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理想の女性

 僕は帰路を急ぐことにした。本当だったら、一緒に事情聴取とかを受けるのが筋なんだろうけれど、一体どう説明しろというのだろう。巡り巡って、自分の家が新興宗教やってますということを説明しなければいけなくなるのは絶対に避けたい。奴の姿は、おじさんも見ていたはずなので、その供述で僕がいないことで不足する情報はないだろうし、とりあえず家に帰らなければ。

 僕は、女装をした姿のまま、爆走していた。むっちゃ早い。これなら早く帰れる。風圧が、激しくスカートを揺らし、レースが生き物のようにバタバタと暴れる。でも、途中まで来たら、すぐに変身を解除することにする。だって、これ女装しているし、もう女装はこりごりだし、この姿のまま知り合いにあったら凄い嫌だし、この格好はちょっとファンシー過ぎるでしょうってことで、すぐに戻らなきゃいけない。あれ、戻り方は? 僕は、最初に変身したときの言葉を叫んだ。

ばしゅっ、と気の抜けたような音とともに、僕の姿は元に戻る。走っている途中で急に戻ったので、アスファルトの上を、二、三回もんどりを打って、ようやく止まることが出来た。

 急に戻るのは危険だ、という知見が得られた。まぁ、もう二度と変身する機会はないと思うけれど。

変身を解除するときあのどこか懐かしい一連のセリフをおもいっきり叫んだので、うるせー!、と一軒家の窓から怒られた。申し訳ない。しかし、こっぱずかしいので、ちょっと力まずには言えない掛け声なのだ。僕はとぼとぼと帰りながら、さっきのことを振り返った。

ついさっきまで僕を襲っていた恐ろしい出来事を。

そして、教典のことを。

服は、変身する前のものにちゃんと戻っていることを確認した。まるで夢でも見ていたような出来事だったけれど、夢じゃない。裸の王様みたいに、ありもしない服を着ているつもりになっていたわけでもない。

実は全てが幻覚だったのだ、と片付けるには、あまりにリアルな現実感が胸を締め付けていた。

僕は家に帰る。帰りが遅くなってしまった。裏口のドアをがらがらと開けて、ただいま、と言うと、母さんが出てきた。

「遅かったじゃない、何かあったの?」

 と、心配されてしまった。ふと、僕はいつもの家に帰って来たのだと思って気が抜けて、安心した。

「いや、ごめん、ちょっと居残りで勉強がおそくなっちゃっただけなんだ、今度から気を付けるよ」

 と、心配させない嘘をついた。

お風呂に入ってから、水を飲んで、歯を磨いて、消灯して、布団に入って、ぐっすりと眠る。

深い眠りに入っていきながら、僕は、玲子先輩のあの怯えている目が何に似ていたのか思い出していた。あれは、あったばかりのカスミさんに似ているのだ。カスミさんの母親が首を吊って自殺をして、母親を失ったときのカスミさんに……。



 夜を徹して現場検証が行われて、早朝になってもまだ捜査は続けられていた。

 警察官は、あまりの惨状に目を覆った。いくらか死体のある現場の場数を踏んだものでも、その死体の量は、まるで戦争にでもぶちこまれたかのようで心中穏やかではなかった。血しぶきが空気を覆い、独特な嗚咽を催すどぎついにおいを屋敷全体が発し始めていた。

 二人の警官は、屋敷の庭の中を回って、他に見落としているものがないかを探していた。

「うぅ、これはなんですか、組の抗争ですかね? ふんだりけったりだ」

「チャカは相当な数上げられたらしい、が、どうやら、この屋敷で発砲した拳銃は一丁だけらしい」

「ええ? それはどういうことなんでしょう?」

「普通、撃ちあいでこう無茶苦茶になるのはわかるんだよ、でもそうじゃねえだろう? これは。だから、そういうもんじゃねえってことだな、それがなんなのかわからないが。死体の持ってた銃は、硝煙の残りかすも全く残ってねえ、ここでは撃ちあいは無かったんだ、全くな」

「まるで狐につままれたような話ですね」

「ほとんどの奴が抵抗せずに死んでいったってわけだ、こんなの初めてだ、夜中に出勤だとぼやいて来てみればまさかこんな信じられない状況になっているとはな、まったく参った参った」

「僕も参りましたよ、昨晩は彼女と約束があったのに」

 むふぅと年若いほうがため息をついた。

「優雅に、雑談、ですか? 無駄話に、花が、咲きますね。ふふ、死体の、上には、綺麗な花が、咲くとは、いいますが」

 突然の背後からの声に驚いて、二人は身を正した。いつの間にか、背後に、男、刑事が立っていたのだ。そこにいるのは、二人には見たこともない男だった。鑑識でも、彼らの部署のものでも無い。

