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「運命の夜(?)」

 現在の俺の住処は所謂高校の男子寮であり、その他諸々の男子寮と同じく、当然門限というものが存在する。

 ただ、三流というわけでも一流というわけでもない、中途半端な二流進学校の常として、その校則は案外いい加減だ。

 ……そんなわけで。

「よっと……」

 窓を飛び越え、暗い自室へと入り込む。片手に持った靴は、袋に突っ込んでその辺に投げといた。もともと脱走用の靴なので、何も問題は無い。

「……さて、後は……」

「麻上?」

「…………!」

 ノックも無く扉が開かれる。思いっきり身構えてしまったが、部屋を覗いて来たのは隣部屋で俺の友人、相川だった。

「帰ったんだ」

「あ、ああ……ただいま」

 お帰り。と、相川は眠たげな瞳を擦りながら答える。

「悪いな、起しちまったか?」

「いや……丁度トイレに起きたところだったから、大丈夫」

 大丈夫。という割には途切れ途切れに話す相川に、俺は苦笑しながら言葉を返した。

「悪いな、今日も誤魔化してもらって」

「……まあ、何時もの事だから。それに、そんなに大変なことでもないし……駄目だ眠い……」

「無理すんな。おやすみ、相川」

 おやすみーという間の抜けた声とともに、扉が閉まる。寮監さまも流石に寝ている時間だ。ようやく、部屋に静寂が訪れた。

「……さて」

 ひとつ息を吐いて、俺は開けっぱなしの窓から顔を出し、

「もう良いぞー。ほら、立て立て」

 すぐ真下にしゃがみ込む、一人の少女に声を掛けた。

「はい。手を出して。あ、その前に靴脱いでくれる?ほら、一応土足厳禁だし」

「…………」

 無言でこくりと頷くと、少女は器用に脚だけで靴を脱ぐ。

「んじゃ、その靴をこちらに」

「あ、……はい」

 少女は一度屈んでローファーを掴むと、俺の方へと差し出した。

「はいよ……」

 片手で靴を受け取り、俺はもう片手に吊り下げたコンビニ袋の中身(主にお菓子類)を机の上にぶちまけた。

 そうして空になった袋にローファーを突っ込むと、部屋の端にあるクローゼットの中に放り込む。

「これでよし……っと。さて、じゃ、手を貸して」

「は、はい……」

 恐る恐るといった様子で差し出された手を掴み、窓枠の上に一気に引っ張り上げる。少女はやや危うげながらも、無事両足での着地を果たした。

「ふう……」

「はふ……」

 二人で意味も無く安堵のため息を吐き……それから、未だ手を繋ぎっぱなしだったことに、二人同時に気がついた。

「…………あー」

「……!? な、なんで急に力を込めたんですか!? もう手を放しても良いですよね!?」

「……いや、なんとなく」

 女の子と手を繋ぐなんて人生でホント初めての事ですし。この機会逃したら次が何時あるかわかんないし。ついでにちょっと感触を楽しんでおこう……なんて、これっぽっちも思ってないですし。

「…………」

 ……冷たいし、ちっこいし、それに細いなぁ……。色も白いし。かなり未知の感触だ。男の手と同じものとは思えない。

「ああの……いい加減放してくれないと、恥ずかしいんですけど……」

「ああ、ごめん」

 顔を真っ赤にする少女から、俺はようやく手を放した。……ううむ。なんか、もしかしたらかなり恥ずかしい事をやってなかったか、さっきまでの俺。

「ありがとうございます……」

「……いえ、こちらこそ」

 ……何故手を放しただけで礼を言われなければならないんだろう。……ついでに、どうして俺も言い返しているのだろう。意味が分からない。

「……ま、いいや。とりあえず、そこに座って。……っと、電気付けないとな」

 部屋の廊下側まで歩いていき、電灯のスイッチを押す。その間に少女はおどおどと俺の指し示した机の前へと座る。

 部屋が明るくなったのを確認してから、俺は部屋が明るくなったのを確認してから、彼女の対面に腰を下ろした。

「それで……」

「…………っ!」

 びくりと身体を震わせる少女。……うん、まあ。そりゃあ警戒するわな。

「……そんなに警戒しないでも良いよ。別に手は出さないからさ」

 肩を竦めながらとぼけた調子でそう告げた。……緊張感を解くつもりだったのだが、逆効果だったらしい。少女は一度大きく震えると、ますます身体を縮こまらせる。……仕草が胡散臭過ぎただろうか。

 ……しかし、これだけ怯えているにも関わらず、決して文句や拒否をしないのは、やはり自分の状況を分かっているからだろうか。家出した末に匿ってもらっているのだから、それはもう、『何をされても』文句は言えない訳で。

 ……とはいえ、俺は別にナニをしたいわけじゃなく。

「……とにかくとりあえず聞いてくれ」

 俺は、少しだけ真面目な顔をして、少女に向き直る。

「俺は別に、君を傷付けたくてここに呼んだわけじゃない。むしろそういう輩から遠ざけたくて匿う事にしたんだ。信じなくても良いから、それだけは知っておいてくれ」

「――――」

 キョトンとした顔で、少女は俺の顔を見つめ返す。

「――まあ、アレだ。ついさっき会った男を信用しろって方が無理だと思う。その警戒は大事だよ。だから、俺を完全に信用しないでも良い。むしろ信用するな。……そうだな、例えば、俺が君にそういった不義を働こうとした時は、君は遠慮なく大声を出して叫ぶと良い。ここは男子寮だけど、寮監さまは女性でね。基本的に女性の味方なんだよ」

 曰く、『童貞足るもの紳士たれ』だとかどうとか。アホかと突っ込みたくなるような教訓なのだが……まあ実際、一部以外は一切女っ気の無い我が高の男どもは基本女性に免疫が無い。しかも女との接触が無い所為で妙な理想まで持っているから性質が悪い。ある意味童貞の鏡である。もう一度言う。アホかと。

「そんなわけで、君の安全は保障する。……もちろん、この言葉を信用するか否かは君次第だけど。抵抗する自由だけは絶対に約束する。……だからもう少し、緊張を解いても良いんじゃないか」

 ……我ながら妙な言い回しだ。信用しろと言っているのか、信用するなと言っているのか分からない。安易な信用を求めないことで、信用させるという高等テク……でもないかな。うん。

「――さて、それじゃあ。未だ自己紹介をしていなかったな。俺は麻上鈴太。この高校の二年生。君は?」

「……結城かのみ。中学二年」

 中二……ね。まあ、ある意味納得と言えば納得かもしれない。何しろ盗んだバイクで走りだす年齢だから。家出くらいならするかもしれない。

 ……そうして、ふと思った。

 もしかしてこれは――俺が待ち焦がれて、そんなものは無いと理解しながらも求め続けた――非日常ってものなんじゃないだろうか。と。

「……いやいや」

「…………?」

 首を振って、不謹慎な考えを打ち消した。

 この娘は家出して来たんだ。きっと、随分と不幸なことがあったに違いない。それを自分の楽しみの為に使うなんて、流石に分別が無さ過ぎる。突然首を振る俺に首を傾げる少女に視線を向けて、苦笑しながら口を開いた。

「……わかった。それで、結城さん? 君は一体、どうして家出なんてしたんだ」

 ……いや。これは単に、家出少女の保護として必要なだけだ。これからどうするにせよ、事情聴取だけはしておくべきだろうし。

 だから、決して個人的な興味の為じゃない……為、だけじゃない。

「……えっと」

 少女は眉根を寄せて、誰が見ても分かるくらいに困った顔をすると、視線を右往左往した後、ふっと顔をうつむけて、そのまま、上目使いで聞いてきた。

「……あの、ちょっと、まとめる時間をくださいますか?」

「お、おお……。良いよ。ゆっくり考えを纏めてくれ」

 少女の問いに、俺は余裕のある台詞を返す。……少し動揺したように見えるのは、気の所為だ。

 いや、ごめん。やっぱ気の所為じゃない。

 ……だってさあ。何度も言うけれど、こちとら彼女居ない歴=年齢の、生粋の童貞なんだっつうの。

 そんな、由緒正しい童貞様には、上目使いは、流石に威力が高すぎた……。


 ……そうして、数分経った末、少女が語りだした家出への経緯は、俺が想定していた悲劇なんかよりもよっぽど驚愕の事実と仰天の真実に塗れた、悲劇だった。

「――しかし、敵はあざとかった。なんと奴らは、私のお父さんの身体を乗っ取っていたのです。こうなると、私には抵抗する手段がありません。並居る亡霊たちならばともかく、流石にお父さんを攻撃することはできませんから」

「…………」

 先ほどまでの寡黙さは何処へやらといった様子で、少女は何処か熱の籠った口調で、自分の事情を語り続ける。

「それで、わたしは死霊侯爵に身体を乗っ取られた父の魔の手から逃げきる為に、聖女にしか使えない神聖魔術を使い亡霊の住処となったあの家からどうにか脱出した。という事です」

 ……えっと。うん。簡単に彼女の言う事を纏めてみよう。

 何でも、幼い頃の彼女は普通の人間だったらしい。それなりに裕福な家庭。優しい父親と、優しい母親。何不自由暮らしていた幼少時代。

 しかし、そんな少女の幸せは、不意に終わりを告げる。母親の病死によって。

 それ以来、優しかった父親は何かにとり憑かれたように仕事に熱を出し、休日は部屋にこもりきり。そんな毎日を繰り返し、家庭は冷え切ってしまったのだとか。

 そんな生活を数年続けた後、不意に彼女は神託を受ける。……ある意味コレが、真の悲劇の始まりだったのかもしれない。

 神託を受けた彼女は、母親が死んだのは古に封印された悪魔の仕業であることと、自分がその悪魔を祓う事の出来る聖女であること。……そして、父親が悪魔にとり憑かれていることを知った。

 真実を知った少女は、自らに与えられた力を使い、並居る悪魔を打ち消していく。そうして、何時しか父親にとり憑いた悪魔を取り除く為に。しかし、敵の方が早かった。敵は父親の身体を完全に乗っ取ると、彼女に襲いかかり――で、冒頭に戻る。

「それから私は走り続けました。私の聖女としての力の大部分は死霊侯爵ことサミジナによって封印されていましたし、その残った力も全て追ってを振り切るのに使ってしまいましたし……もはやこれまでと諦めかけた所に現れたのが、」

 若干演技過剰気味に、少女はその細い指を伸ばすと、まっすぐに俺に向けた。

「貴方だったんです」

「……はあ」

 恐ろしい展開に、思わず生返事を返す。

 ……少女が語りだした家出への経緯は、俺が想定していた悲劇なんかよりも、よっぽど驚愕の事実と仰天の真実に塗れた悲劇で……。

「……あのさ、ちょいと質問なんだけど」

「はい、なんでしょうか?」

 すっかり慣れたのか、それとも開き直ったのか。少女は普通に聞き返してくる。……それは嬉しいのだけど、今はそんな事問題じゃ無くて。

「その――亡霊の追ってだっけ? それ、今も追ってきてるんじゃないの? 大丈夫なの?」

「……だ、大丈夫です! 私の力で結界を張っていますから!」

 ……さっき、力尽きたって言ってなかったか。

「後さ、お母さんが悪魔に殺されたってやつ。……あれの、本当の狙いはお前だったって言ったよな。母体を殺すことでどうにかこうにかって」

「はい、そうです……。奴らは姑息にも、病気に見せかけることで私たちを騙して……」

「……いや、それさ。お前が生まれる前後ならともかく、その頃には普通に小学生やってる年齢だったんだろ? だったら、母親を狙う意味が無くないか? そんなことしたところで、お前はぴんぴんしてるんだろうし。……まあ、精神的なダメージはともかくとして」

「…………えっと、それはほら、悪魔だって、間違えますし」

「……三二点」

「何の点数ですか!?」

 いや、もう少し設定練ってこようねって事で。

 そんなわけで……言うぞ? 俺は言うぞ? この話を聞き続けてずっと言いたかった事を言っちゃうぞ? むしろ最後まで言わなかった俺をほめたい気持ちで言うぞ俺は?

