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「決戦」

 ……そんなこんなで、翌日である。

「…………」

 ちゅんちゅんと煩わしい小鳥の声に、俺は目を覚ました。視線を横に向ければ、相変わらず、俺のベッドで爆睡している結城の姿。寝付きの良い方だとは思っていたが、こんな日にまで爆睡出来るなんてなぁ。と、ちょっとだけ感心する。

「……よいしょっと」

 立ち上がる。普段なら力付くでも起こす所だが、一応、今日は休日だ。現在家出中で不登校のこいつにはあまり関係の無い話だが……ま、もう暫くは寝かせておいてやろう。

「…………よく寝てんな、しかし」

 初日から思っていた事だが……図太いのか、単に意識されてないだけか。……まあ、なんにせよ、変に意識されるよりは良かったのだけど。

「……………………」

 幸せそうに眠るこいつの顔を見つめていたら、ふと、手が彼女の髪の毛に伸びていた。

「……………………」

 昨日と違い、結城は仰向けに寝転がったまますやすやと寝息を立てている。その寝顔を見ながら、細い髪の毛を撫でる。

 ……今更だが。やっぱり美少女だよな、こいつ。

 普通に喋ってるときならともかく、こうやって静かに寝ているこいつの顔は、予想以上に可愛くて。

「…………まず」

 頭を振って煩悩を打ち消した。意識したら駄目だ。最低でもあと一日は、こいつの信頼を裏切っちゃいけない。

 ……そりゃあ、下心が無かったわけじゃない。だって男だし。この展開だし。期待しない方が無理ってものだ。が、それとは別に、純粋にこいつの力になってやりたいという思いもやっぱりあった。

 まあ、ともかく。……俺がしなきゃいけないのは、こいつの為になること。

 今日一日、心行くまでこいつを笑わせてやることだ。

「…………よし」

 軽くひと撫でして、俺は結城の髪の毛から手を放す。そのまま振りかえろうとして――ふと、思い立ち、もう一度結城の顔に目を向けた。

 そのまま、静かに目を瞑る結城に対して、一言。

「――起きてる?」

「…………っ」

 ……身体は反応しなかったが、形の良い眉が、一度ぴくんっと跳ね上がる。

「…………起きてるな」

 もう一度、呟くように言うと、結城は瞳を閉じたまま、顔が真っ赤に染まっていった。

「……やっぱりか」

 ……つまり、結城に俺がしていたことがばれていたわけで。羞恥で赤く染まる顔を手で覆い、大きく息を吐く。

 結城はようやく目を開けると、恨みがましい視線を俺に向けて言った。

「…………だ、だって、仕方が無いじゃないですか…め、目を覚ましたら、鈴太さんがわたしの髪を触ってて……それで、その……どうすればいいのか分からなくなって……」

「……あー、そりゃ悪かった」

 なるほど、あの時に起きたのか。……やっぱり、無造作に触れたりするもんじゃねえな。髪は女の命って言うし。反省反省。

「……それで、あの。どのような御用でしょう」

 身体を起こした結城は、顔を赤く染めたまま、身体を竦めながら聞いてくる。……その顔は、何故か何かを期待しているようにも見える……が、別に理由なんて無いわけで。

「いや、単に寝てるかどうかの確認してただけだよ。……まあ、髪に手が伸びたのは、確かに出来心だったけど、……心配しなくても、それ以上の理由なんてないよ」

「…………そうですか」

 安心させるつもりでの返答だったのだが、何故か結城は若干不満そうに唇を尖らせて、ふいと視線を逸らした。……よくわからなかったが、寝顔を見られるのが気恥ずかしいのだろう。と、勝手に納得して、俺は立ち上がる。

