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加胡市と僕の日常

「最近流行の新興宗教?」

「そうでごわす、知らないでごわすか? そいつらが、なんか変なビラをまきまくってんでごわすよ」

「よくあることじゃん? そういうの」

「それだけならいいんでごわすけどさ、何人かその事務所にうちの生徒が連れてかれていくの見たって人が」

「まさか」

「だから、正樹も気を付けたほうが良いでごわすよ?」

「やばそうってわかってて、ひっかかる人はいないでしょう」

「いなくならないから、なくならないんでごわすよ、世の中そういうもんでごわす。それに、そういう奴に限ってひっかかるっていうもんでごわすよ?」

「まさかぁ……」

 隣の眼鏡を掛けたオタク、タイヘイの言葉を聞きながら、それでも神楽岡正樹は、自分だけは絶対に引っかからないと思っているが、そのときは、それ以上言うのを止めた。



 僕達が住む加胡市は、この街を走っているJR高山線と木曽川に挟まれて細長く発展した街だ。古くは、上流から下流に材木を運ぶいかだ流しの中継地点と知られていて、また、運ばれた材木はかの織田信長が城を建築するために使ったと言われる。

もっと、下流の方へ行けば、木曽三川が合流してよく堤防が決壊して氾濫を起こしていた海津町が見られる。海津町は、輪中と呼ばれる建築様式とか、ヨハネス・イ・デレーケさんなどの土木工事によって、洪水を乗り切ったりしていたとかいう話を小学校のときに、地域の調べ学習的な時間で頑張って調べたので今でも少し記憶にあるけど、おっと加胡市の特色とは関係ないな。

そうこの加胡市は、高校が三つばかりあって、中学校は五つくらいあって、そして、その全ての学校にボート部があるというと、皆多分驚くんでは、多分。

この加胡市の南側に位置する木曽川は水力発電のためにせき止められてダム湖となっており、カヌーなどと言ったスポーツにばっちしなのだった。全国的に見て、ボート部があるのはレアだというのは直感的に分かってもらえるように、ボート部なら、割とすぐに全国大会へ行けるということもあって、ボート部は大きな部活だった。僕達の通っている加胡高等学校も、ボート部は強い。

 加胡市中心の駅前には、ボロボロになった、ボートを模したマスコットキャラがいる。ゆるキャラブームには乗り切れず誰からも愛されないカーヌンくんは、その安直なネーミングセンスと、カヌーから人の手足を生やしただけのグロテスクな見た目で、まあつまり誰からも愛されていないということだ。

 とにかく、この街は、ボートとかを売りにしていて、特色なのだ。かくいう僕も中学の頃から、ボートが学校の授業に取り入れられていたので、よくこいだりしたものだった。

 カヌーにタイヘイと二人乗りをして、良くひっくり返ったものだった。ひっくり返ることを、チンする、と言う。タイヘイは、チンするたびににやにやといやらしい笑みを僕に浮かべてきた。

 また倉庫にあるカヌーやボートの中には、バナナボートとかいうものもあり、それを指さしては、タイヘイは、バナナでごわすよ、ぐへへ、とこいつは頭がおかしいのではないかと思う程しゃくりあげるように笑ってきた。

彼のおかげで思春期というのを身をもって体感していた。

 この街は、ボートの街だ。さっきから、僕は川とボートの話しかしていない。そう、この街に住んでいるならボートをやるっきゃないよ!

 といってみる僕は、帰宅部だけどね。そして、タイヘイは、自然科学部。部活動を見るだけで、僕達の学校における立場がうっすらと滲み出てくるあたり、哀愁を感じずにはいられないだろう。ごぐふっ。



そういうわけで、神楽岡正樹は、一人で家に帰る。だって、部活動をやっていないのだから。

 先刻、タイヘイに聞いた通り、確かに注意してみると、ビラを配っている人たちがいる。たくさんいる。おっと目があった。瞬時にそらす。自分が勧誘されるのはかなわない。

 最近はやり口が巧妙らしい、というのを正樹は、タイヘイ以外から聞いていた。あるEという女性の場合はこうだという。

 Eは、しきりに勧誘されていた。

 道を歩けば、信者に勧誘される。どこまでいっても、信者が立っていて執拗に勧誘してくる。自分の良く行くいたるところに立っていて、あまりに、多いのでうんざりしてしまった。無視しても無視しても付いて来て、本当に迷惑だったと言う。

