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殺戮少年との邂逅

 薄暗い建物の中、月光だけが、窓から無機質な部屋を照らし出す。生活感は全くないこの不思議な空間は、普通の人間が長時間いるには気が狂いそうなほど何もないのっぺりした、まさしく、箱の中だった。

 その中央に、机があった。

 ぽたーりぽたーりぽたーりぽたり、ぽたぽたぽた、ぽたーりぽたーり

脈を打っているように音が響く。

 高校のブレザーを着た少年は、大の字になって仰向けになっていた。彼は、行方が分からなくて捜索願いを出された生徒の一人だった。

右手首には手錠がかけられて、その鎖のもう一端は机の右上の足にかけられていた。同様に、左手、両足も手錠で机の対応するそれぞれの足に繋げられて、全く自由に動けない状態だった。

仰向けの少年の顔は血の気が無い。右手に深い裂傷があり、そこから血が机に広がって床に垂れていた。

ぽた、ぽた、ぽた、ぽたり。

その机の傍には、二人の人影があった。

一人は背が曲がっている小柄な人間だ。着物とその体のラインから辛うじて女性とわかる、老婆だろう、しかし、その顔はお面で隠されている。黒地の肌に金で顔が描かれた能面だ。

その老婆が手に持っているナイフを懐にしまい、仰向けになっている少年に、輸血パックを、血を垂らしている方とは逆の手につなぐ。輸血パックの先の0.3mmの針を腕に刺しても、その少年には反応が無い。もう意識が無く、痛みを感じていないのだ。

 ぽたぽたぽた

 そして、それを見ているもう一人の人間は、仮面をつけた少年だった。歯をむき出しにした、白い夜叉の仮面。体には、服の上から、荒縄がグルグルと巻いている。ファッションと呼ぶには奇抜で、巻かれた縄はだらんと垂れていたり、強く巻き付いていたり全体的に統一性がない。

「目を逸らす出ないぞ、括目せよ、そら目を逸らすな」

 老婆が、しわがれた声で傍らの少年にしかりつけるように言う。

「人間の内なる可能性、お主の中の深なる激情に身を委ねるのだ、決して目を逸らすな、死にゆくさまをしかと目に焼き付けるのだ、こやつも我々のために死んでゆけて本望じゃろう」

 老婆が血を継ぎ足していたが、流れ出る血液のほうが圧倒的に多かった。はなから助けるつもりなど無いのだろう、ただ、苦しみ死にゆく過程を伸ばしただけに過ぎない。仰向けに拘束されていた少年から、流れ出す血液は徐々に少なくなっていく。

 ぽたり

 どれほど時間がたっただろうか、もはや、机の上から血液が零れ落ちなくなり、初めのほうに流れ出して服に染みついた血液が半ば凝固しはじめていたとき、老婆は隣の少年に向き直った。

「容赦をするな、心を捧げろ、腐った凡人どもに救済を与えるのじゃ、世界を変えるのじゃ、邪魔するものは全て打倒せい、我々の教えがわからん凡俗に情けを掛ける必要は無い」

「はい、おばあさま」

「そう、最近、例のヤクザものが鬱陶しい、全員殺してこい、出来るな?」

「はい」

「それでよい、それでよい、お主はよい子じゃ」

「はい」

 満足そうに老婆はおもむろにうなずいて、歩き出す。

 二人は、机の上の死体を残して外へ繋がる扉へと歩を進めた。




 神の啓示とかをもらった人が宗教を始めるらしい。

 仏陀は、生まれながらにして、そういう才覚を持った人間だったらしい。

 彼は、生まれた瞬間から二本足で立ったという。普通の赤ちゃんはまだハイハイも出来ないのに、恐ろしく早熟なこどもだ、しかしこれだけで驚くなかれ、彼のエピソードはそこでとどまらない。