「……つっても、今日は朝食も普段より遅いし、未だ寝てても良いぞ。休日だしな」

「そうですか。……でも、折角起きたので、このまま起きておく事にします」

 そうか。と一言返して、俺はクッションの上に腰を下ろした。

「…………」

「…………」

 ……で、微妙な沈黙。結城はベッドの上に座って、居心地悪そうにもぞもぞとしている。

「……あ、あの」

「ん、なに?」

「……何でもないです」

 俯いて呟く結城。……よくわからないが、本人が何でも無いというのだから、なんでもないのだろう。

 はぁ。と息を吐いて、窓の外を見る。

 外は晴天。絶好のお出掛け日和だった。




「……よし」

 朝食も食べ終わり、お盆も寮監様に返した。

「んじゃ、久々に外に出るか」

「は、はい……あの」

 振り返ると、結城は何やら言い難そうに、下を向いて口を噤む。

「なんだよ?」

「いえ……その……わ、わたしはこの服装で良いのでしょうか」

 自信なさげに呟く結城の服装は、ここに来た時に着ていた制服である。

「よ、良く分からないんですけど……その、この服装は、自分でもどうかと思うんです……! きゅ、休日ですし……!」

「……あー」

 ……まあ確かに、制服というのは目立ちやすい。補導の対象にもなりやすい……が。

「……まあ、大丈夫だろ。休日だからって制服着てる学生が全然居ないってわけじゃない。部活や補修なんてのもあるし。気にすんな」

 言いながら、結城の頭にぽんと手を置くと、結城は俯いたまま小さく唸った。

「……ま、そんなわけで、外出するわけだけど……とりあえず俺が先に、玄関から外に出て窓側に回るから、お前はそれを確認してから外に出てきてくれ。靴は……と」

 三日前、クローゼットの奥に押し込んだな。そういえば。俺はクローゼットを開けて、結城の靴の入った袋を取り出すと、彼女に渡した。

「ほら」

「あ、はい」

 結城が手に取ったのを確認してから、手を離す。……さて。

「んじゃ、俺は外に出るから。お前もちゃんと準備しとけよ」

「……は、はい」

 こくこくと頷く結城から踵を返し、俺は扉を開けて外に出た。そのまま後ろ手で扉を閉める。

「……ふぅ」

 扉の前で瞼を閉じて、一度深呼吸。

 ……さて、とにかく今日の目的は、アイツを楽しませることだ。

 これから先、アイツがどうしようもない日常に戻っても、それでも、人生に楽しい事はあると教える為に。今日という一日が……いや、今日まで過ごした日々が、無駄じゃ無かったと、何時か思えるようにするために。

 俺は、今日一日頑張る。……そう決めた。

「……よし」

 気合いを入れ直し、瞼を開ける。と、何故か目の前に、良く見知ったハニーフェイスがあった。

「……相川くん。何やってんだお前」

「いや、別に何でも。ただ、見知った顔が扉の前で瞳を閉じて動かなかったからさ、遂に故障でもしたのかと」

「故障て……」

 俺はアンドロイドか何かか。

「……ま、普段通りみたいで安心したよ」

 そう言って相川は肩を竦めると、ひょいと俺の前から退いた。

「それで、外出するみたいだけど、これから何処に行くの?」

「ああ、今から――」

 アイツと遊びに行く。そう言いかけて、思わず口を噤んだ。……まあ、事情を知っている相川なら、別に言った所で問題は無いのだろうけど……でも、寮の廊下で話したら、誰に聞かれるかわからないし……。

「……ああ、なるほどね」

 俺が黙り込んでいると、相川はふっと口元を緩ませる。どうやら俺の沈黙から、何事かを悟ったらしい。……ほんとこいつは、鋭いというか、怖いというか。

「それじゃ、何時ものように、僕が適当に言い訳しておくよ。オーケー?」

「……ああ、助かる」

 とはいえ、それは敵に回した時であり。手を貸してくれる分には、本当にこいつほど頼りになる奴はいない。

「……悪いな。何時も何時も」

「いいよ別に。それこそ何時もの事だから」

 そう言って、相川は笑うと、踵を返して自分の部屋に帰って行った。

「……なんというか、」

 ……つくづく、凄い奴というか、変わっているというか。まあ、あの寮監様に逆らえる時点で、とんでもない人材ではあるのだが。

 ただまあアイツに言わせると、俺も大方変わっているらしいので、どうとも言えない。お互いに相手の事を変人と思っているというのはどうかと思うけど、まあ、だからこその友情関係。みたいなもんだしなぁ……。

「……っと、いけないいけない」

 立ちつくしている場合では無かった。アイツの事だから、今頃窓の外を覗きながらそわそわしている事だろう。

 俺は踵を返し、廊下を歩きだす。寮内は流石に休みなだけあって平日の昼間よりは人が多いが、それでも皆外出したか、部屋で寝て過ごしているかのようだ。……これなら、まあ何とかなるか。

 知った顔の奴に話しかけられても適当に返事を返しながら、俺は玄関にたどり着いた。

 ……後は、ここを出るだけ、なのだけど。

「……あのー。何故、寮監様はまるでラスボスか何かのように立ちはだかっておられるのでしょうか」

 腕を腰に当てて仁王立ちする寮監様は、どう見ても、俺を待っていたわけで……。

思わず普段以上に腰を低くして問えば、寮監様は固い表情のまま、口を開いた、

「……行く前に、ちゃんと話を聞かせて」

「……ここで?」

 ……一応、今は人が居ないとはいえ、ここは仮にも玄関だ。それなりに人通りのある場所なので、あまりこんな所で話をしたくはないんだけど。

「すぐすむから。……というか、例え聞いたとしても問題無いわよ。アタシがここに居るし。それに」

 それに、もう終わるんでしょう。とは言わずに、寮監様は一度息を吐く。

「……んで、アンタは何処に行く気なの」

「ああ、アイツ連れ出して、ちょっと遊びにいくつもり」

 軽く肩を竦めながら言うと、寮監様はそう。と小さく呟き、肩を落とし、

「……んじゃ、いきな」

 そう言った。

「……あれ」

 思わず呆気に取られる俺。そのまま立ちつくしていると、寮監様は訝しげな瞳を俺に向けた。

「……なに、なんか文句でもあるの」

「いや……文句は無いけどさ」

 もっと、何か言われると思っていたから、少し意外だったという、ただそれだけではあるのだけれど……。

「……別に、アンタがそう決めたのなら、それでいいの。アタシは」

「まあ、そう言ってくれるのは嬉しいけどさ。……でも、」

 良いのか? 昨日帰って来た時は、思いっきり怒り心頭していた癖に。それからは、まあ、アイツが近くに居たから、寮監様もあまり強い事は言えなかったようだけど。

「……まあ、確かに昨日はブチ切れてたけどさ。でも、アンタらがそれで同意したって言うんなら、アタシには何も言えないんだって。そもそも、これの責任、全部アンタが持ってるじゃん。……責任の無い立場からは、何も言う事は出来ないわよ」

