プロローグ 忘却の五人目
「自分が魔王を倒す勇者になれたら」と思うことは、誰でも一度くらいはあるだろう。
しかしそれは、宝籤を引いて一等を当てるくらいに難しい。
魔王のところに誰よりも早くたどり着き、魔王を倒して無事に帰らなくてはいけない。わりと魔王がいる場所はハードな環境だから、帰る途中に死んでしまって、死後に英雄になるやつもいる。
例え無事に帰れたとしても、魔王を倒した勇者は、魔王以上の力を持っているわけだから、勝手に恐れる奴らも出てくる。
魔王を倒した勇者と認められ、栄華の極みを手に入れたとしても、うまく立ち回らないとあとが面倒だ。
それならば、どうすればいいのか。俺は魔王を倒す前から、そんな心配ばかりをしていた。
臆病と言われようが、せっかく魔王討伐の一行に加われたのだから、できるだけリスクを減らして大きなリターンが欲しいに決まっている。
栄華の極みなんてものは必要ない。俺はひっそりと目立たず、欲しいものを手に入れられればそれでいい。
そのためには魔王を討伐するまでの過程においても、花型となる前衛などはやらずに、後衛に徹するべきだ。むしろアドバイザーくらいがちょうどいい。
――俺は決して勇者パーティの一員などではなく、勇者が魔王を倒すために協力しただけの、傍観者になりたい。魔王を倒すまで、そう思い続けていた。
◆◇◆
魔王を倒すために必要な強さとは、端的に言ってしまえば、冒険者ギルドでSSSランクと認められる強さがあればよい。
このグランガルムという世界、アルベイン王国においては、ギルドに所属する冒険者の強さを厳正に測ることができる。体力、魔力、持っている技術、その他人脈などを加味して強さを『冒険者強度』として数値化し、それが10万を超えている人間ならば、SSSランクの冒険者と認められるという寸法だ。
若くしてそんな力を持っている人間は滅多に現れないし、王国の歴史の中で、SSSランクの冒険者自体がほとんど空席のままだった。
しかし、俺たちの世代は例外だった。『求む! 魔王討伐』という名目で出された依頼に応募してきた弱冠十歳前後の少年少女、その『奇跡の子どもたち』は、それぞれに神が与えたとしか言いようのないありあまる天賦を持って生まれ、その才を磨き、純粋な強さだけでギルド基準における強度10万を達成していたのだ。
彼ら奇跡の五人には、その個性に応じて二つ名がついている。
『輝ける光剣・コーディ』
『可憐なる災厄・ミラルカ』
『沈黙の鎮魂者・ユマ』
『妖艶にして鬼神・アイリーン』
そして俺――一応強度10万を超えているが、影の薄い存在であった俺は、『忘却のなんとか』と呼ばれていた。二つ名をつけようと思ったなら調べるくらいしてほしいのだが、俺の名はディック・シルバーという。
そんな強度10万超えの驚異的ルーキーだった彼らだが、わかりやすい弱点があった。
それは、脳筋であるということだ。全員が全員、天然で強すぎるがゆえに、勝つための作戦を考えるということを苦手としていたのだ。
コーディはどんな厄介な特殊攻撃を持っている相手でも、名乗りを上げてからでないと剣を交えないという馬鹿正直な少年だった。他の三人の少女たちも、並みの男では近づく前に腰を抜かすレベルの強さなのだが、それぞれ性格に難があり、最初は魔王討伐隊を結成しても、まるでパーティとしての機能を成さなかった。
そんなパーティを統括する役割を与えられたのが、四人とバランス良く付き合うことのできた俺である。
他の四人に策を与え、その力を生かす。自分は先陣切って戦わず、ほかの四人を戦わせて楽をしていた――と言えなくもない。実際、俺は近接戦闘ではコーディとアイリーンには勝てないし、攻撃魔法・神聖魔法においてはミラルカとユマには及ばない。それゆえに、適材適所であったとはいえる。俺の能力値は、『奇跡の子どもたち』の中においては器用貧乏であったと言っていい。
そんなこんなで、俺は4人の仲間たちを指揮して、あっさりと魔王の元にたどり着いた。
ミラルカは得意の殲滅魔法で魔王を攻め立て、ユマは魔王が呼び出す死霊を片っ端から鎮魂して天国に送り、アイリーンは『鬼神』に変化して魔王を肉弾戦で圧倒し――最後はコーディが光剣で魔王を討った。
俺は彼らに作戦を指示し、能力強化の魔法をかけてやり、あとは戦いを傍観していた。みんな個人の戦闘力は図抜けているが、他人をバックアップする能力を全く持たない。鎮魂の力を持つ上位僧侶のユマですら、回復や防御の魔法を習得していないというありさまだった。魔王もさるもので、まともに当たればSSSランク冒険者の手足を吹き飛ばすくらいの攻撃を持っていたから、俺の強化魔法をかけないと死人が出ていたかもしれない。まあ、そうならなかったので良しとしよう。
あくまでバックアップに徹した俺は自分の影が薄いことを気にしてはいたが、それは狙っていたことでもあった。魔王討伐隊の末席にいたという事実によってある程度の功績を得られるが、俺がどんなふうに貢献したかなどは、決して広く知られたくない。『みんなを強化して補助した』と伝わろうが、後ろで応援していたのだな、としか思わない人間は多いだろうと考えたわけだ。
「くっ……私に膝をつかせるとは。人間よ、その力を認めよう」
「本当か? もう、悪さをしないと約束するのなら、ここは見逃してやろう。二度と人間を脅かさないよう、魔王の領地から出ることは許さない」
「領地をそのまま残すというのか……? 甘い男だ。それとも魔物が踏み荒らした地など必要ないか」