 二本足で立ったまま、そして、天を指さしてこういったという。

「天上天下唯我独尊」

 これがかの有名なセリフである。ヤンキー達ですら使うこの言葉には、かの仏陀にルーツを求めることが出来る。とかなんとか、図書委員長が教えてくれた。

宗教の開祖として、崇め奉られる人には、こういうとんでもない天才性をもつエピソードがつきものである。

反対に僕は、何もない。普通の子供でしかなかったけれど。

それが、どうしてこうなってしまったのか。しかし、仕立て上げられて、うちの新興宗教の神様みたいな存在になっている、責任者はどこか。

「正樹、ほら、原典は大切にしなきゃダメっていったでしょ。また、お母さんが直しておいたから、今度は、もう乱雑に扱うんじゃないよ」

げっ、直さなくていいのに。

豚のゾンビに延々と追いかけられる嫌な夢を見て、寝起きが最悪なところに、この仕打ちだ。

 教典の昨日壊れた背表紙が完全に治っていた。母親というのは余計なことをするのが本当に得意だ……。

 娑喜光教の唯一の教義にして、絶対の指針。それが、娑喜光教典、という仰々しい金の字が入った緑の本だ。その実、中身には、文字らしい文字が無い。印刷業者も最初はびっくりしたろう、印刷業者は今はもううちの宗教にとっくに入信している。部外者に見せるものではないから部外者は誰も中身は知らないのだが、なんてことはない入信した者だって、他の人に見せるのは憚られるのだ。可愛い女の子の写真集を持っているなんて知れたら、社会的地位が……。その前に怪しげな宗教に入っているとばれた時点で微妙な気がするが。

 娑喜光教とは、この少女、幼くてプリティでぷるるんとはりがあって、全力で抱きしめたら壊れてしまいそうなはかなさで、目にいれてもいたくないこの少女の写真などを、ただひたすら拝み倒すという奇跡の団体だ。うっ、やめろ。

 圧倒的かわいさ、その少女、それは、この世のすべてのかわいさを凝縮したものだ、自分で言っていて体がむずがゆくなる、うっ。 動物の赤ちゃんは普遍的なかわいさをどれももっている。そう、そういった普遍的な可愛さを持った、美しい少女の写真がそこにあったのだ、全世界の人が可愛いと言える少女がそこに! ぐっ、我ながら倒錯している。黒歴史だが、その力、その魅力は確かに存在している分たちが悪い。

 おお、ジーザス。

 それの原典がこれである。最悪な代物だ、こんなものが家にあったばっかりに、我が家は、トップレベルに怪しい新興宗教団体として、発展してしまったのだ。憎まずにいられようか。

 壊してももうすでに何百何千というコピーが出回っているのだ、この原典を壊すことに意味は無い。我ながら、昨日は大人げないことをしてしまったものだ。だが、こんなものを持っていると友達に知られたら、どうすればいいんだ。

 うおおおお!!

 どうせ捨てても無駄なのはわかっているので、とりあえず、適当なところに置いて、弁当の準備をしなければ。



 今日も今日とて、高校へ行って勉強だ。

 一日の大半を勉強に費やす、それが学生の本分だ。言うまでもない、言うまでもないのだよ。

 こう見えて僕は中の上くらいには勉強が出来るくらいにはなっている。

一年の時はほとんどの時間がアルバイトに消えてしまっていたけれど、残ったわずかな時間全てを勉強に費やしたのだ。全て将来への投資。

 とは言っても、やっぱり自分だけの力では今ほどは勉強が出来なかっただろう。ひとえに、図書委員長のおかげであった。

 と昼休みになって、僕は図書委員長の顔をまじまじと見ながら思うのであった。

この図書委員長は本であるならおよそ種類を問わずあまねく読んでいて、参考書だろうと辞書だろうと普通の小説やライトノベルの如く読むのだった。ということからわかるように勉強にも恐ろしく強く、この間は、河合出版のやさしい理系数学をやさしいと言いながらそらで解きこなし読みこなし、そして、その上位本、ハイレベル理系数学を優しいと言いながらさらさらと読んでいたので末恐ろしい。

 ちなみにだが、『やさしい理系数学』という参考書は、河合塾講師による有名な数学の参考書で、その愛くるしい名前に反してとてもやさしくない恐ろしい参考書として知られている。僕は開いて即座に葬られましたまる。

これが普通に初見で解けるレベルであれば、旧帝大と呼ばれる難関国公立大学は堅いというほどの代物だ。それをサラサラと解く図書委員長がどれくらい強いかは察しの良い皆さんならお分かりだろう。

 常に何かしらの本を読んでいて、月刊大学への数学(東京出版)、一対一対応の数学(東京出版)、あさきゆめみし(講談社)、春雨物語(小学館)、英文法ネクストステージ(桐原書店)、システム英単語(駿台受験シリーズ)、DUO、ポレポレ(代々木ライブラリー)、良問の風(河合出版)、名門の森~熱力学、電磁気学~(河合出版)、漢文ヤマノヤマ(学研)、化学重要問題集(数研出版)、等々、もう片っ端から際限なくさらさら読んでそして理解している……。