「そんな……」

 ……まあ、確かに、あまり寮監様を巻き込んでしまわないようにと思ってはいたが、でも、それはそういう意味じゃない。

 今日までの三日間、寮監様には迷惑を掛けっ放しだった。……だから、それくらい言う権利は、絶対にある筈なのに。

「別に良いの。そもそも言う事なんて無いし。アタシはね、そりゃあ悪い奴や、正しくない奴に対しては本気で怒るけど、そうじゃない奴には寛容だから」

「……それを言われると、俺は怒られるしかない気がするんだけど」

 眉根を寄せて呟く俺に、寮監様はおかしそうに笑うと、でも、と言葉を続ける。

「アンタは……そうだな。グレーゾーンかなぁ。悪い奴だけど、やってることは正しいから。……だから、今日は見逃してあげる」

「…………」

 ……何というか、ジンと来た。良い人だとは思っていたけれど、まさか、こんなに良い人だったとは。

「……俺は」

 ……だから、だろうか。

 ほんの少し、鎌首を持ち上げた弱気から、俺は視線を落として呟いた。

「俺がしてるのは正しい事かな」

「……ま、正しいんじゃない。このまま放っておいても何も解決しないってのは確かだし。……それに、話を聞いた限りじゃ、あの子にも非があったみたいだしねぇ」

「じゃなくて、……だ」

 俺が言いたいのは、そう言う事じゃなくて。そんな、『客観的に見た正しさ』じゃなくて――

「アンタは、正しいよ」

「……………………」

「その証拠に、あの子笑ってるじゃん。アンタ、それが見たかったんでしょ? ずっと笑わせたかったんでしょう? だったら大成功。アンタの大勝利よ。これでアンタが間違ってるって言う奴がいたら、アタシがぶん殴ってやる。だから胸張って行ってこい。アンタは、あの子の事を救ったんだから」

「……林檎ちゃん」

 ……ヤバい。ついさっき感動したばかりだというのに、またも感動してしまった。本当にこの人の心の深さは其処がしれない。俺や相川なんて比べ物にならない程の変わり者……それを超えて、もはや大物である。

 ……そして、そんな人に、ここまで太鼓判を押されたなら、俺はもう迷う暇なんて無い。ここまで後押しされて、それでもまだ躊躇っているようなヘタレではない。

 顔を上げて、寮監様の顔を見つめる。

「じゃあ、行くよ。俺」

「ああ、行ってこい」

 毅然とした態度で呟くと、寮監様は腕を組んで満足げに微笑んだ。その顔に感謝しつつ、俺は寮監様の横を通り、げた箱から自分の靴を取り出して、穿き始める。

 寮監様は俺に背を向けたまま、ぼそりと。

「……ところで、さ。アンタ――今、アタシを何て呼んだ?」

「――――」

 一瞬、凍りついたように固まる俺。……バレなかったと思ったが、やっぱり気付かれていたか。

「アンタね……」

「おっとストップ! その話は後にしてくれ。……ほら、アイツが、待ってるからさ」

 鬼の形相で振り返る寮監様から逃げるように靴を穿いて、俺は数歩後ずさった。寮監様は納得がいかないような顔で俺をしばらく見つめているが、結局、はあと大きな息を吐いた。……寮監様を名前で呼んでも怒られないとは、流石は結城パワーである。

「……わかった。さっさと行ってこい」

 俺から視線を逸らし、厄介者を追い払うような仕草で手を振る寮監様に感謝しつつ、今度こそ俺は踵を返した。



 寮を出て、右に向かい、外周をぐるりと半周する。自分の部屋の場所まで来た所で、周囲を確認してからフェンスを乗り越えて、雑草の上に着地した。

「……おし」

 周囲に用心しつつ数回、窓をノックする。と、控えめに窓が空き、結城が怯えた小動物のように少しだけ顔を出した。

「そんなビビらなくても大丈夫だよ。ちゃんと確認したし。……ほら」

 苦笑しながら、結城に手を伸ばす。結城が俺の手を掴む。

「…………」

 ……なんというか。

 まるで、舞踏会でお姫様をダンスに誘う王子様のようだ。なんて、妙に詩的な事を考えた。

 もっとも、そんな主人公を気取るには、俺はあまりにも捻くれているし。

 お姫様というには、こいつはあまりにも、消極的過ぎる。

 ……まあ、それで構わないさ。

 主人公である必要なんて無い。そんな詩的で劇的な人生なんて、残念ながら送れないから。だったら、俺はただの庭師で良い。王子のような、格好良くキマッたヒーローなんかじゃなくて。たまたま出会ったお姫様に、外の楽しさを教えてやれる、彼女が抜け出すのをお手伝いするような――そんな、平凡な男で構わない。

 結城のもう片方の手から靴を受け取り、彼女の手を引いて窓枠の上に引き上げる。

「わっ……と!?」

 窓枠に乗った結城はバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れ込む。

「っと、おい……!」

 とっさに彼女を受けとめようと前に出て――そのまま、鈍い音を立てて頭をぶつけ合う。

「あうっ」

「っだ」

 で、そのまま芝の上へ。俺は結城を抱えたまま、仰向けに倒れ込んだ。

「――っだぁぁ……おい、お前は大丈夫だったか」

「……は、はい」

 痛む後頭部を抑えながら視線を上げると、結城は俺にのっかかったままで、ぼんやりと呟いた。俺が下敷きになったおかげか、特に怪我などはしていないようだ。……それを確認してから、俺は一度、ため息を吐く。