 夏だと言うのに、ダブルのスーツの上に、分厚いトレンチコートを羽織っている。首が小刻みに前後にかくり、かくりと揺れている。顔色がおよそ青白く、死人とくらべてもいい勝負で、目は開いているのか閉じているのか、わからないほど、薄い。もしかしたら、閉じているのかもしれない。とても眠そうな顔のような、そんな印象だ、眠いのだろうか。

 注意されて思わず身を正したのだが、この男が何者なのかいまいち判然とせず、相手が自分を叱れる立場の人間なのかどうかもわからなかったため、後輩の警部補は男に尋ねた。

「失礼ながら、どちらの方でしょうか」

後輩の警部補がそう尋ねているところ、年配の警部は、その男のスーツの胸についているバッジを見て驚いた。

 旭日桜花三位章のバッジを、彼は噂にだけ聞いていた。

 警視庁に特別な捜査をしている部署があるという。そして、確かにそれは書類上存在しており、そこへの入課試験の方法も明確に規定に書かれているが、誰もそこへ入課したものを、彼は知らなかった。存在自体が都市伝説じみた特殊課の証、旭日桜花三位章。

これは、なまなかな事件ではないということか。

「安倍、というんですが、オレは刑事、です」

 首がかくりかくりと小刻みに動くたびに、話している文章が脈絡なく途切れるのが不気味だ。

 刑事ということだから、それはつまりもう一人……。

「上の許可が降りてます。ここからは私達が担当します、お帰りください」

 青白い男の後ろから、女性が現れた。手には、令状を持っている。彼女も刑事なのだろう。刑事は、証拠能力のために、二人以上で行動することが原則だ、彼女がコンビ、というわけだ。

 警部は、彼女の美しさに目を奪われ、そして、近寄りがたい姿にたじろいだ。瞳は深い碧色をたたえていて、日本人離れした美しさだ。彫りが深く、ただでさえ凛々しい顔つきだったが、切れ長の目と、キリリと上がった柳眉と、眉間に寄せたしわが近寄り難さを醸し出していた

 彼女の顔から目を逸らすと、警部は、提示された紙にさらっと目を通す。

「わかりました、では、あとはよろしくお願いします」

 は?

 とアホ面を晒す後輩の手を引っ張って、警部は乗って来たパトカーの方へと歩き出す。

「ちょっと、先輩何してんですか、あんなわけのわからない人を残して持ち場を離れたらまずいっすよ」

「吉崎、お前落ち着け、特殊課だ、あれは。お前だって噂くらいは聞いたことあるだろう、あれは本物だ、俺は一度だけ柏森での事件で奴らが動いたのを見たことがある」

「えっ!! あれが例の」

「余計なことには首を突っ込むな、あいつらに全てを任すんだ、いいな」

「あ……、はい」

 いつになく真剣な先輩の顔を見て、後輩は素直に従った。



 二人の刑事が、屋敷を歩き回った。一通り遺体は回収されて、あとに残ったのは、べったりした血のりと、倒れ伏した遺体の形をかたどった白いテープの後だ。

「さて、三条クン、この惨状、どう思う?」

「そうですね、九割九分、マジックアイテム所有者の仕業です。毒物の香りもしません」

「ところで、三条と、惨状を、掛けたダジャレは、どう思う?」

「先輩そろそろ警察をおやめになりますか? 面白くないです。余計なことに時間を使っている暇はありません、さっきご自分であの二人にご指摘なさったとおりでしょう。さっさと次の行動に移りましょう。この事件の生存者は二人だけです。鏑木隆二とその娘の鏑木玲子。今、加胡署の方で保護されているはずです、早速話を聞きにいきましょう」

早々と踵を返そうとする三条とは対照的に、安倍は動作がいちいち緩慢としている。

「まあ、待つんだ。三条クン、今、早朝だよ、彼らだって、事件発生したばかり、で、疲れてるん、じゃない?」

 一見、被害者のことをおもんぱかっているように聞こえるが、実のところ早々に安倍が休憩したいと思って言っているだけに過ぎない、ということを、三条はよくわかっていた。

「お言葉ももっともですが、被害者のお二人は精神状態が興奮していて、目が冴えていてまだ眠れずに起きているそうです。時間が経ってしまう前に、今のうちに話を聞いておくのも良いかと」

「……、わかった、よ」

 屋敷をしぶしぶ抜けて、安倍は、車のロックを解除する。車の前後のライトが明滅する。

それは、白のセダンだった、しかし、手入れは怠っており、車体が白いせいで本当に良く汚れが目立つ。雨だれ、泥はね、擦り傷で全体的に薄汚れていて、遠くから見ると白ではなくグレーのセダンと間違えるほどだ。