この高校は、自称進学校と揶揄されるレベルの高校で、偏差値的には微妙な高校である。そこの高校二年にして、図書委員長がこの破格の強さを誇るのはハッキリ言って規格外で、教師より良くできると、もっぱら評判であった。

 ありがたや~、ありがたや~。

 従って、気合を込めた弁当をぱくついてもらうのも全くやぶさかではなかった。

 教室から持ってきた保温袋に入れた弁当箱を取り出す。弁当箱の隣に一緒に入っている物を見てびっくりして慌てて、それは押し込んだ。いつの間にか娑喜光教典が詰め込まれていた。隙あらば僕に教典を肌身離さず持つように小細工してくる愛しの両親達(逆説的表現)。

 気を取り直して、弁当箱を両膝の上に置いて開く。

 今日はあまり時間が無かったが、手作りの中華丼で、XO醤ジャンに特製オイスターソースを加えて、スイートコーン、うずらの卵、もやし、ピーマン、などなどをからめて作った逸品だ。

「今日もおいしそうだな!」

「うちのお母さんがはりきってるんだよね~」

「いや、いいお母さんだ、どれ、もぐもぐ、うまい!」

 といういつものやり取りを行った。

 ついでに、図書委員長について、付け足すならば、有体ありていにいって、オタクだった。さっき言ったように、本はよく読み、貸し出し冊数は全校でナンバーワンだが、それは表の顔でそれ以上にはまり込んでどぶのようにどっぷりと浸かっているものがあった。アニメだ。

「二次元というのは、次元がコンパクトに詰まっているだけ美しい、わかるな? 画面の向こうにはどこまでも優しい世界が広がっているのだ!」

「はーい、はい、わかったでごわすわかったでごわす。しかし、あちきにはわからんでごわすねええ。二次元大好きなのはわかったでごわすが、本当にリアルの女の子の可愛さに心を惹かれることはないのでごわすか?」

「ない ……いや、うん。ない?」

 どうしたんだろう、熱でもあるのだろうか?

 図書委員長は、筋金入りの二次元のキャラ好きだった。付き合いが長い分よくわかるが、藤崎は潔癖性ともいえる性格の持ち主だった。女の子に求める理想が高すぎるのだろう、そしてそれが成り立つのは、アニメキャラなどしかいなかった。ムダ毛がどうしても生える三次元の女に興味は無い、ということで、いわゆる中の人、声優や、アイドルにも、当然声優アイドルにも興味は持たない、という男らしい潔い男だった。まさに泥沼、いや、失礼、ごほん。

 それが、今日に限ってこんなにも言葉を濁すとは? いつもなら、ないと即答して断言をするところを、何か心の迷いがある?

「はっは~ん、さては、恋しているのでごわすか?」

 とお得意のタイヘイの邪推だ。なんでもかんでも恋愛に結びつけるロマンティックアクロバティック。

「恋!! いや、まさか、この俺に限って、そんな」

 という図書委員長の口調は、しかし、凄まじく動揺していた。

「このわちきが、指導してあげようでごわすか? わちきモテモテで、昨日も言った通り告白されたばかりでごわすよ!?」

 僕は思わずタイヘイを見た。

遂に虚言癖を身に着けたか、と思ったが、嘘を言っているつもりはない表情をしていた。とてもニコニコしている。

おそらく、昨日の出来事があまりに彼には深刻すぎて、記憶が混乱して錯綜しているのだろう。そっとしといてあげようか……。

「いや、いいよ。三次元の話はもうこりごりだ。やめよう、そんな話はやめて、アニメの話をしようではないか。昨日のプリプラ見たかい? プリイエローたんは、かわゆすなあ。ははは」

 プリプラは、女の子向けのアニメだが、侮れない笑いあり涙あり人情ありの幸せな世界が広がる作品で、大きなお友達にも一定の人気がある。僕もこっそり見ては、楽しんでいる。ただ、ふりふりした服を見ると黒歴史が脳裏に浮かんで少し心臓に悪いけれど。

「僕見たよ。いや~、今期のはイエローがいきなり仲間になるんだね。ところでさ、新しい変身バンクどう? あそこだけ、3Dモデリングを使っていたけど。図書委員長の嫌いな三次元だよ」

「あれは、二次元の三次元だから許す、実際よくできていたしな」

「日本語的にあれだけど、ニュアンスはよくわかったよ、なるほど、良く動いてたよね」

「プリプラの3Dがどんなのかは、わちき知らないのでごわすが、最近の3DCGの技術の進歩は凄まじいでごわすよね。3DCGのエロ漫画が出たときはわちきもうっかり購入してしまったでごわすよ、ぐへへへ」