あるとき、勧誘の人に、一回だけ話を聞いてくれればもう余計な勧誘やお声がけはしません、と言われた。

本当に一回だけお話を聞けば良いんですね?と、Eは話を聞きにいきそうになってしまった。その一回が、次のもう一回に繋がるということにも気づかず。

そのとき、見知らぬさわやかな青年がEに声を掛けた。

やあ、ごめん、待ち合わせに遅れてしまってごめんね、さ、いこうか、とEの手を引く。

そして、逃げるよ、と青年はEに言って駆けだしたのだ。

ぽかんと間抜けな顔をした勧誘の人を残して二人は去って行った。

Eは、青年のその行動に感動した。これは何という素敵な逃避行だろうか。ロマンチックだ、そう、空想小説的だとさえ思った。

そしてそのまま、彼の家にお邪魔することになった。

 彼女は、質素で素朴なたたずまいにも感心したが、彼女は知らなかった。押入れに、新興宗教のその仏壇一式が隠してあるということを……。

 という話を聞いた。ひえっ。ちょっとホラーみたいな話だ。まあ、最初に話を聞いたときは、僕も心底震え上がった。わがことながら――。

 

 

 僕はそんな新興宗教に引っかかることは無い。というのも、うちがその新興宗教の総元締めだからだった。そう、発祥地、メッカ、或いは、諸悪の根源と言っても良いかもしれない。いや、犯罪に関わるようなことは一切しない両親だが、なんか、もう存在自体が大丈夫かと心配したくなるような色々と危ない人達なので、僕としては早く辞めてほしいのだが。実家が、新興宗教を始めました、というのは、冷やし中華ではあるまいし、迷惑千万極まりない。早く温かな家庭にしたいものだ。

 だって、自分の家が、怪しげな新興宗教を始めたと他の人に知られたら、僕の学校生活はおしまいだろう。想像だに恐ろしい。

そんな噂はあっという間に広まって、そして、誰からもかえりみられなくなってしまうだろう。うっ。そう、このことは誰にも知られてはいけない、僕の安穏な学校生活を壊してはいけない、絶対に。

早く、実家から抜けて一人暮らしをしたいとも思うのだけれど、それも、あと一年半の辛抱。高校二年生の僕は今から受験勉強に精を出して、頑張って、県外の大学に進学をして、奨学金をもらって一人暮らしをするのが夢だ。

僕が、家を出ないのは、親に宗教をやめさせないのと同じくらいに不幸せだ、みたいになんか変な英語の訳みたいに言ってみる。受験英語の一部の界隈で有名なクジラ構文。なんでクジラなんだっけ? まあきっとどうでもいいことだ。



 六月十五日。来年の自分の時のセンター試験まで四百六十二日。

 朝。すがすがしい朝。生徒達がいそいそと学校へ向かう時間だ。そここ、県立加胡高等学校の前には、絶妙な坂道があり、そこを通らないことには高校に到達できないのであった。

その坂道は、根性坂と学生たちには呼ばれている。その坂は実に絶妙だった。別に心臓破りの坂だとか、そういうものでは断じてない。根性坂は、名前に反してそうきつい坂ではない。これは、男子学生たちが苦悩する絶妙な坂だった。

「正樹よ。この坂は、どうしてこう厳しいのでごわすか」

「タイヘイ、毎日毎日飽きないのは凄いけど、もういい加減無駄な努力はやめた方が」

「何を言っているんでごわすか、正樹! ここに坂があるのだ、男なら、諦められるでごわすか!」

 タイヘイは、オーバーに呼吸を乱し、えらがってしゃがみこんだりと、そわそわする。何をやっているかというと、スカートの中を覗こうとしているのだ。見えそうで見えない勾配を持っている、それがこの根性坂で、入学初期の一年生ならまだしも、年中無休で二年生になっても覗こうとし続ける忍耐力に、正樹はため息をついた。