「厨二病乙」

「うっ……!?」

「いや、この場合邪気眼乙か?」

「うぅっ……」

 ……ダメージを受けているという事は、マジで信じ込んでる真性さんではないらしい。とりあえずその事実に胸を撫で下ろしつつ、俺は更なる追撃に走る。

「リアル中二だからってその妄想はどうかと思う」

「だから! 妄想じゃないんです!」

 机を叩きかねない勢いで結城は身を乗り出した。どうでもいいが、あんまり騒がれると困る。

「はいはい。深夜だから静かにしましょうね」

 ……というか、単純にこの場に誰か来られたらそれだけで俺は私刑確定だしな。童貞の契りは深く堅い。

「だから厨二病じゃないんですって! 私のこれは……その……本当で……」

「冷静に突っ込まれたら、自分でも言うの恥ずかしくなってきたな」

「恥ずかしいんじゃないです! その……どうやって信じて……いえ……その……うう……」

 顔を真っ赤にして俯く結城に、俺は大きくため息を吐いた。

「……ま、とりあえず今日は遅いし、そんなに深くは突っ込まないけどさ……」

 痛い妄想垂れ流してまで言わないってことは、何か言えない理由があるんだろう。……だったら、無理に突っ込むのは止めておく。……少なくとも、今日はな。

「面倒なことは明日に回して、今日はもう寝ようか」

「え、あ……はぁ」

 顔を俯け、上目使いにこちらを見てくる結城。その姿が、叱られている猫のようで、少しだけ笑いかけた。

「……どうしたんですか?」

「……なんでもない。とりあえず俺のベッドに寝てもらう事になるけど、良いかな」

 言いながら、俺は部屋の隅に添えつけられたベッドを指差した。布団も枕も安物だけど、まあ、床で寝るよりはましだろう。と、結城は俺の指とベッドに何度か視線を行き来させて、申し訳なさげに口を開く。

「え……でも、えっと……鈴太さんは?」

「……ぐはっ」

 ……名前で呼ばれるとは思わなかった。しかもさん付け。……うわ、何これ!? むず痒い……!

「あ、あの……鈴太さん?」

「……あー。うん。何でも無い」

 冷静さを取り戻すように、俺は口元に手をやってひとつこほんと咳をする。

「いや、大丈夫大丈夫。俺は床で寝るからさ。一応、クッションとかあるし。タオルケットもあるし」

「そんな……なんか悪いですけど……」

「好きでやってんだから気にしないの。女の子が身体を冷やしちゃいけません」

 ……と。このあからさまで駄目駄目な気遣いこそ、俺の童貞足る証なんだけど、まあそんな事どうでもよくて。

「んじゃ、お休み」

 二つあるクッションのうちのひとつを丸めて頭にやると、俺はわざと結城に背を向けて床に伏した。

「あ、寝るんだったら代わりに電気消しといてくれ。スイッチはそこにあるから」

「……はい」

 小さく返事をする結城。……暫くして、電気が消えた。

 ……まあ、とりあえず今日の所はこれでよし。後の事は明日考えよう。流石に……今日は夜更かしし過ぎた。

 そう思って、俺は良い匂いのするクッションに顔を埋め……て?

 ……ん? なんで良い匂いなんてするんだ?

 ……うん。良く考えよう。俺が使っている二つのクッションは、そもそも机に対面するように置いてあったもので。それはもちろん、机に座って話をしたりする時に、使うためであって。

 ……で、さっきまで話していたのは、俺と結城。そして、このクッションを使っていたのは……。

「――――っ!?」

 その事実に気付いた途端、背後から聞こえる布団の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。

 ……うわっ。良く考えたら俺、女の事二人っきりなんじゃねぇの!? しかも暗い部屋? 相手はベッドに寝てる? ……中学生?

 ……うわぁああ!? ――いや、最後のはどうでも良いけど――これって、結構やばいシチュエーションなんじゃねぇの……!?

 うわ、ヤバい、駄目だ意識すんな。大体俺が言ったんだろ。「手を出す気は無い」って……耐えろ、落ちつけ……据え膳食わねば……って違う! それは違う! あああもうお前俺の一部分なんだから頼むから俺の言うこと聞いてくれよ!?

「あの……鈴太さん」

「はいっ!? ……いや、なんだ?」

 思いっきり声が裏返りつつも、平静を装って聞き返す。結城は首でも傾げて居るのだろうか、少しの沈黙の後、小さな、でも、安堵したような声で。

「……おやすみなさい」

「……おやすみ」

 ……寝れるわけねぇだろこれはぁあああ!?




「…………」

 雀の鳴き声がいい加減喧しくなってきた頃、俺はのそのそと身体を起こす。

 ……当然、寝てない。というか、寝むれるわけがない。

 だって良く考えてもみてくれ。暗い自室。振り向けば自分のベッドに眠る中学生の女の子。二人っきり。無理やり眠りにつこうとしても、クッションからは女の子の香り……はっはっは。これで眠れる男が居たら目の前に出てこいよタマ抉り取ってやる。

 ……当たり前だけど襲うわけにもいかず、さりとて少女に変なトラウマを残すのは心苦しいので自分で発散するわけにもいかず……寝るのに集中しようとしたのだが、寝ようと集中するっていう行為自体が、眠りを妨げるっていうどうしようもないジレンマ。

 ――そして。必死に目を瞑って羊を数えたり童貞らしく素数を数えたり開き直ってR指定の掛かる妄想なんかをしている内に、何時の間にやら朝であった。

「……はあ」

 とりあえず立ち上がって、自分のベットの傍まで近寄った。昨日出会った家出少女……結城が、身体を丸めて間抜けな顔で寝ている。

「…………」

 その表情は酷くあどけなく、大抵の男子ならドキッとさせるような可愛さを持っていたが、残念ながら今の俺はその程度じゃな惑わされない。

 何故かって……。

「……なんでこいつ、こんなにグースカ眠れるんだよ……」

 という事である。……いや、だってさ。仮にも見知らぬ男の部屋で二人っきりでよ。信用しろって言われても、そう簡単に割り切れないだろ……。

 男として見られてないんだろうか。ヘタレだと思われてる?信頼されて……いや、それは無いな。

 ……なんか、段々腹立ってきた。どうして俺ばかり徹夜させられて、その元凶であるこいつはこうも緊張感なく眠ってるんだ。

「……はあ」

 ……なので、俺は軽い戒めの意味も込めて、ベッドに身を乗り出して少女の耳元に顔を近づけると、優しく……。

「……ふぅ」

「ひゃわっ!?」

 咄嗟に頭を引いて、飛び起きる結城のヘッドバッドから逃れた。結城は身体を起こすと、目を白黒させて俺を見る。

「え? え? だ、だれ? え? ここどこ!? え? あれ? わたし……えっと? あれ? 昨日は……? あ、そっか……えっと?」

「うん。まあ落ち着け家出少女」

 寝起きで頭が回らないのは分かるが、とりあえず落ち着いてもらわないと話にならん。

「家……出……? あ……あー」

 狼狽する結城の瞳にゆっくりと理性の光が宿る。ようやく状況を把握したらしい彼女に、俺はため息を吐いた。

「……ったく。よくもまあぐっすりと寝やがって」

「あう……」

 可愛らしい声とともに、結城は顔を伏せる。一応羞恥心はあるらしい。

 なんてどうでもいい分析をしていると、少女は上目使いに俺を見上げ、顔を赤らめながら言った。

「……もしかして、寝顔見ました?」

「…………」

 ……さあて。こんな時、どう返すのが正しいんだろうか。童貞紳士足るもの、ここは何気ない風を装って「見てないよ」と返すのが正しいのだろう。……うん。そうしよう。そんなさりげない気遣いが出来る童貞なんて居るのかと問われれば甚だ疑問だが、うん。やっぱ女の子には優しくね。俺は結城に、爽やかな笑顔を見せて。

「バッチリさっ!」

 びしっと親指を立てて返していた。――はっはっは。我ながら思考回路がどうかしてるんじゃないかと思う。

「――――っ!」

 結城の顔が、見ていて面白いくらいあっという間に真っ赤に染まる。はは。愛い奴よ。

「な、何見てるんですか!」

「いや……うんまあ良いんじゃない? 可愛かったし」

「――――っ!」

 結城の顔が更に赤く染まる。……この、何かを考える前に喋っちゃう癖、どうにかしないとなぁ……。

「か、かわ……な、何言ってるんですか!」

「褒めたのに怒るなよぅ……」

 いや、照れ隠しってのは分かってるんですけども。大体、そんな反応されると俺も照れるんだっつうのに。

「自業自得じゃないですかっ!」

 まったくですね。肩を竦める。

 ……さて、朝っぱらから女子中学生とのお喋りはそれなりに楽しいんだけど。如何せん俺は学校に行かねばならないわけで。いい加減朝食を取らないと時間が無くなってしまう。

「……って、あー」

 そう言や、こいつの朝食をどうしようかと手の甲で瞼を擦る結城に目を向けた。当たり前だが、こいつを食堂に連れて行くわけにはいかない。……というよりも、この部屋から外に出すわけにはいかないというべきか。幾ら気の良い奴らばかりといっても、ここは男子寮だ。何があるか分からないし、ナニがあったらいけない。

「……ま、いいや。飯持ってくるから、大人しくそこで待ってろよ」

 言いながら、ちゃぶ台の前を指差す。結城が間の抜けた声で「あ、はい」と短く返事するのを耳にしてから、俺は部屋を出た。

 とりあえず自分の分を、適当に理由付けて部屋まで持ってくればいいだろう。俺は別に食わなくても平気だし。



「……で、一泊止めて貰った上に食事まで世話してもらったかのみちゃんなわけだけど」

「…………」

 結城の動きが時間でも止まったかのように硬直する。少女は箸を止めると、困った顔で俺に目を向けた。

「……すいません」

「いや、別に責めたわけじゃなくて。単なる事実確認だから」

 こほんとひとつ咳をして、ともかくと話を変える。

「で、お前これからどうすんの? 家に帰るのか、どうなのか」

「……んー」

 口に箸を咥えて唸る結城。行儀が良いとは言えない仕草だが、彼女がやると妙に可愛らしい。

「とりあえず、家に帰る気はありません。お父さ……し、死霊侯爵が、未だ居ますから」

「……そ」

 とりあえず返事をしつつも未だその設定続いてたんだと頭を抱えた。そんな俺の想いを知ってか知らずか、少女は自信なさげに言葉を続ける。

「でも、学校には行きたい……んですけど、やっぱり駄目ですか?」

「……どうだろ。そこまで厳格そうな親父だったら、とっくに捜索願出してそうだしなぁ」

 死霊侯爵です! という結城の突っ込みを無視して、俺は腕を組む。……しかし、だ。昨日の結城の話を(あくまで現実的な部分だけ)信じるとするなら、父親はどうにも家庭に無関心のご様子。それなら、一日帰って来ない娘くらい、なんとも思ってないのかも。

「……まあ、家に帰りたくないなら、学校には行かない方が良いんじゃないか?」

「そう……ですよね」

 何処か歯切れ悪く、少女は頷いた。理解はしているけど納得はしていない。みたいな。

「……なに、学校に何か用でもあるの?」

 家出した理由と比較しても重要な事柄があるのなら、無理に止めるような真似は出来ない。何故って、どうせ俺は他人だからだ。

「いえ、皆勤賞が……」

「……皆勤賞」

 ……そいつはまあ、真面目ちゃんな事で。

「お前もう帰れよ」

「何故ですか!?」

 いやー。やっぱ駄目だこの娘。家出とかしていい娘じゃない。さっさとお家に帰りなさいな。ご家族も心配されてるよ。

「……だ、駄目です! 帰りませんったら帰りません! なんですか鈴太さん! 厄介払いですか!? 今更迷惑になったとでも言うんですか!」

 膝立ちになり、箸先を俺に突き付ける結城。流石にそれは行儀が悪いから止めなさい。

「いや、そんな事は無いけど……。ていうか、厄介……?」

 ……あー。そっか。確かに、そうかもな。

「……鈴太さん?」

「いや、良く考えたら、お前って厄介事に当たるんだな」

「え……」

 うん。なんか、あんまり意識してなかった。普通に家出少女が居て危なそうだったから、普通に保護しただけって気分だったんだけど、そうか……確かに。面倒くさいと言えば、面倒くさいのか……?