 エロい話もほんと好きだな、タイヘイは。歩く十八禁。

「十八禁だろそれ、俺達はまだ十七だから本当は買えない奴だよ……」

 僕が呆れて突っ込んでいると、

「はっ!!」

 図書委員長は何か重大なことに気が付いたように大きな声を出した。図書委員長は箸を口に入れたまま、動きを止めていた。そして、わなわなと震える。

「タイヘイくん、今、なんて言った?」

「えっ、わちきでごわすか? ええと、それをもう一回言えというのは、恥ずかしいでごわすな。……わちきエロ漫画買っちゃった」

「その前」

「えっと、最近の3DCGの技術の進歩は凄まじいでごわすよね、と」

「そうだ、そうか、その可能性があったんだ」

「図書委員長、急にどうしたんだい?」

 そんな僕の声が聞こえていないように、図書委員長は早口に独り言をつぶやく。

「最近のハリウッドのCGなんか、もう本物と見分けが付かないからな……ぶつ、ぶつ。そうか!! そうだ、俺がまさか、そんなはずはなかったんだ……」

 急に立ち上がって、弁当をしまい始めた。弁当の中に、緑のなにかがちらりと見えたが、すぐにチャックを閉じたのでよく見えなかった。

 娑喜光教典に見た目が似ている分厚い本だな。

 また広辞苑か生物学辞典か何かの新版を買ったのだろうか?

「では、少し用事が出来たので、では、また」

 颯爽と去っていた。

「どうしたんでごわすかね? わちき、何かまずいことを言ってしまったでごわすか?」

「わからない、……なんだろうね?」



 今日の放課後はさっさと帰ろうと思っていたが、下駄箱を出たすぐの玄関のところで昨日の放課後の三年生たちが待ち伏せをしていた。

 結論を言おう。

 フルボッコフルコンボだドン!

 一日だけで済むと思ったか? ということらしい、どういうことだよ、どういうことなんですかね、世界は不公平で包まれていて、ああ、なんと世知辛い世の中か、ただ、この理不尽な暴力が、子供、高齢者、妊婦さんに振るわれず僕に向けられていることから、ささやかな半ば気休めな幸せを汲み取るべきか。

 不幸をかこちすぎると、気持ちが沈んで良くないのだ。なるべく前を向いて歩こう。



 なんの部活動もしていないのにへろへろとなった僕は、まっすぐに家へ帰る気分にはならない。晩御飯も適当に外で食べることに決めた。リフレッシュだ。

 家に帰っても、へたしたら、まだ、例の豚のあれが、自分の部屋にあるかと思うと、正直、ちょっと勘弁だ。肉っていうのはこうやってありがたくいただいているのですよ、とか言われたらそらそうだし、何も切り身の状態で生きている動物がいるなんて思ったことなんかないけども、それはやっぱりちょっとハードルが高いよなってそういうお話ですよ。

 さて、それはともかく、これから僕が向かうのは、『ラーメン髙梨』という、絶品のラーメンを提供する店だ。僕はしょっちゅう行くが、飽きのこない味だ。メインはゆずこしょうのラーメンで、あっさりとしつつも、だしが良く効いている。噂によると猫からだしをとっているというが、真相のほどは明らかではないが、とにかく、他に類を見ない凄まじくおいしいラーメンなのだ。

 ぺろぺろりん。

うん、おいしかった。

 今日も、ゆずこしょうラーメンをいただいた。いつも、ラーメンとライス小のセットで食べるのだ。あ~食べた食べた。



 ラーメンを食べた後の帰り道は、久々に色々なことを思い出しながら、帰った。

 最近またへんなふうに忙しくて、こっちの辺に来てなかったなあ、などと思い出しながら、ぶらぶらとして、帰っていた。

 ちょっと前までは、僕も様々なバイトに明け暮れていた。借金返済するために奔走しなければ毎日容赦なく取り立てて来る闇金の男達に嫌がらせをされるので、少しでもお金を稼がなければいけなかったのだ。

 しかし、その状況も、ある父親の思い付きで、一気にひっくり返ることとなった。あろうことか、息子に相談もなく、新興宗教を始めることで、雪だるま式に増えて、一時は借金が家二、三軒分の額にまで到達していた借金が、みるみるうちに、まるで魔法のように回収されはじめたのだった。