「……はあ」

 まったく……つくづく決まらない。でもまあ、そんな所が、やっぱり俺達らしいというか……。

「……間抜けだなぁ。俺ら」

 そう言って、俺は笑い。

「……そうかも、ですね」

 そう言って、彼女も笑った。




「……で、ここですか?」

 街に出て、駅を抜けて、電車に揺られて数十分。辿り着いたのは、この街で唯一のテーマパーク。……いわゆる遊園地だ。

「そ。こんなとこなんて来たことも無さそうだしな。まあ、一日めいっぱい楽しむなら、一番かなと……おー、人いっぱいだ」

 所詮は田舎の赤字テーマパークとはいえ、流石に休日。家族連れだのカップルだので溢れている。

 ふと隣を見ると、結城は無言で俯いている。

「……どした?」

 もしかしてこういう所は駄目だったのだろうか。

「いえ、なんでもないんですけど……その、あんまり人が多い所は、得意じゃなくて」

「あー……」

 まあ、どう見てもインドア少女だしなぁ。……実際、俺も人ごみが得意ってわけでもないし。

「…………」

 首を振って、気合いを入れ直す。……俺がこいつを楽しませなきゃいけないのに、こんな所で引いちまってどうすんだ、俺は。

「……よしっ」

「うぁ……っ!?」

 結城の手を掴み、俺は入口へと歩き出した。もう文句も聞かん。ここまで来たんだから、後はもう強引にでも楽しませてやるだけだ。



 一日のフリーパスを二枚買って、テーマパークの中に入る。入口を少し奥へと進んだ先の広間で一度足を止めて、俺はパンフレットを片手に結城へと振り返る。

「さて、まずは何処に行きたい? どっか希望あるか?」

「えっと……そう言われましても……。まず、ここに何があるのかもわかりませんし……初めてですから」

「ま、そうだよな……」

 とはいえ、特に捻りがあるわけでもない平平凡凡としたテーマパークだ。メジャーなアトラクションは大体揃っている。

「んじゃ、まあ……最初は定番所と行きますか」

「うぁ……っ!?」

 パンフレットを畳んで鞄にしまい、再び結城の腕を掴むと、結城が小さく声を上げた。

「……っと、悪い。そりゃ、掴まれるのは嫌だよな」

 謝りながら掴んだ手を放す。……どうにも腕を掴むのが癖になっているというか、放っておくとそのままふらふらとどっかに行ってしまいそうなので、危なっかしいというか。……何にせよ、女の子の手なんて、そう簡単に掴んで良いものじゃないよな。うん。童貞君にはちょっと重い。