 この坂を軽快に駆け上がる音が後ろから聞こえてくる。

「おっはよー」

「うむ、おはようジャージ娘」

 と鷹揚に、タイヘイは答える。

「お、おはよう」

 と、正樹は声を少し上ずらせながら答えた。

 後ろから走って来た彼女は駆け足のまま、速度を落として並列する。かがんでいたタイヘイは、よっこらせっと立ち上がる。

「はぁー、この坂でその恰好はないでごわすよ」

「いや、これが、うちの部の正装だから」

「せいそう、せいそう、精そっ」

 べしっ、と横合いから僕はチョップを入れる。

「タイヘイ、お前、セクハラやめろ」

 この駆け足をしたまま元気いっぱいな女の子は、カスミという名前のプリティな女の子だ。ハーフパンツと、青と白のジャージを着こんでいる。

ボート部員は、ボートを漕いでないときは何をやっているかというと、ランニングをするので、朝練のようにカヌーを出している時間がない時は、もっぱらランニングをするのだ。

とか、ボート部についての説明を散々してみるが、カスミさんの場合は、見た目通り世間一般が考える通りのランニングする部活動だ、ごめん。

カスミさんは陸上部の女の子だ。髪の毛は、耳にかかるくらいで短く切りそろえていて、ボーイッシュ。カスミさんとは、タイヘイと同じくらいの長い付き合いでかれこれ、六、七年になるだろうか。

僕達みたいなどっちかというと陰キャラ集団に属する者にも、今でも笑顔は絶やさないし、たまに話しかけてくれる。ハッキリ言って天使だ。そして、なんだかんだ言って、今年は僕、タイヘイ、カスミさんは全員同じクラスだ。僕が、死ぬほど喜んだのは秘密だ。

カスミさんは、小柄だが、整った顔は、常に元気で満ち溢れ、体の凹凸は少ないが、人当たりの良い性格も手伝って男子にとてももてる、だけでなく、女子にもファンがいるという才女っぷりだ。昔は本当に男の子にしか見えなかったのが懐かしい。

「タイヘイは相変わらずへんたいだねっ」

「やめるでごわす、なんだか、回文っぽい感じが頭に残るからやめるでごわす」

「気持ち悪いのは間違いないな」

 と僕は、うんうんとうなづいて一緒になってタイヘイに言った。そう言いながら、僕は内心びくびくしていた。

「そんなんだから、いつまでたっても彼女が出来ないんだぞっ」

 うっ、やはり、変態はカスミさんも嫌いですか……、タイヘイに向けられた言葉も、僕を巻き込んで大爆発して心に裂傷が走る、メーデーメーデー。今の僕は変態ではないはずだけれど……。

「な、なにをいうでごわすか、……そんなことは、彼氏のいないカスミにいわれたくないでごわす」

「ぎくっ、へへへ、それは痛いとこをつくな~」

 それだけ言うと、逃げるように、カスミはぴゅーっと走り去ってしまった。

 後姿が、跳ねるように遠ざかる、元気いっぱいの姿だ、ああなんて。

「カスミさん、可憐なんだ」

 とうっかり、口に出してしまって、タイヘイに横目で睨まれる。

「あんなののどこが良いんでごわすか? あんなぺちゃんこ娘、子供でごわすよ、女の趣味は合わないでごわすね。女っていうのは、もっとセクシーなのが一番でごわすよ」

「はいはい」

「ほら、見るでごわすよ、玲子さま~、今日もおふつくしい、ぐふふぐっ」

 しゃくりあげるように不気味な笑い声を上げるタイヘイ。

 あっ、こいつ今すごいふしだらな妄想をしている、と僕は思ったがいつものことだったので、適当に流した。

 鏑木玲子というのは、三年生で生徒会長も務める、孤高の高嶺の花だった。抜群のスタイルを誇り、その妖艶さは、近隣の高校にも名をとどろかす。髪の毛はゆったりと流すロング。今日もタイツもセクシーダイナマイツ。と、タイヘイが申している。鉄の女とも知られていて、玉砕した男達は数知れず。