三条は、フロントガラスに付いている緑の検査標章のステッカーを見て、眉間のしわを深くする。

「安倍さん、よく見ると、これ車検切れてませんか?」

「え、どうだろう、じゃあ、この件が、すんだらぼちぼち、持って行こうかな?」

「先輩、一つ言わせてください。あなた本当に警察ですか……?」

 と、三条はため息をついた。後輩の辛辣な指摘にも、安倍は全く気を悪くした様子はなく、構わず車に乗り込んだ。

安倍は、無線と、ニュースを聞くためのラジオも切って、カーステレオに、今では見ることすら懐かしいテープを入れて、音楽を流しはじめた。

「無線切らないでくださいよ」

 流れ始めたのは、懐かしい洋楽、ビートルズだ。

 明るくなってきた朝空の下、薄汚いセダンを走らせながら、安倍はメロディに乗せてへたくそな歌を歌い出す。

「ほぅる、どぅ、みぃたいいいと、たいいぃぃいと、いえぇえ」

「先輩、いつも下手くそな歌を聞かされる身にもなってください。勘弁してください」

 しかし、そんな三条の悲鳴に安倍は全く耳を貸さず。

「いっつびなハあドデイズナイっトゥ」

「そんなに好きなんですか?」

 説得するのをいつものように諦めて、三条はぽつりと独り言のようにこぼした。返事を期待はしていなかったのだが、すると、予想に反して、安倍は答えた。

「そうだ、大好き、だ。オレの青春は、くだらない、もので、埋め尽くされたけれど、この歌達だけは、あの頃と、変わらず、美しい。この歌を、歌わずには、仕事なんて、やってられない」

 安倍が自分のことを話すのを聞くのは、三条は初めてだった。コンビを組まされるようになってもう二年も経つが、安倍の過去については何も知らない、年齢すらも知らない。年中半永久的に幽霊のような人で、この人に子供時代があったのが想像できないのだが、当たり前ながら子供だったときもあったのだ。三条は、興味を感じた。

「いつごろから、お好きなんでしょうか」

「中学生の頃、今風に、言うなら、中二病、みたいな感じかな。オレは、そのころ、ビートルズの曲の、歌詞を自力で、訳してた。若気の至り、というか背伸び、みたいな、もんだ。割とよくある、典型的な、趣味だが」

 安倍は思い出すように、うっすらと細い視線を遠くに向けた。

「意外ですね、安倍さんに、そんな詩的な趣味がおありとは」

 スピーカーから流れていたハードデイズナイトが、終了して、テンポの良いロックンロールが始まる。

「家が、厳しくてな、勉強以外、させてもらえなかった。英語の和訳をする趣味は、なんとか、許してもらえたんだ。中学生のときに、ランダムハウス英和辞典を、くりくり、やってたわけだ。さっきのハードデイズナイト、っていう曲は、オレが、最初に自分で、訳した曲なんだ。だから、思い入れは、深い。メロディも、くてな。オレは、速い曲じゃないと、退屈してしまうタイプで、イーグルスのホテルカリフォルニアとかだと、導入部分の、インストゥルメンタルで、オレはおねむ、と、こういった調子なんだ。ところで、ハードデイズナイトは、冒頭から、印象的な掴みの、ギターのひとかきから、一気に最後まで、聞けるんだ」

 ハードデイズナイトの歌詞は、とても忙しくて足が棒になるほど頑張っているんだ、とか、いぬころ見たいに走り回ってるんだ、とか、ぎゅっと抱きしめて、とか、そんなストレートな曲だ。確か、ビートルズが、映画のために作った曲だったと思われる。

 熱心に机に向かって和訳を頑張っている少年の頃の安倍の情景が、三条の脳裏にはどうしても浮かばなかった。

 今の安倍は、大人が赤ちゃんに扮する赤ちゃんパブとかいう風俗店に入り浸る人間なのだから。

「あ、そこ左に曲がってすぐです」



 取調室に入れられているのは、鏑木隆二だった。被害者にも関わらずこの扱い、というのも、銃器の不法所持が今回の事件で明らかになったからだった。

「さて、早速だが、お話を、伺いたい」

 鏑木隆二の顔色は芳しくない。

「お話して、信じてもられるかわからないのですが」

 借金取りなども自身で行うヤクザ者、ということなのだが、妙にしおらしい。流石にあんな目にあった後では、どんな豪傑でもそうなるか。

「ええ、正直に、お話してくだされば、悪くは、扱いません。司法取引、としましょう。あなたは、包み隠さず、全ての事情を、打ち明ける。そうしてもらえれば、あなたの、拳銃の不法所持、その他もろもろに、目を瞑りましょう、すぐここを出られますよ。我々は、捜査がスムーズで、うれしい。ウィンウィン、というわけです、よろしいですか?」