「…………むう」

 結城が箸を下ろし、妙な唸り声を上げながらトスンと座る。その顔には、困ったような、戸惑っているような、不思議な表情が浮かんでいる。

「なに、どうしたの」

「……いえ。何でも無いです……ただ、鈴太さんが本当に良い人なんだって分かっただけで」

「なんだそりゃ」

 今頃分かったのか……ごめんなさい嘘つきました。別に、自分が良い人なんて思ったこと無いし。意識したことも無いんだけどなぁ……。

「だからこそ良い人だと思うんですけど。……まあ、良いです」

 呆れたような顔で再び箸を進める結城に、俺は首を傾げた。

「……はっ! も、もしかして救世主さま!?」

「おいお前の厨二妄想に俺を組み込むのを今すぐやめろ」

 妙にキラキラした瞳で見上げてくる結城の頭に軽くチョップ。小さな声を上げて、拗ねたように唇を尖らせる結城が可愛かったので、もう一発かましといた。



「ごちそうさまでした」

 添え付きの漬物まで綺麗に完食した結城は、手を前に合わせて行儀よくお辞儀した。

「はいはいお粗末さまでした。それで、学校はどうするんだ?」

 俺の問い掛けに、結城は口に手を当てて小さく唸り。

「んー……もう良いです。良く考えたら、皆勤賞なんてとってどうするのって感じですし」

 全くその通り。俺は頷きを返しながら、結城の前に置いたお盆を持ち上げ、傍らに置いた鞄を手に取って立ち上がる。

「んじゃ。俺はこのまま学校に向かうな。お前はここで大人しくしてること。オーケー?」

「えー……」

 ……なぜそこで不満げに見上げてくるのかこの娘は。

「なんだよ」

「人にはサボれって言っておいて……」

 いや、立場が違いますからね。

 俺は別に学校に行っても何の問題も無いわけだし。

「……私をこの部屋に置いていく気ですか」

「別に問題無いだろ。トイレも風呂も添えつけてあるし。……ああ、ちゃんと昼食は持って来てやるから」

「そういう問題じゃ無くてですね……」

 結城は一度視線を落とすが、再び顔を上げて、何処か言い辛そうに、

「さ、寂しいんですけど……」

「う……」

 ……その上目づかいは反則だと思います。

「……いやいやいや、駄目だ駄目だ駄目だ」

 危うく陥落しかけた理性をどうにか押し戻す。あぶねー。

「……っち」

 見ると、結城は視線を逸らして舌打ちをしている。こいつ結構黒い。そして怖い。

「……ま、昼にな」

 裏切り者ーという声を背に、俺は部屋を出た。扉を閉めて、大きく肩を落とす。

「……どうすんだよ、これから」

 なるほど……確かにあの娘は、俺の人生最大の厄介事なのかもしれない。




「……はあ」

 襲い来る睡魔に抵抗しながら一限をどうにか乗り越えて、俺は机に突っ伏す。

「どうしたの? 随分寝不足そうだね?」

「相川……」

 ひょいと覗き込んできたのは、友人の相川だった。一瞬美少女と見紛うような外見の彼だが、正真正銘男である。そもそもここ、男子校だし。

「駄目だよ。昨日も帰ってくるの遅かったじゃん。休日ならともかく、平日はなるべく夜遊びは控えないと」

 で、その可愛い系のルックスを持った友人は、ひとつ前の席が空いてるのを良い事に椅子に逆向きに座ると、俺の机の上に両肘をつく。

「分かったよ俺が悪かったよ。何時も誤魔化してもらってすいませんでした」

「そこは謝罪より感謝の言葉とモノが欲しいんだけどねぇ。まあいいや」

 やれやれと肩を竦めると、相川は改めて俺に向き直る。

「それにしても、今日は本当に眠そうだね。……なに、そんなに遅かったっけ? 昨日」

「いや、別にそんな事は無いけど……」

「だよねぇ……」

 ふぅむと相川は背筋を正すと、腕を組んで口元に手をやった。そんな気障ったらしい仕草すらも、端正な顔立ちをしたこいつがやると不思議と映えて見えるのが人生の理不尽さだ。イケメン死すべし。

「あんまり不穏なこと考えないでねー。君顔に出るから何考えてるか大体分かるよ」

「……マジで?」

 うわー……それは怖いな。じゃあ俺が寮監様に正座で叱られている時、真面目に反省しているように見せてあのけしからんおっぱいに思いを馳せていたのも、全てお見通しだったってことか。真面目な会話をしている時に限ってアホなこと考えてるからな。俺。

「まじまじ。因みにその寮監様だけど、その次の日から厚着になったということも知っておくと良いんじゃない」

「いや、それは流石に俺の所為じゃないよ……じゃない、よな?」

「どうかな」

 バカな……女っ気に飢えている野郎共にとってもしかしたら唯一の救いかもしれない寮監様の色気を奪ったのが、この俺だというのか……?

「……なんかエロい事を考えているような」

「イヤゼンゼンソンナコトナイデスヨ?」

 確かに字面にするとエロいような気がしないでもないが……。

「ねえねえ。そろそろ話を戻しても良い?」

 まあ、そんなことはどうでもよくて。

「良いけど。……別に、そんな大した理由があるわけでもないぞ?」

 一応嘘を吐きつつも、ああでもこいつの言う通りならこの嘘も看破されちまうんだろうなー。と思った。……どうしたものか。両手で表情筋を押さえればどうにかならないかねぇ。

「……ふむ。なるほど。麻上がそんなに顔を気にしてるってことは、大した理由があるわけだ」

 逆効果だった。アホか俺は。

「ふむ……でも、一体どんな理由なんだろうね」

「はん。表情から読み取ってみろよ」

 俺が開き直って、腕を組んで睨みつけると、相川は苦笑いを浮かべて肩を竦める。

「悪いけど、流石にそこまでは分からないな。君が何を悩んでいるのか、皆目見当が付かないよ」

「そっか……」

 いや、よかったんだけどさ。そこまで看破されたなら、それはもう心を読まれているのと同義だ。俺のアホな妄想が周囲にダダ漏れになっていたらと考えると、俺もう生きてらんない。

「はいはい。安堵したところで教えてくれない? 一体何を悩んでるのさ」

「……んな興味津々みたいに瞳をキラキラ輝かせてる奴には教えてやんねー」

 こちとら本気で悩んでるんだというのに、どうしてこいつの好奇心を満たすために暴露しないといけないのか。

 ……大体、唯でさえ色々とヤバい話だというのに。

「んー。本気の悩みならそれはそれで相談に乗るけど。……どうせ何かあったら、麻上が一番に頼るのって僕じゃん」

「人を友達が居ないキャラみたいに! お前以外にも友達居るわ!」

 とはいえ、こいつが言っていることも確かで。

 確かに『友達』と呼べる相手は他にも居るんだけど、そこまで深く信頼できる仲なのは、こいつしか居ないのも事実だ。

 とはいえ……なあ。

「……んー。地味に話辛い内容なんだよな。まあ、多分その内俺の方から話すことがあるだろうから。……それまでは、とりあえず無視しといてくれ」

「そ。分かった」

 意外にも、相川はあっさりと引いた。俺が目を点にして彼の顔を見つめ返していると、相川は苦笑を浮かべながら答えた。

「だから君、顔に出るって言ったでしょ。そんな真剣な顔で言われたら、そりゃあ納得するしかないってこと」

 流石に、本気の悩みごとをからかうほど悪人じゃない。と、相川は軽口を叩く。

「そっか……そりゃ、助かる」

「うんうん。……あ、でも、何かあったらすぐに言ってね。一応、僕は君の友達なんだから」

 感謝の言葉の代わりに、はいはいとぶっきらぼうに言葉を返して、話は終わった。

「……にしても、相川さぁ」

「うん?」

「……女の子って、難しいな」

 事情を知らない相川は、俺の言葉の真意が汲み取れなかったらしく、はてと首を傾げた。




 ……で、そんなこんなで昼時である。

「よ。良い子にしてたか?」

「あ、お帰りなさい」

 部屋に戻るなり、ベッドに横になっていた結城が身体を起こす。

「一応、飯を買って来てやったんだが……、まさかずっと寝てたのかよ、お前」

 呆れ気味に突っ込むと、結城は寝ぐせの付いた髪を押さえながら、何処か拗ねたように唇を尖らせる。

「だ、だって仕方ないじゃないですか。……他に、やることも無かったですし。大体、音も出すな、外にも出るなで、他に何をしろって言うんですかっ!」

「あー……」

 だらしない声を上げつつ、俺は頬を掻く。……確かに、それは考えてなかったな。

 良く考えたら、遊び盛りの中学生に、対して物も無い部屋で大人しくしていろと言うのは、割と拷問かもしれない。……何か暇つぶしになるものでもあれば良いのだが。

「……ま、それは後で良いか」

 ……ともあれ、昼食だ。



「ごちそうさまでした」

 俺が持ってきた総菜パンを一つ食べて、結城は両手を前に合わせた。

「そんなもんで良いのか?」

 ジュースを渡しながら聞くと、結城は特にどうということも無く頷き返した。……ふうん。そういうものだろうか。女の子の食事の量なんて、俺には見当がつかない。

「ま、良いや。それじゃあ、俺はそろそろ戻るな」

 本当はもう少し会話をしていたいのだが、残念ながら次の授業の時間と、学校までの距離を考えると、そろそろタイムリミットなのだ。

「あ、そうですか。……あの、今日は何時くらいに帰って来られる予定ですか?」

「うん? ……そうだなぁ。別に俺、部活に入ってるわけでもないし。五時くらいには帰宅できるかな」

「五時……ですか」

 結城は視線を落とし、困ったように息を吐いた。俺と会えないのが寂しい……わけがないよな。どうせどうやって暇を潰すかを悩んでいるのだろう。……一応テレビはあるけれど、真昼間のテレビ番組なんて女子中学生が見て面白そうなものなんて無いものな。

 ……仕方ない。

 俺は結城の細い肩をぽんぽんと叩くと、顔を上げた結城に右手の人差し指を立てて見せ、それをそのまま窓際にある本棚へと向けた。

「あの本棚の漫画なら、読んでも良いから。あと一応ゲームも起動してよし。……大丈夫だと思うけど、あんまり煩くしないように。他の奴らに見つかったら、本当にヤバいんだからな?」

「あ……」

 結城の顔が、喜びに染まっていく。

「は、はい!」

 そう言って笑顔で頷く結城は、悔しいが可愛かった。……まあ、この顔が見れたなら良いかと、俺は立ちあがって踵を返し――

「――あ、そうそう。どの本読んでも構わないけど、一番下の棚の本には手を出さない方が良いよ」

「? どうしてですか?」

「えっちな本だから」

 ――おお。結城の顔が見る見るうちに真っ赤に染まった。

「な……! な……! な……!?」

 ……昨日から思っていたが、この娘やっぱり随分と純情さんなんだなぁ。まあ、だからこそ、夜遊びなんてしてるタイプじゃないと踏んだんだけど。

 ……しかし。

「……えっちな本だから」

「二度言わないでください! 分かりました!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る結城は、やっぱり可愛くて。……ちょっと面白いと思ってしまった。