登校している時間は毎日、鬼の様に正確無比で、正樹は、タイヘイに付き合わされてこの時間に登校しているのだった。

時刻は七時五十分。実に健康的だ。

その後ろ姿をつけて、僕達は登校しているのだが今日はなんだか様子が違った。

くるりと玲子先輩が振り向くと、段々と坂を下ってやってくる。

「こっちに、こっちにやってくるでごわすよ、まさか! わちきついに告白されるんじゃ、うおぉお!」

「そんなことはないと思うけど」

 と、小声でひそひそ話しあう。

しかし、確実にこっちのほうを見ながら、こっちにやってくる。

そして、目の前で止まって、俺達に向かって

「あなたたち、今日、放課後体育館裏に来れるかしら?」

 と言った。

「行くでごわす、行くでごわす、正樹も行くでごわすよね、喜んで行くでごわすって」

勝手にタイヘイは僕の意思を無視して返事をする。おいこら。

「待ってるわね」

形容しがたい落ち着いた大人の香りを、残してそこを立ち去った。

「告白だ告白だ、ついにわちきの願いが通じたでごわす! 夢に見ると魂が憧れている人の元へと飛んでいくというのは本当でごわしたね、思いが伝わったのでごわす」

タイヘイは、変なところでうぶだ。その恋愛観は古いとかどころじゃなくて古典の世界だ。このあいだの古典の授業の源氏物語でそんなのがあった気がする。

「今日まで生きてて良かったでごわす!!」

「だけど、本当に告白なのだろうか?」

「体育館裏は、リンチか告白と相場が決まっているでごわしょ! この二択だったら告白しかありえないでごわしょ!」

物騒な、というか、今度は現代的な意味で古典的だな、っていうか、ごわしょってなんだ、ごわしょって。

しかし、言ってはなんだけれど、いきなり高嶺の花がタイヘイに告白をするだろうか?

「じゃあ、なんで二人一緒に呼び出すのかな? 告白で呼び出すならその告白する片方の相手だけで良いと思うけど」

「それはきっと、恥ずかしいのでごわしょう。正樹はオトメゴコロを解さないでごわすね。こういうのは意外と余計な人がいるほうが落ち着くのでごわすよ、おっと失礼、余計とはマサキどのに失礼でごわしたね」

こいつ、な、なぐりたい、という思いが、僕の胸に去来したがいつものことなので聞き流した。

しかし、世の中そんなに都合が良いことが起こるだろうか? と実家が新興宗教をしている身としては、何かが心にひっかかるのだった。世の中なんでもかんでも裏があるものなのだ。

ドゥスドゥスドゥスという、軽快とは言えない、およそ鈍重な足音が坂の下から近づいてくるのを聞いて、僕は振り向く。

高校に入って出来た僕らの数少ない友達の一人、図書委員長が坂の下からやって来たのだ。本名は確か望月とか言ったけれど、図書委員長だし、ずっとそう呼んでいるからこれからもそうやって呼び続けるんじゃないかな。

身長百六十九センチで体重百三十キロオーバーの彼は、有体ありていに見たままを言うならば、太り過ぎていた。

個人的にだけど、図書委員長はやせたら、イケメンではないかと思っている。今は、そのなんというか肉で顔のパーツがいくらか埋もれているが、パーツパーツは結構イケメンな感じ、というフォローを入れておく。

そんな彼は、半袖短パン。運動着。彼はボート部だった。

毎朝この時間に走っているのは、ボート部では、図書委員長だけだった。他の部員たちはもうとっくに走り終わっている。

彼は、ボート部だったが、ウォーキング部と揶揄されている。というのも、ランニングしなければいけないところを、ちょっと普通に歩くよりは早いかな程度のスピードで外周を歩いて進んでいたからだ。彼の体重を鑑みると、急に走ると逆に体に悪そうな気はする。そんな彼は悪目立ちをして、たまに、ボートに乗ったら沈むだろ、とか馬鹿にされたりする。

しかし、彼はそんな悪口をものともせずに毎朝この坂を歩いている。そんな彼と毎朝すれちがっていたら、その魅力に僕達が惹かれないわけがなかった。そうして、いつの間にか意気投合して、僕達三人は仲が良くなり、ついでに一緒に登校しているときに歓談したりするようにもなっていた。

今日も今日とて、図書委員長は、つかの間の休息とばかりに僕らと歩調を合わせて、僕達は学校へ続く根性坂をてくてく、ドゥスドゥスと歩いて談笑するのであった。



 基本的には、この加胡高等学校は平和だ。

不良が跳梁跋扈するわけでもなければ、学校がゾンビに襲われるということもない。

だけど、最近おかしな話が多くて物騒になってきた。

生徒がおかしな宗教に連れてかれて姿を消してしまう……、という話にしても、それは見過ごせない話だった。そして、なにより気になるのは、それはうちの話なのだろうか? うちの両親はそんなことしていないし、僕もそんなことはさせないんだけれど、心配になって来る。