「誰にだって生きていくために必要な場所がある。僕はそう思うだけだ」
コーディは血まみれになって死闘を演じていたというのに、そんなことを爽やかに言った。俺としては早く出血を何とかしろと言いたいが、回復できるやつが俺しかいない。できれば魔王の城に来るまでの道中で、回復専門のメンバーを参入させておきたかった――というのは今は置いておこう。『癒しの光』を詠唱し、コーディをさりげなく回復してやる。
「ふん……人間よ、今は貴様らに屈しても、光あるところに必ず闇が生まれ、必ずや魔の力が再び人間の世界を覆い尽くして……」
「そういうのいいから。魔王を倒した証拠になるものを渡しなさい。そうじゃないと、身ぐるみを剥がして持って行くわよ」
「ひぃっ……!」
『可憐なる災厄』と呼ばれるだけあって、ミラルカは脅し文句を言っている姿すら可憐である。まったくくせのない金色の髪に、意志の強い大きな瞳。まだ11歳で、俺より2つ年下だが、彼女はまったく意に介していない――自分の容姿と実力に、絶対の自信を持っているので、年齢差は関係ないとは本人の弁だ。
その性格は見てのとおり苛烈で、わりと容赦がない。肌の黒い美女――ダークエルフに近い姿をしている魔王の服を引っ張って剥ぎ取ろうとするので、魔王が悲鳴を上げていた。
「魔王の魂ってどんなふうなのか、鎮魂してみたかったんですけど……ちょっぴり残念ですね」
「そ、それは……殺生が前提になってるぞ。僧侶が言うことじゃないだろ」
「ええ、どうしてですか? 私はこの世全ての魂を慰めてさしあげたいんです。ディックさんの魂も……」
ユマはクレイジーサイコプリーストのように見えるが、単に『鎮魂フェチ』なだけである。この天才僧侶はまだ9歳で、俺たちのパーティの中で最年少だが、幼くして何をどうこじらせたのか今でも気になるところではある。「僧侶とはそういうものです」と言っていたが、違う気がしてならない。
「ねー、それでどうするの? 魔王を倒したって証拠は……その首にかかってるペンダントとか?」
待ちくたびれたという顔で、赤髪の武闘家少女――アイリーンが言う。人間と鬼族のハーフである彼女は、人間より成長が早く、12歳にしてすでに大人のようなスタイルをしている。自ら「ばいんばいん」と称する胸は、二十才前後の容姿をしている魔王と比べても遜色が無い豊かさで、俺の少年心を時折惑わしてくれる……とそれはさておき。
コーディは魔王の首元を見て、ペンダントを見つける。その顔が目に見えて赤くなり、挙動がおかしくなった。
「ぺ、ペンダントか……ディック、取ってくれ」
「何をびびってるんだ、お前は……むっ……?」
魔王はボンデージみたいな衣装を着ていて、バストの上部分が覆われていない。その豊満な谷間に、ペンダントが入り込んでいた。
コーディは女性に全く免疫がない――といっても、13歳という年齢からいって普通といえば普通なのだが、女性の色気というのに非常に弱い。一方俺は、この胸に熱くたぎる気持ちを抱いているので、胸の谷間からペンダントをサルベージすることなど、わりと進んでやらせてもらいたい側の人間だった。
「んっ……そ、その護符を奪うというのか……それがなくては、私の属性耐性や、自動回復能力などがなくなってしまうではないか……並みの人間が装備すると呪われるし、持っているだけで生命を吸われるがな……」
「ほう……それはなかなか……」
魔王が解説してくれる間も、俺はするするとヒモを引っ張っていく――すると、金の飾りが出てきた。魔法陣を象ったような簡素なものだが、溢れる魔力は尋常ではない。
「そんなエッチな目で魔王を見るなんて最低……この変態。変態ディック」
「あはは、ミラルカヤキモチ焼いてる。心配しなくても、そのうち大きくなるって。あたしみたいに♪」
「わ、わたしは、別に気にしてなんて……」
ミラルカは俺を見ると、きっと睨みつけてからそっぽを向いてしまった。黙っていれば可憐でも、彼女は男勝りで気が強い性格なのだ――もうすっかり慣れたが。
それよりも、今は護符だ。バストの谷間によって人肌――もとい、魔王肌のぬくもりが残ったこのペンダントを、外して持ち帰らなければ。
「装備しなければ呪われないわけだし、魔王の護符はもらっていくぞ」
「む……わ、わかった。おとなしくしていれば、返してもらえるのだな?」
「約束はできないけど、そうだな……5年くらいしたら取りに来てくれ。そのとき、まだ俺の言いつけを守ってたら、護符を返してやる」
「……まだ子供と侮っていたが、なかなかの胆力の持ち主だな。若き勇者よ、名を何という?」
「さっきも言われてたけど、ディックだ。ディック・シルバー。忘れてもいいが、できれば覚えててくれ。そうじゃないと護符を渡せない」
俺は魔王の護符を受け取る――並みの人間では呪われるというが、俺の実力でもその力を抑えこむことができた。これを装備したら魔王になれるのでは、と思わなくもないが、そんなことは目的としていない。
――そうだ、それと、もう一つ言うのを忘れていた。
「あと、俺は勇者じゃない。勇者はこのコーディだ。俺は、みんなについてきただけだよ」
「っ……そ、そのような……なぜ、そこまで謙遜するのだ。どう見ても、この一行の中心にいるのは……」
俺は魔王の言葉を最後まで聞かずに、魔王城を後にした。生き残っていた魔物たちは、俺たちを見ても、誰も手を出してくることはなかった。