「ええ! 是非も無い、それでお願いします。私が刑務所に入れられている間、娘が一人でいなければいけないなんて耐えきれませんから」

 なるほど、一人娘が心配ということか。

三条は、安倍が勝手に司法取引を持ちかけたことに、反対したかった。安倍がただ単に、拳銃の不法所持などを挙げるために余計な報告書を書くのが嫌だから楽する方向で話を進めたい、と思っているのが三条には透け透けで見えていた。ただ、メリットも少なくないということは理解していたので反対をしなかった。

 そこからは、三条が質問を担当した。必要な情報は的確に得られたと思われる。

敵は一人だった、それは少年で、身長は百六十から百七十の間くらい。体中に縄を巻き付けていて、顔は夜叉の仮面で隠されていて見えなかった。と、こんなところか。

また、体中がいつの間にか縄に絞められて身動きが取れなくなったとの証言を手に入れた。縄がまるで生き物のように動いたという。

「あの場で薬物などが原因で錯覚を見たはずはありませんから、嘘ではないでしょう。間違いないですね、マジックアイテム絡みです」

 と、三条は安倍に耳打ちをした。

安倍が目を閉じたまま聞いているふりをして眠っていたので、三条は、本当に耳を打った。人差し指でパチン。

「ギャッ」

 しかし、犯人がマジックアイテムを所有している、とすると、通常の理解を越えたところにある力を持つものからどうやって彼は命を拾ったのだろうか。娘の玲子は逃げ出すことに成功した、一方、隆二は建物の中に残っていたのに生き残った。肝心のところが謎だった。どうやら、誰かが助けに来たらしい、しかし、顔をイマイチ覚えていない、という。

「大丈夫ですよ、とその人が言ってくれたのは覚えています、それと、近くに寄られたときに、あのひと、ラーメンの匂いがしたような気がします。それも、あれはゆずみたいな匂いです」

「なるほど、ありがとうございます。そういう些細なことも教えていただけると実際に役に立つことも多いです。さて、だいたい現場の状況は把握できましたので、次で最後の質問にさせていただきます。あなたは、誰かに恨まれていたという心当たりがありますか?」

「……こういう仕事ですからね、恨まれる相手は多いです。特に、今は、例の広口組の解散の件のあおりもあって、自分達の縄張りを確保するために締め付けを強くしているところでした、だからなのでしょうか、しかし、どこのどの団体かというのは思い当たるところがありません」

「広口組、とは、どんな、団体かな?」

「先輩、まさか、知らないと言うことはないですよね? 今どきマスコミでも散々扱っていましたし」

「……」

 だめだ、この人に何も期待してはだめなんだ。

「関東の、日本最大の広域指定暴力団、それが広口組です。その広口組には、数多くの傘下があり、この鏑木組も上を辿っていくと広口組に到達します。

 ここの地域には、複数の暴力団、鏑木組、八千代組、上仙道組が、あり、いずれも大きな意味では、広口組の傘下です。従って、縄張り争いも、基本的に話し合いと示談で円満に解決してきた模様です。ですが、広口組が分裂し始めた、今後は、今まで通りにはいかないでしょうね」

「……本当に調べられていますね、おっしゃる通りです。ですから、私たちが圧力をかけて回ったのは他の組ももちろんですが、地元の飲食店などもそうで、恨まれる要因はそういうところにもあったのかもしれません」

「なるほど、一通りお聞きすることが出来ましたので、あなたはひとまずこれで釈放です、ありがとうございました」

 この後、娘の玲子にも話を聞いた。何も得ることの出来る情報はないだろうと、三条は考えていたが、逃げるときに彼女の代わりに屋敷に向かった少年がいるとわかった。少年の名前は、神楽岡正樹。

 これで生き残った二人に、三条は質問を終えた。

「は~、疲れた」

 と、安倍があくびをしながら伸びをする。

「先輩は後ろで眠りこけてただけでしょう」

「いや、いや。ちゃんと、聞いていたよ。助けに、駆け付けた少年、正樹くんの存在か、彼は、生きているかな? いやぁ、けんのん、けんのん」

「では今日は、そこからあたりましょうか、敵対組織がどれなのかまだはっきり絞り切れませんからね、この街は暴力団のみならず宗教団体も活発ですからね。この街では、白蛇水教と娑喜光教という新興宗教がしのぎをけずっています」