「いえ……嫌では……無いですけど……でも、その……」

「……? ま、良いや。なんにせよ……えっと、こっちだな」

 目的地の方に向き直り、俺はゆっくりと歩を進める。と、結城が慌てて付いてくる。

「…………」

 何も言わずに、俺は気付かれないよう無言で歩幅を狭める。

 ――さて、まずは……。



 そうして数分程、歩いた先にあるものと言えば。

「……お、お化け屋敷……ですか……」

「おう。ま、王道っちゃ王道だろう」

 隣を見ると、結城が明らかに引いているのが分かる。……まあ、どう見ても怖いのとか得意じゃなさそうだしな。

 ……いや、だからと言って、別に他意があるわけじゃないけど。そんな、お化け屋敷にありがちなハプニングとか期待してませんから。

「さて……とりあえず入るか」

「えー……」

 ……そんな、あからさまに嫌そうな声を出さないでほしい。

「良いから入ろうぜ。入れば楽しめるかもしれないだろ?」

「うう……あんまり期待できないです……」

 顔を顰める結城から視線を逸らし、俺は息を吐いて踵を返した。

「ほらほら。行くぞ。何にせよ、とりあえず楽しまないと損だからな」

「ううう……す、鈴太さんの鬼畜っ!」

 文句を言いながらも、小走りで俺の後ろを付いてくる結城に、俺は気付かれないように苦笑を洩らした。



 ――で。お化け屋敷の中での状況は、大方予想通りなので割愛する。

「……はぁ」

 二人並んでベンチに座り、大きくため息を吐く。最初のアトラクション後とは思えない程の疲れようである。

「……疲れました」

「結構迫力あったな……」

 ……予想外だったことと言えば、お化け屋敷のクオリティが思った以上に良かったことか。……お陰で、俺まで立場を忘れてビビッてしまった。

「……いかんいかん」

 首を振ってベンチから立ち上がる。こんなことで気後れしていたら、今日の目標なんてとても達成出来やしない。

 改めて気合いを入れ直して、俺は未だベンチに項垂れる結城に視線を向けた。

「で……、未だ駄目そうか?」

「はい……ちょっと……もう少し休ませてください」

 ……まあ、こっちは仕方が無いか。文字通りの阿鼻叫喚だったからな。

「あー……ちょっと待ってろ」

 適当に周囲を見渡すと、丁度近くに自販機があった。小走りに自販機に近寄り、適当なスポーツ飲料を二本買って、ベンチに戻る。

「ほら」

「はい?……あ、ありがとうございます……」

 顔を上げた結城の前に缶をぶらつかせると、結城はおずおずとそれを掴む。俺もその隣に腰を降ろし、缶を開ける。

「…………ふぅ」

 缶を傾けると、冷たい飲料が身体に染み入る。そのまま二、三度口を付けてから横目で結城を見ると、プルタブに指を掛けたまま、何故か眉を八の字にして動かなくなっていた。

「……まさかと思うけど、開けられないとか言うんじゃなかろうな」

「……てへっ」

 思わず呟くと、結城は困った顔のままでわざとらしく首を傾げた。まあ、そのわざとらしさを含めて可愛らしいのだが、それを本人が無自覚にやっているというのが怖い。

「…………はぁ。貸せ」

 俺はため息を吐くと、自分の缶を横に置いて、結城に手を向ける。と、結城はおずおずと缶を俺に差し出した。

「すいません……ありがとうございます」

「これくらいでお礼を言われてもな……」

 何をいまさら。と言った感じだ。

 プルタブを開けて再び結城に渡す。結城は缶に口を付けると、軽く傾ける。

「……ふぅ」

 で、口を放して小さくため息。

「……何か駄目ですねー。わたし」

「……? なんだよ、いきなり」

 再び横目で結城を見れば、結城は缶を両手で抱えて俯いている。

「折角遊びに連れてきてもらったのに、相変わらず、鈴太さんに迷惑ばかりかけている気がして……」

「そんなことかよ」

 思わず呆れる。こいつは一体、何を気にしているのやら。

「今更だろ、それ」

「い、今更って……確かにそうですけど……」

「まあ……なんだ」

 缶の中身を全て飲み干して、俺は再び立ち上がると、近くのゴミ箱に投げ入れる。で、結城の方に目を向けて、笑った。

「そんな風に思うなら、折角だからもうちょい楽しもうぜ。まだ全然回ってないし。俺はその為にここに来たんだから。お前が今日楽しんでくれるなら、そいつが今の俺にとって一番だ」

「…………」

 結城は、暫くキョトンとした顔で、俺を見上げるが、すぐに慌てたように首をこくこくと縦に振って、

「は、はいっ」

 そう言って、缶を一気に傾けた。

「……っ!? げほっげほっ」

「あー……いやな? だからってそんなに焦らなくていいからさ」

「は、はいぃ……」

 気管にでも入ったのか、涙目で咽る結城に呆れつつ、思わず苦笑した。




 そんなわけで。急降下型のアトラクションだの、回り続けるアトラクションだの、ゲームセンターだの……ともかく一日掛けて、俺と結城はテーマパークを端から端まで遊びつくした。

