1~嵐さって~
とある村娘ユディタ。村長である父親が今日の夜に会合を開くので食事のための食材を求めて森へ向かう。嵐が去った森、そこには……。
厚い雲は一体いつごろ晴れたのだろうか? 気が付くとさんさんと輝く日の光は家の真上に顔を出していた。
「ジル!! おいで! 今日はやっと森に出かけられるわ!!」
木の枝で編まれたバケットを揺らしながら楽しげな少女の声が玄関から響く。木で頑丈に組み立てられた家の隅々にまで少女の声が届くと一つバオ、と鳴き声がして茶色いふさふさの毛皮をまとったガイオーク(この世界での犬のような存在)が大きな体を揺らして2本に分かれた尾を必死に振りながら少女の前に現れる。
「さあ、今日は昨日出来なかった食料集めよ! 村での会合が近いのだから沢山集めなくては!」
目の前に現れた少女の腰まであるガイオークのジルの頭や首、胴体を丁寧に撫でまわしながら少女はハシバミのような目を嬉しそうに細める。
昨日は一日中本当に恐ろしい嵐だったのだ。風はヒュンヒュンなり続け、雷はゴウゴウと唸りちらしていた。村を歩く人の姿はおらず、そして自分たちも父親から任された最重要事項である食料集めを断念せざるを得なかったのだ。
「おはよう、ユディタ!早いね。森に行くのか?」
と、そんな父親のことを思い出しているとその張本人が寝起きの目をこすりながら玄関へとやってきたのだった。
「おはようございます、お父さん。会合は今日の夜でしょ? お父さんは村長なんだから美味しいお料理を出して良い所見せなくちゃ、ね?」
「ほんとに仕事熱心だね、ユディタ。そういうところは母さんに似たのかな」
にこり、とほほ笑みながら父親は少女、ユディタの髪を優しく撫でる。その髪の色は母親のそれと同じ。そして、嬉しそうにまた細まったハシバミのような瞳は父親のそれと同じ。けれど、こうして任せたことを楽しそうに、それこそわくわくした様子で向かうのは自分でも母親でもなく娘のユディタ自身のものだと思うと、自然と父親の表情は嬉しさで緩んでいた。
「気をつけていっておいで? ジル、ユディタを頼むよ?」
またその言葉に応えるようにジルがバオ、と勢いよく声を上げる。それに満足すると父親がわしわしと少しだけ乱雑にジルを撫でまわした。
「そろそろ行ってくるわ、お父さん! 帰ってきたらお料理の準備をしているお母さんとエレ姉さんに合流するわ!」
「行ってらっしゃい、ユディタ」
ユディタが外へと出ると、追いかけるようにジルもまた駆けて出て行った。その様子に本当にユディタとジルは仲が良いものだ、と父親はまた目を細める。ユディタがまだ小さい頃、まだ小さいから行ってはいけないと教えたはずの森へ親の目を盗んで入ってしまったことがあった。当然方向感覚など未熟な娘は迷子になり、一晩中ユディタの父親や母親、まだ幼いながらもユディタの姉であるエレ、そして村の人々で森を探し回っていたのだ。そして誰かが見つけた時、とてつもなく驚き肝を冷やした記憶は今でも鮮明だった。人を避けて逃げる、けれど不用意に近づいた人に襲い掛かってくるという獣……ガイオークの巣の中でなんとユディタはスヤスヤと寝息を立てていたのだ。その時まるでユディタを包み込み、守るように傍に丸くなって眠っていたガイオークはユディタを連れ帰ろうとすると吠えかかり、襲い掛かろうとしてきたため、いっそのこととジルと名付け、ユディタの家で引き取ったのだった。
「今ではすっかりユディタの親友だからなあ、ジルは」
もしかしたらユディタは幼かったがゆえにジルに保護されていたのかもしれない。きっとジルはガイオークの中でも比較的母性愛が強くて、人であったとしても森に迷い込んだ哀れなユディタを襲わず保護してくれたんだろう。それが今でもこうして続いているのだからジルは本当にユディタを娘のように思っているのかも、そこまで考えて父親は首を勢いよく振った。
「いかん、いかん。そんなはずもないだろう。……さ、私もユディタたちに負けないよう仕事に励まなくては」
「ジル、見て! 美味しそうなキノコがこんなに沢山!!」
森についたユディタの腕の中には既に山盛りのキノコが積まれ、持ってきたバケットにはジルがどこかから咥えてきたベリーが爽やかな香りを放っていた。
「すごいわ、ジル! ベリーを摘んできてくれたのね?」
バオン、と嬉しそうに声をあげるとジルはキノコをバケットに入れるユディタの顔を優しく舐めて褒められた喜びを表現する。
「あはは、くすぐったいわ!」
大きな体を両手で受け止めながらユディタはバケットの中身をもう一度眺めてクスリ、と笑った。これだけのキノコがあればお母さん特性のスープは森の出汁が効いた絶品物で決まりね! ベリーもあるし、エレ姉さんが作るパイもきっとおいしいベリーパイになるわ!