 もう少しで、内臓か何かで糊口をしのぐところだった。

 父親が腎臓って二つあって片方無くしても生きていけるんだってさ、へへへ、とか、肺も片方だけでも生きていけるんだぜ、へへへ、とか挙句の果てに、きん●まも片方だけでいいよな、へへへ、とか言い出したときは、流石にこの父もうだめかと思った。

 今は、そのころより、生活に少しゆとりがでて、こうやって、のんびり散歩をすることも出来るくらいにはなったのだった。前は借金取りに追われていたからなあ。

ちょっと前までは、こんなの考えられないよな、と空気をいっぱい吸って、幸せをかみしめていた。しかし、新興宗教という別の悩みの種が生まれてしまったのが、今の目下の苦しみの種だったわけだ。苦しみが新たな苦しみの連鎖を発生させているところを、僕は、逆わらしべ長者状態と勝手に呼んでいる。

 ぷらぷらと、思い出を漁りながら歩いていると、げえ、と足を今すぐにでも引き返したいところに来てしまったようだった。この道は、良く覚えている。前に追い詰められている時期に何度も通った道だったからだ。そのときは、本当に追い詰められていて、それでいて、親はとんちんかんなことしかしていなかったので、自分がなんとかしなくては、と踏ん張っていた。

 追い詰められた末、この借金は到底返しきれない、と思ったとき、借金取りの自宅を調べ始めた。なんとか、彼ら借金取りのぼろを見つけて警察に捕まえてもらえれば、取り立てる人がいなくなるわけでとりあえず、なんとかなるはずだ、という考えだった。今思えばあさはかな考えだ。

そして今、何度も下見をしたその道に入り込んでいた。

 今夜、僕の足がここにむいたのは、深層心理が導いてしまったのだろうか、気を抜いたせいで通い慣れた道を来てしまったのだ。

 そこで、ああ、本当にいやなことを思い出させるところにまた自分で来てしまった、と自己嫌悪に陥りながら、もと来た道を帰ろうとしたとき、微かな悲鳴を聞いた。耳を澄ませていないと聞こえないほどの微かな悲鳴だった。それも一瞬。

 気のせいかもしれない。無視してもいいかもしれない。気のせいならいい。

だけど、万が一気のせいじゃなかったら? 助けを呼んでいる人がそこにいたら?

 僕は足を止めた。

 もしかしたらそこに困っている人がいるのではないかと思うと、つらい思いをしてきた経験が良くも悪くも足を動かす。

悲鳴の聞こえた方へと進んでいった。

 確実に、その声は、このまままっすぐいったところから、聞こえたはずだ。

方角的に、前方のあの借金取りの豪邸から聞こえてきた、と思った。

 まだ、寝る時間には早いのだが、その豪邸は不自然に全ての電灯が落ちていた。僕が観察していたころは、明朝まで消えなかった灯りが、消えている。今は、多分まだ、八時半を回ってないくらいの時刻だろう。時間を確認するための携帯などはあいにく持ち合わせていない。いろいろ借金の関係で携帯会社と契約ができなくなったりしたからだ。

 大きな庭は、ぐるりと全集を柵で囲われている。中の庭は、柵越しに見える。池が作ってあって、趣味が良いのか悪いのか、小便小僧が立っている。

 まさか、本当に何かあったのか、いや、何もないならそれが一番いいのだが。

 大きな正門の横にインターフォンが付いていて、それを押す。

 ピンポーン

 と、屋敷に虚しく響き渡った。反応は無い。シン、と静まり返っている。

もう一度インターフォンを押してみる。

 ピンポーン

 もう一度押したところで、反応があった。

 はい、どなたでしょうか? 