 それはもう……ともかく楽しむ為に。

 俺達が抱える不安だとか、人生の理不尽さとか、そういった事を全て忘れて。

 明日には、何もかも元通りになるということも、忘れて。

 ……いや、むしろ。

 明日には何もかも終わってしまうからこそ、今この瞬間を、楽しむために。

「……壮観だなぁ」

 日も暮れかけた頃。俺と結城は、最後の締めとばかりに観覧車に乗りこんだ。

「そうですね……」

 田舎のド真ん中とはいえ、流石に高所からの景色はそれなりに壮観だ。結城も窓に手を当てて、外の景色を見つめ続けている。

「……で、どうだった。今日は楽しかったか?」

「はい……凄く……」

 同じように景色を見ながら、何でもない事のように聞くと、結城は同じように窓の外を見たまま答える。

「……凄く」

 結城は目を瞑ると、もう一度、心から呟いた。

「……そっか」

 俺はその様子を見て、思わず肩の力を抜いた。

「……それなら、良かった」

 呟いて、結城と同じように窓の外に視線を向ける。夕暮れ時。……楽しい時間の終わりを知らせる、赤い夕陽。

 この観覧車を降りたら……この遊園地を出たら、それで、俺と結城の物語はお終いだ。

 結城は家に帰り、俺の部屋は再び一人部屋に戻り……そうやって、それぞれの日常に戻って行く。

 ……つまらなくて、どうしようもない、何時もどおりの日常に。

「…………」

 窓の外をぼんやりと見つめながら、今日の事を思い返す。

 今日は楽しかったけれど。……確かに、楽しかったけれど。でも、だからこそ、終わりは寂しくて。

 だから、本当にこれで良かったのか、今更ながら、不安に思う。

 俺は、正しかったんだろうか。

 ……俺は本当にこいつの為に、何かが出来たんだろうか。

「……ねぇ、鈴太さん」

 ……物思いにふけっていると、結城が窓の外を見たままで、不意に口を開く。

「鈴太さん言いましたよね。人生は変わらないって」

「ああ……そういえば、そうだったかな」

 人生は変わらない。

 日常は、どうしようもない。

 そう簡単に、人間は変われない。

 ……本当に後ろ向きで、あまりにも当たり前な、世界の真理。

 それを変えたくて足掻いていた結城と、それを認めたくなかった俺。その二人が出会った結果が、これだ。

「でも……わたしは、きっと、良かったと思います。……鈴太さんに出会えて」

「なんでだよ」

「だって……」

 結城は、視線を窓から俺の方へと向けて、微笑んだ。

「……楽しかったですから。こんなに、どうでも良いと思っていたわたしの日常が。鈴太さんと出会えたおかげで、本当に――ほんとうに、楽しかった、ですから」

「……そっか」

 それだけ答えて、俺は視線をもう一度窓の外へと向けた。

「それなら……よかった」

 ……窓に映る俺の顔が、なんとなく赤く見えるのは、多分、夕焼けのせいだろう。




 観覧車を降りた俺達は、そのまま出口へと向かった。

「鈴太さん、今日は、ありがとうございます」

「ああ……ま、楽しんでもらえてよかったよ」

 ゲートを通りながら、隣を歩く結城の言葉に、俺は笑う。

 夕日は落ちて、薄ぼんやりとした夜空の中、街灯が道を明るく照らしていた。

「…………さて」

 ……日は既に暮れている。だったら、いい加減、家へと帰る時間だろう。

「……んじゃ、一度あの部屋に戻って、荷物を取ったらそのまま向かうぞ」

「…………はい」

 結城は俯いたまま、小さく頷く。……その姿に、先ほどまでの楽しげな姿は無い。

 そんな姿を見ても、今の自分には何も言えないし、何も出来なかった。俺に出来る事は、あの楽しい夢のような世界の中で、とっくにやりつくしてしまっている。

 だからここからは、こいつの番だ。こいつが自分で、現実に向き合う番だ。

 夢に逃げることも、妄想に浸ることも許されない。……それでも、今日の出来事が、こいつのこれからの日常に、少しでも良い影響を与えたら……と、思う。

「……………………」

 俺の後ろを、無言で歩く結城。その、辛そうな表情を、俺がどうにかすることは出来ないし、多分、どうにかするべきではない。……分かってはいるのに。

「…………くそ」

 気付かれないよう、小声でぼやく。

 分かっているのに……どうして俺の心は、こうもモヤモヤしているのだろうか。

 自分に出来る事は、全てやった筈なのに。

 心のどこかで、未だ足りないと思っている。

 自分に出来る事なんて、もう無いのに。

「あー……あの――さ」

 頬を掻きながら、隣を歩く結城に声を掛ける。

「はい……?」

 顔を上げた結城の瞳が俺を見つめる。

 勿論、続く言葉は何も無い。きまり悪く頬を掻くと、結城は不思議そうに首を傾げた。

「……えっと」

 自分は、何を言うつもりだったのだろう。それも分からない。ただ、漠然としたモヤモヤが、胸の内を渦巻いていて……。

 ……ああ。これは結局、今までずっと感じていたものと同じで。世の中の、どうしようもない理不尽に対する苛立ちと。それをどうにも出来ない自分の無力さに対する苛立ちと同じものだ。

 ……だったら、これはどうしようもない。自分には何も出来ないし、自分には何も言えない。そもそも、それを認めたから、俺と結城はここに居るわけで。

 ――本当に?

 むしゃくしゃが収まらない。分かっているのに、苛立ちが止まらない。

 ――いや、そもそも。

 むしゃくしゃしているということは。苛立ちが収まらないと言う事は。

 それは、結局のところ――俺は、それを認められてないということで。

 結局自分は、『そんな当たり前の理不尽』を、未だに受け入れられていない……ということなんだろうか。

「……はあ」

 足を止めて、息を吐く。と、隣の結城は、ますます不思議そうな顔をする。しかし、そんな顔をされても困るのだ。だって、自分でも分かっていないんだから。

 俺は隣の結城に顔を向けて、再び、口を開く。

「…………なぁ――」

「――かのみっ!!」

 ふと吐き出した俺の言葉を、低い男の声が、打ち消した。

 声がした方――自分たちの後ろを振り返ると、そこには、一人の男性が立っている。

 スーツを着た壮年の男性だった。短く切りそろえた髪を整髪料で整えて、彫りの深い精悍な顔立ちをしている。ただ、その目元だけが、神経質そうな細い目付きをしていて、妙に印象的だった。

 隣の結城が、男から距離を取るように少しだけ後ずさる。無意識なのだろうか、その右手が俺の袖を掴む。

「お、父さん……」

 男の顔を見ながら、酷く怯えた声で小さく呟く結城。巡りの悪い俺が、その一言でようやく状況を察した頃には、厳しい顔をした男が早足で俺達の前まで歩いてくる。

「…………っ!」

 俺の袖を掴む力が、少しだけ強くなる。それでも、俺は動けない。

「かのみ! 今まで何処に居たんだっ!」

 男が俺達の前に立って、その腕をかのみに伸ばす。

「や……っ」

 結城はそれから逃れるように、俺の後ろへと回り込む。それで、ようやく男は俺を見た。まるで、今初めて俺に気が付いたかのような反応だ。

「……君は、かのみの一体何だね?」

 訝しむような視線が、値踏みするように俺に向けられる。その視線に居心地の悪さを感じつつ、俺は頬を掻いた。

「えっと……麻上鈴太というものです。細かい話は落ち着いた所で話しますが、結城かのみさんを保護していました」

「保護……?」

 ただでさえ細い男の瞳が、更に細まる。当たり前か。俺みたいな子供が自分の娘を保護していたなんて妄言、そう簡単には信じる事は出来ない。どころか、もっといかがわしい想像をする方が自然かもしれない。