 ……そんなこんなで。

 ようやく授業もHRも終わり、放課後でございます。

「……帰るか」

 鞄を持って、立ちあがる。特に用があるわけでもないが、今日は真っ直ぐ寮に帰ることにしよう。

 アイツの事だ。どうせ今頃、退屈してるだろうし……。



「……寝てやがった」

 ……何というか、凄いなこいつ。よくもまあ見知らぬ男のベッドの上で、我が物顔で爆睡出来るよ。

「……はあ」

 ぼりぼりと頭を掻く。また朝のように起こしてやろうかとも思ったが、このまま寝かせておいても、特に問題は無い……か。

「……先に相川にでも話をしてくるか」

 確か、もう帰っていた筈だし。

 そんなわけで、自分の部屋の扉を閉めて、歩くこと数秒。右隣の部屋の扉を数回ノックする。

「相川ー? 俺だー結婚してくれー」

「あはは。じゃあオランダにでも行ってみるー?」

 ハニーフェイスを緩ませて、少しだけ扉を開けて相川が顔だけ覗かせる。

「やめろ。俺にその気はない」

「大丈夫。僕にもその気は無いから。……それで、そろそろ話をしてくれる気になったの?」

 流石は相川。俺が訪ねてきたなんてお見通し……か。

「まあ、とりあえず入れてくれ。こんな所で話すような話題でも無いからさ」

 寮に戻ってきたといえど、当然だが、相川以外にも同じクラスの奴は居るわけで。

 ……いや、同じクラスの奴じゃなくとも、見知らぬ女の子を匿っている。なんて知られたら、何を言われるか……。

「ふむ……わかった了解把握した。そんじゃまあ、入ってくれたまえ」

 相川は一度頭を引っ込めると、今度こそ扉を開け放つ。相変わらず話が速いことに感謝しつつ、俺は部屋に入った。



 ――で。あらかた説明をし終えると、相川は分かりやすく顔を顰めた。

「それは……まずくない?」

「やっぱそうだよなぁ……」

 ……どんな台詞より何よりも、相川の真剣な表情が状況のまずさを表している気がする。

「まず、この男子寮に女の子連れ込んでるって時点でヤバいのに……中学生って、あーた」

「……いや、待て」

 連れ込んでるわけじゃなくて、あくまでも匿ってるってだけですからね。監禁じゃなくて保護だ。あくまでも。

「……まあ、そうなんだろうね。君はそういうことをするようなタイプじゃないし、多分それは正しいんだろうさ。……でもね、麻上。それを、ここの連中が許すと思う?」

「……だよなぁ」

 ……だから、困る。何しろ些細な一言だけでクラス中を巻き込んだ大事に発展するような連中だ。それが事実だと知れたら、一体何が始まるのやら……。

 ま、あの連中の事だし、結城に被害が及ぶようなことは無い筈だ。むしろどこぞの令嬢を相手にするかの如く応接するかもしれない。何しろ童貞紳士共だから。

「ま、そっちは一応置いておくとして……問題は、あっちだよねぇ。寮監様」

「……そうなんだよな」

 もしかしたら、それが最大の難問かもしれない。

 自らも女性であり女性の味方。それでいてここの学生どもに紳士としての気配りを身に着けさせたあの寮監様にこの事実がばれたら、私刑どころの話じゃない。

 しかも、平日は基本的に学校にいる他の寮生と違い、寮監様は当然昼間もこの学生寮で過ごしておられる。

 流石にプライバシーの問題がある為、無断で生徒の部屋を覗くなんて事はしないが……まあ、それでも危険なことには変わりない。

「逆に、先に相談してしまうってのも良いかもよ。なんだかんだで良い人だからさ、真摯に話せば、ちゃんと聞いてくれると思う」

「……それはそれで嫌なんだが」

 ……とはいえ、何時までもこのままじゃ居られないし。先に事情を話して相談してみるってのも手か。なんだかんだで姉御肌というか、面倒見が良い人だからな。

「うん。僕はそうすべきだと思うけど。なあに、大丈夫だいじょうぶ。今だったら、多分一撃ブロゥと徹夜でお説教くらいで許してもらえると思うからさ」

「……保留で」

 ……いや、相談すべきだとは思うんですけど。思うんですけどね、未だちょっと勇気が足りないというか……。まあ、ぶっちゃけ怖いです。俺は人生でキレたあの人以上に恐ろしいものを知らない。

「そ。じゃあ、寮監様に付いて僕から言うことはそれくらいで」

 と、相川は他人事のように話を続ける。いや、実際他人事なんだけどさ。

「でも、この二人を置いておいても、問題は未だある。……わかってるよね?」

「……うん。まあ」

 言いたいことは分かる。

 そう、今上げた二つは、あくまでも対外的な――というより、匿う上で俺の問題を上げただけで。

 本当に問題なのは要するに、

「その娘の問題。……まあ、結局はその娘の事情だから、あんまり深く踏み込むのもどうかと思うけどね。でも、保護するって名目なら、ちゃんとした事情は聞いておかないと駄目だよ。……まさか、彼女が語ったあの話、全部信じてるわけじゃないだろうね?」

「いや、それはないけどさ……」

 流石にあんなトンデモ話を信じきれるような年齢は、とっくに通り過ぎてしまいました。

 大体、他ならぬあの娘自身、その話を信じているわけではなさそうだったし。むしろ口から出まかせといった感じの。

「うーん。入れ込むのは良いけど、ちゃんとすべき所は、ちゃんとしておかないと駄目だよ、麻上。ただでさえ君は間抜けな良い人なんだから。……下手したら、全部君の所為になって、そのまま退学少年院行きって事もありうるかも」

「無いと言い切れないのが怖いところだよなぁ……」

 何しろ女尊男卑な世の中だから。どんなに男が倫理的弁明をしても、女性の一言で何もかも男が悪くなる時代です。ああ怖い。

「ま、そんなことするような奴でも無いと思うけど」

 少なくとも、この一日での俺のあいつに対する印象はそうだ。どっちかといえば大人しくて、言いたいことも言えずに黙りこんじゃうような女の子。……もっとも、一日何て言っても俺はほとんど学校にいたので、実際には数時間程度の付き合いだけど。

「どうかなー。でも、もしも本当にそういう子なら、逆に危ないかもしれないよ?」

「……?どういうことだよ」

 首を傾げる俺に、相川はどこか、意地の悪い笑みを見せ、

「確かにその娘は何も言わないかもしれない。……けど、親はどうだろうね?ただでさえ娘が家に帰らない。ようやく見つけたと思ったら、何処の馬の骨とも知らぬ男の部屋に居た。この時、親はこう考えるだろう。『うちの娘に何やってんだこの野郎』と」

「……あー」

「しかも、その娘は家出なんてとてもじゃないがしそうにない、大人しい少女なんだろう? だったら尚更だよ。そんな時隣に適当でいい加減そうな男が立っていたら、そりゃあ娘が誑かされたと思うだろう。僕だって思う」

 ……なんか地味に酷いことを言われているような気がするが、とりあえず無視することにする。今考えるべきはそこじゃない。

「そんな時、その『言いたいことも言えない』女の子は、君を弁解できると思う? ……よしんば出来たとしても、言わされてると思われるかもしれないしね。そうして、君は少年院行きです」

 さよならーとぱたぱたと手を振る相川を見て、俺はがっくりと肩を落とした。

「……お前は俺に出ていってほしいんか」

「まさか。そんなわけないじゃないか。そんなことになってほしくないと思うから、さっさと事情を聞いて来いってことさ」

 こんな所でだべってないで。と続けて、相川は肩を竦めた。

「……分かった。それじゃあさっさと部屋に戻って、アイツに事情を聞いてみることにする」

 俺が立ちあがると、相川は満足そうに笑う。

「うんうん。そうしなよ。僕は君が捕まった時の為に、取材を受けた時の練習でもしてるからさ」

「おぉい!?」

 物凄い勢いで振り返る俺を無視して、相川は何度か咳払いをして喉の調子を整えると、随分と深刻そうな声色で、

「『いつかはやると思ってました』」

「しかも酷いな!?」

 冗談だよ。と手を振って笑う相川に顔を顰めつつも、俺は部屋を出た。



 ……さて。というわけでいい加減、あの間抜け面で爆睡してる眠り姫でも起こすとしよう。

「……相変わらず爆睡してるな。こいつ」

 相川と会話していた時間はたかだか十数分とはいえ、二度も人が部屋に出入りしているのに、全く起きる気配が無いというのは、一体どうしたことか。

「本当に寝てるんだろうな?」

 少し疑惑に思い、その顔を覗きこむ。どんな夢を見ているやら、幸せそうな笑顔を浮かべていた。ああ、これは間違いなく寝てるな。うん。ていうか涎垂れてるし。

「おいおい……」

 今は良いとはいえ、こいつが居なくなったら、このベッドを使うのは俺なんだけど……。いや、確かに美少女の涎が染み込んだベッドってのは、場合によっては良いものかも知ればいが――いやいやいや。

「……駄目だ。思考が変な方向に向かう。さっさと起こしてしまうか」

 はあ。と息を吐いてから、俺は顔を少女の耳に寄せた。髪の毛に隠れた小さな耳が、すぐ目の前にある。

「……ふっ」

「ひゃわぁっ!?」

 結城が形容しがたい声を上げ、朝と同じように再び飛び上がった。

「え? え? な……あ。あぅぅぁああ!?」

「おはよう二ートちゃん」

 右往左往する結城に、さっきまでの事なんてまるで無かったかのように、なるべく爽やかにご挨拶。いやいや、しかし良い反応だ。こちらも悪戯のし甲斐があるってもんだ。……と。

「…………」

 ……何故この娘は、俺にこんな警戒の視線を向けてきているのでしょうか。しかも布団を身体に巻いて、ベッドの上で後ずさりまでして。

「……あー。あのさ、ただの冗談のつもりだったんだけど」

「じ、冗談って! 冗談って!」

 顔を真っ赤にして喚く結城。……あれ、おかしいな。どうして突然に好感度がマイナスにいってんの? 何もしてない筈なのに、何故か初対面時よりも警戒されてる気がする。

「……んー」

「…………」

 理由が分からないのでとりあえず観察していると、堪え切れなくなったのか、結城はふいと視線を逸らした。その先には、昼間に俺が示した本棚――あー。

「…………」

 俺は再び、彼女の方へと向き直る。結城は相変わらず顔を真っ赤にしたままで、ジト目で俺を睨んでいた。そんな純情少女に、俺は一言。

「…………読んだな」

「――――っ!」

 ただでさえ真っ赤だった顔が、一気に耳まで染まる――なんて様を、俺は初めて見た。

「……だから読むなと言ったのに」

「だ、だったらそもそも教えないでください! セクハラですよ!」

「いや、教えなかったら尚更無自覚に地雷踏んじゃうだろ……」

 大体自分から読んどいて、セクハラも何もないと思う。

「うわぁああ目に焼き付いてるー……もう! 鈴太さんの所為ですからね!」

 それは逆に、目に焼き付くほどじっくり見たと言っているのと同じ事な気がするのだが。

「でも……そんなに過剰反応する程のもんかぁ? 中二だったらとっくに保健体育くらい習ってんだろ」

「保健体育でも私より小さな子があんなことしてるようなものはありませんでした!」

「がふぅ……っ!?」

 衝撃発言に、思わず目を見開いた。

「お前、まさか……?」

 結城は、酷く冷めた、軽蔑の視線を俺に向けて。

「――ロリコン」

「ぐは……っ!?」

 一撃で俺を再起不能にするような辛らつな言葉が、深く心に突き刺さり、俺はその場に膝を付いた。

 見られたこと自体は別に構わない。……が、まさか俺の秘蔵の二次ロリ漫画が見つかってしまう……だと……!?