このところ、そういう雰囲気も相まって、信じられないようなオカルト話が流行している。

隣町の例の赤い屋根の家の犬は人語を解するんだって、とか、愛宕山の頂上で誰かがUFOを呼んだんだって? とか、人を食べる全身口だらけの化け物が徘徊しているんだって、とか大多数の高校生ならもうとっくに卒業している稚拙なオカルト話が、真実味を持って、生徒達の間で蔓延していた。

 火のない所に煙は立たない、だろうか。

 ばこ、と生徒名簿で、突然、僕の頭は叩かれた。

「朝のホームルームを上の空なのはなんで? え、私の話が面白くないって? こらーっ、ちゃんと話を聞きなさーい」

 若手芸人のようなノリで、騒ぐのは、担任の美優先生だ。身長が六尺はある女の先生で、スタイルもいいのだ、喋らなければ美人なのだが……。美優先生の母親の父親がロシアの人だとか背が高いのも納得だ。

「……スパシーバ」

「はいはい、おはよう、目は覚めたかしら~? ちゃんと話聞いときなさい、大事なことなんだから。最近本当に物騒なんだからね! うちの生徒が、今確認しているだけで三人ほど行方不明になっています」

 本当の話なのか! 教室がざわつく。実際に行方不明になっている人がいるとは。まさかね。

「最近流行の例の宗教の勧誘が活発になっているのと、何か関係があるかもしれない。ってあまり、軽はずみに余計なことは言っちゃだめか、でも君子危うきに近寄らず、危ないところには今は特に近づかないように、以上!」

 ううん、まさか? うちの宗教が知らない間に、人を使う謎の人体実験に手を染め始めたとかあるなか? まさかそれはないでしょうあははは……。そんな馬鹿なと否定しようとするが、否定するに足る根拠が自分の頭の中に思い浮かばない。あの親たちなら、もののはずみでうっかり何か予想外なことをやっちゃうかもしれないような気が……。

 今から家に確認しに帰るか? 今? いや、それは嫌だ。次の授業は、待ちに待った古典のグループワークじゃないか。右後ろに位置するカスミさんときゃっきゃうふふと、楽しくお勉強をするのだ。

「どうしたんでごわすか? 正樹、顔色が悪いでごわすよ、保健室にでも行ったほうがいいのではないでごわすか?」

 隣の席で、タイヘイが心配そうにこちらを窺う。

 まて、よく考えよう。目先の欲に引き寄せられて、一生を棒に振るわけにはいかない、もし両親がマジキチサイコである、が真の場合でも、酷くなる前に事態を収拾させるのが先決……。

いや、両親を信じるんだ。

いくらうちの親が馬鹿だからって、まさか人体実験はやらないだろう、いや、うちの親馬鹿だからもしかしてもしかしたらやっっちゃっているのかもしれない……、うああああ。

こうしてはおれない。

「ああ、ちょっと気分が悪いかもしれない」

 そう言って、ガタンと机を揺らしながら、立ち上がった。

「僕、いったん早退してまた帰ってくる」

 とすぐに荷物をまとめて、教室から出て行く。

 

