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第101話 騎竜戦と渓谷の魔物

 転移魔法陣に用いられる転移結晶は、師匠の話によると星の遺物(ステラファクト)と呼ばれる、古代の遺産だ。


 一般的にも転移魔法陣の存在は認知されており、魔法陣を起動できる者が不可欠ではあるが、誰でも利用することが可能である。


 クラウス王、マナリナを始めとした王族――今まで姿を見たことのない分家の当主も含めた十数人の一行は、コーディの率いる騎士団の精鋭によって護衛され、北方渓谷の観測所に設けられた、アルベイン側の観客席に入った。


 両側を断崖絶壁に挟まれた渓谷。その崖の上には森林が広がっているが、観測所の周りだけは人の手で拓かれていると一目で分かる。


 かつて森林を拓いて、この石造りの観測所が作られた。北方渓谷に生息する魔物の動向を調べるために作られたということだ。


 観測所の近く、草に覆われた部分に降り立つ。遅れて降りてきたジュリアスは、降下速度で敗れたことを気にしているようだった。


「……一体、どんな訓練を……いや、アルベインの火竜が元々、降下が速いのか……」

「体格が大きく、翼の形状も影響しているのでしょう。飛行速度では黒竜に分があります」

「そうでなくても、私の手でなんとかする。騎乗者は飾りではない」


 黒褐色の肌に紫の髪を持つ少年王は、すぐに気を取り直すと、近衛騎士たちを従えて観測所に入っていく。スフィアも槍を背中に背負った鞘にしまい、観測所の外に出てきていたミラルカ、アイリーン、ユマのところに向かった。


 周りに誰もいないことを確認して、アイリーンはスフィア――というより、彼女に宿る俺に話しかけてくる。


「ディック、スフィアちゃん、お疲れ様。一つ気になってたんだけど、竜ごと転移しちゃいけなかったの?」


(できなくはないが、飛んで行っても余裕で間に合うからな。肩慣らしは重要だ)


「お父さんは、できるだけバニングさんが普通の火竜じゃないっていうことは王様に見せたくないみたいです」

「向こうも貴族階級……六魔公だったかしら。彼らを連れてきているし、アルベイン側も公爵家、それと宰相まで出てきているわ。試合の結果を見て、変に向こうの態度が硬化しないといいのだけど」


 ミラルカとアイリーンは念のためということか、戦闘になっても対応できるような服装で来ていた。ユマも正装として司祭の服を着ていて、こちらも見ていて気持ちが引き締まる。


「皆さんは互いの理解を深めるため、そして溝を埋めるためにここにいらっしゃったのです。神は国境を越え、全ての生命に分け隔てなく慈しみの目を向けています」


(その考えを、エルセイン側にもぜひ分かってもらいたいところだ)


「あ……ディックさんが、私の教えに同意してくれるなんて……ああ、早くディックさんの魂を、元の器に戻してさしあげたい……」

「ユマにはディックの魂が見えているのね……どんな風に見えるの?」

「ディックさんが、スフィアさんを常に守っているお姿が見えます」


 背後霊か何かか、と茶化したくなる。自分でも過保護なところはあると思うので、常に守っていると言われると気恥ずかしい。


「ヴェルレーヌさんはあとから来るって。最初から姿を見せると、弟さんが動揺しそうだからって言ってた。それに、リムセさん一人だと、『いざというとき』に手が足りないしね。シェリーさんも残ってるけど、きっとあとで来てくれるよ」


(いざというとき……それは、もうすぐ元の身体に戻れるってことか。俺も身体の感覚を忘れる前に戻りたいからな)


「お父さん、良かったね。寂しいけど、お父さんが元に戻らないと、お母さんたちがずっと寝れなくなっちゃうから」

「そ、そんな心配はいいのよ……三時間も寝ていれば、体調には影響がないわ」

「え、それって短すぎない? あたし、六時間は寝ちゃってるけど……いつもは九時間くらい寝てるけどね」

「たくさんお休みされているので、アイリーンさんは……い、いえ、気にしてはいないのですが、私も身長が高かったら、スフィアさんのお母さんとして、もっと色々できたかなって思ってしまいます」


 ユマとスフィアはあまり身長に差がない――さすがにユマの方が少し背が高いのだが、スフィアは生まれて幾らも経たないのにわずかに成長の兆しを見せているので、すぐ追いついてしまいそうだ。