 これが真っ当なエロ本、エロ漫画なら未だ言い訳の余地はあった。そのくらい、男子高校生としては普通だ。最近じゃインターネットの普及のお陰で紙媒体は廃れがちだが、それでも未だ栄華を誇ってはいる。

 それは良い。そこまでなら大した問題じゃない……が、それが、俺の趣味嗜好にまで入り込んでしまうと、そうも言ってられないわけで。

「……変態」

「げふぅ……っ」

 情状酌量の余地もありませぬ……。まあしかし、確かにそれなら、こいつがこんなに怯えている理由の説明も付く。……だって、中学生だもんなー。俺からすれば確かに年下。世間一般から見れば、若干の意見の相違はあれど見紛うことなくロリでございます。

 あっはっは。馬鹿な奴め。俺がロリ嗜好なのはあくまで二次元での事であり、現実ではむしろ年上の方が好みなのだというに。

 ……なんて、こいつに説明したところで、何の意味も無く。そもそもそんな説明を真面目に聞いてくれる筈も無いので、とりあえず一番に優先すべき事を言っておくことにする。

「なあ、ひとつだけ、言っても構わないか?」

「……? は、はい。何でしょうか……」

 訝しげな瞳で首を傾げる結城に、俺は一度大きく深呼吸してから。

「その漫画の登場人物は、全て十八歳以上です!」

 結城がぽかんとした瞳を俺に向けるが気にしない。こんな世の中だし、これだけは優先して言っておかないとね!




 ……そして、何と夕飯時でございます。

 夕食が出来るまでの2時間ちょっと。俺と結城の間にどんなやりとりとどんな争いとどんな罵詈雑言が飛び交ったかは、ご想像にお任せするとして。

「……いい加減機嫌を直してくださいましたか」

 食堂から今日の夕飯を頂いてきた俺は、相変わらずむすっとした顔でちゃぶ台の向かいに座る結城に肩を落とした。

 ……ううむ。やはり純情美少女には刺激が強すぎたか。そんなにハードな本でも無かったと思うのだけど。

「SMの何処がソフトですかっ!?」

「そんなの一部だけだったろ……てか、随分と読んだんだな」

 というより、そんな台詞をあんまり大きな声で言わないでほしい。ただでさえ壁が薄いんだから。

「……まあ、なんだ。そんなに騒いでいたら、いい加減腹が減っただろ? ほら」

 膝を付いてちゃぶ台の前に座り、夕飯を乗せた盆を結城の前に置く。結城は相変わらず、未だ納得していないような顔で俺を見つめていたが、ふと何かに気付いたように「あれ」と声を上げた。

「……足りなくありませんか?」

「え? 何が?」

 お盆の上には今日の夕飯が揃っている筈だが。白米に豚カツにキャベツの千切り。あとは味噌汁に漬物と、まさに日本の夕飯といった和洋折衷メニューが。

「あー、そっか。水が無かったな。ちょい待て。それくらいならここの簡易冷蔵庫にも……」

「いえ、そうじゃなくて……」

 立ちあがろうとする俺を、結城の歯切れの悪い台詞が押し止めた。……? 水じゃないというなら、一体なんだというのだろう。まさか単純にメニューが足りないとか? こいつ……こんな可愛いなりして、そこらの男子高校生よりも大食漢だとでも言うのだろうか。何処のフードファイターだ。

「……あー。悪いが、メニューはそれだけしか無くてだな。ご飯だったら幾らでもお代わりができるが……」

「何変なこと考えてるんですか」

 折角の俺の気遣いを、結城は眉根を寄せて一蹴した。ひどい話である。

「そうじゃなくて、コレ、一食分しかないじゃないですか」

「ん? ああ。そのことか。……悪いが、普通の人間はそれで事足りるんだ。そんな一人で二人前も三人前もあまつさえ十人前とか完食出来ちまう人間の方が、普通は異常なわけで……」

「だから、そうじゃないって言ってるじゃないですかっ」

 結城がちゃぶ台を叩いて声を荒げるのを見て、俺は両手を上げた。ちっとばかりふざけ過ぎたか。反省反省……っと。

「……はあ。話、続けて良いですか?」

「オーケー了解わかりました。それで、一体何が足りないのさ?」

 なんて当たり前の事を、さも気付いていないかのように聞いてみる。

「だから……これじゃあ、鈴太さんの分が無いじゃないですか」

「あー……」

 まあ、気付くよな、普通は。

「……まあ、それは仕方が無いんだわ。一応この寮ってまかない付きなんだけどさ、それって一人一食分だから」

 飯だけはお代わり自由だけど。と付け加えて肩を竦めると、結城は何処かしょんぼりとうなだれて、口を開く。

「それじゃあ、もしかして朝のも……」

「……ああ、まあ。でも大丈夫だよ。俺、もともと朝ってあんまり食わないし」

「で、でも夕飯は食べないと駄目ですよ!」

「だからってお前が抜くわけにもいかんだろ。……大丈夫。昨日買って来たお菓子があるし。問題ねえよ」

「……むー」

 不満げに唸り声を上げる結城。素直に貰っておけばいいものを。こんな時、性格が良いというのは厄介だ。やっぱ人間、ある程度の所で折り合いを付けないと。

「……あ、というか、お菓子を買いに行けるって事は、帰り際とかにパンとかでも買いに行けたんじゃないですか?」

「…………あー」

 ……いや、その発想はもちろんあったんだけどさ。

「……確かにそうだな。そこまで頭が回らなかった」

 適当に嘘を吐きながら、俺はベッドの横に纏めていた菓子類を自分の手元に手繰り寄せた。

「そっか。確かにそういう考えがあったな。うん。明日からはそうする。……でももう、今日は外に出るのも面倒だからさ、それで勘弁してくれない?」

「勘弁だなんて……むしろありがとうって感じなんですけど……」

 顔を俯けながら、だけど未だ納得してない様子で呟く結城を尻目に、俺はスナック菓子の袋を開ける。

 結城はしばらく俺を見つめていたが、結局、しぶしぶといった様子で箸をつけ始めた。

 ……まあ、言えないよな。

 確かにコンビニに寄って晩飯を買ってくることも考えた。

……だけど、それよりも。こいつがこんな所に一人っきりで、寂しい思いでもしてるんじゃないか――そう考えて、教室から直行で帰って来た。なんて、なあ。



 そんなこんなで。夕飯のお盆を食堂に返して、再び結城と対面する。

 夕飯の件で、俺に負い目でもあるのか、結城は身体を丸めて大人しくしていた。

 ……そんなに気にしなくても良いのになぁ。と思いつつも、ようやく真面目な話が出来そうなので、放置することにした。

「……さて」

 こほん。と咳払いをして、俺は結城に目を向ける。何処となく雰囲気が変わったのを悟ったのか、結城は首を縮めながら上目使いに俺を見つめた。

「それじゃあ、そろそろ真面目な話でもしましょうか」

「…………」

 言い難そうに口を噤んで、結城は顔を逸らす。少しの間沈黙が続くが、結城は再び口を開いた。

「……その」

「はい」

「だ、だから……その……死霊侯爵が」

「自分でも信じてないような嘘はね、誰も騙せないんだよ」

「…………っ」

 開きかけた結城の口が、閉じる。それに俺は、はあ。と息を吐く。

「……あのね、俺だって無理に聞こうとは思ってないよ。家出して来たんだが、それなりに理由があるのかもしれない」

 ――例えば、昨日彼女が語った夢物語は、全てが嘘ではなかったのかもしれない。母親が病死して、父親は仕事人間に。……これだけなら、よくある話だ。……陳腐。とは言わないし、くだらないとも言わない。当事者にとっては、相応に深刻な問題なのだろうけど、それでも、よくある話だ。

「だから、本当は其処まで深く踏み込もうとは思わない。――でもさ、一応、ある程度の経緯は聞かせて貰わないと。こっちもリスクを負って匿う以上、信用するに足る事情が必要なんだよ」

 ……これは、少女の為なんかではなくて、あくまでも俺が安心するためだ。小心者で偽善者な俺は、何一つ素性が分からない少女を事情も聞かないで匿えるような、善人になった覚えは無いし、割り切って物事を考えることもできない。だから。

「そうでもないと、もしかしたら君は、俺を騙して居るんじゃないかってね、疑っちゃうわけだ。例えば――明日になったら財布だけ盗られて居なくなってる。なんてことも、考えちゃうわけだ」

「そ、そんなことは……っ!」

 結城が勢いよく顔を上げるが、何も言えないままに再び俯いてしまう。結局、何も語ろうとしない自分では、その疑惑を解消することが出来ないと分かっているのだろう。

 ……もちろん、俺だって本当にこの娘が俺を騙しているなんて思ってはいない。

 別に、自分に人を見る目がある方なんて思ったことは一度も無い。俺がそう思う理由は、単純に彼女が素直過ぎるからだ。

 どこから見ても、人を騙すような娘には思えない。多分それは俺じゃなくても、誰が見ても確信する筈だ。彼女には、そんな器用な真似は出来ないと。もしもそんな事を言う奴が居たら、そいつこそ目が腐ってるんじゃないかと思う。

 んで、その純情乙女がこうも口を割らないからには、きっと、何か重たい事情があるのだろう。と、俺は勝手に予想しているわけだけど……。

「聞いたからって、別に悪いようにはしないよ。それで脅すようなこともしないし、言いふらしたりもしない。単に俺が安心しておきたいだけだ。……ヘタレだからなー、俺」

「…………」

 軽口を加えて見ても反応なし。結城は俯いたまま動かない。……駄目かぁ。

「……はあ」

 大きく息を吐くと、それだけで結城は身体を震わせる。

「ああ、いや。別に放り出そうなんて思ってないから。大丈夫」

 もっとも、俺の事情から考えればさっさと厄介払い出来るに越したことは無いのかもしれない。……が、正直言って、彼女をこのまま外に放り出す事のは、何というか、凄く危険な気がした。家出慣れをしているようには見えないし、連れ込んだ俺が言うのもなんだが、誰にでもホイホイ着いて行きそうだ。それこそ、本当に危ない奴にでも。

 別に彼女がどうなろうと、結局のところ俺は赤の他人に過ぎない。……だけどもまあ、一晩寝食を共にした身としては、彼女にそう言った厄災が降りかかるのを見るのは、それこそ目覚めが悪いっていうか……。

「……情が移ってきてるな、俺」

 しかも、それが悪いと思ってないあたり重症だ。

 ……まあ、元々保護という名目だったし。ここまで来たら、出来るところまで面倒みるのが筋ってもんか。

「とりあえず、今日はこの話はお終いって事にしよう。寝る……には未だ早いから、そうだな。適当にだらだら過ごすと良いよ。シャワーだったらそこにあるし。タオルはあるとして……そうだな、寝まきは適当に、俺のシャツとスウェットを使ってもらうことになるけれど」

「あ……は、はぁ……」

 てきぱきと話を進める俺に、結城は戸惑いがちに頷いた。

その顔は、何処となく負い目を感じているようでもあり。

「…………」

 ……まあ、それなら別に良いか。何て思ったりもする。

 あんまり気にされても困るけれど……それでも、気にしてくれているって事は、そこまで嫌われているというわけでも無くて。話したくてもやっぱり話せない。……そういう事情があるのだろうから。



