ――だが、こちらにも対策はある。向こうが狙ってくるタイミングが分かっているなら、読んで対応すればいいだけだ。


 ちょうど中空を飛行し、加速を続けながら、俺は右方向の上方岸壁に、赤い大きな水晶――視界晶が埋め込まれているところを目にする。


 その前を通過することが必須条件。視界晶の映し出す範囲は広いが、ど真ん中でバニングの勇姿を見せられるように方向を調節し、弧を描くような機動で飛んでいく。


(ギリギリまで引きつけるぞ……3、2、1……!)


「――道を開けろぉぉおおおおおおおっ!!」


 ジュリアスも勝負をかけ、黒竜に加速を命じる。速力をジュリアスの魔力で強化しているのではない――黒竜の持つ本来の能力だ。


 グン、と後ろからの気配が近づく。魔力を纏いながら加速し、視界晶の前を通る瞬間に交錯する――まともに受ければ衝撃で落とされる可能性の高い荒業だ。


 魔王を継いだ者のぶつけてくる気合に、身体がなくとも闘志を煽られる――スフィアの身体も熱を増し、集中は研ぎ澄まされ、一瞬だけバニングと彼女の身体の間で魔力が共有される。


「炎の精霊、そして剣精ラグナ。熱と光は、蜃気楼を織りなす……!」


 二つの精霊を、呼吸するように同時に操る――これが俺たちの娘、スフィアの実力。


 俺たちが選んだのは、迎撃ではない。閃火竜となり、火精霊との親和性を限界まで高めたバニングだからこそ可能になる、空中機動の奥義。


 ――残影機動(ミラージュ・シフト)――


「なっ……!!」


 驚愕の声が聞こえた。視界晶の前を通る瞬間、急加速したジュリアスの黒竜は、俺たちに体当たりを仕掛けたはずだった――しかし、俺たちには当たらなかった。


 火精霊の力でバニングの鱗が白熱し、生じた熱で空気の密度が変わる。そしてバニングの身体に当たる光が屈折して、文字通りジュリアスに『蜃気楼』を見せたのだ。


 もちろん精霊の力なくしては、蜃気楼を局所的に発生させることなどできない。スフィアの精霊魔法の精度が高いからこそ可能になる技だ。


 そして火竜は体温が上がることで、瞬時に速力を上げる。俺達がジュリアスの追撃をかわして加速した姿は、しっかりと視界晶に映ったはずだ。


 魔力を纏った渾身の体当たり(チャージ)を交わされた黒竜は、勢いを殺しきれずに視界晶に突っ込みかけるが、急制動をかけて辛うじて回避する。上にかわすと高度の上げすぎで減点になるところだが、ジュリアスの黒竜はすれすれで復帰する。


「まだだ……こんなところで……っ!」


 ジュリアスは引き離されながらも後ろからついてくる。バニングの速力、そして持久力が上回っているため、減速さえしなければ決して追いつかれない距離を保てる。


 黒竜の方が通常の火竜よりは速いが、バニングは通常より三割から五割ほど速い――全ての面で黒竜を圧倒している。


 加速した火竜の巨躯にまとわりつく、粘つくような空気も、風精霊に干渉すれば速度を妨げるものではなくなる。ジュリアスもそういった技術は持っているようだ――精霊魔法や召喚魔法に特化している姉と、同じ系統を学んだのかもしれない。


「――お父さんっ、何か変だよ!」


(あれは……鳥? 岸壁に巣を作ってる鳥が逃げていく……)


 前方には巨大な洞窟があり、河はそこに続いている。洞窟の中に入り、通り抜けるのが今回の騎竜戦の正規ルートだ。


 下見に来たときにも中に入ったが、暗闇の中でも『暗視ナイトビジョン』の魔法を使えば飛行に問題はなかった。バニングは夜目が効かないが、スフィアの視界を念話を介して伝えることができる。


 鳥たちは一斉に飛び立ち、上空へと逃げていく。一体、何が起きているのか――状況を全力で把握しようとする中で、俺は理屈を越えた凶兆を覚え、スフィアに訴えかける。


(――スフィア、止まれ! 地鳴りだ、この辺り一帯が揺れてるんだ!)


「っ……で、でも、お父さんっ、ヴェルお母さんの弟さんが……!」


(止まれ、ジュリアス! 何かがおかしい、このまま進むのは危険だ!)