「私はユマお母さんに撫でてもらったり、優しい声で子守唄を歌ってもらったりするの、すごく好きです」

「っ……わ、私も……スフィアさんにお母さんらしいことをできると、凄く嬉しいです。娘というより、妹みたいですが……抱きしめてもいいですか?」

「は、はい……ふぁぁ、いい匂い……」


 少女同士が抱き合っているようにしか見えないが、母と娘なのである。そして俺も抱きしめられているわけだが、ユマの抱擁力は、将来教母と呼ばれるだろう人物の懐の深さ、深すぎる慈悲を感じさせる。


 ――だが彼女の頭の中は、わりと背徳的にも感じるほど、魂に触れることの『法悦』というものでいっぱいである。


(ああ……スフィアさんと、その後ろにいらっしゃるディックさんの魂の波長が混ざり合い、私と触れ合って生まれる、この何にも代えがたいあたたかさ。私の魔力とディックさん、そして皆さんの魔力がひとつになって生まれたこのあたらしい魂の強い輝きの、何と尊いことか。神よ、この巡り合わせと、新たな生命を生み出された奇跡に感謝いたします。そして願わくば、いつか私たちとディックさんの魂の触れ合いによって、再び……)


「あの、ユマちゃん? 嬉しい気持ちはわかるけど、ちょっといけない感じになっちゃってない?」

「……はっ……す、すみません。私、つい嬉しくて、幸せな気持ちに浸ってしまいました」

「いつも孤児院のことで大変で、スフィアと会う機会が少ないものね。貴重な機会だから、沢山可愛がってあげなさい」

「はい♪ ミラルカさんもお母さんですから、仲良ししましょう」

「ミラルカはそういうの恥ずかしがるけどね。実は一番お母さんに向いてそうだけど」

「勉強を教えるのは、他のみんなより得意だとは思うけれど……アイリーンは運動を教えるのが得意そうね。ユマはあまり教えない方が良さそうだけど」

「教えなくても伝わりますので、これからもいっぱい抱きしめます♪」


 ユマは俺に思考が伝わっていることを失念しているのか――何か、とんでもない考えに行き着いてた気がしなくもない。


 しかしユマだけでなく、ミラルカとアイリーンも順番にスフィアとハグをする。普通に抱きしめられたことがない相手に抱きしめられると、俺としては多分に動揺するのだが――スフィアは俺の動揺を楽しんでいるわりに、あえて何も言わなかったりするのだった。娘の情緒が成長しすぎて、父としては嬉しさ半分、戸惑いも半分だ。


   ◆◇◆


 観測所に設けられた観客席。そこには、渓谷の各所に設置された『視界晶』に映った光景を、そのまま映し出す『幻燈晶』が設置されている。


 かなり高度な魔道具の技術が使われているが、いずれも近隣の遺跡迷宮から出土した品らしい。時間に余裕があれば迷宮に潜りたいところだが、当面は時間が作れそうにないのが惜しいところだ。


(お父さん、私も一緒に迷宮に行きたい!)


(そうだな、また落ち着いてから潜るか。マナリナから『王家のしるし』というのを貰ってるから、遺跡迷宮の深部に入れるはずだ)


(マナリナ王女さまも、私のお母さんになりたかったって言ってくれたよ)


(そ、そうか……)


 色々と飛び越えて母になりたいというのは、想像力を悪戯に刺激されてしまう。しかし実際にそうしてやろうか、と言おうものなら俺の居場所は王都になくなってしまうだろう。


(そうなの? 王女さまをお母さんにしたら、お父さんは怒られちゃうの?)


(精神的な意味なら問題はないんだが……)


(せいしんてき? せいしんてきじゃない意味ってなに? お父さん、教えて?)


 この『質問体勢』になると、スフィアは教えるまで一歩も引かない。俺は社会的な教育を施すつもりで、出来る限り淡々と教えることにした。


(母親の気持ちになったりするわけじゃなくて、実際にマナリナが母親になると、生まれた子供は国王候補になるだろ。それはとても大変なことなんだ)


(ふぇぇ……じゃあ、私は王様のお姉ちゃんになっちゃうの?)