タイヘイに、カスミは聞く。

「正樹くんどうかしたの?」

「いや、なんか具合悪いって言ってたでごわすけど」

 それにしてはすっごい勢いよく、飛び出したでごわすけど。

「大丈夫、かな?」




 正樹宅。

 ぎこぎこぎこぎこ、どじゅ、ぶりゅり

「あ、やばっ、切りすぎちゃったよ」

 ノコギリに着いた脂が、肉を切りにくくする、良く滑る。

 ぶじゅじゅぅぅうううううう

「気にしないで、お父さん。私も斬りすぎちゃったから!」

 僕が、家について、妙だな親はどこにいったんだろうか、と思って、音のする方向に進むと、惨劇が繰り広げられていた。

「お、おおっ、何をやってるんだ……父さん、母さん」

 惨劇。惨劇、血の惨劇、ふすま、ぺたぺた、血の足跡、裸足で歩くものだから、くっきりと血の足跡が出来ている。血だまり、肉のかす、骨の破片。

「あっ、正樹、お帰り! ちょっと帰るの早くないかしら?」

「正樹、今日は早いな!」

 僕は、あまりのグロテスクさにこみあげる嗚咽をこらえきれなくなって、窓に駆け寄る。

「ごぼろうえええええ!!」

 僕は息を大きく吸って、ふう、ふぅ、ふぅう、と息をゆっくりと落ち着ける。

「父さん、母さん、なにやってるんだ!!」

「え、何ってねえ?」

「犯罪に手を染めるなんて!!」

「まっ、犯罪! あはははあははははははは、違うわよ、犯罪なんてやってないわよ」

「違う、そうだな、お母さん」

「そうよ~きっと正樹、勘違いしてるわよ~。あなた、私達を人殺しか何かと勘違いしていない。どうして私たちがそんなことをしていると思うのよ~そんなわけないでしょ? ちゃんと見てごらんなさい?」

「へ?」

 腰から砕けるように僕はへたりこんだ。

「檀家さんに、もらっちゃったのよ、豚一頭」

「豚? これ豚なの?」

 よく見ると人間ではありえない部分とかあるけど、皮膚のところとかちょっともう人間にしか見えない。

「そう、でも外で捌くわけにはちょっといかないじゃない~、怒られちゃうわよ、だ・か・ら」

「そっかそうなんだ……良かった、法律にひっかかることに手を染めたんじゃなかったんだね」

 急いで確認しに帰って来たけれど、杞憂だったのだ。

「当たり前だろう、正樹。一体どんな勘違いをしているんだ」

「いや、てっきり宗教的な儀式か何かで人を殺したりとか」

「ハハハはっは、何を言っているんだそれこそ。うちの神様は、お前だけだよ。人柱なんていらない、いらない」

 そうか、安心していいのか悪いのか……。

「とりあえず、安心したよ、良かった、うちはそうだよね、人さらいとかしてないよねって、ちょっと待った! ここ、僕の部屋じゃないか。豚の解体を、なんで、僕の部屋で、こんなことするんだよ!」

「だって、ちょっと生臭いにおいがもわっと匂うじゃん、てへっ」

「このっ、母さん、かわいこぶったって、母さんもう歳だろそんなのでごまかせるわけないじゃないか」

「酷いっ!!」

「正樹、なんてひどいことを言うんだ、すぐに謝りなさい!! お母さん、かわいいよ」

「ありがとう、あなた……」

「そんなことよりなんで僕の部屋で豚の解体ショーやってるんだ、自分達の寝室でやれよ!」

「二人の愛の帳に、豚の血は似合わないよ」

「まっ(ぽっ)」

「…………」



 僕は、頭を抱えて、階段を降りていく。

 冷たい水でも飲もうと思って、居間を横切り、緑の分厚い本に毛躓いた。ちょっと硬く重く、おまけに小指をぶつけたので、地味にいたかった。

 こんなものがあるせいで、くそぅ。

 緑のその分厚い本の表紙には、娑喜光教典と金押しされている。これが、全ての始まりにして、原典にして、最悪の一冊。

 これさえなければ、今頃グループワークで、カスミさんと一緒にお勉強が出来ていたのに。最近本当にこういうのばかりだ。

 ちらりと机の上に置いてあるセイコーの電波時計を見る。

時刻は九時二十分。

今から戻っても、一時限目には間に合わない。

やり場のない怒りが、ふつふつと湧いてくる。

 僕は、声にならない叫びをがむしゃらに叫んで、娑喜光教典を床に全力で投げつけた。

娑喜光教典は、元々使い古されていて、痛んでいたのだろう、背表紙が崩れて糸がほつれて、床に一斉に散らばった。

「ぐあああああああああああ」

僕に、さらに追加でダメージが入った!