悪魔は、キリストをいじめるために色々意地悪な質問をしたらしい。

 例えば、悪魔は道端の石ころを見ながら、キリストにこう問いかけた。

 お前が本当に神の子供なら、飢えている人を救わなければいけないはずだ。だから、この石ころをパンにしてみろ、と。

宗教を広めるなんてくだらないことしてる暇があったら、パンを一人にでも多く食わせるようにしろよこらそっちのほうが人を救えるぜこら、みたいな感じの意味が含まれている質問だ、確か、うろ覚えだが。

 痛い所をつく悪魔だ。僕のような凡人正樹には、こう言われたら、答えに窮する。宗教やめろ、と言われたら、僕は出来るだけ早く辞めたいですとしか言いようがない。 

ところが、聡明なキリストは、顔色も変えずに即座にこう返したのだという。

『人はパンのみにて生きるにあらず』と。

キリスト教を広めているのは、別に遊んでいるわけじゃなくて、それが人助けになっているというわけだ。たしか、こんな感じのエピソードだったと思う。なるほど、と思わせる答えだ。

僕は、社会は地理選択なので、あまり詳しく知らないが、確か図書委員長はそこらへんにも詳しくて、僕に教えてくれたのはこんな話だった。

 素晴らしいエピソードだが、僕もそれに近いエピソードを持っている。

借金取りに追われているときは、僕はパン屋を巡回して、パンの耳をいただいていた。そのときの僕は、朝昼晩とパンの耳だった。

『人はパンのみみだけで生きれるある』

 エセ中国語みたいになってしまった。限りなく、キリストの言葉に近い言葉を、あのときの僕は生活の中から地で生み出していたのだ。と自分で言っていても虚しい。くだらない言葉遊び、わお。

本家とは雲泥の差だ。

 おう、ジーザス。

 さて、ちゃんと起きるか。悶々とした思考から脱出する。いつもよりちょっと早く起きてしまったが仕方がない。

僕は布団から這い出て、弁当を作りにキッチンへと向かう。



 ってなにこれ!!

 大幹部三人と、家族がもう既に居間に集まってちゃぶ台を囲んでいた。

 なんか妙に騒がしいと思ったら、人が沢山いるのだ、中も、そして、家の外も。

「おはようございます、正樹くん」

 大幹部の一人で、四角いしゃちほこばった眼鏡を掛けた男が、こちらに会釈をする。洞爺さんと言って、古参の信者の一人だ。

「今我々は、ここ本部をまるごとぐるりと囲まれています。絶賛危機に直面しているところなのですよ」

 え! 確かうちは、白蛇水教とかいう宗教と険悪なムードになっていた気がするけれど、まさかそこの信者が?

「我らが娑喜光教信者が、反乱を起こしました」

 ええええええええええええええええ! どういうこと?

「本当にぐるっと一周完全に包囲されています。こちらもバリケードを構築して時間稼ぎをしていますが、それが崩されるのも時間の問題でしょう」

 なぜだ、一体なにがどうなってこうなったんだ。

カーテンの隙間から、外を観察する。

完全にデモだ。というか、今まだ、朝の四時だぞ!

 よく見ると以前から、うちに通っていた人たちが見受けられる、確かにうちの信者達だ。

まだ日が上がっていないので、煌々とあかりを焚いている、

サーチライトみたいなものまで出してしまって、もう何が何やら。プラカードのようなものを下げて、行進しているようだ。

 どうして、面倒事がこう立て続けに起こるのだろうか。

 一体どういう理由で?

 新興宗教というのは、こういった課題と直面するものなのだな、と考える。お金を湯水のように費やしていた者たちが我に返ったとき、こうやって脱退したメンバーによる集会が構成されて、こういった反対運動が盛んになる、というのはよくあることだが。

 しかし、まだ、脱退メンバーはいなかったはずだし、たった一晩でこの騒ぎとは一体……。

 耳を澄ますと、断片的に聞こえるのが、3Dデータをよこせー(?)みたいな声が聞こえる。聞き間違いか? 一体彼らは何を要求しているのか?

「正樹くんにも聞こえましたかな? 3Dデータ、身に覚えがございませんか?」

 洞爺が眼鏡の奥から冷たい視線で見つめて来る。

「一体なんのことなのか……」

 洞爺にも、今のデモに心揺さぶられる何かがあるのだろう。その何かを巡って、今、洞爺は僕にカマをかけたのだ。

「すいません、本当に僕はなんのことなのかわからないんです。一体どういうことなのか、教えてくれませんか?」

「これは失礼、では私が簡潔に説明いたしましょう。彼らは、この娑喜光教典の女の子が、CGではないかと疑っているのです。そして、要求しているのです、この3Dモデリングのデータをよこせ、と」