(ま、まあ例えだからな。お父さんがマナリナ王女に何か良からぬことを考えているわけじゃないぞ、それはしっかり覚えておくんだ)


(よからぬこと? よからぬことって、)


(ま、待て! それは本当にその、もう少し待ってもらってだな……!)


「エルセイン国王陛下、アルベイン国王に代わりまして、騎士団長と近衛隊長を兼ねさせていただいております、コーディ=エルステッドが挨拶をさせていただきます」


 スフィアが質問体勢に入りかけたとき、観客席の国王を護衛しているコーディが席を立ち、試合前の挨拶を始めた。『エルステッド』とはコーディが男装しているときに名乗っている家名なのだが、これは母親が改姓する前の姓だという。


 宰相のロウェもいるが、彼は『蛇』討伐において自分の保身を考え、師匠を審問にかけて利用した嫌疑が明るみに出て、今は公の場で発言する権限を失っていた。今は国王にとって最も信頼が篤いのは、『蛇』を討った魔王討伐隊の面々なのだ。


 魔王国側で挨拶に立ったのは――銀色の髪と、青と金色の瞳を持つ青年だった。

 おそらくは、六魔公の一人。その魔力は、ベアトリスに近いものを感じさせる――間違いなくベアトリスの近縁者だ。


「私はエルセイン王国公爵、アシュトル=ファリドという者だ。本日の騎竜戦は、両国の国交において、再度友好と、両国の立場を確認する機会と考えている。アルベイン代表の方も力を尽くされることを期待するが、ジュリアス陛下が勝利を収められた暁には、前王ヴェルレーヌ陛下の所在について、速やかに開示していただきたい」


 ――アルベイン側の観戦席がざわつく。クラウス陛下はそれをすぐに制するが、エルセイン側もやってくれたものだ。


 自国の王が負ける前提で話すわけにもいかないのだろうが、一言目から勝った場合の要求とは、アルベインを下に見ていると受け取られても仕方がない。そして、俺たちが魔王を隠しているような言い方も、引っかかるものはある。


(アシュトルおじさんは、負けず嫌いなのかな? お父さんがエルセインに行った時は、会わなかったんだよね)


(六魔公が魔王城に集結しないように、各地を転戦してから魔王城に向かったからな)


 戦えずして戦に敗れた六魔公たちは、無念を抱いていてもおかしくはない。あえて、ヴェルレーヌにエルセインの内情を確認することはなかったが、それもやはり甘かっただろうか。


 しかしベアトリスの父親かもしれない人物なので、むやみに敵対するつもりもない。もしや、ベアトリスが召喚されて自分の元を離れたことについて、アルベインに敵意を抱いていたりしないだろうか。


(あとでヴェルお母さんが来てくれたときに、ベアトリスお姉さんを呼べばいいんじゃないかな?)


(それだ。スフィア、俺の考えの先回りをするようになってきたな)


(えへへ……だってお父さんといつも一緒だもん)


 鉄仮面を押さえて照れるスフィア。うちの娘はもしかしなくても、世界で一番可愛いのではないだろうか。鉄仮面を外せばさらに可愛らしいのだが。


 アシュトル公爵の発言による動揺がなかなか収まらないので、クラウス陛下は直々に席を立つ。このときはさすがに、両国の誰もが微動だにせず耳を傾けた。


「貴国の前女王は、我が国の若き冒険者たちによって五年前に戦いに敗れた。それから我々は停戦しているが、両国の民の種族が違うこともあり、国交が緊密にできているとは言いがたい。今日の騎竜戦は『ジュリアス王からの決闘の申し込み』を発端としているが、私はアシュトル公爵の言うとおり、友好を築く一歩として前向きに捉えたいと思っている。それについてジュリアス陛下のお考えを伺いたい。前女王は試合の後でこの場に姿を現す、それは約束させていただく。だがそれは『奪還』ではなく、隣国訪問からの帰還だと考えてもらいたい」


 エルセイン側が敗戦国の立場であることを忘れた振る舞いをすれば、アルベイン側はわだかまりを残すことになる。その部分を確認した上で、クラウス陛下はヴェルレーヌの扱いについて言及した。


 座していたジュリアスもまた席を立つ。そして周囲を見回し、ヴェルレーヌの不在を確認してから、クラウス陛下を真っ直ぐに見据えて言った。


「王位を退いた者が、どのように行動しようとそれを束縛する法は我が国にはない。だが、ヴェルレーヌ=エルセインはエルセイン王国にとって、未だ最強の戦力であることに変わりはないのだ。その彼女がアルベインに身を置くことは、それだけで我が国にとって損害となる」