 インターフォンから、声が普通に聞こえた。なんだ、自分の聞き間違いにすぎないのか。

 そのとき、後ろから奇妙な雑音が入る。誰かがが呻くような声が聞こえて、そして、その後一瞬割れた大きな雑音が聞こえ、その後に静かになる。

 逃げろ、という声と、くぐもった破裂音が連続する。

 インターフォンは、切れた。

 いったい何が起こっているんだ。

 突然、屋敷の三階の窓ガラスが割れるとともに、三階から、女の子が、植え込みに落ちてきた。

 再び、逃げろ、という声と、くぐもった破裂音が連続する。

そして、不愉快な不気味な笑い声が、低くどこかから響く。

 僕は中庭に走る。植え込みに、落ちていたのは、高校の制服を着ている女の子だ。

薄暗がりの中で顔をよく見ると、玲子先輩だった。腰が抜けているようだ。

「あ、……。助けて、まだ、パパが。パパが、私を逃がして」

うわごとのように呟く。瞳は、深く恐怖の色をたたえている、いつか見た、恐怖の色。

「しっかりするんです、立てますか?」

 肩を貸しながら、考える。多分中で何かが起こっていて、玲子先輩の父親はまだ逃げれない状況なのだろう。

「先輩は他の人の助けを呼びに言ってください」

「パパが」

「大丈夫です、僕が、中に入って助けに行きます、早く」

 先輩がよろよろと外へと歩き出すのを見届ける間もなく、屋敷の中へと僕は入る。

 嫌な予感がする。肌が粟立つような、嫌な感じが止まらない、こんな不気味な感じは初めてだ。

 だけど、同時に僕は胸に小さな憤りを感じていた。

 あの玲子先輩が、何もかもに絶望した目で怯えていた。何が彼女をこんなふうに追い詰めたんだ。



 玄関の扉のカギが強引にねじり取られるように、壊されていた。誰かが、正面から押し入ったのだろうか?

 とにかく、早く助けにいかなければ。

 入った瞬間立ち込める、鉄の匂いに思わず僕は立ち止まる。血だ、これは。屋敷の中が、生暖かい血と生々しい湿気を帯びている。

 廊下に、人が倒れているのを見つけた。近寄ってみると、即座にもう明らかに手遅れだという量の出血をしていた。廊下の先々に点々と人が倒れており、同様に体のどこかを破くように千切られていて、廊下一面に血だまりが出来ていた。

 それぞれが、小刀から、果ては拳銃、おそらくそれも本物を手にしている。しかし、どの死体も着衣に乱れはない、一瞬で殺されたとでもいうのだろうか。

 完全に、僕の理解の外にある出来事がここで起こっているのだ。

 でも、行かなければ。誰かがまだ、助けを呼んでいるならば、僕はそれを無視することはできない。僕は僕のできることをしなければいけない。

 小さなくぐもった銃声が響いた。

 この廊下の先から聞こえたようだった。

 手遅れになる前に、行かなければ。

 化け物、という叫び声。

 扉を、丁寧に開けている暇なんかない。磨きこまれた高級そうななドアを蹴飛ばすと、部屋の隅でサイレンサー付きの銃を傍に落としている男がうずくまっている。状況から鑑みると、男は壁にぶつけられてそこで気を失っているようだ。

「ああぁ、お前なんでこんなところにいる? もう、余計な人間がここに来ちまったかぁ、ああ面倒くせぇ」

 うずくまる男の近くに、少年が立ってこちらに顔を向けている。

その少年の背格好は中肉中背、しかし、その恰好は普通ではなかった。目を引くのが、体中に巻き付けている荒縄。そして、その顔を覆う夜叉の面。

そいつが面の下から喋る。

「何も気づかずにここに来ることがなければ、お前も、若くして死ぬことも無かっただろうになぁああ? でも、もう手遅れだ、来ちまったのならしょうがねえ。はああ、お前は死ななくちゃいけないのかい、死ぬんだなあァアア」

 そいつは、興奮しているかのように脈絡がなく叫んだ。

 ゾッ、と背筋を悪寒が駆け巡る。

こいつはヤバイ。こいつがヤバイ。

うずくまっている男の手元にある拳銃を取りに駆ける。

 僕は、銃を持ちあげる。意外と、重い。リボルバ―ではなく、オートマチックの拳銃だ。素早く仮面の少年に向ける。

「お前、そこを動くなッ、手を上げろ!」

「えぇ? それで、本気で俺をちゃんと狙ってるつもりあるの? 手ぇ震えてるよ?」

 銃を向けているのに、少年は臆した様子が全くない。

「動くなって言ってるだろう!?」

「動くな、か。はぁあ? 自分の体を見てごらん? 動けないのはどちらかな? ああ、愉快だ」

 地面からせり上がってくる縄に、いつの間にか体が束縛されていく。足元から締め付けるように深く食い込み、その感触に拳銃を取り落す。

 なんだ、これは、どういう仕掛けなんだ。縄から伝わってくる感覚は、冷たく、心を蝕むようだ。

「『自縄自縛』、どうだい、気分はいいかい? 最高かい、自分がまもなく死ぬということをちゃんと自覚しているかい、準備はいいかい? ああ、俺の殺す準備は完璧だ、あ、あ、あ、殺す、殺す?」