 ……が、あからさまな敵意の視線を向けられつつも、俺は今持って動くことが出来なかった。

「はい。保護です」

「家出少女を保護したなら、警察に連絡するのが常識的だとは思わないか」

「連絡が遅れた事は謝ります」

「君がこの娘を誑かしたんじゃないのか」

「誓って、あり得ません」

 男の視線に、真摯に、誠実に、真っ向から答える。寮の連絡先や寮監様の事を言ってしまえば、もっと簡単に信頼を得られたかもしれないが、あくまでそれは最終手段だ。

「…………まあ、良い」

 信用したわけではないのだろうが、このまま俺と睨みあっていても埒が明かないと踏んだのだろう。男は俺から視線を逸らすと、俺の後ろに隠れる結城に再び目を向ける。

「かのみ、家に帰るぞ」

「あ……う……」

 結城の視線が俺の方を向く。袖を掴む力は、ますます強くなっていく。

「…………」

 頼るような、縋るような、そんな表情で見上げる結城に、俺はやんわりと首を横に振る。

 だって、遅かれ早かれこうなる筈だったんじゃないか。

 少なくとも今日の夜には、俺はこいつを、家に送り届けるつもりで。

 それで「はいそうですか」と納得してもらえるとは、初めから思ってはいなかった。厳格な親だと言うなら尚更だ。

 だから、これはむしろ、良い事なんじゃないだろうか。

 心の準備は確かに出来ていなかったけれど。それでも、ある意味では手間が省けたとも言える。

「このままかのみは家に連れて帰る。それで良いな」

「…………はい。連絡先を教えてくだされば、後で荷物はお届けします」

 ……そう、納得するしかない。

「そんな……っ!?」

 結城が動揺している間に、男が結城の細い腕を掴んだ。

「ほら、帰るぞ。まったく……」

「い……や……っ!」

 男が強い力で結城を引っ張ると、結城は俺の袖を掴んだまま、それに抵抗する。

「嫌じゃないっ! この数日でどれだけ他人に迷惑を掛けたと思っているんだ!」

「……知らない! 知らないもんっ!」

 結城が取りみだしたように首を振ると、男は更に眉根を寄せて怒声を上げる。

「この……馬鹿娘っ! 急に私に意見するようになったと思えば、今度は家出とは! とんだ不良娘だ!」

「そ、そんな子供に育てたのはお父さんじゃんっ!」

「私はそんな娘に育てた覚えは無いっ!」

「だったらもっとわたしの話を聞いてよっ! 全然分かって無い! 正しい事はお父さんのお陰で、悪い事は全部私の所為なの? わたしの事なんて全然興味も無いくせに、勝手な事言うなぁああ!!」

「…………っ! 興味が……無いだと……! 私は、お前の為を思って言ってるんだ! 人の気を知らないのはお前の方だ! 勝手な事を言うな!」

 男がひと際大きな怒声を上げると、結城はびくりと身体を竦める。その拍子に力が緩待ったのか、結城の身体が男の方へと引き寄せられる。

「帰るぞ!! これ以上他人様に迷惑を掛けるなっ!」

「……い、嫌だ……っ! だって、だって未だ今日は終わって無いのに!」

 男に腕を引かれながらも、結城は俺の腕を掴んで離さない。

 抵抗を続けながら、声を上げる。

「お礼も言って無い。お別れも言って無い! 未だ今日は終わって無い! 折角、楽しい事が出来たのに! 折角、何か良い事が待っていてくれそうだったのに! こんな中途半端に終わったら……わたしはまた、今まで通りに戻っちゃう!」

「馬鹿を言うな! それが正しいんだ……っ! それがわからないのか……っ!!」

 ああ、多分。その通りなんだろう。理不尽な人生。どうしようもない人生。それが変えられないのは――それが正しいからだ。

 結局のところ、俺達は子供で――どうしようもなく子供で。俺達が持っている人生の尺度なんてのは、本当に偏った、殆ど役に立たないようなもの。

どれだけ理不尽な物に見えても、結局のところ正しいのは、大抵の場合大人の方で……それに納得できる年齢になった時には、大抵の場合、もう遅い。

 自分は子供だから、それを無条件に納得することは出来ないけれど。

 だからと言って、それが理解できない程に、子供でも無かった。

 ……むしゃくしゃは、するけれど。

 だから、男の言葉は、正しい。どうしようもないほどに、正しい。

 それくらいは、俺にも分かる。

「――なのに、どうしてそんなに嫌がるんだ! どうしてそれが分からないんだ! それの――何が嫌だと言うんだ! かのみっ!」

 それでも――セミロングの髪を振り乱しながら――結城は叫ぶ。

「嫌なの! わたしはもう嫌なんだっ! そんなつまらない日常は――自分で考えた妄想に閉じこもりながら……何か、素敵な出来事が、やってくるのを待つような人生は……っ!」

 大きく息を吸い。そんな当たり前の理不尽ただしさ全てを、否定するように。


「――そんな理不尽な人生、そう簡単に受け入れられるかぁああっ!!」


「――――」

 ――無意識に。

 本当に無意識に。俺は、腕を振り払っていた。

「――――え?」

 ――結城を掴む、男の腕を。

 間の抜けた声は、男と結城、二人分だった。

 先程まで怒声を響かせていた親娘は、今や完全に沈黙して、呆気に取られた顔で俯いた俺を見つめている。

「――――」

 顔を上げる。

 結城を庇うように一歩前に踏み出して、俺は再び、真っ直ぐに男の顔を見つめる。

「なんだ、君は……」

 男は眉根を寄せて俺を睨みつける。

「やっぱさ……」

 納得なんて……、出来るわけが、ない。

「あんたの言葉は確かに正しい。うん。俺達は子供で、あんたは大人だ。正しいのはあんたで、間違ってるのは俺達の方なんだろう」

 それくらい、誰だって分かる。正しいのは男の方で、美しいのは男の理屈で、俺達の言い訳は、無骨で醜い、間違っているものだ。

「――でも、それだけだ。あんたの理論は美しいけど、そこにコイツの感情が全く持って考慮されてない。最大多数の幸福ってのはさ、結局最大多数にとっての幸福であって、個人の幸福じゃないんだよ」