「とはいえ……だ」

 そんなわけで。結城にタオルと着替えを持たせて風呂場に突っ込んだ後、俺は一人腕を組んで唸っていた。

「何時までも匿うわけにもいかないしなぁ……」

 冷静に現実を見て見れば、問題は山積みだ。

 相川が協力してくれるとはいっても、周りを騙すにも限度があるし。

 ……それに、なにより問題なのは、結城の家庭の方だ。流石に二日も中学生の娘が帰って来ないとなれば、真っ当なご両親なら捜索願くらいは出しているだろう。

 ……出来るなら、あまり大事にはしたくない。相川も色々と不吉な事を言っていたし、実際にそんなことになってしまえば、俺に対抗する術なんて殆ど無いのだから。

 どれだけ偉そうに高説を垂れようが、結局のところ、俺は未成年の子供である。今から大人と張り合えるほど早熟というわけでもないし、成人していないということは、それだけである程度の不自由が付きまとう。

「……やっぱ、大人の味方が必要だよな」

 もしも何かが起きた時に……いや、違うな。その何かを起こさないためにも、大人の力が必要だった。

 そして、身近に居て味方をしてくれそうな大人と言えば……。

「……やっぱ、寮監様かぁ」

 そう言や、相川も言っていたな。大事になる前に先に話してしまった方が良い。とか何とか。

 まあ、あの人の良い寮監様なら、ちゃんと事情を話せば確実に味方をしてくれるだろう。俺が危惧しているような問題も、あっさりと解決してくれるかもしれない。

 ……でも、それは要するに、巻き込むということだ。

 確かに寮監は大人かもしれない。社会的な地位や権力があるのかもしれない。……が、大人というのは、それ以上に責任が付きまとう。子供の過ち、若気の至りでは済まされず、自分でやったことに自分で責任を取らなければならない。

 それが、自分でまいた種ならともかく……俺の尻拭いを寮監様にさせるというのは、どうだろう。

 ただでさえ迷惑を掛けっ放しだというのに、これ以上迷惑を掛けて良いものだろうか……。

「うーん……」

「あ、あの……上がりましたけど……」

 と、俺が無い頭を振り絞って考えていると、後ろから躊躇いがちに結城の声が掛かる。どうやら風呂から上がったらしい。

「ああ。良い湯だった――か――」

 ……この時の俺は、そりゃあもう完全に油断していた。

 油断していたというよりも、どちらかといえば危なっかしい彼女を放っておけないという感情の方が強すぎて、ついつい忘れてしまっていたのだ。

 結城が――美少女だということに。

「あ……あの……?」

 結城が首を傾げると、水に濡れた髪がぺたりと頬に張り付いた。それが妙に扇情的で、思わず見入る。

 上気した肌、サイズの合わないぶかぶかのシャツ。水の滴る髪の毛。

 ――男の夢が、そこにあった。

「……あの、鈴太、さん?」

「――――はっ」

 暫く意識がどこかに飛んでいた気がする。……駄目だ駄目だ。さっきあれだけ彼女に向けて信用しろと言っておいて、僅か数十分でそれを破るのは、正直人間として駄目過ぎる。そうじゃなくても駄目だというに。こう、倫理的に。

「はぁ……ふぅ」

 深呼吸をして、瞳を瞑る。……よし落ち着いたー。正常運営可能。行けます。

「……ああ、良い湯だったか?」

「あ、はい。タオルや寝まきまで、ありがとうございます」

 にこっと、そりゃあもう絶世の笑みを浮かべる結城――再び硬直する俺。

「…………」

 ――良く考えたら、こいつの笑顔とか始めて見たかもしれない。

 あの妙な中二病ストーリーを語っている時も熱が入っていて楽しげではあったが、そういうのとはまた違う、自然な微笑み。

 ……正直、可愛かった。

 顔が可愛いとかとは、また違う。心からの頬笑みを向けられるというのは、こんなにも良いものなのかというくらいに。

 ……ああ、もう駄目だな。俺。

 信用だの安心だのと、色々と言って彼女から事情を聞こうと躍起になっては見たものの、この笑顔を守る為なら、理由はそれで充分だと思っている自分が居る。

 ……だって、仕方が無いだろう。

 適当に生きてきて。

 曖昧に生きてきて。

 何も変わらない――理不尽でつまらない人生を生きてきて――こんなに感謝された事なんて、生まれて初めてなんだから。

 偶には、純粋な善意の為に――純粋な好意の為に動いても、良いんじゃないかって。

「……鈴太さん?」

「……んや。何でもない」

 心配そうな瞳で顔を覗きこんでくる結城に、首を振って苦笑する。……いまいち顔に力が入らなかったから、何とも情けない笑みになってしまった気がするけれど。

「そんなことより、お前、未だ髪の毛濡れてるぞ」

 言いながら指を結城の柔らかそうなセミロングの髪に向けると、結城は何処か困ったように笑う。

「あー……これはですね……。その、出来たらドライヤーを貸していただけると」

「ドライヤー? ああ、そう言えば忘れてたな。わかった」

 踵を返し、箪笥の上に置いてあるドライヤーを掴んで、再び結城に向き直る……と、ここで、俺のどうしようもない悪戯心がむくむくと。

「俺が掛けてやろうか?」

「――っ!? い、良いです! 自分でやりますから!!」

 結城は顔を真っ赤にすると、ばしっと俺の手元からドライヤーを奪い取ると、そのままベッドに腰掛けた。

「このコード、抜いても大丈夫ですか?」

「おう。それ、携帯の充電のやつだから」

 俺が答えると、結城は頷いてコードを抜き、ドライヤーのコードをコンセントに突き刺すと、その場で髪を乾かし始める。

「…………」

 ……自分のベッドで女の子が髪の毛を乾かしているって言うのは、何て言うか……妙に色気があるな。

「……あの。鈴太さん、大丈夫ですか?」

「ん? どうしてだ?」

「いえ……さっきから妙に遠い目をしていたりするので……大丈夫なのかなと」

 ……そういや、俺って考えてることが顔に出やすいんだっけ。

「大丈夫だよ。ちょっとこれからの事とか考えていただけだから」

「これからのこと……ですか?」

「そう」

 誤魔化しついでに、結城が風呂に入っている間に考えていた事を、軽く説明する。説明が終わった時には、結城は不安そうな顔で俺に視線を向けた。

「……それじゃあ、その、寮監さんに事情を話すって事ですか……?」

 躊躇いがちに言う結城に、俺は無言で頷く。

 一応、他にも色々と考えたが、この娘の笑顔を守るには、どうやらそれしかないらしい。

 寮監様には本当に申し訳ないとは思うけど、巻き込まれてもらうことにしよう。

「あー……落ちてるなー、俺」

「……はい?」

「いや、何でもない……」

 うん。……まあ、この娘を保護した時から、多少は予想していたことだ。相川にも言われたし、とっとと覚悟を決めるとしよう。

「……でも」

 しかし、結城は未だ納得しきれていないらしく、俯いたままで言葉を紡ぐ。

「でも、その寮監さんが家に連絡したりしたら、私は……」

「ああ、それは多分大丈夫だ。結構いい加減だからな、あの人。それに、ちゃんと事情を話せば分かってくれる。そういう人だから」

 寧ろ、下手をしたら一切合財の責任を背負い込まれてしまいそうで、そっちの方が心配だ。

 この件については、俺の責任がある。被保護者だろうが未成年だろうが、彼女についての責任は、俺にあるわけで。……ま、その辺も踏まえて、一度しっかりと話をしておくべきだろうな。

「……そう、ですか」

 一応は頷きつつも、やはり完全に納得まではしていないらしい。当たり前か。結城は寮監の事を知らないのだから。

 ……とはいえ、こいつが納得するのを待っていたら遅いのも事実だ。話が纏まった所で、とりあえず俺一人ででも話を付けに行こうかと腰を上げた所。

 ――コンコンッっと、ノックの音が鳴った。

「――――っ!?」

「――――っ!」

 結城と顔を見合わせる。結城はすぐにドライヤーの電源を切った。

「麻上ー? 開けても良いかー?」

 この間の抜けた声は、まさに先ほどまでの話題の中心、寮監様である。何てベストタイミング。でももう少し待ってほしかったなぁ……!

「麻上? 居るんだろ?」

「あ、はい! 居る! 居るからちょっと待ってください!」

 一度扉の方に声を発して、再び慌てふためく結城に向き直る。

「ど、ど、どうしましょう鈴太さん……!」

「まて、落ち着け……とりあえず……そうだな、ベッドの中に隠れろ……!」

 結城は即座に頷くと、そのままベッドに潜り込み、頭からすっぽりと布団を被った。……よし、これなら、身動きさえとらなければ気付かれない筈だ! ……多分!

「おい麻上ー、未だかー?」

 扉の外から、若干苛立ったような声が聞こえる。俺は即座に部屋を見回して、特に問題が無いのを確認してから、一度深呼吸して扉の方に向かった。

「はいはい。今開けますよ」

 扉を開くと、そこには普段通り寮監様が腕を組んで立っていた。ウェーブのかかった茶髪に、身体にぴっちりとしたシャツに下はジャージと、どうにもだらしない格好は何時も通り。しかし、普段は不機嫌そうな仏頂面を浮かべている筈のその顔は、今日に限っては何故か険が無い。

「あや、思ったよりも元気そうじゃん」

 なんだ。と寮監様は呆れがちに息を吐いた。……なんだろうと、俺は首を傾げる。

「……えっと。何の御用でしょうか?」

 はてと首を傾げれば、寮監様は頭を掻きながらぼやく様に呟く。

「べっつにー。昨日今日と、アンタ体調が悪いから部屋で飯を食うって言ってたじゃん。だから一応見に来たんだが……余計なお世話だったみたいね」

「はあ……それは、どうも」

 ま、それだけなんだけどさ。と軽口を叩く寮監様の姿に、俺はどう返せば良いのか分からず、間の抜けた返答を返す。

 ……相変わらず、何だかんだ言いながらも優しい人なんだよなぁ。

 そんな人を、自分の身勝手な都合で巻き込むのは、流石に心苦しいものがある。……が、これしか方法が無いのもまた事実だ。

「あー、お待ちくださいませ寮監様」

「あん?」

 部屋に戻ろうとする寮監様を呼びとめると、寮監様は首を傾げながら振り向いた。

「なに。何か用があるの?」

「うん。まあ、ちょっと重要なお話がありまして。……時間ある?」

「ふむ……まあ、アンタも性処理の手伝いとかアホな事抜かさないなら別に構わないよ」

「いや、そんなこと言う度胸無いよ……」

 というか、『も』ってことは前に誰か言ったのか。どんな勇者だそいつ。

「因みに一秒後には床に倒れ伏していたけどね」

「でしょうね!」

 ああ怖い。冗談でも寮監様にそんな事を言うのは止めた方がよさそうだ。

「ったく……。男とつるむ時のノリでくんなっていっつもアタシが口を酸っぱくして言ってるだろー。そんなんだからアンタらは何時まで経ってもガキなんよ」

「はいはい。ご説教はその当人やっておくんなさいまし。……とりあえず俺の部屋で良い?」

 俺がそう言うと、寮監様は露骨に顔を顰める。

「ええ……アタシの部屋じゃ駄目?」

「いや、出来たら俺の部屋の方が説明が楽でいいんだけど……」

 話をするだけなら寮監様の部屋でも良いが、結城の紹介もしなければいけないわけで。

アイツに寮内を歩かせるというリスクを背負うくらいなら、俺の部屋で話をした方が良いと思うわけだが。

「……なに、駄目なの?」

「んー……駄目ってわけじゃないけどねー。こう、匂いとか色々さー」

ヘイマム、それは結構酷い台詞だと思うんだぜ。なんだ、臭いってことか? 臭いってことか? 臭いってことか!?