「それは、エルセインが戦時に置かれているならばそうだ。ヴェルレーヌ女王が築いた安定が続いているのであれば、彼女を『戦力』と見なすのは適切ではあるまい」

「そちら側の解釈で片付けないでもらおう。前王は、我が国にとって必要な存在なのだ」

「……我が国は、ヴェルレーヌ殿が滞在している件について、それを政治的に利用しようと考えてはいない。彼女が何らかの意図を持って来たのだとして、それを悪意によるものであると考えてはいない。我が国で最も信頼できる人物の元に逗留しているというのは、明言させていただこう」


 ヴェルレーヌが俺のギルドにいる件については、今日という日を迎える前に陛下に話してある。


 俺のところにヴェルレーヌがいると知っても、クラウス陛下はただ感服するだけで、何か考えがあってのことだろうと容認してくれた。


 ここに来てからのヴェルレーヌの振る舞いについて詳しく話したわけではないが、魔王として恐れられた彼女が酒場の店主をして、一人の女性として日々を暮らしていることを知ったら、この場にいる人々はどんな感想を抱くのだろう。


(みんなびっくりしちゃって、弟さんは戦う気がなくなっちゃうんじゃないかな)


(……そうか? あいつには骨があると思うぞ。ただ魔王の弟だからってだけで、後を継いだわけじゃない)


(お父さんの気持ち、弟さんにもきっと伝わるよ。私たちが勝ったら)


 そうだといい。現状では、ジュリアスは意地になってしまっている――それほどに、ヴェルレーヌを慕っているということだろう。


 あれほど強い姉がいたら、それは憧れても無理はない。俺の前で見せる彼女の気を楽にした姿を、おそらくエルセインの民は知らないのだ。


 だが、それは今後も伏せさせてもらいたい。魔王が俺たちに見せる一個人としての姿は、それこそ公にする必要のないプライベートというやつだ。


「いずれにせよ、そちらは勝負を受けたのだから、私が勝った暁には約束は果たしてもらう。何を言われようと、それをここで覆すつもりはないぞ」

「それについては異存はない。私たちが貴国の先王に不当な扱いをしてはいないこと、拘束していないことを表明しておきたかったのだ」

「それでは、これより試合を始めさせていただきます。両選手には、アルベインとエルセインにまたがる北方渓谷を、規定の三つの位置にある視界晶に映るように飛行してもらいます。高度を渓谷の岸壁上端より上げた選手は大きく減点となります。戦闘行為については殺傷目的でなく、進行方向を確保するために行うものであれば許可されます。もし落竜が発生した場合、その選手は失格となります」


 コーディが流暢にルールを説明する。観測所に入ってから、エルセイン側と話して詰めていた内容だ。


「渓谷に魔物が出現した場合、これを撃退すると評価点を加算します。必ずしも倒す必要はありません。先に終着地点に到達した者が必ず勝利というわけではなく、途中の戦闘内容についても両国で審議します」


 つまり、視界晶に映るところでどれだけ空戦の実力を見せるかというのも重要になる。タイミングが悪ければ皆に見えないところで魔物に阻まれ、無駄に時間をロスすることもあるわけだ。


 下見のときは『隠密(ハイディング)』と隠密ザクロを使って気配を消していたが、渓谷に住む有翼系の魔物は非常に獰猛に見えた。気配を消さずに飛べば、まず攻撃してくるだろう。


 コーディがルール説明をしたあと、エルセイン側の観戦席を警備していたイリーナが、近衛騎士を代表して前に出た。


「では、両選手は竜にご騎乗ください。開始時刻になったら私が笛を吹きますので、各自開始地点の視界晶を通過し、試合開始とします」

「了解した」


 ジュリアスが短く返答して席を立ち、退出する。スフィアは皆の前では頷きを返すだけで、あえて声を出さなかった。


「アルベインに、あのような若い騎竜士が……ロウェ殿、陛下は騎竜士団を作られるおつもりか?」

「い、いえ……陛下のご意向については、私は何も……」

「では、誰が騎竜戦に備えて準備をしていたというのだ。知らぬでは済まぬだろう」


 ロウェは現在失脚寸前なのだが、それについては俺は何も干渉するつもりがない。観戦に連れてこられても、他の貴族から突き上げを食らうだけで針の筵だろうが、それくらいは俺たちを手のひらの上で操ろうとした罰として、甘んじて受けてもらいたい。