「だから――君は一体何を言ってるんだ!」

「間違ってるって言ってるんだよ。死霊侯爵さんよ」

 後ろで、結城が息を飲んだのが、なんとなくわかった。

いよいよ理解出来なくなったらしく、「はぁ?」という間の抜けた声を上げて、男は眉根を釣り上げる。

「……わけが分からん。帰るぞかのみ。こんな頭のイカれた男に付き合っていられるか」

「いや……でも……!」

「だからさぁ……」

 そんな事だから、あんたには分からない。

 そのわけが分からない言葉は、他ならぬあんたの娘さんのお言葉だ。

「それが、あんたには分からない」

 結城が、どんな風に世界を見ているのか。

「自分の人生は自分じゃどうしようも出来ない。それくらい、分かってるんだよ。俺たちみたいな子供でも、そんな事、当たり前に理解している」

 結城が、どんな風に日々を生きていたのか。

「楽しくもなんともない日々とかさ。幸せでも不幸でもない日々とか。そういう『つまんねー日常』を受け入れるしかないんだって。俯いて下向きながら、歩いていくしかないんだって」

 結城が、どんな風に――あんたを見ていたのか。

「そんな事、俺も結城もわかってんだよ。でも……さ……」

 ――むしゃくしゃしていた。

 理由なんて何も無い。

 ただ、人生の理不尽と、そのどうしようもなさに、ただただ苛立っているだけで。

 自分の人生なんて、自分ではどうすることも出来ない。

 それが理解できない程に、子供ではないけれど。

「そんなもん、『はいそうですか』と納得出来るほど、大人になったつもりもねぇんだよ!!」

「ひゃ……っ!?」

 即座に身を翻し、呆気に取られる結城の腕を掴み、俺は走り出した。

「逃げるぞっ!」

「き――貴様――っ!!」

 後ろから聞こえる怒声を無視して、俺は夜の街を疾駆する。

「す、鈴太さん……っ!? な、何やってるんですかっ!!」

「あぁ!? なんだよ! 文句でもあるのか!!」

 困惑した結城の声に、俺は振り返りもせずに答える。

「文句どころじゃないですよ! な、何やってるのか分かってるんですか鈴太さんっ!」

「ああもううっせぇな! 分かってるよっ!!」

 分かっているどころか、進行形で後悔中だ。

 ああもう……本当になにやってんだ俺は。

 こんなことしても、何の意味もないって分かっている。それどころか、俺と結城の今後を悪くしているということも、全部理解している。

 ――でも。

「お礼が言いたいんだろ!? お別れしたいんだろ!? 未だやりたいことが残ってるんだろ! だったら行くぞ! 理不尽? どうしようもない? 知ったことかっ! 何処までだって俺が連れて行ってやる! だって――未だ、未だ今日は終わって無いっ!!」

 だから、走る。

 苛立ちを吐きだすように足を踏み出す。

 理不尽の象徴に背中を向けて――ひたすらに走り続ける。

「――鈴太、さん……っ!」

「あ……? なんだよ? お姫様抱っこでもして欲しいのか……!?」

 後ろから聞こえる声に、俺は息を荒げながら答える。冗談のような台詞だが、結城が望むなら本気でやってやるつもりだった。

 良いじゃないかお姫様抱っこ。おまけに逃走っておまけ付きだ。

 最高だ。

 今更それを躊躇うような羞恥心は、今の俺達には多分残されてない。

「そ、それは……、それで素敵なんですけど……でも、自分で……走りますっ!」

 同じように息を荒げながら、結城はそれでも、はっきりと答える。しっかりと、自分の足で走りながら。

「鈴太さんっ!」

 結城がもう一度俺の名を呼ぶ。

「なんだよっ?」

 俺が振り向くと、結城は、今までに見た事が無いような、本当に心から、満面の笑みを浮かべて、

「ありがとうございますっ!」

「――――おうっ!」

 力強く答えて、俺は再び前を向いた。

 夜闇の中、街灯と車のライトが照らす歩道を走り続ける。

 背後は振りかえらなかった。男が追ってきているかもわからない。

 それでも、ひたすら走り続けた。走り続けている内に、どうしてかおかしくて、妙に笑いが込み上げてくる。

「……っぷ」

「……くすっ」

 俺の吹きだした声に対応するように、結城も不意に笑いだす。

「ぷ……く、くくっ……ははっ!」

「ふふっ…あはははっ!!」

 走りながら、二人で笑う。

 無理をして笑ってるわけじゃない。本当に、何故かおかしくて。

 現状が、おかしくて。面白くて。

 ああ――なんて、愉快で楽しい、非日常なんだろう。

 俺や結城が求めていたものが、今、ここにあった。

「あっはっはっはっはっはっはっは!」

「あはははははははははははははっ!」

 笑いながら、走り続ける。

 街灯に照らされた夜の街は何処か幻想的で、この両足が、ちゃんと地に付いているのかすら、あやふやな気分になってきた。

 ああ――きっと、今なら何処までだっていける。

 相手のペースなんて考えても居ない。ひたすらに全力疾走で――それでも、繋いだ手だけは離さなかった。




エピローグは21時予定

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