「どこから聞こえるのだ、この声は……この速力で、今さら止まれるものか!」


 ジュリアスは俺たちを追い抜くことに集中するあまり、周囲の状況が見えていない。洞窟の天井が崩れ、ボロボロと岩の破片が落ちているというのにだ。


「勝てる、勝てるぞ! 見たか、我が黒竜の――」


 俺たちを追い抜く瞬間、ジュリアスが勝ち誇ろうとする。しかし――次の瞬間、洞窟の天井が一気に崩落を始める。


「――うぁぁぁぁぁぁああああっ!!」


 頭上に落ちてきた大岩を回避しきれず、黒竜が激突の衝撃でバランスを崩す。ジュリアスは戻ることもできず、洞窟の奥へと、辛うじて岩をかわしながら入っていく。


 ――これはただの自然現象ではない。おそらくは、何者かが仕組んだものだ。


 ジュリアスの実力なら、崩落に巻き込まれて命を落とすということはないだろう。


「スフィアさん、いけませんっ! 洞窟には――、――ッ!!」


 メルメアの念話が伝わる。洞窟を抜けた先の視界晶を監視しているはずだが、この距離なら辛うじて届く。


 彼女は何かを警告している。おそらく、中には入るなと言っている――しかし。


(必ず無事に脱出する! メルメア、くれぐれも気をつけろ!)


 この崩落を仕組んだ者が近くにいるとして、相当の手練だ。地精霊に干渉したか、それとも――どんな方法を使ったとしても、いずれも相当な実力が必要になる。


「バニングさん、行くよ! 洞窟が完全に埋まっちゃう前に入らなきゃ!」


「――グォォォォアアアアアアッ!」


 バニングの身体全体が炎で包まれる――スフィアは結界を展開して熱を遮断し、俺達は白熱した火球のような姿となる。


(――うぉぉぉぉぉっ……!)


 崩落する岩を回避し、小さな欠片は熱と衝撃で破壊しながら、俺達は鳴動する闇の中へと突っ込んでいった。


   ◆◇◆


 鳴動は今も低く続いている。後ろを振り返れば大量の落石で河はせき止められているが、脱出すること自体はさほど難しくない。


(お父さん、真っ暗だね。あまり下に行くと水についちゃうから、気をつけなきゃ)


(ああ。普通に魔物もいるだろうから気をつけろよ)


(うーん、大丈夫みたい。岩にいっぱい引っかかっちゃっててかわいそうだけど……そのうちお水で岩が流れないかな?)


(水圧を考えると、埋まってもすぐに開通するだろうが、流れは悪くなりそうだな)


 それよりも、まずジュリアスを探すことだ。『暗視』では見通しが悪いので、『明かり(ライティング)』の魔法を使い、幾つもの明かりを飛ばして探知する。


「あ……お父さん、あれって……」


(……驚いたな。前に通ったときは見落としてたが……この洞窟の中に、遺跡迷宮の入口があったのか)


「さっきの地鳴りで、見えるようになったんじゃないのかな?」


(そうかもしれないな。この近くにあるっていう他の遺跡迷宮とは、どうも違うらしい……手付かずに見えるな……おっ、居たぞ。どうやら無事らしいな)


 流れる河のほとりに、人の手が入った石床があり、石柱が並んでいる。その先には、重々しく閉ざされた石の扉がある――この風合いは、王都の地下迷宮にも通じるものがある。


 その石床の上で、傷ついた黒竜の傍らに立ち尽くしているジュリアスの姿がある。俺たちは少し離れたところに着陸すると、彼に近づいた。


「……あ……大変、竜が怪我をしちゃってる! あの、私回復魔法が使えるので、よかったら治療します!」

「まだ試合は終わってはいない。お前たちが先に行き、終着点に辿り着くまではな。なぜここに降りた? 洞窟を抜けるまで、脇目を振る余地などあるまい」

「それとこれとは、話が別です! 事故で怪我をしちゃったんだから、試合よりも、治す方が大事です!」

「私の竜に近づくな。忘れたのか……私とお前たちが敵であることを」

「いいえ、敵じゃないです。みんな、敵だなんて思ってません。ヴェルお母さんだって、勝負をしなきゃいけなくても、ずっとあなたのことを心配していました」


 ジュリアスが目を見開く。ここで明かすと思っていなかったが――彼を説得するにはそれしかないと、スフィアも考えたのだろう。


 鉄仮面を脱ぎ、スフィアが顔を見せる。さらりとした長い髪が広がると、ジュリアスは唇を震わせ、つぶやくように言った。


「……姉上……姉上の、面影が……まさか、本当に……?」

「私は、ヴェルお母さんや、他のみんなの力をもらって生まれた人工精霊です。説明すると大変なんですけど、本当は国で一番竜に乗るのが得意なお父さんの代わりに、頑張って練習してここに来ました」

「……そうか。スフィアという名だったな。それは、姉上がつけた名なのか?」

「お母さんたちが、みんなで決めてくれました。『月』っていう意味があるそうです」


 ジュリアスは何も言わず、傷つきながらも立ち上がろうとしている黒竜の身体を撫でた。


 もはや、彼に戦意は残っていなかった。ヴェルレーヌの特徴――エルフの耳の形を、ある程度引き継いだスフィアの姿。そして彼女の魔力から、姉の力を引き継いでいることを悟ったのだろう。