 床に散らばったのは、可愛い女の子が様々な服を着て、可愛いポーズを決めて映っている、それはそれは愛らしいプロマイドだった。少々、幼い子に着せるにはマニアックな、ナース服など、フリルの付いたゴスロリで眼帯といったものから、はては、くノ一といったものも混ざっている。

「ぬあああああああああああああああああああああ!!」

 僕は呻いてのたうち回る。

 新興宗教、娑喜光教。

 それは、僕が、かつて、幼い時にした女装している姿を神のように崇め奉る、奇跡の宗教。教典は、ようは、写真集であった。世界広しと言えども、教典が文字よりも写真がメインという宗教は無いだろう。僕もこれは正気の沙汰ではないと思うが、なんか知らないけれど、どんどん入信者が増えていった。この写真可愛さに。

この女の子の正体が僕だ、ということは両親しかしらない。僕の黒歴史だ、当然だ、誰にも知られてはいけない、いやほんとトップシークレット。

とりあえず、早くこの家から脱出しよう、早く学校に戻らなければ、立ち上がろうとした顔の先に大きな仏壇が鎮座していた。

 それは、大きな煌びやかな、まるでアイドルのライブステージを縮小したような仏壇(?)があり、そして中央に添えられているプロマイドはやはり、その、女装の僕だった。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 正樹はひん死のダメージを負った!

 結局、学校に戻れたのは、二限目が終わって、三限目に突入するころだった。


「はあ、やれやれだ」

 僕がようやく落ち着けたのは、昼休みに入ってからだった。多少ごたごたしてしまっていたし、精神もやや不安定だったけれど、昼休みは本当に落ち着ける。

 図書室の前から部室棟に伸びるアスファルトの廊下へ降りる階段に腰かけて、僕達は食事をする。

 タイヘイと、僕と、図書委員長だけの三人で、昼ご飯を食べるのだ。

 図書委員長は鞄の中から、分厚い本の隣にある弁当を取り出す。

 そして、皆で、同時にそれぞれの弁当の包みを解く。

「相変わらず正樹の弁当おいしそうだな、じゅるり」

 恰幅の良い図書委員長は、僕の弁当の中を覗きこんで目を輝かす。

 昨晩の残りの肉団子を甘酢で和えたもの、彩をそえるミニトマトに、体に優しい十五種の野菜をブレンドしたポテトサラダ、アジの味噌煮、ポットには、豚汁を詰めており、とっても豪華だ。全部僕の手作りだ。

「それ誰が作ったんでごわすか? やっぱり正樹のお母さんでごわすか? うちは、ほら、冷凍食品の詰め合わせでごわすよ、トホホ」

 これを作ったのは、僕だ、と言いしれない自己顕示欲にちょっと襲われるが、こらえる。

「あっ、……そうだね、うちのお母さんがはりきってるんだよね~、恥ずかしいけど」

 と僕は言う。うっかり、自分が作ったなどと言ったら、帰ってくる言葉は女子力高いでごわすな、とかだろうし、自分から地雷を踏みにいくことはないのだ。

「いや、いいお母さんだ、どれ、もぐもぐ、うまい!」

「ははは、それはどういたしまして。あっ、いや、お母さんもきっとおいしいと言ってもらえて喜んでいるよ」

 我ながら、渾身の出来だ。

 押し出しがいい図書委員長の横で、そわそわとタイヘイが横に動いている。なんだろう、タイヘイも僕の弁当が食べたいのだろうか、そうならそう言ってくれれば、あげるのにやぶさかではないよ。

 ちらっちらっと僕はタイヘイにアイコンタクトを送るが、僕とは目をあわそうとせずに、図書委員長を見ている。図書委員長に何か言いたいことがあるのだろう。

 タイヘイは、唐突に話を切り出した。

「図書委員長、わちき、今日の放課後、女の子に告白されるでごわす」

 あぁあ、なるほど、その話か。タイヘイも何か自慢話をしたくなったのだろう。

「へえ! 凄いな。一体どんな女の子に告白されるというんだい? その子はかわいいかい?」

 図書委員長は、テノール歌手のようにいちいち声に張りがある。かわいいかい?とか言うところは、ちょっとビブラートがかかっていた。

「ふふふ、聞いて驚くなでごわす。なんと、あの学校のグラビアアイドル的存在でごわすよ。図書委員長も知っているあの人でごわすよ」

 グラビアいらない、そこはアイドルだけでいいんだよ、アイドル的存在って言えば、と僕は心の中で突っ込んだ。

「ほほう? つまり、グラマーでとても魅力的な女の子ということだな?」

「そうでごわす、ふふふ」

「なるほど、君がそんなに得意げに話す人で、かつ、さっきの条件に合う人は一人だけ思い浮かぶ者がいるが、まさか?」

「ふははは、そのまさかでごわすよ!! そう、鏑木玲子でごわす」

 得意気に話すタイヘイの顔があまりに幸せそうで、僕は話に水を差すことが出来なかった。タイヘイは、告白されると信じきっている。

 図書委員長もまともな良識の持ち主だから、なんとなくそんなことはないだろうと察しているようだけど、タイヘイの気持ちをおもんぱかって良かった良かったと言っている。図書委員長はとってもいい人だ。

 いや、でも本当に告白であるってことが、実はあったりするのかな?