 意思をもったように絡みついてくる縄が、僕の意識を恐怖で埋め尽くそうとしていた。

 ただの縄じゃない。

 窓から入り込む月光が、縄にも当たっていたが、縄は月光に当たってもその影を床に落とさなかった。僕を縛っている縄は、じゃあ何なのか、これはなんなんだ。

「ああ、畜生、っ!! あはああああ? 小人がちらつく、うぜえええ、やえべエェエ興奮して来たああああああああ」

 そいつは、ズボンのポケットから鎮静剤のような錠剤を仮面の下に押し込んでバリバリとむさぼる。

 普通じゃない、何もかもこの状況は普通じゃない。

怖い、怖い、怖すぎる。

 体の震えが止まらない。僕はここで殺されるのかもしれない。

 死ぬのか。

「殺す? 君を殺す? 殺すよ、殺すよ、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す千切る捻る握りつぶす八つ裂きにする」

 少年の体に巻き付いている縄が、首をもたげる蛇のように近づいてくる。およそ、八つ。

 荒々しいその八つの縄は、異質、のたうちまわりながら、僕に、近づいてくる。

 そんな極限まで恐怖に襲われた僕の脳内はシナプスが弾けていた。

 今までの人生が走馬燈のように、という奴か、カスミさんの顔が目の前に思い浮かぶ、嫌な思い出まで、フラッシュバックするのか、自分の女装する姿が、徹底的に頭に現れては消えていく。

 最後に思い浮かぶのは、今までの思い出か。

 どうしてだろうか両親の顔が浮かぶ、どうしようもない人達だけれど最後まで借金返済を諦めないで、どういうわけか僕達家族はバラバラになることなく今までこれているって奇跡だ、ぎすぎすしたまま家族が解体していたかもしれないのにどうしてだろう。家族ってそういうものなのかいや普通の家族がどういうものなのか知らないけれど、でもやっぱりそういうものなのかもしれない。子供を守ろうとする親の気持ちはそういうものなのかもしれない。倒れているおじさんも、娘を助けるために自分の体をかけたのだ。


 体に巻き付いた縄のため、僕は身動きが取れない。

奴から伸びる縄は確実に近づいてくる。

体をよじる、必死に抜け出そうと僕は、最後の死力をふりしぼる。

「無駄だってよおおおぉおっぉお、わかんねえええかなあああ? 君には無理だぁあ」

 背筋の凍る嘲笑。怖い、恐ろしい。

 だけど、止めない、諦めない。

 近づいてくる少年の足が、止まった。

いつの間にか、はいよったおじさんが手を伸ばして、弱弱しい力で少年の足首を掴んでいた。

「ちゃんとお前も殺ししてやるから、まっとけぼけえっ」

 おじさんの頭を、サッカーボールみたいに強引に蹴り飛ばす。

 

 こんなの許せるだろうか?

 おじさんは玲子先輩の父親だ。

今まで廊下に倒れていた人たちもきっと誰かの父親だったりして、もっと言うなら、その人たちにはやっぱり両親がいて、子供が大きくなってもう子供と言えない年になってもやっぱりその人たちにとっては子供でだから、みんな本当はこんなふうに死んでしまったりなんかしたら、そこには悲しむ人がいて。

 こんなこと、許せるはずがない。

 自分を締め付けていた、縄の拘束が嘘みたいに緩くなる。

 僕は一歩踏み出す。

 なんだろうか、背中が熱い、背中に入っているものが熱い。

背中に何を入れていただろうか、背後から、鞄の中から部屋中を包み込む光が流れ出している。

「ああっ?」

 奴が怪訝そうな声を出す。

 神は救いを授けるのか?

 いや、かつて、幼い頃にブラウン管の中で見た、プリプラの先祖とも言えるその少女たちの変身の瞬間を僕は思い浮かべていた。

 光り輝く変身アイテム。

 僕は、鞄からそれを取り出した。目もくらむ閃光はそれから、溢れ出している。なんてこった、僕はファンシーなそれを予想していたが、鞄の中に入っていたそれは僕が最も触れていたくないそれ。

 娑喜光教典!