「いや、そうじゃなくてね……ほらあるでしょ? 思春期の少年的な色々がさ?」

「あ……あー……」

 ……いや、それも大丈夫だと思うんだけどな。現に結城が気にしていないし。……というか、アイツが居るせいで発散も出来ませんし。少なくとも、ごみ箱にティッシュを丸めたものが山盛り。なんてことは無い。

「ま、そんな事言いだしたらこの寮自体そっか。まあいいや。それじゃあお邪魔するよ」

 そう言って、寮監様は部屋に上がりこむ。俺はそれに先導しつつ、ちらりとベッドの方を見る。布団の隙間から、結城がこちらを見ていた。

「…………」

 しばし考えた末に首を横に振る。結城はこちらの意図を理解してくれたらしく、隙間はゆっくりと塞がっていく。うむ。少し盛り上がっているが、それでも注目しないと分からない程度だ。あれなら、動かない限りは大丈夫。

「なにやってんの?」

「いや、何でもないですよー」

 怪訝そうな瞳を向ける寮監様に嘯きつつ、俺はちゃぶ台の前に座った。寮監様も、遠慮することなく向かいに座る。

「……ふぅん。結構綺麗にしてあるんだね」

「綺麗好きだからな」

 というより、モノが少ないせいもあるのだろう。俺には趣味と呼ばれるものが無いので、必然的に部屋は寂寞した様子が漂う。

「ま、足の踏み場が無いよりはよっぽどマシだけど……ふぅん。まあアンタらしい部屋だわ」

 きょろきょろと周りを見渡す寮監様に居心地の悪さを感じつつ、俺はこほんと咳払いをする。

「あー……そろそろ話をしても良いかな?」

「ん? ああ。ごめんごめん。そういやそれが目的だったね。考えたら、アンタの部屋なんか見ても意味無いしねー。興味も無いし」

 ……無自覚に辛辣なのは、自覚的なのよりも残酷だと思うんだが、どうよ。

「……まあ、いいや。ともかく話を進めるけどさ」

「アンタその『まあいいや』って使うけど、それが口癖ってどうなの? すっげぇ人生適当に生きてる感じがするんだけど」

 ヘイマム、いい加減話の腰を折るのはやめて頂きたい。後、地味に俺個人を攻撃するのも止めてほしい。痛いから。すっげぇ痛いからそれ。

「…………ふう。で、ここからちょっと真面目な話をするんだけど、良いかな?」

「んー。告白とかでなければ、幾らでも」

 相変わらず寮監様の態度は、何処か真剣さに欠く。……ま、当たり前か。どれだけ深刻な悩みっつっても、所詮一介の男子高校生の悩み……とでも、思ってるんだろうなあ、きっと。

「……えっと、それじゃあ。これから見せるものに対して、例えば悲鳴を上げるとかしないでくれるか? とにかく、周りの奴らに知られたくないからさ」

「やだ、なに? やっぱり下の話? はー。止めてよね。本当に嫌なんだから。それともアンタも床に這いつくばりたいの?」

 違いますー。そんな、自分から猛獣に首を差し出すような真似はしませんー。

 いや、或いはそちらの方が、よっぽど事としては単純だったのだけど、事は思いのほか深刻であり。

「いいか、約束だぞ、約束したからな? 絶対に声上げんなよ?」

「ああ、はいはいわかったわかった。でも変な事したらぶっ飛ばすからね」

 投げやりな態度で手を振る寮監様に一度頷いて俺は――何もせず、視線をベッドの方に向けた。

「…………うん?」

 これは寮監様も予想していなかったらしく、怪訝そうな瞳で俺の視線の先に目を向けた。

 俺は一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせ、なるべく落ち着いた声で、ベッドへと語りかける。

「結城、出てきて良いぞ」

「アンタ、何言って――」

 寮監様は、台詞の途中でもぞもぞとベッドから這い出てきた結城に目を奪われて、言葉を失った。

「あ、あの……ゆ、結城かのみです……始めまして……」

 あんぐりと口を開けたまま固まる寮監様に、結城は若干委縮がちな態度で、大げさとも言える程に頭を下げた。

「……おい、麻上」

「はい――ガッ!?」

 暫く沈黙していた寮監様がようやく口を開いたかと思えば、思わぬ衝撃が側頭部を直撃し、俺は床を転がるようにして壁に叩きつけられる。

「す、すす、鈴太さん!?」

 ぐらつく頭に、結城の怯えた声が響いた。見れば、寮監様が立ちあがり拳を振り切っている。

「――ってぇな何すんだっ!」

「変な事したらぶっ飛ばすって言ったろうが!!」

 立ちあがり声を荒げて抗議すれば、寮監様は更に大きな声でどやしつける。初めから怯えていた結城は、この光景にいよいよ涙ぐんでベッドの端に退避していた。

「何も変な事なんてしてねぇだろ! 何なんだよ被害妄想ですか今畜生っ!!」

「ああ? この状況でよくそんなことほざいてられるなお前! しかも未だ子供じゃん! この……っ! バレたら大問題だぞコレッ!!」

「だから、それを相談したいっつってんだよ! ちゃんと話を聞いてくださいお願いします!」

「相談……って。だったらもっと態度ってもんがあるだろうがぁああ!」

「――お二人さーん。もう夜も遅いですし、もう少しお静かにお願いしますー」

 扉を開けて顔を出した相川は、それだけ言うとすぐに首を引っ込めて扉を閉じた。

「――――」

「――――」

 思わず呆気に取られて、二人して黙りこむ。

「……まあ、とりあえず座るか」

 先にそう言ったのは、寮監様だった。俺は頷き、どすんとちゃぶ台の前に腰を下ろす。結城は……相変わらずベッドの端で震えていた。

「……はあ」

 寮監様も冷静になったらしく、何処か疲れを感じるため息を吐いた。

 ……危ない危ない。二人とも、頭に血が上り過ぎていた。あのまま言いあっていれば、何事かと思った寮生たちが集っていたところだろう。後で相川に礼を言わなければな。アイツの事だから、全部分かった上でフォローしてくれたのだろうけど。

「――で?」

 もう一度息を吐いてから、寮監様は刺すような視線で俺を睨みつける。

「結局何がどうなってるのか。何でアタシを呼んだのか。最初から最後まで、一切合財すべて話してもらいましょうか」

 この視線の前では、どんな嘘も無意味なんだろうなと、思う。寮監様の瞳には、それだけの力があった。

「――分かった」

 もちろん、俺には嘘なんて吐くつもりは無い。寮監様の信頼を勝ち取る為に――そして助けを得るために。

 覚悟を決めて、俺は口を開いた。



「――――はぁああ」

 ――事の顛末を洗いざらい説明すると、寮監様は心から呆れたように溜息を吐いた。

「……面倒くさいことになってんのね。随分と」

「やっぱりそう思われますか」

「当たり前でしょ」

 短く答えて、再び息を吐く寮監様。

「……家出娘の保護、ねぇ。それはまあ、名目的には正しいかもしれないけれど」

 顔を上げた寮監様は、再び威圧するような瞳で俺を睨みつけた。

「もう一度聞くけど――アンタ、この娘に手を出してないでしょうね」

「――神に誓って」

「アンタの命には?」

「誓って」

 即答する。が、それだけでは信じきれないのか、寮監様の瞳が、ベッドの上で所在なさげにしている結城の方に向いた。

「結城……えっと、かのみちゃん。だっけ。かのみちゃん、正直に話して。このバカに何かされなかった?」

「え? それは……えっと……」

 沈黙……いや、なぜそこで黙るよ。早く誤解を解いてもらわないと寮監様の視線が痛いのですけど。

「……んー。酷い事は、何もされてません。鈴太さん、その、優しかったので。色々と良くしてくださいましたし」

「…………」

 これはまた、どう取って良いのか分からないような台詞を吐く結城さん。俺の背中から嫌な汗が流れる。なるほど、冤罪というのはこういう気分なのか。と、あまり実感したくない事を実感する。

「……あああもう、まどろっこしいな」

 と、この遠まわし過ぎてどうとでも取れる台詞に業を煮やした寮監様は頭を掻き毟ると、結城に目を向けて。

「かのみちゃん――アンタ未だ処女?」

「え……えぇぇぇええええええええええっ!!?」

 突然の爆弾発言に、結城は一瞬で顔を真っ赤にして慌てふためく。

「……ふうん。この様子じゃ、未だ処女……か。じゃあまあ、一応シロと……」

 何て、結城の狼狽は完全に意識の外で、ぼそぼそと独り言を呟く寮監様。一方で俺は、二人のやり取りを見ながら、童貞って言葉は知らなかったくせに処女は理解できるんだなー。なんて、割とどうでも良い事を考えていた。

「……オッケー。アンタが『まだ』手を出してないってことだけは、とりあえず認めてやる」

 『まだ』の部分を強調しながら、寮監様が再び俺に向き直る。失礼だな。……だから、そんな気は一切無いっつうのに。……まだ。

「それで、アンタはこれをアタシに知らせてどうしたいわけ? 秘密にするべきだとは思わなかった?」

「……そりゃあ、最初は思ったけどさ」

 そこで俺は、相川に言われたことと自分の考えを簡潔に纏めて寮監様に伝えた。

「……相川か。あんの野郎」

 寮監様は視線を逸らし、苦い顔で呟く。基本的に寮内では無敵を誇る寮監様だが、何故か相川だけは苦手としているらしい。……まあ、気持ちはわからんでも無いが。あの飄々とした態度は、味方にすれば頼もしいが、敵に回すと厄介なことこの上ない。

 ……と。今は相川の話じゃなくて。

「……で、その子を匿う……保護? するのに、何かあったらまずいから協力しろと?」

「そう。俺たちみたいなガキだけじゃなくてさ。大人の力ってのは、やっぱあった方が良いと思うから」

 大人の力ねぇ……。と、寮監様は力無く呟いた。

「……それさぁ、アタシが例えば、警察に通報するとか、そういうのは考えなかったわけ?」

「林檎ちゃんはそんな人じゃないよ。アンタは人の事情を聞いた上で、温情ある措置をしてくれる、良い寮監だから」

 時々厳しいけどな。

「……でも、その子は寮生じゃないどころか、事情すらもほとんど分かんないんだけど。そんな子を、アタシが庇うと思うの? そんな子の言うことを、アタシが信じると思うの?」

「信じるよ」

「どうして」

「俺が信じてるから。確かにこの娘は寮生じゃない。けど、寮生の俺が、この娘の言うことを信じてる。……だから、うちの寮監様は、きっと信じてくれる筈なのさ」

「……………………はぁぁぁ」

 短い沈黙の末、今日何度目かもわからないため息を吐いて、寮監様はちゃぶ台に突っ伏した。

「わかった……アタシの負けだよこんちくしょう……」

 額を机の上に付けたまま、力無げに呟く寮監様。俺は、展開に付いていけず茫然としている結城にガッツポーズをする。

「それで……アタシは何をすれば良いわけ……? このままその娘を引き取れば良いの?」

「……あー、それは……」

 結城がおろおろと、俺と寮監様の間に視線を行き来させる。

「……いや、この部屋で良いよ。変に外を歩かせると、他の寮生に気付かれそうだし。……それに」

 ……そこまで巻き込むわけには、いかないからなぁ。もしも何かがあった時、それだと知らぬ存ぜぬで通せなくなってしまうから。

「ほほう。つまりアタシに見て見ぬふりをしろと?」

「うん。……もっとも、そんな事態が起きないように頑張ってもらいたいんだけど。もしも警察沙汰とかになっても、寮監様は俺が女の子を部屋に連れ込んでるなんて知らなかったって事にしといてくれ。それだったら、大した問題にもならないだろ?」

 それなら、俺一人が責任を負うだけで済むから。大人の寮監様に、責任を押し付けなくて済むから。

「それでも、『監督不届き』って言われちゃうんだけど、アタシ」

「少女監禁よりはよっぽどマシだろ」

「……アタシに寮生を売れと?」

「…………」

 ……沈黙。黙りこむ俺に、寮監様は何も言わず、ただ責めるような視線を俺に向けるだけだった。

 寮監様が俺の何を責めているのかは、分かっている。

 この人は、いい加減そうに見えて善人で。……何よりも寮生の事を思ってくれている。そんな人だからこそ、俺は彼女に頼った。彼女の善意を、利用した。……そして、最後には、切り捨てる。