「でもね、何か足りないと思わない? ……そう、メインディッシュよ。お母さんがいつも作ってくれるお皿にのったおかずのことよ。何かいいものはあるかしら?」
ジルを優しく放すとユディタは立ち上がってバケットを置いたまま辺りを歩き回る。ここで手に入るものって他には何かしら? 鳥のお肉……? いいえ、この森にすむ鳥はどれも小さくて食べられないわ。獣のお肉は? ダメね。この森にいるのはガイオークよ。そのお肉をわけてもらうなんてジルを悲しませてしまうわ。じゃあ、あとは……。
「……あら?」
ふと、そんなユディタの視線に一つ、まっ白い物が写る。あれは何かしら? これまで一度もみかけたこともないような白で、木々の間からここだよ、と訴えかけているようにも思えた。
「ねえ、ジル。あれは何かしら?」
けれど、ユディタがジルへと視線を移すより先に、ジルはタッタとその白に走り寄るとユディタと白を交互にみやる。
「一体それは何……、わあっ!」
ジルの脇に思わず駆け寄るとユディタも驚きと発見に感嘆の声を上げた。それはユディタの腰ほどまである大きな卵だった。汚れ一つない純白の白い楕円は木々の合間から漏れる日の光を受けて金色に光っている。
「卵ね! ……でも、とっても綺麗ね……。これだけ綺麗ならきっとお料理したら美味しいに決まってるわ!」
きっとお父さんたちも喜ぶに違いない。今から美味しそうに卵料理を頬張る父親や村の偉い人たちを想像してユディタの頬も緩んだ。
「よいしょっと……わあ、重たいっ」
優しく卵を抱き上げるとユディタはまた来た道へと歩き出す。
「あ、そうだジル! バケット持ってきてくれる?」
そこで、卵を見つける前に置いてきてしまったキノコとベリーが詰まったバケットを思い出してジルへとユディタが振り返った。だが、いつもなら嬉しそうに一つ吠えてついてくるジルがついてこない。それどころか、ユディタが卵を拾った方向を険しい様子で睨み付けながら歯をむき出して唸り声をあげている。
「ジル……? どうしたの、ジル?」
心配になってユディタが少しずつジルへと近づいた。
「バムッ!! バオムンッ!!」
急にユディタへと激しくジルは吠える。驚き、足を止めた瞬間、木の上から大きな鳥のような何かが舞い降りると一直線にユディタへと突進してくる。
「……きゃあっ!!」
ジルが吠えていなかったら、きっともう少しジルに近づいていたならこの鳥の串刺しになっていただろう。ユディタの一歩前には鋭いくちばしを地面に差し込んだ泥まみれの鳥が地面から抜けようと必死に翼をばたつかせていた。衝撃で転んでしまったけれど、ユディタには怪我一つなかった。
「あ、卵っ!!」
けれど、ユディタの腕の中にあった卵には微かに小さな黒い筋が見えた。きっと転んでしまった拍子に罅入ってしまったのだろう。けれど卵の心配をしているとジルが全速で駆け寄ってくると急げ、と言いたいように唸り声を上げた。
「そうね、ジル!! 逃げましょ!!」
慌てて立ち上がるとユディタは卵を抱きかかえたまま走って森の入り口へと向かう。お願いだからまだくちばしよ、抜けないでと心の中で必死に願いながら……。