 なにをそんな馬鹿な、と思った。確かに最近のCGは実写と見分けがつかないこともあるけれど、そんな技術力うちにはないし……。

「そんな馬鹿なことを信じてデモをする信者がこんなにいるとは」

「お言葉ですが、彼らの言い分にも一理あるとすれば、その根拠の一つ、この娑喜光教典の女の子を一度も現実の世界でお目にかかったことがないということです。ですから、彼らはあのような考えにいたったわけです、実はこの女の子は実在しないのではないかと」

 確かに僕は、小学校以来一度も女装をしていない。きっぱりとあの趣味とは袂を分かったのだった。信者が、僕の女装姿を見れたはずがないし、本当にいるのかと疑うのも当然の話か。

「父さん、母さん、早くなんとかしないと」

父親は、眼光をとがらせる。

「安心しろ、簡単に事態を解決させる方法はある!」

 僕は、その頼もしい声にびくりと震えた。うちの父親は借金をこしらえまくったり、色々素行に難があるのだが、流石としか言いようがない頭のきれを発揮することがある。いつもその状態でいてくれよ、と思うのだが。わが父ながら、自由奔放。

「奴らは、この教典の写真を3Dモデルだと勘違いしている。これは全く事実無根なのだが、奴らが要求しているのがそれだ。ならば、この事態を治めるために、作ればいい、そして、それを渡せばいいのだ! 今さっき、私はブレンダ―という3DモデリングソフトをPCにダウンロードしてきた、これであっと言わせるモデルを作る!」

 間に合いません。その前に暴動がここに到達して、僕達はぼっこぼこにされて身ぐるみはがされますよ。

 だめだこりゃ……、僕がひと肌ぬぐしかなさそうだ。

「とりあえず、ちょっと僕外から偵察してくるよ」

「気を付けるのよ」

「わかってるって」

 僕はちゃぶ台の下の畳をはがした。そこには深い深い穴があり、それは近くの雑木林に繋がっている。

父が以前忍者に凝っていたときに、この家は忍者屋敷として大改造ビフォーアフターされた、そのときに作られた抜け穴だ。こんな余計なことばかりするから借金が膨れ上がるのだ。今回ばかりは役に立つみたいだが、今までこの仕掛けが役に立ったためしはない。

穴を垂直にするするとそこまで降りて、手探りで進む。突き当りまで行ったら、階段をぐるぐると上がっていき、行き止まりとなっている部分を持ち上げる。

おいしょっっと。

茂みの中に体を隠すように家を観察する。ああ、本当に酷いことになってるよ。

 ていうか、僕、朱に交われば赤くなるというか、門前の小僧習わぬ経を読むというか、いつの間にか感化されて、うちの宗教を体が自然に守ろうと動いているけどこのまま宗教が崩壊するのを待った方が僕としては良いのでは?

 しかし、住む場所を失うのはまずい……、色々ままならないものだ。

突飛なことするくせに、細かいとことか、維持管理とかこういうとこ抜けている親の割を食うのがいつも僕の役目なのがおかしい。

 抜け穴のすぐ出口からだと、少し遠かったのでもう少しデモに近づいていく。雑木林の端から覗くと、そこには、唖然とする光景が広がっていた。

 デモの先頭の男が掲げているプラカードには、赤いガムテープでこう書かれてあった。赤いガムテープで白いプラ板に張り付けてある。

『3Dデータをよこせ!! 虚構はわかっているのだ!!』

 先頭に立つ男が、メガフォンを取って呼びかけを始める。

「3Dデータをよこせ!! 虚構はわかっているのだ!! そして、それさえいただければ、いままで騙していたことは不問である。なぜならば、それこそが、我々の夢だからダァアアア!!」

 その声に呼応してうぉぉぉおと地響きのような雄たけびを上げる男達。

 先頭の妙に丸っこい体型に見覚えがある。嘘だろ? と思って目を擦って見てみるが、やはり、見覚えがある。

 図書委員長だった。

図書委員長じゃないか、何やってんだ、というか、うちに入信してたのか、あ、そういえば、緑の本を持っていたのは何かと思ったが、あれはうちの教典だったのか、じゃあ、なぜ? なおさらわからない。彼は生粋の二次元大好き人間、うちは生身の女の子の写真を教典にするようなところだぞ? しかし、図書委員長をしているだけあって、人をまとめ上げるのも、天性のものをもっているのか。

また、演説を再開するようだ。耳を澄ませて聞く。

「俺達は、今だに見ていないのだ。この教典に収められている写真の人間を。この雪のようにはかない女の子を、ここに通うようになってから一度も見たことが無い、皆そうだろう?」 