 放課後は、玲子先輩に呼び出されたとおり、体育館裏に、二人で向かった。体育館とフェンスの隙間で、人目は少ない。

 タイヘイは、顔を喜色満面にして、わくわくしながら、今か今かと、玲子先輩の登場を待っていた。

 そして、玲子先輩は、優雅に現れた。確かに美しいその姿。タイヘイの鼻息が荒くなる。

玲子先輩はこう言った。

「あなたたちみたいな、下賤な男達が、カスミに関わっていいはずはないわ。少し優しくしてもらって勘違いしているのかもしれないけれど、あなたたちみたいな人間は、本来、カスミに近寄るのもおこがましいの。カスミが誰にでも優しいからと言って、それに漬け込むような最低な人間はクズ以下だわ。

 今後、カスミに近づいたのを見たら、私、許しませんから。じゃあ、やってちょうだい」

 凍り付く僕達の前から、玲子先輩は姿を消すと、入れ替わりに、ぞろぞろと、屈強な柄の悪い学生たちが現れた。制服のネクタイは、緑。玲子先輩の取り巻きの三年生だ……。

 そして、彼らに僕達は、思う存分たこなぐりされることとあいなった。顔は避けて、丹念にボディに蹴りや、パンチを喰らわす周到ぶり。全く恐ろしい限りの、まごうことなきリンチ。恐ろしや。フルボッコ百コンボ。

 内臓に響く殴る蹴るの悪逆非道傍若無人若気の至り。

一時間ばかりみっちり放課後の課外授業を受けた後、僕達は帰宅することを許された。

帰宅部の僕と違って、タイヘイは自然科学部の部活動に顔を出さなければいけなかったが、今日はもうその気力が残っておらず、一緒に帰宅することにした。

そうして、この日の放課後は、互いにお互いの傷をいたわりながら、下校するのだ。

「カスミは、女性人気高いのでごわしたね……」

「ああ、そういうことか……、今日の朝カスミに声かけられるとこ見てたんだな」

 やはり、告白などではなかったのだ。タイヘイには、甚だ気の毒だったが、これが世の中の現実という奴だった。それはいつも無慈悲に真実を突きつけてくるのだ。

 しかし、二択に絞り込むまでは、タイヘイの言う通りだったわけだ。体育館の裏に連れ込むときは、リンチか、告白か。

いや、というか、今回の場合ある意味、告白カミングアウトと、リンチだったわけで、まさしく両方とも的中だったのだ。

それにしても下賤な男て、下賤て、酷い言われようだ。



 僕は、散々互いに慰め合った後、それぞれの家路についた。


 僕はくたくたになって、家に帰って裏の玄関から入る。表からは、信者を集める道場に繋がっているので、人の出入りが多い。もし、そこに知り合いがいて、自分が教祖の息子だなんてばれたら大変なので、なるべく人目につかない方から帰る。

そして、二階にある自分の部屋に上がっていく。今日はくたくたなので、今すぐにでも布団に倒れ込みたい。

ドアを開けると、ああ、そうだった、大惨事。

「豚の解体って中々終わらないわね~」

「そうだな、慣れないから丸一日かかってしまうね」

 ううう。

 僕は、床に倒れ込んだ。

「今日はどこで寝ればいいの?」

「ほら、最近夜も暑いでしょ、でも豚肉って冷たいのよ」

「豚肉と一緒に寝ろって!?」

「ちょうど、いいじゃないか、正樹は動物昔っから好きだろう?」

 そんな無茶な……僕が好きだったのは生きている動物だ。動くことを止めてしまった静物じゃないよ……。

 結局その日は、リビングのソファに枕を持って行って、一晩を過ごした。自慢じゃないが、怖い物は苦手で、夢に豚のゾンビに延々とどこまでも追いかけられるという夢を見た。


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