「……私は回復魔法を使うことができない。この竜の治癒を、頼んでもいいだろうか」

「はい! あ……岩が当たって、翼の骨が折れちゃったんですね。大丈夫ですよ、すぐに治せますから……快癒の光(リカバーライト)


 それは昔、ワイバーンに攻撃されて瀕死の重傷を負った俺に、師匠が使ってくれた魔法だった。


 洞窟の闇の中を、明かり(ライティング)によって生じた小さな光球がふわふわと飛び回る中で、スフィアの両手から生まれた温かな緑の光が、重傷を負った黒竜を癒やしていく。


 クルル、と黒竜が甘えるような声を出す。真っ黒な鱗と、竜族特有の鋭い眼光から、簡単に人に心を許すことはないイメージがあったが、スフィアにはそんなことは関係ない。


「……はい、これで大丈夫。ゆっくり動かしてみて。怖くないよ」


 黒竜が立ち上がり、翼を広げ、ゆっくり羽ばたく。全く問題ないことを確かめると、黒竜は力強くひと声鳴いた。


「……見事だ。姉上は、そこまで回復魔法は熟練していなかったはずだが……アルベインには、優秀な回復魔法士がいるのだな」

「はい、お父さんと、リムお母さんが凄く得意です」


 実を言うと、回復魔法の才能という意味では、神聖魔力において並ぶ者のいないユマが最も優れているのだが――彼女は未だに力を使いこなせていないので、浄化以外を習得するには何かきっかけが必要だろう。そんなことになったら、彼女個人で『S4』に達してしまうだろうが。


「母が複数いるというのは、スフィア殿の父君が、多くの妻君を持たれているということか? 姉上がその一人というのは、弟として思うところもあるのだが」

「そうなるかもしれないですし、そうなってほしいなと私は思うんですけど……お父さんならきっと、みんなを悲しませないでくれると思います」

「……そうか。仮にも魔王を娶ろうという者が、王の器を持っているだろうことは想像に難くない。さぞ覇気に溢れた、威風堂々たる御仁なのだろうな」


(お父さん、認めてもらえたね。これで、ヴェルお母さんも安心するんじゃないかな?)


(俺はジュリアスの想像通りの人物では全くないが……まあ、悪く思われてるわけじゃなさそうだな)


 急速に素直になったジュリアスを見ていると、本当に同一人物かと思うほどだ。


 ――それよりも、親の贔屓目かもしれないが。スフィアが素顔を見せたときからジュリアスが何というか、うちの娘を意識している気がする。


(えっ……そうなの? お父さん、そういうのってどうしたらわかるの?)


 スフィアに宿っているので、スフィアに送られる熱視線をそのまま感じ取ってしまう。そういう事情でも、少年に熱い視線を向けられるのは、なんとも申し訳ない気分だ。中に俺がいると知っていたら、そんな目では見ないだろう。


「……スフィア殿、すでに観戦している人々は、この事態を察知しているだろう。この勝負を無効と考える者も出てくるだろうが、どうかこの洞窟を出たあと、最後まで私と競ってもらいたい。勝ち目はなくとも、私の挑んだ戦いだ。負けるなら、しっかりと負けたい」

「はい……分かりました。でも、逆転できるかもしれないですよ?」


 負けるつもりはなくとも、スフィアは相手を慮る。ジュリアスは苦笑し、バニングを見やって言った。


「あの竜は素晴らしい。私の黒竜が、これまでの戦いで敬服してしまったほどだ。雌の竜は、強い雄の竜に恭順する習性がある。強い子孫を残すための本能としてな」

「あ、あの……バニングさんは、奥さんとお子さんがいるので……」

「分かっている、私は自分の黒竜に見合う竜を探さねばならん。あの竜を育てた者に力を借りられればと思うのだが……今までの無礼を考えれば、あまりに虫が良すぎるか」

「えっと、大丈夫だと思います。国同士のお付き合いがしっかりできたら、そちらの国の技術との交換になりますけど、文化と技術の交流がしたいそうです」


 俺からスフィアに話す内容を伝えているので伝聞系になるが、ジュリアスは訝しむこともなく、ただ感激していた。


「そういった方針を考えているのは、クラウス王か? それとも……」

「それは、秘密にさせておいてください」

「そうか。分かった、今は聞かずにおこう。それよりも、姉上のことだが……公の場で姿を見せると、アルベインで暮らし続けることは難しくなるのではないか?」

「お母さんは、普段は魔王様だったときとは違うかっこうをしてるので、大丈夫です」


 肌の色、髪の色、そして装備。白エルフのメイドと、魔王ヴェルレーヌは全てにおいて違い、今まで一度も気づかれることがなかった。


 今回ジュリアスやみんなの前に姿を見せるのは、魔王の姿だ。そして、それが終われば元のメイド姿に戻る――その姿こそが、俺のギルドの仲間としての『ヴェルレーヌ』だ。

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