 そうだーーーー、とそれに呼応して、声が聞こえる。まるで、何かのライブの会場のように一体感を作り出している。デモをしている人たちのボルテージは上がるばかりだ。なんというか、図書委員長はよくわかっている、こういうことは一度も経験していないはずなのに、豊富な読書経験から適切な行動を導いているということもあるのだろう。

「そもそも俺は、おかしいと思っていたんだ。俺は、元来、この世界の人間の女の子にはときめかない、しかし、画面の向こう側のアニメの女の子という完全無菌室の女の子しか好きになれなかったんだ」

 すごい、告白しているな……。

「しかし、ある日、初めてこの世界の人間に恋をした。胸がときめいて、今にも焼き切れそうではち切れないばかりだった。俺は戸惑ったさ。今までの俺の信条を真っ向から対立するような感情が、今や、俺の行動の全てを支配していたのだから。そう、俺は、この娑喜光教典の写真の女の子に恋をしたのだ」

 うおおおおおお、と会場のボルテージはマックスだ。図書委員長に本当のことがばれたら、殺されてしまうな……、それは全部僕なんだとは、よう言えない。ますます、自分の正体を明かせなくなってきた。冷や汗がたらりと首筋を伝って落ちる。

「しかし、今日気付くことが出来たのだ、実はそうではなかったと」

 シン、と静まり帰る。

「実は、何一つ自分の信条に反することはしていなかったということに!!」

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

 そこにいる男達が、飛び跳ねている。オバマ大統領のイエスウィ―キャンで有名な演説会場のごとく拍手が雷鳴の如く鳴り響く。よくぞ気付いた!! と喝采の声も上がる。

「あれは、実在の人間ではなかったのだ!! あれは、良く出来た精巧な3Dモデルだったのだ!! そうだろう!! それしかあるまい!! 落ち着いて見れば見るほど、これは3Dデータ特有の画像データだ。この美しすぎる肌!! 精巧だが、昨今のCGの技術と比べて欲しい、これはそれと相通じる部分があるだろう!! これは3Dデータなのだ!! だから、俺は、アニメの世界に裏切りを働いていたわけでは無かったのだ!!」

綺麗、美しい、と言われて、僕の黒歴史だが、なんだかうれしくなるような気分が少ししたが、慌ててかき消す。馬鹿だ、こいつら、馬鹿だ。

「俺は猛烈に怒っているが、しかし、喜んでもいるわけである!! 3Dモデルのデータをよこしてくれさえすれば、我々は何も危害を加えない。そのバリケードをあけわたしたまえ!! そしていただいたデータをもとに、3Dプリントするのだ!!」

ジーク3D、ジーク3D、ジーク3Dという掛け声の元に、バリケードを突破しようとしている。

なんだその掛け声は、どこの独立国家の軍隊だ。図書委員長は、昔から、地球連邦よりジオン軍、ジェダイの反乱軍よりダースベイダーの帝国軍、コンボイよりデストロンを好む男なのだ、いや僕よ、錯乱するな、今はそういうどうでもいいことを考えているときではない、事態を解決に導かなければ、僕達一家は再び路頭に迷うことになるぞ!!

 だけど、どうしたらいいのか? これは、無茶な要求だ。何故ならば、それが真実ではないからだ。正真正銘の写真だし、そんなこと言われてもそんな要求を飲むも飲まないも無いわけだから。

 実は、僕はこの事態を収拾する方法を一つだけ思いついていた。

 しかし、それは嫌だった。

 また、昔の僕に戻ってしまうような気がして……。

 昨日はもう二度と変身をしないと誓ったが、早々と変身しなければいけない機会が来てしまったわけだ。

 ようは、写真の女の子が実在するということを示せば、彼らは諦めてくれるわけだ。ならば、自分が女装をしてみんなの前に姿を見せれば全て解決する。

 だけど、みんなの前に姿をさらすということ。女装をしたまま、友人に姿を見せるのみならず、大勢の衆目に晒すというわけだ。

こんなダイナミックな環境で僕は女装したことはなく、自分の中の変な性癖のスイッチが完全に入ってしまう可能性があって怖いのだ。

これに味を占めて、僕が二回三回とまた女装を繰り返すようになってそしてやめられなくなり、しかもそれをカスミさんに知られ、見られでもしたら、僕はもう生きていけない……。

 かつらも、服も無い状態では、女装は出来ない。しかし、今の僕ならば、不思議な力だけで、全てを解決することが出来る。

それ以外に、解決方法が思いつかないのも事実。

やはり、変身するしかない。

 僕は、ズボンの下に挟んで持ってきた娑喜光教典を高々と掲げて叫んだ。

「プリティー メイクアップアーティスト アルティメットメタモルフォーゼッェェエエェ!!!!」

ぱちこーん、ちここーん、ぱちこーん、ぱちんこー、と可愛らしい音と同時に、ピンクのラメラメのミュールが、膝の辺りにピンクのリボンのついたハイソックスが、ピンクの生地に白のレースのドレスが、そして、しっぽりとしたポニーテールが僕の頭についていく。