 スフィアと共に外に出る前に、ミラルカが席を立ってこちらにやってくる。ロウェはミラルカのことを気にしているが、その視線に当のミラルカも気がついているようだった。


「何か、宰相が私のことを見てくるのだけど……あなた、理由を知っている?」


(知っているといえばそうだが、その話は後でゆっくりしよう。今は試合に集中したい)


「え、ええ……そうね。ごめんなさい、引き止めたりして。スフィア、手加減は一切必要ないわ。思い切りやりなさい」

「はい! 見ててね、ミラルカおか……お姉ちゃん!」


 ここで『ミラルカお母さん』などと言おうものなら、ロウェの精神が崩壊しかねない。今でもミラルカに執心しているようだが、それは残念ながら届かないとは言っておきたい。


 俺の大事な仲間を、簡単によその男にはやれない。もしまだロウェが執着を続けるようなら、俺は偽装も何もなく、ただのディック=シルバーとして、ロウェに警告する。


(ミラルカお母さんはすてきだから、色んな人が好きになっちゃうんだね)


(……『可憐なる』災厄だからな。王国の多くの人々が、認めてるわけだ……その、美人だってことをな)


 俺はどう思っているのかと、スフィアは聞かなかった。だんだん、俺の弱いところを突かなくなってきてくれて、とても優しい子に育ってくれていると思う。


 スフィアはバニングに乗ると渓谷に向かって飛ぶ。イリーナたちは設置された視界晶の近くで俺たちの試合を見守るらしく、すでに配置についていた。


 太陽が空の中心に差しかかる。俺はスフィアに指示を出し、最高速度で開始地点を通過するべく、加速する距離を取るために一時旋回して後退した――ジュリアスも同じことを考えており、俺たちは数秒前から加速を始める。


 二頭の竜が力強く羽ばたく。そして、イリーナは笛を吹く――その音色のさなか、俺たちは同時に、渓谷の岸壁に埋め込まれた視界晶の前を通り過ぎた。


 はるか眼下に流れる激流。眼前の水中から、翼の生えたような巨大な魚が何匹も飛び出し、こちらに向かって飛んでくる――戦闘評価としてはBランク程度。俺たちの相手ではないが、隊列を組んで飛んでくるので、回り込むよりは倒した方が速い。


「――いくよ、バニングさん! 『閃火の息レーザーブレス』!」


「――闇雷弾(カオシック・ヴォルト)ッ!」


 俺たちとジュリアスの判断は同じだった――だが、一つ違っていたのは。


「何だ……何なのだ、その竜は……っ!」


 ジュリアスの黒竜が放つ黒い雷は、二体の魚だけを撃墜し、黒竜は他の魚を回避する軌道を取る――しかしバニングの閃火の息は、いくつにも分かれて光の軌道を残しながら走り、魚の編隊全てを射抜いて撃ち落とした。失速などかけらもなく、ジュリアスを簡単に置き去りにする。


「まだまだこれからだよ……バニングさんは、速くて強くてすごいんだから!」

「くっ……始まったばかりで、勝ったつもりか!」


 まだジュリアスは折れてはいない。そして彼の言うとおり、まだ試合は始まったばかりだ。

 

 次の視界晶の前を通過するまで、体感で三分ほど。速度のロスを最低限にし、どれだけ全速を保てるかで勝負が決まる。


 ――そして魔物だけでなく、ジュリアスも前方を阻んでブロックしている俺たちに攻撃を仕掛けようとしている。


(スフィア、仕掛けてきたら『あれ』をやるぞ。練習通りにやれば、必ず成功する!)


(うん! お父さん、見ててね!)


 風精霊の力を借り、速度を落とさずに水平回避機動を行う『疾風機動(ウィンドシフト)』。俺たちが主に練習した技だが、空中機動はそれだけで終わりではない。


 魔物を撃墜しながら飛ぶ間も、後ろからの気配は大きく離れることはない。しかし俺もスフィアも、追い抜かせてやる気はなかった――最初から最後まで、ジュリアスの背中を見るつもりなど無いのだから。


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