 それほどまでに寮生を思っている彼女に、その想いを利用しておきながら、最後には捨てろと、俺は言っているのだ。

 彼女の善意に頼っておきながら、いざという時には彼女の善意を蔑ろにするという、この矛盾。

 それはきっと、酷い事だ。俺は彼女を傷付けている。彼女を怒らせている。

 寮監様はきっと、最後の責任までしっかり負うつもりで、俺の話に乗ってくれたのだろうから。

 ……でも、だ。そんな人だからこそ、そこまで迷惑を掛けるのは、何よりも俺自身が許せないわけで。

「――この責任は、俺が取る。取らなきゃいけない。……それに、我が男子寮のマドンナ様を、こんな形で辞職にでも追いこんだら、例え俺が無事だったとしても寮生全員から袋叩きに有っちまうよ」

 冗談のつもりだったが、実際にあり得そうで笑えなかった。

「……アンタ、普段は適当なくせに、決める所だけは決めやがるから腹立つわ」

 寮監様はふてくされたような口調で呟くと、その視線を結城に向けた。

「かのみちゃん、貴女はどちらが良いの? このままコイツの部屋にいるか――それとも、アタシの部屋に移るか」

「えっと……」

 結城は身体を竦めたまま、俺と寮監様を数度見直し、それから躊躇いがちに口を開く。

「わたしは……その。何も問題が無ければ、このままこの部屋に居たいんですけど……」

 寮監様ががっくりと肩を落とす。俺は、特に行動はしなかったが……結城が俺を選んでくれたことが、少しだけ嬉しかった。

「……じゃあ、もう仕方ないわね」

 寮監様の力無い肯定に、思わず胸を撫で下ろした。……これで、当面の問題は突破したと言える。最大の問題は未だ解決していないので、ベストとは言えないが、それでも現状ではベターと言えるだろう。

 疲れ切った顔の寮監様には悪いけど……俺は今の状況を、心の底から安堵していた。

「……ああ、でも。ちょっと麻上、耳かしな」

「…………?」

 ひらひらと手を振って俺を近づける寮監様。首を傾げながら近づくと、そのまま首に腕を回され、内緒話の態勢になる。

「かのみちゃんは、ちょっとあっち向いて耳ふさいでてね」

「あ、はい」

 外向けの笑顔全開の寮監様のお言葉に、結城は素直に従った。それを確認してから、彼女は俺の耳に口を寄せる。

「くれぐれも言っておくけど、絶対にあの子に手を出しちゃ駄目だからね? 分かってる? そうじゃないと、許さないからね」

「分かってるよ……」

「分かってようが場に流されるって事もあるでしょーが。絶対駄目だからね。冤罪ならともかく、事実有罪になっちゃったら、アタシだって庇いようが無いんだから。そもそもんな奴、庇おうとも思わないから」

 強い意志の籠った視線で睨みつけられ、俺は素直に頷いた。

 ……もちろん、俺だってそんな気があるわけじゃない。別に犯罪者になりたいわけでもない。……が、俺だって男の子なわけですし。据え膳食わねばという言葉もありますし。

 でも、それじゃ駄目なんだ。例え何があっても、その場に流されようと、双方合意の上であろうと、絶対に間違いを犯しちゃいけない。

 この関係が、保護という名目の上にだけ成り立つ、本当に綱渡りな関係だということを、寮監様の言葉で再認識した。

「ま、肉体関係さえ無ければいいから。プラトニックな関係なら、別に問題無いんだけどね」

「問題無いのかよ……」

 そんなあっさりと俺の決意を揺らがせるような言葉を言わないでほしい。……いや、別に俺がアイツの事を好きだとか、そういうわけでは無く。

「当たり前でしょ。恋は目に見えないんだから」

 そんなものが証拠になんてなるわけない。と、自分の言葉が気に言ったのか、寮監様はどこかご満悦な顔で一人頷く。

「ああ……はいはい良かったね」

 が、正直どうでも良い俺は、いい加減この態勢からも逃れたかったので、適当に呟いた。

「ああ、あと。もうひとつ」

 まあ、これで話は終わりだろうという俺の予想を裏切り、肩に回された腕は、更に強い力で俺を締め付ける。

 そして、

「アンタ、ちゃっかりアタシの名前呼びやがったなこの野郎……」

「……Oh」

 寮監様に、恨みの籠った視線で睨みつけられた。

 このお方、その見た目や性格に反して、その本名を今井林檎という。

 自分でもミスマッチって事は甚だ理解しているらしく、うっかり名前で呼んだりすると死ぬほどの苦痛を味わうことになるのだが……今日はそんな気力も無いのか、人睨みされただけで解放された。……良かった。

「話はお終い。かのみちゃん、もう良いよ」

 寮監様が声を掛けるも、耳を塞いでそっぽを向いている結城には、当たり前だが聞こえていないわけで。

「……ふむ」

 ……少し考えた末、俺はひっそりと少女の背後に忍び寄ると、その首筋に指先を伸ばした。

「……ほいっ」

「ひゃわぁっ!?」

 軽くなぞっただけなのに良い反応をしてくれる結城。……うむ。可愛い。

「っだ!?」

 突如、後頭部にガツンッという衝撃が走った。何事かと振り向けば、拳を握りしめた寮監様が、さぞ不機嫌そうに仁王立ちしている。

「アンタは……さっきアタシが言ったこと、もう忘れたんか、ああ!?」

 はは。怖いですよ林檎ちゃん。全くただの冗談だっつうのに。

「アンタさぁ……もう少し考えて動きなよ。心臓に悪いわ」

「それはすいませんでした」

 ううむ……そんな呆れたような諦めたような表情をされても困るのだけど。一体俺の何が悪いというのだろうか。

「あ、あの……すいません」

 俺と寮監様がそれぞれ別の理由で頭を抱えていると、結城が控えめに手を上げた。

「ん? どうしたの?」

 そう聞いたのは、寮監様の方が早かった。なんとなく残念に思いつつも、俺も結城に視線を向ける。

「えっと……結局どうなったんでしょうか?」

 その台詞に、俺と寮監様は一度顔を見合わせて――再び、結城の方を向く。

「喜べ。当分の間そのベッドはお前のもんだ」

「大丈夫? 何かあったら言ってね? わたしの部屋、ここを出て右の突き当たりだから。もしもこのアホが何かやってきたりしたら遠慮なく悲鳴上げて掛け込んで来ても良いからね?」

 ……寮監様の台詞に思いっきり突っ込みを入れたい所だが、どうにか堪えた。……まあ良いさ。こいつのこんな笑顔が見れるってんなら、どれだけボロクソに言われても構わない。



 ――そうして、消灯後。

「――な、良い人だったろ」

 クッションを敷いた床に寝転がり、天井を見上げながら、俺は言った。

「はい……でも、良かったんでしょうか、こんなに良くしていただいて」

 結城がベッドの上から顔だけをひょこりと覗かせつつ、申し訳なさそうに呟く。その服装は俺が貸したシャツではなく、女物のパジャマだった。

「ん……まあ、折角の御好意だしな。ありがたく使わせてもらおうぜ」

 あの後、寮監様はありがたい事に部屋着や生活用品などを結城に貸してくれた。他にも、明日からの朝、昼、夕飯を結城の分も作ってくれるらしいので、これで俺が飯の心配をする必要も無くなるというわけだ。ほんと林檎ちゃんさまさまである。

「まあ、返す時に感謝の言葉でも伝えれば良いさ。あの人なら、それだけで満足だろうからさ」

 答えつつ、結城に背を向けるようにごろんと寝がえりを打つ。未だ日付も変わっていないような時間だが、昨日は殆ど睡眠を取れなかったこともあってか、眠気はすぐにやって来た。これなら暫く瞼を閉じていればすぐに寝てしまえるだろう。

「……良い人、でしたよね」

 が、今朝から怠惰な睡眠を続けていた結城はその限りではないのか、ベッドに身体を預けたまま、ぼんやりと呟いた。

「……どうした?」

 唯の独り言にしては何とも言えない感情が混じっているように感じて、俺は背を向けたままで、なんとなく聞き返す。

「なんでもないです……」

 結城は、明らかに何かある声色でそう言った。

「なんでも……ないんですけど……」

 そこで、結城の台詞が止まる。それから少しの沈黙があった。一体何を考えているのだろうか。

「おい、どうしたよ」

 辛抱できずに、たまらず続きを促した。後ろから息をのむ音が聞こえる。暫くした後、結城は口を開き、

「……鈴太さんは、寮監さんの事、好きなんですか?」

 帰ってきた答えは、あまりにも予想外なものだった。

「――は?」

 思わず振り向くと、結城は真っ赤になった顔を枕に埋めていた。……顔を枕に埋めているのに、どうして顔を赤くしているのが分かるかと言われれば、それは単純に、彼女の耳まで朱色に染まっているからだ。

「……あー、どこからそういう結論に?」

「だ、だって。鈴太さん、寮監さんと仲良さそうでしたし……話す時は何処となく楽しそうでしたし……」

 ……うん。まあ、確かに楽しいけど。

 でもなあ。と、ひとつ息を吐いて考える。……まあ、確かに俺はどちらかといえば年上好きだし、寮監様のようなお姉さまは、正直ツボっちゃツボである。

 好きか否かと問われれば、それは間違いなく好きだろう。

 でも、ぶっちゃけこの感情はここの寮生なら誰もが持っている感情だったりする。なにしろ、我が男子寮のアイドルだから。……いや、マジで。

 ともかく、この女性成分が圧倒的に足りていない我が高の男子生徒にとって、美人な寮母さんというのは、いわゆる憧れの的なわけである。

 そう言った憧れは――確かに恋愛感情も少しならず混じってはいるだろうが――多分こいつが聞いている『好き』とは、また違うもので。

「それに、楽しいっていうならお前と居るのも楽しいしな」

「え……」

 枕から顔を上げた結城が、キョトンとした顔で俺を見つめていた。相変わらず、顔は真っ赤にしたままで。

「うん。楽しいぞ。お前、弄るとホント面白い反応返してくれるもんな。飽きない飽きない」

「――っ!」

 ばすんという乾いた音とともに、俺の顔面に結城の投げた枕がぶつかった。無言で床に落ちたそれを手に取り、ベッドの上に投げ返す。

「……一応、褒めたつもりなんだけど」

「知りません!」

 結城は枕を掴むと、抱え込むように身体を丸めてこちらに背を向けてしまった。

 その子供っぽい反応に苦笑を洩らしつつ、俺も同じように背中を向ける。

「……まあ。結局詳しい事情を、ひとつも聞いて無いんだけどさ」

「――――っ!」

 単なる独り言のつもりだったのだが、背後で結城が息を飲む気配がした。別に責めるつもりで呟いたわけではなかったので、慌てて言葉を続ける。

「いや、別に良いよ。家出なんてするくらいだから、きっと理由があるんだろ?だったら、あんまり深くは聞かない。言いたい時にでも、言ってくれたら良いさ」

「……そう……ですか……」

 一応フォローのつもりだったのだが、答える結城の声はやはり沈んでいた。それは……やはり負い目を感じているような、罪悪感を抱えているような、そんな声。

 その声に付いて思考を巡らせるより先に、堪えがたい睡魔が、身体中を支配する。

「……まあ、今日はもう寝ようぜ。俺は……もう……眠くてさ」

 意識がだんだんと解けていく。眠りに落ちるとは良く言ったもので、身体がどこかに落ちていくような感覚が、身体中を支配する。

 徐々に、状況が理解できなくなっていく。思考が空回りを始め、物事の意味を考えることが出来なくなる。そうして、眠りに落ちる直前に――

「――ごめんなさい」

 ――確かに聞こえたその言葉の意味も、俺には理解できなかった。


次回更新は9月26日20時予定

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