 どうして僕の女装アルバム集が猛烈な光を発しているのだ? 教典の名前に光ってついているから光ったのか? いや、別に光という漢字に何の意味も持たせていなかったはずだ。教典がひかるとかそんな機能を両親が教典に付けていた記憶は無い。今日、修理したときにそういう機能をつけたしたとかそんなことでは説明できない猛烈な光の束。

「お前、その光! それをよこせ、殺す!」

 奴が叫んだ。

もう誰も殺させないし、殺されてたまるか。

 この教典がよくわからないけれど、今不思議な力を宿して、そして、選択の余地く今すぐこれを使いこなさなければ、僕とおじさんは死んでしまう。なんて理不尽な。だけど、どうやって使えばいいんだ。周りには、あのアニメではいた、こういったものの使い方を教えてくれる人語を解する黒い猫はいない。

 まるで夢でも見ているようなグルーヴ感とドライブ感と恐怖感が混ざり合っている僕の脳みそは、スパーキングしそうなほどぶっ飛んでいる。フライミートゥーザムーン、助けてほしい、月に願いを。使い方を今すぐに誰か教えて欲しい。

 あ、正しい使い方思いついた。

 僕は使い方を思いついた、まるで元から知っていたかのように。なんて理不尽な。目前には、のたうつ凶暴な荒縄。

 僕は、教典を高々と掲げて、叫ぶ。

「プリティー メイクアップアーティスト アルティメットメタモルフォーゼッェェエエェ!!!!」

 体中の血管が総毛立つような感触、血流が逆流するような感覚。

とてつもなく恥ずかしくなる単語列を言ったから恥ずかしくなってそう感じているわけでもなければ、頭がおかしくなったわけでもなければ、もう大丈夫だと安心してそんな変な感覚を味わったわけでもない。

 四方八方に出していた教典の光が、僕の周りに収束して形を持ち、僕の体を作り替える。

 想像できるだろうか、光の中では僕が一度すっぽんぽんのフルチンになって、そして、服が再構成されていく例のあれ、美少女たちが誰もが一度は毎週経験する例のあれだ。

 ぱちこーん、ちここーん、ぱちこーん、ぱちんこー、と可愛らしい音と同時に、ピンクのラメラメのミュールが、膝の辺りにピンクのリボンのついたハイソックスが、ピンクの生地に白のレースのドレスが、そして、しっぽりとしたポニーテールが僕の頭についていく。

まるで、三分ほど換装にかかっているかのような体感時間だったが、恐らく実際の時間にして、一秒とかかっていないだろう。

変身を終えた僕の、寸前まで迫っていた八つの荒縄を横に飛んで回避する。

蹴破った入り口のところまで、ひとっ跳びで戻った。僕の動きに縄はついてこれていない。一足飛びで四メートルは優に瞬時に移動した。

「な! おまえええェェ!」

身体能力の大幅な向上と、見た目の女装化、それがとりあえず僕が使える力のようだ。服をちらりと眺める。これは、教典の一ページ目の服装だ。しかし、今はこれにかまっている時間は無い。目の前の奴を止めなければ。

 僕は体をかがめて、両足に力を溜めて、全力で跳ぶ。

 弾丸のように、奴に迫り殴りかかる。奴を止めるために。

 だが、瞬時に少年は八つの荒縄を前方に円を描くように動かして、即席の盾を作る。

 僕は、それに渾身の右ストレートをそのまま叩き付ける。

僕の力を受け止め切れない縄ごと、奴は吹き飛んだ。

「ッッ!」

 そのまま、窓ガラスを破り、奴は外に飛び出す。

 うおっ、やりすぎた!

 僕は慌てて、破れた窓ガラスから、外に落下した奴を探す。落ちたであろうところに目を凝らしてみるが、もうどこにも見当たらない。普段の自分よりも夜目が効くのだけれど、それでも見つけられない。落下したとき、あの縄で落下の衝撃を緩和しつつ降りたのだろうか。

 耳を澄ます。

 植え込みを歩き回る虫たちの足音までも聞こえるが、奴の吐息は一切聞こえない。

 逃げられた……?

 これでひとまず助かったのか? いや、まだだ安心できない、助けを呼ばなくちゃいけない。

 僕は、電話機を探しに屋敷を探し回ろうとしたとき、外から、サイレンの音が聞こえてきた。窓から外を覗くと、続々と赤いランプがやってくるのが見える。

 警察のパトカーが何台も門の前に止まる。

玲子先輩がちゃんと助けを呼べたのだろう、良かった。

 倒れ伏しているおじさんに駆け寄る。息はある、首筋を触る、脈も正常だ。細かい擦り傷や打撲の跡はあるけれど、多分もう大丈夫だろう。

「うっ、どうなったんだ、君は、誰だ……」

おじさんが、目を覚ました。まだ、意識がはっきりしていないらしい、目はどこかうつろで何を見ているのか、焦点があっていない。

「もう大丈夫です、玲子先輩大丈夫です、あなたは、ひとまず休むことです」

 僕は、破れた窓ガラスから身を翻して、闇の中に身を躍らせて姿を消した。


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