まるで、三分ほど換装にかかっているかのような体感時間だったが、恐らく実際の時間にして、一秒とかかっていないだろう。

と、例の変身バンクをこなした後には、我ながら男とは思えない相変わらず美しい少女が立っている。

彼らも僕を見れば、一目で写真の女の子が成長した姿とわかるだろう。

「さて、行くわよっ☆」

 雑木林から、全力で駆け出す。

とうっ、と周囲の人ごみの中から、家に向けられたサーチライトを幾重にも浴びて、飛び出した。

 一足飛びに、くるくると回転しながら拡声器を手にもっている、図書委員長の前に躍り出た。

 図書委員長は、驚愕に目を見開いて、拡声器を取り落す。ががっがっ、と言う音の後、不快ななひっかくような音を上げて、拡声器は沈黙した。勢いづいていた、デモをする信者達も、皆一様に声を失っていた。ひそひそとこちらを見てささやきあっているようなざわめきが広がっていく。

 皆の視線が自分に集まるのを感じていた。

 どうだ、と思わず得意げになって、胸を反らしていた。

 ざわめきが広がる。

 どうだ、待ちに待った私の登場だぞっ、と役になりきる僕。

 少々得意げになってしまったが、皆の囁き声に少し耳を澄ますと、なんだか、美しさよりも前に別のインパクトに気を取られているようだった。聴力も強化されていて、それが良く聞こえた。

 今、ここまで一気に飛んで着地しなかったか!? 足とか骨折するよな、普通。跳躍やばくなかったか、軽く十mは飛ばなかったか?

 あぁ、見て欲しいところはそこじゃないのに……。でもそうか、普通そういう反応になるよな。

 そして、第二の驚きの波が広がる。このお方は、まさか、まさか、この教典の写真の人物では! 本当だ! なんだ、やっぱり、CGなんて無いと思ってたんだよ、俺は初めから。ちょ、おま。うぉぉぉおぉお、ご尊体を拝見できて、私は感激です!

 僕は、思いっきり、声帯を捻じ曲げて、自分には無い架空の処女膜を想定して、そこから声を出す。

「みんな~、待ってた? わたしの成長した姿をみんなみてね☆」

 ぺらぺらと動く自分の口に驚愕する。そう、昔から女装しているときの人格は、強気だった、自然に言葉が出てくる。

 図書委員長は少し、のけぞったが、次第にわなわなと震えだして、ひざまずいた。

「あああっ、ほんんものの、あなた様が、いらっしゃったのですねあああっ、あああああああんあんんんん」

 突然、号泣し始めた。

「え、ちょ、そんなに泣くことなくない?☆」

「今までのご無礼お許しください。ぐすっ、すぐに、このデモは、撤退させます。と、その前に、一つ、写真を撮らせていただいてもよろしいでしょうか」

 抜け駆けはずるいぞーーっ!! 

という群衆の叫び声が聞こえてくるが、すぐに私は打ち消す。

「いいわよ!☆」

 むちゃくちゃ写真撮影会と、握手とその他もろもろのファンサービスを繰り広げたのは言うまでもない。


 そうして、早朝のごたごたは順調に終わった。写真撮影が終わって、デモも自然に解散し、とりあえず全てに片がついた。

変身を解いて一人でいると段々と冷静になって、沸々と調子に乗っているときの自分が思い出されて、一人で恥ずかしくなって赤面してごろごろと布団の上を転がり回った。もう、今度こそ、変身しない、こんな特殊性癖は捨て去ってやる、と再び決めた

 この時撮影された写真は、教祖直々に交付され、娑喜光教典の後ろの裏表紙に張り付けるようにお達しが出された。

 新しい写真が出来て、両親は喜んでいた。

「ああ、正樹可愛いよ、また女装してくれる気になったんだね、私の可愛い息子」

「マサキ、よく似合っているぞ!! また着てくれよ!!」

 父親に掴みかかった。

「僕はもう着ません!! というか、こんな格好をまたしなくちゃいけなくなったのは、父さんがちゃんとうちの信者の管理をしないからですよ? そこらへんをちゃんと反省してください」

「わかったわかった、悪かった。今度からはもうちょっと工夫する」

 センター試験まで、あと四百六十日という張り紙を自分の机の前のを張り替えて、あと四百五十九日にする。

 よしっ!! 

 と意気込んで、学校へ出発する。

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